正義と聞くと「正義とか持ち出す奴は胡散臭い」とか「正義感は暴走する」とかすぐ言い出す奴がいる
端的に言って冷笑的な態度
(だいたい一般用語の正義と倫理学用語の正義って意味が違うと思うんだけど、倫理学は生半可な知識しかないのでここには書かない)
……などと思ったが、絶対誰か先にそういうことを思った人間がいるはず
ぐぐってみたら案の定なんか見つかった
人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか
https://forbesjapan.com/articles/detail/34986/2/1/1
「正義の暴走」の引き金となるのは、正義への強い信念であるというよりはむしろマジョリティ意識であり、社会になんらかの不安を抱える多数派が、正義の名のもとに少数派を攻撃することを正当化してしまった場合だという。このように、多数派の正義感がいつの間にか弱いものイジメへと反転してしまう構造を、哲学が専門の藤本一勇は『批判感覚の再生』のなかで「ファシズム」の特徴として解説している。
「ファシズムはイジメ社会の極限形態という面をもつ。社会の末端で、社会の構造矛盾が人々に押しつけられ、その重たい様々な社会的な負荷のために、連帯の余裕を失って人々が分断されてしまうと、自分たちに押しつけられているしわ寄せが、どういう構造から、なぜ生じているのか、という根本原因に注意が向けられにくくなる。そのとき、強力に見える人物や言説が、レッテル貼りと観念論によって、ある特定の存在を『悪』や『敵』と指名して、あたかも一切の負の責任がそこにあるかのように先導すると、「あいつが悪いから自分たちがこんな目にあうんだ」と、被害妄想のような言説に飛びついてしまう。それがファシズムの温床となる」
彼らの議論に従えば、「正義の暴走」として第一に警戒しなければならないのは、多数派の被害妄想が招く「イジメ社会」としてのファシズムである。またそうだとするならば、「正義への信念は暴走につながるため危険である」というテーゼをやみくもに振りかざし、弱いものイジメに抗して戦う政治的主張さえも十把一絡げに嘲笑う「冷笑系」の「正義の暴走」論は疑わしいものになるのではないか。
「社会になんらかの不安を抱える多数派が、正義の名のもとに少数派を攻撃することを正当化してしまった場合」のことを「正義の暴走」と呼ぶならば、ヴィーガンじゃない側のほうがよっぽど暴走しうる立場ってことになる
実際、ヴィーガンはクソだとか滅べだとか公言して憚らない人たまに見る
この論に準拠するなら正義が暴走している人ってのはそういう人でしょ
「ヴィーガンは個人の趣味の話などではなく、正義の原理に基づいた規範的主張なのだから、それを他人に向かって主張するのは当たり前」
https://togetter.com/li/2013016
都合よく漫画のコマを切り抜かれて氷室の天地の作者はかわいそう
(まあ私はメガネっ子が本気を出すときメガネを外すシチュエーションが好きなので、メガネっ子大好きな磨伸映一郎とは相容れないのだが)