はてなキーワード: 受診とは
どっかの大学生、自分の心を整理する為と承認欲求を満たしたいが為に投稿します。ただのチラ裏の戯言です。
なんでやる気が出ないのか、という問いの答えが分からない。本当は働きたくないから、職に就きたくないから、とかなのかもしれない。それを認めたくない自分がいるのかもしれない。
毎年4月はやる気になる。よし今年はちゃんと頑張るぞ、1年間しっかりやり切るぞ、という風に自分に言い聞かせる。でも毎回ダメ。どうも自分はやる気が続かずに、休みがちになってしまう。1週間の5日間の講義のうち4日は休んでいるのが今の状況。どうやら大学に行きたくないらしい。
よく親に問われる、本当に大学を出て働く気がある?なくはない。ちゃんと働いて親に恩返ししたいし、さっさと自立して誰にも迷惑をかけずに扶養から抜けて生活したい。働くのは嫌いじゃない、大学に入りたての頃は勉強がそこまで忙しくはなかったので飲食店でバイトをしていた。その時の自分はわりとやる気に満ち溢れていたし、元気もあった。自分で働いて手にしたお金を通帳で確認するときは何とも言えない喜びを感じることが出来た。
では、今専攻している分野に興味がない?そんなことはない。大学在学中に色々実習をしたりしたが、どれもやりがいがあったし、何よりも楽しかった。あの頃は興味と探求心のおかげですんなりと勉強に身を入れることが出来てたかもしれない。自分の将来を見据えて行動が出来ていた気もする。今はどうか?正直なところ、自分の将来が見えない。自分が働いている姿、まるで想像がつかない。個人的にこれは少しマズい状況だな、と思う。
去年、自分は精神的によろしくない状況なんじゃないか?と感じて精神科を受診しようと思った。予約しようと病院のHPから予約カレンダーを見るとなんと2ヶ月先まで予約がいっぱいだった。話に聞いてはいたが、世の中には精神が不安定な人がたくさんいることが分かって少しだけ安心した。朝一で行ったら診てくれるかと思ったが現実はそんなに甘くなく、「2ヶ月先まで予約がいっぱいで・・・」と門前払いされた。ああそうか、と思って帰ろうとしたら一瞬呼び止められ、「電話でも相談出来るので、いつでも相談して下さいね」と言われた。あの時自分はどんな顔をしていたんだろう、受付の人の憐みの顔が忘れられない。これは何の話?脱線したかもしれない。
もしかして自分はうつ病の類じゃないのか?と思う反面、自分はうつ病ではなくて単純にサボりたいが故に色々と理由を作って目の前の事から逃げ続けている臆病者だと思う。というか、大学に行っていない間は何も考えられずにぼーっとしていたり自分があまりにもゴミすぎる現状を嘆きながらベッドで悶々としていたりすることもあるけれど、大半は動画を見たりゲームをしたりして過ごしているからだ。自分視点で見ても、「甘えんなよバカ野郎、大学行け。」これに尽きる。本当にうつ病の人はもっと苦しんでいる訳で、こんな自分がうつ病な訳ないでしょ。うつ病の人、ごめんなさい。
最近は毎日、自分という存在が世界からまるっと消え失せて、自分の存在を証明するものが何一つとしてなくなって、家族からも友人からも忘れられたら良いのにな~とか考えながらぼーっとしている。本当に何してるんだ自分。大学行けよ。
自殺を考えたときもあった。病気で実家に帰っている時に、スマホのメモ帳に遺書を残して、その時治療していた病気の薬に睡眠薬的なものがあったのでそれを全部酒で流し込んで寝た。その後の事はよく覚えていないが、どうやら深夜に起き上がって真っ暗なリビングで立ち尽くしていたところを母親に発見され、その場でぶっ倒れたらしい。目が覚めたら「自殺なんかするな」と涙ぐんだ顔と大きな声で怒られた。実家でやるあたり本当に死ぬ気がないし、もっと確実に死にたいなら首とか吊ればいいのに、母親に迷惑かけてるし、今考えると本当にバカなことをしたんだなと思う。真に死にたい人はもっと確実な方法を選ぶだろうに。自殺が成功する人は、こんな文章も書き連ねないし誰かに気付いて貰おうともしないだろうな。
自分の心の思うままに書いたつもりだったんだけど、結局のところ何が言いたいのか本当に分からなくなってきた。多分、自分はどうしてこんなにやる気にならないんだ?どうしてこんなに甘えた生き方をしてるんだ?こんな人生で恥ずかしくないのか?という問いの答えを誰かに出そうとしてもらっている。この時点で誰かに甘えているな、根本的に終わってた。格好つけた文章書いて、つらつらと長文垂れ流す自分に酔っている哀れな大学生の自慰行為に付き合わせてすみません。
まずは、医療機関に電話して受診していいか聞けばいいのかしら?
症状は先週ずっと鼻水が出ていて、のどが軽く痛かった。
今回はなんとかしたのはどうやったかの話を伝えたいとおもいます。
以前も投稿したのでカブるかもしれません。再投稿じゃないから甘えじゃないけど。
とくに、体調が悪いということを、本当に体調が悪いとしてうけとめます。
発達障害のせいかわかりませんが、体の調子や心の調子にとても鈍いところがあるんで、聞いても伝わりません。
「どこがいたいの」「どういうふうにつらいの」というのが詰問になってしまうので、とりあえずは「じゃあ今日は休もうか」とせかさずに言えるようにして、家を味方のいるシェルターにしてあげないとまず話になりませんでした。まあ高校2年半それがほぼ毎日つづいてしまったわけですが。
この子の父親はずっとこの子といろんなとりひきをしてなだめすかそうとしていました。
「今日休んだらテストの日は学校にいけるのなら今日休んでいい」。
「いい成績をとったら希望通り○○してあげる」。
「学校にいかないのなら小遣いなんか、旅行なんか、動画なんか、オフ会なんか全部いらんだろう。」
でも体調が悪いのは本人のせいじゃないんですよね。
なので全部基本的人権としてかんがえ、娘が(思い切って)何か希望したらそれは生きるのに必要なんだと考えてなんでもOKにするよう少しずつでも説得しました。
今も留年や就職活動ができないとつたえるたびに父親は渋い顔をしますが、子供が怯えていたよ!嫌われるよ!病状が余計悪化するよ!と伝えています。
・次に、この子はなんとか病院につれていって適応障害によるうつ病と発達障害と診断されました(それも1・2件目の精神科では門前払いされたので、3件目のメンタルクリニックで。精神科はすごいお年寄の医者でその後すぐに廃業したところと、重症例しかみていない大学病院でした)。
発達障害といっても薬を飲むほどではないので、うつ病の薬をのみました。でも未成年のうちはつかえる量が少なすぎて全然効かないのですが、
うつ病・発達診断の診断書がもらえたことはものすごく助かりました。いろんなところに提出しました。
まずは父親にこれは医者のいうとおりの病気だからうるさくいっても治らないということをいってガミガミをやめさせました。
そして学校の先生(学年主任)には診断書といっしょに、「発達障害(ADS)ってなぁに?」という絵本も買ってわたし、先生はその診断を出した医者に面談してうちの子の発達障害を理解してくれ(ウルサイのが本当に死ぬほどダメだということ)卒業までの特別な利便をはかってもらいました。
また父親にお金のことをうるさくいわれたため、娘は「余計なお金がかかるのなら疲れる病院になどいかない」といいはって家で泣くか寝るかしていたので、市から自立支援医療補助というのをもらいました。これでメンタルの薬も医者も無料になりました。骨折の治療のときも受診料は払っていません。
また大学受験のときも、センター一次については診断書をそえることで発達障害者配慮というのをもうしこんでうけてもらいました。静かな部屋で個人でうけられ、親がつきそいでき、テスト中は別室だが、休憩時間に飲食物や薬をあたえてよい。本人の手足が動かないほどぐったりしている場合は車椅子ではこびこみができるし、車も校舎にじかづけしていい。(ただ、やっぱり志望校には一次でさえ点数がたりなかったので二次はうけていないのですけどね。)
さらに最近ではn級障害者手帳をとったので電車などの市内移動に交通費がかからず、障害者年金を月にm万もらって小遣いがわりにしています。動画にでてくる人のグッズ(同人誌やかばんなど非常にひかえめに)買って、あとは貯金すればといっていますが若いだけにいろいろ欲しくてネットでしっかり検索して安いところで買うように工夫してもギリギリみたいです。アルバイトができない大学生活、リップクリーム一本も、新しいかばん1つも買えないなんて辛いにちがいありません。
旅行代金や服をちゃんと親にねだってくれるようになりました。水商売や犯罪に1回も手を出さないでいてくれてありがたいとおもっています。
話がそれましたが、うつ病の薬は今かんがえれば最初から対象外の未成年でも怖がらずにもうすこし飲んでおいたほうがよかったのかな?とはおもいます。
・3つめ。人とのつながりが大事なのでそこは切らさないようにしました。
本人には高校時代にも何度も「転校しようか」「退学して大学検定にしようか」という話をしました。でも本人にとって命より大事なのが中学で出会った気の合う友達とカラオケにいく時間でした。ですので、無理をして同じ高校を卒業させて、大学でも友達をさがさせました。
ちなみに、成人式にも出場させました。2次会もでられればでたいといっていましたが、やはり体力的に無理でしたが、親としては子供が成人したと一緒にみとめられてうれしかったです。
・4つめ 薬に頼る
20歳までは少なめのうつ病薬+貧血の鉄剤(生理が重いときは生理を止める低用量ピルも)+39種類のビタミン剤「ディアナチュラストロング」でだましだましやっていました。鉄剤、ビタミン剤は自腹です。20歳をすぎてうつ病の薬を増やしてから目に見えて心の調子がよくなってます。とはいえ筋力を超えるほどの肥満があるので体の疲れはどうしようもないとおもっていたのですが、それもメンタルの医者からすすめられて動かなくてもやせるGLP-1という食欲をなくすホルモンを糖尿病専門のクリニックで受けています。これはどうしても自家診療なのでかなりお金が高いのですがうちの場合はよくきいていて必要経費とおもっています。(骨折、血液検査による脂肪肝などですぐ処方してくれた)
でもこれは息子さんの場合は肥満への対処ではなく痩せへの対処が必要だとおもいますが、ずっと寝ているとどうしても体の不調はでがちなので、プロテイン(ザバスのだとビタミン剤も兼ねられます。うちの子はチョコシェイク味が好きです)を足すなどしてあげてほしいです。
・5つめ
なにか得意なことをみつけてほめる。
うちの場合は車の運転です。色々習い事をしたいといいだしてはやはりやめることの繰り返しもありましたが、友達も通っているということで普通免許をなんとかとらせたところ、自動車の運転だけは疲れが少ないようです。薬をのんでいて反応もやや鈍いはずなのですが、慎重さは運転にはとても向いていたようです。
私と仲良くしてくれるママ友はたいていが真面目かつ正直すぎてお子さんの対処もいい加減にできなくてひたすらに困ってる人が多いので世の中の私と仲良くできるタイプのママさんんのお役にたてばいいなとおもいます。
普段、文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。
解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。
今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。
かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢で独りよがりな子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。
少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。
・少し裕福な家庭で育った
・きょうだいの一番上
なお、家族の名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。
家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである。
ここについては語るとキリがないので割愛。
中学、高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。
学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。
朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康極まりない毎日を過ごしていた。
出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。
あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問の先生と友人には本当に感謝している。
同級生が引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。
この時期、何度か心療内科とカウンセリングに通っていた。親がドクターやカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。
心療内科のドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症で診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。
当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校の部活の顧問の先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。
教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。
高卒の資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。
その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験に合格する……といった算段だったのだが、志望校はセンター試験できわどいライン。
二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。
予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。
予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。
人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。
中学生の頃からの身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。
朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学や高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。
意識ははっきりしている。右手で携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。
痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。
起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。
呆れた顔をされたが、微妙な理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。
それから一週間ほど後、今度は予備校で自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来に直行した。
身体症状が出ていたので、最初に外科の検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査に時間がかかった)、最終的に精神科となった。
どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり。
入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。
退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。
入院中に、精神科の先生から小さいころの話を尋ねられた。心療内科やカウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。
それをふまえて、「一度別の病院で心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害のテストじゃない。
精神科の先生曰く、「まだ脳の病気の可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。
ここで診察をしてもらった精神科の先生が、その後7,8年の間お世話になる人である。
心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。
この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。
結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃から親からの風当たりが更に強くなった気がする。
心理テストは小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。
空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。
結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフがギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)
色々と話が逸れた。
・うつ病
脳の検査や心理テストやカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。
発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。
解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。
とりあえず受験が第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。
無理が祟ってうつが悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。
教育実習を控えた直前のことだったので、担当の教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。
余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事なことなんだけどね。
いかんせんマイナーな例なので、免許センターの警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。
解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症、解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。
高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。
よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。
診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。
遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。
過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)
過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまうものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたことなのだろうなぁ。
うつも寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。
ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。
また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。
では、これにて。
今の20台後半より上の年代は、小学生だったころにまだ発達障害への理解が進んでなくて、自分の症状を正しくとらえられていない。
③友達がいない
④正社員ではない
⑤収入が低い
【追加】
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はっきりしないと対策も打てない
容姿について書いてないのは、イケメンだろうがスタイルよかろうがこれらに全て当てはまったら弱者男性だと思うから
追加項目があれば教えて
【追記】
病気や障害については「無能すぎて精神科を受診したが何も異常は無く、ただただ無能なだけだった」系の人が弱者では無い扱いになってしまうので入れませんでした
【再追記】
⑨…抜いてもいいのか…?
助ける人がいなくなるから抜くってのは違うと思う
けど確かに項目全て当てはまってる人が「①②を改善するために恋愛工学生になる!」とか言い出したら弱者って感じはする…?どうなんだろう
はてなキーワードには「自分が弱いがゆえに女性に嫌悪感を抱く男性のこと。」って書いてあるけど、女性に嫌悪感を持たない弱者男性もいるってことだったよね?
友達と高校野球の話をしていて自分の母校がどうだったのかなと思って、たまたま開いてたTwitterで検索した
検索結果の中に、陰謀論みたいなのを延々と呟いている糖質っぽいアカウントがあったんだけど、たまたま自分と同じ苗字だった
自分の苗字がちょっと変わってるから、珍しいな〜と思ってそのアカウントをのぞいてみたら、多分親戚の人だった
母方の親戚で、自営業をしてる一家がいるんだけど、その店で働いてるって書いてあったから間違いない
自分が子供の頃に、「変な言動ばかりで、戦争がどうのこうのでとか、何を言ってるのかよく分からんのがいる」とは聞いたことがあったけどなるほどな〜
その人が受診したりしてるのかどうかは分からんし商売に影響でたりしない?という疑問もあるけど、自分も親も相手の一家と頻繁に交流してるわけじゃないから親に言うのもなんか違うような気がするし、見なかったことにして忘れるしかないんだけどなんか見なくて良いものを見てしまったなぁ…
https://www.himawari.metro.tokyo.jp/qq13/qqport/tomintop/other/fks200.php
診療を受ける前に
正確な診断を受けるためには、症状等を的確に伝えるなど、医師との十分なコミュニケーションが大切です。
1 症状
いつ頃からどのような症状があるのか、具体的に医師に伝えましょう。
(例) 年 月 日頃から
熱がある/のどが痛い/咳がでる/頭痛がする/発疹がある/動悸がする
食欲がない/吐き気がする/下痢である/血便がでた/疲れやすい
2 薬の使用状況
薬の飲み合わせ等で事故が起きないように、薬の使用状況を医師に伝えましょう。
(1)現在飲んでいる薬
なし
あり(現物を持っていきましょう。)
(2)アレルギー
なし
あり(特定の薬、食べ物でアレルギーがあれば、事前に医師に伝えましょう。)
3 既往歴
過去に経験した主な病気や手術、又は現在かかっている病気等について医師に伝えましょう。
(例)
ぜんそく/手術/輸血/その他
妊娠中などの場合、検査や薬等を制限する必要がありますので、事前に医師に伝えましょう。
(例)
妊娠中( か月)
授乳中
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/hp-kyuuimuka/guide/main/index.html
地方でも似たようなのがあると思う。
授業をサボってるわけじゃない
というか興味ある授業しか取ってないからほとんど出席するし真面目に話聞くし課題もやってた
でも提出を忘れる
遅れて出すのもなんか駄目な気がするから、
この授業の単位は落としちゃったけど他の授業は気を付けよう!→また忘れる の繰り返し
去年オンラインで巻き返そうと思ったけど今度は授業自体を忘れることが多くなった
必修の授業は仲いい子が多いから流石にすっぽかすことはなかった
でも一人で受けてる授業は自分でも引くぐらい忘れる
Twitterで落単!wwってツイートしてる同級生見て惨めな気分になる
あと昨日心療内科受診したらほぼ間違いなくADHDですって言われた