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はてなキーワード: 情報量とは

2018-03-26

本が売れないし、ろくな本もないのは

ネットが普及して流通する情報量が爆発的に増えたからだ

そして、情報の量が増えたら個別情報価値が低下するから

市場流通する貨幣の量が増えたら貨幣価値が低下してインフレになるのと同じこと

から出版界は供給する情報量を減らして情報価値の低下を防ぐべきなのだ

逆に新刊の数を増やして情報価値低下を加速している

そんなタクシー業界に似たことをしている

ネットでくだらない記事が本の内容をパクっても

同じ内容の本が山ほどあるのだから誰の著作権を侵しているか特定できない

anond:20180325221742

スマホ検索すると思うんだけど。全体の情報量文字数)が少ないので、広告の占める割合が高くなって、そこが広告であると気付かず、ひっかかるようなリテラシーの人が多くなって、商売的には上手くいくというルートがあるような気がする。PCの結果で見れば、もっと気付き易いんだと思うけど。

広告で勧められるインチキソフトインストールちゃうような人って、こういう人たちなんだろうなぁ…と。

2018-03-21

anond:20180319212054

個人的経験に基づいた意見ではあるのですが、元増田さんの提案はあまり上手くいかないのではないかと思います

以下に理由を挙げます

1.手間が変わらない

半額シールを貼る作業は、商品補充や棚の整理を行いながらの作業になります

商品補充と棚の整理は、レジ打ちや接客と並んで小売従業員の基本業務です

商品が売れるタイミングはある程度は予測できても、完璧に読んで商品補充を行うのは難しいです

特に売り場が狭い店舗場合は、油断するとすぐに棚が空になってしまい、売上を伸ばすチャンスを逃してしまます

棚の整理には、例えばお米のコーナーに肉やアイス放置されているケースもありますので、そういった商品が無いかチェックする事も含まれます

上記の様な極端なケースは稀ですが、冷凍食品のコーナーにアイスが置いてあったり、肉のコーナーに魚の切り身のパックが放置される事はよくあります

賞味期限順にきれいにそろえて並べていた商品が、いつの間にかぐちゃぐちゃになっているのはほぼ毎日です

そして、棚が乱れていると商品の売れ行きに大きく響きます

その為、半額シールを貼る作業のある無しに関わらず、こまめに棚整理や商品補充を行う必要があります

ですので値札に売価変更の予定を表記していたとしても、従業員の手間はさほど変わりません

2.半額シールには半額である事を表示する以外の役割もある

半額シールは翌日、翌々日には廃棄する商品に貼る場合ほとんどです

その為、撤去しなければならない廃棄品を探す際の目印にもなります

3.値札の情報過多

値札に記入できる情報量には限りがあります

記入できる情報量を増やす為に値札を大きくすると、商品のものが見えにくくなります

かといって文字を小さくすると、特にご年配のお客様が読みにくくなってしまます

また値札に○日○時から半額などと表記されているよりも、単に半額シールで目立つ様に表示した方がお客様にも分かりやすいと思います

4.設備問題

「半額」とだけ書かれたシールを使っている店舗は、使用している設備が古い場合ほとんどです

こういった店舗はおそらく元増田さんの提案を実現できる環境ではありません

この様な店舗設備投資を行う余裕が無い、もしくは必要を感じていないからです

仮に設備投資を行う余裕があったとしても、まずはレジ更新が優先されると思います

その方がお客様満足度的にも、従業員負担軽減の面から効果が大きいと思います

大手スーパー西友イオンイズミなど)であれば、元増田さんの提案を実現する事も可能かもしれません

しかし、そういった企業店舗では、すでに売り場で売価登録・変更とバーコード付きの値札シール印刷可能になっているそうなので、半額シールほとんど使わないと思います

半額シールは分かりやすい点は良いのですが、値下げ幅を考えると大雑把過ぎるところがあるので、できることなら使いたくない店舗が大半だと思います

2018-03-20

ASAPという言葉使用を止めて欲しい

すぐにやって欲しいのか、やらなくてもよいのか(勝手にこっちで判断して都合の良い時にやればよいのか)よくわからない上、

実際にそのあたりを確認すると、”あとでもいいですよ”とか、”すぐにお願いしたいです”などと回答にブレがでがちであり、

情報量ゼロのくせして得意げに出現する用語邪魔なので消えて欲しい。

2018-03-17

anond:20180317195859

人間、ご褒美ばかりじゃない。

特別は、大事しまっておいて。ときどき晴れの日として思う存分味わうのです。

おかしいかな?

なんでも未体験の時は、心の揺れ幅がおおきくて。心の中では追体験する。

晴れ着って日常遣いしませんよね。大事な式典や、冠婚葬祭にだけは着れますね。

その反対が普段使い、なので私にとって大事なら、ずっといつももあるけど、そうしたいけど

気もそぞろになってしまう。

触れたときに、心を安定させるのに最初は、時間がかかってしまう、

情報量だったり、圧倒される美しさだったり、様々な感情だったり。

勝手に浮かぶイメージだったり。

ちゃんと向き合いたいので、下手したら魂持ってかれてしまうので、

精神的に落ち着きてる時、スイッチが入ってる時にというのもあります

でも気持ちはずっと常に傍らにあるんだよ。

軽々しく言葉にしていいのか、解釈迷路で途方に暮れている部分もあります

自分に都合の良いように、誰しも解釈したいし、そう思う自分が厚かましくも感じて。

アリアドネを探してしまう。

軽い気持ちならずっとずっと気楽に触れていられるんだけど、

慣れるまでは自分には、当分はひどく揺さぶられるので、

日常遣いというのにはすぐには出来ないんです。

2018-03-15

anond:20180315101455

タフなんじゃなくて、ボンヤリしてるんだよ。新しい知識とかあまり頭に入っていかない代わりに、情報で揺れる事も少ない。落ち込んでも切り替えは早い。古臭くて性能が低いけど悪環境に強い機械みたいな感じ。

自分の目が悪いからかも知れないけど。目が悪いと適当情報が削られてモヤモヤになっていて、意外と精神衛生上良いんだよ。情報量が多過ぎないし、多くても適当にどんどん捨てられるってのが、そういう事出来ない人にはタフに見えるんだと。情報の吸収が悪いだけなのにね。

2018-03-14

anond:20180314105006

思ったよりワンピ感想きてて、すごく嬉しくて返してます!なかなかできないので笑

昔のワンピと今のワンピとの違いに「コマ情報量」もありますね!最初の方とかコマに背景だけしか描かれてなくて読みやすいなーと思います

めっちゃギッチギチですよね笑

モブならまだしも、モブ以外も詰まってるから読み返したとき「そこにもいたのか!」ってなります

監獄から戦争編が実は自分が一番好きなところです!

昔敵だった人と一緒に戦うのがすごい熱かった!あとミスター3の鍵開けるとこがすっごい好き!

まり関係ないですけど、当時アンチスレがすごく活発で「エースが死んだらワンピ全巻買うわwww」って書きこみしてた人達は買ったんだろうか笑

2018-03-13

anond:20180313194716

俺、元増田じゃないからな

俺が情報量増やしたところでなんの解決にもならんだろ

馬鹿なのか?

anond:20180313193849

無理して小難しく書く前に、情報量増やしたらどうだろう

2018-03-12

文章尊敬する。けど読めないことも多いー同人漫画描きの独り言

匿名のある人間個人的に書き記したかたこと。

誰かの同意を得るつもりはないし、主語を大きくして絵描きが字書きが~なんて言うつもりは毛頭ない。


小説漫画同人においては表現手法代表格。

この2つに限った話ではないけれど、表現することとその手法の奥深さに常に魅了され続けている。

私はここ10年ほど趣味漫画を描いていて、文章は大昔の落書き程度でしかいたことがない。

漫画を描くのはとても面白い。たった1pネームを書き下ろすにも、コマ割りにセオリー文法があって、

読者の視線誘導するための仕掛けを入れ込むことができて、トリックを作り込む気分だ。


ただ、漫画という手法の力の無さを痛感することは多々あって、そういう時は小説という表現手法尊敬し、そして羨ましく思う。

その力の無さというのは、主にストーリー密度

漫画を30p描いたら、せいぜい週間連載1話相当のボリュームだろう。

けれど同じ頁数を小説に割いたら、このお話を一体どれくらい前進させられるだろうか。

頭のなかに溢れるお話を、小説という形態なら、まとまった量でアウトプットできたのかな。とよく思う。


漫画や絵は「パッと見の情報量が多い」という利点があるのも自覚している。

それは「ストーリー密度の薄さ」ときっとトレードオフなのだ

人間一人が作品にかけられる労力の総量は、手法違えど そうそう変わらないのだから


からこそ私は小説に謝りたい。

漫画ばっかりペロペロッと読んで、同じだけの情熱を傾けた小説を読み進められないことを謝りたい。

脳が漫画という手法に慣れきってしまった。

「ここはコマをこう切って、内枠に従う比率はこれくらい…セリフを減らして絵でこう見せる…ベタトーンの処理の仕方はこう…」

漫画を読むことはコンテンツを楽しむだけでなく、一瞬一瞬が勉強で、表現手法の一つ一つを楽しむ心得が自分なりに備わっている。

学んだことを自分原稿実践したくなるので、創作意欲にもつながる。


対して小説を読むことは、私にとって本当に純粋にそのコンテンツを楽しむことだ。

小説漫画よりもまとまった頁数でまとめられることが多い。100pとか、200pとか。

それは漫画に換算すれば500Pとか1000Pとかに相当するストーリー密度で、「コマ割りを勉強しよう」とかいモチベーションもない分、より労力を割く必要がある。

そしていざ読み始めてみると、漫画で「このコマはこういう文法で~」とか反芻しながら読むことに慣れてるので、

1文読むのに視線10以上往復させて、計1分かかることもある。いつ読み終わるの?

ストーリー密度が高いのも合わさって、読み進めるごとに時間ばかりが経ち、ストーリーの中身を忘れていく。アホだな。


こうして、「読まないといけない」と感じている小説本が積み重なっていく。それを書いた人に、申し訳なく思っている。

2018-03-10

anond:20180310144522

なるほどねん

そういう時間も欲しいねスマホがあると情報量が多過ぎて疲れる

2018-03-07

anond:20180307164928

場面のディテールとかセリフとか細かい気づきとか、一本の映画に込められた情報量を全部いちいち覚えてられないよ。

anond:20180306135404

それは趣味の違いであって、「こういうタイプの女嫌い」っていう好みは尊重するけど、ビアンカ感情移入する為の情報量自体ちゃんと多いわけよ。

2回にわたって一緒に冒険したり会話したりビアンカ最近事情とかもわかったりしてさ。

ビアンカのことを嫌いってプレイヤーもいるだろうけど、好きにせよ嫌いにせよビアンカが他の女性キャラより印象や身近さが弱いっていうプレイヤーあんまりいないはず

2018-03-05

anond:20180303194729

インターネットを使う人間情報摂取するにあたってなるべくソース・一次情報ではない無断転載をより好む傾向があり

これに関しては書き方が雑すぎる。なぜ一次情報よりも二次情報三次情報のほうが好まれるのかといえば、二次三次のほうが情報量が多くなっていることが多いからだ。ソースの読み方の解説、別の角度から意見、関連するリンク等が、二次三次になるにつれ多くなる。「無断転載が好まれる」のではない。

その中で、一次情報から削られていく情報も多くなり、「ソース読め」という批判もでてくるのだが、これは「迷惑まとめサイト」のみならずメディア全般問題。一次情報であるゲーム作者とすれば(決して一次情報メディアではない(メディア記事はすでに二次以下の情報))、一次につながる記事であるなら基本的には拡散を好むだろう。

2018-02-28

anond:20180228160214

それでヒゲを生やしてるジジイだと最強

ヒゲとシワとたるみで顔面情報量が多すぎてガチャガチャしてて見るだけで疲れる

2018-02-26

anond:20180226062543

「領」という漢字でいうと、元増田の言うように、元増田が正しいと思う。 

根拠は、このサイト

https://kakijun.jp/page/14134200.html

元増田の言うように役所の受付は、

PC上で見られる活字体を正規書体として認識しているんだろうね。

話は少しそれるけど、

昔、「香織」って届けを出そうとして、「香識」って書いて出してしまって、

受付もそのままスルーしちゃったから、「香識」と書いて「かおり」に

なってしまった人がいると、聞いたことが有る。

役所の受付も一言注意してあげればいいのにと、言われていた。

本当は、当て字でもなんでも構わない事が問題なんだけどね。

最近は注意してくれているのかどうか分からないけど、

こんなミスが無くなるように、少しは会話が有ることがいい事なんじゃないかと思うけど、

漢字に関する知識情報量の少ない人が受け付けたり注意する事に問題が有るよね。

2018-02-25

ダーリン・イン・ザ・フランキスの何が気に入らないのか

正直に言うと毎週楽しみに見ている。

けれどもなんというか、もの足りない。

いろんなキャラ情動が、味の素というか、パッケージというか、レトルトパウチみたいな感じがする。

岡田麿里っぽいというか。

何でこう感じるんだろうなー。


SFとしてのディテールの出し方やテーマとの絡め方が弱い?

から登場キャラ達を生活者としてリアルに感じることが出来ない?


メインキャラが多過ぎ?

10人も居るこどもたちが常に出てくる時点でどうしても一人一人は浅くなる?


単にドラマの作りが下手?

これ自体は確かにある

たとえば6話のヒロの復活だって、ヒロの中の何が変わったのかよくわかんないもんな。

02が1人にされたら上手く操縦出来なくなる姿ってヒロにとって意外なものではないはず。

2人で操縦するもんなんだって02も周りも何度もそう言ってるし、

02が戦闘中相棒にダウンされて1人になって出血して弱ってる姿もヒロは見たことあるし。


ヒロが搭乗3回目になるあの出撃で死ぬ覚悟だったとしても、

まだ敵を倒してないうちにダウンしちゃったら02に迷惑掛けたり02も道連れにしたりしちゃうことはわかってたわけで

気持ちよく死のうとしてたら02が困ってる」っていうのは意外な光景でもなんでもない。

情報が何もない。


からヒロの心があそこでどう劇的に変わるのか、変われない。

ので、ただ突然蘇って身体侵食を治して「ウオオオオオオーーーーッ!」って根性出すになっちゃったから

ダリフラ好意的海外でもあそこは「ass pull」って結構否定的に言われてる。


あの展開にするならもっと02が弱みや裸なんかも見せたことなくていつもきれいにしてて、

ヒロは02と仲が悪いか強い不信感を持ってて、

「俺はたぶん使い捨てられて死ぬけどお前も勝手にやれよ、ケッ」ぐらいの感情持ってるようにしておけば

「グオオオオーッ」ってボロボロになって狂乱してる02を見て「やっぱりこいつを助けるんだ!」になるヒロに感動できたと思う。


もしくはヒロが自分仕事を完遂して

最後の一撃を02だけで出来るようにアレンジして託して、心置きなく使い捨てられて死のうとしたのに

02が動揺してヒロをセーブする方を優先して敵を倒せなくなって窮地に陥っちゃうとか。

これならやっぱり02の意外な一面を見て「勝手死ぬつもりじゃダメなんだ」ってなったヒロが根性出すのは感動できたと思う。


これらはすごくベタで単純な1案にすぎず、絶対これにしろって意味じゃないよ勿論。

(02のベタベタする可愛さとヤバさを前面に出すことで興味を引っ張ってきたアニメだし)

でもとにかく、

何の新情報も心の回転もないまま「ウオオオオーッ」の気合絶望的な状況を転回させちゃうのはまずいでしょ。

ドラマとしても戦いの駆け引きとしても。ass pullともいわれるよ。


どうなんだろう。

まりわりと一本調子っていうことなのかなあ。キャラの行動や心が。

人間関係SFも、伏せられた情報が次々開けられていく感じがあると興奮や快感があるもんね。

15もずーっと普通に最初から同じようにヒロが好きだし。

あのマグマエネルギー世界の設定はあまり面白い斬新な物は出てこないのが感触としてわかってしまう。


わからん…。

はっきりとはわからん

あと、なんか自由妄想させてくれるような余地が少ないかな。

作中情報量は多くてもずーっとガシャガシャワアワアやってる感じ(静かなシーンも)

見てるこっち側世界リンクしてガシッと想像妄想スイッチ回してくれるようなキーあんまりない、ような。


どうもぼんやりしてまとまりきらないな。

このへんがはっきり整理できると自分の役にも立ちそうな感触なんだが。

2018-02-11

アニメ声はなぜアニメ声

15年くらい前に考えた推測

 

1.アニメキャラのような顔立ちの人間存在したら、おそらくああ言う声なのだろうという話

欧米アニメ声はもう少し野太い印象があるが、似たような見た目であっても欧米人のほうがやや低いからだと思う

 

2.日本アニメは声以外の情報量が少ない(少なかった)

実写だとあるような、例えば表情や細かな身振り手振りなど

情報量の不足を補うために抑揚を強くして違和感をなくしている

 

情報量が不足している画 + 普通の声 は違和感を生む

実写のような普通の画 + アニメ声 も違和感を生むのはこのため

 

もっと情報量の少なかった時代、例えば昔の詩吟劇画などでは

より強い抑揚を使われていた

 

3.美しい声を極めると結局ミックスボイスとなる

アニメ声トーンは、一般的女性歌手トーンに近い

 

◯おまけ 気持ち悪いという人が居る理由の推測

不気味の谷に居るのだと思っている

アニメキャラビジュアルも、現実にはあり得ないタイプのものであるため、気持ち悪いという人が居る

それと同じだ

例えば、アニメを受け入れてる人でも、ある種のタイプの絵は受け入れられないというものはないだろうか(少女漫画の大きすぎる目とか)

2018-02-08

高次脳機能障害者の介護がクソ地獄だ。

私は20代、男。

学生ときに、父が重い病気になった。

くも膜下出血だ。

小室哲哉の奥さんと同じである

病後、例に漏れず私達の家庭も「高次脳機能障害」と付き合っていくことになった。

あれからもう5年以上も経過して、父は依然として

約束(決められた時間場所にいく等)を覚えていられなかったり、

ちょっとしたこと感情が爆発してしまったり、

記憶や話の整合性が取れなかったりすることがある。


「妻が女の子になってしまった。」

小室氏の表現は、まさに言い得て妙だ。

から罵詈雑言を浴びたり、記憶の抜け落ちにより息子だと認知されなくなったりするのは、悪意がないとしても(無いからこそ余計につらいのだが)相当、精神的に堪えるものである

今回、KEIKO氏の高次脳機能障害が世の中のトピックにあがったこタイミングで、タイムリーなことに私の父にも進展があった。

決してハッピーものではないため、増田にて書かせてもらう。長文雑文になるが、どうか一読いただければ嬉しい。



当時、いわゆる夢追い人だった私は、残された家族のため(高齢祖母、まだまだ10代半ばの弟)

父に代わって、なんて格好のいいものではなく、なし崩しなのかなんと言うか、泣く泣く人生軌道修正をすることにした。

肝心な父の状態は相当ひどいらしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。

「生きても半身不随になるかも」

そう医者にいわれた。

わかっちゃいるが、お医者さんもすごい慣れた喋りクチだ。そのせいか、えらく事務的に聞こえる。

自分のこと、家族のこと、父のこと。私が死ぬわけでもないのに走馬灯のように色んなことが、しかも最悪の形で頭で展開されていき、

それと同時に、ただでさえパニックになっている頭の中を、物凄い情報量が通過していく。

まともに読みもしていない手術に関する合意書等、沢山の書類サインをしていく。こんどはこちらが事務的にこなす番だった。

ふと気がつけば、手術がはじまっていた。

その時になってはじめて、あんなにキライだった父のことなのに、思いきり泣いた。


手術は成功だった。

見事に父は快復。重篤的な意味で。

術前に医者から聞いていたとおり、父は高次脳機能障害とよばれるものを抱えながら生きていくことになった。

まり障害者だ。

パッと見、ちょっと痩せて目がトロンとしているくらいなのに、障害者だと思うのは不思議感覚がしたが、それも始めだけだった。

開口一番、「おまえ、誰や?」。

ああ、父の病気はまだ続いているんだと悟った。

発症から数ヶ月ぶりにコミュニケーションがとれたこともあり、必死に状況を説明してみた。

うんうんと理解したような素振りをみせたと思いきや、「なんで俺はこうなってるんだ?全部のお前のせいだ!」と怒号を飛ばされる。

悪意がない、あたまが混乱しているだけだ。と周りには慰められたが、当時まだ二十歳そこそこで、ここまで自分なりに夢や時間やと犠牲にしてきたのに、あんまりだと思った。

この段階でまた泣いた。

リハビリ施設に入って半年、父は退院することになった。

聞こえはいいが、後に詰まっている患者を入れるため、心太式に入れ替わることが制度で決められているだけだ。

要は強制退所である

怒号はなくなったが、兄弟の人数を間違えたり、架空人物を作り上げたりする父をみて、私は「これで大丈夫なのか?」と医者に問うたところ、

「これ以上の治療はできないかリハビリして現状維持するしかない」と返ってきた。

絶望だった。

もう私は一生、この現状に縛り付けられるのか?こんなあっけなく、自分コントールできないところで審判がくだされるのか?何度も自分に問いかけた。

その後しばらくして、父はなんとか勤めていた会社に復帰するまで持ち直した。奇跡的だった。

私の絶望は、どうやら杞憂だったらしい。

父は、昔みたいにバリバリ仕事はできなかったが、会社事情を汲んで軽作業仕事を与えてくれた。

うそれだけでも充分だった。やっと終われる。そう思った。

それから5年経ち、個人的にも家族的にもバタバタした時期がすぎて、なんとか人生プランを立て直す段階まできた。

そのタイミングで、また事がおこる。

つい先日、僕の電話宛に、父がいる会社社長さんから電話があった。

嫌な予感がした。どうやら5年前の絶望杞憂ではなかったらしい。

聞くと、実は1年前から仕事中だけ様子がおかしい。症状が酷くなっている。と言われた。

正直にいうと、「またか。」と思った。

もうこれ以上、振り回されたくないのが本音である

世間は、血のつながりだとか、産んで育ててくれた恩人だとか押し付けがましいことを勝手にいいやがるが、クソ食らえである

リハビリ施設からは、外来は受付してないと断られる。

ソーシャルワーカーに紹介してもらった施設は、結局のところただの相談窓口で、抜本的な解決につながらない。ガス抜きにもならない。温度間がちがう。

いまの会社では働けないのに、障害者手帳をもらうには程度が低いので認定できないと言われる。

障害者用の雇用枠では賃金が安すぎて自立した生活ができない。

基本的に周囲からは「健常者」としてみられるのだが、自分のケツをふけなくなったくせにワガママだし、仕事もできない。

この細かい矛盾が本当に納得いかない。

あんなに強かった父が、若いから「ジャマだジジイ」だなんて蔑まされてるだなんて、聞きたくなかった。

泣いてたらしいし。もうつらいです。


■追記

深夜にどうしようもない心持ちになり、完璧に勢い任せな投稿だったのにも関わらず、反響があって驚いている。

コメントをみると、私みたいな物でも誰かの役に立てそうな気がしたので、返事を書いてみる。

>>>anond:20180208054807

本当にお疲れ様ですとしか言えないな。あなたの感じる細かい行政上矛盾が少しづつでも解消することを祈っているよ。

私も二人、子供がいるんですが子供迷惑かけたくないな、と強く思う。健康大事だな。。。君も(抜けないかもしれませんが)手を抜く事に躊躇しないで欲しいです。

ーーーー

ありがとうございます

父は元々仕事人間プライドが高い人だったので、いまの状況が本当にもどかしいです。

一身上のことですが、祖母と父は養子縁組だったので血が繋がっていません。

本文では割愛しましたが、実は父には血縁関係の無い姉がいて、軽度のダウン症を患っています

そんな家庭でも、父は恩を感じているようで、私に常々と「家のことは俺が全て最後まで面倒みるから、お前は心配するな。」なんて言っていました。

なんとも救えない。皮肉な状況です。

お互い、ご飯と睡眠は大切にしたいですね。

>>>anond:20180208054807

嫌いをキライって書くやつ嫌いだわ。 苦しめ。

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不快にさせて申し訳ない。だけど、少しでも読んでくれて嬉しいです。

ありがとう

>>>anond:20180208104709

一言余計だわ。 その一言が人を殺すかも知れないのに…。

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気遣いありがとう

いまのところ死ぬ気はないです。

件のおかげで、「嫌われる勇気」は読まずとも身についたのでラッキーだったかもしれません。笑

>>>anond:20180208054807

今までと、これから先の自分を見ているようだった。

自分が関わらないことで「見捨てた」と思いながら自分だけの人生を歩むのと、

積極的に関わって「自分人生を生きられなかった」と思う人生を歩むの、

どちらの人生が良いのかとときどき考えるが、私はまだ答えが出せないままズルズルきている。

ーーーー

その気持ち、すっごくわかります

当時は経済的にもすごく不安定でしたので、よく「自分死ぬくらいなら、全員見捨ててでも生きる。」と思って日々を過ごしていました。

いまでもそれは変わっていませんが、自分のできる範囲でなにか手伝おうというスタンスでやろうと模索しています

しかし、何か在ればや私のところに連絡がきてしまうのかもですが。

>>>anond:20180208054807

障害者手帳すら出ない程度なら、後見人でもないと思うけど、本人ではなく家族退職勧奨なんてするかなあ。

もし本当なら、退職勧奨は受け入れず、解雇通告された場合には会社に対し解雇通知書もしくは退職理由証明書の発行を依頼して。

そもそも後見人でもない増田がやることではないはずだけど。

障害者枠の仕事では自立できないって言うけど、障害者枠の仕事子育てもして自立してる人もいるので、「障害者枠の仕事」と一括りにしないでほしい。

会社で勤務中だけ様子がおかしくて、主治医増田悪化が把握できないなら、会社から具体的な症状を聞き取りして主治医へ伝えることで障害者手帳を取得できる可能性はある。

そもそも介護問題というより労働問題ではないのかなあ。

大変だった時期もあるだろうけど、現在障害者手帳が出ない程度だし、具体的にどんな介護をしてるか書いてないし。

行政支援が受けられないなら、距離を置くか、イライラ溜め込まないよう増田自身メンタルケアを優先してみては。

ーーーー

なるほど、そもそも後見人概念を知らなかったので勉強します。

様子については、基本ちょっと抜けているのですが、仕事や非日常イベントなど緊張する場面になると急に症状が酷くなるみたいでした。

タイトルについては、私自身も介護問題なのか労働問題なのかは上手く切り分けられていないのですが、小室さんの件もあり介護先行で書きました。

障害者枠の仕事」も含め、相談員の言うことを鵜呑みにして思考停止している部分もあるかもです。

色々とご指摘、ありがとうございます

2018-02-03

anond:20180202220421

小説=誰でも書けるなんて思わないし、恐ろしく萌える話書いてくれる神がいることも理解してるよ。

ただ、漫画と比べるとぱっと見でどういう感じか(作家性、雰囲気空気感)が分かりづらいから相当本気萌えのカプ以外は読まない。

漫画や絵は一瞬で伝わる情報量が違うんだよね。

そのへんがもっと伝わるツールが何かあればいいなと思う。


ツイッターだったら、

普段から「こういうシチュ萌える」「このカプのこういうとこが最高」「受けと攻めの関係解釈はこういう感じ」ということを呟いてもらえると助かる。

長文は本腰入れて、よし読むぞ!って思わないと読めないけどツイッターに流れてくる文字なら気軽に読めるから

そういう解釈感性価値観普段ツイート通して伝わってくると作品読むまでのハードルがぐっと下がる。

普段言ってること作品しました」って言ってリンク貼って貰えれば見に行くよ。

他カプでも萌えポイント伝わってくれば全然読む。

こんな萌えること呟いてる人の作品読みたい!ってなるし。

2018-01-28

みんなが地獄に落ちる時代

ネットが普及する前は、自分の周囲の人達との付き合いだけで世の中が回っていた。自分と接点のある人の数が今より大幅に少なかったから、憎しみや悲しみに触れる機会にも上限があって、それで心のバランスが保てていたし、自制も出来ていたように思う。その分広い世の中について知るのは難しかったけれど、ネット以前の人間はみんなこうやってバランスをとって生きていたんだと思う。

でもネットが普及して以降、世の中の悲しみや憎しみ、矛盾他人を傷つける発言クズのような人間会社、そういうものに触れる機会が大幅に増えてしまった。他人から攻撃されることが増えたことや、他人攻撃している人をたくさん見ることによって、「自分他人攻撃していいんだ」と思う人が多数派になって、憎しみが溢れる世の中になってしまった。ネットが普及する前の時代に比べ、僕らが外部に発信する憎悪や汚い感情は何十倍にも何百倍にもなっていると思う。昔の人に比べて、今の人間は遥かに大量の人間の心を踏みつけるようになったと思う。感情可視化されることで、無意識他人を傷つけてしまうことも増えた。他人を平気で傷つけている今の時代人間の中で、果たして死後に地獄に落ちない人って存在するんだろうか。みんな、ネット以前の人間より遥かに大量の罪を抱えているのではないか

自分祖母ネットをしない。ネットをしないから抱えている情報量は大幅に少ないし、接点を持つ人間の数も少ないけれど、見えない誰かを相手に怒りや憎しみをぶつけたりすることはない。せいぜい親族や周りの友人についての愚痴を言うくらいだ。祖母ネット世代と比べて世の中を知らないのだろうけれど、憎悪や悲しみを過剰に感じることもなく、日々生活できている。むやみやたらに他人を傷つけたりもしない。僕らはネットによって本当に幸せになれたのだろうか。

人間が、世界中の人々から溢れ出す汚い感情に直面するようになったのはこの10年位の話だ。僕らはもともと大量のネガティブ感情を受け止められるようには出来ていない。大量のネガティブ情報を受け取ってしまたことによる処理エラーが外部への憎悪という形で吐き出されることで、より一層世の中が汚れていく。そう考えると、みんなが地獄に落ちるという話ではなく、みんなで地獄を作っているのが今の世の中なのかもしれない。

発達障害私にとってのゲーム

ゲームは私のような発達障害者にとって、現実から目を背けストレスを緩和させるためのツールであり、学びの場であり、試しの場でもある。

ストレスの緩和は多くの人が実践しているのではないだろうか。

いじめられていた私は、私をいじめてこないクラスメイトいじめっ子と同じようなことを衝動的にしていた。

悪名高きグラセフで暴れるようになってからはそのような衝動は起こりにくくなったように記憶している。

私が空気を読む方法FPSで射線と戦略を考えたこから浮かんだ。

視線とその思惑や顔の表情などからロボットのように人の顔と場面を観察して学習して獲得した(つもり)。

また、周りに合わせることの必要性学習する際に役立った。

簡単に書くならば「そんな糞スペックパソコンで俺の分隊に来るんじゃねえ」

(4人1チームになるのだがパソコンの性能が悪すぎるとゲームがなめらかに動かず成績に影響するため周りから煙たがられる)。

現実でも場にそぐわない行動や衣装は周りの気を悪くしてしま距離を置かれるだろう。

試しの場であるとは、私が空気の読み方など、浮かんだアルゴリズムゲーム内で試すことから来ている。

私がゲーム固執する理由は単純である

現実と違って扱う情報量が少なく済むからだ。

現実と違って爆音も奇妙な視線も寒さも苦痛臭いも少なく、観察することに集中しやすい。

普通プレイヤーからにじみ出る普通動作や会話から多くを推測したり学んだりする。

こんな使い方もあるんだと、自分語りを含め書いてみた。

一度寝て起きてから文章を書き直すべきかもしれないが..投稿したいきぶんなんだ。

2018-01-23

anond:20180123125408

N山M穂とかもあったけど、アレはダビングにダビングを重ねて本人特定がほぼ困難なのと、インターネットなどが無い時代なので大きな情報量差異が作り出した伝説なんじゃないかと思う。

2018-01-19

平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話

これの最も興味深い点は、統合失調症典型的な症状が現れているというところ。

自己喪失

記憶混同

妄想

おそらくは遠い昔に読んだ文献から妄想が広がり、それが映像情報として記憶に残り、自己喪失を繰り返していく生活の中で改めて同じ、もしくはほぼ近い形での情報掲載された文献に出会い過去に読んだ記憶けがすっぽりと抜け落ちた中でそれを自分だと認識するに至っているものと思われます

情報量がやたらに多いのも、文字情報から妄想しているのではなくてすでに妄想映像化されたのちに記憶を辿っている場合によく見れる状況です。こちらからは以上です

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