はてなキーワード: 編集とは
DOMMUNEみたいに大手企業がスポンサーについているのも含めて。
カメラが3台以上ありそうなら製作費はそれなりにかかっていると見てよさそう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/akihiro_koyama/status/1486624380692365317
cinefuk わかり手が編集してもエエやん(IPユーザの編集は荒らし認定されやすいけど)/ 近いうち荒らしによる編集合戦になって、規制が入る予感
https://twitter.com/akihiro_koyama/status/1486624380692365317
小山晃弘(狂)
@akihiro_koyama
ブクマカはたった2ツイートから構成されるスレッドを読めずデマを一番人気とする反省をするべきである。
はてブは他サイトに寄生するシステムである自覚を持って利用せねばならない。
めっちゃ怒ってんじゃん。どうしたの。
毛って無駄だな〜ふさふさだな〜って思ったから書いてみただけです。日記みたいな。人に話してる感覚なかったんだよ。なんか地雷踏んだみたいでごめん。
なんなら歯も真ん中ずれて出っ歯でガッチャガチャだし肌も見たこともないくらいボッコボコだし通院必須の病気持ちだから言うとおり毛深さなんてザコすぎるって分かるよ。笑っちゃだめだけど急にガチギレで(それも冷静に編集付きで)笑った。
でも悩んでるかもしれない人相手にその態度はすごいね。金額や痛みが悩みの深刻さと比例すると思ってるなら大間違いだよ。人の気持ちを考えられる人になろうね。ドンマイ。
自演といえばその通りだが、増田を書き切って一度投稿すると、自分の考えが客観視できるんだよな。
自分の増田を客観視すると、あれ?ここおかしいなとか、もっとこうした方がいいんじゃね?とかアイデアが浮かんでくる。
まぁそのアイデアを元増田編集で書いても良いんだけど、反論や新しい考えをまた別人になったつもりでトラバで書くと、またその意見に対して考えが湧いてくる。
そうすると自分の中で考えが整理されていくというか、思考が深化されていくんだよな。
それに併せて、他の増田のトラバからインスピレーションや刺激も貰えるのですごく考えが深まる。
てか、他にもそうやって増田を利用してる奴いるでしょ?
最近は作家と公務員の2足のわらじに対する世の中の風当たりがやたら厳しい。
仕事で知ったことを平気でバラすようなやり方をしなければセーフだと私は思う。
そもそも金を貰えるにしろ貰えないにしろ私達は文章を書きたくてたまらないわけで、むしろ書かなければ体調を崩して公僕としての機能が落ちるのだから。
言ってしまえば排泄と同じなわけで、仕事に専念するために書くのをやめろなんて我々に言うのは、ウンチをしないアイドルになるために肛門に栓をしようと提案するようなものなのだ。
実際、私の作品が市場の需要を満たせないと判断されて仕事がなくなった今でも私自身は適当な書き散らしは好き放題にやっているわけで。
締め切りという概念から開放されたと思われるかも知れないが、私のやり方は連載作家のそれではなく完成してから納品してそれを編集が見て売れるものかどうかを調べるやり方なわけで。
結局の所、収入が公務員一本になっただけで時間の使い方に大きな違いはない。
お役所仕事は相変わらず嫌いなままだし、組織への忠誠心は文筆業を退いたからといって増えたわけでもなく10年以上前から続く空っぽが今も続いているだけだ。
気持ちの上では作家が本業だっただけで、時間を使う割合で言えば間違いなくフルタイムの副業が上回っていた。
収入についてもなんかの賞を取った瞬間に月収の内訳を比較してようやく作家業が勝つ状態である。
私と同年代の作家が大学を出てすぐプロになった話を聞くたびに、単純な経験値の比較でどれほど差がついているのかを計算してしまう。
こっちが役所のボロっちいパソコンに向き合っている間、あっちは作家として研鑽を積んでいる。
週50時間、月で200時間、年で2500時間、その上向こうにはこちらにないようなサポート体制がある。
10年なら25000時間、よっぽど両者の才気に差がなければ埋めきれない。
そして才能がないのはコチラの方だ。
才能はない、積み上げた時間は違う、モノが違う、それでも負けたくない。
なんで負けたくないのかと言えば、他に自信があるものがないから。
アイデンティティを能力の優劣に委ねるような幼い人間性を成長させることより、能力によって自分の存在を証明する方が楽だと見誤って生きてきたから。
言い訳をさせてもらえば、存在意義を人間社会の存在価値に委ねるような人類全体の幼さに付き合わされなくていいならこんな事に悩む必要がないのだ。
今や本業の収入はゼロだが本業が作家であると言い張ることを辞めたくはない。
公務員として立派に働くことに人生の意味を見出してしまえば、あのねばついた組織の空気と同化してパワハラを繰り返す怪物の一員となるのだから。
それだけは避けなければならない。
「夏目漱石は「月が綺麗ですね」となんか訳していない」という話から、「初出であるとされる70年代以前がどうだったのか知りたい」という話が出ていたので、Googleブックスを検索していたのだが、1962年刊行の『日本人の知恵』にこのような話があるらしい。
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
この『日本人の知恵』という本は、
ということらしいので、つまり1961年に朝日新聞に掲載されたのだろう。
それならば世間に広く知られたとしてもおかしくないと思われる。
もうひとつ、さらに遡って戦前の1935年刊行、笠間杲雄『沙漠の国 ペルシア アラビア トルコ遍歴』にもよく似た表現があるようだ。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
こちらは「いい月ですね」と「海が静かですね」が並列されており、あくまで「無数の表現のうちの2例」といった趣きではある。
さらに「I love youは日本語にうまく訳せない」という話に限っては、
「漱石文庫」に残された漱石のメモ書きの中に、ジョージ・メレディスというイギリスの小説家の作品を取り上げて、
"I love you,Signora Laura."―Vittoria p.113.
此 I love you ハ日本ニナキformulaナリ
と記した一節がある
これは漱石の英国留学時代のメモ書きだそうなので、1901〜1902年ごろに書かれたものか。
同様の主張が1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』に書かれている。
日本語には英語の『ラヴ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you "や" Je t'aime "に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。
この厨川白村は夏目漱石の教え子で、漱石とは恋愛観について議論を交わしていたというから、これは夏目漱石の受け売りだった可能性が高い。
というわけでグルグルまわっているうちに夏目漱石に戻ってきてしまった。
夏目漱石が「I love youは日本語に訳せない」と言う
→その話が厨川白村を通じてよく知られるようになる
→「いい月ですね」とか「海が静かですね」とかそういうことを言うんじゃね?
→日本人は「愛しています」とは言わず「いい月ですね」と言うんだ!
→その話が朝日新聞を通じてよく知られるようになる
→なんかいろいろ混線して「夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねと訳した」という話になる
みたいな流れが朧気ながら見えてくるような見えてこないような。
追記。
国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみたところ、1908年の『明治学報』に掲載された上田敏「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにこういう記述があった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです、
上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。夏目漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だったという。夏目漱石か上田敏かいずれが先なのかはさておき、どうも「I love youは日本語に訳せない」というようなことは当時の教養人のあいだで盛んに言われていたようだ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2348792/1/6
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
例えば以下のようなケースを考えたんだけど、法律よく分からないので詳しいひとに聞きたいな。
ケース(1)
記事の肩書きには「ソニー(任天堂でもMSでも可)○○部所属」とあった
(記事自体は相変わらずガチャゲー批判だが、さすがに普通の批判記事の範疇であった)
このアカウントについてユーザからのクレームがあったこともあり、名指し批判されたゲームの開発元は、所属と思われるソニー(もしくは任天堂もしくはMS)社に対し、発言者が社員であれば発言に注意するよう申し入れを行った
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここで問題となるとは以下の点だと思う。
良く似た筆名で良くよく似た主張をしているだけであり、Twitterアカウントからの記事への言及があったとしても、なりすましという可能性はゼロではない。
単なる疑いでしかないのに、同一人物という予断で会社に問いあわせをしても良いのか
雑誌に問い合わせてもプライバシーを理由に回答は得られない可能性は高いが、
まずは本人に同一人物であるか問いただすべきではないだろうか。
それで回答がない、もしくは不誠実な回答だった場合はどうか。
ある程度の関係性は認められる以上は、会社宛に断定でない形で問合せをしても良い可能性はないのだろうか?
雑誌記事は社名をのせている以上は会社が無関係とは言えないが、Twitter上は会社名を名乗ってはいないし、匿名で活動している。
つまりプライベートの活動であると考えられるにも関わらず、会社に申し入れるのは不当ではないだろうか
ただ、Twitterアカウントと記事寄稿者が同一人物でれば、それらの言論活動は外観として地続きに見える点も考慮すべきで、完全なプライベートの活動と言い切れるものなのだろうか。
どれくらいの連続性があれば(なければ)、会社宛の申し入れを正当化(不当化)できるのだろうか。
このケースではTwitterの攻撃対象はスマホゲーユーザなど不特定多数、もしくはゲーム会社に限られている。
しかし侮辱罪が成立するような暴言はほぼスマホゲーユーザなど不特定多数に向けられていて、ゲーム会社はひたすらこきおろしているだけである。
「意見論評型の名誉毀損」は法人には適用されないだろうし、「侮辱罪」も不特定多数相手には成立しないだろう。
その状況で所属会社を通じて発言を封じるような行動に出るのは、不当な言論封殺にあたるのではないだろうか。
とはいえ所属会社の社会的信用の低下を防ぐため、社業に関わる方面での社員の発信を制限すること自体は珍しいことではない。
そのような理由で社員の発信を掣肘できる範囲とはどのようなものなのだろう。
何らかの侮辱罪に問えそうな発言があったとして、まずやるべきは発信者開示請求などを経て個人への訴訟であり、所属会社を巻きこむのはそもそも禁じ手ではないか。
所属会社は寄稿記事で社名を名乗らせ、間接的にTwitterアカウントの社会的評価に影響を与えたという点で全く無関係とはいえないかもしれないが、直接的な関係はない。
ただ、個人の紛争を無関係な会社に知らせるような行為は論外としても、(4)で挙げたように会社は全く無関係とも言い難く、会社の名誉を守るためには情報提供は有益とも言える。
Twitterアカウントと記事寄稿者が同一人物でれば、会社を巻きこんだのは本人の意思とも言えるのではないか。
所属会社の当事者性というのはどういう理路で判断されるのだろうか?
ケース②「特定人物(開発者)への侮辱が含まれる場合」も書こうと思ったけど、力尽きたので一旦止める。
全般的に不勉強なので判断基準がよく分からないのもあるし、見落としている視点がきっとあるんだろうな、と思う。
元ネタの方は、事業会社と違い大学には「大学人の言論の自由を保障する」使命が在る点、問題が主に個人への侮辱であるところが大きく違うので同じ結論には当然ならないはず。
ただ、そこまで簡単に白黒つくような話とも思えないんだけどなあ……。
続きはwebで
のことではなくてですね。あれは作られた引きが気にならないしそういや最近見ない気がする。
私、ウマ娘にはまったく興味がないのですが、テレビでもアベマでもニコニコでもCMがじゃんじゃか流れているんですよ。
「君の愛馬が走り出し~」って歌詞なんすかね。愛馬じゃなくてアイドルかもしれん。ウマ娘は馬じゃないらしいから愛馬なんて言葉はなくてアイドルかも。知らんけど。そこはどうでもいい。
走り出して、なんなんだよ!「し」と接続したら続いて「~する」とかなるだろぉ!?
すげー中途半端じゃん!歌詞としてもその部分で請求できる点あんまりなくないか!?走っただけだぞ!?
なぜ、そこを選んだし。いやまさか語尾がしのキャラの曲じゃあるまいな?もしそうならカンカンだし!ししし!
実際のCMは「走り出し~(フッフー)」っちゅう合いの手が入るんだけどそこ削るなり編集するなりで続きいれろよ!とも思うんだよ。タレントのフッフーは確保できてもその後の数秒は確保できないんか。
毎回気になる続きをフッフーでごまかされるようで嫌だ。
こんな文章書く暇で調べろとなるが知りたいという興味が微塵も無い。そういうんじゃなくてわざと不完全にしたものをどしどし流し込まれる不快感。おまえのCMにニケ像的魅力はねぇよ。
もしセブンイレブンのデイドリームビリーバーが「ずっと夢を見て」や「僕は」や「そんで」で切られたら同じようにイライラしてたと思うわ。
コインハイブというのは、ユーザーがサイト閲覧中にユーザーのパソコンを使って仮想通貨のマイニングをするという技術。
広告以外の収入源だ!サブスク 以外の収入源だ!と話題になっている。
これが叶うとどうなるか考えてみた。
まず、wikipediaはタダになるどころか、下手したらwikipedia編集者に金が払われる世界になるかもしれない。
広告に頼らないので、人間の恣意が入らないシステム的なお金の給付制度になるかもしれない、例えば、閲覧数の分に応じた収益のように。
そうなれば、wikipedhia編集だけで食っていく人間が出るかもしれない。
youtuberならぬ、wikipedierだ。
大事なのは、「広告に頼らない、サブスク に頼らない」ことで、「システムが透明な賃金獲得システム」が出来上がることだ。
公的な「オープンソースのプログラム」や「フリーゲーム」で下手したら商業より金が入ることすらありうるだろう。
そうなったら、本当に、企業に頼らない世界ができてしまうかもしれない。
成田先生が提唱している、「人間が政治をせずに、システムが勝手に決める社会」というのが到来するかもしれない。
物凄い技術だなあと思った。
https://omocoro.jp/kiji/317659/?s=09
オモコロの記事が訳分からんから嫌いとか向いてねぇから帰れよと仰る方もいるだろうがオモコロは概ね好きなうえでこの記事が嫌いなのだ。
オモコロ訳分からん界でもトップはARuFa(敬称略)だと考えているが、彼の訳の分からなさは「意味不明のAが理解不能のBになる」という展開が多く、こちらも「お!今回はどんなバカやってくれちゃったのかな〜?」の気持ちで読むことができる。予定調和で予測不能だから楽しいのだ。ホーム・アローンで泥棒が次どんな罠にかかるのかワクワクする気持ちに近い。
対してこちらの記事は最強のパスタ……最強のスパゲッティ。近年Twitter料理人の大袈裟で逆に魅力のない煽りを散々見てきた中でシンプルに最強の二文字となればなるほど出してみよの気持ちで挑むことになる。
なにしろスパゲッティは独居人類の強い味方。一戸一皿の最強があると思っている。我が家の最強と君の最強、比べてやろうぜの気持ちでこの記事を開いた。
オモコロは意味不明インターネットだが同時にやり手広告会社でもありグルメ情報はPR・非PR問わずなかなか力の入ったものも多い(オススメはこれと言って思いつかない。オモコロの8割は脳を通り過ぎる途中で霧散するので)
そんな中で最強のスパゲッティだ。よほど自信があるんだろう。
まあ枕でフリー素材を多用し横道に逸れていくのもオモコロでは珍しいことでもない。最強に支障はない。
そして記事をスクロールしていくと現れる龍。なるほどなるほど……。
支離滅裂インターネット、一定の需要がある。なるほどなるほど……。
全く無意味なスカイリムの情報、合っているのか間違っているのかもわからない。なるほどな。
なるほどなるほど……で、スパゲッティは?
タイムスリップ?ない?は?
なんとかなった?お!スパゲッティは?
……は?
スパゲッティは?
あっ、編集後記!
オモコロには記事の末尾に画像数枚とごく短いメッセージで今回の記事のこぼれ話や補足が行われていることがある。
おそらくそこでスパゲッティの味や完食した皿、レシピがあるに違いない。
どれどれ〜?
……。
龍が何時間かかって何が大変でなんて説明してんじゃねえよ!!!!!
なに僕も苦労したからこれに免じてみたいな面してんだよ!関係ねぇだろそっちが勝手にやったことはよ!
こっちは君の最強のスパゲッティを見に来てんのになにプロの仕事の裏側……こうなってるんですみたいな得意げな雰囲気漂わせてんだよ!
なにより最強のスパゲッティ!!!!!!!!!!!
出すべきはスパゲッティだろ!
出せよ!
最強なんだろ!出せ!
お前の思う最強のスパゲッティを!出せ!
なぁ!
なんでだ!
なんで裏切った!
最強のスパゲッティ!
最強のスパゲッティ!
最強のスパゲッティ!
最強のスパゲッティ!
V豚でいることに疲れて、おすすめに出るKUNのマイクラ動画にハマってから数ヶ月。KUNコンテンツはVtuberと同じ面白さがあるなぁと思ったので、Vtuberを推すのに疲れた人に是非オススメしたい。
というのも、どちらも、アバターをかぶって、Youtubeとツイッターで界隈内の人間と交流して、遊んでいるだけなので、構造がとても似ている、と思うので。
中身の人間がマイクラスキンをかぶって遊んでいるだけなので、Vtuberの、キャラクターの世界観とかいう足枷が無い。ガワのドット数も限られているので顔面と声の違和感に苦しむこともない。あと、基本的な存在意義はKUNの動画に出演して面白くするとこっていう前提があるのもいい。大体の人は活動の軸を分かっていて、そこからブレるとKUNが参加者としての権限を容赦なく剥奪するので、オタクが杞憂しなくて良い。一回ミルダムで配信して、それを1~2ヶ月のタイムラグの後編集されてYoutubeに動画があがるので、公式切り抜きを約束されているようなもので、リアルタイムで楽しむことも、サクッと笑うこともできる。
KUNコンテンツは最高に面白いけど、まぁ、参加勢にニートの割合が高いとか(参加勢はKUNの動画に出演しても給料はもらえない)、快楽主義的な人を見ててヒヤヒヤするとかはVtuberより多いかもしれん。そういうのでも楽しめそうだったらぜひ見てほしい。CRカップでKUNを知ったV豚に届け。
ちょっとズレるけど、女子がやたら肩掛けベルトを長くして垂れ下がるように背負うのを、「解せねェ」って怖い表情して評するマンガ家の自画像、その頃のエロ漫画誌の編集後記欄でみた記憶ある