誰かの同意を得るつもりはないし、主語を大きくして絵描きが字書きが~なんて言うつもりは毛頭ない。
この2つに限った話ではないけれど、表現することとその手法の奥深さに常に魅了され続けている。
私はここ10年ほど趣味で漫画を描いていて、文章は大昔の落書き程度でしか書いたことがない。
漫画を描くのはとても面白い。たった1pネームを書き下ろすにも、コマ割りにセオリーや文法があって、
読者の視線を誘導するための仕掛けを入れ込むことができて、トリックを作り込む気分だ。
ただ、漫画という手法の力の無さを痛感することは多々あって、そういう時は小説という表現手法を尊敬し、そして羨ましく思う。
漫画を30p描いたら、せいぜい週間連載1話相当のボリュームだろう。
けれど同じ頁数を小説に割いたら、このお話を一体どれくらい前進させられるだろうか。
頭のなかに溢れるお話を、小説という形態なら、まとまった量でアウトプットできたのかな。とよく思う。
漫画や絵は「パッと見の情報量が多い」という利点があるのも自覚している。
人間一人が作品にかけられる労力の総量は、手法違えど そうそう変わらないのだから。
漫画ばっかりペロペロッと読んで、同じだけの情熱を傾けた小説を読み進められないことを謝りたい。
「ここはコマをこう切って、内枠に従う比率はこれくらい…セリフを減らして絵でこう見せる…ベタとトーンの処理の仕方はこう…」
漫画を読むことはコンテンツを楽しむだけでなく、一瞬一瞬が勉強で、表現手法の一つ一つを楽しむ心得が自分なりに備わっている。
学んだことを自分の原稿で実践したくなるので、創作意欲にもつながる。
対して小説を読むことは、私にとって本当に純粋にそのコンテンツを楽しむことだ。
小説は漫画よりもまとまった頁数でまとめられることが多い。100pとか、200pとか。
それは漫画に換算すれば500Pとか1000Pとかに相当するストーリー密度で、「コマ割りを勉強しよう」とかいうモチベーションもない分、より労力を割く必要がある。
そしていざ読み始めてみると、漫画で「このコマはこういう文法で~」とか反芻しながら読むことに慣れてるので、
1文読むのに視線を10以上往復させて、計1分かかることもある。いつ読み終わるの?
ストーリー密度が高いのも合わさって、読み進めるごとに時間ばかりが経ち、ストーリーの中身を忘れていく。アホだな。