はてなキーワード: 珈琲とは
あれって、とって飲むんでも正解なのかしら?
あれ、とても熱いのよね!
なかなか冷めないし。
ふた取っ手飲むのもなんか負けた感じがするから、
コーヒーの適温は何度か知らないけど、
山で飲んだら美味しいと言うことらしので、
きっと、山で飲んだら美味しいかも知らないわね!!!
うふふ。
野菜生活ね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
朝会社に行く前に喫茶店でコーヒーとサンドイッチをテイクアウトする。
当然店員には顔を覚えられる。
そりゃ毎日同じ時間帯に同じオーダーをしていたら覚えられるだろう。
ただ、それを表に出すことが好きになれない。
さらに、表に出すことを感謝の表れで客へのサービスだと思っている店員には不快感を禁じ得ない。
「ありがとうございます」だけでなく「いつもありがとうございます」ということがより丁寧な感謝の気持ちだと思っているのなら、
それは大間違いだと言いたい。
かつて自分も喫茶店でバイトをしていたことがあるが、常連さんからは相手から言われない限りは馴れ馴れしい態度やこっちが覚えていますよ、という態度を取ることはなかった。
チェーン型珈琲店の店員の仕事は飯とコーヒーを出すマシーンであることであり、客の顔を覚えることでないはずだ。
無論キャバクラとか高級料理店とかであれば個別客を覚えることが大事なのだろうが、チェーンコーヒーショップにそんなものは求めない。
仕事であっても社内の人に顔を覚えられるのは嫌な気持ちになるのだが、世の中の人は他人に顔を覚えられるのがそんなに嬉しいことなのだろうか。
誰も私のことなんて覚えてくれなくていい。
週に一回ある弁当の日を狙ってやる、この日だけは幼稚園が子供を9時から2時まであずかってくれる。
TSUTAYAで漫画を10冊500円でレンタルする、10時銭湯が開くのと同時に入る600円、誰もいない滝のそばの露天風呂で空を見ながら朝風呂を堪能する、泡風呂やら塩サウナ等を楽しんだ後、飽きたら炭酸泉に数十分浸かって上がる、子供と一緒の入浴では全くとれない日々の疲れを洗い流される、だるい体で畳スペースでごろごろしながら140円で牛乳を飲んだり漫画を読んだりウトウトする、隣の飲食スペースで豚カツ定食を食べる、豚カツ山盛りキャベツトマト納豆漬物味噌汁千切り大根珈琲セットで500円腹もふくれて幸せな気持ちで幼稚園へ行く。
コーヒーを飲みたいわけではないのだけど、ゆっくり座りたい・涼みたくて、喫茶店に入ることはあるなぁ。質問の趣旨とはちょっと違うけど、珈琲つながりということで。
もとから好きだったわけではなく、受験勉強の眠気覚ましにと思ってインスタントを飲み始めたのがきっかけでした。
それからなんとなく飲む習慣が切れず、でもコーヒーの美味さやマズさは良くわからなかったので都内にある有名なお店に行ってみました。
スタバとかコメダとか上島とかのチェーン店ではなく、その場所にしかない個人でやっている喫茶店100件以上は行ったと思います。
自分で豆を買ってきて挽いてドリップするのはもちろんのこと、時々焼いたりもするようになりました。
ただカフェイン中毒かと言われれば、1ヶ月1杯も飲まないこともありますし、珈琲と同じくらい甘いものも大好きです。
ティラミス最高。
それで何が好きなんだろうなとふと考えてみた結果、大きく二つのことだと分かりました。
・香りが心地良いということ
香りのことなので生理的に好き嫌いはあると思います。ただ自分の周りにいるコーヒーが好きな人達は香りが好きなように思います。
コーヒーの場合、飲む前にカップに顔を近づけてかぐ香りだけでなく、と飲んだときに口の中で感じる香りの2種類があります。
コーヒーがあまり好きでないのなら紅茶やコンソメスープなどで構わないのですが、鼻をつまんで飲んでみてください。
それまで美味しいと思われていたスープが、お茶が一気に味気ないものになります。
また逆もそうで、飲んでいる最中につまんだ鼻をはなしてみると心地の良い香りの束が口の中から鼻へものすごい勢いで突き抜けていきます。
香りというのは不思議でそれが結構食べ物や飲み物のうまい、マズいを決めていることがあります。
自分が好きな理由は飲んだときに口の中でコーヒーの香りがするからです。
香りが豆によって、入れ方によって、何百種類以上もあるところも面白いです。
・複雑で分からないということ
コーヒーを飲み始めの頃はとにかく苦いのだけは苦手でした。
ところが来る日も来る日も飲んでいたときのこと、ある日苦いのが嫌じゃない!と気づいて苦さを乗り越えた瞬間がありました。
それからなんだこれは、と思って観察してみると
‐ドスっと重く殴られたような苦味
‐醤油っぽい苦さ
‐苦いけど甘さも感じるという矛盾
などなどひとつに苦い!だけでは片付けられないことが沢山出てきました。
http://anond.hatelabo.jp/20150928221224
ゴーヤ好き、グレープフルーツ好き、ココイチは行かない、ワインは赤白好き、紅茶はミルク入りです。
この季節なら秋刀魚のワタなんかも苦美味しいですね。
珈琲で言うと苦味は要素の一つで酸味、甘みものバランスが重要でしょう。
芳香は更に複雑です。
豆を深く煎った時のバニラ香や浅煎り時のベリー系の香り、バナナやマンゴーと言った南国のフルーツ、ナッツのような香りやなどが代表でしょうか。
それに加えオイリーな感じ、サラッとした感じ。コクがある、あっさりしている。
そういった要素が微妙なバランスで渾然一体となって得も言われぬ快感を運んでくれるのがコーヒー(もちろんコーヒーに限らず美味しいものにはそういった複雑さを含んでいる)だと思います。
スープカレーの札幌での大成功の原因を考えてみると、あれが札幌におけるカフェブームだったんじゃないかと思う。
オシャレっぽい店でオシャレぽいものを食べる。
それがスープカレーだった。
札幌の物価水準からすると、一食あたりの単価として高いと思う。
そのぶん、ボリュームを出して、薄利多売よりは客あたりの粗利を追求した。
加えて、スープカレーの店舗が札幌中心部ではなく、郊外にあることも多かった。
最近の郊外型喫茶店、つまり星乃珈琲、コメダ珈琲に代表されるような、暇で小金を持った層に時間をたっぷり潰すような場所を提供するような店と構造的には似てたかもしれない。
コーヒーのマグが大きく、豆菓子や朝ならトーストがついてて満腹は得られる。
原価を考えると、コーヒーを倍のサイズにしたって、トーストをつけたって、値段をほとんど上げる必要なんかなく、むしろ長居されることだけが問題なのだが、それを郊外に店舗を置くことでクリア。
それと同じことを、やってたと思う。
居心地のいい空間を求める層と、オシャレフードを欲する層を取り込んで、満腹感を与えてリピーターにする。
でも、それを都心でやろうとするとけっこうきつい。
値段はボッてるとは思わない。
世界中のほとんどの国では、出汁も発酵調味料も使わず、具材を水で煮込んで塩と香辛料を入れただけで料理として成立する。
具材から出る出汁と、それに合わせた香辛料の組み合わせで料理が成立するわけだが、料理の基本技法であるにも関わらず、日本においてこの技術は半分途絶えてる。
出汁取りは別の材料を使い、そこに発酵調味料で味を決める。香辛料はあってもなくても構わないアクセントでしかない。
一言でいうと、スープカレーはスープ料理としては未熟な部分がある。
具材は別に調理して乗せるだけであり、具材から出るエキスは考慮したわけではない。
メニューの違いはトッピングの違いであり、スープの違いではない。
それをやると死ぬほど金がかかるので仕方がないのだが。
スパイスについても未熟なところはあった。
巷のカレー屋では、○○種類のスパイスとか書いてあって、どうもスパイスの数が多いほど上等かと勘違いしてる場合が多い。
店側がそうおもってるのか、客がそう思ってるからそんな書き方をしているのか。
スープカレーはそれがひどくて、20種類以上は当たり前、30種類とか40種類とかを売りにしている。
複雑さと美味しさはイコールではないはずなく、むしろ味をボケさせ、またコストに跳ね返ってくるわけだが。
殆どの店で、シーフードカレーとチキンカレーで、スパイスの構成がガラリと変わったりはしない。
アクセントとなる部分は変わるが、ベースはスープに合わせてつくられている。
スープカレーは悪くはない、悪くはないのだが、食材の旨味を活かしきれず、出汁取り用の食材の大量投入の力技で旨味を、スパイスの大量投入、多種投入で複雑さをプッシュしすぎている。
食材を殺しているとは言わないが、もっと安いコストで同じかそれ以上のものを作ることは可能である。
総括すると、札幌近郊と都内の客層、地価等、外部環境の違いにより、札幌で取り込んでいた客層を都内では取り込むことができなかったこと。
スープ料理としての未熟さが、美味しさ以上のコストを生んでいる。
スープカレーだけではないが、カレー屋、あるいはインド料理店の評価は食べログにおいてはかなり甘いと思う。
イタリアン、フレンチは辛辣なレビューもあるが、カレーについては好意的な書き込みしか目立たない。
食べログが街の評判とは思っていないが、いまだカレーというジャンルはボーナスステージであるといえる。
今でこれだと、たぶん10年後には消えてる。
こんにちはれいむだよ。ゆっゆっゆっ。
カフェ探訪記事も3回目だよ。こんなのが続くと思ってなかったかられいむもびっくりだよ。まああまあまさんは生活必需品だから仕方ないよね。
さて第一回ではITC(意識高いカフェ)、二回ではIHC(意識低いカフェ)を紹介したんだけど今回紹介するのはそんな「意識軸」にカウンターを加える存在だよ。カフェ業界にはこの「意識軸」に対応する思想としてニューウェーブであるKOFC(これが俺らじゃ普通だからカフェ)という潮流があるんだよ。
具体的に言うと地方色を押し出したカフェだね。意識が高いとか低いとかは関係ない。俺たちのシマじゃこれがデフォルトスタンダードだからね。自然体だから。そういう主張を武器に展開するカフェです。
まあITCってものそのものが、欧米的なKOFC主張(NYじゃこれが普通だから、パリじゃこれがスタンダードだから)をありがたがって舶来輸入したという背景が無きにしも非ずなので、れいむも水筒をじゃばじゃばあらってラテを入れてもらってありがたく職場に帰ったりもしたものだよ。
どうでもいいけど、そういうことをやってると、竹筒を持参した氏子さんに御親水を入れてあげてた巫女時代を思い出すね。ゆっくりしたライフだったよ。境内の日蔭部分に竹ベンチを作って、そこで竹水筒(バンブーボトル)に自家製麦茶を詰めてあげれば500円くらいとれるんじゃないかな。神社が近所のひとびとの喫茶ポイントになる画期的アイデアだと思うんだけど、なんでそういうの無いのかな。あ、そか。Wifi環境と電源が必要だからか。むずかしいね。
話が脱線しちゃったよ。
今回は国内KOFC(これが俺らじゃ普通だからカフェ)の雄「珈琲所コメダ珈琲店」にやってきたよ。国内の喫茶店文化の中でも異形の進化を遂げたギアナ高地ナゴヤから現れたニューヒーローだよ。
れいむが普段通っているのは都内僻地にあるコメダなんだけどね。
どれくらい僻地かっていうと近所の住んでる住民ですらそこが都内だとは意識してないというような場所にあるんだ。この地域にある都内有数の巨大公園は首なしライダー都市伝説発祥の地として名高いよ。
さてそんな地域にできたコメダ珈琲なのでヤンクのたまり場になっているかというとそんなこともなく、客の過半数は老夫妻、老婦人数人連れという落ち着いたものだよ。男性老人が老眼鏡をかけて新聞をにらんでいたりもする。
コメダ珈琲の思想性はメニューを見ても明らかだけどコーヒー豆の種類とか女々しいことは言わないよ。そんなの選ばせたって庶民はわからないもんね。こっちでブレンドしたのを飲めって感じだよ。アイスコーシーかアイスオーレでいいんだよ。ゆっゆっゆっ。
れいむのおすすめは「たっぷりアイスオーレ」だよ。ガムシロは事前に入れてもらえるよ。大きな金属マグカップに入って出てくるんだけど、このマグカップは中空断熱だとおもうよ。いつまでたっても氷が解けないからね。
コメダと言えばモーニングだとか大盛りだとかハンバーガーでかいとかなんだけど、このへんは実をいうとそこまで感銘を受けなかったよ。最近どこのファミレスでもモーニングを500円前後でやってるしね。ボリューム勝負をするのであれば大差はないよ。コメダのイートメニューの美点はその気取りのなさで、サンドイッチもバーガー系も、自宅で惣菜をはさんだような素朴なおいしさがあるよ。
客層に反してここのコメダも全席にコンセントがあるので、れいむはれいむのカフェ日記を書くこともできる。いたれりつくせりだね。やったー。ぴょんぴょん。
などとここまでコメダ珈琲を普段使いのできるカフェとして持ち上げておいたけれど、隣の席に女子中学生集団がやってきてかき氷を食いだしてから霧散しちゃったよ。うわー。引くわ。どんびきだわ。
女子中学生が「やべえ」「まじやべえ」っていってるよ。普段だったら「お前たちの語学力がまじでやばい」と突っ込む(内心)だけど、横目で見たられいむも「あれはやばい」って呟いちゃったよ。
コメダ珈琲のかき氷はレギュラーサイズとミニサイズに100円しか差がないから、そりゃ、それくらいならレギュラー食っとくかと思う。みんなそう思う。その考えを察知して、レギュラーを下痢確実なサイズに巨大化するのは、れいむどうかと思う。罠なのかな。
割とかわいい女子中学生三人組がお腹をさするカフェという意味不明を目撃してしまったよ。
そんなわけでれいむのカフェ探訪3はおわりだよ。
機会があったらまた報告を書くよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150512153327
コーヒーが趣味って、どこまでを指すかわからないけど、実はハードルが凄く高いんだ。
1生産→2焙煎→3抽出→4飲む の順番なんだけど、この段階を遡れば遡るほど難しくなる。
飲む人は一般人、抽出する人はコーヒー好き、焙煎する人はコーヒーマニア、生産する人はエメマンの山田孝之って認識でいいよ。
*
4の飲むのはコーヒーが好きなら誰でもできるよね。
自販にもあるし。でも基本的にインスタントや缶コーヒーって不味いんだ。(後述)
*
次に行こう。3の抽出だ。淹れるやつだよ。ネスプレッソとかエスプレッソマシーンは除くよ。
ぼちぼちコーヒーが好きならやるかな。お金出せば皆できるけど、4の飲むよりはハードル高いよね。
淹れ方は2割くらい味に影響するよ。美味しいコーヒーは挽きたて、淹れたてが大原則だよ。
淹れ方は大体以下が主流だよ。
淹れ方を書くのは荒れるから省略するよ。そんな詳しくないし。
ペーパードリップ…今は日本独自の文化になってるよ。喫茶店はだいたいこれだね。
ネルドリップ…布でコーヒー豆を濾す淹れ方だよ。手入れや管理が面倒だけど一番美味しいよ。
フレンチプレス…ところてんみたいにブスッと押し出す淹れ方だよ。濁るからあんまおすすめしないよ。
サイフォン…理科室の器具みたいなやつだよ。ぱっと見こだわってる感じするけど、もう廃れてるよ。
あとは直火式のエスプレッソもあるね。コンロで作るやつ。マキネッタっていうよ。
*
次2の焙煎に行こう。ここまで自分でやるとマニアの域だね。ここがすごく奥が深いんだ。
おれ自分でたまに焙煎するライト層だけど、コーヒーの味は大体焙煎で決まると思ってるよ。
焙煎って一言で言うけど直火式だったり、赤外線式だったり、いろいろあるんだ。
手回しのロースターもあるんだけど、きちんとした豆作るのってすごく難しいんだ。
もちろん、銀杏を煎る網でもできるけど、なかなか難しいよ。
手が疲れるし、煙すごいし。自家焙煎してる珈琲屋さんはすごいね。
たまに、謎に不味いところあるけど。
*
最後の1豆の生産について。結論からいうと個人での生産はビニールハウスとかじゃないと無理に近い。
焙煎のほうが自分の表現がしやすいから、コーヒーマニアは生産よりも自家焙煎にご執心なんだ。
一応日本の南だとつくってる所はあるみたい。
豆の種類について説明するね。
豆って大きく分けてアラビカとロブスタってのがあって、
アラビカのほうが優等生なんだけど高いところでしか取れなくて、病気に弱いんだ。
対して、ロブスタはめっちゃ生命力強くて安いんだけど、苦いだけなんだ。
ロブスタはたくさん取れるからインスタントコーヒーとかコ⚪︎ダに使われてるね。
インスタントコーヒーのCMに出て、「美味しい」って言ってる人はコーヒー好きに鼻で笑われてるよ。
アラビカは生産が難しいし、コーヒー豆って赤道らへんでしか育たないから日本では作りにくいかな。
*
高いのが美味いってのはよくわからんけど、アラビカとロブスタとの比較でならそうだね。
アラビカのほうが高いし美味しいよ。ロブスタはインスタントコーヒーだからね。
だけど、アラビカの中でも色々種類あるよね。
モカ、ジャマイカ、スマトラ、キリマンジャロ…とか地名の名前とかが由来になるよ。
まあなかなか取れないっていう意味で高いんだけど、
実際匂い嗅いでみると、刺々しくなくてそっけないんだ。
ガツンとくるもんがないんだけど、オールラウンダーで、そつなく飲める感じなんだ。
個人的にはもっとフレンチやイタリアンくらいの苦目のコーヒーのほうが好きだから
そんな美味しいとは思わないかなあ。
*
こんな感じで見てきたけど、美味しいコーヒーを0から作ろうと思うのはかなり効率が悪いよ。
実用書、学術書、翻訳書、自費出版、ウェブ、モバイル、電子書籍
について、共通して言えるとすれば
ですわ、と。
・「ライターはつけず、あなたが執筆していただきたい」と言われたので承諾した
「著者としての元増田の執筆能力に不安がゼロなわけじゃないけど
「カネが潤沢にあるわけじゃないし、ライターはつけられない
・インタビューなどに行く場合は、私が相手とコンタクトをとり日程を取り決める。出版社からは私と相手ふたりあわせて1000円のみ支給。(珈琲代にもならない。相手への謝礼は?)
この一節なんかも
版元の指定で「やらされ感」あったからこそのコメント、だとすると
やっぱり純然たるコスト削減した制作体制、ってだけな気がしました。
著者の意見は聞くけど
「提案とかけはなれたもの」になることは往々にしてある。
著者とのすりあわせが出来ない編集が
総合して覚える
「ですよねー」感。
なにしろお疲れさまでした。
まず、この世界は基本決まった仕事の方法ってあんまりない。著者の数だけ仕事の進め方があるし、本の種類によっても全然違う。
で、基本的に読んでると、全部初期段階での交渉不足といえばそれまでなんだけど、、一応自分が思う一般的な話が参考になれば。
>・直してくれるのは基本的にてにをはのみ。それ以外も時々直してくれるがだいたい見当違いも甚だしい。これが一番キツかった。
もし修正がまずかったとしたら、これは単に編集者がダメ。なんだけど、書き慣れてない人からすると、
ここ直すの?っていうのに過敏に反応することもある。概して、よほど名前とスタイルの決まった著者でないかぎり、
校閲も編集者校正も一般的な言葉で分かりやすくしようとする。それが頭に来ることはある程度ベテランになってもある。
>・インタビューなどに行く場合は、私が相手とコンタクトをとり日程を取り決める。出版社からは私と相手ふたりあわせて1000円のみ支給。(珈琲代にもならない。相手への謝礼は?)
これもケースバイケースだけど、基本的にやって欲しければ自分から頼むべき。
例えば英語が必要とかで編集者が分からない、というなら、外注でもいいからやらせるべき。
>・スケジュールは概要は教えてくれるが、タイトルやデザインをいつまでに決定すればよいかなどの詳しいスケジュールは教えてくれない。
タイトル、デザインは結構最後になりがちで、スケジュールは常に曖昧。
重要視するのであれば先に話をしておいて、最後は必ず確認させてください、と話しておくべき。
>・書き終わってないのに出版日を次の月に勝手に設定されていた。こういうのは書き終わってから設定するものじゃないのか。
これも進行の相談を無視してのいきなりの設定だったとすれば、編集に非があるけど、普通先に相談しない?
ちなみに出版社は出版スケジュールというのが決まっていて、ある程度先が見えたら最後は強制的に出版日を設定して、
>・了承のないタイトル変更をされた。
これも先に話すことだけど、確認なく勝手にやったなら非常識だな。
>・表紙のデザインも提案した物とはかけはなれたもので決定された。
これも本の内容・種類によるけど、こだわりがあるなら書き始める前に先に伝えて表紙も含めてやりたいと
話さないとだめ。
>・執筆内容の信憑性を裏付けるためにいろいろな人に確認してくれるなんてことはなかった。本ってこんなに主観に満ちたまま出版されてるものもあるんだなと思うと少し怖い。
よほど学術的な本でないかぎり、「いろいろな人」に確認をとるなんてことはあまりないよ。
何の本か分からないけど、三流出版社の裏社会系とかそんなのじゃないか?
読んでるとそんな感じがする。
ある編集者との仕事という名の戦いにようやく終止符を打てたので、ここに記録しておきたい。
ここで問いたいのは、要約すると「編集者って一体何の仕事をする人なのか?」ということである。
私は普段はライターとして仕事をしているわけではないが、とある出版社に所属する編集者から声をかけられたため、本を執筆することになった。
「ライターはつけず、あなたが執筆していただきたい」と言われたので承諾した。プロの編集が直接文章を直してくれる機会なんてなかなかないだろうし、文章書く訓練にもなっていいかなと思ったからである。今考えるとその選択そのものが地雷だったのかもしれないのだが。
・直してくれるのは基本的にてにをはのみ。それ以外も時々直してくれるがだいたい見当違いも甚だしい。これが一番キツかった。
・インタビューなどに行く場合は、私が相手とコンタクトをとり日程を取り決める。出版社からは私と相手ふたりあわせて1000円のみ支給。(珈琲代にもならない。相手への謝礼は?)
・スケジュールは概要は教えてくれるが、タイトルやデザインをいつまでに決定すればよいかなどの詳しいスケジュールは教えてくれない。
・書き終わってないのに出版日を次の月に勝手に設定されていた。こういうのは書き終わってから設定するものじゃないのか。
・了承のないタイトル変更をされた。
・表紙のデザインも提案した物とはかけはなれたもので決定された。
・執筆内容の信憑性を裏付けるためにいろいろな人に確認してくれるなんてことはなかった。本ってこんなに主観に満ちたまま出版されてるものもあるんだなと思うと少し怖い。
私がこの業界に疎いため、編集者がどこまで仕事をするのか分かっていない。
そのため、これくらいが編集者の仕事だと言われてしまえばそれまでなのだが、一緒に仕事をしていてひたすらにやりづらかった。
一体一般的には編集者はどこまで執筆のサポートしてくれるものなのだろうか。
小耳に挟んだだけだが、彼は大学は旧帝大を出ているのだそうで驚いた。
キャリアも5年以上ありそうだし、もしかしたら彼は他の人とはちゃんとした仕事ができているのかもしれない。
単に私が無能なだけかもしれない、そんな気もする。
ご飯がとっても美味しいです。