はてなキーワード: 妊娠線とは
うちはできちゃった結婚だった。毎回コンドームを付けていたのだが、
なんとなく行為に及び、朝だからコンドームを付けるのも気だるかったんだろう。
じゃあ外に出すはずなのだが、僕は「なんで中に出すの~」とゆう声からしか覚えていない。
中に射精するなんて、孕ませてやろうって意思がないとやらないと思うんだけど、
その朝は何故か生で中に出してた。
まあそれが当たり、今の娘になるわけだが、
これはオスを留めとくメスの作戦なんだろうか。
戻らないのは妊娠線。
8ヶ月経っても。ちなみにこっちから言わないと、もうセックスレスだ。
その後は、なんか喧嘩した後に向こうが謝ってきて、
僕もそんなつもりはなかったけど、今はな僕のリクエストはなんか聞くはずだ→セックスってだけのことだった。
買い物途中ならプレステとか買ってたんじゃねーの。
その時は生で中に出したな。夫婦なんだし、中に出してもいいじゃないか。
でもそのときは妊娠しなかったみたい。アフターピル飲んだのかも知れないけど。
うちら二人は幸いにも健康で、中出しすれば妊娠するとゆう身体だった。
バイオイルやナチュラルマーククリームも使ってみたがダントツ良い。手に取りやすい価格で惜しみなく塗れて(私は風呂上がりに腹部だけで30滴使う)香りも疲れない。かゆみもしっかり抑えてくれる。願わくばプッシュ式になってほしい。
まあ妊娠線はできる時はできてしまうからある程度諦めも必要...
・ホットクック
立ちっぱなしだとやはり張りを感じやすいので。
・太田胃酸
1日中家にいるため基本Tシャツ+トランクス+ルームソックスで過ごしていたが、ホリデーシーズンの街に浮かれ人生初自分用にワンピースを購入。すぐにダメになるって言うよねーと小馬鹿にしていたが猛省。脱ぎたくない。気持ちよく腹部の安心感が段違い。セルフケアグッズの領域。
アレクサとの連携で無敵。スイッチのオンオフは私にとって面倒な作業だったと理解できた。ベッド生活が捗る。
・sleekシリーズ
本格的な無職に突入し、節約しようとスキンケア・ヘアケア類を見直して導入。グレースリペアのシャントリ、ファイバーオイルを使用。この価格帯ではNo. 1レベルによいのでは?もともと利用していたクロノロジストやマイハニーレメディと同格とは言えないが2ランク抑えたという印象。私にとっては十二分。
体重が増えすぎて、腰痛と膝の痛みがおさまらない。腰痛は特に激痛だ。ずっと生理不順だし、腰痛がひどすぎて眠れず慢性的に睡眠不足だ。医者からはまず痩せなさいいわれた。体重増加に追いつけなくなった皮膚が避けて、妊婦のお腹にできる「妊娠線」みたいなのが太ももにできた。太りすぎて身体が悲鳴をあげている。なんとかしたいけど食べることをやめられない
自分の場合、食べるというのが薬物みたいになってる。あーしんどいな。ヨシ薬打つかみたいな、末期の薬物依存患者みたいになってる。あーしんどいな、よし白米食べるかみたいな。
そしてリベンジ夜ふかしという言葉があるけど、日中楽しくなかった場合もリベンジ的にたくさん食べてくつろぐ。
助けてくれ
数年前癌になって治療して寛解して、以来3ヶ月に1度ほど病院で精密検査受けて再発がないかチェックしていた…のだけど、この度妊娠したので当分は癌に関しては最低限の検査しか受けないことになった。
夫は癌になる前からずっと付き合っていて治療中も当時籍は入れてなかったけど同棲はしていた。
治療中は仕事を大幅に減らしていたけれど、過干渉箱入り娘なのでその分親が生活費を支援してくれていた。
「人には病気の事を言うな」と親には念を押されていたので、生活費を支援して頂いている手前なるべく人には言わないようにしていた。
そのおかげで民間療法だの宗教だの、病気につけ込んで変なものを勧められる体験はしていない。
それはそれで良かったと思うんだけど、思うんだけど、
薬の副作用で辛くても愚痴る相手もあまり居なかったし彼氏(現夫)は元々他人の辛さにやや鈍感なタイプなのでしんどくてもデートに連れ回され(まぁ体調はともかく私も折角だからと割り切って楽しんだのは事実だけど)
元々私が具合悪くてもパッと見ケロッとして見えるタイプな事や私がいい歳して他人への甘え方を分かっていない事により色んな事にモヤモヤしながらもなんやかんやで寛解。
いや本当寛解して良かった。良かったけど親族やごく一部の病気を知る知人から「大した事無くて良かったね〜」みたいなノリで言われるのがマジで納得いかない。
投薬の影響で起こった神経痛や血管痛が辛くて夜な夜なシクシク泣いてたのは何だったのか。
さて今妊娠しているのはその後ちゃんと籍を入れた現夫が子供は早い方がいいと強く主張したからなのだが、私がまだ癌の予後を見てる状態なの分かってる!?
「それ言い出したら今後だってずっと再発リスク自体はある訳だし、だったら体力的にも早い方が良いのでは?」という夫の主張、
まぁそれはそうだ。私だって分かっている。
はぁ、私はそれでも「精密検査できない期間に再発したら死ぬかも」とか色々考えずには居られない。自分の命にかかわる事なんだから当然でしょ。
子供を作る作らないの話をした時に私は夫にそういう話もしたけど今の態度を見た感じだと多分忘れている。
お腹もだんだん大きくなり、手は尽くしたが妊娠線も増えてきてしまい日々自分の身体が不可逆な変化をしている事を目の当たりにする。仕方ないのは分かるが憂鬱な気分になる。
今まで割と細身の身体で人生を送ってきたので太ってきた事がそもそもストレス。太いの嫌だ。
でもね夫は私に働いて欲しいんだってさ。
財政が厳しいので。
身体つらいのに…再発云々で無意味に悩んだり、妊娠による身体の変化にストレス感じたりしてるのに…
なんやかんや書いたけど夫は不貞も働かないし私の家事にちゃんと感謝してくれて、喧嘩をしても冷静に話し合ってお互いの落とし所を探せる人です。
だから好きです。
ここまで読んで私がクソみてーな甘ちゃん女だと思った人もそれなりに居ると思います。
こんなのが母親になるとか大丈夫?とか思われそう。まぁどう思われても良いけど
あ〜〜〜〜〜〜しんど!!!!
あーーーーーーやれやれ。
結局1人でモヤモヤするなら最初から病気の事大々的に公表してこれ見よがしに体調悪いパフォーマンスすれば良かった!!!!!!!
なんつって 愚痴終わり
まずいくつかの店のHP見て料金みて、出勤予定表みて、この子か~、それかこの子か~、あとこの子もいいなあ、この人はちょっとごめんなさいだなあって
そういうのを当たりつけて、爆サイとかホスラブとかでその子の個人評価を一応チェックしてみようかなあ、まあ、全然信用はしてないんだけどって
で、「あ、この子やばいのかもやめとこかな」「この子人気なの?予約とれなかったらどうしよう」「え?デリヘルでもそういうことありなの?」
「妊娠線かあ。お子さんがいる人にそういうことするのなんか申し訳ないなあ」「てかまあどの子にも申し訳ないんだけどさあ」
「まあ、そういうことを好きでこの職についてる人もいるんだろうし」「いやでもそういう人は少数派で、みんないやいややってるんだよなあ」
「なんか、すみません」「あーでもむらむらと人恋しさがつらい」「でもなんか、年齢とか顔とか体型で人を選ぶって失礼だよなあ」
「ほんとにごめんなさい」「でも、そういうのはなんか仕方ないところもあるし」「でもなあ、ほんと傲慢でごめんなさい」って
そんなこんなで、体験談とか体験動画とか見てるうちになんかもう抜いちゃってて、そしたらふっと我に返って「お金がもったいない」って
風俗嬢に説教するおじさんというのがいるらしいけど、客に説教する風俗嬢というのも確かにいる。
仕事論から人生論へと話は続き、プレイ時間のほとんどが説教で占められる。
60分を90分にしたところでチンコをいじられる時間は変わらず、説教が延びるだけ。
昔から私は口下手で、聞き役にまわることが多かった。
学生時代やってたパート先でも先輩パートタイマーから仕事論や人生論を延々と語られた。
仕事終わりに先輩の奢りで飲み屋で聞かされるなら喜んで聞いただろう。
話の内容は先輩がこれまで酷い目に逢ってきたこと、そしてこの先君も酷い目に遭うだろう、君は俺みたくなるなよという内容で、聞いていて辛かった。
先輩が“40代”で、“男性”ってところと私が“年下”だからこの関係になってしまったのだと思っていた。
そもそも来て早々にプロフィール上は51歳だけど実際は48歳という逆サバを読んでいることを明かしてきた時点でチェンジすべきだった。
しかも年齢しか見ないで指名したんだろうという突かれてほしくないポイントを突いてくる。
「うちの店40代多いけど、50代は少ないでしょ。本当の歳だと選んでもらえないんだよね。お兄さんだって48だったら呼んでなかったでしょ」
「そんなことないですよ……」
私は彼女の妊娠線を指でなぞりながら彼女の話に表向きは同調していたが、
「いずれは51歳になるんだから今からその年齢を名乗っても問題ない」
と語る嬢の謎理論には詐欺られたという思いしかなく、私のテンションはだだ下がりだった。
その後、彼女は己の仕事論について語り、仕事への向き合い方からその姿勢は性風俗業とそれ以外の業種に違いはなく、通じるものがあることや若い頃はいい加減な気持ちで働いていたこと。そしてそのような姿勢であったためにかつての雇用主から数々の罵詈雑言を浴びせられてきたこと(普通の雇用主はキャストをよいしょして気持ちよくさせるらしいが、彼女はどこの雇用主からも怒られてきたらしい)。しかし今考えばそれを言われても仕方ない。そのくらいいい加減な仕事をしていた。あのとき言われたからこそ気づけた。今の自分があるのはあの酷い言葉の数々があったからだ。だから君も上司から叱られても我慢しろ。気づかせてくれているんだ。頑張れ。と話が続いた。私は他の嬢みたくエロい話とか普通の話がしたかった。
「風俗をもっと気軽に利用してほしい。夫の相手ができない奥さんが、夫に行かせるような感じになればいい。奥さんができないことの補助として風俗を利用してほしい」
私は彼女が自腹で買ってきてくれた差し入れのミニペットボトルのお茶を飲みながらそれを聞いた。同意も否定もせず、飲んでいた。
「こういうの(差し入れ)初めてでしょ」と言われ、これは正直な話初めてだったので、そう答えると、彼女は客への思いやりが大切なのだと、客の心をつかむための手の内を客である私に明かしてくれた。
そして自分はとてもテクがあり、気の利く上玉であると自画自賛し、そこには他の嬢をくさすことも付け加えられていた。
私はこの手の話が一番嫌いだ。
その場にいない人を反論できないことをいいことに一方的にくさして、自分を良く語る人間が大嫌いだ。
(職場の上司もそのタイプだから説教を聞いていることが苦痛だ)
とはいえ今からチェンジする度胸もない私は、本音を押し殺し、「合コンのさしすせそ」でその場を合わせてしまった。
ハズレの嬢だってことはわかっていたけど、それが楽しくなってしまっている自分がいた。
けれど後になってみると、言いたいことも言えなかった自分に自己嫌悪している。
いざプレイが始まり、乳首舐めに対する私の反応の良さから嬢はずっと私の乳首を責め続けた。
しかし実際のところ玉舐めや玉噛みの方もしてほしかったので、リクエストを出してみた。だが一舐めされただけで終わってしまった。これには大変不満が残った。以前呼んだ嬢は自分の体にも玉袋があればいいのにと言うほどの玉袋好きだったが、私が袋毛の処理をしておらず、大変申し訳ないとの反省があった。そこで毛むくじゃらだった袋を舐めやすくするために痛い思いをして陰毛一本一本をピンセットで抜いたおいたのだ。抜いた毛穴からは血が滲み、肛門に近い側を抜くときは体勢がきつく苦労した。だが、それらは報われなかった。
プレイ時間の大半が嬢のお説教で占められてしまったので、短い時間で出来るだけ強い性的興奮を得るために大好きな逆ごっくんをお願いしたが、「やべえの来たな」とドン引きされてしまった。以前呼んだ嬢から「飲みたがる客は多い」と教えてもらっており、割と一般性癖なのかも思っていたのに。こちらの思いとしては、口内発射された精液を嬢が口に含んだまま、嫌がる私に無理やり口移しすることが理想なのだが、私が嫌がる前に嬢が引いてしまっては興ざめである。
さらにフェラも口内発射もNGときた。仕方ないから手で抜いてもらい、それを手で受け止めてもらい、手から口へ垂らしてもらうことにしたが、なんとも味気ない。
終わったら手についた精液を洗いに浴室へ駆けていく嬢。ベッドの上に残される私。
嬢が去り際に「疲れたでしょー」と言っていたが、私は疲れておらず、まだしたかった。その声は小さく、彼女へは届かなかった。
その後も「こんなに気持ちいいの初めてでしょ」とか「乳首責めてほしくても今まで言えてなかったんじゃない?」と言われたが
本音はNOだ。あの店にはもっとテクのある人がいるし、これまでにも乳首責めのリクエストはしてきた。
「毎回呼ぶ人を変えているのは、本当に気持ちよくしてくれる人を探してたからじゃない?」と言われたが、いろんな人としたかったからで、お気に入りを探していたわけじゃない。というかそういう情報が嬢に流れていることにビビってしまって、とにかく本音は言えなかった。
全てYESで答えた。今後呼ぶことは無いし、この場限りだし、嫌な空気にしたくなかったから。
思えば、あらゆる人間関係においてこうやって本音を言わず、我慢して、意見を言うことから逃げてきた。
今に始まったことじゃない。こんな間違いをずっと繰り返してきた。
嫌な思いを抱え込み続け、それに慣れ、そのうち自分が嫌な気持ちになっていることにすら気づかなくなっていた。
自分は平気だと、嫌な気持ちになんてなっていないんだと思い込んでいた。
けれどそれは確実に溜まり、ある日爆発する。
嫌な気持ちになった場面や言葉が、思い出そうとしているわけでもないのに次から次へと浮かび上がっては襲いかかってくる。
あのとき嫌な気持ちにさせられたのに、空気を悪くしたくないから我慢してしまった。今ならこんなふうに言い返せばよかったと思うのに。次同じことがあったら言い返してやろう。本当にできるのか?場の雰囲気、会話の流れを断ち切ってまで言えるだろうか。そもそも嫌だってことに気付けるのだろうか。後から思い返して、そこでやっと嫌なことだったと気付くくせに。
一人で勝手に不満を膨らませているだけの自滅野郎。それはわかるけど、わかったところですり減ってしまった心が回復するわけでもなし。
誰と会っても嫌になる。誰もが傷つけてくるから誰とも関わりたくない。
そうやって部屋にこもり、連絡を絶ち、周りに心配をかけてきた。
こんなこともう終わりにしたい。
そう思っている。
なのに繰り返してしまう。
周りの人たちは言ってくれた。「もっと言っていい」「本当の気持ちを話してほしい」と。
でもそれができない。我慢しすぎて、自分の本当の気持ちが何なのかさえわからないから。本音ってなに?
逆ごっくんだって本当は飲まされたいのに飲みたくないふりをして嘘をつく。どこまで本音を押し殺しているんだ。自分に失望する。
人の愚痴を聞くときは何も反論せず、相手が話したいだけ話してもらう。それを最後まで聞こうとする。
説教でそれをしてしまうと「こいつ本当にわかっているのか?話聞いているのか?」となってしまい、説教が終わらない。
違いがわかったところで、相手の話は最後まで聞かないとって思ってしまって、長々と叱られる。心の体力が削られ続ける。
削られても仕方のないことをしたのだから耐えるしかないと言い聞かせ、じっと耐える。
子供のころから母の愚痴を聞くことに堪え続けていたので、耐えて聞くことに慣れてしまったのかもしれない。
私の軽口が、母が過去に親から受けた虐待の記憶の地雷をうっかり踏んでしまい、止まらない愚痴を聞くことが多かった。
あの時も地雷を踏んだ自分が悪い、自分は酷い目に遭った母の話を聞かないといけない役目なんだって思いがあった。
聞くのを止めて、その場から逃げてしまえばいいと言う人もいるかもしれない。たしかに学生時代に相談室のカウンセラーから「お母さんにはカウンセラーがいるんだからその人に任せればいい。あなたはカウンセラーじゃないから。その役目はしなくてもいい」と言われたことがあったけれど。しかし酷い目に遭った話をしている人にそんなぞんざいな態度をとれるだろうか。俺にはできなかった。
自分でも思うけど、人との接し方を間違えていると思う。
けど愚痴を言い終えた人から感謝されたり、信頼されたり、心の深いところにある思いを明かしてもらえたりすると、この姿勢も悪くないのではと思ってしまう。人の役に立っているのではと思うと、こんな生き方も間違っていないではと思うことがあり、変えられずにいる。
聞くことが良い場面と、その逆で自分の思いを伝えないといけない場面もあるのだろう。だけど言わないといけない場面はいつだって怖くって、尻込みして言えないまま。言えなくて、苦しくなって、自滅してを繰り返してばかり。
やっぱり言えるようになりたい。生き方を変えたい。
窮鼠、ねこをはんでごめんな!噛むよな!これまで、ずーーーっとはんでた。
さておき、先週末、tofubeatsのライブの前売りを買った。
まぁ、これで取り敢えず、秋までは大丈夫。
あれを書いた時点で、俺はまだ境界線上にいると思ってたけど、
よくよく考えたら両親は捨て置けないだとか、
色んなアルバムやら、映画がすげぇ楽しみだとか、tofu見にいく約束だとか。
そういう事が続く限りは、もう、だいそれた事なんて、できっこないとわかった。
油断はしないし、悲しいことをしないよう努力し続けるよ。
だから俺が無敵の人ってのは、もう正しくなかった。指摘してくれた人ありがとう。
正しくは、引きこもり歴すげー長くて、発達障害のおっさん夜間大学生だわ。
"ファックファックファーーック(@勝手にふるえてろ)"言ってた。
最近、そういうのほんとに少なくなってた。
あと指摘があったけど、引きこもりなのに夜間学生ってどういうこと?ってのは、
あまり書きこんでなかったから年表書いた。世の中こういう奴もいる的な。
13-23歳
ひきこもっていた。よく覚えていない。
母と折り合いが悪く、父と住んでいた。
すんげーデブいじりされた。同室の元ヤンと買い出しに行ったときに、
一番デカいポップコーンを手にしたら、"納得だわー"といじられる。
俺もすげー納得したので後にジムに通った。
元ヤンは大型取りに来てる人で、車をもってきてた。こっそり海に連れて行ってくれたりした。
浜辺に転がっていたウニに車の鍵を突き立てて、中身をすすった。粗野な味がした。密漁だよな。
ちなみに適正検査は全て最低だったし、VRで受けた危険予測講習では、
24-26歳
より良くなったる!と決意。
一時期、はてなに氾濫していたlifehack、英語記事を全ブクマ。自己啓発書を読みあさる。
"道は拓ける"したかったし、"思考は現実化する"したかった。全部、真に受けた。元気だけはあった。
じっとできない、瞑想できない。野菜350g取れない。今も取れてない。
何度か上記の流れを繰り返した後に、
非正規だったが、二年後には正規に、という今思えばクソほど有り難い話だった。
公衆の面前で誰かを痛罵する人もいなければ、生ゴミぶっかけるやつもいなかった。
周りのおいちゃん達はすきあらばタバコ休憩とソリティアしてたから、
コツコツやってればうさぎと亀というか、そこそここなせていた。
お互い読書や音楽が好きだったこともあり、すこし話すようになった。
本の貸し借りを何度かした。俺は穂村弘とか、向田邦子とかを貸した。
売れっ子かぁ、と舐めてかかって読んで、ビビりまくった。超よかった。
一緒に中洲ジャズにいった。後ろ姿が凛としていて、綺麗だった。
やれたかも委員会の各エピソードは、それがその夜の最適解だと思う。
5時起きは続けてた。DUO3.0やall in oneの例文を単語帳アプリのflashcards deluxeに突っ込んで、
ひたすらシャドウイングしていた。こういう反復作業、めっちゃ得意だった。ADHDで良かった。
ああ、中学行ってないから、導入に教科書と発音用にフォニックスは挟んだ。
完全英語上達マップとか、ライフハック記事に踊らされまくってた。俺だけじゃないよな?
例文でコアラの生態を知って戦慄した。毒ばっか食うてんのかよ。
交通事故でしにがちなんかよ。なんか、ごめんと思った。
そこらへんから、色々と英語で読み下せるようになり、面白くなった。
アクセスできる情報が一気に増えて、"ネットは広大だわ”ってなった。
ご多分に漏れずrarejobもやった。英会話学校も通った。放送大学の単科受講生にもなった。
何も知らずに上辺だけでやり通すのに無理も感じていた。
貯金もある程度できてたので仕事をやめ、バイトしながら夜間大学に行こうと思った。
一番行きたかった神戸市外大の2部には落ちた。地元の2部に通うことにした。
親の力も多分に借りて、一人暮らしを始めた。
27-今
少し背伸びして部屋をしつらえて、初めて友達を家に招いたりした。
一年の頃、大分辛かった。生徒の大半は学習に意欲的でなく、先生もそのことに疲れていた。
鳥が先か、卵が先かというような話ではある。
放送大学の講義、面白かったなぁ、とか思ってた。大学の使い方がよくわかってなかった。
狭い教室での講義も増えた。すこし質問もできるようになり、楽しくなった。
英語で行われる講義や、留学生混合の講義に参加するようにした。
先生に"どこで育ったの?"と聞かれるくらいには話せた。結構、込み入った議論もできた。
ありがとう、はてな、ありがとう、ライフハック。アジア圏からの留学生の賢さにびびった。
そのうちの一人とは縁あって付き合いが長くなり、同棲した。喧嘩もよくした。
母国語でキレたときはやばいと学んだ。まぁ、未だにビビッドな記憶なので、詳細は割愛する。
ただ当時、元彼女が家族とskypeするのを見ながら、家族観もだいぶ影響された。
元彼女はほぼ毎日、おかんと"鯖?"、"じゅてーむ、おぶわー"の人だった。
散々、罵倒しあってきて、今も仲良しこよしじゃないけど、
俺は両親のことを愛してる、といえるようにはなった。
家族間でのトラブルがあったりして、すごく荒んでいた。バイトもきつくなりはじめた。
弁護士相談とかしながら、家ではおっさんなのに泣いてばかりいた。
あまりに身内ネタでエグくて、身内同士でやりあうと行くとこまで行っちゃう感じのやつで、
彼女には心配をかけるばかりで、内容を話せなかった。凄く未熟だった。
彼女をスポイルしてしまう気がして、一緒にいるのが本当に申し訳なくて、別れてもらった。
妹に絶縁された。家から出られなくなった。知り合いにあいたくなかった。
寝れなかった。薬の量が増えた。netflixつけた。
限度額だった。水が止まった。未払い2、3ヶ月で止まると知った。
親父がきた。前より老けてた。凄く泣いた。
久々に参加した講義で、全く英語が話せなかった。超久々にflashcards deluxe開いた。
DUO3.0やら金のフレーズやらやった。すげぇ楽しかった。一ヶ月くらいで話せるように戻った。
それ以外の、少し背伸びして選んだ講義は歯ごたえあるけど、楽しかった。
質問も良くするようになった。わかんない事が多すぎるし、
三十路になった分、面の皮も厚くなった。
後輩だった似たような境遇のおっさんが、大学の事務室で働くようになってた。
涙が出るぐらい嬉しかった。
最近、元彼女ともジムで再会した。幸せそうにしていて、ほっとした。謝った。
"学校はいってる?"だとか、"仕事大丈夫?"だとかひどく心配された。
あんな別れ方をしたのに、まだ友人でいてくれるのが有難かった。
それで、この間のやつを書いた。ついたブコメは本当に全部読んだ。
読みすぎるくらいに読んだ。なんか泣いたりもしたし、
俺の考えが至らなくて悪かったと思うことも沢山あった。
一つ一つ返事したかったけど、明日からテスト期間でちょっと難しそうだ。
昔も今も、俺にとってはブコメの方がその他のメディアよりもずっと距離が近くて。
色んな人が大真面目に、時に露悪的に、物事について話してるのに影響されてきた。
はてぶには、どんなポジションの人でも、弱者に対する視線が柔らかい人が多いような気がする。
そういうのに日々、助けられた。外に出始めてから、出会った人々の中には、
本当に人を削るようなことを躊躇わない人も多かった。
みんな、人のこと構ってられるほど余裕がないから。
学もスキルもない俺がアクセスしやすい職場ほど、ポリコレやら、
アファーマティブ・アクションやら、そういう横文字の綺麗事からは距離があった。
だから、建前であれ、誰かに優しくあろうとする人は本当に凄いと思う。
ポリティカル・コレクトネスの是非とかあるけど、
それを(建前でも)歓迎できない世の中は、ちょっと息苦しいから。
そうそう。勿論、joy divisionも好きだし、UniqloのコラボTもゲトった。
James Blakeも好きだよ。今年はtoro y moiとかも新譜出したし、
chillwaveが流行ってた頃のアーティストのリリースが多くて、嬉しかったな。
あと去年だけど、小袋成彬とか本当にやべー日本人でてきて、それも嬉しかった。
Asianとして、88risingの躍進は楽しんでる。Yaejiかわいい。
映画も超好きなまま。最近、ラースフォントリアーの"ハウスジャックビルト"を観たかな。
相変わらずの胸糞映画で、芸風変わってねえな!と思った。
恐ろしい労力をかけて作られた、最高の精神安定剤やで。
シュヴァンクマイエルもびっくりや。
おかげで教育うけられたわ。恋愛できたわ、貝になったわ、もう色々だったわ。
そう言えば、引きこもりやめて、初めてできた友達もはてぶのユーザーだったわ。
まだ見てるんだろうか。
"早朝、パン屋の前を通ると世の中が動いてる感じがして少し嬉しい"って会話、未だに覚えてる。
たまに思い出し笑いしてた。元気にしてたら、うれしい。
さて書いてる途中でエモくなりすぎて、長くなった。もう朝だわ。
でも今は"太陽は僕の敵"ってよりも、"Everybody loves the sunshine"な感じだ。
完全に薬切れてる。
"started from the bottom"だけど、もう"life's a bitch"なんて思わないよ。
たまに食らって"I'd rather be the devil"とか考えるけど、悪墜ちはしない。
"shit, damn, mother fucker"とかいいながらも、
基本は"love is everywhere"だと信じてたい。
以下、引用とか。
"太陽はぼくの敵" by Cornelius 言わずと知れたクソ野郎。曲はいい。
"everybody loves the sunshine" by Roy Ayers 鉄琴叩いてるファンキーな神。
"started from the bottom" by Drake 元子役。本当はあまり"Started from the bottom"でもない。
"Life's a bitch" by Nas クソみたいな日々だが、俺、お酒控えめにして宝くじ買うぜ!って曲。
"宝くじは愚者への課税"という言葉もよぎるが、団地育ちの20そこそこの黒人が夢を買う手段でもあった。
"I`d rather be the devil" by Skip James NTRソング。切ないファルセットを持った牧師。
映画”Ghost world"でも使われている。良い映画なのでオススメしたい。
"Shit, damn, mother fucker" by D'angelo NTRソング2。D'angeloは現代のPrince的な存在。
とりあえず天才。そして繊細。キャリアの大半は引きこもったり、薬中してたりする。最近復活した。
"love is everywhere" by Pharoah Sanders 御大。恐ろしくながい曲を作りがち。そしてそのどれもが美しい。
"Still Sound"
https://www.youtube.com/watch?v=0Gqh4e1S6j0
"So Many Details"
https://www.youtube.com/watch?v=O0_ardwzTrA
Jamese Blake
"The Wilhelm Scream"
https://www.youtube.com/watch?v=isIABK-0ohQ
"Run"
https://www.youtube.com/watch?v=c0wsotqcKr0
https://www.youtube.com/watch?v=OFvyPVWYnK4
Yaeji
"Drink I'm Sippin On"