2018-03-12

文章尊敬する。けど読めないことも多いー同人漫画描きの独り言

匿名のある人間個人的に書き記したかたこと。

誰かの同意を得るつもりはないし、主語を大きくして絵描きが字書きが~なんて言うつもりは毛頭ない。


小説漫画同人においては表現手法代表格。

この2つに限った話ではないけれど、表現することとその手法の奥深さに常に魅了され続けている。

私はここ10年ほど趣味漫画を描いていて、文章は大昔の落書き程度でしかいたことがない。

漫画を描くのはとても面白い。たった1pネームを書き下ろすにも、コマ割りにセオリー文法があって、

読者の視線誘導するための仕掛けを入れ込むことができて、トリックを作り込む気分だ。


ただ、漫画という手法の力の無さを痛感することは多々あって、そういう時は小説という表現手法尊敬し、そして羨ましく思う。

その力の無さというのは、主にストーリー密度

漫画を30p描いたら、せいぜい週間連載1話相当のボリュームだろう。

けれど同じ頁数を小説に割いたら、このお話を一体どれくらい前進させられるだろうか。

頭のなかに溢れるお話を、小説という形態なら、まとまった量でアウトプットできたのかな。とよく思う。


漫画や絵は「パッと見の情報量が多い」という利点があるのも自覚している。

それは「ストーリー密度の薄さ」ときっとトレードオフなのだ

人間一人が作品にかけられる労力の総量は、手法違えど そうそう変わらないのだから


からこそ私は小説に謝りたい。

漫画ばっかりペロペロッと読んで、同じだけの情熱を傾けた小説を読み進められないことを謝りたい。

脳が漫画という手法に慣れきってしまった。

「ここはコマをこう切って、内枠に従う比率はこれくらい…セリフを減らして絵でこう見せる…ベタトーンの処理の仕方はこう…」

漫画を読むことはコンテンツを楽しむだけでなく、一瞬一瞬が勉強で、表現手法の一つ一つを楽しむ心得が自分なりに備わっている。

学んだことを自分原稿実践したくなるので、創作意欲にもつながる。


対して小説を読むことは、私にとって本当に純粋にそのコンテンツを楽しむことだ。

小説漫画よりもまとまった頁数でまとめられることが多い。100pとか、200pとか。

それは漫画に換算すれば500Pとか1000Pとかに相当するストーリー密度で、「コマ割りを勉強しよう」とかいモチベーションもない分、より労力を割く必要がある。

そしていざ読み始めてみると、漫画で「このコマはこういう文法で~」とか反芻しながら読むことに慣れてるので、

1文読むのに視線10以上往復させて、計1分かかることもある。いつ読み終わるの?

ストーリー密度が高いのも合わさって、読み進めるごとに時間ばかりが経ち、ストーリーの中身を忘れていく。アホだな。


こうして、「読まないといけない」と感じている小説本が積み重なっていく。それを書いた人に、申し訳なく思っている。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん