2015-08-21

車を運転できなければ人間じゃないと言われた

僕が車の免許をとったのは25歳の時だった、片田舎に住む人間としてはすこし遅いほうだ

嫌車家というわけでもないが車にたいして魅力を感じたこともなければ生活にもまぁすこし不便ではあるが必要というわけでもなかったので20万も払って免許を取ることはしなかった

ただ自然にそう思っていただけのある日


24歳のころ、父に「車を運転できないやつは人間じゃない」と言われた

土木関係会社役員である父は職業柄、車の便利さを常々しゃべってはいたがまぁ父は父であって僕は僕の生活があると考え必要だと感じたら免許を取りにいこうと別段なんとも思いもしなかったが人間じゃないと言われたのはすこしショックだった





人間じゃないというのはなんとも奇天烈言葉である

僕は英語が喋れるのだが僕から言わせれば英語をしゃべることのほうが車を動かすことができるよりもはるか人生を豊かにしてくれるものだ、そういう立場でもし父に言い返すのならば「車を運転できないより英語をしゃべれないほうがよっぽど人間じゃない」

そういうことになっちまうのだが実際にはそんなこと僕は一度も考えたことがない



人類を最も不幸にしたのは何か?核爆弾か?資本主義か?ポップミュージックか?宗教か?麻薬か?酒か?

父に「人間じゃない」と言われた僕の答えは進化論だと思う


車を運転できない人間人間じゃない、キーボードを叩けない人間人間じゃない、童貞人間じゃない、ニート人間じゃない、ブスは人間じゃない

全て進化論による漸進を強制された時代クラスタに染まりきった人達の戯言だ

なんでもすべてできる人間など存在しないのだからある人間不特定多数進化論で語りだすと全員が人間じゃないってことになっちまうじゃねーか

無気力肯定するわけではないが人は飯くって寝ているだけで充分に人間だと思うのだが・・・どうだろう?

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん