はてなキーワード: 伊藤とは
伊藤みどりの自伝によると、地元のスケートリンクで練習していた頃
伊藤はこのことを
「先生は後輩たちに
『みどりさんがあれだれ怒られているのだから自分たちも頑張らなきゃ』
と思わせようとしてあえて厳しくしていたそうです」
と書いている。
「娘を弟の前で厳しく叱り、最後にお尻を叩いたりしている。
それを見て弟がピリッとする効果もあると思う」
というのを最近見た。
立場が上の人が叱られているのを見て、下の者が気を引き締める効果はあるだろうか?
私に限って言えば無い。むしろ
「あの人があんなに怒られてるんだから、私なんて大したことない。
私より恥をかいている人がいてよかった」
と安心する。
これは私がクズだからで、他の人は気を引き締めるのかもしれないか。
どちらにしろ、最近は「人前で叱って恥をかかせるのはむしろ逆効果」という考えが
少しずつ広まりつつあるので良い事だと思う。
いやこれ凄いな
未履修からのロースクール入学で司法試験1位合格って相当優秀だろうに(しかも社会人経験もばっちり有りなので勉強しか出来ないガリ勉って訳でもない)
それでも裁判官検察、大手どころか中堅の法律事務所も全部落とされるのか…
最近は社会人からの予備試験ルートの司法試験合格も盛んに宣伝されているけれど
実際に受かったとしても年齢が高ければ門前払いだって事がよーーく分かった。
そりゃあ戸籍を偽造してでも若く偽りたいと思う人が出てくるのも無理もない。
だってどれだけ苦労して実績を上げるよりも、戸籍の生年月日を若返らせる方が有効なんだから。
『ITコンサルから転身、32歳入学で司法試験1位合格 ロースクール1期生・伊藤弁護士が語る「キャリアの多様性」』
「裁判所や検察庁、大手法律事務所は、若い合格者を優遇して採用しようとします。自分も司法試験後に大手・中堅法律事務所に応募しましたが、ことごとく落とされましたから(笑)。学生がそこで活躍したいと思ったら『若いうちに合格するしかない』となってしまうのも無理ありません」
ポッドキャストのN93という枠で若手芸人が5組がTBSラジオの地上波枠を目指している。
月曜はきしたかの、火曜はパンプキンポテトフライ、水曜はカナメストーン、木曜はカラタチ、金曜は金の国
月初に順位が発表されるが、順位も内容もきしたかのが1位を独走していたが、10月はきしたかのとカラタチが同率1位に。そこでカラタチの番組を聞いてみると、相席スタートの山添ネタで振り切れていた。面白くなってきましたね。きしたかのは、オズワルド伊藤のモノマネをする岸と瞬発力のある高野がいい感じでコーナーも面白い。金の国は高校、大学と野球しかやってこなかった渡部おにぎりが世間一般常識とズレている部分を深掘りしてさらけ出してくれることに期待。なんか恥ずかしがってないかい?ビーチのことミーチって言ってんだから、ネタはいっぱいありそうなんだけどな。Uber eatsのデリバリーをしているところ見かけられて何で隠すかな?笑顔の裏にある狂気と短気気質でいろいろやらかしていそうなのに
草津で「市長からのレイプ被害」を訴えていた女性元市議が、公判で被害訴えの虚偽を認めた。
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fwww.jomo-news.co.jp%2Farticles%2F-%2F369213
まだ判決は出ていないものの、公開された公の場で、何ら強制・強要されておらず自由に陳述できる場で自ら虚偽を認めたのだから、レイプ被害の訴えは虚偽だったと確定したとみていいと思う。
当時、被害訴えのニュースを見たとき、「町長という要職にある者が強姦して、町ぐるみで被害者を抑圧して隠ぺいとは!なんて酷い!」と義憤にかられて多数のブコメ欄に草津町長・草津町議会・草津町そのものを批判するブコメ(今見ると誹謗中傷・侮蔑と言われても仕方ないかもしれない)を書いてしまった者として、同じ過ちを繰り返さないためにどうしたらいいか考えたのでメモしておきたい。
・2者が争っているときは、片方だけの主張を鵜呑みせず、両者の主張を受け入れる
これが最も基本だが、最も難しい。
「自分と同じ女性が」「男女では弱い立場にある女性が」「市議対町長という弱い立場で」「強姦というセンシティブな被害を勇気を出して訴えてる」という片方に肩入れしてしまう状況があり、どうしても相手(加害者男性=被疑者=今回は無実の冤罪被害者)の主張は「汚らしい言い逃れ」と判定してしまう。
本来なら、刑事裁判で有罪判決が確定するまでは「無実の人」と見なければならない。せめて「疑いをかけられてるだけの被疑者」として見なければならない。でもどうしても実際に強姦した「加害者」として見てしまう。
よほど怒りの感情(義憤)を抑えて、理性で考える習慣がついてないと無理だ。
では内心で「加害者」として見てしまったとき、今回のような冤罪被害を出さないためにどうしたらいいか。
・刑事裁判で有罪の結果が出るまでは、被疑者を批判・攻撃するのを抑える
内心では「加害者」として見てしまっても、そう呼んでそう扱うのを自制する。「被害者」に同情して応援することに徹して、「加害者への加害欲」を抑え込む。せめてそれはしたい。
今回は虚偽と判明した後だから「そらそうだね」と納得する人が多いだろうが、例えば伊藤詩織対山口敬之の件で最高裁判決(民事だが)が確定するまでそうできたか、今係争中の自衛隊のセクハラについてもそうできるか、と言われると、やっぱり難しい。
どうしても「原則はわかるが、この件は別、あいつ絶対犯人だもの。制裁されるべきだ。公に制裁されないなら自分がしてやる。」と考えてしまう。
また草津町のような事例が出てきたら、伊藤詩織さんや自衛隊セクハラと同じ流れで「加害者」を攻撃してしまうだろう。うーむ。
・被害に対する疑問の指摘を「セカンドレイプ」とレッテルを張って封殺するのをやめる
被害の訴えに対し、根拠を示さず「嘘だろう」というのなら、それはセカンドレイプと扱ってもいい。
でも、「こんな状況で強姦なんてできないよね」「加害した証拠はないよね」「被害を受けたなら警察に訴えたほうがいいよね、警察に訴えないのおかしくない?」という疑問の声に対し、「(現実的に無理な状況を設定し)これなら強姦できただろう!被害者を疑うのか!」「証拠はもう消えてしまったんだ!本人の証言こそ証拠だ!被害者を疑うのか!」「警察は男の味方で根掘り葉掘り当時の状況を聞いてセカンドレイプしてくるから躊躇してるんだ!被害者を疑うのか!」「「「これはセカンドレイプだ!二重の加害だ!黙りなさい!」」」というのは良くない。じっさいに草津町のブコメ欄で多数あった。
そして伊藤詩織さんのブコメ欄でも、自衛隊セクハラのブコメ欄でも多数あった。前者はもう嘘とわかってるから「あれは良くなかったな」と考えられるが、後2者に対してもそう思えるかというと・・・無理だな。やっぱり「被害の訴えを嘘と扱うセカンドレイプ」に見えてしまう。うーむ。
・当時、草津町長・草津町議会・草津町を批判・侮蔑・攻撃した人たちは、同じだけの熱量と規模で撤回・謝罪・反省をする。
自分も含めて、「一人が強姦被害を訴えている」だけを根拠にそれを鵜呑みし、無実を訴える町長を性犯罪者だと決めつけ、ネットの外野である我々より両当事者の事情や主張に詳しい地元の有権者と議会(多数の女性含む)が「あの訴えはおかしい」と判定してたのに、「人権意識の遅れた田舎者による女性への抑圧」と決めつけて頭ごなしに否定し切り捨ててた。
立候補時に居住地を偽ってて町内での居住実態がないことを理由にリコールされたのに、被害訴えへの報復だと決めつけて「#セカンドレイプの町草津」とハッシュタグを作ってSNSで町全体への誹謗中傷を拡散し、はてブでも「二度と草津には行かない」「女性差別・女性加害の蔓延する遅れた田舎」「町ぐるみで狂ってる」「地獄の町」と口汚さを極めた誹謗中傷バッシングのブコメを付け合って、草津を侮蔑すればするほど偉い、と正義感からの加害欲が暴走して大盛り上がりしていた。(今思うとデマによる集団ヒステリーで完全に狂ってた。反省。)
女性町議の支援者は「加害者」を告発する記事を書いて誌面に公表し、著名なフェミニスト活動家達は草津を糾弾する長文を寄稿し公表し、女性町議を支援する全国フェミニスト議連は記者を集めて大々的に記会見を開いて草津町を糾弾した。
それだけの事をやって、一言「間違ってました、撤回します。被害者(レイプ被害者でなく冤罪被害者)に謝罪します。」と一言コメントではバランスが取れてない。(それすらせず、虚偽が判明した今ダンマリで虚偽判明を見て見ぬふりをしてるのは最低最悪で、今後そんな個人・団体の主張は二度と取り上げるに値しない)
大々的に新聞一面で報じておいて、誤報とわかると社会面の片隅の小さな3行記事で撤回謝罪する新聞と同じだ。
2ページの記事で糾弾したなら、2ページの記事で反省の弁をのべ、過ちの原因究明をし、謝罪撤回すべきだ。5000文字の文章で糾弾したなら、5000文字の文章で謝罪撤回すべきだ。10のブコメで口汚く攻撃したなら、10のブコメで自分を厳しく批判し謝罪撤回すべきだ。記者会見を開いて糾弾したなら、同じだけの記者を集め同じ時間をかけて記者会見を開いて謝罪撤回すべきだ。
そのうえで冤罪被害者に直接頭を下げて謝罪し、冤罪被害者が受けた損失を賠償補填してはじめてプラマイゼロとして扱えるだろう。そこまで自身で「冤罪攻撃」への負担(自己罰)を背負わなければ、また同じ事を繰り返すだろう。
私がいま長文を書いてるのはその一環だ。
実際にいろいろ検討してみて、実効性のある再発防止策はとても難しいとわかったが、そのような難しいテーマを扱ってるんだ、という自覚は常に持っておきたい。
■いきなり結論
正直、ホモサピさんの中の人である伊藤くんが結婚しようが不倫しようがどうでも良かった。
令和版さかなクンさん、あるいは令和版でんじろう先生を感じさせる、「ホモサピさん」というキャラクターを延々と見ていたかった。
それをブチ壊したのは他の誰でもない避妊をしなかった&不倫した伊藤くん自身なんだけども。
でもそれは伊藤くんだけが悪いわけではなく、周囲にも…というか奥さんが元凶なんだろうな正直思っている。
■お前は誰だ
ホモサピさんのことは元気先生の助手だった頃から知るイチ視聴者。
2021年頃から本格的に親子で動画を楽しみに視聴していた層。
■ホモサピ
親子ともに博識で生き物好きなところをリスペクトしていた。
好青年で喋り方にも気をつけていたり生き物への向き合い方が誠実な一方で、ゲテモノ喰いなど常軌を逸脱した行動をするギャップだったりテンポの良い編集が最高に面白い配信者だった。
8ヶ月の乳児を育てる妻と別居中に19歳地雷系女と不倫したことをコレコレから暴露される。
ホモサピさんは動画を面白くするために個(伊東くんの顔やプライベート)を極力出さないようにする人だった。
それなのに2022年9月、突如「撮影するためにわざわざネイルした女性との手つなぎ指輪写真を投稿しての結婚発表」。
「この奥さんは『ホモサピさん』というキャラクターを潰すタイプの人だ」と何となく察しがついていた。
その悪い予感は的中して、2023年8月、奥さんが夫ホモサピさん(伊東くん)のXアカウントを乗っ取り「離婚した」と投稿。
それが原因で別居…など。色々あるが、プロ彼女とは対極にある人だと感じた。
なぜそんな人を伴侶としたのかというと、恐らくではあるけども、ホモサピさん(伊東くん)は本当に生き物以外のことは無頓着で流されるままそうなっていったんだろうな、と思う。
女運がなさすぎる。
■何が悪かったのか
イチ視聴者としては本当にどうでも良かったので、やっぱりそもそも伊東くんの結婚発表が要らなかったと思う。
ホモサピさん(伊東くん)にとって、目茶苦茶怖い人だったのではないか。
サレ妻を責めているわけでない。
悪いのはホモサピさん。
でも本当に女運がなさすぎる。
■今後の提案
「ホモサピさん」の動画は素直に面白いからこれからも観ていたい気持ちはあるが、不倫した伊東くんを見たくないので二度と親子で観ることはないだろう。
「ホモサピさんの中の人は不倫した人」「子供向けにビジネスをしておきながら子供の夢をぶち壊した人」っていう印象のせいで親子で素直に楽しめなくなってしまった。くやしい。
なのでホモサピさんは今回の反省を活かして、何年後かホモサピさんのことを皆が忘れたタイミングで生物系vTuberとして転生して動画を配信してほしい。中の人が伊藤くんである旨は絶対にはバレないようにして。
それで二度と己の子供や全国のホモサピキッズを悲しませないようにしてほしい。
■あとこれは完全に余計なお世話だけど
Xでも似たようなことをつぶやいている人が結構いるけど、彼はアスペルガー症候群の偉人によくあるような、一芸に長けているけど人として何かが欠けてしまっている人だと思う。
そんな人に対して「普通」を求めるのは酷だし、本人の能力を潰してしまう。
本当にもったいない。
■締め
それをブチ壊した本人とその周囲が憎い。
という話。
今後伊藤くんの動画を親子で観ることは二度と無いだろうし、購入した著書も売る予定。
子供はまだ幸い低年齢なので、半年もすればホモサピさん(伊藤くん)のことを忘れることができるだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9B%E6%9C%88%E8%A1%A3%E5%A1%91%E5%AD%90
を観てきた。
主演の伊藤英明のビジュアルと、数年前の大河ドラマ『麒麟がくる』における伊藤氏の役どころが素晴らしかったため、今回もそれを期待して行ったわけである。
あらすじは公式ホームページにあるが、
https://stage.parco.jp/program/aviewfromthebridge
ステレオタイプなジェンダーロールに拘泥し家長として振る舞うエディ(伊藤氏)とその妻ビー(坂井真紀)、妻の姉の娘でエディが愛してやまず、成長してなお家に縛り付けられているキャサリン(福地桃子)、そして妻の従兄弟でありイタリアから不法移民としてやってくる兄弟、マルコ(和田正人)とロドルフォ(松島庄汰)の物語である。
で、何が書きたいかというと、よくわからない観劇体験をしてしまったという話。
冒頭は、狂言回しの弁護士(高橋克己)の澱みないモノローグで始まる。その後幕が開き、幸福な頃の一家の姿が描写されるが、伊藤氏が口を開いた瞬間に強い違和感が襲ってくる。
棒読みだ。
言葉の一つ一つが、『セリフ』として意味を持たず流れ落ちていく。
キャサリンは帰宅した叔父の胸に飛び込み、絡みつくように抱き合う。不穏さを感じさせる、目に焼きつくほど無邪気な愛の光景と共に、低音で棒読みのセリフが流れ落ちていく。
劇が進行し、過保護に育てられ男を知らないキャサリンは、初めて目の前に現れた若い移民の独身男性・ロドルフォに一目で恋に落ちる。エディはロドルフォが『カマ野郎』(ママ。70年も昔の戯曲なのだ)であると言いがかりをつけ、そんな男に姪が奪われてなるものかと旧知の弁護士の元へ駆け込んだ。「法にできることはない」と窘める弁護士に激昂した口調で激しく詰め寄る。激昂した口調で激しく詰め寄っているのにも関わらず、セリフは相変わらず流れていく。会話が成立していないのだ。
高橋克己演じる弁護士は、本能的かつインモラルな嫉妬に駆られた男を前にした常識人というより、意味を持たない言葉の奔流の前に、言語の限界を知って戸惑い立ち尽くすインテリといった様相を呈してくる。
ビーを演じる坂井真紀氏は、妻として夫に寄り添い、あるいは向き合う姿そのままに、崩れがちな家庭の場面を立て直そうとしていたが、やはり圧倒的に流れていく主演のセリフ量の前には勝てない。
ロドルフォとキャサリンとの会話は慣れてくれば違和感がなかったが、おそらく物語の構造上、その若き二人は、そもそも一人の人間として彼に見られていないためだ。だから会話が成立しなくても大丈夫なのだ。
しかし今度はそのせいで、二人がエディに向ける愛や憎悪、困惑に一切の重みがなくなってくる。あの純粋に不可解な言語の羅列に対し、何を真っ当に苦悩しているのだ、という感じがしてくる。
そしてその異様な不協和音を抱えたまま、劇は終盤の悲劇へなだれ込んでいく。
失礼なことばかり書いてしまったが、伊藤英明氏はおそらく演技が下手なわけではないと思う。「演技の適性がピーキーすぎる」だけだ。正直動きだけで言えば他の役者の方が怪しいところもなくはなく、伊藤氏がそれをカバーしていたところもあった。
エディのくたびれた労働者の姿態、日常的に男らしさを意識しつけた一挙手一投足、戯れにロドルフォにボクシングを仕掛ける時の軽やかで悪意を秘めた動きと笑い、嫉妬を滾らせて部屋の隅に沈み込んでいる姿の不気味さ。舞台映えしないとは決して言わせない長身も相まって、エディという男そのものを見事に、しかも色気と悲哀を横溢させて表している。
ただひとたびセリフを発すると、演劇空間の位相が容赦無くズレ出してしまう。
パンフレットを買えなかった(持ち帰る袋がなかった)ので薄い理解ではあるが、アーサー・ミラーの脚本は、シンプルに受け止めれば、移民への差別意識問題と女性の自立・連帯の問題をからみつけつつ、家父長としての姿にこだわる男の自尊心と、その体面の下に押さえつけられた欲望を鋭く抉り出したものだろう。
ただそんな真っ当な狙いを外れて、主演のセリフの大半が機能しない状況で、この舞台は圧倒的な不条理劇として立ち上がってくる。冒頭の弁護士のモノローグで、ギリシア悲劇的な『条理』は示されているにもかかわらずである。
繰り返されるエディの「尊重されたい」という言葉は発されるそばから空疎になり、なんの意味も持たずに空を彷徨う。圧倒的な空疎に対して周囲は嘆き、怒り、困惑し、愛を語り、そして悲劇を止められないことをなぜか勝手に悟る。
そしてその空を彷徨うような言葉で表される自尊心に怒りを掻き立てられ、エディはあまりにも無意味で不可解な死へと突っ込んでいくのである。伊藤氏の怒りの演技は見応えのあるものであるが故に、その怒りの根源が空虚でしかないという不条理性はいや増していく。
そして唐突に死んだエディを、役者たちは無表情で見下ろす。我々の中に紛れ込んでいた全くの異分子がやっと去った、という解放感さえ浮かべて。
それはとりもなおさず、エディが脚本上囚われていたすべてのものの虚しさを示す、メタ的かつ正確な表現に他ならない。
あるいは、棒読みの彼こそがリアルな人間であり、周りの役者たちを「芝居がかった偽物たち」と捉えることさえできる。
人間の感情を言葉で表すことなど到底無意味であり、根底にあるのは超言語的な(本能的な)愛と嫉妬、憎悪だけだ。それでも周囲の「芝居がかった偽物たち」とエディは、無意味で空疎な言葉でコミュニケーションする他ない。そして彼は己のものでない空虚な言葉で己を取り繕い、縛り、孤立し、ついには偽物たちに殺されてしまう。
この姿が、あらゆるイズムに囲まれた現代人の戯画でなくてなんだろう。
つまりこの劇を伊藤英明の演技が不条理劇に昇華することによって、今回の舞台は一応の成立を見ているのである。
幕が降りた後、私はいい観劇体験をしたのかどうか一考した。期待していたものではなかった。しかし無ではない。あのエディは間違いなく、ただ達者な役者が演じるよりはるかに深みのある造型をしていた。よくわからない観劇体験だったが、今私にこれほどの長文を書かせるほどの体験ではあった。
オレオレFCは7日、DF伊藤とDFレナト、DF石田の負傷を発表した。
伊藤は神戸をPK戦の末に破った8月30日の天皇杯準々決勝でスタメン出場し、延長戦で右足を負傷。診断の結果、右足腓骨骨折、右足首関節靭帯、右足リスフラン損傷で9月3日に手術を受けたと発表。全治6カ月程度を要する見込みで、今季の復帰は絶望的となった。
また、DFレナトは8月25日のトレーニング中に負傷。診断の結果、左ハムストリング肉離れで全治6週間程度を要する見込みと発表。石田は9月3日の練習試合で負傷し、左足首関節捻挫で全治4週間程度を要する見込みと発表した。
伊藤は今季トップチームに昇格。リーグ戦は14試合に出場し、1得点。レナトは同5試合に出場。石田は同10試合に出場している。
PK戦
オレオレFCがPK戦までもつれ込んだ激闘の末にヴィッセル神戸を破り、クラブ史上初の4強入りを果たした。0ー0の後半17分、MF前田のゴールで先制点を奪ったが、終了間際に追いつかれ、延長戦へ。DF伊藤が相手との接触で負傷退場するアクシデントに見舞われながらも、守り抜くと、PK戦ではGK松尾が二人を止めて試合を決した。
5人目のMF鈴木潤が決めた瞬間、クラブ初の4強入りが決まった。神戸との大一番。延長戦で負傷者を出し、10人になるアクシデントにも負けずに耐え抜き、最後はタレント軍団を押し切った。鈴木潤主将は「苦しい試合でしたが、みんなで我慢しながら、耐え抜いて、みんなで塗り替えた歴史なので嬉しいです」と喜びを噛み締めた。
26日横浜FM戦から中3日の神戸戦は、先発6人を入れ替えた。他クラブで出場していたFW植村、MF藤崎は天皇杯は使えず、FW浅田やMF子安が代役を努め、システムを3ー3ー1ー3で臨んだ。球際の強さで負けず、時折カウンターで神戸ゴールに迫った。
後半、現在得点王のFW大迫勇也が投入すると、野河田彰信監督はDF奈良田を投入して4ー4ー2にシフトチェンジし、ブロックを形成。後半10分にはMF森下、FW森永を投入して攻めの圧力を増やすと、後半17分だった。MF森下の浮き球のパスに反応したMF前田は「ゴールしか狙ってなかった」と左足で冷静にゴール左隅に決めて先制点を挙げた。
しかし後半終了間際に追いつかれると、延長戦は終始神戸ペースに。延長後半3分にはDF伊藤が相手との接触で右足を負傷し、10人となったが耐え抜くと、PK戦ではGK松尾が2人目のFW武藤、4人目のDF大崎のシュートを止めた。「自分が止めれば、先輩達が決めてくれると信じていた」。高卒1年目ながら、今季16試合に出場も、負傷もあり最近はベンチを温める日々を過ごした生え抜きの背番号31が意地を見せた。
昨年まで2年連続17位、主力の相次ぐ大量流出やフロントとの確執などで、チームは揺らぎ、開幕前の練習試合ではJ1湘南やJ2磐田、清水、J3沼津に6失点以上の大敗。「断トツの最下位、J2降格間違いなし」との厳しい評価が多くを占めた。それでも野河田監督のもと、チームは若い力の躍進でリーグ戦3位、ルヴァンカップはグループステージ敗退に終わったが、天皇杯では昨年王者・ヴァンフォーレ甲府を下すなど、2年ぶりの8強入りを果たしていた。
野河田監督は「相手のミスにも助けられましたけど、みんなハードワークしてたんで。(PK戦は)もうむちゃくちゃしたれと(笑)。クラブの記録を塗り替えたのは、自信になると思いますね」と余韻に浸りながらも慢心なく「ベスト4ですけど、ここがゴールじゃないんでね。あと2試合あるんで、残りのリーグ戦も含めて勝てるように、全力を尽くさなアカンのでね」と話し、即次戦へ切り替えた。
準決勝は柏レイソルを破ったJ2ロアッソ熊本と10月8日に対戦する。鈴木潤は「昨年J2を席巻したサッカースタイルを持つチーム。そういうチームとやれるのは光栄ですし、互いがベストゲームと言えるような試合をしたい」と話した。