2018-01-28

発達障害私にとってのゲーム

ゲームは私のような発達障害者にとって、現実から目を背けストレスを緩和させるためのツールであり、学びの場であり、試しの場でもある。

ストレスの緩和は多くの人が実践しているのではないだろうか。

いじめられていた私は、私をいじめてこないクラスメイトいじめっ子と同じようなことを衝動的にしていた。

悪名高きグラセフで暴れるようになってからはそのような衝動は起こりにくくなったように記憶している。

私が空気を読む方法FPSで射線と戦略を考えたこから浮かんだ。

視線とその思惑や顔の表情などからロボットのように人の顔と場面を観察して学習して獲得した(つもり)。

また、周りに合わせることの必要性学習する際に役立った。

簡単に書くならば「そんな糞スペックパソコンで俺の分隊に来るんじゃねえ」

(4人1チームになるのだがパソコンの性能が悪すぎるとゲームがなめらかに動かず成績に影響するため周りから煙たがられる)。

現実でも場にそぐわない行動や衣装は周りの気を悪くしてしま距離を置かれるだろう。

試しの場であるとは、私が空気の読み方など、浮かんだアルゴリズムゲーム内で試すことから来ている。

私がゲーム固執する理由は単純である

現実と違って扱う情報量が少なく済むからだ。

現実と違って爆音も奇妙な視線も寒さも苦痛臭いも少なく、観察することに集中しやすい。

普通プレイヤーからにじみ出る普通動作や会話から多くを推測したり学んだりする。

こんな使い方もあるんだと、自分語りを含め書いてみた。

一度寝て起きてから文章を書き直すべきかもしれないが..投稿したいきぶんなんだ。

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