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水島精二監督、映画本編を見ずに舞台挨拶に複数参加するファンに苦言 - Togetterまとめ
あなたは今,行きたくて行きたくて仕方なかった観光地にいる.ウィーン? パリ? ヴェネツィア? 何ならニューヨークやサンフランシスコでもいい,好きな観光地を代入してくれ.ちなみにわたしはどれにも行ったことがない.
あなたには見たいものがたくさんある.あそこのなんとか教会もかんとか美術館も,ひょっとしたら夏期限定ツアーとして運河をゴンドラで回れるかもしれない.悲しきニッポンの勤め人,旅程は往復の飛行機での何泊かを抜けばたったの3日しかない.さあ,どれから巡ろう? ここがロンドンならあなたは悲惨だ.3日間すべてを費やしたとしても大英博物館ひとつですら踏破し尽くすことはできないのだから.
観光シーズンだけあって現地は実に快適だ.日本のような蒸し暑さなどヨーロッパにはない.街角には日本では滅多に見ないオープンテラスのカフェが建ち並び,観光客たちがその疲れた身体を休めたり地元民がぺちゃくちゃと何を言っているのかはわからないがかしましいおしゃべりを繰り広げている.
あなたはそのうちのひとつのカフェに足を運ぶ.本場に来たのだから美味しいコーヒーを飲もう,いやいや地ビールで清涼感を味わうのもよい.やってきた店員に注文を告げ,深く腰を下ろして一息つくと,あなたは鞄を開け,日本から持ってきた『ハリー・ポッター』の単行本を取り出すと,一心不乱に読み耽る……
いや,それ今ここでする必要ないじゃん!
という話で.
もちろん,個々人の価値観は多様であり,そこに他人がケチをつけるのは野暮ではある.数少ない海外旅行の機会を,「海外の,日本にはないような雰囲気のカフェで読書をして過ごす」のが理想の旅行だというならわたしはその選択を尊重する.しかしわたしはそのように振る舞おうとは思わない.なるほど,確かにそのカフェは日本では入れないものであろう.気候や道幅の問題もあり,ヨーロッパではありふれたオープンテラスなど日本には滅多にないしあっても屋外に座る気にはなれない.どう考えても蒸し暑くて空気も悪い.せっかくヨーロッパに来ているのだからそういうカフェを堪能しようという気持ちはよくわかるし,わたしだって一度は足を運びたい.
しかし,別にハリポの読書なぞ日本でもできる.飛行機の時間は長いのだから往復を使えば賢者の石から死の秘宝まで全部読めてしまうだろう.だから,もう博物館も美術館も教会の拝観受付も全部閉まってしまってあとは寝て明日に備えるだけのホテルなりホステルなりのベッドの上での手慰みとして以外に,わたしは旅行先でハリポを読もうとは思わない(ハリポの聖地巡礼に来ているなら別だが).別にこれはハリポでなくとも指輪でも銀英伝でも何でもいい.もちろん,読んでいるひとの邪魔をするつもりはない.だがそれはわたしの目には「もったいない」と映る.おまえの目にどう映ろうが知ったことではないと言われたらそれまでだが.
と,ここまで書いたところで冒頭のリンクに戻るわけです.
わたしは舞台挨拶には一度しか行ったことがないし,その一度もちゃんと映画は最初から最後まで見た.しかしそれでも思ったことがある.上映される映画の内容は毎回同じだ.仮に劇場に足を運ばずとも余程のことがなければ円盤だって出る.だが舞台挨拶は毎回違う.内容どころか出演している俳優の組み合わせまで違うし,語っている内容もどうでもいい日常トークならともかく(それにも価値を感じるひとはいるのかもしれないが),演者の抱いた映画への感想とか舞台裏の小話とかそういった映画のファンにとっては是非とも聞きたいものばかりだ.
さて,ではこの状況において,MOTTAINAI精神の体現者たるわたしはどのように行動するのが最適だろうか?
あなたは旅行先でありふれた楽器屋に入ってどこででも買える楽器を買うだろうか? あなたの地元が楽器屋のひとつもないシャッター商店街なのであればそれも当然の行動かもしれないが,まずは「今・ここ」でしか見られないものを見てできない体験をしようとするのではないか? だとしたらそれは舞台挨拶も同じだ.演劇と違って映画が複製技術時代の芸術である以上上映している時期に上映している劇場に行けばいつでも見られるし,大スクリーンであの大迫力であることを諦めれば家で見ることだってできる.だが,舞台挨拶は,そこでしか聴けない.
繰り返すが,わたしはそのような行動を取ろうとは思わないし(そこまでのリソースを監督や演者の生語りに割く気力が湧かない),監督や演者が不愉快に思う気持ちもわからないでもない.だが,たとえば旅行に置き換えて考えれば,本編を見ずに舞台挨拶をハシゴする人びとの気持ちならばがよくわかるのではないか.彼らは旅行先でハリポを読んだりDSで遊んだりするのではなく教会や美術館や遺跡を巡りたいのである.つまりこれはモラルやマナーの問題ではなく,構造の問題だ.どのように振る舞うのがもっとも合理的かという話なのだ.
もちろん合理的であってもルール違反はよくない.いくら無理して始発で来るよりも会場前で夜を明かす方がレア同人誌を入手できる可能性があるからといって徹夜組はルール違反である.だが,一回チケットを買った者が,上映途中で眠りこけようが途中で帰ろうがそもそも見に来なかろうが,すべてルールの範疇ではあるまいか.それとも一度チケットを買ったが最後途中退席は断じて罷り成らんとでもいう風にルールを変えるか? 断言するが数ヶ月後にはその映画館には閑古鳥が鳴いている.
もしも本気でそのような客を厭うのなら,解決はふたつある.ひとつは映画を複製技術でなくしてしまうことだ.コメンタリとして要所要所に演者の生の発言を被せたり,「この上映回でしか見られないエフェクト」をつけるなりすればよい.もうひとつは舞台挨拶の方を複製技術にすることだ.すべての挨拶は後日Blu-rayの特典なり何なりとして収録し,会場限定のグッズなど一定期間が経ったら必ずどこぞのショップで売るようにすればいい.
こんな簡単な対策すら取らないなら,まあ,そりゃ,挨拶をハシゴするひとは増えるよね.でもって,そっちの方が損得勘定で得だと思ってるからそういう商売やってるんでしょ? だったら客のモラルに責任転嫁して愚痴るなよ,情けない.
お盆の時期は、思い出したように原爆の話題や戦争の話題が増える。
でも、戦争の悲惨さ、被害の甚大さを訴える話題は「だから鬼畜なアメリカ製品を棄てよ」とはならない。
「こんな悲惨な状況を生む戦争を、二度と起こしてはならない」と締める。
逆なんだといつも思う。
広島の平和記念資料館にあるような、熱線で焼けただれ血みどろになって廃墟の中を逃げ回るような悲惨な状況になったとしても、
絶対に戦争をしない、拳を振り上げないという覚悟が必要なんだと思う。
同じじゃないんだ。
アメリカが宣戦布告をしてきて、再度広島と長崎に原爆を落とすと通告してきても、国権の発動たる戦争は起こさない。武力は行使しない。
「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」というのは、相手が殴りかかってきても対話でこれを解決するという宣言なわけだ。
また広島に原爆が落とされ、この世に地獄が現れても、戦争はしない。
また長崎に原爆が落とされても、紛争解決の手段として武力は用いない。
悲惨だから戦争を止めようというのは、「悲惨な状況が起こるのが目に見えているなら、止めるべきだ」と表裏一体だ。
そして、悲惨な状況が目に見えるから、それを守る、それを起こさないとなる。
日本人を守れ、同盟国を守れ、そして「日清戦争が始まり、日本は勝った」。
国家主権のプライドも、損得勘定も、感情論も、等しく全て「戦争」に結びつく危険がある。
どんなに恥辱に塗れようとも、果てしない損失と機会喪失があっても、凄まじく悲惨な被害があっても、全て無視して一切の武力を行使しない。
これは「悲惨なことになるから、武力を行使するな」とは、真逆の意志だ。
「武力を行使しない結果、悲惨なことになっても、受け入れろ」という強い意志だ。
グローバルスタンダードに乗ろうとした、明治維新と日本の近代国家化。
経済的、政治的に、西洋列強からの干渉を防ぎ自国を守ろうとした外交政策。
外交から同盟国の「悲惨な状況を防ぐために」日清戦争が起こり、日本は守りきった。
三国干渉を受けながらも空前の好景気を迎え、世の中は良くなった。
そして、「またも悲惨な状況を防ぐために」日露戦争が起こり、同じく日本は守りきった。
そのたびに景気は良くなり、西洋化は進み、戦争をせずに外交努力や経済的な進出によって日本は発展、
「人種的差別撤廃提案」という正義の法案を廃案にし「移民の全面禁止」に踏み切るような狭量な国家は、
「暗黒の木曜日」を引き起こし世界恐慌の引き金を引いたにも関わらず、自分たちだけを守ろうとブロック経済を敷く。
その後、日本と周辺諸国の安全と平和の為に絶対に必要な石油の全面禁輸に踏み切ったその国は、「米国」と言う。
だが、いついかなるときも、守ろうとする理屈も感情も正義も経済もクソくらえだ。
あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9
「焼き場に立つ少年」が発生しそうになっても、決然と無視する。
「焼き場に立つ少年」がまた発生しても、しょうがないと諦める。
どんなに「焼き場に立つ少年」が繰り返し発生しても、絶対に武力は行使しない。
例え世界中から無責任だと非難されたとしても、武力は行使しない。
少女シャブ漬け売春で1600万円荒稼ぎ 神戸で男女4人を逮捕
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140723/waf14072321430025-n1.htm
被害に遭った少女は約20人に上るとみられ、4人は少なくとも約1600万円を売り上げたという。
こんなグレーですらない純粋な漆黒、警察に見つかった時点で人生オワタな商売に手を染めて、たった1600万円しか手に入らないなんて世知辛すぎる。
真面目に働いていれば生涯で2億円稼げるんだぞ? たった一人で。それが何十人の人生を終わらせる大事業で1600万円しか稼げないなんて割に合わなすぎだろ!
母ちゃん助けて詐欺を見ていても思うんだが、「それって犯罪に手を出してまでするほど美味しい仕事なの?」って思うよ。
俺はフリーランスで働いているんだけど、去年の収入は1200万だったよ。こいつらが20数人を暗黒面に落として1600万しか稼げなかったのに、俺は合法かつこの指だけで1200万だ。ざまあみろ。
3億円事件ならわかるよ。一発逆転で生涯賃金以上稼ごうっていうんなら、まだわかる。
こんなそこら辺のサラリーマンが数年で稼げるような額で破滅へのロードを邁進するだなんて馬鹿げている。
犯罪しようかなって人はまずは本当に割に合った行為なのか、考えてみた方がいいぞ!
というか、学校で習わせよう! 「○○詐欺をしたら××円、△△をしたら■■円だけど、普通に数年働いたら手に入る金額です」って。
私は島中と誕席を行き来するくらいの同人漫画描きです。大体300~400部くらいです。
四国在住です。
1回本を出して通販とイベントでハケる部数の売上=印刷代+交通費+宿泊費+イベント参加費が同じくらいです。
もちろんここまで来るまでに、長い時間と膨大なお金を使いました。
読んでもらえない悲しさ、悔しさは同人誌を出す人はきっと誰しも知っていると思います。
同人の醍醐味は、どれだけ下手でも情熱があれば、諦めず続けていれば、成果がちゃんと出るところでもあります。
これ以上の部数は見込めないでしょうし、漫画家にはなれそうにありませんが、今まで費やした膨大な時間を思えば、漫画を描くことをやめるという選択肢は私にはありません。
ここまで前提として。
まず、200部でイベント売りのみという、ニトロ定めるところの非営利活動に留めた場合、多分私はコミケ以外の参加を諦めるでしょう。
理由は二つあります。
①交通費宿泊費の相殺が出来ない売上になることが予想される為、コミケ以外の参加者の少ないイベントは出費の負担が大きすぎる。
②自分の漫画を読んでもらえる絶対数が減ることにより、モチベーションの維持ができない。
①の理由に関して言えば、趣味でやってるんだから相殺なんか求めるなと言われればそれまでです。
ですが、主催にもよりますが1回参加でスペース代は8000円前後です。そして交通費が、例えば大阪の場合往復20000円。宿泊代6000円。
印刷代が200部で、40000円。これでも安い方で計算しています。
東京だと交通費はその倍、新幹線を使えば三倍くらいになります。
それ以外にもファンとして公式から出されるものの購入費、イベント代、そちらにも薄給からつぎ込んでいく。
そうなると年に二回参加が限度ですし、実際最初の何年かはそうでした。
②モチベーションに関してですが、本当はこちらの方が深刻です。
二次創作は原作のキャラクター・世界観をお借りして創作しているものですが、私の場合「好きだから」そのキャラクターがもっともっと見たい。読みたい。
オリジナルも描きたいものではあるのですが、キャラが好きすぎてたまらないので、だから描いている、という感じです。
私はあまり成人向けを描かないので特にそう思うのかもしれません。小学生の頃、好きなアニメの主人公の絵をノートの端に量産したような、そういう気持ちに近いかもしれません。
イメージとしては補完している感じです。
2~3話の間に少しの空白の時間があったとして、そこに実はこんな物語があったんじゃないか、このキャラクターはもしかしてこう考えたんじゃないか。
もしくはこういう事態が発生したらどう動くか。
そして、これを読んでもっとキャラクターに萌えてほしい。知らない人には原作を読んで欲しい。原作のブームを一過性で終わらせたくない。
できたらこの萌えに同意してほしい。だれか同じように思う人はいないか、この切り口はアリだと言ってもらえないか。
これもひとつの承認欲求なのかもしれませんが、そんな風に思っています。
でも、それを200部の範囲で、対面販売だけでやりなさいと言われると、読んでもらえる人の数は減ってしまうわけで、確率的に同じ思いの人に行き当たる数も減ってしまうのです。
それは私のモチベーションを下げるのに十分な理由でした。
ならば、版権使用料を支払って上限を上げればいいとニトロさんは言います。
でも、私はロイヤリティを支払う事によって、きっと「損をしたくない、もっと売りたい」と思うでしょう。私は小さい人間ですから。
もっと売りたいと思えば媚びた内容になるでしょうし、成人向け表現やサービスも入れる必要があると思います。
私はプロではないので、好きな内容しか描きたくない(描けない)ので、きっとそういう損得勘定でアッサリ描けなくなるだろうなと思うのです。
同時に(二次創作で権利を侵害しておきながら矛盾するかもしれませんが)そこまでして公式の領域に踏み込むことに恐れがあります。
じゃあ無料で配布、もしくはサイト、ピクシブに掲載でいいじゃないか。どうして金をとろうとするんだ。
もちろんそれはごもっともです。
ですが、無料って、本当にいいことですか。
あの時、無料とか低価格で買い叩くことに関して、散々議論されていたように思います。
ピクシブをご存知の方ならわかると思いますが、どれだけ素晴らしい絵でも必ず多少なりと嫌がらせを受けています。このキャラは気にいらないから一点評価、そんなこともよく聞きます。
そして無断転載の横行。
よしんばあったとしても、☆10個、RT数。
多分紙媒体で読むよりずっと短時間で読まれる、暇つぶしに消費されるだけのもの。
少なくとも値段をつけて売るものは、「それに興味のある人」しか買いません。
そしてお金を払った以上、しっかりと損をしないように読んでもらえます。その後ゴミ箱行きだったとしても、ちゃんと読んでもらえるのです。
無料であるものに人は執着しませんから、ゴミ箱行きよりずっと低い価値で消費されます。
具体的には、1000ブクマついた作品でも感想はほとんどもらえません。
300部の本なら、10%は必ず感想を頂けます。その違いはかなり大きいですし、やはり本の方がちゃんと読まれている、と考える根拠です。
ただそれでも読んでもらえるのが目的ならどちらも同じじゃないかと思いますか?
私はそうは思いません。
漫画を描くというのは、人のペースにもよりますが私の場合、一冊に一ヶ月を費やします。
それなりに体力も使います。脱稿後は燃え尽きたようになります。
それを素通りされて、☆をちょんとつけられるだけのものにはしたくないのです。
だらだらと長文ですみません。
だからといって権利を侵害していいわけがないし、ここからは非営利、と定められるのはある意味仕方のないことだとも思います。
ではどういうガイドラインならお前は満足なんだと言われても、今のところ答えはありません。
ただ、私はこう思いました、という日記です。
7/9追記
明日ニトロさんから何らかの発表があるようなので大人しく待とうと思います。
尚、この日記はあくまで私の同人スタンスであり、誰かのスタンスを批判したりするものではありません。
気分を害された方には心よりお詫び申し上げます。
追記
ニトロプラスさんより改訂のお知らせがありました。同人誌はこのガイドラインから外れるようです。
私の立ち位置が、自分では非営利だと思っていてもそうは思われない方もいるということ、趣味の範囲を逸脱しない為にはどうすればいいのか、どうすれば一次と二次が共存していけるのか、今回様々なコメントを頂いて色んな目線から考えることができました。
個人の範囲を踏み越えることの無い様、今一度自分の活動を振り返ってみます。
拙文をお読み頂き、本当にありがとうございました。
ピュアすぎるというと婉曲で、白痴的なまでに主人公を愛する女性キャラクターが苦手だ。痛々しくて見るに堪えない。
あるいは、ゆる4コマに出てくるアレとかコレとか。
おれは何も彼女たちの振る舞いや発言がイタいから見るに堪えないのではない。
彼女たちが主人公、ひいては読者を愛する役割を背負わされたがために、知能を剥奪されているようで辛いのだ。
あるところに人間がいる。孤独で純粋で、自分に自信が持てなくて、不幸なことにあまり頭が悪くない人間がいる。
そいつは現実では満たされずに過ごしている。仕事も人間関係もぱっとせず、そいつを特別だと扱ってくれる人間とまだ出会えていない。もしかしたら死ぬまで出会えないかもしれないという漠然とした不安と寄り添って生きている。
自分では自分のことをあまり好きになれないし、自分の中に特別な何かはないと、うっすら分かっている。
自分を特別なものと思いなして愛してもらえる姿なんて想像もできない。でもそういう愛を求めて止まない。
そいつはこう思う。
愛してもらうには、普通の損得勘定ができるやつでは駄目だ。それは自分を選ばないかもしれないし、見捨てるかもしれない。特別なものがないと思われるのも嫌だし、それを自分に突き付けられるのも嫌だ。
損得勘定の計算ができないくらい頭が悪く、ただニコニコと自分のことを受け入れて笑ってくれるものがいればいい。
自分以外の異性をそもそも心に入れられないくらい視界が狭ければいい。
何もできない自分が与えるもので満足してくれるくらい頭が弱ければいい。
自分と交わした他愛もない何かで頭がいっぱいになるくらい、愚かなまでに純粋であればいい。
それくらいじゃないと、愛されるイメージができない。
以上のことは極端に描き出した例で、実際はここまでのものを望んでいないんだろうけど。
でも、世界のどこかにいるそいつは、多かれ少なかれそういうことを考えるんだと思う。
そういう奴の求めに応じて(あるいはそういう心の隙間を仮定して)、今日も可愛い女の子から知性とか損得勘定が毟り取られてるのかと思うといたたまれない。
おれは何も彼女たちを哀れんでいるのではない。
彼女たちから何かを奪わないと愛されているイメージすらできないそいつの、おれの、おれたちの、これまでとこれからについて考えると、ただ、少しだけ。
同意。
たまにこんなの見るけど、さっさと辞めればいいのに。
戦うコストもばかにならないと思うんだ。時間(時給換算した金額)、精神負担。
新卒ならなおさら、取り戻せてせいぜい3ヶ月分の残業代。ペイするとは思えない。
この先定年までその会社にしがみつくつもりはないんだろ?
嫌なら さっさと辞めて 別の仕事に行ったらいい。
雇われで働く最大のメリットはサクッと辞められることなんだから。
パチンコで負けたのに、ちょっとでも取り返そうとか甘い夢見てカネ突っ込み続けるような素性の悪さ。
まぁそんな奴がいっぱいいてパチンコ業界を潤してる現実を考えると、
その程度の損得勘定もできないのが大半なのかね…。
親が共産党員で自分も共産党支持だから、共産党関係の人は子どもの頃から何人か知っている。
・純粋な人、長期的な日本の未来について考えている人、理想主義、原理主義的な人が多い。
・とはいえ、支持者の中でも、人によって考え方も属性もさまざま。
この部分は「ああ、たしかにそうだよねえ」って思う。母親の友人(共産支持)とか本当に普通のおばちゃんたち。近所の保守的なおばちゃんや公明支持のおばちゃんたちと全然見分けが付かない。でも、活動を支えている人たちは地味に理想主義っぽいところがある印象。
自民党のケースは経験がないから分からないけど、地道な理想主義者もいるのじゃないかなあ。
自民党の支持者に「短期的な自分の利益を重視する人が多い」などということだけれど、仮にそうだとして、それは政権党と万年野党という立場の違いによるスクリーニング効果じゃないかなあと思う。
そもそも、共産党の選挙事務所に主体的に関わるぐらいのことは損得勘定抜きでしかやれないというか。得する方向がみじんも見えない。
これは別に共産党が左派だからということじゃなくて、たぶん民族主義右翼とかの政治運動でも、街宣などの商売を除く純粋な部分はそうだと思う。自分の持ち出しで運動を支えるタイプの人たちね。
苦労して得た物は特別だと勘違いする心理現象があるって聞いたので,
蟹とかケンタッキーみたいに食べにくいものを食べたときに美味しいと感じる心理現象もあるんでしょうね.
きっと,あなたは味に対して自分の心理を交えない優秀な味覚の持ち主なんですよ.
一方で,恐らく大半の人は味に心理状態が反映されるんだと思います.
綺麗な夜景を見ながら食べたご飯は美味しいとか,疲れた後のビールは美味いとか.
後,好き嫌いには損得勘定が働いて,
「確かに本物の蟹は美味しいけれど,こんなに苦労するほどではない」
美味いラーメンがあるからといって朝3時から行列に並ぶってのを多くの人がやらないように,
みんな損得勘定を持っているんですが,蟹を食べるとかケンタッキー程度の苦労はどんぶり勘定になるんでしょうね.
で,私もあなたと同じ理由で昔は蟹とか嫌いでしたけど,
雰囲気を悪くするコストが高すぎると思い始めてから,適当に流されて「美味いなぁ,本物は」と自分を騙して食べてます.
雰囲気が悪い状態で食べる食事の方が圧倒的に美味しくないです.私の味覚としては.
そりゃ「カニカマとどっちが美味い?」って聞かれたら正直に「どっちでも一緒」と答えるかもしれませんけど,
蟹が送られてきたら「よっしゃー!今日は鍋じゃー!」って自分を騙して食べるようにしてます.
http://anond.hatelabo.jp/20130829114155
■法律
「法律は損得勘定で場合により守る」とか、完全にアウトローの理屈です。
中二病もほどほどにしてください。
善男善女の堅気の世界でそんなこと言ったりやったりしたら一発アウトです。
「いや俺にはその知力がある」とあくまで抗弁する場合、誰がそれを保証するのか聞きたい。
どのようなステークホルダーからも「馬鹿が馬鹿なことを言ってる」としかとれない。
「大丈夫だから」「いけるって!」などと言って危険を冒す権利をあなたは持っていない。
法律違反で無茶やられるとあなたが飛ぶだけでは収まらないことがあるの。
■就業規則
一律のルールが与えられてるんだよね?
馬鹿度の高い奴ほど馬鹿の為のセーフティネットを「俺は例外だから」と言って無視するから
デメリットに気付かない、「朝は眠いししょうががない」と甘える、
ほとんどの人は野放しにするとろくなことにならないから最低限のルールがある。
ルール無用の身分になりたければまず縛られなくてもバリバリ出来る有能で特別な人材になって
別々の善悪を混ぜる論法を始めるといくらでも意味不明な正当化が出来ます。
「ムラムラして子供をレイプしちゃうよりは女友達にセクハラする方がマシだろう」みたいなね。
こんなのは「どっちもダメなので別な解決策を探してください」で終わり。
また現実的に言っても、寝不足を遅刻で取り戻してる奴なんてのは
仕事が多すぎるか自己管理出来てないかであって、遅刻は根本的解決になりません。
あほらしいことをいちいち突っ込ませるな。
結局この人も「損得」の範囲でしかものを考えることができないのだなぁと思った。
ありとあらゆる生物が繁殖している。
「子どもに不幸が訪れる可能性を排除しきれない以上、子どもを作るのはエゴだ」というのは人間という特殊な生物のエゴの最たるものではないか。
犬や猫や象やキリンが繁殖することに疑問を感じるだろうか。そんなことは絶対無い。
生命体が生命体たる所以は遺伝子を後生につなぐことだ。
この大原則に反している生命体は地球上に一つたりとも存在しない
それを屁理屈を駆使して否定するなら、そもそも生きていること自体が無意味という結論にしかならない
生きるとは損得勘定を常に考えて合理的に振る舞うことではない。
生きるとは生きるこというトートロジーでしか語れないのだ。
そもそも増田が詭弁を嘯けるのは、この世に生を受けたからという事実を忘れている。