はてなキーワード: 相席スタートとは
ポッドキャストのN93という枠で若手芸人が5組がTBSラジオの地上波枠を目指している。
月曜はきしたかの、火曜はパンプキンポテトフライ、水曜はカナメストーン、木曜はカラタチ、金曜は金の国
月初に順位が発表されるが、順位も内容もきしたかのが1位を独走していたが、10月はきしたかのとカラタチが同率1位に。そこでカラタチの番組を聞いてみると、相席スタートの山添ネタで振り切れていた。面白くなってきましたね。きしたかのは、オズワルド伊藤のモノマネをする岸と瞬発力のある高野がいい感じでコーナーも面白い。金の国は高校、大学と野球しかやってこなかった渡部おにぎりが世間一般常識とズレている部分を深掘りしてさらけ出してくれることに期待。なんか恥ずかしがってないかい?ビーチのことミーチって言ってんだから、ネタはいっぱいありそうなんだけどな。Uber eatsのデリバリーをしているところ見かけられて何で隠すかな?笑顔の裏にある狂気と短気気質でいろいろやらかしていそうなのに
結構好きでよく見てるんだけど、ラヴィットにはお約束がかなり存在すると思った。各々が固定化されたキャラを全うする感じ。相席スタート山添、見取り図森山、ギャル曽根、丸山と本並、誰を思い浮かべてもラヴィットにおける振る舞いがパッと思いつく。
同じような仕組みは笑点でも見られ(俺はちょっと昔のしか知らないけど)、圓楽が歌丸をじじい扱いする等笑点には大量のテンプレが存在してそれが繰り返されるたびに、観客や視聴者も笑うという形でテンプレで返すみたいな。
同じですよねコレ。両者とも和を意識することが非常に大切で、輪の中に入れてもらうことでその番組に馴染むことができる。ラヴィット"ファミリー"とか言っちゃってんのはこのことを示してる。
というようなことを、以前ウエストランド井口がゲスト出演した際、あらゆることに噛み付きまくってとんでもない雰囲気にしていたときに考えた。ラヴィットは芸人がのびのびやれる場所というよりかはそれ自体が一つの共同体として存在しているのだ。
http://papapico.hatenablog.com/entry/2018/12/06/125644
このぱぴこさんの記事をはじめとする相席スタート山崎ケイの「ちょうどいいブス」論批判を読んで。
私は批判してる人たちみたいに賢くもタフでも正しくもないのでまとまりないですけど。
「そんなことないよー!」待ちとかじゃなくてさ。
美醜ってそこそこ歴史の積み重ねられてきた強度のある価値観で、資生堂あたりが「美人バランス」に基づいたメーキャップ提案なんかする程度には明確な基準があるわけでしょ?
そこに照らし合わせたら、明確に私は美しくないし、ブスなんですよ。客観的な事実として。
30年くらい生きてたらそれはもう揺るぎない事実として理解しますよ。
そこで事実として「ブスなんでね」って話をしてるのに、アリアナグランデに「そんなことない! あなたは可愛いわ!」とか言われたって、いやいや、今そういう話してねえから。
可愛いとかマインドの話じゃなくて物理的な、造形の話をしてるわけだから。
自分のことは好きですよ。でも自分最高!と「私はブスである」という自認は別に普通に両立するじゃないですか。
っていうとまた「自分に呪いをかけるな!」とか言い出す人が現れるんだろうけど。
呪いを解除せよ!って言いまくってる人たちが逆にスピった人とかカルトの人みたいで怖い。押し付けがましい。
ささやかだけど住み慣れた我が家のリビングで寛いでたら知らない人がいきなり「この家は呪われてますよ!!」って上がり込んできた感じ。いや、そういうの興味ないんで…
とか言っても「あなたはまだ洗脳されてるだけ!私も目覚めるまではそうだったの!」みたいな反応されるだけなんだろうな…そういう話の通じない感じまで含めて本当にもううんざり。
つか、「逃げ恥」ってそんな絶賛されるほどの作品か?? 面白かったけどさぁ。
そもそも星野源こそを「ちょうどいいブス」としてサブカル女の皆さんは慰み者として消費してきたわけですよね?
「イケメンすぎるのは無理」「程よくクズの香りがするところがいい」とか言ってさ。
たまたま星野源は音楽の才能もあったけど完全に俳優仕事から人気先行してる以上そこは否定させませんよ。
メイクしたりオシャレしたり自分を肯定するのは楽しい、気分がいい、それはわかるけど「美容によって救われた、自分を肯定できた」「わんわん泣いた」とか言い出してるのもう自己啓発サークルの告白タイムみたいで引く。
そこまで入れ込むか?みたいな、もっと気楽にメイクしておめかしして楽しい、くらいのノリじゃダメなんですか?
モテ至上主義に反対するあまりにモテ意識する人を叩きはじめてるし。
たぶんぱぴこさんはじめ、この「ちょうもいいブス」に怒ってる人って、山崎ケイよりかは「ブスじゃない」んだと思うし、自意識も「いうても私は顔立ち自体は悪くないし、まあ美人寄りだし…」くらいの感じなんだと思うんですよ。
それなのに自分にも「ブス扱い」の火の粉が飛んでくるんじゃないかと思って怒ってるんだと思うんですよ。
でもそれはあなたをブス扱いした人に都度怒ればいい話じゃないすか。
ブスがブスと自認してることにまで怒らないでほしいんですよね…
当時は子供だったから知らないけど、酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」が叩きワードとして使われるようになり、当事者から忌み嫌われたときの流れってこういう感じだったのかなって思う。
ていうか、ぱぴこさんめちゃくちゃパワーカップル側の人間じゃないですか?
高学歴で首都圏で暮らして外資系でバリバリ働いて良きパートナーもいて、そりゃあ自己肯定感もバリバリだし、古臭い日本のお笑い的価値観とかルッキズムとか自虐ブスとかにNo!突きつけられますよ。
でも相席スタートとか「ちょうどいいブス」概念ってそういう層の人向けじゃないからさ、最初っから。
なんでここでは「Not for me」発動されないの??
まぁそういう「古臭いクズの世界」の理屈が通じない書籍出版とかした山崎ケイが浅はかだったって言われたらそうなんだろうけど。
自分の力でそっち側になれなかった人間に対しては「うるせえ!自分の頭で考えてサバイブしろ!」って言い出すんでしょ?
あげく山崎ケイなりにサバイブした形なのにそれすらダメ出しされるって、もうどうすりゃいいんですか。
それこそ「どう転んでも地獄」じゃないですか。
強く正しく賢く誇らしく自分をエンパワメントし続けないといけないの、しんどい。
醜く頭も悪いキモくて金のないオバさんは辛い。
ていうかこの空気にこそ、
「政治的に正しい私たちがこの愚かで無知なブスを啓蒙してやるッ!」
「名誉男性になりたがる、古臭い価値観の馬鹿のくせに生意気にも持論を語り始めたブスを矯正してやる!!」
みたいなノリを感じて、ブス、恐怖ですわ。
見た目自虐ネタ、全部が悪いとは思ってない。
よほど行ききってない限りつまんないんだよな。
みてる側も、これで笑っていいのかなと罪悪感覚える時代になってるし。
例えば、アインシュタイン稲田とかレベルはもはや一芸だからどんどんやれって感じ。
トレンディエンジェルも明るいから笑うことに罪悪感を覚えない、だから良い。
ミキのこの前の漫才も、同じく見た目自虐ネタではあったけど明るいし、
お兄ちゃんどころか普通の人全員ダメなシチュエーションだから、
というわけで自虐ネタは、
「ネタにできるほど飛び抜けて面白い見た目じゃない人がやると安直になるので注意」
「見てる人が笑うことに罪悪感を覚えるようなリアルな設定だと暗くなるからだめ」
の二つを守らないといけないのかもなと思った。
見てる側に罪悪感があって
「いや、そんなにブサイクじゃないし…」ってフォロー入れたくなる。
見た目が面白いのは間違いなく一芸だし、使っても良いけど、
見てる側が嫌な気持ちになるのでやめてほしい。
生々しいんだよな。