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はてなキーワード: テレビ番組とは

2017-12-23

anond:20171222234919

あん関係ないけど

最近テレビ番組AV女優が出演することが多くなった

ちょっと前なら考えられなかったことだ

壇蜜なんか天下のNHKにかなり頻繁にでてくる

玉袋筋太郎知恵袋賢太郎という名前で出演させたNHKにだ

世の中おゆるくなって来ていて、「ヤリマン」くらいどうってことなくなってきてるんじゃないか

童貞」「ヤリマン」を下品だなと思うのは世間に取り残されているからなんじゃないか

と、心配になってきたところ

2017-12-19

この冬に見ておくべきテレビ番組

なんかある?

anond:20171218103948

特殊な状況だよな

大物に対して、証拠が残ってるかどうか怪しいほど過去出来事を持ち出して批判する

告発者が顔を出してるから信憑性がある、というだけの話で、物的証拠があるのはそうそうないだろう

マイケル・ジャクソン裁判も、テレビ番組から端を発したヒステリック告発

状況証拠しか出てこず結局無罪になってるしなあ

2017-12-12

なぜ日本人は「韓国男尊女卑」と言うんだろう

韓国男尊女卑を調べてみると、十年以上前の話が多く、最近ではDV家父長制は改善した代わりに2ch的な男尊女卑が幅をきかせているらしい。

ちなみに韓国では「三日に一度妻が夫に殺されている」らしいが、それは日本も同じ。

韓国の反応系ブログを見ていると、向こうの「イルベ民」が日本ネット民みたいで、しか韓国事情垣間見えて面白い

いわく「韓国女性専用が溢れていて女尊男卑フェミニズムが幅をきかせている。男だけ軍隊に行くなんておかしい」

韓国の男の優しさやレディーファースト韓国の女やフェミは当然だと思っている。割り勘してくれる日本女性は素晴らしい」

日本男尊女卑であり、我々イルベ民の理想日本テレビ番組を見ると、我が国では女性嫌悪だと言われて潰されそうな内容が放送されていてビックリする」

日本レイプされた韓国人女は自業自得日本みたいな危険な国に行くのが悪い」

日本人イスラム国を見るような目で向こうは日本を見ているらしい。

女性専用があってetc日本女尊男卑!」というなら同じ基準韓国女尊男卑と言わなければおかしいんだけどそうはならない。日本ネット民イルベ民も自国女性専用や女にはあれだけ文句を言う癖に「韓国/日本危険男尊女卑から無理もない」「韓国人/日本人女性嫌悪おかしい」と急にフェミニストになるのが笑える。

なぜ日本人は「韓国男尊女卑」と言うんだろう

韓国男尊女卑を調べてみると、十年以上前の話が多く、最近ではDV家父長制は改善した代わりに2ch的な男尊女卑が幅をきかせているらしい。

ちなみに韓国では「三日に一度妻が夫に殺されている」らしいが、それは日本も同じ。

韓国の反応系ブログを見ていると、向こうの「イルベ民」が日本ネット民みたいで、しか韓国事情垣間見えて面白い

いわく「韓国女性専用が溢れていて女尊男卑フェミニズムが幅をきかせている。男だけ軍隊に行くなんておかしい」

韓国の男の優しさやレディーファースト韓国の女やフェミは当然だと思っている。割り勘してくれる日本女性は素晴らしい」

日本男尊女卑であり、我々イルベ民の理想日本テレビ番組を見ると、我が国では女性嫌悪だと言われて潰されそうな内容が放送されていてビックリする」

日本レイプされた韓国人女は自業自得日本みたいな危険な国に行くのが悪い」

日本人イスラム国を見るような目で向こうは日本を見ているらしい。

そして日本ネット民イルベ民も自国女性専用や女にはあれだけ文句を言う癖に「韓国/日本危険から無理もない」「韓国人/日本人女性嫌悪おかしい」と急にフェミニストになるのが笑える。

2017-12-11

自虐ネタとかブスをいじるネタが全く笑えない

お笑い芸人の人たちはおもしろいとしてやってるんだろうし、実際それでウケてきてるんだけど、全然面白くない。

今女芸人No.1かいテレビ番組やってるけど、女芸人は大抵顔のブスさをネタにしてるから何も笑えないだろう。

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-12-07

テレビは何で月額サービスやらないんだろう?

あれってフリーミアムモデルじゃん

しかも相当強力なやつ

視聴率1%でも100万人くらいユーザー居るの

全体のお客さんって数千万

月額500円のプラスαサービスを1000万人に売れたら年間600億円

 

まあテレビを使った他の事業でやってるけどね

ダイレクトテレビ番組と言うコンテンツに反映される有料月額サービスって聞いたことない気がする

あれか、独禁法とかなる?

2017-12-06

ニコニコ動画に求めているもの

Youtubeや他の動画サイト見てみろ ってよく言われるけどぶっちゃけYoutubeかに求めるものニコニコ動画に求めてる物って違うんだよね。

Youtubeって言ってしまえばテレビ番組とかコンサートなんだよね。一方的提供されてそれを楽しむっていうか。

対してニコニコライブとか祭りなんだよね。こちらがすこし介入の余地がある。

この「すこし介入の余地がある」っていうのが重要。すこしでいいの。どうせ自分は何かを生み出せないんだから、すこしの介入でいい。

Youtubeには面白い動画いっぱいあると思うよ。ニコニコ動画は糞つまんない動画が多いと思うよ。

でも、その「糞つまんない」をおもちゃに遊ぶやつが多いからこそのニコニコ動画なんだよ。

 

どう考えてもニコニコ動画動画の質はクソ。

それは、仕様上クソなわけじゃない。アップロード者、その動画自体が大抵クソ。

普通に考えて、ホモビデオ男優をクロマキー合成で並べて変なストーリーをつけただけの動画とか、世界記録でもなんでもないRTA動画やら、ウェーイ系がうぇーいって言いながらプレイしただけのゲームが大半。

もちろん中には「おまえ素人じゃないだろ」ってやつもいるけど、ランキングの大半は上のようなそびえ立つクソ。

それがアップロードを許されるのは「ニコニコ動画から」なんだよね。

 

中国韓国二次元萌え文化って急速に進化してる。アズールレーンがここまで日本人好みの仕上げがされているのが分かる通り。絵だって日本人絵師並に萌え理解できた絵柄になってる。

かといって、クールジャパン中国韓国に負けたのか?まぁ、ぶっちゃけ「中の職人」に関してはそのうち抜かれる。でも、日本という表現規制がクッソガバガバハードがあるからソフト面でいくら中国韓国が優れようとアズールレーンのように「本来やりたかった表現だ」と日本に渡ってくることは耐えないだろう。

ニコニコ動画もそう。クッソガバガバな「ニコニコ動画」というハードがあるからこそ、淫夢動画しか見どころがないし、クオリティが低くてもアップロードできる。

Youtubeと、ニコニコ動画と、FC2アダルト、各それぞれに「真夏の夜の淫夢」をアップロードすることの意味は違うはず。

 

なので、ニコニコ動画に頑張って欲しいのは、もうハードとしてどうでもいい。

画質の向上とか、生放送の枠撤廃とか、ユーザーが求めているものは確かにあるがそれは二の次でいい。

ただ、ニコニコ動画を守って余計なことをしないでいてくれるだけでいい。

2017-12-03

「善性に基づく」の欺瞞

いささか旧聞だが、以下の記事を読んで思ったことを書く。

性善説に基づく出産一時金42万円等 健康保険外国人が乱用” http://blogos.com/article/262409/

ここでは「性善説」とは誤用なので、「善性」とでも読み替えて考えよう。

記事の内容や事件の詳細についてはどうでもよい。今回考えるのは「善性に基づくルール」が実質的にどのような意味を持つのか、である

唐突だが、あるゲームルールについて考えよう。

このゲームは「積極的に動き回り、遭遇した他プレイヤーと殴り合いをする」というデザインである勝利条件は「生き延びてなるべく多くのプレイヤーを殴り倒す事」であったとしよう。

この「積極的に動き回る事」は「善いこと」の一つであるしかし、もしも「ある一か所にとどまり続け、動くプレイヤーを不意打ちで倒し続ける」という戦略が優位であるならば、

このゲーム実質的には「積極的に動くマヌケプレイヤー暗殺するゲーム」となってしまう。この「実質的」という点が重要である

このゲーム本来の「積極的に動き回る」という傾向を推奨する何らかの調整を行うべきであって、決してプレイヤーの「善性」を謳い、期待すべきではない。なぜか?

そのゲームが愚かにも善性を信じ、ルールを調整しなかった場合、最も得をするプレイヤー狡猾な暗殺者たちであり、そのワリを食うのは善性に準ずるプレイヤーとなるからだ。

これは「善性に順ずるプレイヤー」に対する不誠実であり、冒涜以外の何物でもない。

件の記事のような「善性に基づき」などと言う謳い文句は、ルール調整を怠るためのただの言い訳しかない。怠けでないなら浅はかだ。

「善性」を信じ尊ぶというのならば、決して「善性」に寄りかかるべきではない。それは善なる人の負担しかならず、むしろ人はみな狡猾であれと推奨してさえいるのだ。

一方で、このような記事もある。

日本社会に秩序があるのは「性善説」を前提にしているからだ=中国報道https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20171105/Searchina_20171105001.html

日本には中国よりも「誠実な」人間が多いのではないか、それによってより効率のよいサービスができているのではないか、という趣旨である

私がこれについて「なるほどその通り、日本人中国人よりも誠実な民族なのだ」とは特に思わないが、そのような「教育」が成立し、不誠実な行動に罪悪感を覚えやすい人が多いのではないか?と考えることはできる。

しかし、この件でそれ以上に影響が強いのは、つまり「十分に高いホテル利用者は、ホテルにある備品程度のもの必要だとは考えない」ということだ。

中国にしても、十分高級なホテルならば、チェックアウト時に備品チェックなどという失礼なことはおそらく行わないだろうし、日本でもカプセルホテルのような安いホテルでは盗めるような備品自体そもそもないだろう。

無人販売所については、これはむしろ村社会相互監視の恐怖や罪悪感の方が重要であろう。実際のところ「ここに住んでいるのは野菜を盗むような奴だ」と噂されて得をする人間はいまい。

私は昔「無人販売所でお金を払わない人はいるのか?」という趣旨テレビ番組を見たことがあるが、「1円だけ入れる」ような所作野菜を盗む人は複数人いた。この所作には罪悪感や監視を恐れる感情が見て取れる。つまりこういう不可視の「罰則ルール」が無人販売所というゲームを保たせているのだろう。

万引き被害日本でも重要社会問題だし、そもそも何より「法律」は罰則ルールがその骨子にある。

「善性」などというおまじないに騙されるのはやめて、みんなが正しいルールについて考えるべきだ。

2017-11-30

Youtubeの急上昇にテレビ番組違法切り抜きアップロードが多すぎる

若者のテレビ離れとは何だったのか

テレビを見なくなったんじゃなくてテレビで見なくなった(ネットで見るようになった)だけなんだろう

2017-11-27

旭鷲山の嘘ばれる 日馬富士と連絡取ってなかった

貴ノ岩電話で連絡を取った元小結旭鷲山ダバー・バトバヤル氏(44)のさらなる虚言が明らかになった。同氏が出演した一部テレビ番組で、日馬富士とも連絡を取り、内容は後日明かすとしていたが、そもそも日馬富士とは連絡を取っていないことが関係者の話で分かった。

https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201711270000158.html

旭鷲山政治力があると持て囃していた増田はどこへいった・・・

偽善

あれは偽善じゃないよ。慢心というんだ。

募金活動をしてテレビ番組応援することで、障害者病人応援している、と思いこんでいるだけだ。

集まったお金が実際にどのように使われているかなど知る由もないし、応援している当の本人は知ろうともしないだろう。

それこそが慢心なのだ

所謂偽善と言われているものほとんどは、善良な行為をしている、という思い込みで満足している人のもとで成り立っている。

迷子の犬を探してくださいという拡散ツイートがすぐにインターネット上を駆け巡る行為と同じだ。

そこに本当に探そうという気はない。探す行為に加担したと慢心しているだけである

2017-11-21

anond:20171121151137

俺もアニメ以外興味ないアニオタなので、アニメ好きと明かしたときゲームの話されるのがつらかったことが何度もあるわ^^;

今はもう、映画とかテレビ映像鑑賞という風にぼかし気味にしか言わないようにしてる。

見る映画の大半はアニメだけど、たまには、実写もみるし、

テレビ番組ほとんどアニメだけど、たまに鬼平とかスタートレックとかみるから、まぁいっかみたいな。

映像作品の良し悪しの判断基準

ホンネTV最近話題になりました。銀魂、ねほぱほ等、奇抜な作品話題に上がることが多い気がします。

私の観測視野が狭いのかもしれませんが、映像作品の良し悪しの判断基準の一つに、抑圧された表現解放という部分が目立つように思いました。

スポンサー株主などの影響で報道に偏りを持たせたり、奇抜なことやほんの些細な表現までを抑圧されているのではないかと、おそらく多くの人が感じているのだと思います

話題に上がる番組を目にしながら、その抑圧された表現方法を大きく打開するような番組が求められているのだと感じました。

逆の観点から見ると、面白味や感動といったものを置き去りに今までにない表現方法視聴率を獲得しようという動きがうっすら見えている気がして、私個人としてはあまり好まない傾向にあります

報道番組では真実を映すことが求められますが、その他の番組一般的には見えない真実を追い、テレビ番組としての面白さやエンターテイメント性を失っているようにも感じてしまいました。

2017-11-20

東海オンエアのUUUM所属モヤモヤさまぁ~ずのゴールデン進出と。

なんとなく、誰かに読んでほしいと思った雑文

元SMAP3人のAbemaTVでの番組テレビ番組の改変など最近テレビに関するニュースや論考をたくさん目にする。

テレビは終わったとか、昔のほうが面白かったとか。こいう話題の時に、僕は糸井重里コラムを思い出す。

https://www.1101.com/readers/2013-10-13.html

なにか新しいものを作ろうとすると最初は苦労するし、みんな一生懸命になる。

ただ、ある程度成長して安定すると、いろいろなことが慣れてきて停滞してしまう。それがいまのテレビ状態な気がする。

そんなときに、新たな場所うつってまた新しいものを作ろうとするのは自然健全なことだと思う。

実際、AbemaTVを作ってるのはテレビ番組制作会社が多いし、あくまでもテレビ進化しただけだと思う。決して終わってない。

じゃぁ、テレビは今後どうなるのか。

モヤモヤさまぁ~ずがゴールデン進出する時に伊東Pがインタビューでこう語った。

「ただ、ゴールデンタイム自分たちの大切にしているものを持って行かないで、深夜を治外法権みたいにして好きなことやるっていうのはね、そろそろどうなんだろうと。だからって、なにも『モヤさま』を持って行かなくてもって気持ちはあるんだけど(笑)、『モヤさま』をゴールデン放送することは意味のあることなんだよって話しました。「ゴールデンタイムで遊んでやろう」って感じで。」

http://www.ohtabooks.com/quickjapan/special/001_03.html

そして、ユーチューバー東海オンエアがUUUMへの所属を発表した。

https://www.youtube.com/watch?v=47sFQ71jSDQ&t=

この2つの挑戦が、テレビの今後目指すべきところを指し示しているようなきがする。

2017-11-15

ねほりんなんとかって誰に需要あるの?

もしかしてマスコミ真実を映してくれない!って層?

あれもテレビ番組だけど。

あれ見て真実知った気になってるのって、ネットde真実と同じくらいのレベルだと思うよ。

anond:20171115122445

ゲーム曲はJASRAC管理委託すると続編で自由に使えなくなる(自分の曲でもJASRAC使用料払わなきゃならなくなる)という事情JASRAC管理委託しない事がよくあるらしい

それを踏まえてさ、テレビ屋さんがコンテンツ作るときにちゃんと素材の著作権関係調べて、必要なら許可とって〜とかわざわざやってんのかなぁと思った

なおテレビ番組で使われてる具体的なゲーム曲が思い浮かばないので自分で調べる気は一切ない

テレビJASRAC管理楽曲

たまにゲーム音楽SEとかBGMに流してるテレビ番組あるけどあれって権利関係ちゃんとしてるのかな?

どう考えてもJASRAC管理の曲使った方が権利関係の処理楽だと思うんだけどちゃんと著作権者許可とって使ってるんだろうか?

2017-11-14

なぜ迷惑サイト批判においてamazongoogle批判はされないのか

資金源はこいつらだろ?

アクセス流入問題もあるし

フェイクニュース問題もそうだけどそれを支援する企業批判するべきだろ


テレビ番組よりスポンサー批判するみたいなことがなぜ行われないのだろうか

インスタ蝿スイーツ(笑)より気持ち悪い

スイーツ(笑)って最近見ないなと思ってググったところもう10年前に流行ったネットスラングだった

この頃インスタ蝿揶揄される人種に得も言われぬ気持ち悪さを感じていたが、スイーツ(笑)比較することでなんとなくそ気持ち悪さが浮き彫りになったので書き留めておく。

スイーツ(笑)個人的に「残念な人だな」と感じながらも気持ち悪さは感じなかった。

スイーツ(笑)の人々の特徴をwikipediaから引用すると

“(雑誌の)コピー鵜呑みにし、メディアに躍らされている女性たち”
“雑誌テレビ番組が仕掛ける流行を追うことがオシャレだと思いこんでいる女性”
“テレビ雑誌などの流行に影響されやす若い女性

などなど。いろいろな広告宣伝に踊らされる残念な人々への揶揄である

インスタ蝿比較して踊らされる残念さはあるものの、気持ち悪さを感じなかった理由として

目標とする価値自分の外部に置いていて(その目標の良し悪しはあるにせよ)それに向かって自分を変えていく・向上する姿勢が見えること

・(広告流行に比べて)自分自己研鑽をする立場にあると感じている(ある意味での)謙虚

があるのではないか


今のインスタ蝿どもに感じる気持ち悪さはこれらがないこと、すなわち

手段は問わず自分価値観が高まったように"見える"ことが大事

・中身のない割に"影響力"を持とうとする傲慢

が強く感じられた。

ニコ生主やYoutuberといったセルフプロデュース界隈にも同様の気持ち悪さを感じている。


この10年どういった原因でこういう気持ち悪い人種が増えてきた、または可視化されやすくなってきたのだろうか。

2017-11-12

テレビバラエティ番組批判

番組上の演出を含んだ番組批判している場合じゃなく、けいこ中に灰皿投げつけたり、高い所から突き落とそうとしたりする演出家批判する方が先じゃないですかね?

担当番組はくだらないバラエティでは無かったかも知れないけど、必要性の薄い選挙開票調査に付きっ切りで掛からせて自殺させちゃった件とか、テレビ番組上の展開について許せないとか怒るんじゃなくて、現実職員がひどい目にあっている事とかをもっと批判した方がいいと思うんですよね。

2017-11-06

72時間ホンネテレビをちょいちょい見てた感想

テレビ番組の輸入でしかない

拡散しか念頭に置いてなくて視聴者番組内容に影響するような相互関係じゃない

ネットに強い若者はそこそこ見てた可能性はあるが老人たちには見られてなさそう

あと元スマップに対してはジャニーズ時代に培ったコネ利用しててそこは否定するべきでは

裸一貫で面白いコンテンツを作って初めてスタート出来るというか

いろいろしがみつき過ぎ

ファン的には嬉しいんだろうけど

2017-11-03

テレビ番組に関するニュース全然からない

終了が話題になってても一度も見た事ない

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