はてなキーワード: 本塁打とは
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
彼が35歳にして選んだ次なる道は、東大生?
「受験は昨年の冬に済ませていました。今は休学中です。来年の春からは大学生として勉強頑張ります」
「六大学野球には出場するんですか?」
「可能ならばぜひ!」
東 京 六 大 学 野 球 に は 年 齢 制 限 が な い
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「翔谷の球を受けたい」
全国の進学校の野球部キャッチャーが受験をめちゃくちゃがんばって
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一番・ピッチャー翔谷
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早稲田「慶応のアホは正々堂々勝負するとか言ってたけど、俺たちはどんな手だって使うぜ」
一番・ピッチャー翔谷
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法政「結局点を取れなければ勝てないってこと」
東大の守備の弱さをついてセーフティーバントとエラーを誘う作戦に出る
一番・ピッチャー翔谷
「選手たちは全力を尽くした。敗因はあのキャッチャーを見くびったこの田岡」
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2004年のはてなアンテナから参入し、今年で18年目の古参と言ってもいいと思うのだが、自分には一才の文才がないと思っているし、過去いくつかブログをやってきたが文章でバズったことは一度もなく、ましてや見ず知らずの人の心の琴線に触れるような情緒的な文章や、披露するに値するような専門知識もない自分にとっては、増田に投稿することをずっと敬遠していた。
昨年9月にふと何の気無しに投稿をしてから、気が向いては適当な文章を書くようになった。
ちょうど一年が経過したので、どのくらい読まれたかを振り返った。その成果は以下の通りである。
エントリ数:96
0ブクマ:79
野球に例えて、1ブクマ以上を安打とする場合、96打数17安打で打率は.177で二軍落ち間違いなし。直近は16打数ノーヒットで復調の兆しも見えず。
1ブクマを安打、2ブクマ〜9ブクマを二塁打、10ブクマ〜99ブクマを3塁打、100ブクマ以上を本塁打とする(激甘判定基準)と、長打率は.404で散々たる成績である。
全エントリの半分くらいはブクマもコメントもされておらず、ネットの海に漂う藻屑と化している。
定期的に増田に投稿している他の人もどうなのか知りたいところである。
個別データは以下の通り。数字ははてなブックマークのブックマークされた数を示す。ちなみに、セルクマは一切やっていない(えらい)。
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日本ハムファイターズで暴力行為が表沙汰となり、無期限謹慎処分となった中田翔。
先日いきなり巨人への移籍が発表されたかと思えば即一軍登録されたかと思えば即代打出場したかと思えば今日は先発出場で本塁打を打つ活躍とのこと。
私は全然野球には詳しくないけど、「最悪」という印象しかない。
高校野球の強豪校でいじめがバレた首謀者をここには置いておけないこのままではこいつは退学処分だとなって、懇意にしている他の強豪校の監督に頼んで送り込んで問題をなかったことにするのと同じ構造じゃないの。
結局球界というのはいじめる側の人たちがいじめはいけないことだと口では言いながら、野球がうまければある程度のいじめは許されるということを社会に示したように見える。
「中田翔が活躍してチームの勝利に貢献すれば、巨人ファンは喜ぶだろう」
「問題を起こした選手に手を差し伸べた優しい球団という印象も世間に与えられる」
こんなふうな浅はか極まりない思考を持った人たちが決めたんだろうか?
被害者とか引き取らされた巨人の他の選手とか野球ファンをバカにした行為では?
この舞台を整えた彼らがいじめる側として人生を送ってきていて、他の立場の人たちの感情というのは想像の範囲外にあるからなんじゃないだろうかと穿った見方で考えてしまった。
何も中田翔を球界から抹殺すべしとまでは思っていないが、人間の反省にはある程度の期間が必要だと思うんだよね。
このことが特に大きく報道されてないのは、プロ野球がもう世間様の興味の対象から外れているからなんだろうけど、モヤモヤした感じがある。
http://matome-tarou.ldblog.jp/archives/53726471.html
8: 風吹けば名無し 2019/08/22(木) 08:18:29.16 ID:WWTjJZ4yp
ここで馬鹿にされてるほど悪くは無い
期待値には程遠いけど
10: 風吹けば名無し 2019/08/22(木) 08:18:47.78 ID:SYRQbQM/0
あの頃みんなが期待していた「これくらい打ってくれたらいいなー」という妄想を数字で表したもの、といった使い方をよく見かける。
正しい使い方は「高校生の中田君」がプロ入りした時に打つであろう本塁打数の可能性の平均値だろう。
現在の中田翔や、高卒すぐに交通事故で半身不随になる中田君や初年度に恩師から「翔・・・右足やないか?」と言われて覚醒して60本打つ可能性や
・前年順位に応じて出来高総額が決定する(1位50億、2位以降5億ずつ減って6位25億)
・年俸のベースはゼロ円。一軍に年間フル登録された場合の最低保証年俸は1500万円(1日66,667円らしい)なので、後述する算定方法で最低保証に届かなかった選手は別枠の予算(数億)で補填される
・残り金額を出来高として分配。選手、ファンが納得できる形の計算式でチームへの貢献度を数値化し、支配下登録選手を1位〜70位まで順位づけする
・男子プロゴルフの賞金分配率を参考にする。1位20%、2位10%、3位6.8%、4位4.8%、5位4%、、、9位2.82%、10位2.62%、、、、、40位0.46%と下位は分配率がゼロに近づく
・優勝した場合、1位の翌年年俸は10億。2位5億、3位3.4億、4位2.4億、、40位2,300万円。最下位だったらみんなその半分。
・前年の成績は一切考慮されない。5億もらった選手が極度の不振で翌年2,000万円に落ちることも。1,500万だった選手が大ブレイクし、翌年3億円突破とかが起こる。
・1位を複数年続ける選手に限っては、球団が1年あたり2割のアップ査定。そのくらいの広告効果はありそう
・「16勝4敗の投手」と「.310、42本、110打点の打者」のようなちょっと悩みそうな順位付けを考えるのは大変だけど、徹底的に勝利貢献ポイントを算出して何とか順位をつける
・具体的には、逆転サヨナラ2ランは、8-1からの満塁弾より勝利貢献ポイントが高い。代打専門でも、少ない打席数で勝利貢献ポイントを積み重ねられるかもしれない
・楽勝ムードでのつなぎ、敗戦処理のリリーフは貢献ポイントが低い。ヒリヒリした場面で結果を出せばポイントが高い。運の要素も絡み、試合数、打席数、登板回数は関係なくそこでの内容だけが査定対象
・制度的に可能かはわからないけど、年俸変動が大きすぎるため、球団が徹底して納税準備を行う。2億だと所得税45%+住民税10%で55%きっちり天引きして支払われる。個人事業主の選手たちは経費もかかるので、必ず確定申告で還付を受けるはず(翌年の税金が〜のコメントが出そうなので)
・計算式をオープンソース化し、球団サイト内でデイリーランキングを発表する。開幕戦で4本塁打して1位に躍り出たが、不振でたちまち神9から脱落、のようなニュース性が生まれる
・自力で考えた内容はこのくらいなので、順位付けの計算式のアイデアや、想定される問題点などをどんどん補ってもらえたらうれしいです
パワプロのペナントモードで、ドラフトで獲得した架空選手ばかりにして、オートでペナントモードを回している。
選手の成長は自分でやってる。もう総計70年くらい回している。
今年のペナントで、我がパワフルズの渋川選手がシーズン最多本塁打を更新しつつある。9月4日の段階で、57本。バレンティンの実際の記録まであと3本だ。時間の問題である。
ただ、渋川選手には一つ大きな問題があった。打率が2割6厘なのだ。OPSは.818。
現在までの総安打数97本(内本塁打57本、二塁打12本、短打28本)。ただのヒットより2倍近くホームランが多い。
しかも問題なのは、得点圏打率も同じく悪いこと。2割1分9厘。そして打点が98であることから分かる通り、ほとんどがソロホームランなのだ。
渋川選手はもともとミート力(C68)もあり、前年も60本打っている。その際の打率は2割8分。3割を打った年だってある。
なぜか今年だけ、打率2割でホームランばかりの選手になってしまった。
もしこんな選手が実際にいたら、どうなるんだろうか?
ただホームランの数だけ多いのだ。他はひどい。一応チームの決勝点をホームランでもぎ取ることはある。だけど、いつも三振と内野への力ないフライばかりしている。
他の指標が全く揃わない60本打者。昔、外国人が王貞治の55本を更新しようとした時、露骨に敬遠されたことがあった。その問題をも乗り越えてバレンティンは60本打った。
もし現実のプロ野球で、日本人で、打率2割打点100程度で60本打たんとする打者が現れたら、どうなるだろうか。ちなみに四球も選べない。ただ、守備は上手い。
「ホームラン記録にも品格と言うものがある」「こんなただホームラン打っただけの記録は認められない」とかいって、退けられやしないだろうか。
黒い噂でましたでしょ。この次に出てくる話何かって言うと、スポーツ賭博と八百長問題です。
スポーツ賭博なんてものは、目の前に試合さえあれば何にでも賭けが成立します。
何も試合の勝敗だけが賭けの対象になるわけではなくて、例えば得点数、ヒット数、本塁打の数、奪三振数とかでも賭けの対象にできてしまいます。
勝敗に絡む八百長だと選手も本人の業績やチームへの罪悪感が関わってくるのでやりづらくなるんですが、そうじゃない要素だと、別に誰にも迷惑かけてないからいいかなってことになってきます。
ここがやばいんです。
誰にも知られずに、本人も罪悪感がないから発覚がとても難しいんです。
スポーツ賭博は、主に反社会勢力の人間が一般人を巻き込んで行われます。
あんまり頭が良くないのに大金持ってしまった一般人から巻き上げるのが目的です。
最初は予想通りにことが運んで楽しい思いをさせておいて、動く金額が大きくなってきたらとたんにケツの毛までむしり取るやり方です。
そういうときに特定のゲームを想いのままに操れるとしたらどうでしょう。
そんな都合のいいことはありませんね。
さて、ここでたとえ話をします。
ある試合局面(例えば前半まで)のファール数が賭けの対象になっていたとしたらどうでしょう。
とある人物からコーチに指示が入ります。「あと3つ欲しい」と。
「おい。お前。活躍を認めてほしいなら最低あと3回はタックル取ってこい。」そう告げるわけです。
かくして試合は突如大荒れの結果に。
そうして胴元はこういいます。
「アメフトは荒いスポーツですから。まさかの結果になっても致し方ありませんなぁ。」
選手たちは何も知らないままに、まさか八百長の一端を担わされていただなんて考えるはずもありません。
賭けの白熱する試合も少なくないことでしょう。
(たとえ好成績でも)悪化した場合は●、横ばいなら△、良化した場合は◎で示しています
打者は ... 打数 打率 本塁打 OPS (=OBP+SLG)
投手は ,,, 勝-負 投球回 防御率 WHIP の順で示しています
[日本ハム]
メキシカンリーグ(3A)
260 .385 1.092 → 82 .232 .560
ARIマイナー(3A) → BOSマイナー(3A) → 日ハム → 横浜
6-3 98 3.95 1.242 → 2-5 56.1 4.31 1.562
[ソフトバンク]
●カイル・ジェンセン
ARIマイナー(3A)
498 .289 30 .896 → 12 .083 1 .548
[千葉ロッテ]
●マット・ダフィー
HOUマイナー(A+)
8 .250 0 .500 → 164 .201 6 .651
△ジミー・パラデス
158 .222 5 .620 → 289 .219 10 .634
[西武]
COLマイナー(3A)
1-2 42 3.64 1.500 → 1-5 63.2 2.83 1.366
6-8 114.1 4.41 1.469 → 2-2 31 6.39 1.526
メキシカンリーグ(3A相当)
3-1 44.2 2.62 1.164 → 0-1 3.0 21.000 3.667
4-3 65.2 3.97 1.431 → 1-1 21.0 6.86 2.143
1-2 15.0 8.40 1.667 → 6-1 31.1 1.72 0.957 → 3-1 53.0 2.72 1.151
[オリックス]
5-3 70.0 2.96 1.271 → 2-3 23.2 4.56 1.690
●マット・ウェスト(P)
LADマイナー(3A)
3-0 46.1 2.33 0.928 → 0-0 2.0 4.50 2.000
●ゴンザレス・ヘルメン(P)
2-1 40.2 5.31 1.623 → 1-0 13.2 0.66 1.171 → 2-1 47.0 2.68 1.426
△ステフェン・ロメロ
17 .235 0 .557 → 418 .304 21 .902 → 390 .274 26 .838
◎クリス・マレーロ
田中将大は駒大苫小牧の二年時に150kmを計測、日本代表にも選ばれており、三年時には完全に世代最強投手の扱いだった。
2006年の夏の甲子園でも、センバツ優勝の横浜と並んで圧倒的な優勝候補だった。
一方、斎藤佑樹が注目されたのはその2006年の夏の甲子園から。
それもルックスが端正でハンカチがオシャレだったことの話題が先行しており、実力だけで人気を得たわけではなかった。
それでも斎藤は決勝まで勝ち上がり、田中と対決、あの伝説的な試合を制して甲子園優勝投手となった。
ずっと注目されてきた怪物と、最後の甲子園でブレイクした新星。
要するに、今で言うと田中は早実清宮、斎藤は広陵中村だったのである。
が、その後のマスコミのフィーバーと、それに反感を覚えた天邪鬼たちのせいで、
なぜか今では「高校時は斎藤のほうが評価が高かったがプロに入って田中が逆転した」と思われていることが少なくない。
ゴルフの石川遼と松山英樹の関係を重ねているというのもあるのだろう。
もうひとつ言っておきたいのだが、斎藤佑樹や石川遼がまったく実力のない最低の選手というと絶対にそんなことはない。
そんなことを言えば、甲子園で優勝できなかった投手、プロで1勝もできなかった投手、賞金王になれないプロゴルファー、ツアーで1勝もできないプロゴルファーはどうなるんだという話になる。
マスコミの逆張りをして人気者を叩くといえば今の清宮叩きも相当なものがあり、「練習試合で本塁打を稼いだ雑魚専」だの「甲子園にも出ていないのにゴリ押しでU18主将」だのと貶されている。
プロに上がってどうなるかは分からないとはいえ、現時点で清宮が怪物と呼ばれるに相応しい成績を残していることは間違いない。
マスコミに過剰に反発するのはマスコミを盲信するのと変わらないということを意識しつつ、田中も斎藤も石川も松山も清宮も中村も応援していこうじゃないか。
http://diamond.jp/articles/-/44285
たとえばこの記事だと、斎藤を項羽、田中を劉邦にたとえて、「逆転」を強調している。
http://www.chiakiaso.com/pg68.html
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1325413568
こういうのとか。