はてなキーワード: 少年チャンピオンとは
永井豪の漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります。
少年漫画には歴然とエロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画のエロ枠からも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性像自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います。永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。
永井は、1970年前後に少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女をヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女が主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家が主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画であんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女を主人公としかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井の代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身も性別を超越した存在として描かれます。)
実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったものと比較すれば、永井作品がいかに先進的であったかが理解できると思います。
強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女。今日の少年漫画に女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性をエロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者の良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています。
私は、永井の作品が、1970年代から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品の先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。
そんな永井先生の仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称「フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田の書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります。
『映画秘宝』の元・編集長による恫喝DM事件が発覚した当初、一部の『映画秘宝』関係者が「映画を観て、差別に反対し、社会の不正や権力に立ち向かう姿勢を学んでいたのに云々」といった主旨の言葉を述べていましたが、果たして本当にそうでしょうか?若い読者の中には信じてしまう人たちがいるかも知れないので、元・愛読者の一人だった私が記憶に基づいて(と言うのも手持ちのバックナンバーはほとんど処分したので)、これについて反論のような事をポツリポツリ試みたいと思います。
『映画秘宝』が現在のサイズになって間も無い当時『映画秘宝』は、自民党政権を援護射撃するメディアの一つでした。これは何も『映画秘宝』に限った話ではありません。当時は、例えば『ミュージックマガジン』の故・中村とうようが「自民党を壊してくれるなら小泉純一郎を支持する」と公言していたように、小泉政権を支持する反・権力系メディアやその関係者は珍しくなかったのです。
同じ頃『映画秘宝』は、当時の秋田書店の漫画雑誌『少年チャンピオン』で連載されていた漫画『アクメツ』を誌上で紹介した上で「この漫画は傑作なので『映画秘宝』の読者も読んで応援しよう!」と推薦していました。ご存知ない方の為に解説すると漫画『アクメツ』は、小泉純一郎をモデルとする政治家(※ハンサムに描かれる)が行う改革を応援する為に、主人公である高校生テロリストが改革に反対する勢力の人間たち(※こちらは醜い外見で描かれる)を殺害しまくる(しかも、その殺害の模様を映像で配信する)と云うのが大まかなストーリーです。
それだけではなく『映画秘宝』の読者投稿欄では「映画の中で公務員が死ぬ/殺される場面が出てくると、映画館で拍手喝采します」と云う内容の手紙を掲載したり、映画紹介記事の中に「公務員の奴らは他の仕事に就くことが出来なかった無能たち」という文を態々差し挟む形で書いたりと、当時の小泉改革により巻き起こった公務員バッシングの風潮に『映画秘宝』は全力投球で乗っかっていました。公務員バッシングをしてくれる雑誌メディアの一つとして『映画秘宝』を愛読しているネットウヨク的な人間たちも、当時は少なくなかったのではないでしょうか?少なくとも、読者投稿欄などに「小泉改革に乗っかって浮かれるのは止めた方が良い」という意見が載る事や、ライター内部からの批判記事が書かれたは無かったものと記憶しています。
町山智浩は小林よしのりに対して「ネットウヨクたちを生み出した責任を取れ」と批判したようですが、四人がかりで女性1名を標的にパワハラを行うような町山智浩たちが作っていた『映画秘宝』に対して、私は「貴方たちが過去に行った自民党政治への援護射撃の責任を取れ」と言いたいと思います。
奈良さん・小沢さん・ギンティさん・市川さんたちからの告発を受けた町山智浩ら4名は、近年『反・権力』の姿勢を盛んにアピールしていましたが、私の目から見ると「ナチスの戦犯が過去を隠して戦後を生き延びた姿に似ている」と思います。仮にも『反・権力』を謳うならば、過ちを犯した時には自己批判して、反省する事が肝要でしょう。それが出来ない、他人に厳しく自分たちに甘い町山智浩ら四人は、決して「反・権力」や「不正と戦う」と云う人間たちではないと私は思います。
元『映画秘宝』愛読者だった私。家族に『映画秘宝』を読むことを勧めてしまった私。この私にも『映画秘宝』のモンスターを育てた責任は有ると思う。だから、元・読者の一人として、恫喝DM事件の被害者に謝罪します。こんな人たちを批判するべき時の過去の時点で批判する事を怠り、彼らを増長させて育ててしまい、その結果として貴方を傷つける事態を招き、本当に申し訳ありませんでした。
今なお町山智浩ら四人に心酔しきっている状態の私の家族の洗脳をたとえ解けなくても、他の誰かの目を覚ます事はできるかも知れない。そのような一縷の望みを託して、読者だった当時の記憶を記しました。見出しに(1)と付けたので、気力が湧けばまた何か書こうと思います。悪文によるお目汚し、失礼致しました。
例のコラムから興味持って無料で読める部分とか、ツイッターのやつとか、皆の考察ずっと読んでた。
コロナのせいでなんとなくショッピングモール内の本屋行きたくなくてうだうだ無料分だけ読んでウオー!ってなってたんだけど、今日ハロワで失業保険の認定に行かないといけなくて、ハロワ内のこもった空気でもうコロナは諦めたのでその足で本屋に行った。
イトーヨーカドー内の本屋は小さくて、横のちゃちい飴とるゲームは少し子供いたのに本屋コーナーには子供寄り付いてなかった…漫画コーナーも小さくて「ネット連載の漫画あるかな…」と少しどんよりした気持ちで漫画コーナーにIN!
まず新刊コーナーにシメジシュミレーションを発見!しかし同時発売の少女終末旅行アンソロ2巻がない!別の日にそっちは買うかって思ってシメジシュミレーション持ったら店員が背後から少女終末旅行アンソロ2巻を補充してくれた!見透かされてる!!
しかも小さいのに邦キチ!映子さんが全巻平積み!欲しかったけど見つからなかったやつ!
店員のオススメコーナーに自分が今一推ししてる魔女と野獣があってちょっと怖かった。
肝心の僕の心のヤバイやつが見つからない…てか秋田書店とか少年チャンピオンコミックが異様に少なかった…少年漫画も青年漫画も棚一つずつしかないので3回ウロつけば見つかるはずなんだけどな…人気あるみたいだし売り切れかな?とレジに行こうとしたら
人気漫画コーナー
そんなわけで待望の僕ヤバを2巻全部読みました。
ツイッターほど仲良くないんだ!?ってちょっと驚いた!山田ってチョロめだと思ってたんだけど攻略難度めっちゃ高いね!即バッドの選択肢けっこうあったよね!
山田だけ見てると高校生の漫画みたいだけどしっかり中学生なのすごいし、ヒロイン一人固定ものなのにサブキャラもめちゃめちゃ好きになっちゃう…すごい。
足立は市川からしたらクソウザイしちょっと怖いけど意外と悪いやつじゃないし、変態の神崎が原さんと上手くいってたり女子の好感度高かったり、萌ちゃんはビッチっぽいけど山田を守ってたりテスト良かったり漫画読んでたり(ニワカっぽいけどバキの生原稿にめっちゃ喜んでた)、小林さんが一番チョロそうだったり、吉田さんは怖いけど山田のために怒ったり、原さんもけっこうムッツリスケベっぽそうだし勘づいてるし優しいし…先生も担任もちゃんと市川のこと見てるし保健室の先生は普通にいいし…ナンパイセンがいい人そうなのもリアル感ある。おねぇっていいね。
あとなんで何回も何回も読み返しちゃうんだろ。とにかくヤバイ。ずっと二人を見てたい。自分になかった青春を二人は謳歌してほしい。
怖い想像なんだけど市川は「僕は頭がおかしい」って思ってたり、保健室で休まないといけない程の頭痛持ちって…脳に物理的に爆弾抱えてたりしないよね?脳腫瘍とかくも膜下出血とかないよね?勝手に心配になった…
復刊少年ジャンプパック2を買った。
87年のジョジョ連載開始号、97年のワンピース連載開始号の復刊である。
97年は自分はまだ小学生であり、毎週夢中になってジャンプを読んでいた頃なので大変懐かしかった。
まだカード漫画になる前の初期の遊戯王(これがまた超つまんない、初期は打ちきり候補だったというのがよくわかる)、
世紀末リーダー伝たけし、みどりのマキバオー、ぬ~べ~、花さか天使テンテンくんと、超懐かしいラインナップ。
特に、テンテンくんのような児童向け漫画がまだジャンプで看板張れていたというのが懐かしい。
00年代からジャンプは完全にオタクの女が読む美少年漫画雑誌になっていったので、いかにも「少年誌」らしい漫画や、児童向け漫画はジャンプでは完全に淘汰されてしまった。
幕張も、今読めばビックリである。常にセックスのことしか考えていない高校生ばかり登場して、口を開けば「セックス」か芸能人の悪口しか言わない漫画である。
この号のオチは、女性の前に奈良が全裸で登場して「フェラしてくれ~~」で終わる。
この当時は「稲中卓球部」と並んで、「幕張」は今までにない新しいタイプのギャグ漫画として持て囃されていたのを思い出す。(このマンガがすごい!みたいな本で。)
当時の学生のバイブルであり、読んでいない学生などいなかったくらい流行った。
その一方で、ベテラン漫画家や評論家からは稲中も幕張も、「どこが笑えるのか理解できない」「学生のイジメを描いているだけであり、ただただ不快」などとこき下ろされていた。(特に相原コージが稲中と幕張をディスりまくっていた。)
で、このワンピース連載開始号、巻頭ふろくが「I"s(以下アイズ)」のピンナップである。
それまでSFものばかり描いていた桂師匠がSF色を一切排除した、正統派恋愛漫画である。
桂師匠の圧倒的すぎる画力により、週刊連載漫画なのにおそろしく美麗な絵である。
俺の周り限定の話になってしまうが、アイズはあまりオタク人気がなかった。
この当時はちょっとでも美少女漫画を読んだりしたらバカにされる時代であるが、
アイズを読んでいたのは主に不良か、スクールカーストの上の方にいる女子であった。
オタクはアイズの話題を口にすることはない。じゃあ、何をオタクは読んでたかといえば、少年マガジンのラブひなだ。
そして、ラブひなを読んでいる奴はキモいというレッテルが学校で蔓延していて、ラブひな好きなオタクは虐げられていた。
アイズを読んでいる不良や女子が、ラブひなを読んでいる奴を虐げているという構図だった。
いかにも萌え萌えな絵柄で、なにも努力しないで女の子達にチヤホヤされて、ハプニング的に女の子のオッパイを触るだけのヌルいラブひなをオタクは好み、
美少女漫画とはいえ写実的で、主人公が恋愛に悩み葛藤するアイズは、学校における恋愛から蚊帳の外であるオタクには合わなかったのだ。
実際に学校で恋愛している不良や女子が少年漫画にしてはリアルな恋愛を描写したアイズを支持していた。
後にも先にも、リア充に支持された美少女漫画はアイズだけだろう。
で、ラブひなじゃ物足りないもっとひねくれたオタクは、少年チャンピオンの「オヤマ!菊之助」を読んでいた。
タイトル | ああ播磨灘 | バチバチ BURST | 火ノ丸相撲 | りきじょ | 武装少女マキャベリズム |
---|---|---|---|---|---|
作者 | さだやす圭 | 佐藤タカヒロ | 川田 | 歌麿 | 神崎かるな |
連載誌 | モーニング | 少年チャンピオン | 少年ジャンプ | 月刊アクション | 少年エース |
主人公 | 播磨灘 | 鮫島鯉太郎 | 潮火ノ丸 | 明石丸美 | 納村不道 |
主人公の性別 | 男 | 男 | 男 | 女 | 男 |
初登場時の強さ | 横綱 | 幕下 | 小学生相撲二冠王 | 初心者 | 乳首相撲横綱 |
得意技 | 呼び戻し | ブチカマシ | 右下手投げ | ぶちかまし | ぶちかまし |
弱点 | 負けたら即引退 | - | 身長152cm | ただのデブ | 対戦相手が熊 |
ヤンキー枠 | - | 常松 | 五條佑真 | - | - |
気弱枠 | - | 大吉 | 小関信也 | - | - |
マワシ | ○ | ○ | ○ | ○(onレオタード) | ○(onジャージ/ブルマ) |
仮面 | 多種の仮面を被る | - | - | - | 般若 |
いつの間にか相撲漫画をたくさん読んでいるということに気がついたので各漫画の要素を比較してみた。
比較対象は、ああ播磨灘、バチバチBURST、火ノ丸相撲、りきじょ、武装少女マキャベリズム。
連載誌は、モーニング、チャンピオン、ジャンプ、アクション、エースと、週刊月刊問わず、少年青年問わず多岐に渡っている。
巨人大鵬卵焼きと言われていた頃のような大人から子供まで大人気というような時期を過ぎて久しいが、テレビ中継もされているしスポーツニュースで結果も放送する。
自分でプレイしたことはなくても、なんとなく知っているという人は多いので、相撲漫画もそれほど珍しい存在という訳ではないのだろう。
実際、これを書くときに相撲漫画の一覧がないか調べてみたけど、ここに挙げた5つ以外にもかなり多くの、100まではいかないけど数十は余裕でくらいは相撲漫画がある。
しかし、他の競技の例えばバスケットボールならスラムダンク、野球ならタッチ、ややマイナー競技ならアメフトのアイシールド21のような、その競技を代表する大人気の名作漫画というものは、相撲にはない気がする。
火ノ丸相撲も、連載誌ジャンプだし、結構おもしろくはあるのだけど、スラムダンクやアイシールド21級かと言われるとそこまでは…と思う。
主人公は、4人が男。1人が女。かなり80%:20%と男女比が偏っているが、実際の競技人口も、全相撲漫画の男女比はもっとかたよるだろう。
80%:20%という男女比ですんでいるのは、りきじょが女子相撲という珍しいジャンル扱っていて私の興味を惹いたからでしょう。
初登場時の強さはやはり、播磨灘が圧倒的に強い。
登場時から横綱で、そこから一度でも負けたら即引退を宣言して、相撲協会を改革するまで((というか勝手に変わっていくと言う方が適切かも))数十連勝するという漫画なので。
バチバチ、火ノ丸では、最強ではないけど、周りよりもそこそこ強い主人公が成長していくと言った趣。
武装少女マキャベリズムは、まぁ、乳首相撲では横綱らしいけれども、実際に乳首相撲を行う描写はないので本当にそんなに強いのかは現在のところ不明である。
得意技は、播磨灘が呼び戻し、火ノ丸が右下手投げとテクニカルな技を得意としているのに対して、相撲の決まり手は82もあるにも関わらずその他の漫画ではぶちかましと同じ技を得意技としている。((ぶちかましは決まり手じゃないか…))
これはやはり、相撲の技の知名度がそれほど高くないということに由来するのだと思う。
上手投げ下手投げという名前は知っていても、それがどのような技で何が違うのかを知っている人はそれほど多くない。
そうなると、相撲を知らなくてもわかりやすいぶちかましを得意技に設定せざるを得ないということになるのだろう。
ヤンキー枠/気弱枠と言えそうなキャラクターがバチバチと火ノ丸には登場している。
相撲に興味が無いヤンキー、先輩を敬わないヤンキーを変えていく、気弱なキャラクターを変えていくというあたりが物語を作っていく上で定番なのかなと思う。((私は読むだけなので想像でしかないけど。))
同じ枠に入れたけど、バチバチのヤンキー枠は学生横綱、火ノ丸のヤンキー枠はただのヤンキー、バチバチの気弱枠はニート、火ノ丸の気弱枠は相撲好きだったりとかなり違うキャラクターではある。
同じ特徴があるということはできるが、全体の印象が同じという訳ではない。
相撲といえばマワシ、マワシといえば相撲というほど、相撲界におけるアイコンであるので、相撲漫画でマワシを書かないなどということはあり得ない。
逆に言うと、普通の相撲漫画でマワシに何か特徴を持たせるということはしない。
特徴があるのはやはり女子相撲を描いたりきじょで、腰周りにしかマワシのないすもうパンツが出てきたり、大会でマワシの下に着るレオタード、スパッツを買いに行ったりやはり男子とは異なる描写がある。
武装少女マキャベリズムでは相撲部でさえなく、球技大会的に相撲をとるので、主人公の納村はマワシonジャージだし、ヒロイン枠の鬼瓦輪はマワシonブルマなのである。
納村は((乳首相撲ではなく普通の相撲の))経験者なので、マワシを一人で締められるが、鬼瓦は締められない。
そこで、納得村の協力の下に鬼瓦がマワシを締めるというシーンが4ページに渡って描かれるのだが、これがなかなかに羞恥心を煽るフェティッシュなシーンなのである。
映画で例えるならゴーストニューヨークの幻でのろくろのような、男女の共同作業を描いた名シーンであると言えるでしょう。
播磨灘と、武装少女マキャベリズムの鬼瓦輪がマワシ姿に仮面という出で立ちで登場する。
播磨灘は連載が長いということもあり、実に多種多様な仮面を被って土俵入りする。
一例を挙げると、鎧武者、龍、ポリネシアン、トーテムポール、だるまなどなどかなり多種多様である。
鬼瓦は、連載開始時からずっと半分割れた般若の面でこれを変えたことはない。
どちらも、マワシに仮面という共通点のあるキャラクターではあるが播磨灘が浮気症なのに対して、鬼瓦は一途と対象的なキャラクターであるということも言えるだろう。
割りと好きな漫画なのだが世間的な知名度が低いので、よろしければ読んでみてはいかがでしょうか。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/machiavellism/
基本的には、バトルものでありつつ、ハーレムものな感じなのだが、その絵柄に反して剣術部分は実際の江戸/明治期の実在の流派が出てきたりとしっかりしている。(あくまでも剣道未経験者目線だが。)
ただ、漫画ならまだ止め絵だけなので手間も少ないが、動画にしようとすると実在の剣術、しかも映像資料の残っていない時代の剣術を正確に描くあたりに手間がかかりそうで、アニメ化にはハードルが高いかな?という印象はある。
祝…と言いつつ不安も満載なのだけれども。少年チャンピオン連載の「実は私は…」が、アニメ化するとの話で、大変嬉しい。週刊少年チャンピオンからのアニメ化と言えば、近年では「みつどもえ」「イカ娘」「弱虫ペダル」に続く作品となる(んだっけ?)が、単発ギャグ的な枠でなく、コメディ・ストーリー系の作品でアニメ化されるというのは、こうして見ると、なかなか高いハードルだったのではないか。
「実は私は…」は、あまりアップトゥデイトな作品とは言えない。ギャグにスピード感やキレがあるとは言い難いし、非日常バトル・ゲーム的な話がやたらと増えた昨今、展開は非常にユルく、かつ日常的だ。かといって、そういう方向で多産されているありがちなエロ萌え系(言い換えれば、インターネット環境が日常でなかった頃の青少年向け代替エロ漫画の方法論を用いた類型)でもない。多様なキャラクター(宇宙人とか吸血鬼とか未来人とか痴女とか)を登場させるが、非日常的な性格異常者や極端な悪人・アンチヒーローなどもいない。あくまで日常的な、人間臭い、そしてもどかしいほどに進行の遅い恋愛コメディが延々と展開される学園もの…要は、'80年代高橋留美子的な、古典的手法のドタバタギャグコメディだ。
この作品の美点は、一言で言って丁寧さだ。その特長は、4大誌の他社(講談社、集英社、小学館)ではなかなか実現しにくい資質であるように思われる。たとえば、恋愛感情への気付きとか、直面したときのとまどいなどを、キャラクターごとに丁寧に描き分けて、かつ無理がない。また、キャラクターの掘り下げ方一つとっても、たとえば第68話で、タダのバカエピソードと思われる回に、食べ放題の回のエピソードを伏線として、さりげなく岡田・みかんのサイドストーリーを2ページ差し込み、ぐっとキャラクターに深みを増してきたのには、感心させられた。脇役キャラクターが使い捨てでなく、とても丁寧に扱われている。
また、個人的に、ヒロイン白神葉子の関西弁が非常に自然(ネイティブから見て)であることも、ポイント高い。印象的な口癖である「ちゃうねん」などは、その使い所・表情などをひっくるめて総合的に非常に納得のいく丁寧な使い方がされている。確かに、作者は神戸出身なのだから「自然な関西弁」自体への理解は当然高いのだろうが、それを作品の中に効果的に落とし込むのは、また別問題だ。関西出身のクリエイターでも、作品に関西弁を上手に使える人というのは限られる。
そして、最後にストーリー構成の丁寧さも重要なポイントだ。時間の経過とともに少しずつ進行し変化していく感情や人間関係、それに伴う呼び方の変化、成長していく人間像、などが、コメディに見せかけた中にもしっかりと描かれている。短編作家か長編作家かの分類で言えば、作者の資質は間違いなく長編作家のそれに属していて、長いストーリーをしっかり構成する意識があり、安定感がある。
正直、そういったこの作品のよさが、アニメ化でどうなるのかいくらか不安が残るところではあるが、自分の好きな作品が評価されるのはやはり嬉しいので、経緯を見守りたい。
オッス、元増田です。ご検証ありがとうと礼儀としちゃ言うべきなんだろうけど、そんな話じゃないんだけどなーという印象。
「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。
また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。
ここで全称命題の話にしますか(笑)。前世代、前々世代に比較すればあながち的外れな考察でもないと思いますけどね。もちろん統計データなんてありませんけど、クラスのほとんどが読んでいた、半分くらいは読んでいた、5人くらいは読んでいた、と比較すればほとんど読んでいないという大きな主語は、この場合、個人的にあれも読んでいた、これも読んでいたというのよりはよほど実態に即していると考えます。それともそれこそ何か統計的なデータでもお持ちでしょうか。
1971年生まれで、チャンピオンを追いかけている人は相当稀少だったのではないでしょうか。何といっても同時代的には「ドラゴンボール」「北斗の拳」「聖闘士星矢」「キン肉マン」などのジャンプ黄金時代だったわけですし、6割ジャンプ、2割マガジン、1割サンデー、残りの1割でその他というのが実感です。70年代黄金期を過ぎてのチャンピオンの凋落ぶりは言うまでもなくて、看板作品でも老若男女誰でも知っている作品というのがもうここ30年ないですよね。
たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイが本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチは岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。
「漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったものと想像します。
ま、これは確かにそうですね。一般週刊誌は文春、新潮、朝日のみというのが感覚的には正しいと思います。この三誌とそれ以外では、オーソリティがまるで違うからです。この三誌がクオリティマガジンとは言いませんが、WILLに連載するのと、中央公論に連載するのとでは全然意味が違うのと同じです。ロッキード事件やリクルート事件など社会的な問題でたびたび尖兵となってきた雑誌と、スポーツ新聞に毛が生えたような雑誌とでは社会的な意味が違います。それは現在に至るまで、掲載されている作品の内容でも歴然と異なります。
特に80年代は、週刊文春は花田体制の下、絶頂期にあって、100万部を毎週越えるような規模としても内容としても一軍でしたから、基本的には政治経済、時事的なトピックでそれだけ中心的に扱われているメディアに漫画が乗った(プレイボーイならいざ知らず)ということ自体がトピックであったという意味で、アドルフの例は出しましたけどね。ただしアドルフ以後、この三誌での漫画連載は定着しませんでしたが。
ブコメで「サンコミックスが昭和40年代に出るまで単行本はハードカバーが普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります。
純粋にハードカヴァーの作品自体であれば貸本屋の漫画は基本的にハードカヴァーでしたし、店頭でよく見かけるものとしては、学研の「ひみつシリーズ」もハードカヴァーでした。ただしサンコミックスなんてほとんど誰も知らないように、社会的な景色の話ですからマニアックな話をしてもしょうがないわけです。平積みにされて、多数の人が「おお、漫画もハードカヴァーになる時代なんだな」と認識することが重要であって、消費物としてではなく作品としての漫画、芸術としての漫画という意味合いを一般化したのは手塚がやはり尖兵であったという、そういう話です。「火の鳥」と「のらくろ」のどちらが先なのかは分かりませんが。
赤塚さんはあと、コロコロでは「花の菊千代」を連載しています。その後、ボンボンでも何作か連載していますが、知る人ぞ知るという程度の作品で、連載作家として仕事はしていたわけですが、雑誌の主力になるようなパワーはなく、その仕事自体が大御所としての余暇的なものであったと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20130510192931
「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。
また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。
ブコメで「サンコミックスが昭和40年代に出るまで単行本はハードカバーが普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります。
80年代の記憶でいえば「のらくろ」の復刻版がハードカバーで出てました。
たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイが本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチは岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。
「漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったものと想像します。
いやまあ「一般雑誌」は週刊朝日、週刊新潮、週刊文春のみというなら別ですが。
このエントリを書くにあたって事実関係を調べるためにWikipediaの手塚治虫やその作品、藤子不二雄、赤塚不二夫などの項目を読んで懐かしい気持ちになりました。赤塚不二夫のコロコロコミックの連載が「チビドン」だなんてすっかり忘れてましたが画像検索で思い出しました。
「日本人は共同幻想体をシェアしてた」という表現はまさにその通り。
元増田がどういう心境で元のエントリを書いたのかはわかりませんが、この年になるとこうやって昔をふり返るのも悪くないものです。
>>ブラックジャックは、今は認められない描写があちこちにあるけど、思春期に読んだときは感動したし。
昔、近所の本屋さんが手塚治虫フェアをやったとき、店員さん個人所蔵の
少年チャンピオンの一話が立ち読みできるようにされてあったのよ。
ところが雑誌掲載時には話が違っていて、ロックが多指症で、それを切除するためにBJが呼ばれたのよ。
一口知識みたいので、イギリスでは多指症は珍しいことではなく、貨幣の12進法もここが起源かもしれないと書いていた。
BJ爆殺もロックの指示。
ラストはコミックスでは「交換した指の骨にBJのサインがある、友情を確認して別れる」だけど
掲載時はBJが切除した指を警察に送り、手術の跡と合わせて有罪が確定、BJは新聞報道を見て終わり。
俺もこれ読んだときは、さすがにこれはやばいんじゃない?と思ったよ。
ところが映画「覇王別姫」で主人公の女形は子供の頃多指症が原因で一座に入ることを断られ、母親に包丁で切られる描写があったし、
ヤンマガで連載中の「センゴク」も秀吉は多指症として描かれていて、タブー視が減ったようなんだよね。
だからあなたが「感動した」ってのには同意するんだけど、
「今は認められない描写があちこちにあるけど」てのがもう手塚作品の改変後の歴史後っぽくて、
どっかの誰かさんたちの術中に嵌っているんじゃないか?てな気がする。