はたから見てるとおそらくソーシャルスキルは軽く池沼入ってるレベル
発達を自覚して病院に通い専門家の指導を受けてほしいのだが、いかんせん本人にその気がない
もう60歳をすぎて今更自分が池沼でしたなんて認めることもできないだろうし、
かといって自分は年々目に見つくようになるポンコツぶりに面倒見る気が減退する一方だ
父は発達障害なんて概念すら存在しない時代に日本の片隅のど田舎で生まれ育ち、
壊滅的なソーシャルスキルで社会の日陰、会社では万年窓際として過ごしながらも、
高度経済成長と、残っていたお見合い制度に助けられてまあまあ普通の人生を送れてしまったが、
会話が成り立たない度合いは壊滅的だ
横断歩道は青信号を確認して渡りましょう。警察署は次の交差点を左に曲がったところです。
この程度の情報交換であれば理解可能なのだが、それ以上に複雑かつ情緒や時間の概念が登場してくると脳がパニックを起こすようだ
例えば、夕飯の席で仕事の話が出たとする。
自分の会社は事業は何をやっていて、それが社会的にどういう機能を持っているのか?なんて話を延々と続ける
そうではない。一日中デスクに座っているのだとか、営業でどこそこの街に行っているのだ、とか、普段昼飯は何を食べているのだ。とか、
そういうあなた個人が何を考えて何を見て何をしているのかを話題にしているのだが、それが理解できないようなのだ。
何か抽象的概念の意味や機能しか意識することができず、生きている自分個人の感覚や感情を感じていないのか、もしくはアウトプットできないようで、
ひたすら電車の時刻表を暗記しているサヴァン症候群の子どものようだ
"自分が"社会や会社の中で何を求められて何をすべきなのか、という視点が一切ないので会社でも入社から定年までずっと役立たずの窓際だったようだ。
さらに厄介な事に、外では非常に憶病で大人しい人間だが、家の中では粗暴な内弁慶なので、
脳みそがパニックを起こすとキレて怒鳴り散らすため、もう正直あんまり関わりたくないが、
自分としては今からでも少しづつ自分の障害を自覚して、ソーシャルスキルを身につけていって欲しいのだが、
いくらこっちが行ったところで自分の足で病院に行くことはないだろう
専門家が家庭訪問をしてくれるようなサービスはないだろうか?なんなら強制的に病院に連行してもらっても自分としては一向に構わないとすら思っている。
なにも困らんのでは?今まで放置してきたのだし
今はそのような症状を持った児童が成長しても子孫を残すところまで到達できないだろうね。 異性から相手にされず、高度なコミュニケーションが要求される正規職につくことも困難に...
高度なコミュニケーションなんて必要とされんが 『相手の好みに合わせる』『太鼓を叩く』 365日これを実行出来るかはどうかは別として(優秀な営業マンでもハゲるし内臓をやられる)...