はてなキーワード: 受診とは
長文です。
人の幸せを喜べない自分が嫌だ。僻みっぽくて、常に他人と自分を比べて凄く嫌な女だ。
結婚4年め。子なし。旦那の転勤で海外在住。会社の規定で働けない為、専業主婦。
昨年妊娠した。子供が嫌いなのでピルを服用していたんだけど、丁度飲み忘れたタイミングだった。逆算してみて、多分一発で命中したんだと思う。
「生理が重いから(事実)」という理由でピルを飲んでいた。これは夫も知っていた。
検査薬を見てゾッとした。大好きなお酒が飲めない・子連れになったらお洒落なレストランにも行けない・海外旅行も暫く行けない。
子育て=自分の自由を制限するもの としか思えず、産婦人科受診まで憂鬱な日が続いた。
でも心のどこかで、ちょっと喜んでいる自分が居ることに気づく。意気揚々と日本への里帰り出産の計画を立てていた。
しかし、後になって気付いたけどそれは旦那と子供と過ごす未来へのワクワクとかでは全くなく、他者から見た順風満帆な自分の人生への優越感だった。
友人のなかでトップ集団で結婚し、旦那の稼ぎもかなり良い。私立の女子大を卒業した後は大手企業に就職、早々に寿退社。当時は皆に人生(恋愛)相談をされていた。今思えば自分はかなり負けず嫌いで、勉強も学年で1番、受験も就職も所謂勝ち組だったと思う。しかしそこには自分が何をしたいとかは一切無く、ただ周りから羨まれる対象になりたかった。
受験→就職→結婚まで全て自分の思い通りになった。もちろん地頭が良い訳ではないし、容姿が特段美しいわけでもない。普通だと思う。だから努力だけは惜しまなかった。
私は、自分の事が嫌いだ。要領も悪く、身も心も美しくない自分が心底嫌だ。常に打算的で、周りの目ばかりを気にして、自分の意思なんて物は何もない。そんな自分の分身なんて怖過ぎる。加えて旦那の事は嫌いじゃないけど、正直愛してはいないと思う。一応恋愛結婚だけど、高収入・介護無しの条件で選んだからだ。
日頃神様の存在なんて信じないけれど、この時だけは神様は居ると思った。こんな私のところに、偉大なる神様が何かを授ける訳がないよね。
子宮外妊娠をしていた。しかもかなり危険な状態で、すぐに手術が必要なレベルだった。片方の卵管を切除。それしか道はない。「(私の)命が危険です」と言われた。今後妊娠出来ないわけではないけど、確率は30%程下がると医者から説明を受けた。
診察室でボロボロ泣いた。しかし、何故自分が泣いているのか分からなかった。
公共の場で騒いでいる子供が嫌で、野放しにしている親が嫌で、妊婦の膨れたお腹を気持ち悪いと思っていたし、電車に妊婦が乗ってきたら譲らなきゃいけないみたいな風潮も意味がわからないと思っていた。なんで好きでセックスして妊娠した女に優しくしなきゃいけないの?サラリーマンの方が疲れてるよね?妊娠は自己責任だよね?何弱者ぶってるの?と思っていたし、正直この考えは今でも変わらない。そんな子供・妊婦嫌いの自分が、何が悲しくてこうして泣いているのか?駐在生活も辛いよね?社会の何の役にも立っていない自分に後ろめたさ感じていたよね?働いていない事を理由に、旦那にヘコヘコするの嫌だったよね?生きてる意味がわからず、なんならもう◯んじゃいたいくらいに思ってたよね?むしろ願ったり叶ったりじゃないか。子供は無かった事になる。内臓破裂させて◯ぬ事も出来る。それなのに、何故私は泣いている?
術後、落ち着いた時に考えた。そして分かった事が2つ。まず、私は死ぬのが怖い。なんだかんだ怖い。2つめ、「子供を産めない自分が許せなかった」。大多数の女性が、皆がごく当たり前に出来る事が、自分に出来ないという事実を、受け入れられなかったのだ。
手術をして、退院した。街中で子連れ親子を見ると、羨ましくて涙が滲む。SNSの妊娠報告・成長記録あいつらまじで◯ね。羨ま◯ね。子供が欲しいんじゃない。「子どもを産む能力を持っている事」が羨ましい。世の中の「子供が欲しい」と言ってる女性達の中にも、私と同じような考えの人が一定数は居るんじゃないかな?友人が皆子育てしているのに自分だけ居ないなんて、みたいな。働く女性が増えたとはいえ、27.8歳くらいまでに結婚しないとヤバイ・30前に子供産まないとヤバイ等、女は今でもそういう社会の目と、時間と戦っている。
今日、友人の妊娠・出産報告を喜べない自分が居る。結婚する子にですら「どうせ私より先に簡単に妊娠するんだろうなー」と思って、冷めた目で見てしまう。そんな自分が凄く嫌だ。
このまま妊娠出来なかったらどうしよう。旦那は「私ちゃんと2人で良いよ」と言ってくれているけど、信じられない。いつ離婚を言い渡されるか怯えている。とにかく自分が欠陥品だという事実を認めたくない。その為に子供が欲しい…でもそれは間違ってると気付いているので大丈夫。私みたいな人間は、子供を持っちゃいけないんだ。子供は自己実現の道具ではない。本当は子供なんて欲しくない。私が欲しいのは、自分がポンコツじゃないという自信。それが何なのか、まだ私には分からない。
だいぶ症状が軽くなってきたので増田に投稿するぐらいの元気はあるけど、かといって明日はどうなのかわからん
もうね、鬱病の症状って倦怠感&倦怠感に尽きるの
性格もわりかし脳天気で職場環境もそう悪くなかった俺でさえ鬱病を発症したんだから、みんなも油断しないほうがいいよ
会社にいるときは普通なんだけど、家に持って帰った仕事がとにかく片付かない
帰宅した途端にどっと疲れが襲ってきて頭も身体もやけに重ったるい
でも眠いかというとそうでもない
ちょうど30になったばかりだったから、「俺もそろそろ歳かな~アハハ」ぐらいにしか受け止めてなかったんだけど、日を追うごとに倦怠感は増す一方
ついには日中仕事するときもだいぶ気合を入れてやらないと身体も頭も動いてくれなくなった
休みの日なんかも、小説を読むのが好きだったのに字を追っても内容が全然頭に入ってこない
漫画を読むのもなんかつらい
かろうじてテレビは見てられるけどぼーっとしてるせいで内容がほとんど記憶に残らない
さすがにこりゃなんかおかしいなと感じて上司に減俸を受け入れるから仕事量減らしてくれませんかと申し出たら、まず病院に行ってみることを勧められた
最初に足を運んだ近所の内科ではいまいち原因不明で、そこで勧められたのが心療内科の受診だった
会社を辞めるつもりはなく幸い理解もしてもらえたので今はパート勤務にしてもらって働きながら治療中
だいぶ回復はしてきたけど、相変わらず倦怠感はあるし、頭の働きは鈍めだ。記憶力も落ちたまま
記憶力低下の原因はなんとなく自己分析できていて、とにかく無感動になってしまったのが大きいと思う
心が動くことが減ってしまったせいで、日々の出来事が印象に残らないのだ
ときおり心が麻痺したようになるときがあって、そういうときは頭の中がとにかく無で、あの瞬間なら目の前で親が死んでも何とも感じないだろうなと思えてしまう
今日は仕事が休みの日だったのだけど、ベランダの鉢植えを動かしたらそれだけでやけに疲れてしまった
※追記
性格的なものと一応働けてることもあって、心の病にありがちな不安感はあまりない。
あれもしたいこれもしたいと思ってはいるのだが
誰かのためになればいいなぁとは思ったけど、ほぼ自分のために書いた文章というか日記なので読みにくいと思う。ごめんなさい。
最近、鬱っぽいというか夜勤中に精神的余裕がなくなるスピードが早いのと物忘れがひどくなってきたので、心療内科に行ってみたんよ。元々、自分は精神的な病気なんかとは関係ないと思ってたんだけど、ツイッターなんかでわかり手さんとか借金玉さんとかのツイートやブログ見てたら行ってみるのもありかなぁと思いまして。
心療内科の初診の予約取るのもわりと時間が必要だった。電話をすることへのストレスと電話をしたらもうあとに引けない気がしたから。でも、仕事中に頭がパンクしそうになった時があってそこでもうダメだと思って勢いで予約の電話をした。
とりあえず、電話に出てくれた看護師の人には鬱っぽくてということで受診の予約をした。
初受診当日、逆算思考が苦手なのと方向音痴な自分を気遣ったら予約時間の40分以上前に最寄駅に着いてしまったので30分くらい散歩してから病院に向かった。
何というか、最寄駅から病院の場所を確認して散歩で時間を潰している間、ずっと憂鬱だった。怒られるわけじゃないと分かっていても、どんなことを聞かれるんだろうと考えていると頭がずっしりとしてくる。
それで、いよいよ、初受診の時間。心療内科らしく待合室のソファも診察室の椅子もふかふかだった。
ドクターには具体的に困っていることを聞かれたので前述した通り、夜勤中の精神的余裕の無さと物忘れがひどくなってきていることを伝えた。
それから、鬱の診断を下すための質問をされた。DSM-5とかいう本(世界共通の診断基準って言ってた)に沿って質問されて、それによると鬱ではないということで、抑うつという鬱っぽい状態だと思う的なことを伝えられた。
それから、順序が曖昧だけど次にADHDかどうか診断する質問をされた。集中力はあるかとかそういうやつ。それによるとたしか、軽いADHDとのことだった(ADHDに軽いとかあるかどうかわかんないし、もしかしたら自分を障害者と認めたくない自分の意識が邪魔して軽いやつと認知したのかもしれない)。
まぁ、その時点で多少はショックだったんだけど、高校で塾やめたら一気にガタ落ちした成績のこととか集中力の件とか思い返すと、しょうがないかぁという感想。
で、たしか次が心理テストでA4の紙に実がなっている木を書かされた。ドラマとか映画で見たやつ!と思いながら、真ん中にこれだと小ちゃいかなぁ…でも大きく書くのめんどくせえしなんでそもそも大きく書かんとあかんのやと思いながら木を書いてリンゴを3つほど付け足した。書いた後にリンゴの味を聞かれたので普通ですかね、と答えた。
診断によると自分は頑固で人の目を気にして抑圧状態になってると言われた。まあ、たしかにーという感じだったのでそうですねーと答えて、ドクターからの総合的な見解はADHDとそれによる二次障害的抑うつ状態とのことだった。
集中力がなくて仕事がうまく回せてないのをどうにかしないとという話の結果、コンサータが処方された。あー、借金玉さんが言ってた飲んで吐き気と戦いながら仕事するやつかと思いながら、それを2週間分処方してもらった。
それと、ドクターからは仕事のストレスを溜め込むのはよくないから自分でブログに書くなり愚痴ノートを作った方がいいとの言葉も頂いた。
で、先月にインターネットのお陰でできた彼女の家に向かうバスの中でぼおーっとEva CassidyのFields of goldを聞いてたらどういうわけか涙が止まらなくなった。どういうわけもなく、自分が発達障害であるというショックがそのタイミングで襲ってきたんだろう。彼女には病院に行くとは言ってたけど、「なんの病院?」という質問には答えられず、健康診断の聴力検査でひっかかったから耳鼻科に行くと嘘をついた。
自分が障害者であることを家族にも彼女にも、今度新幹線で久しぶりに会いに行く数少ない友達にも言えないなぁと考えるとセンチな気分になってバスの中で泣いてしまった。
重く考えすぎだよなぁとこれを書きながら思いつつも、あと1回くらいは泣きそうだなとも思う。案外、言ってしまえば周りは受け入れてくれるのかもしれないけど、急に「俺、実は発達障害だったんだよね」と知り合いに言われても反応に困るだろうから、とりあえずは言わないでおこうと思う。
それにしてもなー、これからどうしよう。いや、特別どうもしないんだけども。
とりあえず、彼女の家で帰宅を待ちつつ、夕食の献立を考えつつ彼女に貸したスプラトゥーンでもするかなぁ。あ、コンサータ飲んだらウデマエ上がるかな?
私も精液検査済みなんだけど、うちとはずいぶん違うなと思ったので書いておく。
晩婚なので結婚前から早めに検査だけはしておこうと話していた。
結婚後半年で生活も落ち着いてきたので夫婦揃って不妊検査を受診した。
市が不妊検査の助成金を出していてそれが受けられる病院なので選択肢はなかった。
滅菌済みのプラスチックカップを渡されて自宅で採精する。
雑菌が入るとまずいので除菌ウェットティッシュで手と性器を丹念に拭く。
iPadを持って入ればxvideosでちょちょいのちょいである。
採取した精液は1時間半以内に病院に持っていかなければいけない。
精液の温度が体温以下に下がるとまずいらしいので、タオルにくるんで胸元に入れて車で病院に向かう。
カップに入れているとは言え精液を持って電車に乗るのは抵抗があった。
若い看護師さんがカップの中身と貼ってある名前を確認してその日は終了。
結果は当日は聞けなくて後日妻が一人で他の検査を受診したときに聞いてきた。
幸い量・運動量とも良好だった。
精液検査は好きな時間に持って行けばよかったが、人工授精では処置室の予約の関係で採精時間が限定される。
時間の都合でどうしても自宅で採る時間がなくて病院のトイレで採ったこともある。
その病院は男性トイレがなくて女性専用の個室と男女兼用の個室があるだけ。
私が行った病院では5,000円程度だった。
あれから1年経つけどいまだ懐妊せず。
すでに人工授精を4回こなした。
何とか今年中に妊娠まで持っていきたい。
完全に思いもよらなかったが、うちの旦那の精子はスカスカだった。
元増田は無精子らしいけど、うちの人は乏精子症ってやつだ。話のついでに聞いてくれ。(ごめんトラバ間違えたからもっかい。)
WHOによると1mLあたり1500万個以上くらいがセーフのラインらしいのだが、旦那は2600個くらい。
まっっっっったく想定してなかった事態だったので驚いたのなんのって。
なんでそんなに驚いていたかって言ってたら、第一子がデキ婚だったからだ。
照れる。
第二子が出来なかったのだ。
待てど暮らせどヤれどヤラねど出来ない。
6年経って出来ないので、
「そろそろ産婦人科行こうかな~。精液検査受けろって言われたら受けてくれる?ww」
ってドキドキしながら言ってみたら
って二つ返事でOK。
そいで不妊治療クリニック行ったら、いきなり初回からフーナーテストですよ。
「受診の日の朝に営んで、そのままさっさと病院に来い」というテスト。
第1子いるのに朝から営む事の難しさ。
でもなんとか励んで受診すると、
次の受診日には精液持ってこいと。
恥じらいながら提出したら、ここでようやく乏精子症ですわ、という結論に至った。
クリニックでは
「旦那さんの仕事上のストレスで精子が少なくなってうんぬん、まあ体外受精適応だね。」
って話をされたけど、いや絶対違うだろ。
第1子から10年も経たずに、自然妊娠が不可能なくらいに精子スッカスカになってしまうのは病的なもんだろ絶対、と考えた。
(ここ↑今思い出しても腹立つわー。地域で有名な女医さんだったけど、女医だからこそ?の男性不妊おざなり感があった。)
色々調べると割とあっさり「精索静脈瘤」って病名が見つかった。
ちょっとググってみて欲しい。
よく足とかにできる青いグニャグニャした静脈瘤が、陰嚢にできる病気。
加齢に伴って重症化して、陰嚢の温度が上がって精子ができにくくなる。
夫が夫なら昔の浮気を疑われてるところだ。
思い当たるフシがあった。
旦那の玉袋には「3つ目?」と思うような玉、というか、かたちのハッキリしない、コードが絡まったような感触のコブ的なものがあったからだ。
旦那も左玉が異常にだるーんとなってる。
男性要因の二人目不妊の8割近くがこの病気らしいじゃないですか。
ぜったいこれだ!なんだ不妊クリニックは体外受精するとか言ってたけどしっかりしろよ!と思いながら旦那に報告。
そこからは展開が早かった。
男性不妊を扱ってる泌尿器科に直行→はい手術日決めましょう→1ヶ月後には手術→治療完了。
からだ切るんだよ?私だったら半泣きだよ。
(実際には金玉ではなく足の付け根=鼠径部をちょこっと切る。陰毛で隠れる程度のトコ。)
この手術で、静脈瘤につながる血管を縛って、無駄な血液が流れ込まないようにして静脈瘤を消してしまうらしい。
日帰り手術でできるので、仕事を休む事もなかった。
土曜に手術して、当日はさすがに寝込んでたけど、月曜日にはイテテテ・・・と言いつつ出社してた。
タマを触るとひんやりになったのも感じられるくらい、明確な効果だった。
成功確率は五分五分とか言って泌尿器科の先生は脅してたけど、うちはバッチリ効果があった。
さすがに精子の話は旦那の沽券に関わるかな~と思って(彼はキニシナイと言ってるが)誰にも言ってない。
かなりトントン拍子に行った事例だと思うが、二人目不妊の場合、時間的な問題があってかなり早めに体外受精とかにステップアップする人が多いみたい。
でも、金銭的にも母体にも相当負担が大きいのに、男性不妊の方面でアプローチするクリニックが多くないのも事実。
だからほんとに知ってほしい。
夫さんにはちゃっちゃと泌尿器科の門を叩いて欲しい。
https://anond.hatelabo.jp/20180417204444
※追記※
大事なこと書くの忘れてた!
ううう・・・
まああのまま体外受精に進んでたりしたら、1回30万以上。
結果が思わしくなく何度もトライした時の事も事も考えると、やらいでか!という価格だったとも言える。
でも我々にはキツかった・・・。
あと旦那が意外すぎるほどショックを受けてなくて(少なくともそう見えた)サクッと治療方針が決まったのは大きかった。
静脈瘤では!?と思い当たった段階でかなりドキドキして告知したんだけど、「へえ・・・そうなんだ。」みたいな反応。
静脈瘤で痛みが出る人もいるけど、旦那の場合は全く無自覚だったらしい。
とは言えこっちも拍子抜けして
と聞いてみたけど
「え・・・?だ、だって病気なんだよね?治療すればいいんだし、別にショックとかは・・・」
みたいな事言ってた。
まあこんなドライというか良い方向の変わった人だからこそ、3つのタマ状態で放っておけたし、治療もパパっと進んだんだろうなあ。
あとね、ネタ臭くなって恐縮だけど、どうしても言いたい気持ちを押さえきれなくて
「玉袋が筋太郎だったんだね」
って言ってみたらめっちゃうけた。
この状況でほんとこの人凄いな・・・と感心した。
心広すぎだ。
これからも頑張って血管結んでね!
※※旦那バレ追記※※
「いや〜なんかウチにそっくりだなーって思ってたらウチかーい!!」
だってよ。
怒られなくて良かった。
「でも20代〜30代にかけて自転車乗りで、1日1時間以上乗ってたから、それがでかいんじゃ無いかと思ってる」
だそうです。
上手いこと圧迫しないように乗ってね。
初めにこんな理由で生活保護を頂いていることと、自分が不幸にしてしまった多くの命に謝罪します。
自分がなぜこんなことになったか結論から言うと仕事のストレスが原因です。
始めて働いたシステム開発会社で仕事をしていた頃、分からない上に興味のない仕事、女にばかり依怙贔屓する上司、どこにも引っかからず入社した役員の無能な息子が仕切る部署、終わらないし帰れない連日の激務、みなし残業、と枚挙に暇がないストレスが原因で動物虐待に手を染めてしまいました。
内容の詳細は省きますが命を奪うようなことはせず恐怖やトラウマを与えるようなことをしてしまいました。
しかし小動物や自分の買った生き物では私のストレスが解消されることはありませんでした。
自分はこんなにも苦しんでいるのに、世話をしてくれる人がいて愛情を受けて幸せそうに生きている他人のペットに激しい憎しみを抱くようになりました、他人のペットを虐待したい気持ちが沸々と湧き上がってきました。
動物を虐待して早くこのストレスを放出したくて堪らなくなり、善悪の区別すら付かなくなりました。
会社の帰り道に衝動的に近所の飼い猫を攫い虐待してしまいました。
満足ゆくまでした後は元の場所に返してあげました。
近所は猫が放し飼いされていたので新しいストレス解消の捌け口も沢山ありました。
その捌け口に会社で耐えられないことがあるたびに同じことをしてしまいました。
原因は分かりません、衝動的な犯行でしたので家の中に証拠は残りまくりですし外の証拠もすぐに見つかります。
そもそも私の家には大量の用品があるので、他人の家のペットを虐待していなかったとしても言い逃れは不可能です。
逮捕状はありまさんでしたが、すぐに警察の事情聴取を受けました。
前科がつきましたがどうにか刑務所に入ることは免れることができました。
その際に精神科を受診し、鬱を含めいくつかの病名がつく診断が出ました。
このままではもちろん働くこともできないため、生活保護を申請し受理されようやく保護費を頂きながら生活できるようになりました。
しっかりと眠り食事をとり働いている間は遊ぶことができなかったゲームをし動画サイトを見ながら毎日を過ごしていたらようやく少しだけ精神が安定しました。
なのでこの文章を書けるようになりました。
この期に及んでこんなことを書くのは憚られますが、自分は子供の頃から働くようになるまで動物が大好きでした、精神が安定した今だから言えることかもしれませんが今でも好きです。
でもそれはただ自分に余裕があったからで、余裕がなくなればこんな酷いことができる人間でもあります。
自分が今更虐待した動物にどんな贖罪をしようが結局は自己満足にしかならないと思います。
だから自分にできることは可能な限り外に出ず、二度と幸せに過ごしている動物やペットたちの前に姿を現さないことです。
自分が不幸にしてしまった動物たちの中にはボランティアに保護され新しい飼い主が見つかった子もいるかもしれません、その子がもし自分を見つけたらトラウマが蘇りせっかくの幸せを自分が壊してしまうでしょう。
2012年頃、大人の発達障害者への治療薬が適用になったこと、発達障害が話題となったことがありました。その当時、ネットの発達障害チェックをうけると「その疑いが強い」の判断があり、
自分も発達障害であるのかど強く悩み、予約不要のメンタルクリニックを行くことがありました。しかし、そこの病院は大変に混雑していて、当時は相談することを断念しました。
そもそも冷静に考えてみたら当時の私にはいろいろな抵抗感がありました。
しかし、今年の1月末頃『宇宙よりも遠い場所』の主人公の玉木マリの「何かをしたいけど一歩踏み出せない」という人物像に共感を抱くようになり、次第に作品に嵌まるようになりました。しかし、彼女たちは南極へ行きたいという夢を実現するのに自分は余りに変わらない事に愕然として、次第に深酒をしないと眠れず、毎日耐えられない不安に襲われるようになりました。
しかし、最初はうつ病を疑ったこともあり、律儀に二週間様子を見ようと思ったことと繁忙期だったこともあり実際に病院への受診を決断したのはさらに一月遅れることとなり、2月20日頃病院に電話をして、5日後に受診の予約を取り付けました。
こうした状況になるおよそ半年前の昨年8月に遡らなければなりません。絵を描くことが趣味だったこともあり「1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える」という経営コンサルタント大前研一の言を間に受けてSNSのフォロワーをがらりと変えたことがあったのです。しかし、彼らの素晴らしい実績を裏腹に自分は何も変わることも無く、ものすごい物をインプットし続けて次第に疲れていったのか、時間だけがいたずらに過ぎていく日々が過ぎ、夏コミの本を整理していると「もう半年経ったのか」という時間の経過に愕然とするようになりました。
先生は普通には白衣だろうと思っていたのですが、普段着だったことに驚きました。ただ、そこの病院は正直その先生の物腰は優しいのですが、しばしば話が噛み合わず「あった先生」とは言えませんでした。そこの病院は先生が一人で臨床心理士が居なく発達診断の診断は出来ないので他の病院を探してくれ(おいおい紹介しないのか?)と言われる始末で、自分で今度受診する病院を探し、二ヶ月後に予約を取り付けましたが、それでも、抗不安剤と睡眠薬で随分私を救ってくれました。
今回、精神科医療における一番のハードルは親でした。すぐにキレる。お前は生きる価値がない等の暴言を繰り返す親である以上、病気への理解が全く皆無であるとしか思えなかったのです。診療を秘密にして自分のお金だけで受診をすることを本気で検討したこともありましたが、治療費を考え断念したこともありました。先述のメンクリの先生に(親の説得材料に)「診断書出してくれ」といっても「紹介状あるんだからいいだろ」の一点張りで結局自分でカミングアウトすることになり、それが一番のハードルでしたが、もともと思い当たる節があったのか、案外優しくむしろ繁忙期に病院に同行する事へのいらだちの方が多かったのです。
結局、自分だけで悩むと1年以上時間を無駄にしてしまいました。生きるのは厳しいかも知れませんが、しかし手を差し伸べれば差し伸べてくれるだけの手はあるのです。もし、今後(治療方針や検査など)が不安というならまず近くのメンクリで抗不安剤だけ貰うというやり方もあると思います。検査は25日でまだ自分がどういう精神状態なのかが解りませんが、一人でも多くの人が救われることを願っています。