はてなキーワード: 社会生活とは
バカガキがホームレス女性をなぶりものにして動画にしているとの記事があった。
差し入れを装って異物を食べさせて喜ぶ輩がいるのでホームレスは貰った食べ物を捨てるのだという話も。直接的に寝込みを襲う事例も昔からある。
なんでそんな酷いことをするのだと思う?
って、別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。
むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。
同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。
ひとつの理由は合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。
もうひとつの理由は抽象思考だ。どういう立場の人間の尊厳も尊重すべきというフィクションに現行社会制度が立脚しているのを理解しているから。
教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。
知能の格差は乗り越えることができない。
馬鹿の壁、というより巨大な空隙がそこにはある。大事なことは何も伝えられない。
われわれは心ならずも関わり合っている。本当は通じてないのを知っていて、あたかも会話が成立しているように振る舞っている。教育によってバカが「治る」かのように。
「会話が成り立っているかのように装うスキル」は、社会生活を送る上で長らく必須のものだった。「コミュ力」と呼ばれるものの正体はそれだ。
知的水準が近い者同士の意思疎通に「力」は必要ない。利害の不一致から対立が生じることはあれど、お互い全然何言ってるかわからないということは基本的にない。
バカとの会話にいくらエネルギーを投入しても成果はゼロだ。だからバカがゴネたり暴れたりするのを避けるためだけに、会話が成り立っているかのように粉飾することにエネルギーを使わざるを得ない。
さて、このような「あたかも意味が通っているかのように体裁を整える作業」はAIの得意技だ。
SNSの書き込みのような社会的な発信をする際に、また他人の発信したものを読む際に、AIによる自動添削/要約作業インターフェイスを挟むのは当たり前のことになるだろう。そしてそこに一枚AIが噛んでいることすら意識されなくなるだろう。
IMEも「欲しい字を呼び出すための道具」から「自動で変換してくれるアシスタント」に意味が変わってきている。
星新一だったかな? 人間はみな肩にロボオウムを載せてそれを介して会話する。人間は「こいつ何て言ってんの?」とか「うぜえから帰れ」とかオウムに耳打ちすると「どういったご用向きでしょうか」「相すみませんが今手が離せませんので」とかオウムが代弁し、オウム同士で会話がなされる。その未来が来た。
この文章のいわんとすることは増田に常駐のバカにはわからない。というかそもそも読みもせずに適当に目についた単語に反応して鼻糞つけるような脊髄反射トラバがつくのが関の山だ。しかし少し先の未来には、バカの端末にはバカにとってもっと親しみがもてるかたちに(内容も)作り変えられた文章が映し出され、バカの頓珍漢なレスポンスは穏当な挨拶に作り変えられてこちらの画面に表示させられることになる。
しかしそれも過渡期にすぎない。「AIを介してしか会話できない」を経て「AIとしか付き合いたくない階層」が生まれるだろう。
■追記
こういうフワフワした話への他人のコメントというのはすごくありがたい。
こっちも正味はフワフワで言ってるのだから、本文の字面そのものにバチッと噛み合ったコメントじゃなくても、フワフワ思考が枝葉を伸ばしていくよすがになるのでありがたい。
ただ少々勘違いされてる人が多いのは、タイトルの不可逆的分断とは、末尾のもうAIだけでいいや層の出現を指すのであり、万古不変の「バカとの空隙」そのものを言いたいのではない一応為念。
「AIが便利なんで、努力で埋まる程度の距離も自分たちで埋める気が失せる」ことによる細かな分断というのもあるいは生じるのだろう。このあたり言葉足らずだった。
バカとは。逆から言えば意思疎通コストが無限なやつがつまりバカである。
デタラメ言う・聞く耳持たないふるまいを政治的武器に、頭の出来の悪さを強みに変える適応が骨がらみになった者をここではいう。(生来の知能の低さをそうやって「悪用」しない生き方が現実的に可能か?はむずかしい問題)
AIオウムは人間様の労力を代行し低減させる。しかし無限は縮小できない。
代行できないところは、しれっとよくできたまがい物で置換するしかない。そしてAIにとって本物とまがい物は完全に連続しているのだ。そこにおいて代弁者は独自の権力を持つ。議会がブラックボックス化すると代議士が支配者になるのと同じで。
つまりAIは道具だと言い張る限りにおいてそれは道具だが、とりあえず自分はAIさんのことただの機械だなんて思わないですという者は出てくる。それが一歩先の光景。その先はわからない。
■追記
真面目にこの激寒ポエムを斜め見して『釣り』『負の再生産』と読まず、
とか言ってるのまともな社会生活送れてないと思うぞ
先進国で子どもが困窮するのは、親が生きづらいちゃんくんだから
自分の人生に子どもが必要なら誰の顔色を伺うことなく作ればいいとは思うが、
現実的には能力的に子どもの面倒を結局見切れないし、行政が各種障がい者支援を用意していても利用することが出来ない
事務能力に問題があっても、稼ぐ能力があってお金があれば、私費でヘルパーをサクッと使えるが、
それをする能力も無い
ええか。デモはバンバンやったらええ。ただし道理が通ってる場合や。
安倍首相が森友で書類バンバン捨てていったやろ。ああいうのは「決まりだから捨てた」とか眠い事ホザく官僚と政治家をシバくためにどんどんデモやったらええ。
別に左の人ばっか支持するわけちゃうで。colaboの件もダルダル会計で税金使ってる疑惑や。法に則ったやつはバンバンやったらええ。
ただな。安倍元さんへの個人攻撃はアカン。眠い事やってる件についてはガン詰めしてええで。
けどな、なんや「アベ政治をゆるさない」って。なんで太鼓や藁人形に写真貼ってシバいたり潰したりしてんねん。
colaboもそうや。バスの周りウロついて未成年威圧したらアカンよ。子供に手を出すゴミクズなんてロシア兵だけで十分じゃい。
ちなみに仁藤さんはええわ。アイツは責任者で当事者で権力側や。容姿や年齢で揶揄するのは個人攻撃でもちろんアカン。でも会計や草津やキモいおじさんの件はガンガン詰めたらええ。
デモいうもんは、正義を通したいけど権力側がクソナメた態度で逃げよるのを詰めるもんやろ。
儲けてるのに給料出さん社長、汚職カマして責任取りよらん政治家、税金もろとるクセにナメた使い方してる活動家。こういうのを叩いて正常化させるためのもんや。
盗人にも三分の理いう諺あるけれど、デモは八分の理が無かったらアカンで。
ちなみに一分は道路占拠して民間の皆さんにご迷惑かけてる分や。ようするに九分以上ジャスティスな場合の手段としてオッケーや。
いや、森友はアカンで。あれだけでデモやってるなら応援するわ。けどな、大勢寄ったらおかしいのが混ざるんはしゃーないとしても、壇上上げたらアカンやろ。
なんや反戦反原発反基地て。各自別個にやったら聞いてもええけど、混ぜてなんでもイケイケ、ついでに写真貼ってシバいて潰してポンや。
政治家と官僚が怪電波流しよるから是正しにきたら、壇上からも電波ゆんゆんや。やってられんわ。
右のデモも大概にしーや。在日特権を許さないの時もそうやったけど、子供おる所でやんなや。
お前ら保守やろ。女子供守るつもりで死んだ大東亜の英霊に呪い殺されるで。(カスもぎょうさんおったけど本題ちゃうから除くで)
覚悟キマってる大人同士でやれ。物理的にやりかえせんと思ってナメてるならお前ら人ちゃうで。
ちなみに、わりと何でも増幅させよるからキモい主張がキモキモキモに大拡大されるんや。
一番拡大されてキモかったのは学生運動やな。一般人角材でシバいて機動隊員を石で潰して銃撃ってもうやりたい放題のテロリストや。
グループ内でボスがハーレムして子供が出来たら責任取りとうないから皆で育てよとか言い出すキモキモキモよ。(調べろ、出てくる)
まぁアレは最も拡大されたデモやからな。本で読んだだけでも人の醜さを極大に見せてくれよるわ。
自分の胸に手を当ててジャスティスまでは当然や。周囲の人くらい軽く説得できるだけの裏付けゲットして、知らん人でも共感してくれるやつだけやれ。
バレたら絶対引かれると思う件が1つでもあったらやめとけ。増幅されてだいたい無茶苦茶になる。
大勢寄ったらアホが来るはしゃーない。壇上に上げんくらいでええよ。
まぁ手練のデモ仕切り団体が来て無茶苦茶にするんやけど、そこはがんばれ。
パンピーのワシはデモという弱者のパワーを手放したくないんや。
たのむでホンマ。
追記やで
どこにもそんな事は書いとらん。
話がわからんようなるから主題が有る所に勝手にサブタイつけんな。
シンプルやろ。
人によって正義が有る、そんなん当たり前や。そやけど社会生活しとるワイらは共通項持っとるはずやろ。
子供にリアル手を出すは殺人に並ぶ禁忌やで。これ共有できん奴はキモすぎるんで無人島行ってどうぞ。
他人に話する時にあっちゃこっちゃ話飛ばす奴は相手しきれんわ。
いいたい事絞ってどうぞ。もちろん道理通してな。
極めてシンプルやろ。
「森友おかしいやん。ちゃんと調べろや」これには何の自己正当化もいらんやろ。
「colaboの金の使い方おかしいわ。東京都もちゃんと調べろや」何の正当化もいらんわな。
書いてない幻覚見て理屈こねる必要なんて無いんよ。これがジャスティスのええ所や。
ここに原発やら基地やら入れてくると話がややこしい。なんでつながるか小理屈こねにゃいかんからな。
子供巻き込んだり、仁藤さんの個人攻撃やってもややこしい。女子供に何やっとんじゃとなる。
シンプルやろ。
n=1の意見で貴方のお子さんは同じ考えではないかもしれないてあくまで参考程度に聞いてください。ポイントは下記の2点のみです。
不登校を選んだのは学校で経験した事象を経て、苦しんで苦しんで苦しみ抜いた上で選んだ選択なので、不登校になった頃には学校に関わるあらゆる物が苦痛で仕方が無かったです。その状態の子供に克己心を持たせようとするのは死人にムチを打つような物なので、子供の心に蟠りが生じます。私は親に「ちょっとリビングに降りておいで」と言われて降りたら当時の担任が居たことは今でも親への不信を抱く理由の一つになっています。
学校で沢山嫌な思いをした子供は学校に関連するものが大嫌いになっています。勉強が好きでもない子供にとっての勉強なんて「良い学校へ行くための苦行」ぐらいの認識ゆえに、学校に行きたくない子供にとって勉強をしない事が最も学校から遠ざかることができる手段になります。しかし、子供の学力だけは守って上げてください。勉強習慣を身に着けさせ、勉強への心理的障壁を取り払う事は学校に行かせるよりも重要だと考えます。学校嫌いで勉強嫌いの子供は学校に通い続ける限りそれは身につきません。基礎学力が高ければ高い程、子供の選択肢は増えます。これから先引きこもりになっても、基礎学力が高ければ、競技プログラミングにも取っつきやすいですし(数学力がないと苦労します)、インターネットで海外の人とコミュニケーションだって取ることだって出来るようになります。要は引きこもりながらできる遊びの幅が増えるのです。勝手に自己学習して自走してくれる子供ならいいのですが、不登校になった子供にそれは無理なことが多いので、「学校には行きたくないならもう行かなくていい」「しかし、勉強だけはしっかりやって欲しい」事は明確に伝えてください。家庭教師や個別塾が理想ではあるのですが(学校から離れたところでモラルのある生身の人間と接するのは、学校以外のコミュニティを認知し視野の広がりに繋がります。何よりもモラルのあるコミュニティに触れることで社会への希望も持てます。学校の生徒同士のコミュニティのモラルは大体糞でした)、今は五教科e-learningで学べたりするので、私の学生時代よりも引きこもりに優しい時代になってきたと思います。
もしも中学生なら高校なんてどうでもいいと思ってるかもしれませんが、高校を卒業してほしい旨と、週一のスクーリングで卒業できる通信制の高校があることを教えてあげてください。
私は親に無理やり学校に行かされた結果、中学生で頭が白髪だらけになり、学校に居てもずっと寝てるだけになり過眠症も併発。精神は常に不安を抱え、対人恐怖症と人間不信になりました。(大人になってから精神科で社交不安障害と診断されました)
中学卒業した頃に私が手に入れた物といえば、偏差値40程度の糞みたいな学力と、常に霞がかかった脳みそと、精神疾患と、社会生活の諦めでした。
子供の頃の経験というのはとても大切なものです。今思えば、私の親も私に普通の子供のように普通に学校に行って他の子供と同じような経験をさせたかったのだと思います。子供の為を思って。しかし、それは私のためにはなりませんでした。どうか貴方のお子さんが私のようにならず、幸せな人生を歩めることを心より祈っています。
車の免許を持っている方なら全員ご存じだろうが
「アタシの方が前から待ってるんだからアタシが先に決まってるでしょ」
と言わんばかりに横断歩道につっこんで来た
心情としてはわかる
周りの奴は止めてやれ
自分のはてブが気に入らなかったのか1ヶ月前からTwitterで粘着されてる。意図が曲解されていたので最初はちゃんと説明していたのだけど、自分の考えを押し通すばかりで話し合いの余地がない。それでブロックしたらまた別の捨て垢でリプを飛ばしてくる。
別に何か脅迫めいたことを言われているわけではないが、その話の通じなさと執着が怖い。はてブも含めたSNSのユーザーネームを統一しているので、ブログも監視されているんじゃないかと不安になる。本名はオープンにしてないものの、ユーザーネームでPeatix経由のイベントに参加することはある。そこに現れて危害を加えられたらどうしようとhagexの事件が脳裏を駆け巡る。
Twitter経由、ブログ経由で沢山の繋がりが得られたし、そこから仕事に繋がったこともあった。なのでアカウントを閉じることに躊躇いはあるけれど、一旦は両方とも閉じて、しばらく離れた後にそれぞれ別の名前で復活させたい。
意見を口にしただけで社会生活を破壊されるなんて理不尽すぎるだろ。
(追記)
Peatixの参加歴は有料かつクローズなものに限られるので参加者でもない限りは本名バレに繋がることはないと思う。直近でもだいぶ前の話だし。
この増田も見られているかもしれないけど、ネット世界から消えるのでどうでも良い話です。こんなに伸びると思わなかった。皆様もお気をつけを。
そうそう。おそらく「健康で文化的な最低限度の生活」「孤立せず社会生活が送れる最低限度の関係性維持」が狂わない鍵になるはずだけど、そこに社会のフォーカスが向きづらい。
親の金自慢縦増田「横だけどネットの低能って嫉妬なのか何なのかすぐ相手を無能認定するよな
偏差値低くて家庭も発達底辺だから周りに自分と同じ低能しかいなくて縁がなさ過ぎて運や能力のある人間が普通に社会生活してることを知らないんだろうけど
類友で周りにもゴミしかいないし自分もゴミなので偏差値50以上の世界なんて想像できませんって言ってるようなものなのでは?」
https://anond.hatelabo.jp/20221220151735
暇アノン落ち着けは自分も思うところでそもそも「公法上の契約」って何を言ってるかを理解した方がいい。元ブコメ見る感じ、トップブコメは何人から理解してるようだけど、なんか雰囲気でよくなさそうと思ってる人が多そう。
そもそも「公法」ってなんぞや? という話から入るけど、法律には一般市民同士の関係(私人と私人)について定める「私法」と、一般市民と国(私人と国家)の関係を定める「公法」で大きく分類できるのよ。私法は民法とか商法みたいな社会生活、後者は憲法とか刑法、行政法みたいな領域ね。
この二つの何が違うかって、公法は基本国家権力を拘束する為のものなのね。国とか警察、地方自治体って基本一般市民より強いのよ。なんでもやろうと思えばできちゃう。好き勝手動いてもらったら困るのよ。だから、行政のやることは法律でガッチガチに固められてる。法律で決められてること以外はやっちゃ駄目。
でも、それって逆に言えば法律で決められたことなら一定レベルで一般市民に不利益になるようなことでもやっていいってことなのよね。これが行政処分と言われたりするもので、たとえば道路拡げるために(本来は一般市民に権利があるはずの)土地に新しく建物建てられなくするとかは「行政が私人の権利を制限する」ことに該当する。こういうのを決めたりするのが公法、特に行政法なのね。
他にも公法と私法は訴訟法の関係で民訴・刑訴・行政訴訟(行政と私人間の争い)とかに別れたりもするんだけど、本題とはずれるので割愛。
じゃあ問題です。「東京都と法人が契約を結ぶのは公法・私法どっちの領域の話?」
答えは「場合による」です。
たとえば、「東京都が備品を会社から買う」とかの一般社会におけるありふれた売買契約は私法的なものですよね。だから普通に民法や商法が適用される。これが俗に言う「私法上の契約」なんですよ。で、東京都は公法によって縛られるから、ものを買うといった契約ひとつとっても法律に従わないといけない。そのための規定が地方自治法230条以下の「契約」の項なんですよ。「公法上の契約なので地方自治法の規定が適用されない」の含意とは、「地方自治法の契約の項に書かれてる内容は私法契約に関することですよ」という意味です。
じゃあ、「公法上の契約」って何か。ざっくり言えば「公益の見地から、私法とはちょっと変化したルールで行われる契約」のことです。たとえば、警察官って労働組合入れないですよね。労働者が労組入れないのって私法的にはアウトです。でも公益の見地からセーフなんです。
このように、「公法上の契約」とは、民法や商法の私人契約ではそぐわないような性質の契約を、公法で定めたような契約を指します。川崎高津公法研究室の行政法講義ノート14回から引用すると以下のような説明がなされてますね。
http://kraft.cside3.jp/verwaltungsrecht14-6.htm
公法契約は、その名の通り、公法による契約のことで、公務員の勤務契約、公共用地取得のためになされる土地収用法上の協議などが該当する。なお、行政主体が一方当事者であるから公法契約であるという訳ではないので、注意を要する。
ちなみに、行政契約の中でも「補助金の交付」はケースバイケースでしか判断できないファジーな領域なんすよね。
たとえば、千葉県の公開してるpdfでは、地方公共団体による補助金の交付決定は行政処分ではなく負担付贈与契約ですという説明がなされてます。
https://www.pref.chiba.lg.jp/seihou/gyoukaku/newsletter/documents/letter15-3.pdf
地方公共団体が行う補助金の交付決定の法的性質は、原則として、いわゆる行政処分ではなく、
契約1の申込み(交付申請)に対する承諾と考えられています2。
一方、佐々木総合法律事務所の公開してる何かの雑誌のpdf「補助金を過大に交付した場合の返還請求」では、補助金の法的性質について以下のように記載してます。
地方公共団体が交付する補助金の法的性質は、法律上は明確に定まってるわけではなく、これを行政処分と捉えるのか、それとも贈与契約として捉えるのかは、それぞれの補助金の内容、支給の根拠、支給要件等に応じて判断せざるを得ません
さて、やっと本題です。
当該noteでは、「colaboと東京都間で締結された委託契約は根拠法がない有償契約である」とあります。
そう、↑では補助金の話をしましたが、問題のやつって委託事業なんですよ!
文部科学省の公開するpdf「委託費と補助金の違い 資料5」では、補助金と委託費との対比で、委託事業を「民法上の準委任契約」と明記してますね。これは主体が地方公共団体ではなく国なので少し違いますが……。
ここまでの前提知識があってはじめて「公法上の契約」というのがおかしいことがわかるわけですね。
というところで、やっぱり東京都はおかしくない? というのが今回のまとめでした。……おいおかしいぞ、俺は暇アノンどもにマウントを取ろうとしたのに!
この増田は10年前に行政法を落とした人間が1時間ググって理解した(と思った)内容をまとめただけなので内容の正確性を一切保証しません。一瞬でももっともらしく信じかけた人は自分で調べることをおすすめします。
それはそうと、委託事業って請負契約じゃなく準委任なんですね。請負なら成果物に対する支払いだけど、準委任は普通成果ではなく稼働に対する支払いがなされるから、よく考えると業務内容に対して云々言う権利は発注側には……まさか、ない……? いや、事業内容的に請負にするのはそれもそれでよくないと思うが。
やっぱり、何を以て東京都側が検収としたのか、契約内容見たいよね。俺仕事で準委任契約をコンサルと結んだとき検収とかめちゃくちゃ細かくやらされたんだけど、その経験からすると東京都が発注者としての責務果たしてんのかは気になるところですよ。活動内容のヒアリングとか、たとえば活動内容の効率化なり適正化なり図ったのかとかさ。
全部が全部事業の中身見れないから委託してるんだろうけど、保護した女の子を沖縄の反対運動に動員したのでは疑惑はせめてはっきりさせてほしいと思う増田であった。