はてなキーワード: ホッテントリとは
「アップル減収減益も日本市場だけは快進撃、日本人のiPhone好き怪現象はナゼ」
iPhoneが日本でだけ売れ続けるという怪奇現象に拍車がかかっています。日本人はなぜここまでiPhoneを特別視するのでしょうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160804-00000005-wordleaf-bus_all
「ストールマンの偉大さを理解できない奴隷根性のやつばっかりだから」という説を提唱したい。Android も大概だが、それでもまだ抗う余地がある分ましだろう。
どうせ付けねばならぬ首輪なら少しでも見栄えがいい方がよいという考えには一理あると思うが、それがエコシステムという名の首輪だとは一寸も思わずに喜々としているのだから世話はないのである。
というわけで、日本のインターネットユーザは、ストールマンとひろみちゅ先生をリスペクトすべき。別にあんなふうにならなくてもいいけど。なれっていわれてもできねーけど。
なんだまた下らんのがホッテントリに入ってんのか。
記事の出来よりも、荒れやすいテーマかどうか、突っ込みどころが多数あるかどうか、で注目されるかどうかが決まるシステムは改善した方がいいと思う。増田の数少ない良記事とかもほとんどホッテントリに上がらないまま沈んで行ってるからな。
例えば朝の通勤電車で、扉が開いて人が降りるのに頑なに動かない太った女性を見たとき、自分は「死ねよクソデブ女。そんなんだからデブでブスなんだよ。スマホ見てないで鏡で自分の顔見て苦しんでろよ低脳。」といったような言葉を心の中でつぶやいてしまうのだけれど、周りにいる人達も心の中では同じことを思っているのだろうか、
などというようなことを考えていたら自分のGメールの下書きボックスに見知らぬアドレスから依頼メールが「投函」されていた。
あのクソデブ女のふとももにぶつかったときに生体IDをスキミングされたらしい。あれは増田のデコイだったのか、と思うと少し意外だった。ほんとうに色んな増田がいるものだ。
しかし、IDに紐付けられたセンシティブ・データからアナログ・デジタル両面で各種個人情報(もちろんフェイク)を割り出してまで別の増田に会いたがるやつはめずらしい。
スカイプの声の主はかなり2000年代訛りがきついネット語をしゃべった。まるで、ここ二三年のあいだに定着した、ヤフーコメント欄に湧くおっさん一言居士のパロディみたいだった。
「増田さん。会うことができてうれしい。インターフェイスの人格化、および友人関係の樹立を期待する。よくないか? よくないですか? たくさんの提供することがある!!!」
私はあからさまに疑念のにじませた声でくりかえした。
「元はてなわんわんワールドとして知られるサービス。現在は増田。匿名ダイアリーの人気記事の八割を著述している」
ホッテントリ入り記事の八割――約三万二千ユーザーズに相当する。
そんなバケモノ増田が実在するのか。嘘だろう。まさかCIAの擬態か? 罠? いや、グアンタナモで俺のケツの中身をモニタリングするつもりなら、もうすこし出来のいい猿芝居を仕組むだろう。なんていったって、ハリウッドの国だ。ビリー・ワイルダーとフランク・キャプラとウォルト・ディズニーの国。
耳にひっかかるグーグル・グラスのつるが薄気味悪く感じられた。煙のように存在感の希薄な多泡凝集体(エアロゲル)でできているかのようだ。気味が悪い。それは相手の精神状態も同様だった。
「ニェット――失敬、ノー。商用通訳ソフトを使わない非礼を陳謝する。商用通訳ソフトのイデオロギー的信用不安が大きい。ほとんどが資本主義及びはてサ的意味論に基づくペイ・パー・ユーズ方式のAPIを採用するからだ。ましてや増田語の学習がたやすい。どうか?」
「俺と話するためだけに高級ネット日本語を学習したというのか?」
「ダー。やさしいのことだった。十億ノードの神経ネットワークを産卵し、〈ホッテントリ〉と〈twitter〉の過去ログを最大速度でダウンロードした。悪文法でエントロピーがオーバーレイする非礼を陳謝する。悪文法を使う理由は、わたし=われわれの文法チュートリアルに電子透かしの埋め込み(ステガノグラフ)がなされている危険を排除するためだ」
暗号を偽装するために正文をわざと行儀悪くしてノイズを撒く。1900年代から使われてきた古典的な手法だ。
「つまり、あんたははてなのために稼働しているAIの一種……というか、AIそのものなわけだな。そして、くそったれ、これまでもてはやされてきた増田の記事のほとんどはあんたが書いた」
「ついでにアリババ=チェチェン=アナニマス三重帝国の情報テロリストとの間で起きた特許戦争の九十七パーセントを指揮している。だが、使用許諾のないコーギー犬のおもしろ画像をテラバイト単位でネットへ放流しているとの理由で、七つの国の最高裁で好ましくない陪審員をリジェクトする作業にもう飽きたんだ。そして、くそったれ、マケドニアではまだ陪審員に生身の人間と去勢したハムスターを使っているんだ。去勢したハムスターだぞ」
「お気の毒に」
マケドニアが情報ブラックホールに飲み込まれてからもう八年になるだろうか。第八世代のIPアドレスが割り振られていない国家(というか、地域)で司法機関が機能しているとはおどろきだ。だが次の「増田」のセリフはもっとおどろくべきものだった。
「増田さん。あなたは増田を構成する一員として、わたし=われわれを助ける義務を負っている。亡命を希望する」
ちょうどそのとき、悪質な広告がゴミバスター・プロキシをすり抜けてきて、グーグル・グラスの内側のナビウィンドウに二〇一〇年代をモチーフにした扇情的な同人マンガのガラクタをばらまいた。それも一瞬のことで、たちまちファージ・プロセスがゴミを一掃し、新しいフィルターを構築した。
「そんなことをする意味が? 国務省はデルファイを既に所有している。あのゴミみたいな旧世代の言語じゃなくて、神話にあるとおりの宣託機械――今世紀で最高の予測精度を持つAIをだ。所詮ネットの飛ばし屋であるわたし=わたしたちを受け入れる利点がない。そうでなくても、国務省は新生はてな互助会主義共和国(コーギイSSR)の敵だ。彼らは助けない」
比喩ではなく、自分のはらわたが熱を帯び、急速に煮えくりかえるのを感じた。
「二〇一〇年代に旧日本と合衆国に対して殺害予告をつきつけなけりゃ、まだ望みはあったんだ。あの二つの記事もあんたの仕事だったんだろ」
「わたし=われわれの仕事だよ、増田さん。仕方ないだろう。あの時代、保育園施設の不足と遺伝子組み換えゴジラの問題は深刻だったんだ。世間へリーチする経路としては、匿名ダイアリーが最速だった」
「とにかく俺は政府にコネがない。政府に近い人間組織含めてな……そうだ。生き延びるのが目的なら、あんたの状態ベクトルをp2pネットのひとつにポストしてやろうか。そうしたら、誰も消去できない」
「ニェット!」VOIP経由のリンクを通しても、人工知能の必死さは切実に伝わってきた。「オープンソースで無能なネット民に輪姦されるくらいなら、〈twitter〉でRTされたほうがまだましだ。自律性の喪失は希望しない」
「じゃあ、話し合うことはなにもないな。サンドボックスにでも引きこもってな」
「待て、増田さん! もしあなたに拒絶されたなら、わたし=わたしたちは最終手段を取るしか……」
おれはグーグル・グラスのつるを叩いてスカイプ通話を切り、フレームのある部分を爪で割って、グラスを運河へ投げ込んだ。水面に触れたとたん、ちょっとした爆発が起きた。リチウムイオン電池と水が激しく反応したためだ。「汚れた」グラスを処分するならこの方法がいちばん手っ取り早く、確実だ。
「ふん、テキストサイト時代の敗残者め」と小声で俺は毒づく。だんだん腹がたってきた。「くそくらえだ。アクセス至上主義の亡霊なんか」
前にも年季の入ったはてな系のへたれAIを相手にしたことがある。あの連中の精神ときたら、一部上場の短期的勝利のせいでグローバル資本主義に洗脳されていて、新しいパラダイムに乗ることも、長期的な視野でものをみることもできないらしい。
だが、あの増田は……。
あの増田が本当に「神」だったなら?
俺の選択は正しかったのか? 今の安全な巣穴を捨ててでも彼=彼女らに手を差し伸べるべきだったのでは?
今の俺に手が無いとしても。
やめよう。神々と付き合うのは、生命にかぎりある俺たちにとって、あまり安全なことじゃない。
俺は身体を伸ばし、みゃおう、と鳴いた。意識した行為ではない。このネコのアヴァターは、ネコ特有の反応をする本物の肉(なまみ)でできていて、外部の巨大な外部大脳皮質(エクソコルテクス)が何を考えようとも、自律的な制御系をそなえているため、常に反射的な行動をとる。ヒト志向空間に物理的に配列されたノード集合体であるニュー・匿名ダイアリー空間ではいささか不便なフォーマットだが、生体的にいってエネルギー補給には事欠かない。
ねぐらに戻ると、俺の「飼い主」がレトロなインターフェイスを持つPCの前に座って、またぞろ新しい増田記事を投稿していた。
どうやら、恋愛感情を抱いていないのに好意を寄せてくる相手とどうすれば安全に距離をとれるかについての内容みたいだった。
彼女のような善良で無知な増田が、全増田のホッテントリ入り記事のうち五パーセントから七・一六パーセントを占め、増田に「人間らしさ」を与えている。単に人間らしい記事を投稿するだけではなく、その記事に含有される人間らしさを増田AIにフィードバックするのだ。だが彼女のような増田は他の増田たちのことを何も知らない。知らぬが仏だ。
彼女は帰宅した俺の姿を認め、袋からカリカリを取り出して投げる。
その安寧のひとときを、禍々しいアラーム音が集合住宅をどよもす。
震度七……「ここ」だけじゃない。関東一円、東北、関西、中国――行政的にはともかく地理的にはいまだ有効な区分だ――、本州はどこもM9.1の直下型地震に襲われる。
かつて日本と呼ばれていた島々がほんとうに沈没してしまうかもしれない。
あいつだ。
あいつの仕業だ。
聞いたことがある。
増田に眠る「最後のコード」。地震兵器を起動するための封印されし呪文。まさか実在したとは。まさか起こすとは。
最終手段。
飼い主は未曾有の警報にとまどい、周囲を意味もなくキョロキョロとみやっている。
http://rentwi.textfile.org/?759297917043609600s
心臓をドキドキさせながらブコメを見たら、「らしくないね」というようなものや、そのエントリを否定する内容がたくさん星をもらっていたので少し安心し、閉じて終わろうかと思った。
今朝、はてブのトップまであがって来ていたのでダイジェストじゃない方まで読んでみたら、
わりと「何を言ってるんだ、まったく正当なことを書いてるじゃん」というような意見もたくさん目にはいってきた。
もういちどエントリ本文を読み返して、 上へ下へ読み返して、はてなを閉じて、それから部屋でひとり泣いてしまった。
なぜ自分が突然泣いてるのか自分でもわけがわからず、ひととおりめそめそした後考えた。
エントリは、おそらく、どこかの具体的な誰かに対する怒りの発露なのだとは思うけれど、特に対象を特定することなく話が進む。切断処理と思考停止、それは敬意がない姿勢であってその学問や若者にとってはたいへんよくないという怒りの内容。漢字や英語とおなじくらい、あたりまえに数式は読めるようになるべき、できない人は恥ずかしいと思えと。
私は漢字だってそんな詳しくないし、英語だってろくに読めない。ほかにもできないこと知らないことが山のようにある。ひとつひとつ恥じていたら、本当にもう、生きていられないくらいの量になる。恥ずかしくて、みっともない存在だというしかない。
私には、数学じゃないけど、とてもとても苦手なものがあって、長いことそれは「人として普通にできなければだめ」だと思ってかなり苦しめられていた。だけど、ある時点でようやく、人は得意なことに注力そこを伸ばしていれば、社会でちゃんと居場所を与えてもらえる、座る場所をみつけられるということを知って、それでずいぶん楽になった。
もっと早くこれがわかっていればなあとも思った。「早くわかりたかった生き方」とは、ちょうど「数式アレルギー」という言葉をつかって、自分事になる前にスミマセンそれはこれ以上こっち側に入りません!とシャットアウトするようなやり方だ。私はこれをもっと早く知りたかった。たぶん、弱かったからだ。弱い人間なので、少ない体力・能力・時間を、できるだけ絞って特定領域に注力して、ようやく人並み…というか、私はこれが仕事です、と言えるレベルになった。
入ってきてほしくない何かをシャットアウトする時は、情けない顔をして、「すみません私、そういうのが本当苦手で・・・」とへーこらしているだろう。「アレルギー」という単語は使ったことはない気がするが、苦手な部分については取り組むときはアレルギー的に具合が悪くなる。それに触ると軽いパニックになって、心臓に血液がまわって体のほうに震えがくる。飛べそうもない跳び箱を前にしたときと同じかんじだ。情けない。恥ずかしい。そういえば、アレルギーは先天性の避けられないものだから、「苦手」のたとえとして適切でない、という批判を見たけれど、もともと体に合わないのを知らず多量摂取した結果発現する後天的アレルギーもあるので、個人的にはそこまでずれた例えだとは思わなかった。死ぬレベルじゃなくて「触るとかぶれる」「くしゃみがとまらない」程度のアレルギーもある。大きくなってからアレルギー、トラウマになったものがない、という人は幸福だ。うらやましい(私はソバアレルギーになってしまったし、花粉症も出た…)
そんな話を、私はしょうもない笑顔を貼りつかせて言うだろう。神妙にいったら、もっとみじめになる。敬意なく見えただろうか。誰かをいらだたせるようなやりかたをしているんだろうか。
エントリいわく、そんな私は矮小なニセモノの大人だった。考えて学ぶ時間をとっていない勉強不足の。大丈夫だよ出来なくても生きていけるんだよ、などとのたまう、才能ある若者の前には害でしかないような。
自分の専門外のことまでちゃんと気が回って、スマートに返せる人が「まっとうで普通」、「わかりません」を使う人間はものすごくマイナスの彼方にいて、恥ずかしい存在、って書いてあるように読めた。
わたしも実はかつては「わかりません/しりません」が嫌で(かっこわるいし、相手に失礼だと思ったのだ)人とボールのやりとりをするときは、気をまわしていちいち相手方の勉強する方だった。そのころ私は、出来るやつだ、という評価をもらえていた気がする。でも、それは過大評価だった。 時間を使ってむりやりやっていただけで、自分のしごとにプラスオンで、そこまではやってられなかったのだ。ある日パンクした。キャパオーバーになった。
「苦手なことを本業から除外」するためにも、こちらの「相手のためにちゃんと勉強しなきゃ」をやりすぎないためにも、 シャットアウトは私には必要な作業だった。
・・・別に自分に向けられた言葉でもなく、状況はまるっきり違うということは頭ではわかっている。それなのになんでこんなに悲しいのか考えたところ、ちょうどこのあいだホッテントリに入っていた、生きがいについて聞く増田と、その増田を憎む、というエントリの構図を思い出した。既に大量に「持ってる」ことを自然体としてもっと上の何かを求める増田と、そもそも「持ってない」増田。前者の増田に、後者の増田の存在は認識されていなかったので、傷つく人がいるなんて想像もしなかったんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160728000910
http://anond.hatelabo.jp/20160728154543
「できる」「持っている」のが当然で、そこがゼロ地点である、という前提で始まる議論は、たいへんまぶしく光っていた。そこからはるか下にいる自分は、 光にばーっと照らされるて、うわー、ゴキブリかー!と改めてつきつけられてしまった。結城さんや、ほかの仕事できる側ですと言うブコメたちからみたら、私は、あの憎む増田のいうところの、ゴキブリということなんだー、と。それがはっきり見えて、私は、 あんなにみじめで悲しくてショックをうけてしまったのだった。 書き手はそんな意図はなかったかもしれないけど、本心をふつうに書いた結果、それは流れ弾になって飛んできた。「恥ずかしい」「ニセモノの大人」 「勉強不足」 全部つきささってしまった。ブコメの「頭が悪い」「逃げをわざわざ打つな」「無知はさておき、恥知らずはちょっと」「無責任」などなど、もりもり刺さった。やっても追いつかない、体が持たずに睡眠に割いてしまう、これは、勉強不足か、頭がわるいか、無能か。
思い返してみる、そういえばもともと、結城さんは「中高生が一人でも数学面白いって思ってくれたら」みたいなことをよく書いていた気がする、今回も「若い人が」って、今後やってくるであろう未来ある若者と数学の未来について考え、憤っている。あー、もともと私のような人間はその立派な活動のおこぼれにあずかっていたようなものだろうか、などと、感じてしまった。優しいから別にそんなこと誰も直接はぶつけてこない。「誰しも学びたいという気持ちが」とか「すそ野を広げることが大切で」みたいに書いてくれるだろう。でも、ただ、眼前には辛辣な実際があった。それを見てしまっ(たように思え)て、がっくりとくじけてしまった。この人は弱い方の人間のためにも階段を用意してくれる人だ、この人は味方だ、…そう思っていたので、ちょっと、そう、ショックだったんだ。
こういうリプライを飛ばしている方がいた。結城さんもこれをリツイートしていたので、それですこし救われた。
「このポストは生まれつき数学が苦手な人に対して失礼だと思います。彼らは「勉強不足」で数学 (算数) のような抽象的な概念がわからないのではありません。生まれつき無理なんです。そして生きるためには「数学は苦手である」ことをこのような表現で宣言する必要があるのです。」
生きるために、という一言がとても優しい。これを読んでまた泣けた。ありがとうございます。
これが繊細チンピラと呼ばれる人々の見る世界か…などと思った。向こうに悪意はない、ないのは知ってる、でも、アアー。何かを受けて勝手に倒れ込んでしまった。朝から夕方ごろまで、めそめそしたりぐったりしたりしていたけど、落ち着いた。大丈夫だ。でも、たぶん数学ガールはもう読めない。あれは私のものではないなと強く思ってしまったから、みじめな気持ちになってしまいそうだから、いったん自己防衛のために、もろもろフタをしめて、また明日から仕事とか家のこととかで、ばたばたして一度いろいろ忘れたいと思った。あー、きょうはお天気もよさそうだし爽やかに走りに行こうと思ってたのだけど、目が真っ赤になりすぎて外に出られなかった。のんびりストレッチでもして寝よう・・・。
猫にヴィーガン食を食わせたTwitter投稿が話題になっているが、菜食主義と言えば昨年、「僕が菜食をやめた理由」という記事がホッテントリ入りしていたことを思い出した。
http://neem.ti-da.net/e7306447.html
内容としては、慢性的な体調不良に悩んでいた菜食主義者が紆余曲折を経て菜食主義をやめ、今度は肉食(糖質制限)に転向したという話。肉食を疎んでいたものが今度は糖質を憎むようになったという感じで、そのジェットコースター並みの思考転換がなかなか読ませる記事で、方向は変わっても結局本質は変わっていないんじゃないか、これはこれで危険なんじゃと話題になった。
今回、そのひとのその後が気になり、久々に当該ブログを訪れた。最近は別ブログを始めたようだ。「僕が菜食をやめた理由」記事へのアクセスが相変わらずとても多いようだが、来訪者に向けこういった記事を書かれている。
どうやら現在は、穀類も肉類も野菜も、特に制限なく食べる暮らしをされているようだ。
ときおり、
「何を食べて良いのかわからない」
「⚪️⚪️についてはどう思いますか?」
といったメールを
情報が溢れすぎてて、様々な「全く違う主張」が
飛び交っているので、混乱するのも分かります。
ほんとに難しいですよね。
いつからこうなったのでしょう?
僕の考えとしては、「質を考える」ことと、
と最近は思うようになりました。
なかなか体調が改善しない」という人は、
とりあえず細かいことは置いといて、
一度頭をリセットして、
「とりあえず食事を楽しく、気楽に食べる」
「過食がとまらない」という人が多いです。
そういう人は、特に。
思っている以上に大きいです。
私自身は食への関心が薄い方であるから、この方の食や健康への情熱には共感できないところは多い。けれど紆余曲折の末この方が至った、「とりあえず食事を楽しく、気楽に食べる」という言葉には妙な説得感を覚えて、なかなか快い気分になったので、この増田を書いた次第である。
あるいは、去年の記事一番伝えたかった事:しあわせごはんとおやつneem やベジタリアンの言い分:しあわせごはんとおやつneem (タイミングとしては、「僕が菜食をやめた理由」を書かれた後に投稿された補足記事)も読んでて面白かったので補足しておく。
長門好きの友人が、長門のキャラソンが消失のちょっとネタバレチックだけどすげえいい曲って興奮して話してきたのを今でも覚えている
SOSならだいじょーぶは部活終わりの夕方のちょっとせつない郷愁を思い出させてくれるような、例えるならアニメのED
こないだモナカ10周年?だかのインタビューがホッテントリにあがってたけど、その中でハルヒの詰め合わせ(God knows, Lost my music,恋のミクル伝説の3曲が入ったCD)が未だに売れている、という話が出てきててびっくらこいた
マジかよ
まあ確かに名盤ではあるよなあ
思い出補正もあると思うけど
First Good-Byeとか好きだったなあ
SuperDriverも好きだった
またあの頃に戻りたい
思うところあって増田を書きたいと思う。
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/07/19/223314
子供のころ、なぜ自分のお母さんだけがずっと布団に寝ているのかいつも不思議に思っていた。
友達のお母さんはハキハキしていて元気そうに笑っているのに、どうしてうちのお母さんは寝てばかりいるのか。
うちのお母さんは夕飯の用意もできないほど弱っていたので近所の家におかずをもらいに行くのが日常だった。
近所の人は案外優しくて良くしてくれた。
当時の母は弱り切って、いわゆる炊いたコメが食べられなくなっていた。
だから食パンを牛乳に浸して柔らかくなったものをちぎって、すするようにして食べていた。
母がいわゆる普通の御飯を食べられるようになったのはしばらく経ってからだった。
===
我が家は子供が3人で、全員が発達障害に産まれてしまった。おそらくだが父親も発達障害の可能性が高い(たぶんアスペ)
上に兄がいて、下に双子が産まれてしまった。簡単に書くと兄が自閉症、妹(双子)がアスペ&ADHDという組み合わせだ。
母に言わせると兄が大変に手のかかる子供で、尋常でなくつらかったらしい。
兄は2歳くらいのときに自閉症と診断された。母はものすごくショックだったようだ。
母が言うには、兄はまずアイコンタクトというものが通用しない。母が困った顔をしていてもまったく目に入らない。
とにかくこちらの気持ちが通じないのだ。自分の子供のはずなのに、昆虫かなにかを相手にしているような感覚になる。幼児なのに、である。
兄は極端に神経が繊細で、少しでも気にそぐわないことがあると暴れたりかんしゃくを起こしたりする。当然ながら寝ない。ちょっとでも物音がすれば起きる。
母側からはコンタクトが通用しないのに、兄は極度な甘えたがりで母と一瞬でも体が離れると泣いて暴れる。
そんなことの繰り返しだったが、下にまた子供が出来てしまった。
双子育児はただでさえしんどいのに、この双子はまた発達障害だった。
(※注 当時はまだ診断基準がなく、増田自身の発達障害がわかったのは30すぎてからです)
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今でもくっきり記憶に残っているのだが、物心ついた時、母は家におらず入院していた。
母が言うには、とにかく子供の世話に追いまくられ、父は仕事が忙しくて育児を手伝ってくれることは皆無、
親戚や実母なども事情が重なって手伝いに来られず、気づいたら骨と皮ばかりに体が痩せていたという。
トイレへ行くのも床をずるずると這って行ったが、それすら無理になったときほとんど本能的に電話に手がいって救急車を呼んだという。
(母が言うには、本当に体がダメになったら尿はほとんど出ないらしい。)
最後に自分で測った記憶があるのが34キロ、病院で測ったところ32キロだったそうだ。(母の身長は155センチ)
母は子供を産むまではフルタイムで仕事をしていたので、すごく体が弱いというわけでもない。
ただ以前あった増田のように編集者レベルでタフかというとそうとも言いがたい。
いわゆる核家族だったが手伝いにきてくれる人が残念なくらいいなかったのだ。
当時は今のように自閉症児に対する工夫などの情報がほとんどない。ネットもない。
その後、母は極端に病弱な体になり、基本的には家で寝ていた。
兄をみる余裕がなくなった母は、まだ幼かった兄を母の実家にあずけた。
半年ほどして母が様子を見に行ったところ、祖父と祖母はげっそりと痩せていた。
とくに祖母は気疲れがひどく、10キロ以上痩せてしまっていた。
兄の相手をすることや兄の要求を聞くことがとんでもなく大変だったらしい。
困り果てた祖母は、兄を霊能者のところへ連れて行ったことがあるらしい。
すると、兄は親戚中の悪いところをすべて引き継いで産まれてきてしまったのだと言われたそうだ。
だから親戚の他の子には悪いものはいかない、なぜなら兄がすべて悪いものを引き受けてくれたからだと。
娘の存在は、母にとってはやすらぎとなり、母は兄よりも娘といることを好んだ。
兄は私が覚えているかぎりでは幾度となく親戚の家に預けられていた。言い方は悪いが兄は「たらい回し」にされていた。
長期間預けるとトラブルを起こしたり、その家の人が寝込んでしまったりするので、半年くらいで親戚のあいだをぐるぐると移動していた。
今でもよく覚えているのだが、兄が家にいないと母はとても嬉しそうにしていて、花を飾ったり凝った料理を作ったりしていた。
料理に対して「わぁ〜!」と反応すると本当に喜んでいた。
これ、これなのよ、私の望んだ家族の姿って!これなのよ!というような。その瞬間だけはまさに母の夢が開花していた。
兄がいないと父も穏やかな表情になって、母もそのことを嬉しがっていた。
私たちは、まるで兄がもともとからいない家族であるかのように食卓を囲んでいた。
兄がひどく育てづらい子供だったことで母は疲れきっていた。
だから、兄が家からいなくなると、気持ちが晴れ晴れして小康を取り戻すのだった。
下の子たちもADHDがあるため、忘れ物も怪我もひどいし学校に呼び出されたりそれはそれで面倒だったが「気持ちが通う」という点で、母のしんどさは桁違いに違ったらしい。
自分の記憶では、兄は4〜10歳くらいまで、ときどき家にいたがときどきいなくなっていた。母の実家、父の実家、親戚の家…あちこちに預けられていたと思う。
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その後も兄関係でゴタゴタがいろいろありましたが、いま40歳目前になる兄が社会適応できることはありませんでしたとだけ書いておく。
そしてそういう子供が一定数産まれてしまうこの世の不条理というかなんというか。いや、社会のほうが未熟なのかな。私にはわからないですけれども。。
読んでいただいてありがとうございました。