はてなキーワード: 大きな政府とは
おバカちゃん!マルクスはソ連と中共をみたらブチ切れするよ。連中は、ステップを省略したから。ボリシェビキが勝ったけど、ボリシェヴィキの語源は「多数派」から来ているけど、「少数のエリートが多数を率いる」なんて連中が「左派本流」ではありません。だって少数派が、主流なわけ無いじゃん。歴史の勉強不足だよ。
だから、政府機関が私企業の社長を制約する。結果的に自由になる状態を目指す積極的自由主義はそのようにして多数の人間の自由を狙う。
ジャック・マーかよ。同じことをザッカーバーグがリブラでしようとしても、公聴会でいじめられるぐらいで、逮捕監禁までしてない新自由主義のが、良いと思うがね。
右翼本流はもともとケインズ主義だったが、1970年代のオイルショックや外貨借金による輸入困難など、単純な財政や税制では通じないインフレが起きた。だから、消極的自由主義の新自由主義に転じた。
ダウト。ネオコンと新自由主義の差は「大かな政府」を目指すか否かだ。日本においても右翼本流は、つまり保守は、大きな政府を良しとしているから別物ですよ。
これらを踏まえて、どのような制約が、結果的に自由になる状態をなせるかは考え続ける必要がある。ケインズ主義ベースで、資源確保や産業育成と産業の段階の科学振興を視野にいれることが解だと思うけどね。
ばーか。もうこの国に「確実に投資して儲かる公共投資」なんてないよ。例えば黒部ダムみたいな、明らかに入力に対して、リターンが見込める公共投資先なんてないから FIT のように「再エネ賦課金」という犠牲を国民が払わないといけないじゃないか。かんたんに「資源確保」なんて言うけど、投資先が履行をするとは限らないじゃないか。民族自決をたてに反故されることばっかじゃないか。
ごめん、スレッド外で話せば見つかんないと思った。
とはいえ、「新自由主義」を否定したくても、無理なんですよ。今の日本国で「1ドルイコール360円」なんて不可能です。そんなもんしてみろって、アメリカやユーロ、チャイナとアセアンと、台湾と韓国がブチギレするじゃん。21世紀の「パールハーバー」を経済でするのかいな。
フリードマンやハイエクの主張は「正しくない」かもしれないけど、大きな政府が有効なのは、民間資本が劣っているときだけです。今の日本やアメリカのような先進国の公的セクターの投資がうんこ以下のパフォーマンスなのはパクリ先がなくて海外に負けるからであって、やがてパクる相手のいなくなった中国でも「巨額の不良債権でにっちもさっちもいかなくなる」のは時間の問題で、実際に今の中国が巨額の不良債権を抱えているのは新自由主義を唱えた連中の懸念どうりです。諦め給えよ、もはや経済学は「負けないための」学問に成り下がったのだよ。いまや、世界は「否定することができない」モノたちが評価される時代にあって、テメーの理論の是非は誰も評価しません。
俺の主張が精神論に聴こえるのは、経済学がアダム・スミスのような哲学者たちを始祖にしているから仕方がないよ。
新自由主義だと一度不景気になったら二度と復活しないし、不景気故に設備研究投資をしなくなるし、儲かる前の基礎科学を破壊するから。そこでイノベーションがおきれば良いとウロウロするが全然だめ。
新自由主義は「大きな政府による」だぞ。アメリカの場合は、公務員ですら失職するのに、解雇規制をそのままやって新自由主義なんてやってみろよ。またまた公務員さまという権利団体の復権が起こるぞ。それに、「一度不景気になったら二度と復活しない」ってまさかスノーボール理論か?
細かい要素がどうのこうのなぞ興味がない。「政府の投資が良くない」に教条的にこだわって他のことを夢想的にふわふわ語って、それに騙されるかわいそうな人間いないかとうごめいているクソみたいな存在がお前みたいな連中だ。万死に値する。
むしろ利息がゴミのように増えていく無意味な投資をするぐらいなら、無理に公共投資なんてするぐらいだったら、まだデフレのがマシ。
団塊様たちが死んでくれるまでは、デフレが「選挙で民主的に選ばれた」人たちにとってメリットがあり、しかも国内への投資が非効率な今は、たとえ国際競争力が下がっても良いからデフレの方が「若者の未来を奪ってでも」得なんだよ。むしろ、生産性の高い若者は不要で、介護のような「安くで使える」若者の方が需要あるのかの。
「政府が誰かの自由を制約して多数の自由を守る」であれば積極的自由主義だ。そして社会主義でもあり、純粋な自由主義である消極的自由主義ではない。
ちなみに新自由主義ですら金融による政府の制御はあるから、自由放任主義に比べたら社会主義とも言える。
積極的自由主義であれば社会主義とも言えるんですよ。だから、ここは間違っていますね。
違うね「政府が」干渉するんだよ。多数の国民の自由を守るために。
だから、政府が何をして何をしないかが問われている。社会主義の中で、ではその政府の干渉はどの程度であれば正しいのかを検証することが必要で、社会主義はなんか知らないけど悪くて許されないものなんて論は意味を成さない。
前原誠司、岡田克也、(昔の)小沢一郎とかは小さな政府派だったけど、菅直人、枝野幸男あたりはコテコテの大きな政府派だからなあ。政権交代の頃に民主党のことをリベラルリベラル言ってたのがいまだに右翼に染み付いてるんじゃないか?
前原誠司、岡田克也、(昔の)小沢一郎とかは小さな政府派だったけど、菅直人、枝野幸男あたりはコテコテの大きな政府派だからなあ。政権交代の頃に民主党のことをリベラルリベラル言ってたのがいまだに右翼に染み付いてるんじゃないか?
前原誠司、岡田克也、(昔の)小沢一郎とかは小さな政府派だったけど、菅直人、枝野幸男あたりはコテコテの大きな政府派だからなあ。政権交代の頃に民主党のことをリベラルリベラル言ってたのがいまだに右翼に染み付いてるんじゃないか?
https://anond.hatelabo.jp/20210403165033
この増田も返信の増田見れば分かるけど所謂「リベラル」じゃなくてはてなでは「リバタリアン」と呼ばれるような思想の持ち主だったし、
何をリベラルと呼ぶのか混乱しすぎてる、マトモに議論できない。
じゃあこの増田のような奴は「リバタリアン」と呼ぶべきなのかって言うと、それもアメリカのローカルな文脈でしょ?
シャルリエブドの件なんかでも分かる通り、ヨーロッパでの「リベラル」は増田の様な自由至上主義タイプのリベラルで、アメリカならリバタニアンと呼ばれてるような人種でしょ。
つまり世界的には日本・アメリカの様に社会主義的なリベラルを「リベラル」と呼ぶ方が少数派なんだと思うよ。
そもそも「リベラル」って名前自体、自由主義って意味だしね、アメリカでの呼び方の方が歪んでんの。(つまり上の増田のリベラル自認の方が合ってる)
日本のリベラルはアメリカに絶対服従で尻尾振ってる与党の姿勢に批判的なはずだけど、「リベラル」の定義だけはアメリカにぶんぶん尻尾振ってるのおかしくない?アメリカだけが世界じゃないんだよ?
個人の自由を抑圧してでも自らの考える社会正義を実現しようとしたり、大きな政府を志す派閥は「リベラル」じゃなく「左派」「左翼」で良いと思うよ。
(日本のリベラルは「私たちはシャルリエブド」なんて言わないでしょ?)
逆に何でそれで駄目なのかが分からない、「左派」「左翼」と呼ばれるのが恥ずかしいと思ってるなら、それこそおかしいでしょ。
下の増田を読んだときは「ほーん」とスルーしてたけど、やっぱり今の「リベラル」の呼び方は混乱の元だし、歪んでると思うよ。無意味だし止めるべき。