はてなキーワード: 情報量とは
anond:20180531140806 を読んだんだけれど、字幕版も吹替版も好きだからどっちかが貶されているととても悲しいし
どちらかというとアンチが多めに見える吹替の良さも知ってもらいたいから両方のメリデメを書いてみる。
意訳しすぎ問題、ジョークの翻訳が難しい問題、キャラ改変などのリスクなどはどちらにもある(翻訳されている以上すべて改変されているし)ので触れません。
言わずもがな。俳優の息遣いや細かいトーンの変化なども感じ取れる。
字幕や吹替には反映されない訛りや特徴的な言い回しがあったりして、キャラクターの背景がわかることも。
例:
「オーシャンズ12」
ジュリア・ロバーツのモノマネをするために南部訛りで話すんだ!というシーンがある。
(ジュリア・ロバーツ演じるキャラクターがジュリア・ロバーツの真似をするのが最高)
「スターウォーズ」
ジャー・ジャー・ビンクスは黒人っぽい話し方が特徴的で、字幕や吹替の口調も個性的になってる。
基本的に原文の情報を漏らさず字幕に含めることは不可能で、取捨選択をしなければいけない。
それによってストーリーがわからなくなってしまったら本末転倒なので、物語の理解に必要な情報は必ず字幕に含まれている。
ミステリーなど情報量の多い作品だと、うっかり聞き漏らすことも在り得るが
字幕によって最初から情報が限られていれば取りこぼすリスクは減る。
ちらっとだけ映る手紙や看板に字幕が表示されて、それが重要な情報だった……という流れに覚えがある人も多いと思う。
字幕がない状態だと目にとまったかな?と思うぐらい雑多な画面だったり、筆記体の字が結構ぐちゃぐちゃだったりするので
字幕があることで意識すべき情報だよ!って明示してくれるのはありがたい。
セリフに含まれる情報量は、どう考えても「原文>吹替>字幕」になる。
ただこれは前述した通りメリットもあるので作品に合うかどうかと観る側の好みです。
特にテンポの良い映画、複数人が同時にしゃべるようなシーンだと露骨に差がでてくる。
例:
字幕だと化学物質の名前がバシバシ削られているので、吹替で見たほうが詳しくなれる。
「フレンズ」
ゲラー兄妹がケンカするときに、字幕だと「モニカがブランコを壊した」ことしかわからないけど
吹替だと「モニカがブランコを壊したのを、親には台風のせいだと嘘をついた」ことまでわかる場面がある。
特に3D/4D上映だと視線移動は結構なコスト、というか普通に目が疲れたりする。
アクション映画とかスピード感ある映像だと文字なんて読んでる暇ねえ!ってなるわけで、
意訳・誤訳で有名な戸田奈津子はそういった映画をテンポよく短いセリフでまとめるところが評価されていた(よね?)
特にメインの会話の裏側で流れているテレビやラジオの音声、細かな掛け合いまですべて翻訳されてるのは強い。
また、キャラクター性や感情の表現は文化背景に強く紐付いているから
例えば同じ「感じ悪い喋り方」だとしてもやっぱり日本人が演技する方が日本人に伝わりやすい。
その点では情報量の話含めて「吹替のほうがオリジナルの演出意図に近い」と言い方もできると思う。
字幕を読む必要がないぶん、画面の他の部分を見ることができる。
例:
ミステリー作品。俳優の目線、仕草など細かい部分にまでヒントが含まれているので、それらを見逃さないよう
配給会社が吹替版を推奨するようなキャンペーンを実施していた。
ゴールデンタイムのテレビ放送で吹替が採用される理由はこれ。ながら見が可能。
映画オタクだからって毎回全身全霊で視聴してるわけじゃないからね。
どれだけ良い部分があっても一発ですべてをぶち壊すことができる最凶の厄災。
例:
22歳の若さでアカデミー主演女優賞を受賞したあのジェニファー・ローレンスに剛力彩芽て。
ちなみに他の作品ではジェニファー・ローレンスの声は牛田裕子や水樹奈々があてることが多い。
「プロメテウス」
剛力彩芽て。
字幕なら「あ、今音声では○○って言ったのに字幕に入ってないな」というのが検知できるんだけど
吹替ではオリジナルの情報が皆無なので違いがあったとしても認識できない。
翻訳する人、演技する人の実力次第でクオリティは変化するので、糞字幕も糞吹替も存在する。
だから作品によって合う方を観ればいいし、好きな映画なら両方観た方が2倍お得だよ。
声優の演技によってよりキャラクターがより魅力的になってると思うものもあるし
逆にステレオタイプ化されちゃって勿体無いなあと感じるものもある。本当ケースバイケース。
ASD傾向の強い人は、自分軸で物を考えがちなんじゃないかなぁ。
「(自分は)○○なんて簡単に出来ることだ。しかしAはそうではない。だからAは無能だ」
こんな思考回路なんだろうなと。
ADHD傾向の強い人は、何かを深く追求するのは苦手。
周りの出来事は、選んで掘り下げるのは出来ないが、たくさん見てはいる。
プロセスは人と違うなりに、自分なりに状況を考えることはできる。
情報量が言語化できる速度を越えると、理論化なんてする気は失せる。
たくさん見て知ってるから、ハズレかアタリか、勘が鋭敏になる。
ASDにとっては自分の世界観と確立された理論が大前提で、例外はノイズ。
ADHDにとっては世の中は例外だらけで、何なら当たるか探しているだけ。
とか思ったけど個人の成長度合いによりけりかなぁ。
ADHDでも、見えたものを上手に取り扱って伝える技術がなきゃ、ただうるさいだけだし。
未熟なASD/未熟なADHD/成熟したASD/成熟したADHD
成熟した発達障害者は、一目ではそうと見えないと思うんだよね。
目撃なんちゃら24時なんて、そういう人たちに見えるなぁ。
そういうのも考え合わせていかないと、
アタリが横暴でむかつく
情報量が多いから吹替で見るぞーと思ったのに、市長のスピーチは全文字幕ついてんじゃねーか!市長の声もっとでかい声にしろよ!!!
ツイッターで映画オタの感想見てたら「黒澤に対するリスペクトが…」とか書いてて、はいでたーーー!まただよ!また!世界の人間どれだけ黒澤好きなんだよ!一作見てつまんなかったなら黒澤映画なんて見ねーって思ったけど、こうやって元ネタ分からない惨めさとか元ネタ分かったらもっとグッとくるかもしれないのに分からなくてなんだかいつだって俺は黒澤映画に苦しめられてる気がする。仕方ないから黒澤映画を週末いくつか見るか…。
犬ヶ島を楽しみにいったはずなのにこうやって映画のファンとしての教養の無さを自覚して惨めな気持ちになる。でも目の前には今公開中の見たい映画がいっぱいある。時間が足りねえよ。
先輩は仕事がとっても出来る人だったけどそのせいで沢山の仕事を振られて潰れてしまった。
今は正社員ではなく、別業界で契約社員としてゆるく働いているらしい。
私も会社を辞めたばかりで、もうすぐ県外の新しい会社に入社する。
先輩には前職でたくさんお世話になったし、私の近況も直接会って話したいと思っていた。
先輩は私と会うなり、現職の不満、そして前職(私と働いてた会社)の嫌な思い出しか話さなかった。
私が転職した話も少しは出来たけど、今日会ったうちの9割は先輩の仕事の愚痴を聞いていた。
仕事での楽しい思い出話とか、ポジティブな話題で盛り上がることは一切出来なかった。
私と一緒に働いてた時は嫌な上司が多くて「あの上司嫌だね〜」とか言いながらそれでも仕事を頑張ってたけど、この先輩は本当に会社で嫌な思い出しか無かったのか、そして今の会社でも嫌なことしか無いのかと悲しくなった。
短時間でネガティブな情報を聞き続けると、こっちも嫌な気分になるね。
話を聞くうちに頭が痛くなってきたので、先輩に「体調悪い」と謝って早く帰らせてもらった。
その青年は特に際立った特徴もなく、かといって不真面目と呼べるような人間ではなかった。ようするに平凡な人物なのだ。ある日、青年がいつものように会社への道を歩いていると、突然、青年の心に語りかける声が響いた。
「あなたは惜しいことをしている。あなたには時間をさかのぼる能力が生まれつき備わっているのだ。こんな素晴らしい能力を埋もれさせていたのでは実にもったいない」
「そんなにいうのでしたらどうです、ひとつ証拠でも見せてもらえないだろうか」
「いいでしょう」
そんな声がして、視界は一変して青年の部屋の天井へと移った。青年はベッドに横になっていた。
「これはどういうことだ」
青年は首を傾げた。確かいま会社への道にいたのだ。どうして自分の部屋に戻ってきたのか。これは夢なのだろうか。そう考えるのが一番自然だろう。青年は確かにベッドの中で横になっているのだ。
しかし、青年はテレビをつけて驚いた。なんと今日ではないか。青年はいつも出勤前にニュースを見る習慣がある。キャスターがあいさつをして、今日が何月何日なのかを告げる。すると不思議なことにほんの一時間前にみたものと内容がぴったり一致する。新聞の朝刊をみても確かに同じ日付…正夢になったとはいいがたかった。
「どうしてしまったんだ」
しかしそんな青年の問いかけに答えてくれる人物などどこにもいない。答えられるのは…
「どうです…?」
青年の心にまたもや声が響いた。
「これは信じるしかないようだな」
「分かっていただけましたか」
「ご安心下さい、その能力は初めからあなたに備わっているのです。戻りたい時間のことを強く念じていただければそれだけでよいのです。ちなみに先程やったのはあなたの潜在意識に呼びかけて…」
「そうなんですか」
「ただし、注意していただかないとならない点が一つあります。それは残り一度きりしか使えないということです。それではよく時を考えて…」
そこまで言うと、声は響かなくなった…
「これは素晴らしい能力に目覚めたぞ」
青年は胸をワクワクさせ、この能力をどう使ったものだろうかと考えはじめた。
それからも、青年は色々とこの能力の使い道を考えていた。そして考え付いた結果が、出来るだけたくさんの知識を持ち、もう一度過ぎ去った時をやり直すというものだった。はじめから何が起こるかを予め知っていれば、どうしたものかと考えられる。これから先、いつそんな事件があるか分からないのだ。そのような点に注意深くならなければ…
青年はそんなわけで何事にも注意深く、積極的に、熱心に取り組むようになった。すべて未来のためにと思っての行動だが、青年のまわりの人間はその変貌ぶりにただ驚くばかりだった。あれほど平凡でパッとしなかった人間が、様々なことに情熱を注ぎ、そして意欲を持ち、いきいきと取り組んでいるのだ。友の中には、どうしたらそんなふうになれるのかと問いかけるものもあった。そんなとき青年は決まってこういうのだ。
「素晴らしい未来のためだよ」
もちろんこの言葉の意味するところはもっと別のところにあるのだが、その言葉に感動し自分も目標を持って生きようと意気込むものもあった。
しかし、やはりそんな目先だけの目標ではいつまでも長続きするはずもなく、途中で音を上げてしまうものがほとんどだった。
そんな生活を続けて数年たったある時、青年は重大なことに気がついた。それまでは知識を書き込みという作業によって蓄えられたと考えていた。しかし、良く考えてみると過去に戻れるのは自分の記憶だけなのだ。つまり、こんな紙っ切れに書き込んだところでどうしようもない。
そんなわけで、さらに青年の熱心さは増していった。記憶法を学び、なるべくたくさんの知識を記憶に詰め込むことに努めるようになった。多方面のことに手を出し始め、ついには新聞社に転職した。そのほうが情報が入りやすいと考えたのだ。そして着々と成果を上げていった。
いまや青年は新聞社の社長にまでなっていた。青年としてはそんなつもりはなかったのだが、その熱心さやら積極性やら努力やら、他色々と認められ、驚くほどのスピード出世劇をやってのけた。世の中からも注目を浴び、いまやテレビにも度々登場する有名人となった。多くの業界の知識人とも知り合いになれた。そうなると、入ってくる情報量もますます増え、青年にとっては嬉しい限りだった。
能力に目覚めてから色々なことがあった。いまではそれを全て覚えている。これだけの知識があればそろそろ…とも思いもしたが、いざ能力を使おうとすると、もう少し待ってから使ったほうが賢明というものだと考えてしまい、知識は溜まる一方だった。
もちろん青年もその間人並みに恋をし、そして結婚にまでこぎつけた。社会的地位は高いのだ。自分から求めずとも自然と相手は寄ってくる。その中で互いに心惹かれる相手に出会い、そして結婚した。青年はやり直したその時も、この人とまた結婚したいと考えていた。子供も二人産まれ、まさに幸せの絶頂といえるであろう状態になれた。
気がつけばもう50代後半になっていた。青年はもう青年とは呼べなかった。青年は夕日が差し込む社長室の椅子に一人で腰掛けていた。
どっと疲れた感覚、体内の節々が老朽を訴えていた。世間一般からみればまさに恵まれた人生だっただろう。幸せな家庭を築き、社会的には高い地位に就いている。子供らもスクスクと成長していく。
しかし待てよ、いま思えばそんな事をする意味はあるのだろうか。そんな事をすれば、確かに今より遥かに多くの金や地位を手にすることだって出来るであろう。
しかし妻はどうなる?会社は?子供は?この世界はどうなる?青年はふとそんなことを考えて始めていた。こんな寂しい事は今までなかった。今までやってきたことを全て捨て、全く新しい世界で果たしてうまくやっていけるだろうか。そんな気力が果たして残っているのだろうか。
突然秘書が部屋に入ってくる。そしてこう言った。
「社長の奥様とお子様二人がたった今、交通事故に遭われまして…重症で三人とも助かる見込みは…」
いよいよ決断に迫られたようだった。しかし青年の心は既に決まっていた。青年はほんの数時間前に戻り、買い物に出かけようとする妻と子供らを止めた。もちろん事故も起こらずに済んだ。妻と子供らは不満の声を漏らしたが、青年はただ優しい微笑みを浮かべるばかりで何も言わなかった。妻はこんな微笑み方をする夫を見るのは初めてだと思った。
その一年後、青年は長年の疲労などが祟り、病に伏しそして逝った。
これで良かったのだ。人生なんて一度きりで十分だ。この世界を離れるなんてこれ以上の哀しみはない。最期に青年はこういい残した。
「素晴らしい未来のために…」
「間違えられない」
実際にはメールでのやりとりでも間違った事を書いてしまうというのはよく起こります。
ただし、
「内容を深追いせず、臨機応変に流せるか」という点においてとても違いがあると思います。
プライベートで知人友人とメールでやりとりするときなんかは自分はかなーり気を使います。
友人からガチ目の相談をメールで受けた時には、書いては消し、書いては消しを繰り返し疲れ切ってしまい結局なにが言いたいのかよくわからないメールを出してドン引きされた事もあります。
わからない事もないんです。自分も面と向かっては言い出せそうにないこと、メールで出しちゃったりするし。
なにが嫌かというと、
間違いが起こるのが嫌というより、
それを未然に防げる手段が確実に用意されているというのが嫌なんです。
たまにバカみたいな誤字をそのまま送ってくる人とかいますが、ただただ凄いなと思います。
ちなみにこの文章も誤字や言い間違えはあるかもしれません。単純に読みにくいとか。でもそれは増田だからいいの。知らない人だから別にいい。
とにかく真面目な話をメールでしようとする人がいなくなってほしい。
目の前で話してるのなら、相手の反応を見ながら話の内容を調整したりできるのに、相手の反応に対する情報量が少なすぎるんです。
せめて電話にしてほしい。
それならなにかおかしな事を言ってしまってもすぐに「あ、ゴメンね今のは」と笑って訂正できるし、少しずつ吐き出す事もできるし、今は言うのやめとこうって変えられるし、なによりあなたの声が聞けるし。