2016-10-09

未熟な私のパワハラ労働時代記憶

パワーハラスメントなる用語があったのかどうか、そんな時代の話。

 

私は社員五人という小さな会社に勤めていた。非常に小さな業界で、環境コンサルタントという分野に属する。大枠としては土木建築分野に入るかもしれない。そうした大手コンサルタント会社からこぼれてくるような仕事を拾って商いをしていた。たまたま転職しようと思って転職雑誌を見てたら自宅に近いところになんだか業種が良く分からないその会社募集広告があったので応募し一発採用となった。当時は私のような特に何のスキルもないような人でも転職なんか簡単だった。それもそのはず末期ではあったがバブル時代はまだ続いていたから、そんな小さな会社でもそこそこ給料はよかった。

 

初めてパソコンに触った。というか、パソコンなしでは成り立たない職種で、まだCUIGUI移行期の時代自分プログラムを書かないといけない仕事だった。今ならエクセルで表やグラフなんて簡単作成できるが、当時はプリンタに直接描画命令コマンドを送るという恐ろしく面倒な事をしてたのが懐かしい。グラフなんかXY-プロッタで作図してたんだよ。ページプリンタを導入してからは少し楽になったけど、ともかく、今の時代なら10分あれば出来る仕事が何時間も掛かる、そんな時代だった。

 

社長は私の10歳年上で、とある地方の有名大出身者。一方私は、大学進学を諦めた専門学校出身者。退職するまで、この差別がずっと続いた。社長は当初は学歴など関係なく仕事能力大事だ、みたいな事を言っていたが、口では言わないが他の大卒社員にはそこまできつく言わないのに私だけにはほんとにきつい言葉を放つ。もっとも、私もかなりバカだったと思う。何せビジネスマナーすらろくに知らないレベルで、前の仕事工場作業者だったので定時になればタイムカードを押して帰ればよいというような考え方や、仕事というのは与えられた仕事を教えられたとおりにするものだという考え方が身に染み付いてしまっていて、なかなかそんな自分を変える事が出来なかった。

  

とは言え、自分自身でもそのことにすぐ気がついて自分を変えようと努力していたのは事実である。昼休みになれば近くの本屋さんに行ってビジネス書立ち読みしたり、あるいは購入したりとか、残業も構わず時間でもやったり徹夜もしたり、気づいた事があれば率先して色んな提案をしてみたり、内実はともかくとしても結構頑張ったと思う。でも、社長はそうして私が努力している事を評価する事はほとんどなかった。今でも忘れられないのは、社長と二人きりの状態で私が遅くまで残業して作業している最中に「お前は頑張りが足りない」ときつく叱責された時の光景である。流石に今まさに一人で頑張っている私自身にそれはないだろと思ったのでぶちぎれて「今こうしてやってる最中にそれはないでしょ!」と言い返したら、後にも先にもその時一回きりだけど社長は私に詫びた。で、それ以降も、事ある毎に散々「努力が足りない!」のような内容で酷く罵詈雑言を浴びせ続けられたのである。「辞めてしまえ!」など日常茶飯事だった。しかも、他の社員がいようと、取引先に出かけてようとそんなの関係なくやられた。

 

褒められたり普通に対応してくれたこともないではない。ある定型的なデータとりまとめなどは私は誰よりも早かったので、しょっちゅう感心されたものであるしかし、多少なりとも高度な仕事は私には与えられる事は決してなかった。多分、私でも出来たろう。しかし、「無能な」私にそんな高度な仕事を任せたら滅茶苦茶される、というのが社長の考え方だった。社長は人に教えるのがド下手で、社員の誰もがそう言っていたが、とにかく教えられてても話があちこち飛ぶし、こちらが知らないことなのに知ってなければいけないか如くに説明する事柄も多く、何を言っているのか良く分からない。その上、それでもきちんと理解できたように振舞わないとすぐ不機嫌になるので、こちらも質問しづらい。分かってないような反応をしようものなら「お前何聞いてたの?それはこうなってるって分かって当然だろ!」と、そもそも理解させようという気がない。それでも大卒社員には私とは違って多少は丁寧に説明していた。私は徹底的にバカにされた。

 

そんな風に何年かやってると、自分自身でもどんどん自分卑下するようになり、自分ダメなんだと自分自分を追い込むようになっていった。朝起きるのも辛く、朝が来るのが嫌で夜もなかなか寝ようと思わなかった。それでも、結婚もし子供も生まれ家庭を持つようになって、そう簡単には転職もままならない。それに、他の会社に言っても似たようなものかあるいはこれより酷いかもしれない、などと考えてしまい、ならば会社にい続けるのであれば、どうにかして社長に認めてもらう他はない、などと思うようになっていった。だが、そんな社長と私との人間関係下ではうまく行く筈はない。向こうは私を完全に見下しているから、何をやっても悪循環、少しでもミスしようものなら罵詈雑言仕事があまり与えられなくなり、「役立たず!」「いったいお前ここに何しに来てるの?」「他のみんな頑張ってんだから朝早く来て掃除でもしとけ」など等どんどん扱いは酷くなっていった。遅刻も何度もするようになり、無断欠勤もしばしばするようになって、結局、非常に些細なことで滅茶苦茶に叱責されたのを切っ掛けにして、退職する事になった。

 

社長は悪い人というわけではなかったと思う。多分、何とか私も頑張ってもらおうとは思ってたんだと思うけど、仕事という厳しい現実の前に不条理なまでに厳しくする事になってしまったんだろう。ともかくも、病院には行かなかったので診断されたわけでもないが、おそらくは私は鬱病に近い状態に陥ってた。次に転職するまで、ちょっとした個人的仕事実家の援助で食いつなぐこと三年掛かった。退職するまでの2年くらいは毎日死ぬ事を考えたけど、既に子供もいたし、死の選択は許されなかった。

 

・・・・というより、私は今生きている。そして、あんなに酷いパワハラ状態だった会社での事が、実は様々に今の仕事に生かされている。パソコンとかもそうだし細かい仕事のやり方とか、あるいは社長があの時何故罵詈雑言叱ってたのかとか冷静に考えて実務に役立てたりも出来ている。私個人体験だけで大きなことは語れないとは思うけど、彼女死ぬべきではなかったと強く思う。生きてさえいたら、まだまだ道はあったはず。無論、精神状態が追い詰められて鬱病になって死を選択してしまうことになってしまうのも仕方ない面もあると思うけど、出来る事なら逃げて生き延びて欲しい。人間は弱いけど、それでもなお強く生きることも出来る、と私は思う。

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