はてなキーワード: ラベリングとは
読んでくれてありがとう。本当にしんどいときはとても読めないような冗長な文章になって申し訳ないけど、そのうち振り返ってもらえれば。
いつも、24時間、頭の中には自分を責める言葉が浮かんでるんです。言葉が浮かぶのを止める方法はなさそうだから、別の言葉に置換できるといいな。
いまだに私もひどければ数分置きに自分を責める言葉が浮かびます。偉そうに書いてはいるけれど、何か問題が起きた時「私が馬鹿だからうまくいかないのだ」という、思考の第一声は必ずあります。しかし、それを真に受けず聞き流すことは少しずつできるようになりました。
浮かんでくる言葉の対処もカウンセラー、主治医等に相談してみてください。
考えの棄却は脳の活動の中ではエネルギー負荷が比較的大きいけれど、種になる脳信号が最初に発火してから行動するまで0.5秒の猶予があるそうです。その猶予期間であれば小さい負荷で止められます。
置換する場合は、ラベリング("後悔"、"消耗"、"恐怖"など簡単な1語のラベルをつけ、良い意味での単純化をしてしまう)と再評価(問題が先に分かってかえってよかったのではないか、などと見方を変える)も試してみてください。これも悪い思考が雪だるま式に膨らむ前にできるようになると楽です。
役に立った本を挙げます。
一見正しそうだが正しくないラベリングをすると、結果として意図しない結果を引き起こすことがある。
"難しい人"、"有害な振る舞い"というのは、大変よろしくないラベリングになる。
こういったときに「言ってることはわからなくないけど、なんか違うな」と違和感を持ち、解決策を探るのがエンジニアである。
アクションに落とし込めないもの、計測できないもの、機械的に判断できないものは、いわゆる人間力に頼ることになる。
具体的に以下を例に挙げる。(元の記事の一番最初に例示されているもの)
この短い(1行80文字以下を短いと言う)文章の中に、人間力に頼る判断は何か所あるだろうか?
私は、「創造的」「議論」「阻害」「時間を奪う」の4つは、機械的な判断が難しいと思う。
これは客観的な基準で「他者の話に割り込んで、自分の意見を差し込」んでいる。
先ほどの例だが、こんな前提があったとする。
そうすると、「営業と管理職から見て、大変有意義で創造的な議論に、毎度口をはさむ難しい組み込みエンジニア」というレッテルは正しいだろうか?
各人の判断は、正しいだろうか?
人間力に頼る判断基準で多数決を用いるのは、エンジニアリングで無く、政治的な解決だと思う。
先ほどの会議の例でいえば、5人中3人が心理的な負担を感じており、不愉快な気分になっている。
チームの60%が「創造的な議論を阻害する有害な振る舞い」だと認定している。
その判断は、正しいだろうか?
この場合、組み込みエンジニアが、難しい人 or 有害な振る舞いをする人として、指導もしく排除されたとする。
それは、心理的安全性をあげ、チームの生産性をあげる行為だろうか?
例えば、今後デザイナーは、営業と管理職が「どのような雑談をどの長さでしていても」発言しなくなるかもしれない。
デザイナーからみて、その会話が創造的な議論か判断ができないからだ。
さて、Web系のバックエンドエンジニアや、クラウドインフラエンジニアだと、アラートを設定したり、対応したいことがある。
「何かまずいことが起こっていることを、何らかの方法で監視して、対応したい」という場合だ。
例えば、待機系サーバーの起動時に妙に時間がかかっている場合、自動対応ができないので、アラートメールを飛ばして手動対応したいと思ったとする。
絶対値(10分)か、相対値(過去5回の起動時間の平均値)かは場合によるし、それが適切かはまた別の話だ。
「他者の話に割り込まない」というルールは、誤検知を引き起こしやすいアラートだ。
そんなのは常識で考えたらわかるだろう?曖昧な基準は「俺のは有意義な議論の発言だ」の判断を誰かが決めることになる。
大多数がそう思っていれば、という複合的な基準もありうる。その場合、先ほどの例の組み込みエンジニアは、アラート対象になる。
「会議のアジェンダに記載されている内容を3分以内で喋っている場合に、割り込まない」というのは、一つの基準になる。
この場合、営業が「営業概況を冒頭のアジェンダに加えて欲しい」と交渉する余地がある。
また「報告時間が10分は欲しいが、3回以上は一度会話を止めるので、営業概況に対する質問はその時に」という合意もできる。
そして、顔合わせのキックオフミーティングで、営業概況をやるかは、会社やチームによる。
明示的なルールで縛るのが正しいかと言えば、そうした方が良い職場もあるだろうが、窮屈な職場も多いだろう。
という簡単な話に見えることですら、ルールを作って守らせることに違和感を感じる感性も正しいと思う。
チーム(もしくはマネージャー)に求められるのは、こうした「何かチームに嫌な感じがある」ときに軌道修正できることだ。
一例でしかないが、例えば以下の流れでルールを作らずに、解決できることもある。
コミュニケーションコストを、チームを維持するのに必要なコストとして、きちんと時間を割けるかが重要だと思う。
さらに言えば、「それは有害な振る舞いだと自分は思うが、あなたがそう思わない理由は何か」とコミュニケーションを取れないのであれば、そこに課題があるだろう。
チームやマネージャーがある人を「難しい人だなあ」と思ったとして、2つの解決策が出てこないのなら、その思考には課題があるのではないか。
「他者に配慮できる」という曖昧な基準で異物を弾くようなチーム作りは、蛸壷化して致命的な結果を引き起こすことがある。
パワハラ、セクハラ、試験結果改ざんが、「なんでそんなんなるまで誰も言わなかったんだよ」となるのは、
「その構成員が他者に配慮できる人たちで構成されていて、異物を弾き続けた結果」であることが多い。
少なくとも、「エンジニアの”有害な振る舞い”への対処法」には、機会、動機、正当化のいわゆる不正のトライアングルのうち、動機と正当化を満たしている。
いやいや極端だろと思うだろう?
快不快が、正しい正しくないに繋がっていることは社会生活を送っていると極めて多い。
「マネージャーならば」法律や外部の意見も含めてかなり慎重に判断する必要がある。
「エンジニアならば」相手に快適に聞こえるようにコミュニケーションするスキルは磨いておいて損はない。
(あと、機械的に判断可能なルールを守ることが自分を守ることに繋がる。ルール順守か業績なら、常にルールを守れ。記録を軽視するな)
人は自らを或る属性を持つ集団に属させて、その集団同士で勝ち負けを争い合うのが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル、アナログ問わずのテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪、二元論的対立でなくとも、プロアマ問わず複数からなるチーム対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校、同一校内でも学級、学科、部活、委員、学内地域、血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰推しか何沼にハマっているかに至るまで己を自らカテゴライズして、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分で戦えない場合は時に相手の罵倒をも織り交ぜながら贔屓への応援支援。味方の勝利は己の勝利、実効的な行為は何一つせずとも馬鹿騒ぎ。負けてしまえば最悪の場合、殺人事件にまで発展する始末。争いは嫌だという場合も、嫌だという主旨でそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。言葉とは斯くも自己言及的で――まあ、それは今更なのでいいだろう。
何にしろ、単に自分対他者よりも所属或いは肩入れする集団間での抗争が特に好まれる傾向にある、と言っていい。個人で戦うよりも楽だからというのは勿論のこと、責任は分散しつつ比較的安全圏から敵を攻撃できるからだ。
本気で対決せずとも二項の対立状況自体を面白がる風潮というのもある。無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人の軋轢に首を突っ込むというか、頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくという状況がよくあるのは知っているだろう。
例えば、競合する商品やサービスを担う二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は徹底的に根絶する。そういう流れを見たことはないだろうか。その場合、どっちも買えば良いとかどっちも楽しめば良いとか、そういう一般的な思考は敢えて除外される。まあ、中には真剣な『アンチ』『信者』もいるんだろうが、別に両方同時に手を出していけない法はない。
つまり、好き好んで仲違いし自らを持ち上げて相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースをラベリングしてひたすらにマウントの取り合い、自陣営に勧誘する事もなく、互いに罵倒し合うさまをこそ楽しんでいるとしか思えない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり、どちらかしか選択できないという事情もあろうが、そうであったとしても選択できなかった方を貶める事で自尊心を保つ行為にしては少々度が過ぎていると感じやしないか。
詰まるところやはり『優劣をつけること』が主たる目的であって、エコノミックなパイの奪い合いというよりもこれらは、自分が正しく相手が間違っている事の確認、証明、『相手を攻撃できればなんでもいい』という事なのだろう、実際は。その『なんでもいい』部分に、同族集団というものがもっともらしい大義名分をもたらしてくれるという訳だ。なにしろ実利は無関係、というか寧ろ機会の損失という意味では損している訳で。まあ、対立状況を面白がる人間はそもそも外部の野次馬であって、失うものは最初から無かったりもするものだけれど。責任の分散どろこか、そんなものは無いと思ってるからこその、というべきか。要するに、自分自身が戦うということは絶対条件ではないって事さ。優劣を付けるのと勝敗を決するのとは、似て非なるものだからね。
誤解無きよう言っておくが、それ自体が駄目だと言ってるわけではない。人はどうやらそういう風にできている、という説明解説なのである。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖する為に異性を取り合う等、勝つことが悦びであるという根本的な反応だろう。知恵により食物連鎖から仮初めとはいえ脱し、生存率も他に比べて高い水準を保てるようになった人にとって、その悦びを得る為の代替行為を欲するのは自然な事だ。闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるならそれも勝ちの一種ではあるが、さっきも言った様に勝敗自体はどうやら人々にとってはさほど意味が無いようなのだ。そういう意味で、主として一人用ゲームというのは、プレイヤーが気持ちよくなる為の都合の良い仮想的を設定し、そしてそれはあくまで倒される前提、つまり攻略可能な範囲での接待と気づかれないギリギリの強さでの抵抗をし、最後に負ける事を定められた存在を配する事により悦びを得る為の疑似戦闘として非常に有用、と言うかまあ、人気な訳だ。
ただ、先に一人用と断ったように、対人戦特化型は全く別の話になるし、一人用でも高難易度特化のものはあるのだが、それはハードルが高く門戸が狭い事によって、他の奴等には出来ない事を出来る自分、というより強い優越感に浸れるという付加価値があるが故に、一定数の指示を得ている状況であり、誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、……まあ、あくまでも攻略をなせる腕があればの話だが、寧ろ無粋でつまらないものだろう。
当然、ストレス発散の為に結果としての悦びを求める者達にとっては、悦びを得る為に苦行をこなさねばならぬそれは、ゲームの為にゲームをしているという、全くもって本末転倒な思考回路なのだ。
決してそんな事はないんだが、それこそ属する集団が違うという事だ。
そして大事な事だが、『或る集団に「属する」』事は、戦う大義名分――通るか通らぬかは兎も角――を得られると共に、自分が何らかの役に立つと思い込める格好の機会でもあるのだ。特に、普通のコミュニティに馴染めない人間にとって、それは蠱惑的なのだ。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献する事が出来る。……まあ敢えて疑似としたが、要するに社会と直接には繋がっていないと言う事だ。
そして上の人間、主催は、そういう心情を利用する事が多い。現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献……否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。直接的な強制はせずとも良い訳で、自覚のない都合よき駒として、一層離れられなくしていく。無論、普通のコミュニティとてそういうものではあるのだが、マイナスを経験した後での逃げ道として用意された幸福だから、同じ分のプラスだとしたらマイナス分で絶対値は増えている、依存が強まってもおかしくない。
実際、例えばオンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割がハッキリとしていてかつ効果に即時性があり目に見えて貢献度が分かるようなパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはそれは愉しい。自らの貢献、味方との連携、互いを求め、そして求められる関係作戦立案そして実行。結果敵が倒されるのだ、自己の承認と敵の殲滅が同時に得られる。脳汁が止まらないって奴だ。つまりね、組織だった戦闘というのは、悦びを最も実感出来るシチュエーションなのだ。
その通り、厄介な事に、物理的集団戦闘行為が、その悦楽を最も得やすいんだよ。
さっき言った様に、集団を主催する人間はそれを利用するし、強烈な快楽故に強制すら不要だ。
論戦については、『双方がルールに則って』戦う前提ありきだ。そもそも言葉というのは真理でないと、今までも何度も言ってきた。言葉が通じない相手とは論を戦わせられないのだから。ある動物の威嚇行為が、人から見れば愛らしいファニーな行動に見えるように、概念での戦いは言語をはじめとした共通ルールの確固とした共が大の大前提だ。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するなら、言語は強い武器たり得るという事でもある。
まあ、普通に暮らしている分には、我々は言語という呪文が通じる世界にいるので、その威力は人を生かすも殺すも出来るレベルであり、あくまで言葉が通じる場でなら、用いて戦闘行為は可能さ。
そもそも属性集団の属性に言語によって分けられたものがある以上、強い悦楽が物理戦闘に限るわけでは無いのだが、実際問題、同じ社会にいながら『言葉が通じない』相手が結構いるものなのだ。
どちらが良いとか悪いとかではない、勿論優越でもない、君が何処に属しようと、どういう戦闘を愉しもうとするかは僕がどういう言うことではない。
紅茶とラベリングされてるけど、牛乳とコーヒーフレッシュくらい別のもんだよな。美味い不味いの次元じゃなくて根本的に別物。
ただ、カップ麺とラーメンみたいに別物に同じラベルつけてる例なんていっぱいあるから気にしたって仕方ないでしょとは思う。
そもそも、まともな"紅茶"を出す店なんてそんなに無いでしょ。
喫茶店でコーヒー飲んで、缶コーヒー特有の後付けされた気持ち悪い酸味より不快になった事はほぼないけど、喫茶店で頼んだ紅茶は香りが無くて渋みだけが舌に張り付くような低級の最低級みたいなのが出ることは少なくないじゃん。
これならビタミンCの酸味とわざとらしい香料がするリプトンの無糖みたいなのほうが、舌に張り付かないで早く消えてくれるだけマシって思った事は何回かある。(とはいえ水の方がマシなんだけど)
紅茶は「選ばないとまともなのが無い」状態で、紅茶飲まない人の中では正当なものが消失してる状態なんだよ。
だからリプトンみたいな色付き香料付き砂糖水に「これは紅茶ではない!」って文句言っても仕方ないでしょ。某漫画みたいに一々「明日本物の紅茶を飲ませてあげますよ」って言える訳でもないし。
@anatatachi_ohno
女性の性的身体部位とされる箇所の強調表現をはじめ女性性を強調するファッションや仕草・振る舞いの表現が、特に必要ではないところでも繰り返し使用されていくことにより、「女性とはこういうものだ」といったメッセージを発する効果を持つのはいかがなものか?という考え方のことですか?
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1447815212292194306
女子高生が「女性は斯くあるべし」とする校則に全人格をかけて抵抗し手に入れようとするのが、スカートの短さだ。
斯様に、例えば「短いスカート」が公共機関のPRで使用されようが、発するメッセージは一様ではない。
「女性とはこういうもの」「斯くあるべし」というステレオタイプなメッセージを発しているのは、誰なのか?
で、それはないよ。先生。
表現に対する批判の中心にある考え方は、だいたいこれだと思う(私はジェンダー平等が求められる公的機関の広告の場合に限って採用することがある)。
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1447908769459965955
2、そうした表現が社会に溢れていても人々の意識には影響しないと証明する。
3、社会から性差別や性暴力を一切なくす(表現の影響を心配しなくて済む)。
4、強調表現を「笑い」や「毒」に転換する。
(「フェミ根絶」は入れてない)
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1447910732394233862
「女性の性的身体部位とされる箇所の強調表現をはじめ女性性を強調するファッションや仕草・振る舞いの表現が、特に必要ではないところでも繰り返し使用されていくことにより、『女性とはこういうものだ』といったメッセージを発する効果を持つ」と主張する側にある。
「性差別」のラベルを貼られた表現はほぼ社会的に死ぬから、それは事実上、表現を規制する主張となる。
初めに書いておくが金融所得への課税については自分は懐疑的な立場だ。
たかだか数千億の税収増のために金融市場全体を冷え込ませる可能性のある施策を採用するのは賢明ではない。
ましてや一律アップなど論外だ。せめて累進課税だろう。
しかし、岸田の政策そのものへの賛否よりも気になるのは一部の反対派によって社会主義というラベリングがなされていることだ。
たとえば楽天の三木谷社長などが新社会主義と呼んでいるが、これなどは最悪のポジショントークだろう。
彼がアベノミクスを否定していなからだ。そしてそれはほかの社会主義呼ばわりしている批判者にも当てはまる。
安倍政権初期の2013年に始まった異次元の金融緩和の結果、国債の4割および東証1部の7%を日銀が保持している状況だ。
国家による市場への介入という観点から見れば、金融所得への課税などよりも遥かに影響が大きい。
事実、日銀ETFによる株価変動について「官製相場だ」という批判が出ていた。
しかし、三木谷社長含め岸田の政策に批判的な人たちはアベノミクス/日銀による異次元の金融緩和について必ずしも否定的ではない。
金融市場の崩壊を叫ぶのならば絶対に避けては通れないことであるにもかかわらず、だ。
要は株価が上がる限りにおいてなんでもOKで、下がるような事柄については何でも反対なんだろう。
健全な市場とかそういうことはハナから眼中にない。だから最悪のポジショントークだと言っている。
社会主義という言葉を使っているのも刺激的で耳目を集めるものだから以上の意味はないだろう。
要は世論を煽動するためにロクに検証をせず粗雑に言葉を使っている。
(検証しているのなら日銀の出口戦略に言及していないと辻褄が合わない)
粗雑な言葉で煽動するとして、そんな煽動に乗るやつらは物を考えられない連中だ。
そういう連中は何をしでかすか分からない。
全体像を見渡さず、個別の論点に飛びついて煽られるような人間が集団化する土壌を作り出すべきではない。
アメリカでウルトラライトが何をしたのかよくよく考えなおすべきだ。
政策については賛否両論あるだろうし、その議論が行われるのは望ましいことだと思う。
ここ最近、急にオタク関係の諸々を、「あれもこれもそれもどれも統一教会だったんだー、な、なんだってー」みたいな話が増えたけれど
あれ、リベサとしては、どういう効果を狙ってんのかね?
ネトウヨ(右翼)と勝手にラベリングしたうえで、統一教会(朝鮮)をちらつかせれば、きゃつばらは野党に下るに違いない
みたいな感じかね
彼らが完全に頭オカシイのは
オタクは統一教会が絡めばフェミに恭順し萌え規制を受け入れる、なんてアリエナイのに、突然統一教会とか言い出して、斜め下にオタクdisを始めた点
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/korekichi_san/status/1442819707896168449
そうそうたるお左翼様が、陰謀論よろしく「オタク=統一教会」を展開してるぜ
その口がQアノンやらJアノンやら語るんだから、へそが茶を沸かすよな
自陣営にいろいろと暴走があって、コロナで一発逆転どころかワクチンは優等生国家、野党の支持率は2桁に届かず、妄想に縋りつく位追い込まれてんのかね