はてなキーワード: 卑下とは
追記。8日ソワレの当日引き換え券を購入した。前回視力的に見えなかった部分を補完できるよう前方列の上手~中央の席をご用意いただけると良いのだけれど。
白い鞠?は唯一『私』よりも先に舞台上に存在するので、高次元存在である可能性や何かの表現であったりしないか。
秀ちゃんと吉ちゃん、初見では(誰しもそうだろうけど)双生児ではなく比喩としての『醜くコントロールできないもう一人の自分』の話だと思っていた。
エグい描写が続いていたので、比喩と見せかけて実際の奇形の話であったというオチにまんまと流されてしまったけれど、
この物語が諸戸の視点であるならば、箕浦と秀ちゃんの恋愛描写は雑で蔑ろであったのに(彼にとっては箕浦と他人の恋愛なんてどうでもいいからだ。箕浦が物語の視点であるならばこの恋はもっと尊く丁寧に描写されているであろう)、妬ましい秀ちゃんの手記はいやに丁寧に描写している。
これは秀ちゃんと吉ちゃんの存在が、諸戸ないし箕浦の隠喩だからではないだろうか。
諸戸本人の感覚というよりも、より高次元な作者・超自我としての感覚で、『諸戸から箕浦への愛』に対し、『美しいものであって欲しい』という望みと、『どんなに消されても消えない愛の炎と欲望は醜い』と卑下する気持ちと二面を抱えているように見えるのだけど。
『自分の愛は醜い』と卑下してしまうのは、受け入れてもらえないことが唯一で絶対の理由だと思う。箕浦が諸戸の愛を受け入れてしまえば、もうそれは醜いものじゃなくなる。
諸戸の二面性は彼の超自我によるものだと私は考えるけれども、ある意味箕浦が愛せた諸戸と受け入れられない諸戸の二面でもある。
吉ちゃんに凌辱される秀ちゃんとは、愛欲をコントロールできず捕らわれ続ける諸戸であるなと。
箕浦はまさしく舞台上にて『私』と『箕浦』の二つに分かれている。
同一人物であった二人が切り離されたように見えるのは、井戸の中での諸戸の告白辺りから。……それ以前、島に着いてからもかなり二人の差が「目について」くる。異様に見えてくる。
井戸を出た時の諸戸の表情が座席位置の関係で見えなかったのだけど、彼は箕浦に何を見たのだろうか。
私は諸戸に対して全くもって嫌悪感がなく、むしろ清楚な色気すら感じていたのだけれど、ラストのセリフ・親御さんからの手紙の内容を聞いたときに唯一初めて諸戸のことをきもちわるいと思った。
諸戸本人からの求愛であったならまた印象は違ったのかもしれないけれど、第三者から告げられたそれはすごくきもちわるかった。
(これは私が『告げ口』というものに異様な嫌悪感を持つために抱いた感情なのかもしれないけど、あれだけフッたのに他人からまだアイツお前のことが好きだってと言われるなんて、しかもそれが息子を失った親御さんからの訃報でだなんて、最悪すぎるし気持ち悪過ぎると感じるのですが……これで意中の相手が振り向いてくれることなどあるのでしょうか?)
だから、実はラストシーンは佐藤さんの反応を見逃すまいと凝視してしまって。
私は諸戸すげーきもいと感じるけど、『私』はどうだろうなと。
そのせいで他の要素を見逃している可能性が高い。
あと、どうやら原作ではそれなりに諸戸の好意はきもちわるいようなのだけど、舞台では健気で美しい印象の方が強かったので、それは私が田中さんの美しさ・色気に当てられて誑かされていたからなのかどうかもしっかり見極めたい。
更に追記
ラストシーンの手紙から受けた『諸戸きもちわるい』って印象、この手紙を読むのが井戸の中で消えた箕浦役の石田さんが担当しているからって可能性もあるのかも。
あのセリフを言ったのが箕浦かどうかはまだ考察できないけど、『消えた自分』にそんなこと言われて亡霊度がめっちゃ高くて不気味だったような気がしている。
怨み言や呪いのように聞こえた。
こちらも改めて確認したい。
更に追記
諸戸が箕浦を好きになった理由は原作からも明らかにされていないらしい。
しかし口説き文句に「君は美しい」とあるそうで、これは他の人も言ったセリフである気がする。
本作品中において『美しい』と評されることの意味は重いはずなので、
誰がいつ何を『美しい』と評したか、その評価の意味を捉えていきたい。
更に追記
「『私』が白髪になるほどの恐怖」とは何であったのか原作でも名言されていないらしい。
また、どうしても視覚情報の伴う舞台では白髪になったターニングポイントが「見えて」しまうため、原作にならい解釈の余地を生ませるよう演出されているのだが、それでも舞台上に起きた出来事はどんな解釈でなされていたか、芝居の息遣いをしっかりと感じておきたい。
http://anond.hatelabo.jp/20170126204733
この人もそうなのだけれど、「自分は下流だ、劣等だ」と書いている人たちの文章がしっかりしていていつもため息が出る。
語彙、表現、話の組み立て方、題材の切り取り方、主張のわかりやすさ、どれもきちんとしている。言いたいこと、周辺状況が論理的に説明されているという印象がある。
「自分は無教養だ、洗練されていない」という人なのに、その話しぶりからは「文章作成に慣れた人」という印象しか出てこない。そのギャップにいつも打たれる。
どうしてそう思うかというと、自分は文系の大学教員で、仕事柄学生の作文を見ることが多い。いろいろな課題・テーマ・分量で作文を書かせているが、このレベルの文章を見ることは滅多にない。
「低学歴だ」「底辺だ」と卑下する増田たちの文章に匹敵する作文を書く学生はほとんどいないし、いれば明らかに抜きんでている。
そういうわけで、キチッとした文体で「自分は劣っている・劣った階層の出身だ」というまとまった話をしている増田を見ると、「でもこれだけ書ける人は稀少だよなあ」とため息が出てしまうのだ。
昔は自尊心が最底辺で自分よりも価値が劣る人間なんて居るわけが無いと思っていたから、ひたすらに努力出来て楽だった。
今、少しだけ自分に自信が出来たら、他人と比べて自分の方が優れていると安心して、そこから何もしないようになった。
また、たまに最底辺だった頃の自分が嫌なタイミングで出てきて、
こんなに酷い人間の自分に出来ていることが他の人に出来ないわけがないと思って、
出来ない人のことが許せなくなってしまった。
自分よりも圧倒的に出来る人が現れても、少しサボってる姿を発見すると、
出来るはずなのになんでしないんだろう?
もっと出来ない自分が頑張ってるのに、何でこの人は出来ないんだろう?
と、今度は出来るけどやらない人のことが許せなくなってしまった。
心が狭いということは分かってるけど、
これらは何か問題が起きた時に、責任を誰に課するか(課さないか)という話だ
なにか悪いことがあったとして、「なぜ自分が解決できなかったのか」と考えるタイプだ
これは何でも人のせいにする他罰よりはマシかもしれないが
何かあるたびに自分の不出来に悩むので、非常にうつ病になりやすい性格だ
私は相手に対して怒ることが嫌いだ
そもそも怒りなんて、ほとんどの場合自分の感情を爆発させているだけだと思っている
「お前のために言ってるんだぞ」なんていうのは8割方言い訳に違いない
安易に怒りを露わにする人を軽蔑するし、自分でも感情を抑え込んで、自分の責任にしていた
しかしある時気づいたのだけど
自罰というのは、言い方を変えれば「自分に対して怒っている」のだ
そして私は自罰すらやめようと思った
でも無罰的にもなりたくなかった
問題を放置するというのは、ただの逃避で、また同じ問題が起こると思ったからだ
そんなわけで、「問題には取り組むが、怒らない」というスタンスを取るようにした
そうしているうちに、このスタンスにはいくつか利点がある事に気づいた
一つはどんな状況になっても冷静に目の前の課題に取り組めることだ
目の前の階段を一歩ずつ踏みしめることができる
怒らず、過去を攻めることなく、前だけ見て問題を解決することができる
自分を卑下することもせず、ただただ目標のために自分ができることを着実にする精神が身につく
これは自然災害に対して怒らないのと同じだ
雨が降ってきてイライラする人は少ないだろう
しかし相手が人間だったり、小さい事象だと思わずイライラしてしまう
もう一つ良いことは、場の怒りが増幅されないということだ
怒りというものは伝播する
相手が怒ってるからと言って自分も怒ると、怒りは増幅されてしまう
どんな状態でも、相手に責任があっても自分に責任があっても、とにかく怒らないことで場の怒りは抑制される
ある意味「他人事」「冷たい」対応になるが、ミスが起こるようなシーンではそちらの方がいいと思う
最後に良いこととして、自分に対し寛容になれるということがある
まあ、それでもPCが動かないと未だにキレるんだけど
http://anond.hatelabo.jp/20170104015325
ひどい言い方になってしまうがって前置きの通りほんとにひどいこと言うね…。
自分は男でMマス好きだけど、まさかそんな風に卑下されてるなんて知らなかったしすごく悲しい。
疑似的にメンバーになりきるって感覚も全くわからないし、男性ノリだから好きなわけでもない。
少なくともステージの上の彼らにサイリウム振ってる時無理をしてるという感覚は自分にはないよ。
自分は声優については男女関わらず疎いし、声優の名前とか私生活とかほとんど興味ない。
でもステージ上の彼らは確かに格好良かったし、それは普段ダンスや演劇を見て感動したりうっとりしたりする感覚と何ら変わらない。
そういう自分にとっては素直で真っ当な感動を「ウェイウェイ系男子学生に疑似的になりきる」なんて文章で揶揄されるのはすごく悲しいし不愉快だと思った。
「お前が言うなと言われそうだが」「ひどい言い方になってしまうが」
色んな前置き書いてるけど、多分自分がどれだけ悪辣なこと言ってるかあんまり自覚してないよね。
本当に悲しい。
本人は中の下というが、「広瀬すずに似てるって言われる」という。
広瀬すずに似ている中の下なんて居ないことはわかると思う。
AKBはほとんど知らないが、見てみたら、乃木坂の衛藤美彩って人に似てた。似てたというか、顔面偏差値このくらい。
本人は、スクールカーストは底辺で、教室の隅っこに居る、アニオタという。
で、でた~女特有の自分を卑下しつつ承認欲奴~wwwwwwwwwwwwwwwとか思ってた。
俺は、非リアな「いない歴=年齢」なもんで、美人というと、「ドキュンの肉便器」「金持ちやイケメンの相手してる」すぐそう考えていた。
ネットの女叩きの影響ね。
6年くらい彼氏いなくて、マッタクモテない。1年前にできた彼氏には振られた。1年前の彼氏までは処女だった。
絶対嘘だと思った。この美人がどうやって男に言い寄られないんだよ。
男を拒否ってるだけだろ?と思った。
違うという。
俺は、もうかなり衝撃的だった。嘘だ嘘だ。
嘘でしょ。
杉原千畝の話をする。
ユダヤ人が大虐殺されて殺されそうになった場面で、自分の命が危険になるのをわかってて、ユダヤ人を救うためにビザを発行しまくった人だ。
俺は、そういう風に、心がきれいな人でありたいと言った。
すると、その子は、私もそう思うと言った。
これだ。ママ。
「ああ、バブミでしょ」
嘘だろって思った。
うそでしょ。
こんな美人が、嘘でしょ。
俺は、ついつい言ってしまった。
ソーニャというのは『罪と罰』って小説に出てくる、心がきれいな娼婦。
なぜ、ドストエフスキーみたいな大文豪が、風俗嬢が心がキレイみたいな嘘を書くんだろうと不思議だったが。
風俗嬢に聖書読ませるっていう感じのストーリーなんだけどさ、そんな聞こえがいいだけのものをドストエフスキーが採用するなんて絶対おかしいと思ってたんだけど。
本当にいたんだ。
と、同時に。
俺が今まで偏見の目で見ていた人たちは、心がきれいな人たちもいたんだろうなと思った。
偏見から、ひどい態度をとってしまったんじゃないかと後悔した。
ネットでイキってるクソフェミ女や、専業主婦は辛いアピール女はどーみても性格が悪いのがツイッターで丸わかりだった。
がるちゃんも屑方向にだいたい議論が流れるから、そういうもんだと思ってた。
いやしかし、ショックだったんだよ。
こんな可愛い娘が、心が屑じゃないとか、嘘でしょって。
マトモな心の人が、本当にいるんだ。俺だけじゃなかったんだ。
そう思った。
俺の世界が完全に変わった。
今まで生きてきた中でいろんな人と関わってきたけど、どうしても反りが合わないって人は何人かいた。
性格や習慣の違いとかあるからこういうことやるのは許せないってのはあるし、それを平気で行ってる人はいるわけで、
中にはなんでかしらないけど嫌悪感でいっぱいになる人も数える程度にはいた。
ただただしゃべり方が気持ち悪い、態度が気持ち悪い、しぐさが気持ち悪い、不思議だけどただただ気持ち悪くて話しかけるのも話しかけられるのも嫌っていう。
ただそういう人とは関わり合いしなければいいだけで、近くに一定以上寄せ付けなければそれでよかった。
が、社会人になるとそういうわけにもいかない、仕事として割り切って対応するしかない場合もある。
嫌いなクライアントでも笑顔で対応しなければならないし頭下げなければいけない。
帰りに一杯ひっかけてバッティングセンターいくなり風俗言って一本ぶちかますなりしてスッキリして明日を迎えればいいんだから。
ちょっと前にチーム配置換えがあったんだけど、その中のメンバーが本当にクソすぎて毎日イライラが止まらない。
・とにかく口が悪すぎる。
一応そのチームをまとめる立ち位置にいるが、その立ち位置に胡坐かいてるのかしらんけど、年上の私にキレたヤンキーですか?ってくらいひどい口調で話す。
何かその人の感にさわったことがあったんだろう、それを指摘するときにひどいもんだ。
「おい、こっちこいよ!」とか、「てめぇがわりいんだろうが」とか、「おめぇの意見はきかねぇよ」とか、んー、舎弟にでも相手してるのかな?
当方体育会系で育った身分だから、そういう無礼な態度はとにかくイラっとするんだよね。
立場としては上だったとしても、その態度はどーなんかと。
本当にしゃべりたくない、かかわるのも最低限にしてるけどなんだかね。
チームの売り上げを上げたいから協力してほしいみたいだけど、こういう態度ばっかりしてるやつとは一緒にやる気も起きないわ。
「お前らも作業ばっかりしてたら目標達成できねーから、ウチは社内ニート雇ってる余力ねーからな、何とかして仕事取ってこい」
とか言うだけ言って、実際仕事取るための動きとか具体的方向性何もねーのな。バカじゃん???
そんな中、俺がとあるつてからひょんなはずみで仕事がもらえそうってことになった時、こいつ何にも言わなかったからなww
ほんとさー、なめてんのかな??
そんなに自分のやりたいようにしたいんなら全部外注で一人でまわしてくれよ、そのほうが効率いいっしょ。
たまたま共通の話題があったからそれに関して話したときも、作風がどうの監督がー制作会社の風潮がーどうのーと何を能書き垂れてるんだろうと。
挙句にその視点は間違ってるだの語りだすあたり、夜な夜な2chの実況スレでコテハン付の批判厨なんじゃないかな、どうでもいいけど。
・メンバーのいうことを聞かない、答えない、信じない
朝体調が悪くて遅刻する羽目になったんだけど、私典型的な頭痛もちでたまにひどい頭痛に襲われて動けないときがあるのよ。
ただいつものことで薬飲んで軽減してくればいけるからちょっとだけ遅れるかなーって感じだったんだがね。
とか急にいうわけ。
体感でも病院行くほどじゃないし薬効いてくれば大丈夫だっつってんのに聞きやしない。
挙句に
とか言い放っちゃう。
もうねー、俺もいい大人だから必死に我慢したけど、正直ぶん殴ろうかと思った。
何でこんな奴がまとめ役になってんだろうと、それを判断した部長もどういう判断だったのかは知らないけど、
こいつ人をまとめる柄じゃないよ、仕事をまとめるのもままなってないやつがトップでどうするのよ。
こいつのせいで毎日気分どん底ですよ、あまりにイライラの毎日で隠し切れないから回りにも悪く見られがちになってるし、
もう今のうちからチーム異動打診しとこ。
っていうか、こいつが今後俺の査定に入るとなると間違いなく給料なんて上がらないから転職先さがそ。
退職理由にあいつがくそすぎるからって言ってやろうかしらねー。
まぁ今までのことは部長とかにクレームあげてるからあいつも落ちればいいんだけどね。
あー、ほんとクソだわ、クソクソ。
「ポリコレ棒がオタクの味方してきたみたいなツラするのは噴飯」に対して何も反論できて無いな。
そのうえポリコレ棒達のオタクへの圧迫と卑下は駅乃みちかみたいなのに限らないからな。
オタクがひっそりエロゲーやエロ漫画描いてオタクの間で回して楽しんでるだけでも
ポリコレ棒たちは何度もそのオタクの阿片窟に入って来て殴って回ろうとしたよ。
(いまもいるよ。女のエロいイラストを描くこと自体そのまなざしが~っていうよくわかんない呪文俺はついに解読できなかったけど)
そこでオタク側が防衛で固めた論陣にボコボコに殴り返された結果、
ある程度のお行儀をオタクとの実力の激突で躾けられた結果、
駅乃みちかみたいなまあまあ妥当であろうラインまで押し戻されてきてそこに生息してるだけで。
まるでポリコレ棒達が最初から妥当なラインを見究める分別や自制があったみたいに言うなよ。
オタクに殴りかかって殴り返されて教育されてきた歴史を無視しちゃダメだろ。
いまだってオタク側からのカウンターパンチがなくなれば分別を失う奴等だよ。
オタクにも分別無くエロイラストを公然開陳しちゃうような奴は勿論居るけどな。
要はどっちも同じ程度の人間じゃん。
控えめに言ってポリコレ棒なんて言うのはオタクと殴りあって均衡する程度の奴等だよ
「悪い男」の代表として童貞のキモオタがどうこうみたいなイメージをすぐ持ち出してたのもポリコレ棒の皆さんだからね。
ポリコレ棒はフェアでも反差別でもないってばれてるし、オタクの味方なわけもない。
自分たちから(一方的に殴れるつもりで)仕掛けて、殴り返されて、
ブラック問題、近年の話題性という意味ではアニメーターの現場が嚆矢だったような気がするが、改善される気配はあるのだろうか。
アニメーターの惨状を扱った記事には「当人が好きで納得してやってるんだから良いだろう」という意見も多く見られた。
というか、そもそも「個人の納得」って何なんだろう。
時間辺り給与が十分と感じるのか、食っていけるから良いのか、成果物が世に出るのがたまらない達成感をもたらすのか、
公的価値から判断した当人の自己評価の低さによる卑下の結果なのか。
マンガ家はどうなんだろうか。
東村アキコが自身のアシスタントをイジってマンガにしてたが、彼らが報われることはあるのだろうか。
トーンや背景や、モブなどの反復的な書き込みは、CGや写真加工で済ます作家も増えてきた。
アシスタント経験で手にした職人的技術に意味はあるのだろうか?
まぁ全く無くはないんだろうが
パワーハラスメントなる用語があったのかどうか、そんな時代の話。
私は社員五人という小さな会社に勤めていた。非常に小さな業界で、環境コンサルタントという分野に属する。大枠としては土木・建築分野に入るかもしれない。そうした大手コンサルタント会社からこぼれてくるような仕事を拾って商いをしていた。たまたま、転職しようと思って転職雑誌を見てたら自宅に近いところになんだか業種が良く分からないその会社の募集広告があったので応募し一発採用となった。当時は私のような特に何のスキルもないような人でも転職なんか簡単だった。それもそのはず末期ではあったがバブル時代はまだ続いていたから、そんな小さな会社でもそこそこ給料はよかった。
初めてパソコンに触った。というか、パソコンなしでは成り立たない職種で、まだCUI→GUI移行期の時代で自分でプログラムを書かないといけない仕事だった。今ならエクセルで表やグラフなんて簡単に作成できるが、当時はプリンタに直接描画命令コマンドを送るという恐ろしく面倒な事をしてたのが懐かしい。グラフなんかXY-プロッタで作図してたんだよ。ページプリンタを導入してからは少し楽になったけど、ともかく、今の時代なら10分あれば出来る仕事が何時間も掛かる、そんな時代だった。
社長は私の10歳年上で、とある地方の有名大学出身者。一方私は、大学進学を諦めた専門学校出身者。退職するまで、この差別がずっと続いた。社長は当初は学歴など関係なく仕事の能力が大事だ、みたいな事を言っていたが、口では言わないが他の大卒社員にはそこまできつく言わないのに私だけにはほんとにきつい言葉を放つ。もっとも、私もかなりバカだったと思う。何せビジネスマナーすらろくに知らないレベルで、前の仕事は工場内作業者だったので定時になればタイムカードを押して帰ればよいというような考え方や、仕事というのは与えられた仕事を教えられたとおりにするものだという考え方が身に染み付いてしまっていて、なかなかそんな自分を変える事が出来なかった。
とは言え、自分自身でもそのことにすぐ気がついて自分を変えようと努力していたのは事実である。昼休みになれば近くの本屋さんに行ってビジネス書を立ち読みしたり、あるいは購入したりとか、残業も構わず何時間でもやったり徹夜もしたり、気づいた事があれば率先して色んな提案をしてみたり、内実はともかくとしても結構頑張ったと思う。でも、社長はそうして私が努力している事を評価する事はほとんどなかった。今でも忘れられないのは、社長と二人きりの状態で私が遅くまで残業して作業している最中に「お前は頑張りが足りない」ときつく叱責された時の光景である。流石に今まさに一人で頑張っている私自身にそれはないだろと思ったのでぶちぎれて「今こうしてやってる最中にそれはないでしょ!」と言い返したら、後にも先にもその時一回きりだけど社長は私に詫びた。で、それ以降も、事ある毎に散々「努力が足りない!」のような内容で酷く罵詈雑言を浴びせ続けられたのである。「辞めてしまえ!」など日常茶飯事だった。しかも、他の社員がいようと、取引先に出かけてようとそんなの関係なくやられた。
褒められたり普通に対応してくれたこともないではない。ある定型的なデータのとりまとめなどは私は誰よりも早かったので、しょっちゅう感心されたものである。しかし、多少なりとも高度な仕事は私には与えられる事は決してなかった。多分、私でも出来たろう。しかし、「無能な」私にそんな高度な仕事を任せたら滅茶苦茶される、というのが社長の考え方だった。社長は人に教えるのがド下手で、社員の誰もがそう言っていたが、とにかく教えられてても話があちこち飛ぶし、こちらが知らないことなのに知ってなければいけないか如くに説明する事柄も多く、何を言っているのか良く分からない。その上、それでもきちんと理解できたように振舞わないとすぐ不機嫌になるので、こちらも質問もしづらい。分かってないような反応をしようものなら「お前何聞いてたの?それはこうなってるって分かって当然だろ!」と、そもそも理解させようという気がない。それでも大卒社員には私とは違って多少は丁寧に説明していた。私は徹底的にバカにされた。
そんな風に何年かやってると、自分自身でもどんどん自分を卑下するようになり、自分がダメなんだと自分で自分を追い込むようになっていった。朝起きるのも辛く、朝が来るのが嫌で夜もなかなか寝ようと思わなかった。それでも、結婚もし子供も生まれ家庭を持つようになって、そう簡単には転職もままならない。それに、他の会社に言っても似たようなものかあるいはこれより酷いかもしれない、などと考えてしまい、ならば会社にい続けるのであれば、どうにかして社長に認めてもらう他はない、などと思うようになっていった。だが、そんな社長と私との人間関係下ではうまく行く筈はない。向こうは私を完全に見下しているから、何をやっても悪循環、少しでもミスしようものなら罵詈雑言。仕事があまり与えられなくなり、「役立たず!」「いったいお前ここに何しに来てるの?」「他のみんな頑張ってんだから朝早く来て掃除でもしとけ」など等どんどん扱いは酷くなっていった。遅刻も何度もするようになり、無断欠勤もしばしばするようになって、結局、非常に些細なことで滅茶苦茶に叱責されたのを切っ掛けにして、退職する事になった。
社長は悪い人というわけではなかったと思う。多分、何とか私も頑張ってもらおうとは思ってたんだと思うけど、仕事という厳しい現実の前に不条理なまでに厳しくする事になってしまったんだろう。ともかくも、病院には行かなかったので診断されたわけでもないが、おそらくは私は鬱病に近い状態に陥ってた。次に転職するまで、ちょっとした個人的仕事と実家の援助で食いつなぐこと三年掛かった。退職するまでの2年くらいは毎日死ぬ事を考えたけど、既に子供もいたし、死の選択は許されなかった。
・・・・というより、私は今生きている。そして、あんなに酷いパワハラ状態だった会社での事が、実は様々に今の仕事に生かされている。パソコンとかもそうだし細かい仕事のやり方とか、あるいは社長があの時何故罵詈雑言叱ってたのかとか冷静に考えて実務に役立てたりも出来ている。私個人の体験だけで大きなことは語れないとは思うけど、彼女は死ぬべきではなかったと強く思う。生きてさえいたら、まだまだ道はあったはず。無論、精神状態が追い詰められて鬱病になって死を選択してしまうことになってしまうのも仕方ない面もあると思うけど、出来る事なら逃げて生き延びて欲しい。人間は弱いけど、それでもなお強く生きることも出来る、と私は思う。
飲み会で同僚の女の人(32)が自称おじさん女子で「私性格おじさんだから!」とか言ってて、
この人よくこれ言ってて周りの人がそんなことないよーとか綺麗なのにおじさんっぽいって親しみやすくていいねみたいな流れがお決まりのパターンなんだけど
まあいつも通りだなーって思って、正直その流れ飽きてたなって思いながら聞いてたら天然だと噂の新人の女の子(23)が
「そんなに自分を卑下することないですよ!!普通にオバサンなだけだと思います!!」
って高らかに慰めだして周りはちょっと笑っててすごい空気になった。
後から同僚女が新人ちゃんを空気読めないから嫌いって影で言ってた
けどそこまで悪い子に思えないんだよなあ