はてなキーワード: 中毒とは
やり始めると止まらない。凝り性というか、ハマり症というか、1つのゲームを始めると、ある程度自分が納得できるまではプレイし続けてしまう。
色々なジャンルに手を出すが、うまい方ではないので、動画を見て真似たり、攻略情報を検索したり、SNSのゲーム仲間に聞いたりしながらなんとか自分なりのスタイルを見つけてクリアを目指す。
最近のゲームはクリアしても2週目要素があったり、やり込み要素があったりするのでなかなか終わりが見えない。1つのゲームのプレイ時間が数百時間を超えることも良くある。土日は1日8時間ずつ、平日は2-3時間ずつで週に30時間。1ヶ月で120時間。1年で1500時間。3ヶ月に1つハマるゲームがあれば、年4本はやり込みプレイができるし、隙間時間でちょっとしたゲームをやればさらに数十本。
ゲームの良いところは、よく言われるように気軽に達成感が得られることや、自分の成長が感じられるところ、自分の手の動きが画面に溶けて、無心になっていくこと。やり込み仲間を見つけて良さを語り合い、また次の楽しみを見つけていけること。
一番恐ろしいことは、飽きること。やり込みをしながら、画面に溶けた自分の手が段々と身体に戻ってきて、ゲームをしながらスマホ画面を頻繁に見るようになり、飽きていることが実感できるようになる時。特に、そんな状態で次にプレイしたいゲームが見つかっていないとき。昔やっていたものを引っ張り出して少しやっては、何か違うとまた探す。中毒の禁断症状とはこんな感じだろうかと思いながらも、手や頭は次のゲームを探し続ける。
飽きてしまった夕方、カーテンを開けたままの窓から濃い色のグラデーションが見えて、その色の鮮明さに驚きながらも画面の中に次の居場所を探す時。プレイできる時間、制限と自由度、プレイヤー人口、オンラインの賑わい、メタスコアの星の数、SNSの評判と開発者インタビュー、制作会社の実績。秋の夜空の星の数ほど楽しみが増えれば、こんなに恐れなくても済むのに。
コメントしてくれた人の微弱の快楽についての記事を読んだ。自分の中にスッと落ちた。このよくわからない感情を理論的に説明され、とても納得した。対処法の音楽を聞くを実践してみたが、とても良い。この方法を続けてみようと思う。
次の課題は寝る時間。私は実は平均2時に寝ている。4〜5時になることもある。何をしているかと言うと、好きなアイドルのエゴサをしたり、韓国ドラマを見たりしている。ここでやめよう、やめようと思ってもやめれない。いつのまにか朝日がってことがよくある。不眠症というわけではないが、エゴサや韓国ドラマに集中すると、いつまででも起きていられる。寝なきゃいけないのに、あー暇だなあという謎の感情が起きる。なんども夜はスマホを触らないと思ってもいつのまにかスマホをしている。完全に中毒だ。
うるせーばかお前らの怖さなんか知るか。
青少年のセックスしたさ舐めてるのか。女さんがアイス我慢できないのの5倍ぐらいの衝動の上に、アイスの100倍手に入らないんだぞ。
それ言ったら、女さんはセックス恐怖症なんだよね。
問題はだな、「女の生得的な恐怖の感情」と「男の生得的な性欲な感情」を比較して、無邪気かつ無自覚に、前者が優先される、という結論を得てしまっているところなんだよ。
女のことをわかってくれ? そんな話は男のことを理解したいと思っているやつが言えばいい。
出来ないなら殴り合いだな。
っていうか殴り合ってるだろ。それが正しいんだぞ。
正直、関係ない人たちが感情的になりすぎている感はある。別件で行き過ぎている誹謗中傷の発信者や拡散者は訴えるべきだろうね。
別件で行き過ぎてる誹謗中傷の発信者だけでなく、そもそもこの件で激しいコメントを書かずにいられない人間は明らかにSNS中毒なのでしばらくネットを控えるべき。
私もこれに完全に同意。この件ではてなでやたらと正義ぶってイキったコメントしてる人とそれにスター連打してる人間すごく嫌い。全く根拠ないけど「こういう時にしか輝けないクズなんだな」くらい決めつけて悪態つきたくなる。あきらかにいつもと上位コメントのメンツ違うのは事実だしな。「日本学術会議」でも論点が無茶苦茶ずれてるところでワーワー騒いでる人が多いしもう完全に先にどっちの立場に立つのか決めてて後は自分が見たいように見る人たちばっかりじゃん。
はてなブックマークは、ソーシャルの意見を集約する場として、アーキテクチャが最悪だ。普段はけん制しあってるから多少マシだし、今回のように暴走していても人数が少なくて影響力が小さいからそんなに問題になってないだけで、はてブなんか使ってたらどんどん口が悪くなっていてていずれ増田でしかつぶやけない人間になる。
うんこが漏れる寸前の状態で汗をだらだら流しつつ小刻みに震えながら歩いていたところで、薬物中毒者と勘違いされたのかしらないが警官に職務質問されたことがある
「いや、時間ないんで、本当にもう漏れる寸前なんで」とめっちゃ焦って言い訳したことで更に疑いの目で見られた
そして警官に「ちょっと話聞かせて」って言われたところで肛門が無事決壊
ただここまできても警官は「薬物中毒でおかしくなって漏らした」「漏らして誤魔化そうとしている」と考えていたようで、うんこが漏れたままの状態で所持品を検査されとりあえず無罪は証明出来た
「なんで漏らすまで我慢してたの?」と呆れながら聞いてくる警官
「この状態で自宅まで帰るのは無理、漏らしてしまった一因は警察にもあるのでパトカーで送って欲しい」と相談するも「車内が汚れるし臭いから無理」と却下された
仕方なく近くの公園の手洗い場でズボンとパンツを洗っていたら、公園で子供を遊ばせていたママ友たちが警察に通報したようで、また先ほどの警官がやってきた
日蓮宗系の2世です。今はもう宗教を信じてないけど、だいぶ長い間宗教を信じてた。ちなみに今は21才
思い込みが激しすぎたのがこの長さの原因だと思う。人生もっと楽しい生き方があったかもな〜と思うよ。順を追って話すので暇だったらよんでってくれー
まず小学生から中学生まではひたすら神とか仏を憎んで生きてた。
嫌いだった理由は祈るのがめんどくさかったのとマザコンだったから。
朝と夜に何十分も正座しながら唱題して、休みの日には結構な頻度で寺に行って、その寺でまた1時間は正座して唱題する。めんどくさかったなぁ。
マザコンだったからっていうのは、母親が熱心な信徒で、神様に親を取られたような感じがして嫌だったから。幼児期には誰にでもある分離不安症がねじ曲がって神様に向かったのかもしれない。
…………………………そう!嫌いになる動機が無茶苦茶弱いんだ!正直俺がアメリカとかヨーヨッパとかの当たり前に信仰がある国に生まれてたらこんなに悩まなかっただろうなって思ってる。
こんなクソ弱動機なのに、なんで高三になるまで宗教のことを考え続けられたのかというと、まぁ、負の感情には中毒性があるからだと思う。あと毎日やることがなくて暇だったからかな。野球とかサッカーとか活動の多いことしてればこんなこと考える時間もなかったんじゃないかなと思う。もしもの話が多すぎるな笑
中三くらいまでは神様のことが怖かった。俺はサンタクロースを信じてる中学生みたいに、神様を信じてる中学生だった。すごく痛い。神様嫌いだなぁって思うだけでも罪だったから、俺は地獄に落ちるしかないんだと思って絶望して生きてた。中二乙www
神っていないんだなあって思ったきっかけがNAVER まとめで同じ宗派の元修行僧が修行からドロップアウトした話を読んだ時から。中3くらいでした()
話に出てくる場所の描写がめちゃくちゃリアルで自分も見たことがあることを話してたからこの話は本物だと思ったよ。元修行僧は集団生活が嫌になって辞めたようで、この宗教のこと自体は悪く言ってなかったなぁ。
中三で神はいないって気づいたのにもかかわらず、宗教関係者とか、人間とか世の中のことが大嫌いになってしまって高校卒業するくらいまで扱いづらい厨二病だった。釈迦もムハンマドもキリストも宗教設立者がみんな嫌いだった()
大学生になってからは親元を離れて寺にも行かなくなって、新しい人間関係で忙しかったりしてどうでもよくなった。
今は親のことは好きだし愛されてると思うし感謝してる。育ててくれてありがとう。宗教をしてる親を尊重してるつもり。世の中の有神論者も無神論者も好きにしたらいいと思ってる。今だから言えるけど、辛い思いをしてる人には宗教とかは心の救いになると思う。人との関わりとか、認知行動療法っぽいところとか。ただ小学生の俺には神のありがたさとか全くわからなかった。生まれたときからただ連れてかれるだけのお寺に心を洗われるとか、スッキリするとか感じられなかった。
比較的上の世代の経営者層の方と話をしていると、よくタイトルのような話題が出る。「来てくれない」ということについては、自分はたまたま周囲に若者が多い環境なのであまり実感は無いのだが、まあ実際若者人口が絶対的に減少しているというのもあるし、「やる気がない」とか「考えていることがわからない」ということについては、多分いつの時代も言われていたことだろうなーというくらいに思っていた。
ただ、最近もうひとつの可能性を深く考えている。それは、時代の急激な変化にあわせて、近現代においては稀なレベルで世代間の価値観に大きな分断が生まれているのでは無いか、ということ。
例えば2008年のリーマンショック。そして2011年の東日本大震災。それらでこれまで積み上げていたものがあっさりと崩れ落ちる体験。そして、少子高齢化がもはや打つ手なくなって日本は衰退の一途をたどるしかないということが共通認識になってきたのも、震災前後と記憶している。
多感な時期にこれらを経験した層が、今「若者」と呼ばれている。その結果、例えば、以下のようなことをぼんやりと考えている人が多いのではないか(仮説1)。
●がむしゃらに働いてもどうせ報われない
●今が一番幸せ。将来は、暗い
逆に言えば、以下のようなことも考えているとも言える(仮説2)。
●経済優先にこだわりすぎず、もっと多様な価値観を大切にしたい。
●大企業も倒産する世の中で、本当に安心できる生き方を探したい。
●暗い未来を、なんとか変えたい。
この感覚は、旧来の価値観を捨てられないと、なかなかに理解しにくいのでは無いか。
そこで最初の話に戻ると、「いくらがんばっても若者が来てくれない」「今の若者はやる気が無い」「今の若者は何を考えているのかわからない」という悩みは、上記を理解し彼らの考えに深く寄り添うことで多くの場合解決できる。つまり、「やる気が無い」のではなく、「努力の方向性がこれまでの世代と全く違う」(仮説3)ことを受け入れる必要がある。具体的には、以下。
●お金や昇進だけでなく、別の希望も併せて叶えてあげたらいい。
●多様な価値観を認めて、受け入れたらいい。
そんなこと簡単にできっこない・・・と思うかもしれない。しかし、いずれはそういうことをナチュラルに求める今の若者層以降が多数派となって社会を創っていくようになる。厳しい言い方をすれば、そのときに世界から拒絶されるのは今の大人たちの方ということになる。(仮説4)
●処理すべき情報量の圧倒的増加
今の時代は変化が凄まじく早く、行き交う情報量が、20年前とは比べ物にならない。ビジネスの最前線で圧倒的な情報量を処理し続けるには、自ずとデジタルネイティブのほうが有利だと言える。スマホ中毒なんて否定的な言葉もあるが、これからの時代は水を飲んでご飯を食べると同レベルに情報を処理することはプライオリティが高い。
旧来の価値観に基づくニーズはあらゆる分野がすでにレッドオーシャンになっている。一方、上記のような新しい価値観に基づく分野は、ブルーオーシャンである可能性が高い。それらのニーズを実感として理解できている若者層のアンテナ感覚は、より価値がある。
世界に目を向ければ、コロナを前提とした経済の再構築やらDXやら米中の覇権争いや北極海シーレーンやら、混沌が加速することは明らか。
自分はまだ40代になったばかりの新米経営者だけど、もう引退準備を少しずつ進めようと思っている。その代わり、若手の育成に注力する。ノウハウを若手にどんどん移転することで、それらが加速し、より大きな価値が生み出せるのではないか、と思うから。(仮説5)
4 と 5 は関わりたくないですね。理解ができないのと判断能力に問題がありそうと認識しているのでなにをしでかすかわからない
https://anond.hatelabo.jp/20200324160510
保護犬の成犬を引き取った話の続きです。
このご時世なのでリモートワーク暮らしとなって以来、今年初めて飼い始めた犬と接する時間が増え、様々な経験、発見があったのでここに記す。なお俺も嫁も子供の頃から犬も猫も大好きで子供の頃は住宅事情、大人になってからは仕事の事情も加わり一度も飼う機会のないまま歳月が過ぎ、今年念願の初めての犬を飼い始めたのだ。なので「そんなことも知らなかったのか」とか「そんなの当たり前だろ」とか思うことも書くかも知れないがそこはご容赦頂きたい。なお「保護犬と過ごした」と過去形で書いたのは単にリモートワークが終わって今は出社しているからで、犬が死んだわけではない。元気いっぱいである。
嫁は最初から「〇〇〇〇」と名づけて日常ではそれをもじって「〇〇ちゃん」と呼ぶつもりだった。要するに例えば「八兵衛(仮)」と名づけて「はっちゃん(仮)」と呼ぶようなものである。俺は保護施設で呼ばれていた名前の方が本犬が混乱しないんじゃないかと思ったが、実際には杞憂であった。
犬は自分の名前を何となくではあるがすぐ認識した。いやこの犬が並外れて賢いだけなのかもしれないが、響きとアクセントで認識したのだ。窓際のカーテンの下に寝そべる犬を「こうすけ(仮)!」と呼んでもキョトンとした顔でこっちを見ている。だが自分の名前である「八兵衛(仮)!」と呼ぶと尻尾をびたんびたんと床に叩きつけ始める。「はっちゃん(仮)」と呼んでもだ。ただ「こうちゃん(仮)!」と呼ぶと同じようにびたんびたん始めるので、そこまで精密な理解ではなさそうである。そして俺が「呼んだだけだよ」と言うとやがて「用もないのに呼ぶなよ」と言いたげに前足に顎を乗せそっぽを向くか「まあそう言うなって、ほらボールだ」とボールを咥えて寄って来る。
大好きである。ただしこの犬、体重が27キロある。それでもお構いなしに乗ってきて抱っこをせがむ。向かい合うように縦にする抱っこでもいいのだが、人間で言うお姫様抱っこが好きだ。ただし俺たち(特に嫁が)が立った状態では瞬間的な抱っこしかできないことを学んだか、ソファや椅子に座っているときに膝の上に無理やり乗って抱っこさせる。この習慣があるから後述のSkype中での乱入もし始めたのかもしれない。
動物は相当リラックスした状態でもない限り仰向けにならないと思うのだが、この犬はいつまでもお姫様だっこ仰向けになって反り返る。それをこちらがしばらく放置していると顔をこっちに向けて「おい、なでなではどうした」と催促してくるのだ。ちなみにひとしきり撫でてもらうと体を反転して「今度はこっちね」となる。
リモートワークになって以来、家のPCでSkypeを使うようになった。基本的にはチャットを開きっぱなしで通話はあまりしないのだが、たまに通話していると犬が不思議そうに寄ってくるようになった。何か四角い画面に向かって俺がペラペラ喋っているのをずっと観ていたからだとは思うが、やがてあの着信の「ぽんぴんぽんんぴんぽんぴんん(わかる?)」アラームが鳴るといそいそと隣の部屋から来るようになった。始めは遠慮がちに机の下にもぐり込み、俺の膝の間から俺の顔を見上げてるだけだったのだが。やがて俺の膝の上に飛び乗り無理やり座るようになった。
ちなみにこの犬、レトリバーとポインターの雑種と思われ結構大きい。そして俺もやや大柄ではあるものの大型犬を膝で愛でるほどの巨人ではない。と言うことは犬にとって俺の膝の上でこの姿勢は窮屈だしおさまりが悪いはずなのだ。しかし無理やり俺の膝の間に無理やり座ると画面に向かって「こんにちは犬です」とやるようになった。画面の向こうの相手は高確率で「おお!可愛い」と笑顔になっているはずだ。なぜ「はず」なのかと言うと俺の視界は犬の後頭部で阻まれているからよく見えない。
定時連絡も含め一日4~5回のアラームが鳴るたびに犬は家のどこにいても駆け寄って来て、そのうち2~3回はこのように割り込んで来るようになった。
犬は散歩が好きである。もちろん運動が嫌いな犬もいるだろうが概ね犬は散歩が好きであり、うちの犬も好きだ。しかし毎日朝晩の散歩をしているうちに気づいたことがある。それは散歩で大事なのは「距離よりルーティン」であることだ。うちの犬の散歩は道路に出て左に曲がり、家のある区画を一周するショートバージョンと、同じく右に曲がって河原まで行くロングバージョンがあるのだが、いずれのコースのときも上機嫌である。まるでパトロールをするかのように「うむ、この電柱は今日もいい匂いだ。この草むらもいい匂いだ。よしここでうんちすることするからちょっと待ってくれ」と言った具合にだ。蛇足だがうんちしてる所をこちらが凝視していると「何見てんだよぉお前はうんちしないのかよぉ」と、上目遣いのとても情けない表情になって面白いからつい凝視してしまう。ちなみにおしっこのときはそうでもない。
そんな日々のルーティンのコースから、たまに飼い主の都合でちょっと寄り道するため違う道に行くと、犬がこっちを見上げる回数が増える。さすがに踏ん張って抵抗まではしないものの「ん?こっちか?どうした?」と何度も見上げてくる。その寄り道が犬とは関係のない飼い主のランダムなルーティンで、やがてその道を覚えたとしてもそれでも犬にとってはそれは「散歩」から「ご主人のお供」に切り替わるのだ。実際寄り道をすると犬はトイレをしない。
いずれの散歩からの帰宅でも犬は家が近づくと引っ張り気味に前に出て、道路から正確に俺の家に入り玄関でばっちゃばっちゃと水を飲む。そうだよな、わかってるんだよな、ここはお前の家だから当たり前だよな。
好きでも嫌いでもないが、他の犬が吠えても「ん?犬が吠えてるぞ?」と言った様子で相手にせず、おとなしくおすわりしている。だが俺のそばにぴったり体を寄せて座ってる所を見ると緊張はしているようだ。ちなみに俺も嫁も緊張している。獣医に来たのは、昨日の夜の散歩で何かを踏んだらしく後ろ足の猫で言う肉球と呼ばれるゴワゴワプニプニした所から血を流していたからだ。帰宅してからすぐにお湯で洗ったし血も止まったが大事を取って獣医に来たわけだ。リモートワークで良かった。
ちなみにここの獣医は患者を呼ぶとき「増田さん」とは呼ばず「増田さん、犬くん」と呼ぶ。そうして呼ばれて診察室に入ると、いかにも動物大好きって顔に書いてある初老の先生と、奥さんだろうか険しい表情の看護師さんがいる。とりあえずライス国務長官をイメージして欲しい。俺が抱きあげて犬を診察台に載せ、ライスが犬の頭の横から肩にかけてなだめるように撫でると犬も落ち着いたようで軽く尻尾を振った。すごいぞライス。
昨日起きたことを説明して、そしてこの犬の出自や、俺たち夫婦が犬をずっと飼いたくて遂に飼い始めたんだけど飼い方がおっかなびっくりになりがちなことまで話すと、先生はまず犬の傷口を診て「傷もふさがってるし綺麗ですね。問題ないと思いますがしばらく無理させないように」と言ってくれた。そして「僕は犬猫にはどんな症状でも必ずやるんで」と触診を始めた。するとライスが青いピッタリした手袋の包みを取り出して先生に渡すと、犬の向きを変えて正面から軽く犬の上半身を抱く押さえる感じで抱きしめた。「はい犬くんお尻を失礼」と手袋をはめた先生がも尻に指を突っ込んだ。ライスの肩越しから見える犬の表情は絶望的になり「おい!ご主人助けて!こいつ俺のお尻を!俺のお尻が!!」と言わんばかりに、暴れたり唸ったりはしなかった分、目だけが鬼気迫る圧力で必死に訴えていた。
最後に犬にあげてはいけない食べ物リストという小さな紙を渡して診察は終わった。やはり初めて飼うことを伝えておいて良かった。このリストを見ると「まあそうだろうな」という品目が並んでいたので、俺が「これに書いてませんが魚の骨とかはいいんですか?鶏の骨はなんかガラスみたいに胃の粘膜を傷つけるとか聞きますが」と言うと「一番怖いのは中毒です。そのリストにあるものを与えると高確率で中毒症状が出ます。あとはあげ過ぎです。それと鶏の骨の成分で内蔵を傷つけるなんてありません」と言う意味の答えを頂いた。嫁が真顔で「ケンタッキーの骨と〇〇の手羽先はあげていいんですね」と俺の家の食生活をつまびらかにするような質問をするとライスが「あそこの手羽先おいしいですよね!」と笑った。ライスもあそこの手羽先を食べるのか。
実は俺たちはそろそろ子供を作ろうと思ってる。いわゆる妊活って奴だ。しかし、すぐにできると思ってたのだが少し時間がかかっている。まだ医者に相談するほど深刻なそれではないものの、嫁がほんの少し不安に思っているようだ。なので俺は嫁を安心させる意味と本心の両方からこう言っている。
別に特定コミュニティに恨みがあって根絶やしにしたいとかではなく、純粋に川に毒を流すという行為がやりたい
いや、やっぱ純粋に流すだけではなく、流した結果大量に人なり他の生き物なりが死ぬっていう結果もついてきてほしくはあるな
人がいない川の上流にドキドキしながら毒持っていってさ、瓶の蓋あけて(瓶じゃなくてもいいが)、トクトクトク…っとやるとき絶対メチャクチャ気持ちいいと思う
オラ!死ねェッ!ナイフグサ!っていう暴力的な感じじゃなくてさ、こう静かに流れていく毒を見送って、それでその場は終わりっていうのが渋いよ
ほんで家帰ってさ、そっからはもうテレビつけっぱでネットニュース読みまくり生活じゃない
「○○で中毒死」みたいなニュースが出たらガタッと立ち上がってさ、そのあと落ち着きなくまた座り直して、ゲンドウさんの真似しながら「始まったな」つってよ、自分でそれにこたえるワケですよ 「ああ」ってさ
あのとき俺が流した毒が貴様らを殺しているぞ!って考えるのガチで気持ちいいと思う
死者100人とか出たらもうヤベーよ
しかも手を汚した感は全然ないからな なんなら放火ですら炎は多少目に入るからちょっとの生々しさを感じざるを得ないが、川に毒だったらホントに死を感じさせるものを何もみないで済む
数字として成果が現れてくるわけでさぁ
生活用水に猛毒を入れるのをメインにしたゲームとか作ったらコアな人気出るかな
でもガチっぽいというか、陰湿だから叩かれそうな気がするんだよな
川に毒 川に毒流してえな
ネムイ朝第4代皇帝エーガミ帝の息子、王子カカナイ(400~455)はネムイ朝第6代皇帝エーカキ帝とその弟第7代皇帝ヤッパエーカキ帝の摂政を務めた。今日でも「ソシャゲイ」の渾名で知られる彼は人々に愛された統治者であった。
1998年に世界遺産に登録され今もなお人々を魅了し続けている巨大神殿グ=グプレカードとアップ=ルカードは彼が建設を主導したものである。又公共事業で雇用を生む傍、国の主要輸出産品を生産の安定しないクリップスタ塩、プロクリエ糸、アイビ酢から、安定生産・安定供給の可能なスクフェ酢、デレ鱒、シャニ鱒、バン鳥、マギレ粉等に変え貿易による経済の発展を促した。
ネムイ朝第5代皇帝コンシューマーゲームシ帝の弟でもある彼は、先代の父の死後わずか7歳で即位し成人した2年後には精神を病んだ甥のエーカキ帝に代わって長期に渡り政治を執り行った。エーカキ帝が31歳で狂死し、ヤッパエーカキ帝が即位したのちにも民草の支持を得て摂政の職を続けることとなった。しかし仕事中毒とも呼べる働きぶりであった彼は、54歳のある日、朝食のテーブルについた途端に脳の病で倒れ人事不省に陥った。その晩、家臣や侍女たちが見守る中突然起き上がり「モン・エナ(人生見つめ直せ)」のただ一言を発して息絶えた。この遺言の解釈については諸説あるが、隣国シューカイのエフジ王(※注)へ向けた言葉という説が有力である。(※エフジ王は先の大戦で占領したホーグバイソ区の住人へ苛烈な重労働を強いていた。)
カカナイがこの世を去ってからたった一月後、不幸なことにヤッパエーカキ帝は後の第8代皇帝ネロの差し金により暗殺される。ネロはエーガミ帝の息子でありコンシューマーゲームシ帝とカカナイの異母弟であったが、政治手腕は兄達に似ずネムイ朝の崩壊の原因となった。
そして時代はオキンノツレエ朝へと移り変わってゆく。