はてなキーワード: 損得勘定とは
そして、その「怒り」が「怒る」という行為につながることもまた、よくあることではないでしょうか。
ただ、ここでひとつ思い返して欲しいのです。怒るという行為によって、得をすることが本当にあるのかどうか。私は、怒るという行為には損しか伴わないと思うのです。
もちろん、人生がすべて損得勘定で動くものではないということは重々承知していますが。なるべく損は避けて通るに越したことはないでしょう。
ここで一つ例を挙げてみることにします。
待ち合わせの相手が大幅に遅刻をしてきたとしましょう。さらに遅れるという連絡もなかったということにしましょう。
あなたは怒るでしょうか。怒るのも無理のないことだと思います。
「おい、遅いんじゃないのか」「遅れるなら連絡くらいよこせよ」
こういった言葉が思わず口をついたとします。その後の展開はどうなるのでしょうか。
待ち合わせをしていたくらいですから、これから数時間はともに過ごすものとします。
すると、怒られた相手はその間中、申し訳無さやいたたまれなさを抱えながらあなたと接することになるでしょう。
そしてあなたも、苛立ちや居心地の悪さを感じながらその日の予定を消化することになると思います。
せっかくの楽しい休日も、怒ったことによって気分のいいものではなくなってしまうのです。これを私は損だと思うのです。
もちろん、直接の原因は無断で遅刻をした相手にあるのですが、あなたがその後の予定を楽しみたいのなら怒るべきではありません。
遅刻をするというのは、信用を失う最も簡単な方法のひとつです。
わざわざ怒らなくても、相手は遅刻をしたことであなたからの信用を失うという代償を払っているのです。
その場ではさっと水に流して、家に帰ってから今後の付き合い方を考える方があなたにとっては得となることでしょう。
この例でも損や得という言葉を多く用いている通り、私は何をされてもニコニコと笑って許すのがよいと述べているのではありません。
あくまでも自分の利益を考えて行動することで、結果的に怒るという選択肢が消えるというのが私の考え方です。
それは世間では偽善と呼ばれるものなのかもしれませんが、結果的に誰も得をしない状況を作るよりはよいと思うのです。
赦してやったという優越感に浸っていい気分になればよいと、そう思うのです。
まず、自分のこと好き?と聞いて好き、と返事するのは増田ことがほんとに好きだから。
好きじゃないなら返事をはぐらかす。それで離れていく女ならそれで終わり。
でも、関係性(セフレなのか恋人なのか)を聞いてもきちんと答えずはぐらかすのは、増田より好きな本命が他にいるから。
この先は二つの道がある。
①片思いを続ける
増田がその男といて居心地がいいなら好きなだけ続けていい。恋愛にルールなんてない。
もしその男が本命とダメになるか、増田のほうが好きだって心変わりしたらあなたが本命になる。
その男が責任感のある普通の人なら一時期遊んでても、いつかは落ち着く。
そのときに選ぶのは、一番居心地がよくて、損得勘定してるわけでもなく、駆け引きをしてこない、ただただ純粋に自分のそばにいてくれる増田のような女性だし、
そうやって決めた相手に対しては、自分がこれまで培ってきた気遣いを精一杯して互いの関係を守り抜く。
ただ、選ばれなかった場合は、男のほうからは決定的なアクションは何もでてこない。増田が自分から離れていくまでただただ、時が過ぎていく。
②一番大好きなその男を諦めて別の男と付き合う
最初は妥協した自分に落ち込むし惨めな気分になるかもしれないけど、それはいずれどうでもよくなる。
あのときはどうしてあんな奴に惚れてたんだろう、と笑い話になるか、自分の人生の闇として脳が勝手に記憶から抹消する。
親は子供に見返りなど求めない、なんて話が嘘であることは親不孝者という言葉が存在する時点でどんな馬鹿でもわかりそうなものだが、
親が子供によって得る見返りには、例えば子持ちという社会的ステータスがある。このステータスの価値は子供の社会的成功によって変動するので、
子供にはいい成績をとっていい学校に入ることが求められる。もちろんそこには子供の将来のためという非常に説得力のあるエクスキューズがつくわけだけど。
あとは子供と過ごす時間の喜びだの、老後の不安の軽減だの、人生を豊かにするだの、xevra先生曰く、一人の人間として完成するだの、といったことがあるらしい。
どれも子供にとっちゃクソどうでもいいことで、こんなことのために拒否権もなく産み落とされるなんざ迷惑千万な話であるが、ここでは措いておく。
こういった種々の見返りは多くの人に価値のあるものとみなされるが、問題は二人目以降その価値が下がることである。子持ちステータスの価値は子供の数には比例しない。
複数の子供を産めば一応ステータスの価値も上がるが、その上昇は一人目に比べるとわずかであり、二人目以降相対的に子供の価値が下がることになる。
また、複数の子を儲けることによるステータスの上昇よりも子供の成功によるステータスの上昇の方が大きいので、もう一人子供を産んで莫大なコストをかけるより、
その分をすでにいる子供の教育にまわした方が効率がいい、という打算も働く。
子育ての喜びも二人目以降やはり下がっていく。人間はどうしても飽きる生き物で一人目のときほどの刺激は得られないし、せいぜい二、三回で満足してしまう。
老後の話についてもリスクを分散するぐらいの得しかないし、xevra先生の金言にいたってはすでに人間として完成しているので二人目以降価値ゼロである。
では損の方はどうかというと、別に下がったりはせず二人目以降も一人目同様のコストやリスクがかかる。
一人目の経験によって少しは楽になるし、子供が子育てを手伝ってくれるといったことがあるとしても、単純に複数の面倒を見るということ自体大変だし、
加齢で体力が落ちれば負担も大きくなることを考えると、少なくとも一人目と同等の労力が必要だろう。
二人目以降、得られる見返りは小さくなり、損失やリスクは変わらない。つまりコスパが悪くなる、あるいは投資効率が悪くなる。別に言い方はなんでもいいが。
こうして世の親たちは子供を産むのをやめる。損得勘定によって産むのをやめる。
これは世のどの親もやっているはずの損得勘定なわけだけども、例の増田についたブコメを見る限り、なぜか一人目でそれをやると怒られるらしい。なぜかね。
自分の子持ちステータスの価値を否定された気分になるからなのか、それとも自分もやっていて都合よく忘れている損得勘定を思い出させたからなのか。
笑えたのは私たちは子供に見返りなど求めない!、なんて言ってるのがいたことだ。まあ当然嘘である。
親は子供に大小さまざまな見返りを期待するし、子供はそのことを理解している。期待に応えられなければ親不孝者の謗りを受けることも理解している。
デートでご飯を食べたら、彼が多めに出してくれる。
この前水族館に行ったときも、2枚同時にチケットを買ってくれて、お金を渡そうとしたら1000円でいいよ〜って言ってくれた。
無理に全額渡すのもアレだし、申し訳ない!ありがとう!って言って彼の好意に甘えてる。
彼は1個上の社会人で、早起きしなきゃいけなくて大変そうだから、平日に私の部屋に呼ぶことは出来ない。
そんなに遠いわけじゃないけど、すごく近くもなくて、電車で片道350円くらい。往復700円。意外と馬鹿にならない。
でも、2〜3週間に1回くらい、彼が私の部屋に来るときがある。
メニューは彼のリクエストで、ハンバーグとか豚の角煮とか、お肉料理が多い。
そのときの食費は私持ちで、彼は非常によく食べるので1日に2000円ほどかかってしまう。
彼は、ご飯をとっても美味しそうに食べてくれるし、たくさん褒めてくれる。
すごく嬉しい。すごく嬉しいんだけど。
なんだか、私の金銭的負担が、大きい気がする。
1週間に3回会いに行くとして、交通費が月に8400円。2週間に1回彼に手料理を振る舞うとして、食費が月に5000円。
対して、彼が2週間に1回会いに来てくれるとして、交通費が月に1400円。2週間に1回デートをするとして、多めに払ってくれるのが月に5000円。
やっぱり、私の金銭的負担、大きすぎやしないか?
バイトもしていない学生だから、本当に交通費が馬鹿にならなくて、最近はおいでって言われる度に憂鬱な気分。
じゃあバイトすればいいじゃんって話なんだけど、兄がブラックバイトで身体壊して1年休学しちゃってから、我が家は全面的にバイト禁止になった。
お金が足りなかったらお母さんに言いなさい、仕送り増やしてあげるから。って言われているけど、彼氏の家に行く交通費がないからお金ちょうだいなんて言えないよね。
彼には、お金ないよ〜って言ったことあるけど、交通費支給するからおいで!って言われて、じゃあと思って会いに行ったら結局支給されなかった。
しびれを切らして交通費は〜?って冗談ぽく聞いてみたら、本気にしてたのー?じゃああげるよーって笑いながら300円を手渡されてからそれ以上お金ちょうだいなんて言えなかった。
彼のことは好きだし、いつでも会いにいきたいくらいだけど、損得勘定で考えると、私が損してて彼が得してて、なんだか腹立たしいんだ。
私がお家の食費を全部持っているのは、頻繁に彼の部屋に行っていなくてデートだけの付き合いだった時期に、たまには私が出すねってことでそうなったのに。
外食のお金は目に見えやすいけど、自炊にかかる費用と交通費は分かりにくいよね。
私に負担がかかっていること、彼に気づいてほしい。
朝日新聞に「脳の発達段階のサインと思って」という脳科学者の記事がある(http://www.asahi.com/articles/ASH806WJZH80UEHF00Z.html)。
この記事の真ん中あたりの文章から「脳科学」の言葉を省くと、例えば、次のような、すっきりした、ひじょうに分かりやすい文章になる。
社会的な行動をつかさどる機能は、思春期から25歳くらいまでにつくられます。おおまかに三つあります。
一つ目は思いやりです。人が傷つくことは言わないとか、誰かが悲しむと自分もつらいとか。幼い子は残酷なことをしたり、言ったりすることがありますね。
二つ目は合理性の判断です。大人になると損得勘定で意思決定しますね。「冷たいやつ」と言われる人は、子どもより大人の方が多いでしょう。
三つ目は空気を読んで自らの振る舞いを決める、つまり社会性です。男性より女性の方が発達が早いことがわかっています。例えばウソ。女の子は5歳くらいからウソをつき始めます。空気を読めないのは、女子より男子の方が多いと思いませんか?
これらの発達を促すには、しっかり食べて寝ること。あとは健全な刺激を受けること。つまりコミュニケーションです。共感や同情、社会性は一人では身につかないので、コミュニケーションの相手が多い方が望ましいです。
要するに、大人として生きるのに大事なのは次の3つ、ということだ。
ちなみに、元は次のような文章。
脳の中で共感性や意思決定、社会的な行動をつかさどる機能は成熟が遅く、思春期から25歳くらいまでにつくられます。おおまかに三つあります。
一つは眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)。思いやりの領域です。人が傷つくことは言わないとか、誰かが悲しむと自分もつらいとか。幼い子は残酷なことをしたり、言ったりすることがありますね。それは眼窩前頭皮質が未発達だからです。
二つ目は背外側部(はいがいそくぶ)。合理性の判断をつかさどります。大人になると損得勘定で意思決定しますね。「冷たいやつ」と言われる人は、子どもより大人の方が多いでしょう。
三つ目は上側頭部(じょうそくとうぶ)。空気を読んで自らの振る舞いを決める、つまり社会性です。男性より女性の方が発達が早いことがわかっています。例えばウソ。女の子は5歳くらいからウソをつき始めます。空気を読めないのは、女子より男子の方が多いと思いませんか?
これらの発達を促すには、脳も食べ物によって作られるわけですから、しっかり食べて寝ること。あとは健全な刺激を与えること。つまりコミュニケーションです。共感や同情、社会性は一人では身につかないので、コミュニケーションの相手が多い方が望ましいです。
脳科学がなくても分かっていたことに、「眼窩前頭皮質が・・」「背外側部が・・」「上側頭部が・・」といった言葉を足すことに何の意味があるのだろう?
もともと分かっていたことに合わせて脳の部位を紹介することに何の意味があるんだろう?
「脳科学がなければ人々が気づかなかったこと」
を語って欲しい、と思う。
なお、記事に出ている脳科学者の方は、しっかりした話し方をしているし、立派な科学者なんだと思う。この記事を取り上げたのも、たまたま今日見かけたのがこの記事、というだけで。
おお、偉大なる主よ
慰められることよりは 慰めることを
愛されるよりは 愛することを
わたしがもとめますように。
わたしたちは与えることの中で受け
許しの中で許され
私はキリスト教徒ではないけど、数年前から上記のことを心がけている。
でも難しい。それぞれの実践具合はこんな感じ。
●慰められることよりも慰めること
実践できてない。
一応、誰かに慰めてほしいとは思わないから、そこはできてる。
でも他人を慰めるのは苦手。ぐずった子供を慰めることは多いけど、
そういう意味じゃないよなぁ。
他人を慰めるには、共感や理解が必要だと思うけど、それって普段から仲良くしてないと無理だよね。
自分の周囲に慰めてほしいと思っている人を見かけない。。。つもりだけど、気付いてないだけかな?
明日から、自分の周りに慰めてほしそうな人がいないか注意してみよう。
(職場の他の人は、明らかに私よりメンタル強そうな人達ばっかりだけど)
これは比較的頑張ってる。
よくよく観察していれば、相手が間違った考えをしていても、その理由がわかるときがある。
例えば週刊誌に書いてることを真実だと思い込んでいたり、尊敬すべきでない人の言葉を鵜のみにしていたりとか、とか。
あとは、そもそも知識不足とか、そうなった背景の経緯にまで思い当たっていなかったり。
そーゆー勘違いについては、かなり許せるようになったと思う。
あ、でもネット上では理解できない人は多すぎるから、それは諦めてる。これは改善するつもりないかなぁ。
現実世界での知り合いを理解できるように、明日からもアンテナを張ろう。
意味不明な発言や行動も、きっとその人にとっては妥当な理由があると信じるようにするわ。
精神構造が近い人は理解できるけど、そうじゃない人が苦手なんだよなー
●愛されるよりは 愛すること
今、誰かに愛されないとは思ってないかも。
というかすでに十分愛されて育った実感がある。
じゃあ、誰かを愛するとはどういうことか。
前に本で読んだのは、「自己境界線を相手にまで広げる」だった気がする、
相手が痛いと思えば自分も痛い、嬉しいならうれしいみたいな感覚らしい。
正直、私は他人が痛いと思っていても、自分が痛いと思った経験はない。
基本的にリベラル寄りの個人主義だから、自己境界ははっきりしてるし、自分のことは自分でやれよと思ってる。
愛が足りないのだろう。
逆に、本や作品を愛することはあるかも。
好きな作品が攻撃されていると自分のことのように悲しいことはある。
ただ、悲しいかな、それと同じ程度に人を愛した経験はないなぁ。。。
自分にとって完璧な作品は存在するけど、それと同じ意味で完璧な人っていないから愛するの難しいわ。
どうしても損得勘定や、批評者の目で欠点を見つけてしまうと思う。
きっと愛するってのはそーゆーことじゃないんだろーなーとは思う。
愛なんて、本能に支配された人間の、脳内物質のジャンキー状態じゃないの?としか思ってないからなー
精進しよう。
自分がプライベートで絶対関わりたくないものの一つに、相手との駆け引きというのがある。
言い換えるなら、駆け引きを持ち出してくる相手とはあまり仲良くしたくない。疲れるから。
お楽しみとして付き合っているはずなのに、疲労感や「振り回されてる」感や「してやられてる」感ばかり募るとか勘弁して欲しいのだ。
これが仕事だったら損得勘定が入ってくるし、性格的に合わない人であっても組まないといけないので、自分のポジションを確保するために駆け引きや根回しみたいな立ち回りが、どうしても必要になってしまう。
しかし、それを趣味とかで繋がっている友達関係に持ち込むのは、友達だからこそ許せない。
友達とか恋人って、仕事の関係と違って、もっと掛け値なしのものというか、いっときの貸し借りも大目に見る程度には強い信頼関係の上にあるものじゃない?
だったら率直に自分の要望を伝えて欲しいし、駆け引きみたいな「搦め手」を弄さないと通せないワガママは我慢しろよって思うし、我慢できないなら友達やめてくれていいよって感じ。別に義務で付き合うものじゃないし。
それに、そこまでしないと要望を受け入れてもらえないと相手に見なされているのも悲しい。
友達関係でもそれくらいあり得ないと思っているので、もし恋人がそんなことしてきたら、その時点で「ダメだこいつ」となってさようならである。それくらい冷める。
しかし残念ながら、駆け引きを持ち出すことで相手や周囲の注意を惹きたがる輩は必ずいるのが現実だが、何をどうやったらそういう性格に育つんだか。
生まれて初めて接する上に、最も接する時間が多い他者という観点からすると、親との関係性が原因かなと思うのだがどうだろうか。
例えば、親が他人と駆け引きするコミュニケーションしか取っていなかったとか?或いは常に駆け引きを持ち出さないと聞く耳持たないほど自己中な人だったとか?
twitter を始めて1か月くらいになるんだけど、フォロワーが全然増えない。
フォローが増えすぎてタイムラインを追いきれなくなって減らしたりしてるくらいなのに。
で、少し考えた。どうしてフォロワーが増えないのか。
こっちからフォローするのは相手のtweet に興味があるから。おもしろいことを言ってたり、ためになりそうなことを言ってたり、なにかしら自分が得るものがあると思うからフォローしている。
翻って自分はどうか。
マンガ読んだおもしろかったー、アニメ見たおもしろかったー、映画見たおもしろかったー。
誰の役にも立たない。箸にも棒にも掛からない。これでは誰もフォローしてくれるはずがない。
奴らは自分に得るものがあると思えばこそ近づいてくるし、友人関係を築こうとしてくる。
が、こちらから何も渡せるものが無いと判断するや、あっさりと離れていく。
つまるところ、誰かしら他人にとって価値がある人間は認められて称賛されて勝ち上がる。
価値がなければ打ち捨てられて廃棄される。
弱肉強食どころか、肉にすらなれない。食われることもないが、それは存在しないと同義だ。路傍の石ころだ。
相手からこちらは見えないけれども、こちらから向こうを見ることはできる、マジックミラー号みたいなものだ。
こちらが何をしようと奴らには感知できないが、こちらからは奴らの挙動がすべて丸見えだ。
私は神になった。
この記事は口は悪いのですが、だいたい書いてある内容には同感です。
たしかにモラトリアムを求めて先延ばしにする男性は私の周りにも多い。
http://mess-y.com/archives/18412/2
誤解のないように伝えておきたいのですが
そのために必要なのは「共感」ではなく「事実を把握すること」なのです。
どうか1人でもいいのでコレを読んで良縁に恵まれる女性がいますように・・・
30代女性に結婚を迫られた男性の頭の中は損得勘定の天秤がゆらゆらしています。
【得】
・妻が安らぎを与えてくれる(ガッつく姿が利己的に見える女性が本当に安らぎを与えてくれるだろうか?結婚したら子供優先になって俺はATMになるんじゃないだろうか?ネットにはそういう情報があふれているし知り合いにもそういう男性はいる。そうじゃないばあいもあるだろうが知り合って日の浅い女性、数年の場合でも同棲していない場合、本性が分からないし・・・)
・子供が持てる(年齢高めなのでリスク+子供の数が産めないかもしれない)
【損】
・妻や子供の分も稼ぐというプレッシャー(今の時代は父祖父の時ほど簡単には稼げない)
残酷な話ですが仕事ができようが自分磨きしていようが30代の女性は20代10代の女性と比べて結婚するほどの価値はありません。(一部例外あり)
仕事を覚え収入が上がり、その評価で見直され若い女性に評価されるようになるのが男性の30前後です。
どんどん老いていく30前後の女性と伸びていく男性とはお互いの自己評価が釣り合っていないのです。
だからダラダラと先延ばしにしているように見える男性は、実は時間を稼ぎ別れるチャンスを待っているのです。
今まで時間を浪費してきたツケだと思います。女性にとっては仕事も恋愛も浪費でしかありません。男性担当である仕事、女性の担当である出産、両方欲しいと欲張った結果です。二兎を追う者一兎も得ず。
・死ぬ気で男に媚を売る(結婚できたら女性の勝ちです。素の状態に戻ってOK)
女性の人生の幸せは出産です。それが基礎となっています。社会が変わっても人間の遺伝子は1万年前と変化していません。
子供を産み育て、それを幸せと感じ生き延びてきた母たちの子孫が私達なのです。
まずはそれを受け入れましょう。
女は男とは違います。
遊びに若さを浪費せず、まずは良い男性を見つけて出産しましょう。
人生は長い。色々な事を楽しむのは、その後でも十分間に合います。
30代の女性のみなさん。
ターゲットを40前後~50代前半の男性に広げてみてはどうでしょうか?
この年代の男性は結婚を諦めている方が過半数なので、10歳以上年下の30代の女性が結婚してくれるとなると
喜んでくれる方もいます。
またお金も持っていて人格的にも成熟し、「足るを知る」といった境地にいる方は同性である男から見ても魅力的です。
(全ての方がそうだとは言えませんが)
以上、長々と長文失礼いたしました。
悪意はありません、男が偉いとか言いたいわけでもありません。
誤解のないよう伝わるよう願っています。m(_ _)m
40代の男ですが、これまでの人生で3回だけスペシャルな状態になったことがある。
うつ病の時に病院に行った事はあるのですが、スペシャルモードの時は診断してないので、よく分からない。
詳しい人に診断して欲しい。
(今はダメダメモードで医者に行くのも何をするのも面倒で文章書くのもめんどくさい)
これだけ見ると躁病みたいなのですが、躁病とは違うなぁと思うのは、
自分は倹約な方で給料も高かった時期があるので預貯金が多く、株取引も20年ぐらいやってるけど、
スペシャルモードの時に大金を一気に株に投資する、みたいなことはした事がない。
数千万の費用がかかる事業計画を立てたことはあるけど、結局細かい部分に納得できず、
借金するつもりもあった為、かなり慎重に考えた結果、2ヶ月ぐらいかけて作った計画を破棄したこともある。
いま考えても実行してればひとつ成功しただけで年収が800万ほど増えた可能性が9割ぐらいあると思えるほどだったのに、慎重になってしまった。
1回目のスペシャルモードは10代後半。この頃はうつ病なども全くなく、ストレスもなく、何がきっかけか分からない。
あえて言うなら友人とよく議論する機会があって、それを毎日やってたら頭の回転が異様に早くなって、人間的な感情が消え、
なんでも出来るようになった。
恐怖や怠慢などの感情(?)が出てくる前にそれを打ち消す思考を一瞬で構築することで、自分を一番効率の良い形で行動させることができる、
という感覚になっていた。
「うしろからいきなりナイフで刺されても笑顔で対応して、刺した奴とも普通に友達になれる」という感じの思考実験(?)をよくしていた。
魅力的な彼女ができたのに全く好きだとも性交したいとも思わず、むしろ自分の活動の邪魔をする無駄な存在としか感じなくなっていた。
さすがにおかしいと思い、無理矢理感情的に行動するようになって、徐々に元のダメな自分に戻った。
すぐにスペシャルモードに戻れると思っていたが、その後意図的にスペシャルモードに戻れる日は来ていない。
ちなみに、すでにこの頃には預貯金が300万円ほどあったが、ほとんど使っていない。
2回目はブラック企業を辞めた時。1年ほど鬱屈した生活をしていて、それから解放された嬉しさで一気にスペシャルモードになった。
ほんの数時間で劇的に違う人間になった。あまりに感覚がおかしいので飼っていた猫をつかんでしげしげと見つめ
「ああ、俺こいつを壁に投げつけて殺しても何とも感じない自信があるなー」と思ったり、自分の手を見つめて
「この手を切断しなきゃならない究極の状況が来たら、損得勘定だけ計算して淡々と糸ノコで切断できるなー」などと思ったことを覚えている。
しかし一晩寝るとだんだん元に戻り、次の日の昼にはすっかり元のダメな自分に戻っていたので何もしていない。
3回目は仕事が激務でうつ病になり、会社を辞めて3ヶ月ぐらい療養していた時に、認知療法を自分で調べて試したところ、1時間ほどで一気に来た。
それまで完全にうつ病でほとんど寝込んでいたので、いきなりの変化に家族もびっくり。
友人知人に連絡を取り、さっそく事業計画を立てて毎日奔走するようになった。
上でも書いたが2ヶ月ぐらい色んな人(知人の知人や著名な人など)に、あらゆる手段で連絡して、合って相談してもらった。
しかしいざ大きな投資の契約する段階になって、慎重さが出て、結局実行はしなかった。
預貯金だけなら3000万円ぐらいあったが、自己投資は1000万以内に抑え、できるだけ借金してレバレッジをかける計画だった。
その後3ヶ月ぐらいは色々飛び回って、遊びながらも色んな事業を考えていたが、だんだん失速しはじめ、1ヶ月ぐらいかけて徐々に元のダメな自分に戻った。
結局お金は交通費や宿泊費、交際費などに数十万円程度使ったぐらいで、高価なものは何も買っていない。
これってやっぱり、よくある普通の躁病(躁鬱病)なのでしょうか?
http://xevra.hatenablog.com/entry/2014/12/22/132058
まともな人間なら、自分の「人生」は目的、「ビジネス」はそのための手段、と分けている。
しかし、他人にとってはその「人生」こそが「ビジネス」の対象だから、奪い合う。
「ビジネス」とは、損得勘定で他人の「人生」を解体して、自分の富を増やすこと。
その逆もしかり。
「ビジネス」においては、他人の「損得勘定」で、自分の「人生」が切り刻まれる。
それがはっきりわかっていればいい。
最悪なのは、自分の人生が奪われているのに、他人の「損得勘定」を内面化して、自分の「人生」を他人に明け渡してしまうことだ。
ってことかと。