はてなキーワード: 学問とは
勉強とは結局覚えることだ。いわゆる暗記科目はもちろんのこと、数学や英語だって多くのパターンを覚えて一般化し、それを問題に適用しているだけに過ぎない。
だから、大事なのは覚えることに対する二つのアプローチである。「どうやって楽しく覚えるか」と「どうやって使える形で覚えるか」だ。
覚えることは、基本的に楽しくない。粉薬を大量に飲むようなものである。そこで、オブラートを使うとか、おくすりのめたねを使うとか、飲んだ後にちょっとしたおやつを用意するとかの対処が必要になってくる。
それが一般には面白い先生の授業だったり、自分の好きなものと絡めて覚えること(洋楽と英語とか、大河ドラマと日本史とか)だったりするわけだ。
万人に向いた方法はないので、最終的には自分が覚えやすくなる良い方法を自分で探すしかない。基本的には、好きなものと関連づけてやるのがいいと思う。
大事なのは、覚えるための努力は必要ということだ。面白いので自然と覚えていることもあるだろうが、それで覚えられることはせいぜい10%くらいだ。残りは努力で覚えるしかない。それを多少なりとも楽にしようというのが、一点目である。
使える形で覚えるというのには二つの要素がある。覚える段階で使える情報を覚えるということと、覚えた情報を使える形で引き出すということだ。
目標が試験に合格することなら、過去問をやる。それが最高の方法である。大学受験や資格試験なら普通は過去問が手に入るし、そうでなくとも問題のスタイルや問題数、そこから見える傾向くらいはあるはずだ。(完全に新規の試験は除く)
過去問ならば、使える形でインプットもアウトプットもできる。間違いがない。
テストなどではない漠然とした目標の場合、少し考える必要があるが、多くの場合は、目標の立て方が下手である。
英語ができるようになりたい、であれば、読みたいのか聞きたいのか話したいのか書きたいのか、あるいは全部か、それぞれの観点で整理して、かつどれくらいを目指すのかを検討する。
ビジネスメールを読み書きできるようになりたい、もまだブレークダウンできる。ビジネスメールで、はいかいいえくらいのやりとりなのか、本格的な交渉なのか、質問対応なのか等で何をすべきかは変わる。
基本的には、なすべきことがわかるまでブレークダウンを続けるべきだ。ブレークダウンの途中で詰まってしまったら、それは人に相談すべきタイミングである。
適切に目標をブレークダウンできたなら、もうやることは見えている。どういう情報をインプットし、どういう形でアウトプットできるようになるべきか、十分に理解したはずだ。
上記のことを意識すれば、勉強とは何か?でつまづいている人も、どうにかなるだろう。
勉強とは覚えることであり記憶することだ。車の運転だって、一つ一つの動作と交通ルール、安全な距離感のパターンを覚えて行っているに過ぎない。
そして覚えるためには相応の努力が必要だということを忘れてはならない。
漠然としていて、かつブレークダウンもしにくい目標の前に立っている、という人がいるかもしれない。
その目標は完全に達成することが難しい(完全に達成できそうなら、もう一度目標のブレークダウンを見直すべきだ)
どれだけ覚えたところで完全にはならないという諦めと、それでも知らないと何もできないという渇望をもって進むしかない。
大事なのは、完璧は存在しないという謙虚な姿勢の一点のみだ。無知の知があれば、勉強を続けるべきという強迫観念が勝手に背中を押していくだろう。
がんばれ
ギリシャ文字で一般的に有名なのって、最初の数個と最後のオメガを除けば、ラムダ、シータ、シグマ、パイくらいじゃね?
アルファベータガンマオメガデルタラムダパイシータシグマイプシロン、その他、って感じじゃね?
漫画アニメなんかでも、ラムダはなんか強キャラに使われること多くね?
ラムダの前後ってさ、イオタとかカッパとかミューとかニューとかが並んでんのよ。
それまでに名付けられた変異株が一個少なかったらカッパ株だったし、一個多かったらミュー株だったんよ。
これは学問的には正しい態度かもしれない。たとえば数学の証明で、途中式を緻密に書いていくこと。
または芸術の場で、当たり前とされることを疑うことで思わぬ視点を発見すること。
そうしたシーンではこの態度は効果的かもしれない。
ビジネスの場でこのタイプの人と巡り会うと大変だ。目的・ゴールが見えていて、そこに向けて進んでいけば良いと思われるシーンで、途中の厳密性を重視し前進できない、思わぬ視点でこだわることでゴールが遠のくといった困難が生まれることがある。
もともと『東大王』は東大生の中でもクイズ研究会の部員で構成された
東大王チームが「知識の壁」となって挑戦者チーム(インテリ芸能人だったり大学のクイズ研究会だったりする)を迎え撃つ、
そういうコンセプトの番組だったのだが
それが数年間の放送期間のうちにルール変更やメンバーチェンジやら
問題傾向の変化(明らかになぞなぞ・ひらめき系が増えた)を経て
「芸能人・専門家からなる遊園地マニア軍団と、遊園地について1ヶ月勉強した東大王チームが対決する」
という内容だった
と予告の段階から思ってた
本編をTVerで見たが、予想通りだった
東大王チームは負けていた
こうなった一番の原因は
ことだろうと考えている
過去には東大王メンバーが修学旅行と称してハワイに行く回(申し訳程度にクイズはある)や
今年の頭に「プロジェクト東大王」というアイドルオーディション番組まがいのことをやっていたが
2人のビジュアルは「ただのクイズが強い東大生」として消費することを許されなかった
その延長の「インテリアイドル」を必死に作り出して担ぎ上げているのが
初代キャプテンである伊沢拓司は現在Webメディア「QuizKnock」を運営していて
YouTubeでの発信も行っているが、その動画に出演しているメンバーにもやはりアイドルのようなファンがついている
伊沢自身は「QuizKnockはアイドルではない。歌手デビューしろと言われたら全力で断る」と発言している(https://telling.asahi.com/article/13022469)
が、「アイドル視されている」ことを認識しているからこそ出てきた言葉だろう
今の『東大王』は東大王チームに歌を歌わせてももはや驚きはない
YouTubeでQuizKnockの動画のコメント欄にはよく
「視聴者置いてきぼり」と書かれることがある
要するに「問題の難易度が高すぎるor会話の内容がマニアックなため自分は全くついていくことができなかった」という意味である
もともとクイズが好きで動画を見始めた自分からするとこの感覚は正直かなり理解し難い
この視聴者はわからない内容の会話をどうやって楽しんでいるのだろうか?
決して絶世の美男子ばかりを取り揃えているわけではないが、
スタイリストをつけ、テレビのバラエティ番組のような編集をした動画の出演者は
(余談だが、「視聴者置いてきぼり」はせいぜい高校レベルの理科・社会の内容でも書かれたりする)
『東大王』に話を戻せば、
そういった「クイズ的or学問的な知識があまりない」層に向けて
問題をひらめき寄り、もしくは簡単な問題にシフトしていったのだろう
スポーツ選手やら将棋棋士が、好きな女性のタイプが何であろうが、風呂で最初にどこを洗おうが
そのようなくだらない質問に答え続けなければならない
趣味が多様化しどの業界もいつ見捨てられるかわからない今の時代だから
有段者でないとプロの手に好手・悪手を自分なりに判断できないだろう
野球・サッカーみたいなメジャースポーツでも、プロでも難しいプレーを
「クイズの内容は全くわからない、でも参加者は魅力的」と感じるような
アイドル的ファンが『東大王』とQuizKnockには増えすぎてしまったと私は考える
しかも野球・サッカーのようなメジャー競技は経験者による「わかってる楽しみ方」が崩れないのに対し
クイズ界はむしろ未経験者による「ニワカ的な楽しみ方」が支配的になるんじゃないか、と危惧している
難しく見える問題をすごいすごい言った方がバラエティ的には映えるから
番組としての『東大王』は来年3月までに終わるんじゃないかと予想してる
遊園地の特集をしたいならジャニーズにでもロケ行かせたほうがよっぽど面白い
『東大王』が人気を得た理由を未だに番組側が理解してないのだろうなと
放送を見るたびに感じる
「化学の博士」が全員知っていて然るべきことかどうかの判断ってのはそんなに適当に認定して良いものなん?
どこかで勉強したことはあるはず、程度の表現ならわかるけど、長いこと使って無くて忘れていた知識でもあってはならない事項なんて、
大きな分野全員に適用するには慎重に考えないといけない気がするんだが……博士号ってのは国家資格ほど厳密な定義がなされてないって点が踏まえられているのかがわかりにくい書き方と感じる。
学問分野の分類のアヤの関係でその分野で一般に想像される知識がほぼないのに博士はあるって人は居ないわけでもないし。
フェミニストを名乗るのはいいんだけど、ツイッターに流れてきたことに対して反射的にコメントしてそれで終わりになっている奴が多すぎる。
他にも右翼でも左翼でもなんでもいいんだけれど、流れてきた情報に反応しているだけの奴が多すぎる。
思想を持つなら多少は勉強してその学問分野に触れたり、社会運動をしろよ。
できる範囲んでいいんだ。少しでもいいんだ。自分にできる範囲でいいんだ。
仕事や子育てや自分の体調次第なところがあるのはわかる。そして活動すると恥をかいたり失敗したりする。それが嫌なのもわかる。
それでも、少しでも自分で自発的にやるべきなんだ。最近図書館で本を探して読んだり、実際に活動している人のシンポジウムやパネル展に足を運んだりしたか?
ガソリンは風呂釜1杯ちょいで法規制を受ける。灯油は5杯。でもサラダ油は50杯!全然大したことない危険性だってこと。単純計算でガソリンの50倍も危険性が低いってお墨付きが消防庁から出てるわけ。
「サラダ油(動植物油)ってガチで危険性が低いんだな」「第4石油類よりナメられてるって相当だな」って思って、そのイメージを今日まで覚えてるわけ。
だったら何なんだよw そんなフワフワしたイメージでサラダ油が燃焼するかどうかが判断できるわけがないだろ。そもそも危険性が低いかどうかなんてお前以外誰も気にしてない。
なんて書いてあったかもう一度よく読んでみろ。「想像はつくが、即答はできん。」って言ってるだろ。論点は最初から、サラダ油を当てたライターで着火できるか否か、だった。ブコメにも専門家に殴られてるなどと誤解してる奴がいるが、専門家どころか、お前は大学でまともに議論したことさえないだろ。何について議論してるか理解できないアホは、邪魔以外の何者でもないからだ。真面目に勉強するってのはペーパーテストに受かるために知識を詰め込むことに収まらない。なんで今までそんなことも知らなかったんだ? お前こそが、真剣に勉強しましたなどと自分にウソをついている。
指定数量からどれほど危険性が低いかを類推するにしたって、それは妄想に過ぎない。指定数量はサラダ油にライターで着火しないことを保証する値ではない。確かに現実にライターでは火がつかなかった。だがそれは「たまたま現実に当てはまった」だけに過ぎない。お前は類推で空想を広げて自分は理解しているなどと思い込んでいるだけだ。わかるか? 山を張って当たっただけなのはお前の方なんだよ。それに気づかないでブーメランを晒してネットに残してしまったのは、アンラッキーなアホ、としか言いようがない。知らないことを知らないと言いきるには勇気がいる。学問の素養のない奴はそれをみて「不勉強への開き直りだ」などと言うだろうが、無知を隠そうとするのは子どもの態度であって、そういうやつは自分の領分への責任を持てない。あるいは本人は無責任でも、まわりがいつも尻を拭くために苦労してるような状況になる。よりタチの悪いのは、迷惑かけてるのに気づかないどころか自分は責任感に溢れる人間だと思い込んでるケースだ。専門家ぶってるお前は、どっちだ?
あと、普通言うまでもないことだが今は必要だから言っておく。消防庁からナメられてるから安全だなどと考えるのは権威主義であって、科学ではない。
それに化学の博士なら、サラダ油は分子量が大きくて蒸気圧が低いから引火しにくいこともなんとなくわかるだろ?わからないのか?
「化学の博士はサラダ油の分子量だってよく知っている。」子どもの考える博士のイデア。
てか「てか、蒸気に引火はせずとも油本体に火をつければ燃えるのでは?」って何?
…
液体の火災は、液体そのものが燃えてるのではなく、液体から出る蒸気が燃えてる...ってのは、それこそ化学やってたら常識だろ。
そりゃそうだろ。ライターの火を油本体に当てたとき、接触点での気化が進んでその場で発火するかも、って想定だろ。バカが得意げに語ってる引火点は液体全体を徐々に加熱していって蒸気に着火するギリギリの温度だ。条件がまったく異なる2つの温度は当然同じになるとは限らない。「お前は危険物甲種名乗んな」? 笑うわ。お前はエアプを名乗れ。まずは学位を返上してから。いや、博士号の返上は要求しない。元々ないものは返上できないだろ。危険物の免許もそのまま空想の中で抱えておけ。迷惑をかけるのさえやめてくれれば好きに幸せでいてくれて構わない。
みんな真面目に勉強してるんだよ。本当の意味で。成績の上下に関わらず。その上で議論して知を向上させようとしてるの。お願いだから部外者が足を引っ張るのはやめて。
心理学とか建築学とかが大学という接頭辞を冠することはないでしょ。
だから逆に「大学」とついてる学問は、大学で学ぶことが尽きちゃうって印象がある。
もちろん「高校」数学との対比としての意味以上のものはないのかもしれない。この場合大学数学とは高校までに扱わない数学全般を指していて、大学とはそれを教授する施設の代表に過ぎない。
でもそれならたとえば国語には大学国語はあるか?ということになる。国語学というものはあるけどそれは大学国語とは呼ばれない。
経済も高校では政経倫理とひとまとめに呼ばれることがあるだけで、高校経済も大学経済も存在しない。
こういうことから心理学とかに比べても数学は底の浅い学問ではないかという印象さえ持ってしまう。
むろん新規性を前提とした論文という点から考えれば、数学という学問の蓄積は決して底が浅いものであるとはいえないはずだ。
私が言いたいのは、研究するための道具立てとしての知識は、大学で教わることで一通り揃ってしまうのではないかということだ。
今この瞬間も数学的事実は新発見されているだろうし数学が厚みのある学問であることは自明だ。
しかしその発見のための研究に必要な知識自体は大学あるいは院で習うことで出そろってしまうのではないか。
それに比べ経済学は最近もMMTなんてものが発表されたように体系としての分野が新しくでてくるわけで、大学を出たあとも研究テーマによっては独自にそういった体系を学んでいかなければならないということがある。心理学とか医学だってそうだろう。
大学を出るころまでは、自分の携わる学問や活動が国の政治とリンクするような人以外は、国政に無関心な人が多い。社会人になると自分の仕事や生活と国の政策がリンクし始めるので、政治に関心を持ち始める。
普段から報道に目を通していなくて、いきなり選挙で政党と候補者を選ぶとなると、単純にそのタイミングで支持率のある政党を選んでしまうんだと思う。よく分からないものはとりあえず皆が選んでいるものを選んでおけば間違いない、みたいな発想だ。老人がケータイはド○モを選ぶ心理と似ている。
昔、トリビアの泉という番組で「解くだけで1億円もらえる数学の問題がある」という「雑学」が紹介されていた。
今思えば、「学問にブレイクスルーを引き起こすような、大きな未解決問題を解決したら、それくらいの賞金が貰えるのは当たり前(実際、ノーベル賞の賞金とほぼ同額)」なのだが、当時子供だった自分は「数学の問題解くだけで1億円!?w ヤバっw」くらいにしか思えなかった。
しかし、これは私が特別愚かだった訳ではなく、世間の多くの人が同様の感想を抱くからこそ、こうやってテレビ番組で面白おかしく取り上げられるのだろうな。
これって多分文系学問特有の言葉遣いだと思うんだけど、「男性」と男性は違うんだよな。
つまり、社会学的な意味での「男性」と、生物学的な意味での男性は違う。
ここをごっちゃにしてしまうと、「男性」批判が自分に向けられていると勘違いしてしまったり、わけのわからない理由で男性を批判したりするようになる。(まあ、社会学的な「男性」というのも、もちろん我々一人一人の中にも内包されているものではあるけれども、それは我々の(ジェンダー・)アイデンティティとはまた区別されたところにあるはず。)
面倒臭いのは、文系学者の中にすらこの区別がついてない人もいるということ。
理系学問で言うと、理系用語としての「硫黄」と自然言語の「硫黄」は概念として異なるのに、理系用語の方が正しいとして誤用警察しちゃう人とかいるけど、それと同じ。
地方公務員としての扱いなので、給料はそんなに高くない(初年度450万くらい)けど、
奨学金の返済はないので、これからは高くもなく安くもない給料で細々と自分の好きなことをしながら生きていける。
一応資格職なので専門性の高い業務をしているんだけれど、33歳の初任給とはいえ安すぎでは?と思ってしまう。
地方公務員なので昇給もそれほど期待できないし、副業もできない。
こんなもん?
理系文系でスタートしたんだけどまあ見事にキャラ立てに失敗したんだよ
そんなの頭悪い漫画家には表現できないうえに、ラブコメに全然生かしようがねえときた。
これ駆け出しの創作者(作者はオリジナル連載は初)がやりがちなやつで
キャラを上手く作れない時に「とりあえず理不尽な発言繰り返す発達障害的な人格にしとけばもつやろ」みたいなキャラ立てをしちゃう。
それ別に全然個性的にならずに面白くないだけ、不快なだけなんだよね。
主人公や周りが何言っても頓珍漢な悪態突くだけの奴を漫画に描いたって面白くなるわけない。
それ面白く出来るような奴は何でも面白く出来るのでキャラを無意味に発達障害にしないしな。
とにかく文系と理系はある意味で作者の創意が詰まってたけど走り出させてみたら全然ダメで。
そこで急遽三番目に出してきたのが水泳部のうるかで、これは素直なキャラだった。
わかりやすい。大人気。うるかが時間稼いでくれたおかげで持ち直せた。
理系はうどんと言う個性を与えて口数少ないけど考えてることはわかりやすいやつに。
文系は発達障害治してむしろ周りの心理を読みまくれてモノローグで常識的な察しや先回りをしまくる傍観者キャラに。
「外ではきりっとした女が家でポンコツ」という使い古されたベタテンプレ乗せた先生が人気出ちゃったの。
オリジナリティ捨ててテンプレなぞる覚悟を決めたら幾らでも出来る。
そんなのが創意工夫の文系理系水泳より人気出ちゃったのよ。圧倒的に。
そりゃそうかもしれない。
作者が自分で1から作って走りながら思考錯誤してるキャラの動きはガタガタしてたり消費の仕方がわかりにくかったりする。
みんなが知ってるベタテンプレは作者も活き活き動かせるし読者も消費の仕方知り抜いてる。
そういう安手のアドバンテージはあるけど、そんだけで1位になる時点でな。
作者の愛娘たる理系文系水泳の出来はいまいちだぞと世間から残酷な評価を突き付けられたようなもの。
作者はもう志を捨てたのか心が折れたのか知らんけど全力で先生推しになった。
あしゅみー先輩は作者が連載に慣れてこなれながら作ったいい独自キャラだったと思うけど
もうそういう消費し方を手探りで作って読者にも手探りしてもらう必要あるキャラをプッシュする気力がなかったね。
その安っぽい当然さに叛逆する気力がなかった作者の降伏宣言だったわけよ。
それにしたってうるかの扱いは悪かったなー。
人違いの放置はよくないから一応応答しておくけどぼく勉の話をここでしたのはじめてだし個人的にはあの中ならあしゅみー先輩が好きだしそんな感じでかいたつもり。
うるかについてはなんか功績の割に不遇だったねと。
途中の扱いはさておき、本編?ではうるかエンドになったし
自分アニメでしか見てないんだが、確かに文系理系は人類史上天才的才媛という風には全然見えなかったな。ただギャルゲよろしく漫画は分岐シナリオになったらしいが、それでも水泳がメインルート扱いだったのでは? 自民党の悪政 大人とは 世も末 老害 犯罪 これはひどい
ミ、ミーには分岐エンドにおいてもその試みを読者に説明するためのチュートリアルにされてるように見えた···
ていうかそのタグもしかして話題選ばず常につけてるのか、あんた政治ニュースでしか見かけなかったから気付かんかった
そのタグのまま普通にラブコメ漫画の話に参加するの気が狂ってるみたいで面白いな
それより理珠は脳神経系研究して心理やれよとか、文野は数式アレルギーなのにバリバリ数式の物理に行くより理系学問のコミュニケータとかの方がいいだろうにとかの方が気になった。
本人の意思が重要とはいえ人類最高レベルの天才が向いてない別分野を頑張るっていうのは見ててあんまり乗れなかったよね。
そこに重要なアイデアやメッセージはなく、秀才の主人公が教える立場になるためだけの深い考えのない設定だったように見えたのでなおさら。anond:20210727083948