はてなキーワード: 甘えるなとは
周りのフェミニストは言う。
たしかにオタクのヴィーガン叩きは肉画像貼り付けなど痛々しく、ワンパターンで、陰湿で、俗悪である。だが、ヴィーガンの肩を持つのは早い。
(嫌いなのはヴィーガニズムとその押し付けであって、個人でヴィーガンしてる人やヴィーガン料理は全く構わない)
その理由を述べたい
元々人権団体にいたヴィーガン女性やヴィーガン弁護士が「もう人権なんてどうでもいい」と言ってるのを見た。
ヴィーガンは動物を人間と同じように考え、肉を「権利を持つ動物の無惨に殺された死体」だとみなして嘆き悲しみ声を上げる。毛皮や革製品、動物園や水族館にも。
すると当然の流れとして、人間の優先順位は低くなり、人権を軽視する。果ては「人権」自体を人間だけが権利を認められた種差別だと言って否定してくる。
肉食者なんて虐待されても構わない、子供が殺されたくらいでうるさい、と言っていたヴィーガンもいた。
「部落差別なんて今時ないだろ。差別だなんだと被害者ぶるな転職しろ甘えるな」と言ったヴィーガンもいた。
「女性の性被害なんて肉食に比べれば大したことない、肉や乳製品を食べてるんだから仕方ない」と抜かす男ヴィーガンがいた。「性犯罪より肉食の方が悪だ」と言う女ヴィーガンも。
差別や苦しみを軽視し、セカンドレイプするヴィーガンにはらわたが煮え繰り返る。
私は今まで性被害者を助けるために活動してきた。性的虐待に苦しむ少女達に相談機関をたくさん紹介し、相談に乗った。痴漢対策を広めてきた。性犯罪者を通報してきた。捕まえたこともある。日々性被害者の苦しみを目の当たりにしていると、動物のことなんて考える余裕のない弱者が沢山いると痛感する
だからこそ「人間にいくら優しくても、いくら善行をしても、ヴィーガンでなければマイナスだ」と言ったヴィーガンを許せない。
ヴィーガンなんて、経済的、精神的に余裕ある者の贅沢であるべきだ。
そのくせ、野菜を育てるのに殺される虫や動物について聞いたり、虫を踏み潰した時にそれこそ哺乳類を殺した時のように嘆くのかと聞いたら「0か100かでしか測れないのか、肉食者の言い訳」としか言わない。都合の良い奴ら。
ヴィーガンは「反差別なのに肉を食べるなんて種差別だー」「フェミニストなのに乳製品を食べるなんて性的搾取だー」と騒ぐ
ただでさえリベラルや反差別、フェミニストが嫌われている世の中だ。その上「リベラルや反差別、フェミニストになるとヴィーガンにならなければいけませんよ」とされなければいけないのか。
そんなことになったら誰もその道に進まなくなる。
大体だ、「乳製品は牛をレイプして作られた性的搾取の商品だから女性やフェミニストは乳製品をとるなヴィーガンになれ!」というくせに、
「卵や乳製品が作られる影ではオスのひよこやオスの牛が殺されるのだから、男性やマスキュリストはヴィーガンになれ!」とは言われない。
「乳製品は牛の親子を断絶して作られているのだから、親子断絶に反対する共同親権賛成派は乳製品をやめてヴィーガンになれ!」とも言われない。
リベラルやフェミニズムにだけ、弱者にだけ強制する。これが反差別や弱者の敵でなくてなんなのか?
すり寄ってくるなヴィーガン!押し付けるなって願いが聞けないならせめて平等に押し付けろヴィーガン!自立しろ!こっちくんな!しっしっ!
でも、いいところもある。
さすがにミソジニストやネトウヨよりはヴィーガンの方がマシである。ヴィーガンからフェミニズムに入ってくれる人がいるなら悪くないかもしれない
だが、ミソジニストのヴィーガンもいる。先程述べた、「女性の性被害なんて肉食に比べれば大したことない、肉や乳製品を食べてるんだから仕方ない」と抜かす男ヴィーガンや、「肉食者の女」「肉食女子」に対する罵詈雑言を並べて「肉食女は肉食男にも嫌われてる。肉食者の男は肉食女に無理矢理肉を食わされている」などとほざく女ヴィーガン。
ミソジニストやネトウヨのヴィーガンには、いよいよ良いところがない。
ヴィーガニズムを妻子に押し付けて逃げられたヴィーガンが、「親子断絶、連れ去り反対」の共同親権界隈に入って「牛の親子を断絶する乳製品を食べるな!ヴィーガンになれ!」と界隈の連中に押し付けて回らないかな。
1で述べたように、ヴィーガンは性被害を軽視する。また、2で述べたように、ヴィーガンはフェミニズムにすり寄って、牛の授精をレイプだと言う。
私はそれはレイプの軽視だと思う。発情期の牛が食べてる間にサッと終わるアレを、被害者の心身に深い傷を残すレイプと同じにするな。人間と動物を何もかも一緒にするな。人間基準で考えるな。お前らは動物にも服を着せるのか?動物にも失礼だ。
だが残念ながらヴィーガンはそうは考えない。
もしもヴィーガンどもの望み通りフェミニスト=ヴィーガンになったりしたら、性被害者の相談に乗り、寄り添う仕事をする人の中でこんなことをいう人が出るに違いない。
そんな最悪な言葉が出たらどうする、とヴィーガンに言ったら、「肉食やめたらいいだけ。性被害者だから何もかも許されると思ってんのか?」と言われた
日々苦しい私の数少ない楽しみも肉である。
それを「たかが一瞬の味覚の楽しみ」などと矮小化するヴィーガンの傲慢さが許せない
刑務所の食事をヴィーガン料理にしたら再犯率が下がるだの、肉食やめたら性犯罪なくなるだの眉唾物のデータを持ってくる人もいるが、刑務所の食事を作ろうとするヴィーガンはいない。
本当に再犯率が下がるなら大歓迎なのだが、何故犯罪者には押し付けない?
ヴィーガンは哀れだ。
仲のいい友達は肉料理を平気で広げ、街を歩けば焼肉のにおい、テレビをつければ肉のCMに肉料理、アニメを見たり漫画を読んでも動物性食品を食べる主人公達、ネットをしても肉の広告…。
肉は動物の苦しみで動物の死体なのに!許せない!とヴィーガンは嘆き、叫び、主張し、困ったときに助けてくれる友達を失い、益々不幸になる。おまけに食事の選択肢は狭まる。
そんな不幸で面倒な生き方を人に、ただでさえ苦しい弱者に押し付けるな。
これまで、ヴィーガンは性被害者を追い詰めることや、フェミニズムにすり寄って女ならヴィーガンであるべき!と言う事、女性蔑視するヴィーガンがいることについて話してきた。
いつも投稿に #肉食女子 とつけて肉食者を罵る女性蔑視ヴィーガンは「白熊アイスを食べる女は可愛こぶってても腹黒。男性陣騙されないで」と言っていた。
それ以外にもある。ヴィーガンは毛皮を敵視する。革製品より毛皮を敵視する。毛皮をやめろと直接凸したりする。それを顔出し動画で公開したりする
毛皮反対漫画などを見ると「おしゃれのことしか頭にない毛皮好き女性」が呪われたり怒られたりしている。
「毛皮なんて動物の死体を身につけるなんて女は残酷だ」と言う男子高校生がヴィーガンに絶賛されてるのを見た。
「たしかにヴィーガンはやりすぎだけどインスタで#肉食女子 とか言ってる女は嫌い」と言ってヴィーガンに同調した非ヴィーガンもいた。
もしもヴィーガンや動物愛護が世の中にもっと浸透したら「毛皮をつけるま〜ん」「肉を食べるま〜ん」などと女叩きのネタになるであろう
なお、これまで「ヴィーガンは…」と主語を大きくしてしまったが、繰り返すが個人でヴィーガンしてる人、罪悪感を煽るように押し付けずせいぜい緩く勧める程度の人は当てはまらない。そんなヴィーガンの方々、すみませんでした。
全日のガンダム枠や他局との共有であるメイドラ1期やきんモザ2期(1期はBS11のみ)等を除いて酷すぎるのが多いよ、誰が見たいと思ったんだよこんなもの!
なんてのが多すぎるよ。
ぽよよん絵以外のすべてがエウア脚本構成プロデュース監督演出でのひぐらし同人作品1〜2クール目、
日常回である4話と令和コンプライアンス型叱責(お守りに甘えるなばーかという手紙隠してた)しか取り柄がないシグルリ、
あの程度の出来だったおさまけアニメ版にくらべて埋没してしまった友崎くん、
量産型JRPGファンタジーで単体スマホゲ1年持つかどうか分からない、だったらスーパーなろう大戦開発した方がマシのラスダン(TVhはこれを放送して境界戦線放送しないとか頭にウジでも湧いてんじゃねえの?)
そして実況民がBSテレ東のヴァンガードかMXの海賊王女に取られて閑散ムードの腐夢枠スケートリーディング様…
それでいて一部社員が「ソシャゲ最強自慢やVTuberにかまけてストーリーやギャグや萌えや燃えを軽視するサブカル現状けしからん」だ?
なのに再放送開始が近辺1年以内に放送されたもの、その中でしけてる奴らばっかセレクトしてんじゃねえよ糞が!!!
いや、連篇ストーリー路線は全日含めて群雄割拠してるのでもう間に合ってる。
だったらきらら原作や角川系他歴代難民キャンプやそれに準ずるタイトル再放送しろよ。
BS未放送の先延のAチャンネルはじめ、日常やらきすたとかから優先でな…
昨年下半期のMXはニャル子やハナヤマタといった俺の思い出の作品再放送されたのに、
ひだまりスケッチ一期やらきすた、日常といった他の思い出の作品も中部・南関東地上波独立局の方に行ったのが気に入らなかったんだよ、マジで…
RANKINGって、RANK+KINGだと思っててんだが、RANK+INGらしいな。
知ってた?
世の中にはチャリこそウゼーという者の多なれど、チャリと同じかソレ以上にウザき者ランニングマンならんや
走るのに必死で余裕がねーから周り見てないんだけどそれを走るのを頑張ってるんだから仕方ないでしょで許されようとしてる
人の行き交う大路を勝手にテメーのトレーニングコースにしておいて全力で走ってるから周りが見えないんですだと甘えるな
ジムに行け
ママチャリっぽいのに電動アシストで意外と早いのだったりカッコイイ外観のクセにジジイチャリンコ並みのスピードだったり
ふぅー!マジ最悪!
3人で歩いてるときに2・1で別れるとボッチっぽいよね~~をいくつになっても気になっちゃうのね乙女かしらん?知らんわしねえ!
まあ大学生ぐらいなら多感なお年頃、ボッチへの恐怖で多汗が落とし所。落とすべきはてめえのタマじゃけえ死ねえ!
国を守ってますよって顔して制服で歩いてやることがチンタラ並んで歩いて進路妨害とは、テメーらが守ってるのはテメーの給料とメンツだけだってよく分かるよ本当死んで
まず何が最悪ってトロイチャリとか並んで歩くとかもコイツらがやってくること
コンボか?
親が一緒だと横にズラーって並びつつ子供がそこから飛び出してくるから歩道全部その一家の当たり判定で埋まる
そういや教習所の危険予測で子供が急に飛び出すのに注意しましょうとかあるけど、あれ当たり屋じゃん
それでも子供は悪くないってことになるとか権力がヤバすぎだろ路上の天竜人かよ
マジ最悪。
これをやられると途端に道が狭くなる
狭い道でやられるともはやその道が封印されることもある
人が乗ってるから停車なのでセーフですじゃねーんだよ
お前さぁ、ウンチをちゃんとトイレでするのと同じのが、車をちゃんと駐車場に止めることなんやぞ?
お前がやってるのは結局は野グソと一緒なんじゃい
ちゃんとトイレに行ってるつもりで路上にパトカーというでっかい野グソを垂れとるんじゃ
あーあー信じられんのーこの国ではポリスが野糞しながら人を裁いとるんかいな
むしろ「障害者を批判しちゃ駄目だよだって障害者なんだもん」こそが差別やぞ
とくに鬱陶しいのが車椅子やな
横に広いし押してる人もいるから縦にも長いわスピードもトロいし最悪の場合おつきの奴らが横に広がってたりして超巨大な当たり判定を形成しとる
あと周りに変なバリア貼ってんだよなやっぱ障害者って関わりたくないからさ
単なる怪我人でも同じようなもんだわ
松葉杖ピョンピョンマンとかジャンプが若干千鳥足気味だから次の移動先が見えねーんだわ
結局コレなんだよ全ての悪意の源泉は
もしも道路がもっと広かったらいろんな奴らがもっと幸せに共存できるわけ
日本の道が狭すぎるのが悪い
そしてその未知の狭さの根幹にあるのが「路肩があるではないか。使えよ」の精神で作られていること
ランニングマンも路肩走れってなっても、それはそれでバイクとかが引っ掛けそうになるっつーかマジでランニングマン後ろ見てねーからよ
道路族の連中が適当な公共工事で少しでも沢山道を増やそうと狭い日本に必死に張り巡らせた結果がコレだよ
山ばっかの狭い国になんでこんないるの?
人間減らそうぜ
グレタだって言ってるじゃん人間が増えすぎて地球が持たない時が来てるって
あいつらそのうちアクシズ落としてくるけどバカだから説得とか無理だし
ここはこっちが折れて人口に抑制をかけていくしかねーんじゃねえかな
あー話がそれたわ
「女性が妊娠出産で働けなくなる期間ができるのがリスク高すぎる 」
これ世の中に多い「夫が正職員で妻がパート」の場合だと「夫が育児のために働けなくなる期間ができるのがリスク高すぎる」となって、夫が育児休暇とらなくても仕方ないってことになる主張してるの自覚してる?
増田、いまの世の中は男性の育休も積極的に推進されてる(企業によっては男性の6か月間の育休取得が義務になってる)のご存じない?
金銭的な不安については、出産はたいていの企業で有給扱いだし、育休は無給だけど国から6割の手当が支給されるし、6割で足りないというならこれまで貯金してなかった二人の責任も大きいよ(増田の妻は正職員で「働くのが楽しい、もっと働きたい」くらいなのに貯金してないの?)
父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。