ゲームは私のような発達障害者にとって、現実から目を背けストレスを緩和させるためのツールであり、学びの場であり、試しの場でもある。
いじめられていた私は、私をいじめてこないクラスメイトにいじめっ子と同じようなことを衝動的にしていた。
悪名高きグラセフで暴れるようになってからはそのような衝動は起こりにくくなったように記憶している。
私が空気を読む方法はFPSで射線と戦略を考えたことから浮かんだ。
視線とその思惑や顔の表情などから、ロボットのように人の顔と場面を観察して学習して獲得した(つもり)。
簡単に書くならば「そんな糞スペックのパソコンで俺の分隊に来るんじゃねえ」
(4人1チームになるのだがパソコンの性能が悪すぎるとゲームがなめらかに動かず成績に影響するため周りから煙たがられる)。
現実でも場にそぐわない行動や衣装は周りの気を悪くしてしまい距離を置かれるだろう。
試しの場であるとは、私が空気の読み方など、浮かんだアルゴリズムをゲーム内で試すことから来ている。
現実と違って爆音も奇妙な視線も寒さも苦痛も臭いも少なく、観察することに集中しやすい。
普通のプレイヤーからにじみ出る普通の動作や会話から多くを推測したり学んだりする。
こんな使い方もあるんだと、自分語りを含め書いてみた。