はてなキーワード: クラスタとは
出来てない。
こんなもんを書く奴も正当化しようと頑張る奴も要するに頭が悪い
設定のガバつきへの突っ込みに「想像力の多寡」を持ち出したのはオマエ。
>以上と言うことは大佐でもいいはずだ。
言い訳になってねーぞ。
「大佐以上」って言っておいて大佐だと破綻するなら単に設定がアウトじゃねーか。
何を開き直ってるんだバカ。
そんなラノベ読書暦みたいなもので誇られても笑っちゃうからやめてくれ。
けどそういう設定も何もない。ただ「ぐんのえらいひと」というだけのイメージ。
ただのバカじゃんこれ。
肝心のとこでそうやって逃げを打つぐらいなら最初から逃げてろよ。
だから、その大佐だか少将だかの謎がキモって書き方してねーだろ。
大佐の設定がおかしいのは「何か最大のウエイトの設定を秘めてるから」じゃなくて
で、質問を繰り返すけど
http://anond.hatelabo.jp/20151017161356
俺は何回もツイッター上で最近のラノベという言葉を使っている。天狗にも捕捉はされているようだが特に文句を言われたりはしない。この言葉を使って天狗に襲われるのは、この言葉を使った上で、馬鹿だから。ここ大事だからもう一回言うよ。 ラノベ天狗に襲われるのは2つ条件があって「最近のラノベ」という言葉を使うこと、もうひとつがその言葉を使わなかったとしても言ってることが馬鹿であること。この2つ。 「最近のラノベ」って言葉を使ったから文句言われたって言ってる人は、そっちを強調して後者の条件から目をそらすのやめようぜ。
ラノベ天狗は結構そのあたり用意周到で、たとえその言葉を使わなかったとしても普段から馬鹿なことを書いているやつばかりをターゲットにしている。天狗のブログに登場するやつらは、その時点でバカ認定完了という証なんだよ。そこ勘違いしてラノベクラスタ怖いとかいってるやつは自分の馬鹿さを棚に上げてるから馬鹿の度合いがさらに増してるわけよ。文句を言われた時に反論すりゃいいのにラノベ天狗のブログを通報し「通報しました♪」というコメントまで残す東方の魔女っ娘キャラをアイコンにしてる馬鹿までいるがそんなやつにつける薬はこのセカイ上には存在しない。NDK? 通報した後勝利を確信して先走りに相手のブログに勝利宣言のコメントまでつけたけど運営に華麗に無視されて今どんな気持ち?
とはいえ、ラノベ天狗にいいたい。自分の馬鹿さを棚に上げちゃうくらい馬鹿な奴はいくら言っても話を聞かないので相手にするだけ無駄なのはわかっているはずなのにいちいち取り上げるというのはただの晒し上げ行為じゃないのか?それって最初から馬鹿にするつもりで読んでドヤ顔でラノベをバカにする記事を書く馬鹿とレベル変わらないのじゃないのか?俺にはカンガルーのAAが浮かぶとしか言えない。
烈士のことについて書いてたらいきなりべつの人間に絡まれたでござる。
http://unnamable.hateblo.jp/entry/20151017/1445080197
誰だこの人。文字が読めないのか?お前のことなど知らんわ。自分に粘着される価値が有るとでも思ってんの? 俺はぜんぜん違うヤツのことを書いたんだがラノベ天狗を通報する人が一人じゃなく他にもいたという現実をしって愕然としたわ。天狗も自業自得とはいえ苦労してんだな。
俺ちゃんと「文句を言われた時に反論すりゃいいのにラノベ天狗のブログを通報し「通報しました♪」というコメントまで残す東方の魔女っ娘キャラをアイコンにしてる馬鹿」ッて書いてあるよな。あんた東方の魔女っ娘キャラアイコンじゃないでしょ。通報しましたというコメントも残してないでしょ。それともお前はそのアイコンが東方の魔女っ娘に見えてるのか?天狗のブログにわざわざ通報コメントも書いたのか?違うだろ?落ち着いてちゃんと文章読め。それで自分は何も間違ったこと書いてないって言っても説得力ないだろうが。
読む気がしなくなるほどのダラダラとした長文書く暇が有るんだからちゃんと文章よめよ。そうやって文章読まずに思い込みで脊髄反射して被害妄想撒き散らされても俺あんたと関係ないんだから誰だお前としか思わんわ。 何書いてラノベ天狗に補足されたんかしらんがこの反応見るに明らかに自分ではまともなこと書いてるつもりで思い違いして変なこと書いたとしか思わんわ。自分に関係ない記事に反応して発狂してんだからな。他人に文句言う前に自分ではちゃんとしたこと書いてるつもりでもおかしな事書いてるかも?ってちょっとくらい疑ってみたら?
とにかく俺はあんたになんて興味ないよ。あんたの集団ストーカー妄想に俺を巻き込まないでくれ。俺からいいたいのはそんだけ。
以上。
落第騎士の英雄譚の1話って客観的に(ここでは学園での評価軸)みた天才ステラと落第生黒鉄の話だと思うんだけど、ここでその対立軸を凡才ステラと天才黒鉄って二項対立に代えちゃってるのがあれ。実際は天才と称される実際は努力を重ねる秀才(あるいは凡人)ステラと、落第生と称される実際は努力を重ねる秀才黒鉄って対立軸でしょう。原作よんでないから知らんけど1話観てこれほど誤読して、かつ語れちゃうのかと感心するレベル。
そっくりそのままお返ししましょう。僕は確かに落第騎士をきっかけにあの記事を書いたが落第騎士以外の話もかなりしてるし、落第騎士だけの話という書き方もしていない。あなたの方こそこれほど誤読して語れるのかと私は感心する
だいたい、全く努力してない人間を探すほうが難しいんですよ。才能なんてものはその多くは家庭の事情(親と同じ属性を持ってたから親が寛大で突き抜けたり、幼い頃から高いす順にあったから努力の自覚がない程度のもの)であって、努力と呼ぶかはともかく、努力をしてない人間なんかいないんですよ
それを努力だと思ってやってる人間を努力家だの真面目系クズだのと呼び、努力せずに自然と秀でた人間を変わり者や面白い奴と呼ぶ。変わり者とか面白いが3つも4つも固まったところにあって何かを作り上げてしまうような人が天才なのである
とこんなことをあのブログを読んでも気づけないバカがラノベを文化だ、テンプレで何が悪いと居直るから「程度の低いご趣味ですね」としか言いたくなくなるわけです。大抵のものには妥協点を探す僕でもラノベのテンプレ大好きな人は「いいテンプレと悪いテンプレも判別しないバカが多すぎる」と言うわけ
生まれてきた途端から歩き出して、しゃべるお釈迦様みたいに本当に努力しないで一度で何かができちゃう人なんかそうそういないんですよ。そして、僕はブログを書く前にあれこれ考えてからそれを書いて、それが終わった時に面白い意見が出なかったら考え方をそれで固める。つまり終わった話なのだよ
基本的に作品の好き嫌いってその人間の好き嫌いと直結するから僕がテンプレみたいなラノベに歩み寄って「あーやっぱりダメか」と言ってることも不毛だし、そのファンが僕から見たらバカかカルトにしか見えないこともまた不毛な話でしかないんですけど…もういいや。
いやさ、最近のラノベよりも最近のラノベクラスタ(≠ラノベ読み)の方が重症だよ。昔の禁書のファンは禁書が否定された時に「まぁ、せやろな」ぐらいに言う度量というか謙虚さがあったけど、最近の禁書の廉価版コピーみたいなライトノベルの信者は話題になってほしそうにして「嫌なら見るな」だもん。
いや、ゲームの分野の方が明るいからかもしれないけど、ソシャゲーの方がまだ批判されてる割には希望ある気がしてきた。ラノベ読みが好きなあんまアニメ化されないラノベは僕も好きだけど、ラノベクラスタが好きな挿絵目当てで買うラノベは「だったら、四コマ萌えアニメかアニメオリジナルでええやん」
年々ファンが狂信化する辺りも萌えが宗教たるゆえんなのだろうが、人が集まることの大抵の動機と組織メカニズムは宗教と同じような道筋をたどる(濃く煮詰まって滅ぶか、浅くなってい形骸化して残る)からなぁ…
アイドルグループ・あヴぁんだんどが売れてきている。足しげくライブに通っているわけではないが逆に遠目から見ていて売れてきているのが分かりやすく分かるグループだ。
なぜあヴぁんだんたどが売れてきているのかを、仕事上SEOに関わりがあるのでSEO的な視点から見ていきたい。
このグループは楽曲、メンバー、グループコンセプトなど、グループを語る上でのキーワードが多岐に渡る。「パフォーマンス」や「楽曲」「ルックス」などが評価されるアイドルグループはたくさんあるけど、この手の”ビッグワード”は競合も多く埋もれてしまいがちになる。それに対してあヴぁんだんどは、ゆめかわいい、サブカル、アート、音楽、アイドルDJ等はその一部だが、あヴぁんだんたどを語るその楽曲も多様なキーワードで語られている。渋谷系、坂本龍一、ニューオーダー、エモ、シンセポップ等、ツイッターを見れば、実に多様な言葉であヴぁんだんたどの楽曲について語られていることがわかる。
このようなひとつひとつの検索ボリュームはビッグワードと比べれば大きくないが、多様なキーワードで検索結果に表示される手法はまさにロングテールSEOだ。これらのキーワードが多ければそれだけそのキーワードに対して興味を持っている人に対してもリーチができるということになる。
■良質な被リンク
あヴぁんだんたどは同界隈のアイドルグループに比べて業界受けがめちゃくちゃ良い。ドラビデオ、非常階段など対バンした有名バンドに気に入られる。吉田豪や南波一海など界隈で影響力のある人物に気に入られる。また、あヴぁんだんどは運営がもたもたしてて、1枚目のリリースからなかなかCDが発売されなかったのだが、これまた界隈では誰もが知っているカルチャー雑誌「トラッシュアップ」が立ち上げた音楽レーベルから最近CDを出した。そのほか、デビューから1年で夏の魔物に出られる。メンバー個人への仕事依頼が多いなど。評価が評価をよんであヴぁんだんどというサイトに良質なリンクジュースが流れてきて、よりサイトパワーが増すという好循環を生んでいる。
昨今のSEO界隈の話題は総じて「コンテンツイズキング」だ。つまりユーザーの満足する良質なコンテンツを提供しましょうということ。
Googleは、ユーザーにとって役に立つサイトを上位表示することを目標にしている。役立つという言葉は今回は面白いとか興味深いという言葉に言い換えることができる。
あヴぁんだんどはメンバーの個性、楽曲の個性が時代にあっているというかグーグル的に言えば「ユーザーが見たいコンテンツを提供している」ということになるのだろう。昨今アイドルグループが乱立するなか、ユーザーの心をつかむコンテンツを提供しているということはなによりもSEOには強い。
最後に付け加えると、あヴぁんだんどは社会学者の濱野智史氏によって、別グループのオーディションに落ちた女の子を集めて発足したグループというコンテクストを持っている。そしてグループ名のあヴぁんだんども「見捨てられた」からきている。ここら辺、文脈厨や一部の思想クラスタがにやにやしてしまう案件になっているところも含めて、コンテンツ力があるアイドルグループなんだと思う。
ツイッターとpixiv、ブログのハンドルネームを全て分けているオタクなのだが、
pixiv、ブログでは扱いが良いのにツイッターではブロック、フォロー返し無し、リムとかなり扱いが酷い。
まー分かっている。
先日描いた同人誌の感想をpixivで書いて来て「考え方が同じです!もっと沢山話したいのでツイッターで繋がりたいです!」と言って来たそこのアマ。
こっちからフォローしてフォロー返しすらしてなかったそのアカウントをブロックしたろ。
考え方が同じと思ったなら何でブロックしたんだよ。
まぁ波風立てない様に「恥ずかしいのですみません><。」と返しておいたよ。
ツイッターとpixiv、ブログのハンドルネームを全て分け別人として活動しているのだけど扱いが酷いわ。
もちろん何のために同人活動をしているかによって、ゴミ扱いだったり、神扱いだったりと有るけどね。
賞賛が欲しいタイプ、一般的作家は明確なカーストを持っている。
解釈の違いを押し付けたいタイプは全員を洗脳するため全てのクラスタに優しい、時には自分の解釈の絵を配るまでする。
あー、面倒だけど保身のためには仕方ないのかもね。
エンブレム白紙撤回の報道で、各メディアが「取り下げはネットの功績」「最初にネットで指摘された」とそろって報じていて、何か何でもかんでも2ちゃんねらーのおかげ的な文脈になってるのが気持ち悪いので、把握している経緯をメモ。
・発表直後から、ネット、特に2ch系のコメントが集まる場所ではもともと「微妙w」「ダサいw」「これはない」「他のが良かった」という否定の感想で占められていた
・ベルギーのリエージュ劇場のデザイナー・ドビ氏がネットで「似すぎている」と苦言を呈した
・それがtwitterで拡散し日本語クラスタでも翻訳され拡散し、2chにも伝わった
・ベルギーのドビ氏が本気で訴訟すると表明し、最初からデザインが気に食わなかった日本のネットユーザーが総じて味方になった
・五輪組織委と佐野氏が記者会見で「全く過去にパクリはしたことない」と表明
・当初のエンブレムに関する「パクリかパクリじゃないか」「参照したのかしていないのか」という議論から、佐野氏の過去のデザイン検証の段階に入る
↓
以下、サントリートートバッグ画像盗用、ピンタレスト登録、太田市美術館疑惑、東山動植物園疑惑と出てきて、永井氏が「原案は別ものだった」と爆弾発言出て、組織委が原案発表、展開例の画像盗用、原案の参照元まで発見され、佐野氏により「五輪のイメージ悪化を防ぐため」という理由で白紙撤回がなされた。
↓
・ベルギーのドビ氏は「劇場ロゴと似ているから撤回した」という事実をIOCが認めない限り訴訟を続けるとしている
まとめ
イベントでレイヤーを追いかける人もいれば、猫写真専門の人もいる。
俺は風景写真、街撮りがメインで、被写体によってフルサイズとミラーレスを使い分けてる。
で、まあ女の子を撮りたいとか猫を撮りたいとか絶景スポットを撮りたいとかは理解できるんだけど、
バズーカみたいな望遠レンズを引っ提げて、航空ショーで戦闘機を撮ったり、カワセミを撮ったりする人たち。
自分が写真を撮るときは、「この夜景を長秒露出で撮ったら奇麗だろうなー」とか、
「こういう構図で撮ったら人の意表をついた写真になるんじゃないか」とか、人の心を動かすような
写真を撮ろうと思ってる。
でも飛びもの屋の人たちの写真は、「カワセミの飛翔をジャスピンで写しとめてるから凄い」とか
「羽の一枚一枚まで解像してるから素晴らしい」とか、そんなイメージ。
高速で動く被写体に、いかに素早く、正確にAFを合わせられるか。ファインダーの中央で捉えられるか。
まあこれは偏見だろうし、野鳥写真にも素晴らしい作品はたくさんあるんだろう。
※ブログ作ったんでそっちに再投稿しましたhttp://ztokumei.hatenablog.com/entry/2015/08/26/064800
アイドルマスターシンデレラガールズ19話ひどい話だったね…
だりーなが、本当にやりたいロックを諦めて、アスタリスクで妥協してみくに束縛されちゃったね。
19話のあらすじをざっくり言うと
なつきちに出会い、様々な曲を聞いたり、本を読むことで初めて本格的なロックを知った。
そして「なにやってるんだろう私」という台詞に象徴されるように
自分がやっているアスタリスクと、本格的なロックとのギャップに悩むようになる。
そしてさらに、本格的なロックの体現者なつきちのように、かっこいいロックをやりたいという目標を見出すが
同時にアスタリスクで、かっこいいロックがやれるのかと悩むようになる。
こうした事情の中で、みくの心情の吐露を聞いて、突然の「アスタリスクが私にとってのロック」宣言。
唐突に感じた人も多いのではないだろうか、この宣言をどう受け止めるべきなのだろうか
アスタリスクで、かっこいいロックがやれるのかと悩んでいたことはどうなったのか
だりーなはこれらの悩みを解決していない。
依然としてだりーなは、アスタリスクは本格的なロックではない、アスタリスクでかっこいいロックがやれるとは思っていない。
そして思い出して欲しいのが、だりーなのロックの定義は「自分がロックだと思ったらそれがロック」というものだ。
つまり、アスタリスクは本格的なロックではない、かっこいいロックもやれない、しかし自分がロックだと思うロックという位置づけだ。
それはすなわち「アスタリスクが私にとってのロック」という宣言は
本格的なロックを諦めて、かっこいいロックも諦めて、自分にとってのロック、アスタリスクで妥協したという宣言でもあるということだ。
なぜだりーなは、そうまでしてアスタリスクを選んだのか
だりーなが「アスタリスクが私にとってのロック」宣言の他に述べた、だりーながアスタリスクを続ける理由は
この二点だ。
それはすなわち、だりーなが本当にやりたい、かっこいいロックをやるためにアスタリスクをやめることになれば
自分で決めたことを自分でやめることになる、みくを泣かすことになる。それがだりーなには出来ないのだ。
だりーながアスタリスクを続けるのはこうした消極的な理由からだ。
自分で決めたことを自分でやめることが許せないのは、だりーな自身の問題だ。これに関してはだりーな自身が解決するしかない。
パートナーであるみくは、だりーなのためにアスタリスクをやって良かったと思ってもらうためにがんばっている
それがパートナーの役目だと考えている。
だがそのパートナーの役目の中に、本当にやりたいことをパートナーが見つけたら、それを後押しするという考えはない。
そもそもみくがアスタリスクをやる目的は、可愛いネコキャラで可愛い歌を歌いたいというものだった。
それが、いつの間にか、アスタリスクをだりーなと一緒にやることが目的になっている
そしてみくは、だりーながアスタリスクのことでで思い悩むことでさえ涙を流す。
みくは、だりーなを支えるために、がんばっているいい子だという評価もあるが
実際はパートナーが本当にやりたいことを見つけても後押しせず
みくががんばって、だりーなを支えているのではない
だりーながみくを泣かさないために、みくを支えているのだ。本当にやりたいことを諦めてまで。
デレマスアニメ19話は、だりなつクラスタから不興を買っているという話もあるが当然だろう。
だりーなが自分が本当にやりたい、かっこいいロックすなわち、なつきちと一緒にやることを諦めて
みくを泣かさないためにアスタリスクを優先したということだからだ。
そして、誰も幸せにはなれない。
だりーなはアスタリスクを続ける限り、自分が本当にやりたい、かっこいいロックが出来ない。自分がなにをやっているんだろうと悩み続けることは確かだ。
みくもだりーなが、本当にやりたいロックをやれないことは分かっているが、それでもだりーなと一緒にアスタリスクを続けたいと願い努力する。そしてだりーなが悩む姿に涙するだろう。
僕が車の免許をとったのは25歳の時だった、片田舎に住む人間としてはすこし遅いほうだ
嫌車家というわけでもないが車にたいして魅力を感じたこともなければ生活にもまぁすこし不便ではあるが必要というわけでもなかったので20万も払って免許を取ることはしなかった
ただ自然にそう思っていただけのある日
24歳のころ、父に「車を運転できないやつは人間じゃない」と言われた
土木関係の会社の役員である父は職業柄、車の便利さを常々しゃべってはいたがまぁ父は父であって僕は僕の生活があると考え必要だと感じたら免許を取りにいこうと別段なんとも思いもしなかったが人間じゃないと言われたのはすこしショックだった
僕は英語が喋れるのだが僕から言わせれば英語をしゃべることのほうが車を動かすことができるよりもはるかに人生を豊かにしてくれるものだ、そういう立場でもし父に言い返すのならば「車を運転できないより英語をしゃべれないほうがよっぽど人間じゃない」
そういうことになっちまうのだが実際にはそんなこと僕は一度も考えたことがない
人類を最も不幸にしたのは何か?核爆弾か?資本主義か?ポップミュージックか?宗教か?麻薬か?酒か?
車を運転できない人間は人間じゃない、キーボードを叩けない人間は人間じゃない、童貞は人間じゃない、ニートは人間じゃない、ブスは人間じゃない
全て進化論による漸進を強制された時代やクラスタに染まりきった人達の戯言だ
なんでもすべてできる人間など存在しないのだからある人間を不特定多数の進化論で語りだすと全員が人間じゃないってことになっちまうじゃねーか
日本で嫌独感情が強まっているそうな。中央日報はそう報じていたし、ドイツ関係記事のはてなブックマークコメントを見ても厳しい意見が目立つようになっているのは確かだ。
中央日報はこれはメルケルが日韓問題に介入したことから来る、右傾化の現れと言っていたがそう言う面がまったくないとは言えないとしても、それだけじゃないと思う。
それ以前から次第にドイツ人へのあたりは厳しくなっていっていたからだ。
これはインターネットを通して多くのドイツ人に普通の日本人が接する機会が増えたからじゃないかと思う。ドイツ人の「嫌な奴」率の高さは異常だからだ。
1.ドイツ文学者やドイツ語学者などのドイツ学プロパーの人たち。
のおおむね二種類だったが、日本でのドイツのイメージは主に第一クラスタから発信されていた。
こういうプロパーの人たちは、おおむねその国への関心が自分たちの飯のタネに直結するため、実像よりも美化して、好意的に解釈してその国を捉えがちだ。明らかにマイナス要因になるようなこと、たとえばアメリカでの警察官による黒人殺害などでも、「理想へ向けて苦難の道を模索するアメリカ」みたいに、好意的に解釈して描こうとする。
悪意だけで解釈するのが間違っているように、善意だけで解釈するのも実はその実像は歪められている。
こういうプロパーの人たちがいつもいつも対象を好意的に解釈しているわけではなくて、要は周囲の関心が高まるのが目的であるから、実態以上に悪意をもって描かれる場合もある。ロシアなんかはその好例で、実際には何とかして没落せぬよう踏みとどまっている人口1億4000万程度の国に過ぎないのに、冷戦時代の遺物のソ連研究クラスタたちの人たちの声が大きいせいでアメリカ外交政策を歪めている(代表例はブレジンスキー。あの男ほどアメリカにとって害悪を成した人はいない)。
とにかくプロパー研究者が描き出す姿には注意をしなければならないという話である。
日本でのドイツのイメージはプロパーのせいで異常に美化されていたが、実際にドイツ人と関わる一般人、第2クラスタの間では以前からドイツ人の評判は最悪だった。
私の友人は海外視察をコーディネートする、逆に日本に海外からの視察をコーディネートする仕事をしているが、ドイツ人が問題を起こす比率の高さは図抜けているという。こういう話はごろごろあって、それぞれに癖はあっても、アメリカ人やフランス人、中国人、ベトナム人などを友好的に受け入れている組織団体でも、ドイツ人だけは勘弁してという処が多い。
こういう場所でのドイツ人の評判が悪いのは、彼らの性格が単に悪いからだ。それも、そういう人もいる、レベルではなくてそういう人ばかりというレベルでだ。自己中心的なことで知られるフランス人でさえ、ここまで評判は悪くない。
フランス人の自己中心性はあくまで利益レベルでの話であり、そもそも視察に来ているのであれば何かを学ぶのが自分の利益である。
イギリス人は皮肉屋ではあるが、こういうことでは我を張らないし、皮肉は自分自身に向けても行われている。
ドイツ人の自己中心性は、現象を尽く悪意で解釈する、他人を貶めて自分を持ち上げようとする思考態度に由来している。解釈はネガティヴにもポジティヴにもできるのだが、事後の報告書などではほとんど捏造レベルのことも書かれていて、それを発見できた俺は偉い、ドイツは世界一、というような態度が顕著に見られる。
第2クラスタの人たちからすれば、今まで日本にあったドイツへの好感などは幻想そのものだったのだが、ネットで次第次第にこういう実情が知られてきた結果の嫌独感情なのではないか。中央日報も、ドイツで韓国と言えばことごとく悪意を持って解釈されている事実を見れば、考えを改めるのではないだろうか。