はてなキーワード: 自分探しとは
今までは「〇〇に復讐してやる/見返してやる」とか絶対に痛い目に合わせてやるとか、そういう所謂ネガティブなエネルギーを動力源に頑張ってきたんだけど、
もう敵対者とか憎しみとかなくなっちゃったし、何より疲れてしまった。
そこで、「じゃあ自分を幸せにするために頑張りましょう」という段階に移行したいのだけれど、イマイチやる気が湧かない。頑張った先に何が待ち受けているのかイメージできないからだ。幸せな状態ってなんだ?
「これまでの生き方が酷すぎる」と言われて3年ほど交際した彼女と別れて以降、幸せにしたい他者も自分の周りにはいない。死んでも死にきれんと自殺を取りやめてから十数年頑張ってきたがもうやることやり尽くしてしまった感じだ。人生におけるノルマ達成。
だがそれでも再び死のうと思えないのは、自分に自殺を取りやめるよう諭した人物が結局のところ自殺してしまったからだ。
失礼ながら私は彼のように人間であることから逃げたくはない。あんな情けない最期は送りたくない。
さて20代も半ば、今更ながら宛もなく自分探しとかやったほうがいいのだろうか。ポジティブな理由で、自分のために頑張るにはどうすりゃいんだろう。
すべきこともやりたいこともない、ここ最近は何事にも無関心で彼女と電話するくらいしか予定がない休日が続く。
こうなったのは多分仕事のせいで、そろそろ入社して1年が経つがどうにもこの仕事があっていないと感じている。
残業が多いわけでもない、休みが取れないわけでもない、給料もそこそこだけど、どうやら仕事があっていない。
そもそもこの会社に決めたにも「この仕事で社会貢献!自己実現!」ってわけでもなく安定してそうだったから、
1年経って結局この会社では生きる気力が見つからないと気づいたとき、クルートエージェントに登録をした。
例によって面談を行いヒアリングされたわけだけど、次の業界は?何がしたいの?の問いに答えられない。
あれ、、、俺は何になりたいんだっけ。
振り返れば就活時期からだったっけ。まわりが就活をし始めた流れに乗ってなんとなーく大学の就職課に通い始めESを練った。
大学はそれなりの規模で就活解禁からの3週間は大学に企業が来た。
就職課からの教えに従って様々な業界を見たけれどどれもパッとしない。
説明を聞き受ける業界を悩むだけで時間が過ぎていった3月末、焦った自分は社会的な存在意義説いていたある会社の説明に
就活は宗教だ、いかに自分の企業が素晴らしいかを説明し学生を募る、嘘ギリギリの謳い文句。
無知だった自分は適当に業界を決めたし、面接では準備していた原稿を元にペラペラ話したら大体受かった。
それほど倍率の高くない業界だったしね。
でもある面接のアイスブレイク的な質問で「なんでこの大学にしたの?」と聞かれた。あれ、、、なんでだっけ。
その時から僕の目標はMARCH合格になりその数カ月後に部活をやめ、同時期に部活をやめた友人と図書館に篭った。
ただでさえ高校に猛勉強して入った自分にとって勉強は得意ではなかったから量でカバーしようとした、
今思えば効率が悪すぎるけど。この時の目標は大学合格だけで、それ以外のことには目もくれなかったし、
辛い時は2chの受験スレなんか見たりして自分を奮い立たせて継続していた。
ただその時の熱量は本当の自己実現ではなかったんだ。当時の自分には大学に入ってあの先生のもとであの学問を学びたい、
親を失望させたくない、親の世間体を守らなきゃ、親が喜ぶ顔を見たい。
自分のためではなくて全部親のためだったんだ。遡ってもそう、
思い出すのは親に勧められて始めたことが多いし、
むしろ自分がやりたかったことを言うと否定され気づけば別のことをやらされていた。
サッカーだってそうだ、僕は野球がやりたかった。父親の影響で野球はよく見ていたし、
そう、僕は何も自分で考えていなかった。
進学まで親に従い、満足する顔を見るための頑張りだった。
大学合格で目標がなくなった、親のために入ることが目的だった大学では適当に授業とサークルとバイトで過ごした。
大学3年も冬に差し掛かると就活が始まった。あれ、、、、自分がしたいことってなんだっけ。
親のために入った大学、焦って適当に選んだ会社、そこに合わない自分。
今になってようやく自分の人生を歩んでいなかったことに気付かされる。
俺は何がしたいんだろう、何が好きなんだろう、何者なんだろう。
少子高齢化のせい
年寄りばっかで健康があ老後があ空き家が遺産がお墓が介護が子供が公務員に就職して勝ち組だとか話題が保守的で暗いんだよ
バックパッカーで自分探しして少数民族と触れ合うみたいな意識高い系を真っ向から否定するのは大人になったんじゃなくて老化
アジアでも中南米でも外国いったら街を歩く若者の割合の多さとそこらじゅうに溢れるあたりまえの活気にびっくりする
赤字国債は赤ん坊がたくさん生まれるニュースが流れればこの子たちが未来に問題解決してくれると信じて耐えられる
最近MBTI診断にハマっている。性格テストの一種で自分の強みや弱点が知れるという触れ込みのもので、よく当たると評判だし個人的にもおすすめできるのでやったことない人はhttps://www.16personalities.com/jaでできるのでぜひやってみてほしい。
私はタイトルにあるようにINFP型だった。どういう性格なのかをいい様に説明すると、理想主義的で他者への共感が深いが、理想と現実との間で常に悩んでいてなかなか幸せを感じられない人である。自分としてはぴったり当てはまっていると感じる。
で、MBTIを扱っているブログを漁っていると、かなりの確率で書き手がINFP型だった。上に挙げたサイトでは全人口の4%しかいないとのことだったが絶対もっといると思う。
といった点が考えられる。
ここで一つの疑問が生じた。
ネット上での観測結果はINFPがとても多かったが、実際は声が大きいだけでそうでもないのか?あるいは日本人にはINFPが多いとか増えてるとかがあるのか?
ちなみに私個人としては自分と同じ性格タイプの人口は少ない方が希少価値があってかっけーと思うので少ないといいなーと思ってます。
医者になってからずっと、このまま医者を続けていっていいのだろうかと考えている。
はじめに断っておくが、医者の仕事がキツいとか、仕事についていけないからやめたいとか言っているわけではない。
自分で言うのも何だが、私はそれなりに優秀な部類に入る方の医者だと思う。
仕事がキツいと思ったことがないとは言わないが、それが原因でやめたいと思ったことはない。
何が問題かと言うと、医者という仕事にどうしても楽しさが見いだせないことだ。
自分の治療によって患者さんが良くなるのはうれしいし、医者という仕事は感謝されることが多くてやりがいはある。
これは間違いないのだが、果たしてそれを糧にしてこれからの人生でずっと医者を続けていっていいのだろうか。というか続けていけるのだろうか。
医者になってはじめの数年は、このまま経験を積んでいけばそのうち医者という仕事に楽しさを見いだせるようになるに違いないと思っていた。
しかし、初期研修医が終わり、後期研修医が終わってもあまり状況は変わらない。
卒後10年くらいでこんなことを言われると怒られるかもしれないが、医者という仕事はある程度のキャリアを積めば、どういった環境で働くかにもよるが、その後はルーチンワークがどんどん増えていく。
この世に一人として同じ人間がいないように、同じ疾患の患者さんで同じ経過をたどる人はいないわけだが、それでもほとんどの場合何かしらの類型化は可能である。「あっ、これ前に見た患者さんと同じ感じだ」というのが増えていく。
そして、現在の流れとしてEBM(Evidence based medicine:臨床試験などの結果を踏まえた根拠に基づいた医療)を元にした各種ガイドライン化が進み、誰がやってもある程度同じ結果が得られるような体制ができつつある。
自分が優秀だとして、その自分の優秀さのおかげで患者さんの予後が変わるシチュエーションなんて、そうそう巡り合わない。まぁ、そんなシチュエーションに頻繁に巡り合うとストレスで寿命が縮むのでやめていただきたいが。
現実の医者の世界のほとんどは、医療ドラマにあるような派手な世界とは真逆の地味な世界だ。
誰がやってもほぼ同じなんて楽しいわけがない。まぁ、医者の楽しみのために患者さんがいるわけじゃないので、誰がやってもほぼ同じということはもちろんいいことなんだけど。
そして、きっとそう遠くない未来には、医者はAIの助言に基づいて最終的な判断を下すだけの存在に成り下がるに違いない。お先真っ暗である。
外科系や循環器内科などの手に職系の内科は違うかもしれないが、きっとそれもそのうちロボットに駆逐されるだろうと思っている。
それはさておき、そんな自分の現状を変えようと思って、臨床にいったん区切りをつけて、大学院に戻って今度は研究をしてみたが、これまたあんまり楽しくない。
それなりに優秀なので教授にも気に入られてそれなりに結果を出してはいるが、現在の医学研究は物量がものをいう世界になっていて、アイデアはもちろんだが、カネとヒトがないとトップジャーナルに載るような研究はほぼ不可能である。
もう数年は頑張って、なんとか博士号だけは取りたいとは思ってはいるが、将来的に主任研究者としてこの世界でやり合っていけるほど自分が研究に向いているとは到底思えない。
そんなこんなで、医者になってからずっと自分探しの旅が続いている。
傍からは脳天気な人間に見えるらしく、悩みもなく順風満帆なエリートコースを歩いているように見えるらしいのだが、内実は大荒れの海を彷徨っているかのごとしである。
よく、「好きなことを仕事に」とか言われるけど、好きなことってなんだ?
増田にこんなことを書いていることからわかるように、パソコンとインターネットが好きで、株を少しばかり嗜むこともあって、岡三RSSを駆使して自作した株の自動売買システムをいじくっている時が最近の一番楽しい時間だが、プロの投資家としてやっていけるような才覚はおそらくない。
医者とパソコン・インターネット好きということを活かすという意味では、医療ITベンチャーのスタートアップなんかも楽しそうではあるが、この年になって妻子を抱えた身としてそんなところに身を投じる勇気は残念ながらない。
AIとかディープラーニングとか、医療の世界でもっと活用できそうなことが転がっていて、すごく心躍る世界ではあるのだけど。
なにより、医者という身分はいろんな意味で居心地がいいので、なかなか捨てづらいものがある。
「医者の仕事に楽しさが見いだせない」とか言いながら、実際に臨床を離れると患者さんを見る機会が減ってかなりさみしかった。
今はバイトベースで外来や救急をしているが、患者さんを診ると充足感があるのは確かだ。
給料はいわずもがな。大学院生をしながら週1〜2回の外来・当直で妻子を養っていける。こんな職業は他にはたぶんない。
なんとなく不満をぶつぶつ言いながら、このまま荒波に順調に流されて行ってしまいそうな気がする。
物心ついた頃から、いつか自分は自分以外の誰かになれると思ってたんだよ。
今の人生は罰ゲームみたいなもので、努力次第で別の誰かになれると信じててさ。幼稚園で同じ組の人気者のあの子とか、なにかそういうものに。小学生になると、そんなの無理だって分かってたんだけど。それでも相変わらず、この人生の続きじゃない新しい自分というか、本当の自分?みたいなのがどこかにある気がしてた。それは今でもそんな気がする。
王子様が迎えに来るとか、実はサイヤ人だとか、そういう話じゃなくて。かといって、自分探しの旅にリュックひとつでタイに行くとか、そういう話でもなくて。ただ、もうすこし社交的で、もうすこし容姿もまともで、もうすこし要領が良い自分。そんな感じ。いつかは自分の欠点を補った状態の自分になれるんじゃないかって、ずっとぼんやり思ってる。でも、これってきりがないんだよな。努力して欠点を補ったところで、次の欠点が見えてくるだけで、ずっと自分に満足できなくて、常に自分が仮住まいみたいでさ。
最先端の意味にもよるけれど、1~3は間違いなくゲーム界をリードするつもりでつくっていたように思う。
転機は4、5、6
3でロトシリーズが最高の形で締めることが出来、ストーリーにゲームシステムとしても一新を考えたドラクエ4
2、3が、ストーリーもシステムも「前作にプラスアルファ」という形だったのに対して、前作までの否定とも思えるほど意欲を感じた。
ファミコンのスペックが限界に近づいていたために、あの程度に留まったんじゃないかと思う。
最先端であり続けようという意欲に、ハードスペックが追い付かなかったという感じ。
その後に出たファイナルファンタジー4に大きく鼻をあけられた印象はぬぐえない。
最もファイナルファンタジーシリーズの影響を受けているように思う。
今までのドラクエのスタンスであるドラマの主人公になるというより、ファイナルファンタジーシリーズのようなドラマを第三者的に見ているような印象があった。
意欲的だったが使いにくいAIシステムを、「めいれいさせろ」によって実質的にコマンド手入力制に戻したり、かなりバランスよくまとめにきた。
一方で、目新しい部分は少なかった。
同じころにリリースされたファイナルファンタジー5と比べると、ストーリーの優劣はとにかくとして、システム面ではありきたりに思えた。
この作品では、ファイナルファンタジーとの差別化を図り、ファイナルファンタジーはドラマ、それに対してドラクエは主人公の一人称目線ということに拘ったように思う。
ムドー戦以降、自分探しという今一つ必然性にかける旅の目的であったせいで、ストーリーの印象は非常に薄い。
どの職業にも転職できる、二つの世界を自由に行き来、などなど、自由度の高さが目立ち、さしたる目的もなく好きにブラブラしてたという印象。
この頃からファイナルファンタジーとナンバリングタイトルのリリースタイミングがズレてきた。
制作期間の長さと否定して丁寧につくられていたが、反比例して勢いがなかった。
ストーリーボリュームとグラフィックを詰め込んでも、ゲームとしての完成度につながらないジレンマが出てきたのはこの頃だと思う。
チュンソフトが手を引いたせいだと思うけれど、アイディアというのはスピード感を持って形にしないと、死んでいくということを実感した。
今回は少年ジャンプ+
んー、てっきり今回のアグニの言動は、これまでとちょっと違う趣なのかなあと思ったけれども、本質的には同じだったかあ。
ラストの煽りも加味すると、それ自体がこれまでのテーマの総括って感じだったのかなあ。
嫌いじゃないけれども、その結論に60話も費やしたことに多少の脱力感はあったかな。
ここにきて更にぶっ込んできたなあ。
演出の仕方も唸る。
読者側からすれば、これまで丁寧に主要人物たちのドラマを描き、少し前に新たな事実を経て更に情が湧いてくるであろうタイミング。
それをポリーナを通じて、突き放すかのように見せているのが良いね。
ポリーナが仲間になった当初、私は「メタ的に見たときテーマやストーリー構成上の蛇足、ノイズなんじゃないかなあ」という印象だったんだけれども、ちゃんとメタ的に見ても重要な役割だったんだと今話で実感させられた。
鬱におちかけのときって、理性が自分の感情を全否定する前に最後にあがくんだよね、自分探しとかいって。
はたから見てると若い人がまたはっちゃけた望みをもってるなあって。
モデル志望もそれ。で、否定されると「自分が」全否定されたと思う。
家族だって校則でダメでしょ以外の部分まで全否定してるわけじゃないじゃん。
あっけにとられるよ。
いきなりそんな望みいいだしてハッピーな顔してよほど硬い決意かとおもったら
え、はげませばいいの? こちらの愛情とかを試してるんじゃなくて? 本気で調べたりしてないのに?
先輩にモデルやってる人がいれば話聞きたいとか美大なんかより100倍やりたくて命かけるとか、
鬱に半分目隠しされてる。
恥ずかしい!って。
履歴書に18年の人生総ざらえしてもバカにしてたおばさんおじさん以下の、ブスな友人と同程度の肩書しかない!って。
恥ずかしいとおもうことが恥ずかしいんじゃねえの。
別にフツーのお嫁さんでも鬱さえなおってれば最高に楽しいと思う。
追記
あと、あなたが付き合いたいと思うタイプの男性・女性は高校のときから彼女・彼氏つくったりその彼女・彼氏にいわれて進路決めたりしてないです、
新卒で社会人になって半年くらいが過ぎたころに、仕事を続けるのが辛くなって学部時代の大学の教授のところに相談しに行ったことがある。
健康が一番大事だから、体や心に支障をきたしているならすぐにやめなさい。そうじゃないなら、いま会社を辞めたら今より社会階層が一段低くなるよ。
日本は階層社会だから、転職をするごとに所属する社会のレベルが一段ずつ下がっていく。収入は当然下がるし、一緒に働く人たちのレベルも労働環境も当然悪くなる。お金が溜まったから自分探しに出るとか言って会社を辞めてバックパッカーとかワーホリとかしちゃう子がいるけどヤバいよね。戻ってきた後のことを考えてない。もし会社を辞めるんならそういうことを覚悟しなきゃいけない。
どうしても仕事を辞めたいなら、社会階層を下げないで次のステップに進むにはどうしたらいいかを常に考えておいたほうがいいよ。一番簡単だと思うのは今の仕事のスキルをとにかく身に付けること。転職面接で「今の会社で学ぶことはすべて学び尽くしました」って言えるところまで行けば、ちゃんと雇ってくれるところがあると思う。別の方法として、英語やその他の言語、プログラミング、なんでもいいけどスキルを身に付けるって手もある。社会人でスキルとして認められるレベルに到達するのは簡単じゃないけど、選択肢は広がる。
大学や専門学校、職業訓練学校とかでもう一度勉強するって選択肢も考えてるかもしれないけど、あんまりおすすめはしないかな。それなりの年齢で再就職をするのは楽じゃない、やっぱり社会階層は下がる。あと、勉強したいことがあるなら誰かに教わらないでも大抵のことは自分で勉強できるからね。
健康が第一であること、仕事をしながら次のステップを探すこと、仕事を辞めたら社会階層が下がること。厳しいかもしれないけど、これらのことを頭に入れてこれからどうするかを決めたらいいよ。
ここまでが教授から受けたアドバイス。仕事を始めて一年がたった。今も何とか仕事を続けている。最近また少し大変になってきてのでこの話を思い出した。
自分は大学院生。もう色々どうでも良くなってきた。沢木耕太郎氏の深夜特急的な旅がしたい。
深夜特急を読んだのは数年前。お気楽大学生のときだった。抜け殻みたいな状態の人間が深夜特急に憧れるのは容易に見当がつくだろう。しかしどうして当時の自分は深夜特急なんてものを読んだのだろうか。友達と楽しく生活していたし、趣味も楽しんでいて充実していたはずだ。だが、理由はなんとなくわかる。当時の自分も今の自分と同じように自身のバックグラウンドに悩み、将来に対して漠然とした不安と疑問を抱いていたからだ。特殊な事情を抱えた自分が会社員になって、人生と引き換えに働くことに意義を見いだせていなかったのだ。とどのつまり、就活の挫折と切り離して冷静な環境として再考したとしても、放浪の旅にはある程度の妥当性が存在しているということではないだろうか?
沢木耕太郎氏の深夜特急は不思議な魔力をもっている。すぐにでも放浪の旅に出てみたくなる。既読の人やAmazonのレビューなんかを見た人にはわかってもらえると思う(?)。では、氏と自分の共通点と相違点はなんだろうか?
共通点:会社員として働くことに疑問(氏は一日で退社している)
相違点:氏は会社員をやめてライターとしての一定のキャリアをつんでいる(自分はなにもなし)
仮に自分が放浪の旅にでたとしても、氏のように書籍などで何かを創造するスキルがない。したがっていわゆる”自分探し”という現実逃避に終わり、なんとも非生産的な結末を迎えることとなる。自身のバックグラウンドを考えると将来に何の希望も持てないのは確かなのだが、少しばかり生への執着が残っているために、ただで死ぬことに抵抗感がある。何か残しておきたいのだ。
大学二年生になった。
一年生のあいだはサークルに入らず大学の友達も少ない学生だった。
サークルに入らなかったのは、いわゆる"ノリ"が苦手だったから。新歓にそんなに行ってなかったしお酒を飲んでどんちゃんしたり、とりあえずただ盛り上がって楽しいと思えず大学生のノリね(笑)という冷めた目で見てしまっていた。
当時はとりあえず入らないとなと思い高校の頃やっていた軽音を続けようと入ったが、大学生のノリやはじめにとりあえず組まされたメンバーが好きになれずすぐに辞めてしまった。
一年の6月にカフェでバイトを始めた。それがまあまあ忙しくてとくに暇することもなく、バイト仲間とはたまにご飯を食べに行くくらいに仲が良かったし満足していた。
二回になって、急にバイト先の人件費削減とやらでシフトを大幅に削られることになった。自分が必要とされていないことをひしひしと感じイライラしてきたし、どこにも居場所がなくなってしまうと焦燥感もある。
また、サークルに入ってみようと改めて思ったがスポーツも好きでもないし何かしたいことがあるわけでもない。自分がしたいことがよくわからなくなってきた。
自分探しの旅に出ようかなとか、習いごととか始めようかなとか思うけどほんとうに目標が持てない。
女子校育ちで女の友達はいっぱいいたけどみんな変わっていくし自分は置いてけぼりだし、恋愛もこのまま一生しないのかなとか思ってしまう。
やりたいことを見つけて輝きたい、熱を持ちたい。家で何もしてない時が一番楽しいとかやめたい。
がんばろ、。