はてなキーワード: 大脳とは
タウラス杯は運良くグレードリーグで優勝出来た。ゴルシの力を信じて正解だった。あの女は最高だよ。
という訳で、ジェミニ杯もグレードリーグ参戦に向けて育成周回をしていた。幸い今日は休みだ。イべ走破も出来るしなと、がっつり貯めたタフネスを突っ込んで育成に励んでいる。
今回はナリタタイシンをメインに据えた。周りを囲むのは逃げの白マックに差しルドルフ、オマケで花嫁マヤノも育てようと決める。マヤノの脚質どうすっかなぁ〜
と、決めたはいいんだがマジでどうやったらスピスタSSになるんや????わからん。
タイシンはスピード適正10%やし、スタミナ優先したいからクリーク無凸、マヤノ3凸、マック3凸、ゴルシ2凸のスタミナ4枚と、スイープ4凸、レンタルキタサン4凸で構成した。
因子は長距離因子やURA持ちを優先し、相性は基本◎になるようにスピパワメインに選んでる。
んだけども!!!どうしても各ステA+以上にならねぇんよ!!!なんでだ????わからん。
出走レースを減らした。夏休みも根性賢さを捨ててスピスタを踏むようにした。それなのにA+止まりなんよ。
失敗20%の練習踏むのが怖くて基本的に回復で立ちまわってるのが悪いんか?そんな気がしなくもない。たづなさんは持ってないです。
上ブレという名の風を期待して走り続けるのって辛いんだなとここに来てようやく思い知る。
せめてクリークが凸してれば、またはキタサン完凸自前で用意できてれば……もうちょい違ったんか???
うむ。三次元を消費するものは大脳が壊れているので破滅的なレベルでナンセンスなパッケージデザインでも問題にならないのだ。
二次元のアダルトものだとそれが大分マシになり、そして二次元の一般の深夜アニメ作品ともなると、ささやかな性的魅力を最大限に華やかに見せる、芸術の域に入ってくるものが多い。
人間は制限された中でこそ知性と創造性が育まれるのだ。アートというのはいつも高度に抽象化されたものである。次元の違いは抽象化の最たる要素であるのは言うまでもない。
ちなみにこの傾向はアダルト動画作品だけではない。アダルトゲームにおいても如実に起きている現象だ。
無能故に職場に居づらくなってジョブホッパーしてて確信したわ、俺ガチの無能だわ。勤続年数が長くなればなるほど仕事に慣れるはずが、長くなればなるほどボロが出る。
無能の定義から始まるとお前らああだこうだうるせえから、過去にお前らが見たどうしようもない無能思い出してくれ。それが俺だ。「無能な自覚あるだけまし、本物の無能は無能な自覚もない」とか言うけど、無能は無能なんだよぶっ殺すぞ。無能な自覚がある無能なだけなんだよ。
働かないで社会のリソース食いつぶすのは辛いからさ、本音言うと無能だから死にたいんだわ。
好きで無能やってるわけじゃないし、無能故に周りに迷惑かけるのが辛すぎんだわ。
朝弱いから21時には寝るようにしてるけど、それでも朝辛いし、朝のこの絶望的な気持ちで目が覚めて目覚ましの横に安楽死出来るボタンがあったら迷いなくそのボタンを俺は押すと思う。
趣味もねえし、休みの日とか仕事に脅えてずっと寝てるよ。上司に「何が楽しくて生きてんだ?」って言われてハッとしたよね。俺、生きてて楽しい事なんてねえわ。生き甲斐なんてねえよ。社会に脅えながら生きてるよ。
人が喋ってること理解するのにも時間かかるし、理解したつもりでも的はずれな理解したりするし、人の口頭指示が音として処理されて頭の中に情報が何一つ入ってこない事があるし(声は聞こえるし、なんなら復唱も出来るけど頭に入らなくて右から左に流れていく感じ。わかる?)、転職してもした先が怖いよ。生まれた星間違えたのか?
働き続ければマシになるとかいうけど、あれね、嘘だわ。働き続ければ続ける程無能は惨めな気持ちになるし、自信なんて砕かれた破片すら残らないし、生きてる価値が無いことに嫌な程気付かされんの。あとさ、入社当時からずっと気にかけてくれ人に愛想尽かされんの、あれマジでつれえわ。目の前が真っ白になって周りの音が遠くに聞こえて耳鳴りすんのな。動悸の音だけはすげえ近くに聞こえんの。「壊れた大脳は元には戻らない」ってどっかのbotが言ってたけど、あれマジだわ。もともと壊れてたのかな?もう、わかんねえわ。
俺さ、チャットとかなら何度も読み返せるからギリギリ意思疎通できんのね。でもチャットでやりとりする仕事って、IT系でしょ?slackとかいうの使うんだよな?いいよなそういうの、言った言わないとか怖すぎて、口語指示に怯えなくて済むし、俺一人だけ真っ青な顔でメモとらなくて済むんだよな、良いよな。
でもさ、もう三十路手前の分数の割り算で小学生時代躓いてた無能がプログラミングの勉強してIT関係に就職するのなんて無理なんだよ。progateすら続かなかったわ。何かと励ましてくれる人はいてもさ、一緒に働く人の身になったら、俺みたいな覇気がなくて、コミュニケーション下手くそで、物覚えも悪い産廃、絶対一緒に働きたくねえもん。ボトルネック確実だもんな。
これから先さ、無能として煙たがられながら、毎日胃を痛めて、周りに脅えながら働くわけじゃん。今はまだ20代だけど、このまま歳をとっていくわけじゃん。想像しただけでもう地獄だよね。
親が生きてる間は生きていようと思ったけど、三十路手前になると流石に自信無くなってきたわ。
年始に親が「孫がいたら」みたいな話をさ、楽しそうにすんのね。俺さ、親に変に期待させるの余りにも辛すぎてさ、結婚できる気もする気もないし、生きてていっぱいいっぱいなの打ち明けちゃったんだよ。そしたら、親がさ、「そうか、いま結婚しない人多いしね。珍しくないよ」って優しいトーンでいうわけ。それ以降親が孫の話一切しなくなってさ、なんかそれが尚更申し訳なくて胸を締め付けんだよね。親には孫の顔見せらんなくて申し訳ないからさ、なるべく家にお金入れるようにした。親の為にお金使うようにした。あと自殺する時とか、事故死した時に備えて、公証役場に遺書出してきたわ。微々たる資産は全部親に渡して欲しいってね。親がそんな事望んでなくて、俺に生きて欲しいって思ってるのはわかってるんだけど、親の思いを汲める余裕がいよいよ無くなってきたわ。
生きてて辛いことばっかだったな、生きててよかった事って、あったのかな。覚えてねえなあ。安楽死制度はやく出来ればいいのにな。輪廻転生があるなら、来世は水草とか、そのへんがいいな。
厚労省の資料ではギャンブルにより日常生活や社会活動に支障が出ている状態をギャンブル依存症と定義しているようだ。
そう、私はギャンブルを趣味としている。趣味なんてものではなく、もしかすると依存症かもしれないという不安を抱えながら。
2人の幼児を妻と一緒に育てながらそれなりの企業でそれなりの給与を得て暮らしている。
妻は専業ということもありバリバリ楽勝伝説ではないものの、一定の貯金をしながらも節々には旅行もできるぐらいの余裕はある。
子を持つ方ならある程度おわかりかと思うが、子育てというものは幸せを感じながらもストレスともお友達にならなければいけない事が多い。
子どもが生まれてからは真の休日というものは無くなった。子どもが生まれる前は、妻に許可をもらい稀にパチスロに出かけるなどしたがもはやそんな行為は無理である。
休日は子どもたちと一緒に暮らすためにほぼ100%を充てている。
そんな中でお前はどこでギャンブルをやっているのかと言うと、平日の夜か子どもたちが寝静まった夜中となる。
平日の夜は妻に黙ってのギャンブルである。仕事で遅くなる日の1/3ほどはその実パチスロに行っている。
とはいえ大した時間は取れない。早くて20時に会社を出て閉店の23時まで打ってMAXだ。
状況によっては21時か22時に切り上げて大盛りラーメンを食べにいくこともある。
行くのは月に2,3回程度。その短い時間で小銭の行って来いを楽しんでいる。
「小銭の行って来い?はい嘘乙!収支計算しないでたまの勝ちでプラスになってる気になってるんデショデショー」
なんて言う貴兄もいるかもしれないがそんなことはない。
私はギャンブルで負けるのが大嫌いだ。若い頃に苦渋をなめながら負けない方法というものを模索し続けてきた。
パチンコは無理だと考えているがパチスロは正しい手順を踏めば勝てるといって良いだろう。
とはいえ、食っていくレベルで勝てるかというとそれはかなり高いハードルなるのであるが。
もちろん負けている人も多い、多いと言うか超多数派だろう。
しかし、意思を強く持って勝ちを目指せば勝てるのだ。負けるのは意思が弱く神頼みする者のみである。
ここ数年は正しく打ては期待値が100%を上回る台がいくつか出回っている。
中でもディスクアップという台は最低でも機械割103%, 一日回せば期待値としては1万5千円程度あるのだ。
まぁ確率なんてものは1日程度では到底収束しないので勝ったり負けたりではあるが。
他にも100%超えの台は多く、さらにパチスロには設定というものがあり、打つことによりプラスになる可能性がある台は存在する。
まぁ他にも少しでも期待値を上げる手法はあるのですが結論はこれです。
打つべきは"打ちたい台"ではなく、"打つべき台(期待値が100%を超える台)"を打つ。これだけです。
楽しい楽しくないは2の次3の次かんしゃく玉投げカン太郎の東海道五十三次です。
勝つことが楽しさであります。いや大当たりも楽しいだけど負けたらその楽しさ上書きされちゃうので。
そのような台のみを集中して打つことで私は負けていない状況を作っています。意外と現代のパチスロで勝つのは簡単です。
(技術的なものや、行って来いが落ち着くぐらいの試行回数(=時間)を費やす必要はあるけども)
私のギャンブルはこれだけではとどまらない。先に書いたもうひとつ、夜中のギャンブルだ。
ここまでの話はコロナ前の話だ。コロナ以降、弊社もリモート化が進みほぼほぼ今日まで在宅勤務が続いている。
コロナ禍の中、パチスロに行けずギャンブルがしたいなぁとモヤモヤしている日々。
あ、そうだ。と思い出し、一時期ハマっていたネットポーカーのアプリを開いた。
ポーカーご存知ですか?面白いんですよ。海外ではもっとメジャーなんですが、
テキサス・ホールデムという形式のポーカーがすげぇ面白んですわ。
もちろん負けたくない私は研究を重ねます。本業でこれぐらい勉強すればいいのにね!
ポーカーとは学んだものが学ばないものから金をかっぱぐ!これがポーカーであります。
ただですね。学びにより一定のプラスは生まれるようになったものの、
ポーカーは時間あたりの期待値が低いのです。小さい金額をちまちまと稼がなくてはならない。
高いレートは強者だらけで収支は安定しない。高額賞金のトーナメントは平気で10時間とかかかる。
そんな状況に疲れてポーカーからはフェードアウトしていきました。
でも、パチスロができない状況ではそんなこともってられず通勤時間が減ってちょっと時間も余裕ができたのでポーカー復活と思ってたらですよ。
アプリのポーカーのタブの横にカジノがあったので押してしまいました。
お前それそもそも違法じゃないのって話は「オンラインカジノ」という存在に法が追いついていないので結論が出せない。
ということでご容赦ください。一定のリスクは理解した上でやっているつもりです。
閑話休題。
いやですね。それ抜きにしてもオンラインカジノは基本ダメです。
ルーレットとかは約97%,一番高いブラックジャックで99%超といったところ。
当たり前ですが100%以上はないという状況です。
やればやるほど損をする。それがオンラインカジノです。
そんななかでも研究はする私。なんとか勝てる方法は見つけました。
はいはいワロスワロス、クソみたいなオリ攻なんでしょ?とか思われるかもしれませんがそんなんじゃない!!
ギャンブルの楽しさは排して、ただただ期待値を追うだけの方法です。
結局はこれなんですよ、勝つには地味な作業を繰り返すだけ。
そんなこんなでオンラインカジノ界でもなんとか勝つ方法を見つけてしまったのです。
しかし困るのは生活が困窮すること無くギャンブルが続けられるということ。
楽しいのだが虚無も結構ある。副業と割り切っても良いかもしれないが、あまり勝っても確定申告が必要となる。
多少家族に嘘ついてるけどこれは許容範囲じゃない?そんなことない?
このギャンブルがドラマ視聴という趣味だったらどう見えるだろうか。
しかしあまりドラマ依存症やゴルフ依存症という言葉は聞かない。
という具合になんだかわたし、もやもやした気持ちが続いているんですよずっと。
別に診断が欲しいとか、大脳がこわれておる、ワイコーワイコーと言われたいわけでもなくて、
ただなんか、わたしはこのままでいいのかな?もっとやることあるんじゃねーかな。
と思ってるので転機がほしくてこんな増田をしたためているのかもしれません。
ちなみに業務中(合間だよ!ちょっとした合間!)にこのような増田をしたためてしまうのも、現実逃避をしているので増田依存症な面もあるのかもしれません。
最近は東洋医学にハマって本を読んで経絡の図を見ながら実践してるけど本当に面白い
わたしはおそらく血虚や気虚からの血淤になってて五臓六腑だいたい満遍なくどれも悪く慢性症状になってて
でも少しずつ運動とかストレッチマッサージで血流を回復していくにつれて
改善してってる
固くて乾燥していた皮膚が柔らかくなったら、気の滞りのある箇所が浮かび上がって見えるようになった
そこを入念にマッサージするとまたポキポキと大脳のなかで音がして関連する部位の凝りや塊がほぐれていく
気の滞りは精神的なストレスを受け続けると起きるらしいけど浮かび上がった模様を見ると本当にこれはつらかっただろうなって一目瞭然。
手首足首太ももお尻、首回り
全部がんじがらめにぐちゃぐちゃって締め付けられているみたいだった
気血が全身に行き渡らなくて凝りが沢山できてて経絡も全滅に近くて身体の機能が全て停止してしまいそうだった
頭に霞がかかったようで身体は鉛のように動かなくて鬱なのかなんなのか
友達付き合いもそのせいで遊びに行っても疲れるしメールの返信すら面倒くさいし
ようやくその答えが見つけられたようで嬉しい。身体が弱ってる時は何してもだめ。身体が休息を望んでるから。
でも逆に言えばよくこの状態でやってこれたなと。結果出してこれたなと。
元気いっぱいになれたらどれだけのことができるだろうか
(プロフィール:25歳、男性、大学院卒、理系、会社員、東京都在住、同性愛者)
性的少数者の権利拡大・偏見払拭が謳われるようになってもう随分と経った。そういう虹色界隈の活動家の努力のお蔭か、少なくとも都市部の若年層では「ゲイとか気持ち悪いよね」と言う人の方が白い目で見られる社会にはなって来ていると思う。パートナーシップ制度を導入する自治体も増え、同性婚を支持する人も増えている。ゲイであったとしても自分らしく人を愛し愛され、自分らしく自由に、自分らしく幸福に生きられる社会になっている。……らしい。
このような心温まるようなすばらしい虹色啓蒙活動から最も疎外されているのは誰か。性的多数者(シスジェンダーの異性愛者)ではない。彼らも「理解のある」ハートフルなムーブを取ることで仲間入りできるし、「理解のない」人も敵陣代表としてちゃんと構ってもらえるからである。一番蚊帳の外なのは、非リアで、陰キャで、オタクで、恋愛にも興味がなく、自己肯定感が低い根暗のホモだ。
大前提として、虹色啓蒙活動は非異性愛者が自由に恋愛を楽しんで社会で生きる「権利」を求めるものであって、ゲイであろうと男とも女とも恋愛をしない人には大して関係がない。当たり前だが、仮に同性婚が法律で認められたとしても相手がいないと結婚はできない。全てがそうとは言わないが、虹色活動の大部分を占める要素も、活動に携わる当事者たちも、どこからどう見ても根暗なオタクには無縁の「陽気なリア充の世界の概念」であって、全然感情移入できないのである。そればかりではない。
ああいう目立つ活動家たちは、確かに旧来のゲイに対する悪質な偏見(気持ち悪い、オネエ、性病とか?よく知らん)をいくぶん弱めてくれたかもしれないしそれは有難いことなのだが、それを塗り替える形で別のステレオタイプを提供している。「ゲイは恋愛やセックスが大好きで、大好きな同性の恋人と結婚したいのに頭の固い人たちのせいでさせてもらえない、自由平等博愛のため闘うかわいそうな人」という印象を、勿論ここまで露骨でなくとも数倍に希釈した形で持っている人は少なくないのではないか。俺はゲイをカミングアウトしたことは殆どないが、おそらく多くの人はまずは同情の目を向けて「気付けなくてごめん」か「話してくれてありがとう」みたいな挨拶をくれた次には俺の恋愛事情に興味を持ち始めるだろう。別にそれ自体を悪いことだと非難する気は全くないが、結局「ゲイ」とか「同性愛者」というラベルはリア充・陽キャの文化でしかなくて、単に同性に性的魅力を感じてしまうというだけの陰キャが名乗ってもあんまりピンと来ない、贅沢な称号になってしまったのだ。
そういう点では、LGBTフレンドリーな明るく健常な集団なんかより陰キャのオタク界隈の方がよっぽど自分には合うし居心地が良い。もともとオタクコミュニティには恋愛への関心が希薄な非リアが多く、セクシャリティが問題になる機会自体が健常な集団より遥かに少ない。だからオタクコミュニティの方がジェンダーフリーだなどと大それたことを言う気は毛頭ないが、趣味の話と学校や仕事の愚痴くらいしかしないのにセクシャリティが関与してくることの方が稀だし、元々何の問題もなく穏やかに存在できている。
大体、恋愛に興味のない俺にとって、自分がゲイであるという事実はアイデンティティの構成する要素のほんのごく一部でしかない。所謂ゲイコミュニティに参入してゲイ友達を作ってPrideだの何だのよろしくやってる虹色の人たちをネットなんかで見ていると"ゲイを生きている"感がすごいし、普通の異性愛者視点だと多くのゲイがそういう生き方を望んでいるように見えているんだろうなと勘繰ってしまう。異性愛者が自分をヘテロであると意識してヘテロ人生を生きるみたいなことはまずないだろうから、こういうのはそもそも少数派である宿命というか如何ともしがたい非対称だとは思うが、いずれにしてもああいうのはどうも自分とは違う世界だ。俺は「自分は男の方が好き」みたいなどうでもいい話なんかよりよっぽど先週の俺ガイルの話がしたい。ずっと原作読み直してたら連休が終わりそう。
如何ともしがたい非対称と言ったが、性的少数者の苦悩は理解のない人による差別や偏見なんかよりも、そもそも少数派であること自体の苦痛の方が大きいと思う。要は、ゲイであること自体が十分に不幸なのである。同性愛者は全体の1割にも満たない上に普通は公開しないので、当然だがラブコメのような学校や会社での自然発生的な恋愛ストーリーは期待できない。そのためゲイ専用の出会い系アプリとかゲイコミュニティで知り合うくらいしかないわけだが、どうせそういう所にいる人は明るくて自己肯定感が高くてキラキラしててbioに虹マーク引っ提げてて合わないだろう。要するに異性愛と比べて恋愛の形のバリエーションが圧倒的に少ない。別に「自分がノンケだったら彼女が出来てた」とかいう、「文系学部だったら彼女できてた」とのたまう理系大学生のようなダサい主張をする気はないが、恋愛へのハードルの高さがヘテロの比ではないことは間違いないし、色々なことを土俵に上がる前に諦めないといけないのも事実だ。女性と結婚して子供を育てるという「普通の幸せ」にも憧れるけど処女懐胎してもらうわけにもいかないし、何よりそんな茶番に付き合わされる女性や生まれてくる子供に悪い。というかこのままだと一生童貞で独身だけどどうすんじゃこれ。30代になった瞬間信じてたオタク仲間が次々に【ご報告】していって取り残される√入ってるだろ……。
今はとてもじゃないが出来ないだろうけど昔は同性愛の「治療」なる概念があって、認知療法というか洗脳というかそんな感じで治療を試みることがあったらしい。流石に洗脳は効く気がしないし御免だが、大脳に電極ぶっ刺すとかケツにケミカルXをぶち込むとかで西洋医学的に「治る」なら全然治したいと思う。今の社会に不満があるとかそういうわけではないが、俺にとって自分がホモであることは「普通に生きてるには気にならない病気」でしかないし、それを認めろだの自分らしく生きろだの、無茶を言うなって話だ。
※同性愛者、性的少数者、ゲイなどの単語は適当に使ってますごめんなさい。基本的にどれも男性同性愛者を想定して書いてると思ってください。
俺がテレビの電源を消す前に必ずしていることだ。
なぜ、そんなことをするかって?
さあ、俺にも分からない。
お気に入りの番組が10チャンネルにあるからだとか、テレビをつけたとき大音量にやられないためだとか、後から捻り出した理由で無理やり納得させることはできるだろう。
けれど、あえて言葉にするなら「なんとなく」としか言いようがない。
だが、その「なんとなく」を、案外バカにできる人は少ないんじゃないだろうか。
むしろ、そういうものに“何らかの法則”を見出したがる人だっている。
法則って言葉が大仰に感じるなら、ジンクスだとかルーティンだとか、しっくりくる言葉に変換すればいい。
大事なのは、俺たちは“そういうもの”を時に信じて、優先し、生きようとするってことだ。
その日も、なんて事のない平日だった。
強いて違いをあげるならば、俺は近年まれに見る「学校へ行くのがダルいモード」になっていた。
俺の心と身体が、まだ半分ほど夏休みに取り残されているのだろう。
それに加えて、かったるい選択科目がある日。
億劫なのも止む無しだ。
しかし、それにつけても倦怠感がしつこい。
いつもなら顔を洗って、歯を磨く頃にはシャキっとするものだが、未だ気だるさが抜け切らなかった。
いっそのこと風邪でもひいているのなら話は早いのだが、そういうわけでもないから厄介だ。
テレビから流れるニュースは大脳を揺らし続ける割に、まるで記憶に残ろうとしない。
ただ左上に表示される時刻だけは俺を囃し立てた。
一瞬、「サボタージュ」という言葉が脳裏をよぎるが、首を振って思いを断ち切る。
番組では十二星座の占いがやっていたが、自分の運勢を確認するまでもなく画面を消した。
占いなんて真に受けちゃいないが、もし今日の運勢が最悪だった場合、足取りが重くなる可能性は否定できない。
いずれにしろ学校に行くんだから、それならば重荷は減らすべきだ。
俺は未練なんて初めからなかったかのように、スタスタと部屋を出て行った。
チャンネルを10に、音量を10にしていなかったことに気づいたのは、バス停についてからだった。
「なんで栞が……?」
不特定多数の客が読む本に栞があるというのは、極めて異物感の強いものといえた。
俺は腰をかがめると床に落ちた栞を凝視する。
そして栞を拾い上げるでもなく、そのままの体勢で観察を続けた。
自分でもよく分からないが、直に触れるのが何となく嫌だったんだ。
「気味悪いな……」
パッと見る限り、大きさは15センチの定規くらい。
上部には穴が開けられ、そこに頼りなさそうな紐が通ってある。
何の変哲もない、無地の栞だ。
「裏も同じかな」
予想は外れ、裏面には黒い紋様が施されていた。
それとも、こっちが表面なのだろうか。
最初はそんなことを思った。
「ん……?」
しかし、よく見てみると紋様ではなく、それは手書きの文章だった。
「えーと、なになに……ニックネーム:大脳の壊れたメンヘラ……『前作の主人公を死なせてまでやることが、紋切り型の復讐劇と応援できない敵陣営側の物語じゃあファンは諸手を挙げて賞賛できない。逆張りすれば面白いっていう陳腐な発想でシリーズを台無しにしないでほしい』……なんのこっちゃ」
この“大脳の壊れたメンヘラ”とやらが栞の持ち主で、そいつがこれを書いたのだろうか。
ずっと屈みっぱなしだったから、俺が腹を下したとでも思ったのだろう。
「この本に、なぜか栞があってさ」
「ああ、それはウチのだよ」
「え、じゃあこれはマスターの栞ってこと?」
「いやいや、そういうことでもない」
マスターの説明によると、この栞は店が提供しているものらしい。
なるほど、この本に栞がある謎は氷解した。
「名づけて“クエスチョン栞”!!」
その他の謎は更に深まってしまったが。