はてなキーワード: 描写とは
結末に不満のある人たちのコメントにあがっている、もっと書くべき描写とか消化されなかったテーマとかが全部ありきたりテンプレで予想がつくっていうか、「言ってるオマエも展開を最後まで想定したうえでそれ描けって言ってるよな?ほんとにその通り書いたら絶対つまらんだろ」って感じ。
俺にとって、シンは蛇足だった
というか、旧劇も蛇足であった
が、画面の特に後半の実写パートから庵野氏の煽りが止まらなくなるあたりから、
タイミング悪くてエヴァの劣化コピーみたいに言われがちだけど、
エヴァの面白いところは、破綻してるところ、作者も作品も壊れちゃうところ
まあ、夢オチみたいなもんだ
自然に回帰しろみたいな描写、モヨコの描いた絵本、ごめんなさい、
最後のリクスーで駅の階段を駆け上がって、あの後、新卒入社してベークライトを売り歩くんだろうな、声も変わったシンジくん
違うんだ、俺が見たいのはそんなんじゃないんだ
だから、シンの中で一番面白く見れたのは、シン仮面ライダーの前半だった
ラストののび太ジャイアン戦みたいなところでは、もうすでに寝てた
棒人間は気にならなかった
石ノ森は感じた
でも、トータルで考えると、これもなんか違う気がした、当時の若き日の過ちと悪ノリはどこへ行ったんだ?
本当に暇アンノになってしまったのか、目を覚ませ
時代は胸の大きいいい女なのか
そうだ、ぼくはロリだったんだ
シンロボコンだ
藤原道長が女官に敬語を使ってて、その発言の主語が誰かわからなくてテンパってセンター古文の点数が下がった苦い過去を思い出した。
受験ブログで解説見てたら「天皇陛下や皇族の方々を思い出して見てください。高貴な方は明らかに目下の人間にも敬語や丁寧な言葉を使っていますよね」だと。
長い話を一気に2日で読み終えるほどには面白い話だった。戦争ものは大体気分が悪くなるので読まないことが多いが、アガサクリスティ賞をとったと聞いたり感想に伏線の回収という文字を見たので購入してみた。結果、ミステリー要素は皆無だったが淡々とした文章が戦争の悲惨さを的確に伝えつつ必要以上にグロテスク描写をしないという塩梅で、犬が死ぬシーン以外は特に感情を乱されることなく一気に読めた。
本書はとても面白く戦争小説を悲惨だからと思って避けてる人たちにもぜひ読んでほしいと思った。作者の意図はわからないがエンタメ小説としてもしっかりと成立しているところがとてもよくできていると感じた。
本書がとても良くできた小説で、読者として十分楽しませていただいたことを前提として、以下は疑問点について書いていきたい。批判ととれるかもしれないが、批判の意図はあまりない。他の人の感想を読むにおそらく作者の意図したように作品を受け取っている方は沢山いるし、ただ、私に理解できなかったというだけだと思う。
違和感の一つに主人公が掲げている女性のために戦うという本作品の主題に関してだ。これは最初出てきた時から一貫してその後もこの話のテーマのような顔をしてでてくるが、最初の村で村民を殺され、狙撃手に母親を殺されて学校に入りスナイパーのエリートとなる過程で主人公が何故そのような考えを行動原理として掲げているのが終ぞ理解できなかった。村民は全員死んでいるのだ。男も女も平等に死んでいる。何故彼女の頭に女性のために、という言葉が出てきたのか本当にわからなかった。そのまま物語は進むので私はてっきり途中で行動原理も変わる者なのだと思ったけれどそんなことはなく、そのままだった。
女性を守ることを行動原理にするには見ている光景に説得力がないように思った。
私は途中で友人のシャルロッタあたりが暴行されるのだろうと思っていたのだけれど、そんなことはなく、暴行は悲惨だ悪魔的所業だと言う割には主人公は最後までその光景を目の当たりにはしていない。ラストのミハエルですら未遂で終わりドイツ人の女性は逃げ出せている。徹底的にその描写を避けているように見える。ただ避けてあるからこその読みやすさがあるのもまた事実だと思う。ただ、私の感覚で言わせていただけるならどうしても、冒頭の流れからどうしても主人公が『女性』を守るために戦うとなるには理由が足りないように思えてしまうのだ。
また、肝心なところでの爪の甘さを感じるところも散見した。特に冒頭の80キロを超える主人公の母親の死体を村を一望できる場所から雪道を引きずって降りるドイツ人の描写などが特にそう感じた。あまりにも違和感があったので、何かしら後々に効く伏線なのだろうと覚えていたがそんなことはなかった。もし、ドイツ兵があの死体をそのまま置いて主人公だけを連れて村に降りたのなら、イリーナは主人公の母親の死体を目の前で焼くことはできなかったし、主人公はイリーナを恨むこともできなくて、話が進まないのかもしれないと読了後の今では思う。
また主人公は宿敵であるドイツの狙撃兵に対して「自分は自分の哲学において行動する。お前とは違う」と言うシーンがある。そしてドイツ狙撃兵は、殺される。主人公の同期にヤーナという登場人物がおり、彼女は世界中の子供の命を守るために戦争に参加する。彼女はソ連赤軍兵士だが、ドイツ人であれ子供は助けると言う哲学を持っている。主人公は終盤、ヤーナの目の前でドイツ人少年兵を撃つ。死にはしなかったが彼を助けようとしたヤーナは銃弾を受け重傷を負う。無論、少年兵を撃とうとした主人公の行動は正しく、誰も彼女を責めない。ヤーナも責めない。でもはっきりと主人公はヤーナの哲学を目の前で踏み躙っている。かなりのダブスタに感じた。そう言う描写が多々あった。誰か知らないドイツ人の兵士の、背景にいる家族のことを考えることもあるが、それは仕方ないのだと言い聞かせて、スコアを稼ぐのに、自分の母親を撃ったドイツ人狙撃兵には憎悪と侮蔑の目を向ける。憎悪までなら理解できる。侮蔑に関しては同じ穴の狢のではないかと思うのだ。何故なら主人公の母親はドイツ軍に銃を向けていたのだから。
最後に、イリーナと主人公のほぼ恋人同士のような終わり方について、私はその雰囲気を汲み取れずにいたので、最後は呆気に取られた。シャルロッタがヤーナと二人で家族になると言った時に、主人公が仲間外れでびっくりしたあたりで、あれ?とやっと作者の意図を汲み取れた。
納得できなかった部分を羅列したが全体的に本当に面白い話だった。大好きな一冊です。
週刊少年ジャンプでグリーングリーングリーンズという漫画の新連載が始まった。
個人的にはそれなりに面白く読んでるが、どうも四話での主人公の言動がクズだとXのジャンプ感想勢でマイナスな話題となっているようだ。
しかし、これまで物事に真剣に取り組んでいなかった主人公がゴルフに対し必死になるようになったという描写であり、それがそのように読者が受け止められていれば、おそらくクズ行為としては認識されず、勝負への真剣さへの表れと受け止められただろう。
また、主人公と勝負しているのはプロを目指していて経験豊富な先輩であり、しかも飛ばし屋なのだから、ハンディをつけなければそもそも勝負として成立しない。
なので、ハンディをつけるという行為そのものは問題がないはずなのだ。
つまり仮に多くの読者が主人公がクズと認識してしまったんだとしたならば、クズ行為そのものではなく別の部分で問題があり、その結果作者の意図通りの印象を読者に与えられていない、というのがより正しい状況であろうと思われる。
その原因について考えてみるとおそらく最大のものは、勝負の位置づけの軸が物語の展開と合っていないという部分だろう。
この勝負では主人公のバイトのクビをかけてるが、クビになったら主人公は実質的にゴルフを練習する環境を失い、ゴルファーになる道を断たれることになる。
そして物事の原因は先輩の恋煩いによる一方的な逆恨みなのだから、人生を賭けた勝負を引き受けなければならない理由は全くない。
そのため主人公が軽率に人生に関わる勝負を受けて勝手にピンチになってるただの間抜けになってしまっている。
主人公が単に勝負に対して真剣になっているという描写をしたかったのであれば、賭けるのはバイトのクビではなくもっと軽いものでよかっただろう(例えば今日一日ヒロインと会話するな、とか)。
それなら遊びの勝負でも真剣になる、という描写にすることができた。
@aura_reborn
私のすべての問題は、時のオカリナやムジュラの仮面のようなゼルダのゲームが非常に閉鎖的または直線的だと感じたことがないことだと思います。 世界はまだ広大で、次の目的があったとしても、やるべきことや探索することはたくさんありました。 ムジュラの仮面は、「リニア」とよりオープンワールドの感覚を組み合わせた素晴らしい例でした。 どの寺院を倒したいかを計画しながら、比較的柔軟な順序でマスクを入手できます (ただし、海賊の要塞の石マスクなど、他のポイントに進む前に明らかに特定のマスクが必要な場合もあります)。 ブレス オブ ザ ワイルドは面白かったですか? はい、とても楽しかったです。 しかし、実際にはゼルダのような雰囲気はありませんでした。実際、私はそれを感じられなかったため、ティアーズ オブ ザ キングダムを購入する気力さえありませんでした。 N64シリーズ以降の方向性が懐かしいです。「制限」を求める人々に青沼氏が困惑しているのは理解できますが、私たちはむしろ構造と指導を求めているようです。 特に『BotW』のストーリーが非常に必要最低限の構造にまで煮詰められたときはそうだった。
@cometsand7296
@robertreturns
ムジュラの仮面はゼルダのトップクラスです。 しかし私は、これは初期の 3D 方式における異常とも考えます。 面白いことに、前作の要素を使用しているにもかかわらず、前作と BotW の間のどのゲームよりも大きなひねりを加えています。 すぐに始めるための「序盤のダンジョン」はありません。ストーリーは、すべてが強制的にスプーンで与えられ、前倒しされるのではなく、探索を通じて発見するものです。多くの目標は、制限が少ないと感じられる方法でプレイヤーに任されています。 それでいてキャラクターの描写がとても上手いので、サイドクエストもドラマチックな意味で充実しています。
ムジュラの仮面は、3 日間のタイムラインを自由に探索できるようにすることで、オープンワールドのような錯覚を与えることに成功し、月が落ちる前の時間に基づいて状況が変化します。 もちろん、特定のポイントに到達すると、やるべき正確なルートがわかりますが、次の目標やその達成方法に向けたすぐに目標が常に示されるわけではありません。
@dericandkhristy
ビンゴ。 古いゲームには探索するものがたくさんあり、アップグレードや見つけられるものがたくさんある大きなマップもありました。 ストーリーだけが直線的であり、それが必要です。
ゼルダを「ゼルダ」たらしめている小さな要素ももっと必要です。 オープンワールドのハートのかけらなど。 釣り。 チェストを開けると「DA NA NA NA」の音楽。
なぜ彼らが古いものをすべて取り除いたのかはわかりません。 マリオがキノコを全滅させるようなものだ。
@get_stached
@micahflow2624
私の問題は、アヌオマ (完全に解体されたと思います) が制限を障害、つまりプレイヤーの表現を妨げるだけのものとしてしか見ていないことだと思います。 制限を正しく行うと、より集中した、よく練られたエクスペリエンスを生み出すことができ、プレイヤーの表現力を強化することさえできます。
Totk のいくつかの側面では、オープン性が高すぎると、直線性が高すぎるのと同じくらいゲームに悪影響を与える可能性があることがわかります。 ほとんどのパズルやチャレンジをスキップまたはチーズするオプションが常にある場合、それらを克服したときに得られる満足感の一部を失う可能性があります。
直線性とオープン性は表裏の関係にあり、それぞれに長所とトレードオフがあるゲームの側面です。
これがそのように見られないのは少し残念です。
@オーランド5789
@micahfurlow2624 チーズパズルが好きじゃないなら...チーズを作らないでください?
@klop4228
OoT では、火と水の神殿をどのような順序でも行うことができ、必死の場合は 3 番目に精霊の神殿を行うこともできるという事実
@dpackerman4203
これはまさに正しいです。 Botw 以前の 3D ゼルダは線形モデルのせいでクソだと誰もが思っています。 実際、スカイウォードソードの公式だけが、青沼が直線的な公式に見えるほど制限されていました。 直線性が悪いという誤解があります。スカイウォード ソードが非常に直線的だったので、すべてのゲームがそのようなものであると誰もが信じてしまったからです。 しかし、『時のオカリナ』、『ムジュラの仮面』、『トワイライトプリンセス』はすべて、自由に探索できるオーバーワールドを備えた直線的な方式を採用しており、『風のタクト』は実際には直線的なストーリー進行を持つオープンワールドでした。 スカイウォード ソードはリニア モデルの評判を台無しにし、Botw の大成功により評判はさらに悪化しました。
(重要ではない余談: 私はスカイウォード ソードをずっとやり続けていたことは知っていますが、実際にはこのゲームが大好きです (笑) これは私のこれまでで一番好きなゲームの 1 つです)
@Gmann2021
OOT であっても、パートの 2 番目のダンジョンを先にやりたい場合は、火を水に、影を精神に置き換えることができます。 私が古いゲームで好きなのは、すべてのエリアに目的があることです。 ハイリア湖は、子供の頃はほとんど役に立たなかったが、大人になると水の神殿に変わります。 BOTW と TOTK は、ほとんどの領域で同じ目的を持っていません。 最後にタバンサ地域のことを思い出したのはいつですか?
@dpackerman4203
@orlando5789 言うのは簡単ですが、彼の言う通りです。 問題の解決策を見つけることは非常に満足ですが、無限の解決策がある問題はそもそも問題ではないため、たとえ「正しい」方法で解決したとしても、その満足感を感じることはできません。 正直に言うと… Totk はチーズパズルを奨励していました。 そのため、パズルを「正しい」方法でやったときはいつでも、ゲームが提供する「無限の創造性」を発揮しなかったため、間違ったことをしたように感じます。 パズルを「正しい」方法でやると、友達全員が「いや、代わりにこれをやったほうがいいよ、ずっと簡単だよ」と言われるたびに、私はいつもとてもイライラしていました。 満足感はありません。 これが、何時間もかけて TotK をプレイするのが非常に退屈になった理由です。
@ドメスティックス2958
@dericandkhristy なぜbotwやtotkに適切な釣りを入れなかったのか分かりません。 これは究極のダウンタイム アクティビティのようなもので、これらのゲームは 99% がダウンタイムです。
喋るポケモンについて考えている
ルカリオという名前はあくまで人間が名付けたポケモン種族名であって、ルカリオ自身は自分の種族の事を別の名前で呼んでいる可能性がある
人間の大人と子供を別分類にしないように、ルカリオ自身は進化前のリオルと別分類であるつもりはない可能性は普通にありそう
バドレックスが喋るとき、人間の体をサイコパワーで乗っ取って人間の言葉で喋っていた
バドレックスも「ヨの本当の名前はヨの言葉で豊穣の王を意味する×××というのだが、ヒトはヨをバドレックスと呼ぶ」みたいなことを思っているかもしれない
ロケット団のニャースに色々質問したらポケモン研究かなり捗りそうだ
ムサシコジロウがピカチュウを奪おうといろいろやってたが、むしろムサシコジロウからニャースを研究のために提供してもらえないかとお願いしてもいいのではないか
もしも最初に人間に接触したルギアがたまたま人間と意思疎通できる個体で「我の名前はルギア(個人名を名乗ったつもりで、実は種族名は別に存在する)」とか言っちゃったりしていると面白い
ポケモン関連作品の作中でここらへんの事情が伺い知れそうな描写はあっただろうか?記憶にあんまりない 記憶にないだけで実際にはあるかも
Twitterでたまにみかけるポケモン学会で先行研究されている可能性あり バックログを漁るか
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『金色のガッシュ!!』のウマゴンってキャラクターの話と似ている……いや、ちょっと違うか
あれは種族名の話ではない
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人間と同程度に言語を操ることが出来るのであればポケモンも社会を持つのではないか……いや、問いの立て方が違う
人間の言語を操る存在が作る社会の構造は、人間の社会構造と似てくるのではないか(しかしポケモンは人間みたいな社会構造をもっていないのではないか←本当に?)、みたいな……
今読んでるのはショーを成功させ、受注をとろうとしてるあたり
主人公のメガネ…カイが、ジャンに騙されてるわけではない描写があり、なんか安心した
彼の才能だとか、人柄だとかのために自分は頑張ってるんじゃない あれくらいの才能の若者はいくらでもいる…みたいな台詞
自分は彼のために自身の時間を削ってるのではない、そんな次元で生きていない…そんな感じの
カイはカイ自身の信念のためにやってる
ジャンは調子がよく抜け目がなくそれを人の良い天然キャラでごまかす狡猾なキャラに描かれてきたと思う
今回も招待状なしにパーティに潜り込み、愛想のよさで権力ありそうなプロデューサーのコネを得る
が、そのプロデューサーはジャン達の作る服には興味なさげに、このモデルの女性かわいいね、と言いジャンに視線を送る
なんかジャンはこの話の中で、ひたすらダークサイドなんだなあ、とほんのちょっと可哀想になった
ファッション業界の困難に、情熱と信念と発想力そして惜しみない努力で切り開いていくカイ
一方でファッション業界に対して、表向きにできない方向での力を発揮し機会を得ていくジャン
その2人が関わり合い一つのブランドを立ち上げていく過程なんだなと
先日、40年くらい前のマンガ本をメルカリに出そうと思って読み返したら、
カメラマンとかイラストレーターとかのクリエイティブ系な人が、海外(とくにアメリカ)で仕事することを夢みてて、チャンスがあったら恋人をかなぐり捨ててでも渡米する! って描写に時代を感じたねーw
好きなキャラがネガティブな状態に陥るとネットで発狂するオタク増えてるよね
アニメなら最終回までには曇らせも晴れるし、次の盛り上がる展開に向けての助走としての描写なのに
ブチギレるヤツ多すぎて怖すぎる
建前として18歳になるまではAVは見ないという前提になってますよね。
また「過激な」性描写のあるマンガも成人向けとしてみてはいけないことになっています。
しかし快楽天は雑誌は18禁ではありません。単行本になると18禁です。
つまり性器が描写されること自体が既に「過激な性描写」扱いされてているということになります。
それなら、法とか作ってるお偉いさんは、性器をおかずにできないなら、何をおかずにすることを想定してるというのでしょうか??
たぶん、ルールだからと律儀にAVとか見ないタイプの人間は、逆に同級生の裸でも想像して抜いてると思います。これは健全ではあるにしても、想像される側にとっては大変不愉快な話ではないでしょうか。
でもAVとかが見れないなら使えるおかずは必然的に限られてくる。お偉いさんならなおさらそのぐらい承知のはず。
だとしたらやはり、「建前のレベルで」「同級生をおかずにすること」をお偉いさんはよしとしているということなのでしょうか??
それならまだ単行本快楽天(非実在青少年)や強姦や窒息プレイなどの現実にやったら迷惑だったり危険だったりな描写のないAV(オカズに使われることは出演者自身覚悟してる)は解禁してこれらをおかずにしてるという建前に変えたほうがお偉いさんのメンツにとっても都合よくね?
子供がいたいけなクラスメイトをおかずにしてることをよしとしてるんだなんで大衆が認識したら決していい印象にならないことぐらい、地位のある人なら想像つくでしょ?
好きでもない子にオナネタにされてると知ったら不愉快になる子もいるのだから、そういうことが建前だと認識されたら「子供やその親に対しての人権意識が希薄」と叩かれるだろう。
そもそも性器の描写を「過激」としてることが大概意味不明だしね。過激な下着はあるかもだけど、過激な性器ってなんだよ。
「過激な描写」を子供に見せない意図は現実との峻別がつかない子が強姦ものとか窒息プレイでやってることに感化され真似する恐れがあるからというわけで、原理上として作品の「筋書き」に重心がある制限方法なんだよな。
ストーリーも修正部分以外の視覚的描写も全く同一で、ただ修正部位が具の詳細がわかる程度甘いかきついかの違いが、上記の観点に立つ意味での子供への悪影響に違いを及ぼすなら、その違いで線引きして扱いを変えることにも合理性はあるだろうが、そんなわけなさそうだよね。
dorawiiより
欧米の一部地域において「外見は少女だけど設定上は大人のキャラクターによる性的描写」が問題になっています。
あっ、そもそも欧米においては「絵であっても幼い子供を性的に描くことは禁止されている」という前提をあえて補足する必要がありましたね。
日本人は空想と現実の区別をつけられるという根拠のない自信があるため、絵に描いた子供の性的な描写はある程度伸ばしになっていますよね。
一部のエロ漫画保護活動家が非実在青少年の件で暴れ回ったのは記憶に新しいです。
でも、AVから間違った知識を得て性犯罪に及ぶ人や初体験時に相手を傷つけてしまう人が大勢いるわけですから、空想であったとしてもある程度の規制は必要なはずです。
そうした空想に対しての規制の一環として欧米においてはイラストであっても少女や少年の性行為は禁止されているわけです。
だけども方の網の目をくぐるインチキが生み出されました。
「このキャラクターは小人族(長命種)なので外見は子供でも実際は大人なんだ」と言い張れるキャラクターをロリコンたちは生み出したのです。
古くはホビットやハーフリング、最近の人気作ではグラブルのハーヴィンなどが代表的でしょう。
そしてロリコン達はこれらのキャラクターの設定を使って堂々と子供のエッチな絵を描くわけです。
それを見た人々が「そうか!子供でもエロい目で見ていいのか!」と勘違いをし、新たなるロリコン、加害者が誕生するというループが後をたたないわけです。
恐ろしい……なんて恐ろしいことでしょう……。
ブルーアーカイブを始めとしたロリコンコンテンツの跋扈は目に余ります。
それらは欧米においてはかろうじて規制されてはいますが……「設定上は大人なので」という言い訳でそれを掻い潜ろうとする者たちがあとを立たないのです。
許しがたい。