はてなキーワード: メジャーとは
私は腐女子で、「左右固定」というやつだ。とはいえそんなにこだわりが強い方ではない。雑食の友人がたくさんいるし、キャラ解釈が合えば逆カプの人とも友達になってきた。逆リバも、進んで見に行くことはないが、たまにちょっと口に入る程度では死なないし、カプ色の薄いものなら好きな作品に出合うこともある。信頼のおける友人から勧められたものなら大抵いけてしまう。ゆる固定、とろ火固定を自称している。
そんな私が最近とある作品にハマった。それほど新しくもない、小さなジャンルだ。私がハマったABは、ジャンル内ではメジャーな二人だった。ジャンル内の大多数がABかBAで活動しているようなところで、どちらかが圧倒的に王道ということもない。というより「ABもBAも好き」という、いわゆる雑食の方が多数派だった。
そんなジャンルの空気を知らないまま沼に飛び込んだ私が浴びたのは、想像を超えて逆リバにまみれた世界だった。支部に上がっている作品の多くはABとBAが一緒に格納されていた。小さなジャンルだけにみんな仲がよく、ABの人をフォローしたつもりでも、当たり前のようにBAがRPされてきた。元々多少なら食えると思っていた逆リバも、あっというまに辟易してしまい、思った以上にBAがダメになってしまった。私はぐったりしながらフォロイーのRPを切って回り、BAをミュートワードに設定した。
私は友人に愚痴った。
「いくら雑食が多いからって、このジャンルは腐女子の常識がなさすぎる。死ぬわけじゃないといっても逆を見る前に心の準備はしたいし、さすがにキツい。住み分けぐらいちゃんとして欲しい」
雑食の友人は言った。
「それはお気の毒。でも、気にする人がほとんどいないなら、いいと思ったものは気ままにRPしたいし、わざわざ区分して別々に作品を上げるより全部まとめてアップする方が楽なのもわかる。それでもそのジャンルの人には読んでもらえるわけだし」
そしてこう続けた。
そう、これは固定への配慮の問題だ。ちゃんとカプ分けしなかったからといって、何かのルールに反しているわけではない。それでこのジャンルの人たちが楽しくやっているなら、私にとっては息苦しいが、誰も悪くはない。
「固定」とは、「そういう障害」なのではないか、と。症状の出方や強さに個人差があるところも共通している。
雑食の人は「健常者」なのだ。バリアフリーじゃなくても、何も気にならない。カプ分けされてなかろうが、生きづらいということもない。
たいていのジャンルは固定者の圧が強いので、当然の常識として「ABとBAは住み分けるべき」とされている。それは「腐女子界隈にはこの障害を持つ人が多いので、配慮が行き届いた状態にしないと逆に叩かれる」からではないだろうか。
固定者は障害者なので、配慮がないと生きづらくて仕方がない。けれど、健常者が多数を占める場所では配慮しなくても困る人が少ないから、細やかな配慮はされなくなってしまう。だって、その方が健常者にとっては楽だから。気にすることが少なくて済むから。
最近話題になった「逆を目にしただけで寝込んでしまう」だとか(それが本当なら確かに日常生活に支障をきたしているのだからまごうことなき障害だ)、車椅子騒ぎだとかを合わせて思い出して、私は猛烈に自分が恥ずかしくなってしまった。
五体満足で目も耳も使えて、発達も定型。そういう人ばかりが集まっているところに障害者が入ってくると、それまで必要のなかった「合理的配慮」を求められるようになることがある。できればお互い気持ちよく生きられるといいね、とは思うけれど、正直なところ「めんどくさい」と感じてしまう人はいると思う。自分だってそう思ってしまうことがあるだろう。
さらに言えば、そもそも障害に気付かれないこともある。目に見えない障害ならなおさらだ。そういうとき、マイノリティである障害者の存在はまるで「ないもの」のように扱われてしまう。それらが我が身に跳ね返ってきた瞬間だった。「このジャンル、みんなどっちも好きだからいいよね~」という雰囲気が、誰も悪くないのに自分にとってこんなにしんどいものだとは思ってもみなかった。
「自分は面倒くさい存在なのだ。他人に配慮を要求して、それを当然と思い込んでいたのだ」
自分を健常者だと思い込んで生きてきた人生で、それは頭を殴られたようなショックだった。あまりの衝撃に、今この文章を書くことで心を落ち着けようと試みている。
私がこれを書き、それを誰かが読むかもしれないことで、なんの問題が解決するわけでもないけれど、もしかしたら何か見え方が変わるものや、新しく見えてくるものがあるかもしれない。できたら、少しなにかがよくなるようなことだといいな、と願っている。
お前の言う通り、欧州はCCS2がメジャー。韓国、タイ、ブラジルもな。
サイバートラック、V2Hできるじゃん。テスラはPowerWall売りたいから、そんな積極的じゃないのもわかるけどね。
Wikipediaにはブランディングされライト化、大衆化、陳腐化してきた経緯もちゃんと書いてあるじゃん
世間からの「個性的でなければいけない」という外圧により、「無理して個性を作らなければいけない」と焦る若者が増えているとして、その理由を「カルチャーシーンから“メジャー”が消えてしまったから」だと分析し[26]、「属するだけで安心できていたメジャーが消えてしまった今、彼らが探しているのは、要は“拠りどころ”なんだと思います。自分が属しているだけで、楽しいと思える場所。それが、オタクという属性です。(中略)推し活動をしているオタクはすごく輝いているから、自分もああなりたいと切望する。もしそうなれて、オタクという属性を手に入れられれば、結果的に自分は“個性的”にもなれる、と捉えている。だから正確に言えば、“オタクになりたい”んじゃなくて、“拠りどころになりうる、好きなものが欲しい”だし、それは“個性的な自分でありたい”だし、一番正直に言うなら“
原田曜平は、非常に多くの若者たちが、自分のことを「オタク」と自称するようになっていることを挙げ、本来であれば、サブカルチャー好きを指す言葉である「オタク」というワードが、メジャーなカルチャーにまで使われるようになってきていることに驚いたと述べている。また、話題になった作品だけをチェックしており、オタク知識は総じてそう深くない「エセオタク」が増えており、濃度の高いオタク(ガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄されることもある[28]。
また、日本政府が観光資源の一環として、国策で「クールジャパン」戦略を行うようになったのも2010年代からであり、迫害から一転し、おたく文化は政府お墨付きの“体制側”の文化になったとも言える。
なんかギター全然上達はしないんだけどバレーコードで適当にチャカチャカとカッティングしてると楽しい。
メジャーとマイナーとセブンスはなんとなく分かってきて、他のパターンも覚えたいけどなんか異常に面倒臭く感じる。ネットで調べて6つか7つか覚えるだけなのに。でもディミニッシュとか使い方全然分からんしな。
たまにジミヘン聴いてみてかっけえと思ってワウで遊んでみたりするのも楽しい。彼の凄さは全く分からんけどワウの使い方はかっこいい気がする。あとなんかギターだけで弾いてても割と曲っぽくて映えるのが凄い。ジミヘンの歌はオマケ程度でほぼインストっぽい気もする。
最近は適当なカッティングだと物足りなくなってきて、気持ち良いコード進行を求めるようになってきた。この気持ちが膨らんだ先に作曲があるんだろつなって思う。
有名なカノン進行を、ネットでネタバレするんじゃなくルート音と響きから模索していくのは中々楽しかった。ピューピュー口笛でメロディ当ててジャーンと弾いてると中々気分がいい。でもカノンロックをやりたいとは思わなかった。曲自体がどうこうというより、なんかシャバい感じがして気恥ずかしい。
好きな曲の進行の、もっとここをこう行って欲しいみたいな感じに自分なりの好みに改造しようともしてる。頭の中では割と良い感じになるけど、ギターでどう抑えたらいいのかが分からん。チューナーも一つの音しか拾えんし、そもそも人間の喉に和音は出せない。
コードの音が出るサイトでそれっぽい音階のコードを片っ端から試しても全部なんか違う。数音ずらしてみたりしてもやっぱりなんか違う。謎だ。
BTTFって誰でも知ってる名作として真っ先に挙げられがちっぽいけど、おれはちょっと違和感を覚える。
もちろん超有名作品だし面白いんだけど、真っ先に挙がるベタなチョイスか?って言われたらスターウォーズとかインディジョーンズとかが真っ先に来ない?って思う。それかバットマンとかスパイダーマン辺りか。キャラもアイコニックだし。BTTFもデロリアンとか十分アイコニックではあるけど。
気持ち的にはそこから半歩後ろくらいのダイハードなりランボーなりマトリックスなりの有名作と並ぶくらいの感じな気がする。それかショーシャンクとかシャイニングとかファイトクラブとか、映画好き1年生っぽいラインとの狭間くらいか。
最近どっかでMCUのスパイダーマンがデススター作ってたのは老人向けの好感度稼ぎじゃね、みたいな事書いてあってウソやんって思った。その辺はおれがガキの頃DVDで何遍も観まくってたという個人的な環境の問題なのかもしれない。まあそれ言ったら全部個人の感覚なんだけど。
小学生の頃によく母と一緒にGEO行って映画借りてたけど、クレしんで見たタイトル以外にどれがメジャーどころの映画なんて分からんから親のチョイスをアテにしてたかもしれない。最新の話題作はテレビとかでなんとなく分かるけど、新作高いからあんまり借りさせてもらえんかったし。
そういう親世代の好みの影響を強く受けてんのかもしれないし、おれはちょっとズレているのかもしれない。いやでもBTTFも親世代だろうけど割と後手に回ってた気がする。単に親の好みだったんだろうか。金ローでも観た記憶はない。
親の影響を離れてネットの受け売りを語るようになってからも、自我を持ち始めて自分の好みで漁るようになり始めてからもこの感覚はあんまり変わらない。
自分には合わなくても他の人にはマッチするパターンはたくさんあるから、創作に怯える必要はないと思う
現時点でのメジャー派、人気を得やすいのはどちらか、みたいなのはあるかもだけど
センスの部分もあるし、計算もあるし、できる人はターゲットに合わせたりするし、
タゲろうとして失敗してるなーって思ってしまうと他人事ながらすごく痛いけど、そっちが好きな人も居るんだなーと何度も感じて来た
ついつい驕ってしまって、自分が良し悪しわかる側だと思ってしまいがちになるけど
Sランク(勢い)
Sランク(ただし棘があって万人向けではない)
Aランク(全体的に物足りない、人柄込みで好かれるのはわかる)
B(個人的にめっちゃ好きだが、万人受けしない。多少アンチ湧くのも仕方ない)
C(だめだめ。だけどなんか見てしまう)
をたまに見たり見なかったりしてて、かなり見るのは、SSABCの5人
それ以外にもこの倍くらい見て、結局ハマるのは一握りだったので探すのはあまりしなくなった
(追記)
どのピルが合うかは個人差が大きく、残念ながら今事前に見分ける方法はなく、飲んでみるしかないです。
ただ、個人的にはマイナートラブルに備え、飲み始めの時期は、繁忙期は避けた方がいいと思います。
自分は以下の症状があった
◉月経激重
◉排卵痛
下に書いてることは超ざっくりで実際は薬によって細かく分かれるので、薬剤名など調べたり、医師に色々聞いてみてほしい
まずピルの種類として、ピルは大きく分けて2種類あって、混合ピルと黄体ホルモン単剤のピルがあるよ
私はヤーズ、ヤーズフレックス、ルナベル、ルナベルULDを試しました
◉扱ってるところが多くファーストチョイスになる
◉月経困難症の適用がされたらルナベルジェネリックであれば月1000円程度になる、ヤーズは高い
◉休薬期間があり、出血を伴う
ピルは休薬期間があるせいで、私はPMSや排卵痛がイマイチ止まらなかった感じがする
◉ミニピルの場合、40代以上や喫煙者や血圧が高めの方など、これまで低用量ピルを使うことができなかった方も含めて、使用できる
◉保険適用されたら安い、ディナゲストのジェネリックで月1000円、ノアルテンなら月350円
◉取り扱いしてるところが少なめ
個人的には何で月経困難症の治療において、ミニピルの方がメジャーにならないのかマジで疑問
私がピル迷子になったのはディナゲストが認可されたのが遅かった、扱ってるところが少なかったからというのが大きい
ピルもミニピルも共通するのは、体に合っても合わなくても飲み始め3ヶ月のマイナートラブルがかなり多いこと
多いのは
◉鬱
◉太る
◉吐き気
で、これらは薬品会社が公表してる数値より、体感はかなり多い感じがする
で、これを働きながら乗り越えられるかというと結構キツい
自分の場合は飲まないと働くのも勉強したりするのも今後無理って感じだったので、ディナゲストの飲み始めの時にはうつの薬飲んで対応したりしたけど、まあ普通なら飲むのやめちゃうだろうなと思う
飲み始めのマイナートラブルが起きなかったのは、私はルナベルだけでした
ピルは普通の薬と違い、マイナートラブルが非常に多いものだと思うので、月経困難症やPMSに悩んでるわけではなく、避妊が目的なら、出来ればミレーナとか、まだ日本では認められてないけどインプラントとかの方が安牌なのかなと思います。インプラントも最近は自費ですがやっているところも東京であればちょいちょい出てきてますね
ふとした瞬間に「酒が飲みてぇ〜」と思うことがある。5年前の自分なら考えられないことだ。
しかし下戸は変わらないので量が飲めない。具体的にはビールならグラス2杯で顔真っ赤。そういう当方にとって市井で提供される酒の量はだいたいいつも多めと感じる。
・ビール:一番メジャーな提供方法がジョッキという量多族の鉄板。乾杯すると他の酒が飲めなくなるので基本あまり好きではない。500mlって普通の飲み物でも最後らへんちょっとダレてこない? 2杯以上飲める人はすごいと思う。
・日本酒:1合はとても日本人に合った量だと思う。ただ追加で枡になみなみ注がれると厳しいというか、あれってガブガブ飲む用の注ぎ方だよね。ビールよりスイスイ飲めるかと思いきや意外と腹に溜まる選手権金賞受賞。
・ワイン:当方も蘊蓄を蓄えたいが一食あたり一杯半くらいが限度のためたぶん一生蘊蓄は貯まらない。度数の割に提供量が多め。割る手段に乏しいのもしんどい。
・焼酎:大親友。まずどんな頼み方をしてもだいたいグラスで出てくるのが偉すぎる。ちょっと冒険したい時はロックでちびちび香りが美味い。摂取量を抑えたい時は水割りソーダ割り。それでいてなんとなく酒飲んでる感も演出してくれる気がする頼れるやつ。
・ウイスキー:焼酎と同じ楽しみ方ができるが焼酎よりちょっと度数高いことが多くて同じ楽しみ方をすると撃沈するトラップ的存在。これも度数の割に提供量がちょーっとだけ多め感がある。
・バーテンダーに作ってもらう系カクテル:提供量が少ないことが多く美味しいからたくさん頼みたいんだがだいたい度数が高い酒をベースにしているので一生メニュー制覇はできないであろう。当方はディスカバリーが好きです。
「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね
いくつかバリエーションがある
「無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」
……のような
[本]の場合に「聖書」という回答が西洋でメジャーなことから、元ネタは日本以外なのだろうとあたりをつける
調査の初手はとりあえずこれ
Desert Island Discs - Wikipedia
Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]
Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.
Desert Island Discs は、BBC Radio 4 で放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。
番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます。 無人島での生活とその選択の理由について話し合います。
このラジオ番組の存在から1942年時点で「あるあるネタ」であることは確認できる
アメリカの一コマ漫画で「無人島もの」というジャンルが存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない
普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ
『ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日に出版された
これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれた
Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]
ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段を即興で考えなければならないフィクションの文学ジャンルです。 このジャンルの名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説『ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説の成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前はジャンルを定義するために使用され、単に「無人島の物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります。
ということは、探すなら18世紀か……
一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど……
1611年頃
一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある
Uninhabited island - Wikipedia
The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]
無人島を舞台にした最初の小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界からの漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミルを文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]
こういうmeme的というか、とりとめのない雑談のあるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ
残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見できなかった
https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20
……という嘘豆知識
正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは
英wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述
The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]
「無人島」という用語は、社会的に孤立し、物質的手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます。 無人島での行動は、たとえば「無人島の道徳」などの一般的な思考実験です。
これの出典がOEDになっている
ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……
人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンルが一般に認知されている環境……であるはず
へたすりゃギリシャ神話の時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん
『オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない
そうなったら手に負えん
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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に
元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter
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19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね
近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキルの知識が一般に広まったのがおそらくこの時期
その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない
いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキルの知識関係なさそうに見える……
→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん
サバイバルガイド的な本が19世紀に刊行されてないかを調べてみるか
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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見
無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ
このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人の哲学者で東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのもの、ベートーベンの楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。
発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い
『ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな
しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……
さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?
ケーベル博士がロシア出身で日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスのラジオ番組
20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか
本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい
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ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい
この発言の出典元文書がちょっとすぐには見つけられていないのだが
偉人の名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル
ゲーテの生没年は1749~1832
無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種のクローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ
Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島が一般に認知された?
元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする) ↓ Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した ↓ メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった ↓ さらに時代が下り、持ち込めるものはジャンル無制限になった
みたいな流れという仮説を立てれそうだが……
まあまあ、結論を急ぐことはない
たとえば「小中学校の道徳・総合的学習を削って、その分の時間で漢文をやりましょう!古文は現国の時間を減らしてあてればいいはずです!」とかね。
博物館に飾ってある巻物は達筆すぎて読めないし、中身についてはすぐ横に現代語訳が書いてあるから自分で読む必要なし。
平仮名がもともと漢字だったのは「書き方」の授業でも教えるし、昔の日本語と今の日本語が違うとか言われても、そもそも今の日本語も方言とか全然通じねえじゃんクソワロって状態。
故事成語を原文で読んだ所で理解が進むかと言われると、むしろ大事なのはその時代における価値観ではどうだったかの背景部分なんだからそっちに時間使えよと。
ほんましょーもないよ。
たとえば『漫画』って授業があって
「これはフキダシと言ってキャラクターのセリフを表していて、この尖った部分がトゲといい、どのキャラクターから発せられた言葉なのかを示しています」
「それでは試しにドラゴンボールの1話を読んでみましょう」
「一番右上の「むかしむかし」から始まる四角い吹き出しはナレーションと言って、キャラクターのセリフではなく状況説明のために第三者的な立場から語られる言葉となっています」
みたいなのをさ、美術の授業で1時間だけやるならまだしも、10時間20時間と時間使ってやったら「は?大事な日本の文化だからって理由で、そこまでやる意味ある?」ってなるでしょ?
丁寧にやるべき理由の説明も出来ないままに「大事な文化なので」だけで押し通せるなら時間割なんて何でもありになっちゃうよ。
「サッカーは世界的にメジャーなスポーツだから毎日1時間リフティングしよう」「野球は国民的スポーツだから毎日1時間素振りとノックをやろう」とか、なんでも言えちゃうでしょ「大事な文化だから」だけじゃ。
なぜ、それを授業時間を割いてやる必要があるのかを説明してよ。
その上で「こっちの科目よりも重要性が高いですよ」と主張するべきなの。
なんなの?