はてなキーワード: 暴走とは
理性は二の次。ごはんを食べるようにセックスがしたい。家庭にまったく不満がなくても不倫をしてしまうただのチンパンジー。不倫相手との腹上死が一番怖い。
パートナーに愛想を尽かされてセックスレスを嘆く。自分か犯した過去を反省する気は毛頭なく、「知らないうちにセックスレスです」と宣う粗大ゴミ。たまに家庭を顧みず暴走型の不倫に走る。
【愛に飢えたメンヘラ】
家庭が崩壊している。精神的なつながりを求めており、セックスよりもデートがしたい。不倫に対して謎の絶対的自信をみせている。沼にはまると関わる人すべてを不幸にしてしまう厄介なメンヘラ。
つらい幼少期だったり、ガバガバな性教育で作り出されたモンスター。確実に貧困。パチンコ、タバコ、酒の3コンボ。旦那もIQが低い。
誇れるものが何一つないため、自分と結婚した女に価値を見いだしたいだけのアホウドリ。そのコンプレックスに気づくことはなく、NTRは性癖の一言で終わらせてしまうその様はまさにアホ。
総じて運命に落ちる回数が多く、精神年齢が低い。離婚に行き着くパターンがもっとも多いのだが、再離婚になる確率が高いことすら考察できない。悲劇のヒロインを演じるのが得意。
もうとっくに諦めた恋だが、その人の結婚式に呼ばれることは決まっていて、そのことを考えると少し心がざわついて、かといって誰かに話すこともできず、その想いをここに書き散らすことにした。
つまらない自分語りだが、気持ちの整理のつもりで書き記す。特定に繋がらないよう、念のため一部フェイクを入れたりはしている。
まあきっと、どこにでもあるような話だ。
同性の友人に恋をして人生を一時迷走した、愚かな若者だった頃の話である。
驚くほど気が合ってすぐに仲良くなった。平日も休日もつるんでいるのが当たり前の関係。いつからそれが恋だったのか、はっきりとは覚えていない。自覚したのは数年後だ。
でも高校二年の夏を迎える頃には既に、恋だったように思う。他の友達と親しくしている姿を見るのが苦しく、時折よくわからない不快感に苛まれるようになっていた。それでも、友人と一緒に過ごす時間は何より楽しく、バカなことも真面目なことも、誘われればいつでもすぐに飛んでいった。
色々な偶然が重なった結果だが、我々は進学先も同じ地域だった。田舎から出てひとり暮らしの家を探す自分に「せっかくなら近くに住まないか」なんて向こうから提案をしてきた時は、嬉しくて嬉しくて、飛び上がらんばかりに喜んだ。
でもそれは、迷走の始まりだった。
ほぼ毎日のように会える友人。食事を共にする機会も多く、互いの部屋を訪れてゲームをしたり漫画を読んだり、だらだらと過ごすのも当たり前になった。試験期間中の真夜中にコンビニに行こうと誘われて、適当なスウェット姿で並んで歩いた。体調が悪ければ互いに見舞い、薬や飲み物を買って届けたり、食べ物を作って置いていったこともある。
夢のようだった。
唯一無二の相手になれた気がして、それが恋だと自覚もしないまま有頂天になっていた。
だが、当たり前のことながら、相手にとって自分はただの友達のままだった。
ある日、恋愛相談を持ち掛けられた。
薄々は気付いていた、友人に恋人がいるらしいこと。それでも目を逸らしてきたが、面と向かって話されてはどうしようもなかった。まったく気乗りしないまま、それでも頼ってくれたことは少し嬉しくて、夜のファミレスで話を聞いた。
相談を聞くうちに絶望的な気持ちに襲われた。友人は決して付き合っている相手の名前を教えてはくれなかったが、誰より友人を見てきた自分が相談までされてわからないわけがない。付き合っていた相手は、共通の友人だ。
同性の人だった。
衝撃に頭を撃ち抜かれたような気分のまま、よく冷静に最後まで話を聞けたと思う。「君も知っている人だ」とだけ言う相手に、最後までわからないふりを貫いて「誰だろう、思い付かない」ととぼけ続けた。はっきりと言われなかったのを良いことに、同性との恋の相談であることにすら気付かないふりをした。その事実を認めてしまいたくなかった悪あがきである。
その相手とは後々別れて友人に戻ったことも知っているが、最終的に異性のパートナーに落ち着くまで何人と付き合ったのかまでは把握していない。話してくれたのは一部のようだし、自分の知らない人だったこともある。それでも、その時々に恋人がいるかいないかくらいはいつもなんとなくわかった。それだけ近くで見ていた。
同性が対象になり得るとわかってもなお決してその恋愛感情が自分には向かないのはもどかしく、それでもたまに頼ってくれる友情が嬉しかった。しかし、次第に膨れ上がって制御しきれなくなってきた気持ちは、相手が自分の思い通りにならないことへの苛立ちとなって表れた。八つ当たりのような態度が増え、突発的に暴言を吐き、傷つけることもあった。その度に青ざめて謝って、また元の友人におさまった。そんなことを繰り返し、自分が嫌で嫌で仕方なくなった。なぜ自分は大切なはずの友人をこんなに傷つけているのか。
その頃になって遅まきながらようやく一つの可能性に気付いた。もしかして、自分はこの友人に恋をしているのではないかと。
それまで自分を同性愛者だと思ったことはない。初恋相手は小学校の同級生で、異性だったのは確かだ。でもどうだろう。その後に恋らしい恋をした記憶がない。友人への想いを「恋」だと認識してみると、これまで何年も自分ですらわかっていなかったもやもやとした気持ちや、たまに暴走する感情にストンと納得がいった。自分は何年もずっと、友人に恋をしていたのだ。
そう理解したら暴走は止んだ。危ないと思ったら距離を置き、"友人"として正しい立ち位置を確かめる。暴れ出しそうな気持ちは表に出ない方法を覚え、平常心で接することができるようになった。友人は魅力的な人だが少々人付き合いの下手なところもあって、学部やサークルの仲間とうまくいかないとこぼすこともあった。自分は努めて穏やかに慰め、君の良いところはちゃんと知っていると友人らしく励ます事ができていたと思う。困った時に頼ろうと思える相手でいたいと、いっそ便利な相手でもいいから傍に置いてほしいと、その頃はそんなことを思っていた。
本音は違う。もちろん特別な関係になりたかった。しかしこれまでを振り返って、自分が友人に相応しいとは到底思えなかった。数年分無自覚に積もった恋心はもはや相手への執着と成り果てており、こんなものをぶつけてはいけないと感じていた。きっと相手もこんな自分を恋愛対象には見てくれないだろう。気持ちを伝えて友人ですらなくなることの方が、当時の自分には恐ろしかった。
結局、辿り着いたのは「この恋を諦める」という結論である。これしかなかった。それは間違っていなかったと、今でもそう思っている。思いたいだけかも知れないけど。
決めたからといって、実行するのは簡単ではない。何せ相手はいつもすぐ近くにいる。夜に部屋で一人になれば、先程まで顔を合わせていた友人のことばかり考えていた。恋だと自覚してしまったからには邪な思いも混じってくる。触れたい。抱きしめてみたい。それ以上も勿論。
その度にそんな自分が嫌になった。
感情ごと消えてなくなりたいと思った。
何とかして気持ちを変えなくてはと悩んだ自分が次にしたのは、同性の恋人を求めることだった。新しい恋をすれば忘れられるのではないかと。
近隣の同性愛者に出会おうと思い立てばそれなりに手段はある。友人と遊ぶ時間を不自然でない程度に減らしながら、両手では収まらない数の人と連絡を取り、そのうちの何人かとは実際に会い、親しくなった。気が合えばホテルにも行った。
無意識だったが、自分が惹かれたと思った相手は皆、今思えばどこか友人に似た雰囲気のある人だった。相手を友人に重ねていただけだ。なんと失礼で最低なことだろう。そんなものがうまくいくわけがない。少し仲良くなってはすぐにダメになることを繰り返した。友人から目を逸らしたつもりになっていた当時の自分ではうまくいかない理由はついぞわからなかったが。
やっと恋人が出来たと思えば、今度は男女の見境すらなくすぐ寝るような遊び人だったこともある。その事実を知った時は流石に少し傷ついたが、今思えばそれも自業自得である。
もうやめようと思った。
落ち着きのない恋愛ごっこに振り回されては失敗して傷付き、思い詰めて眠れない日が続くうち人生そのものが嫌になった。人に会う事が苦痛で引き籠りがちになり、その頃には学業成績も散々なものになっていた。理由を親に問い詰められても何も答えられなかった。大好きなはずの友人が誰かと楽しそうにしている姿を見るだけで、惨めな気持ちに押し潰され死にたくなる日々だった。
もう何もかもが嫌だと自殺の二文字が軽率に頭に浮かび身辺整理を始めた時、見かねて手を差し伸べてくれたのはとある異性の友達だった。自分が同性と付き合っていたこともその人にだけは諸事情あり知られていて、それでも見放さず友でいてくれた稀有な人だった。
自信も何もなく己のどこがいいのか全くわからなかったが、とにかく寂しさで死にそうだった自分は好きだと言ってくれる言葉に甘えてぎこちなく交際を始めた。大好きな友人と重なる部分は何一つない人だったが、その分執着もない。僅かな自己嫌悪を感じながらも、喧嘩もほとんどなく穏やかに関係は続いた。
友人にも、恋人ができたと初めて報告してみた。友人は笑って「いつも一人でふらふらしてるから心配してたんだ。よかった」なんて言ってきた。
その晩は一人で泣いた。
それでやっと、諦めがついた気がした。
恋愛感情があるかと言われれば未だにわからないが、積み重ねてきた情はあるつもりだ。世間体が保たれている安心感もある。この場所を守るのが自分の務めであり、大切にしたいと本気で思ってる。
恋は終わった。はずなのである。
かつて恐ろしいほど執着した、かの友人とは今も付かず離れず適度な距離感のままだ。昔ほどべたべたはしていない。それでも気の置けない相手の一人として、それなりに仲良くやれていると思う。
それなのに、友人の結婚の報せを受けた時から、事あるごとにあの頃の自分が顔を出してきて、傷ついた顔をする。
何を言っているんだと自分でも呆れるばかりだが、もやもやするものを一度吐き出してしまいたかった。片想いの残骸処理のようなものである。
こんなところまで読んでくれた人がいるのかはわからないが、もし居たとしたら、しょうもない昔話にお付き合いありがとうございました。
どうか幸せになってください。
正義と聞くと「正義とか持ち出す奴は胡散臭い」とか「正義感は暴走する」とかすぐ言い出す奴がいる
端的に言って冷笑的な態度
(だいたい一般用語の正義と倫理学用語の正義って意味が違うと思うんだけど、倫理学は生半可な知識しかないのでここには書かない)
……などと思ったが、絶対誰か先にそういうことを思った人間がいるはず
ぐぐってみたら案の定なんか見つかった
人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか
https://forbesjapan.com/articles/detail/34986/2/1/1
「正義の暴走」の引き金となるのは、正義への強い信念であるというよりはむしろマジョリティ意識であり、社会になんらかの不安を抱える多数派が、正義の名のもとに少数派を攻撃することを正当化してしまった場合だという。このように、多数派の正義感がいつの間にか弱いものイジメへと反転してしまう構造を、哲学が専門の藤本一勇は『批判感覚の再生』のなかで「ファシズム」の特徴として解説している。
「ファシズムはイジメ社会の極限形態という面をもつ。社会の末端で、社会の構造矛盾が人々に押しつけられ、その重たい様々な社会的な負荷のために、連帯の余裕を失って人々が分断されてしまうと、自分たちに押しつけられているしわ寄せが、どういう構造から、なぜ生じているのか、という根本原因に注意が向けられにくくなる。そのとき、強力に見える人物や言説が、レッテル貼りと観念論によって、ある特定の存在を『悪』や『敵』と指名して、あたかも一切の負の責任がそこにあるかのように先導すると、「あいつが悪いから自分たちがこんな目にあうんだ」と、被害妄想のような言説に飛びついてしまう。それがファシズムの温床となる」
彼らの議論に従えば、「正義の暴走」として第一に警戒しなければならないのは、多数派の被害妄想が招く「イジメ社会」としてのファシズムである。またそうだとするならば、「正義への信念は暴走につながるため危険である」というテーゼをやみくもに振りかざし、弱いものイジメに抗して戦う政治的主張さえも十把一絡げに嘲笑う「冷笑系」の「正義の暴走」論は疑わしいものになるのではないか。
「社会になんらかの不安を抱える多数派が、正義の名のもとに少数派を攻撃することを正当化してしまった場合」のことを「正義の暴走」と呼ぶならば、ヴィーガンじゃない側のほうがよっぽど暴走しうる立場ってことになる
実際、ヴィーガンはクソだとか滅べだとか公言して憚らない人たまに見る
この論に準拠するなら正義が暴走している人ってのはそういう人でしょ
「ヴィーガンは個人の趣味の話などではなく、正義の原理に基づいた規範的主張なのだから、それを他人に向かって主張するのは当たり前」
https://togetter.com/li/2013016
都合よく漫画のコマを切り抜かれて氷室の天地の作者はかわいそう
(まあ私はメガネっ子が本気を出すときメガネを外すシチュエーションが好きなので、メガネっ子大好きな磨伸映一郎とは相容れないのだが)
「今年読んだ新作漫画なし! anond:20221216094035 」に触発されて、
「自分も老いたわ~。この間『「若い頃にハマった音楽を聴き続ける」のは「頭の老い」のスタート地点である、という仮説』ってまとめも見て確かにそうだと思ったわ~」
と落ち込んでニコニコ静画のお気に入りやAmazonの履歴を見たら
実は結構新作を読んでたのでここに書く。
なろう小説が原作だが、チート能力で孫ったりハーレムを作ったりはせず、陰鬱な世界で兵士として生き抜く主人公を描いた物語。
オープンワールドゲーム ELDEN RINGのコミカライズ。
絵柄とは裏腹にギャグマンガ。
なろう系。
魔族に滅ぼされようとしている世界に、転生する際の手違いで「強靭な肉体のチート」ではなく「現地の種族に愛されるチート」を授けられて転生させられた主人公の物語。
ギャグマンガの割には結構グロイ描写もあったりするので、注意が必要。
世界の大国が二つの派閥に分かれようとしている中、中立国の軍の武官が工作を行う物語。
エッセイ。
素朴な絵柄が好み。
話のベースはウィザードリィそのもの。王国の近くのダンジョンの奥深くに悪い魔法使いが現れ、王国に呪いをかけて年上の大人たちが石化していく。
そんな中主人公たちは、持ち主に好意が向けられると強くなる剣を持ってダンジョンを攻略する。
2021年12月26日開始なので厳密には今年ではないのだけれど、日付が日付なのでギリギリセーフということで。
原作が一般人、『LADY』が女性、『BLACK』がブラック企業勤めの会社員、のそれぞれの体の中を舞台にしていたのに対し、
本作はタイトルの通り非合法な人物(一巻の時点で覚〇剤を打ち、バイクで山道を暴走した挙句事故る)の体が舞台。
ゲームのRTA(リアルタイムアタック)におけるあるあるや用語を詰め込んだ短編ギャグマンガ。
サクッと読める。
これ以外にも結構あったけど長くなったのでここまで。
正確には覚えていませんが、(劇中ではテロップで明示されていた)1990年代から2010年代までの近い過去が舞台で、ストレート携帯電話(PHSかも)やカセットテープ再生機(ウォークマン)が出てきます。
1990年代にその時代にはなかったものが映らないようにするために高田馬場BIGBOXなどの建物はCG処理されています。
問題は自動車で、LEDヘッドライトで青エンブレムのEVを写さないという狙いはいいのですが、カローラやマーチなどの一般的な車ではなく、ホンダのBeatやリトラクタブルヘッドライトの外車など「カーマニアが大事に保存していた」みたいな車が目立つんですよね。
交通事故死の出てくる映画はスポンサーのCMの関係で地上波で放送しづらいそうです。本作もガチャンと交通事故死します。事故死は当時のVWゴルフとトラックの衝突ですが、交通事故の原因となる暴走でゴルフを追いかけていた犯人が運転していたのはトヨタ・日産・ホンダ・マツダ・三菱・米国車でもなかったので、スポンサー問題にも気を遣っていたのかもしれません。
何を考えているのかよくわからない人だった。交際を持ち掛けられたのは二人で旅行している最中だけれど、元から親密だったわけではなくて、SNS上ではやり取りがあったとはいえ、私たちは数回会ったことがある程度だった。話していて楽しい人だったけれども、特別好きな人ではなかった。
初対面の彼女は生きる世界が違うように見えた。一言で言えば美人だったし、男遊びに手慣れたタイプに見えた。異性慣れしていない私とは正反対だと思った。
ただ、私たちは互いに歪んだ思想を持っていて、「反出生主義」で一致していた。生まれた環境や経験は異なれど、その場所で歩む道は交わった。
私たちは歪んでいたけれど、歪みきれない点でも似ていたと思う。承認欲からか、ただ人並みにパートナーが必要だったのだろう。
彼女は私が躊躇している時に共にアクセルを踏んでくれる人だった。人を誘いにくい、でも一人では決めづらい長めの旅行とか体力的に厳しいイベントを一緒に楽しんでくれるのは彼女だけだった。しばらくして、共に人生を歩めるのはこの人しか居ないと思うようになった。私はそういう「何かを得た」と思い込んでいた。
しかし、生きる世界が違うという第一印象は払拭されず、同じ時間を過ごす楽しさや必要とされる嬉しさを感じるたび、同時に、何か騙されているんじゃないか、「何かを失う」んじゃないかという恐れを抱いていった。そしてそれは次第に、醜悪な独占欲に変わっていった。
彼女の人間関係を嫌悪して、彼女の趣味を嫌悪した。自他境界が致命的に崩れていった。それがたとえ交際相手であろうとも、他人は所詮他人にすぎない。「彼女」が出来たとて、所有するという意味で「何かを得る」ことはないし、よって「何かを失う」こともない。
私には私の中の感情が世に言う嫉妬であり、その根元は人間関係に対する誤解にあると自覚し向き合うだけの経験と思考力に欠けていた。私は絶望的なまでに普通の人間で、歪みなんて呼べるほど美しいものではなく、ただ普通に拗らせた男だった。
旅行中も様々な話を聞いていたけれど、付き合ってみたら彼女を取り巻く厳しい現状がゴロゴロと分かってきた。家庭状況の問題も、大学生活の問題も、精神疾患の問題も、そして、これからの進路も。どれも根本的にはどうしようもなかったけれど、出来るだけ寄り添ったつもりだったし、自分が考え至る全てを提案して、自分に出来る全てを実践したと思う。
そして実際に彼女の生活環境を支える一端を担っていると感じると同時に、自身の力の限界に悩まされた。学生は無力だ。一刻も早く社会人になって自立する必要を感じた。そして、自立すればなんでも出来ると過信していた。
一方、彼女本人は盲目的に「夢」を追っていた。夢というよりもコンプレックスを晴らそうとする強い意志だった。目標が「ゼロをプラスにする」ことではなく、「マイナスをゼロにする」ことであるが故に、夢などというものよりも遥かに諦め難いのだろうと今になって思うが、私には馬鹿げて見えた。
独占欲と自信過剰と、そして彼女の「夢」への軽蔑は、彼女の為と思いつつ、その実、全く相手に寄り添えていない提案を繰り返すに至らせた。「結婚して君のあらゆる問題に一緒に立ち向かおう、ただその夢だけは一旦諦めてほしい」という旨の最後の提案は一顧だにされず、私は勝手に限界を感じて、別れを告げた。春を目前にした、しかしまだまだ寒い日の夜だった。
彼女は私のことを嫌いにならなかった。そのことが私を強い罪悪感に浸らせた。私は感情的で暴走していたがどこかで自身が抱える悪しきものに気付いていたのだろう。
私は彼女のことを嫌いにならなかった。嫌悪も否定も、全て一つの感情から来ていた。
彼女はその後も生きていた。家庭は元から崩壊していたし、金は魂を売れば稼げるし、薬は大量摂取しても吐き出すように出来ているし、人は簡単に首を括らない。彼女が生きる為に私は何もする必要がなかった。
初夏の頃だろうか、友人の恋愛相談を聞いている過程で、私は私自身の罪の重さをひしひしと実感するようになった。春の時点でも冷静になって謝罪していたが、その時の比ではなく自身の悪性と罪科を自覚した。
夏の真っ盛りに私たちは京都で再会した。彼女の近況を聞き、私の近況を話した。謝罪には何の意味もない。犯した罪は拭えない。それどころかむしろ逆効果であるということは分かっていた。彼女はより私のことを嫌いになれないし、私は自分のことを善であると何処かで勘違いしてしまう。それでも、自分の直感に従って動くのが私という人間で、そして人間は皆それで正しいと思う。彼女も彼女の直感に従って夢を追い続ける。
思うように進んでほしい
私も思うように進んでみる
あー思い出しちゃった…
同人板って厨房遭遇報告スレだったかの長寿シリーズが複数あって、毎日大量のエピソードが投稿されてたよね…乗っ取り報告スレとかも長く続いてたし
「イタい人から攻撃された」はもちろん、「相手が突然攻撃されたという体で被害者ぶりはじめた」も定番エピだったね
今思えば数が多すぎるので嘘松もたくさん混じってたんだろうけど、
嘘でも本当でも「同人活動してるとそういう揉め事がよく起きる」こと自体は共通認識だったよね
で、そういう投稿エピ内で犯人が男とされてたパターンってかなり珍しくて、ほとんどは界隈内のイタい子の暴走を晒す話だったよね…
しかしだね、俺は女性向け創作作者たちに直接話を聞いたことがあるのだが、
「地雷認定女から粘着嫌がらせをされる」のは日常茶飯事とのことだった。
「〇×を書いてた~~さんですよね?なんで〇×民の地雷である△□を書いてんの?嫌がらせですか?」「△□キモイ」「どうなるかわかってる?」という粘着を延々繰り返され、6回はアカウントを転生したそうだ。
思わず「こえー」と言ったら、
「粘着されて転生6回はむしろ少ない」「こんなの普通やで」「当たり前」と、その場にいた作者たちからあっけらかんとした感じで言われてしまった。
「そういうもんだから」というのが、またなんとも凄味があった。
また、数千フォロワーの作者曰く、
サークルが大きくなるとそれはそれで「信者」がつき、この信者がなぜかデカい顔で自治や学級会をしはじめてうざい、という話をしていた。
勝手に自治をはじめるだけならまだしも(それでも相当なストレスだとは思うが)、
「積極的に他サークルに喧嘩を仕掛ける」から困る、と語っていた。
なにやら、そういうロールプレイをするもの、と強く思っているフシがあるらしい。
その場にいた人たちはまた同意で、
「好きだった作者が信者のせいで活動を自粛した」「信者に乗せられて他作者の製本をあてこすったり、上から目線の言動をするようになった」「限定本をやたら出すようになった」等、いろいろな証言を聞いた。
色んな証言と言っても、
これがまたネットでよく見る「女オタ界隈ってやばいよね~」という「噂話そのまんま」のありきたりな事例ばかりで、
それに二重にビックリした。
ああいうのは大袈裟な悪口だと思ってたんだが、そうじゃなかったんかい。
こういった連中が「地雷認定」をしたり、「あいつは検索避けをしていない」「金儲けしか考えてない」「他人様に迷惑をかけてるからあの作者はクズ」という足の引っ張り合いの場外乱闘をしていて、
やりたくてやってるわけではないが、ルールを明文化したり警告を時折出さないと、ファンが暴走するそうだ。
一番いいのは、信頼のおける「委員長」みたいなファンに、その他のファンを仕切ってもらう事らしい。
そのために、知り合いに「重鎮ファン」のふりをしてもらって、SNS上でアピールしてもらってる、という人もいた。
ちなみに、学級会でよく言われる「一般人に迷惑をかけるから」という感覚は、おそらくみんなないだろうとのこと。
「専門ショップであんなに堂々とBLコーナーや○○作品特集!ってやってるんだから、そういうのは元々薄いよ」らしい。
本心としての「地雷」というより、党派性や政治的アピールでの「地雷」なのだろうし、
「実際にサークル活動してたら絶対に出会う」という話を聞いたので、一応書いておく。
ちなみに、この話は俺から聞き出そうとしたわけではなく、同人作者たちがいる場で突発的に女性作者たちの愚痴大会がはじまって、それに合わせて質問していった形である。