はてなキーワード: 不謹慎とは
A.障害者にオナニー強要&うんこバックドロップと、ネタの途中でぽつっと出てくる不謹慎ユダヤジョークが同程度に酷いと本気で思っている人はいないから(ラーメンズも同じくらい叩け!と言っているのはレスバトルのノリに頭をやられておかしくなっただけの人だから)
【追記 7月23日 18:10頃】あまりの衝撃に封印していた言葉を解禁してしまったのですが(anond:20210722183137、anond:20210722183851)
『クズ』も伝えたいニュアンスは含むので『クズ』に変更しました
普通の日本人は、
ラーメンズは普通の人なら仕事をクビになる(少なくとも外資は契約書にサインするので確実にクビになる)レベルの
けれど日本には表現の自由があり、放った作品に対して責任を生涯負うのであれば、
小山田氏も近々フジロックがあるけどそれは今まで通り理解あるファンたちと楽しんでください
けれど、まさかの、NHK・オリンピック!!!!!!の仕事をするとな
そして平然と、
b:Id:triggerhappysundaymorningラーメンズの不謹慎に関してはお山田で例えるとお山田の行為を不謹慎ジョークのネタに使ったレベルなので怒られるべき話だが「謝れば済む話」.
ただのクズですよね?
クズが不適切だと言うならクズも改めますけど、こう言う人物にどう言った表現が適切だと思います?
b:Id:omega314「私は他人をいじめたことはない」と言い切れる奴とか一番の警戒対象でしかない。
b:Id:omega314「悪いことしてないだけの人たち」は本当に厄介
ブクマカが様々なインフラ・スーパー・コンビニ・外食産業が使えるのもみんな悪いことしてないのが当たり前だからだし
他人をいじめない・悪いことしないのが当たり前だからケガする事なく街を歩けるんです
小山田氏やラーメンズ庇う人はこの当たり前がおさえられなくて本当に恐ろしい
社会性動物は、不平等に敏感だし共感性を持ってるし利他的な集団の方が強いので "いじめは当たり前じゃないよ"
> 個人間の争いでは利己的な個体の方が有利だが、集団になった場合、利他の精神を持つ個体の集団の方が有利
> 個人間の争いでは利己的な個体の方が強いので遺伝子を残し続けるが、蟻🐜と同じく常に利他的な個体が増える速度の方が速い
「利他的行動は戦闘で進化」:コンピューターモデルで分析
日本語記事:『裏切り蟻』が増えるとコロニーは過労死で滅ぶが利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので滅ばない
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf
[Psychology] Anxiolytic Treatment Impairs Helping Behavior in Rats
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2016.00850/full
[Current Biology] Harm to Others Acts as a Negative Reinforcer in Rats
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(20)30017-8
日本語記事:「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):研究結果 (WIRED)
https://wired.jp/2016/07/01/rats-empathy/
日本語記事:ラットも他者を傷つける行為を嫌がることが判明:研究結果(WIRED)
https://wired.jp/2020/04/08/rats-harm-aversion/
日本語記事:イヌのジェラシーを検証(ナショナルジオグラフィック)
▼増田やブクマカでいじめ逆張りしてるバカって自分自身が自称小心者()のクズだっていうことから逃げたい+クズ共感が欲しいだけだよな
▼嘘だろ逆張りクズどもはニュース出て解任になった事にキレてんの?
▼あまりの衝撃に宗教的理由で封印してたガイジを解禁しちゃったけどやっぱ良く無いので
▼東京オリンピックで生まれた「一般国民」「上級国民」は皮肉でも何でなかった。あとベンチャー
▼ヤンジャンでやっている『スタンドUPスタート』ってマンガと現実の『ベンチャー』と『500万』
▼彼・彼女らには自分がポリコレで"配慮される側"の人間である自覚がない
anond:20210722164318 anond:20210722184856 anond:20210722191747 anond:20210723013624 anond:20210723012449
小林賢太郎が解任になった。
ホロコーストを笑いのネタにするのは確かに不謹慎であったろうし、オリンピックの演出家としては相応しくないのだろう。ただ過去一度だけの言葉でここまで否定されて良いのだろうか。
そもそもお蔵入りされているコントを違法な手段で視聴したネトウヨが、それを中山というパレスチナ人から差別発言だと言われた政治家に伝わり、それに対して声明をだすユダヤ人団体。パレスチナを爆撃したのは誰なんだ?先制攻撃が原因だったとしても無辜の市民を何人殺害してるんだ?それは正当で許される行為なのか?
いったい誰が差別主義者でそうでないのか?
そもそも小林賢太郎がだめなら麻生はどうなんだ?ナチスの動機は正しいとかでサイモンヴィーゼンタールセンターから抗議されていただろう。安倍も靖国参拝で抗議されてなかったか?椎名林檎のヒトラーはいいのか?組織委員会、全員大丈夫か?
歓迎会に出てた森はどうなんだ?立つ資格あるのか?橋本のセクハラはいいのか?そもそもテレビつけると差別主義者いっぱい出てるだろう。そいつらはいいのか?
誰なら許されるんだ?何なら許されるんだ?
東京オリンピックは来るべくして開いたパンドラの箱だったのだろうか、どうもこの世界のインターネットはヘイトを増幅する装置となってしまったようだ。政治的な右派左派に限らず、あらゆる問題において、分断がインターネットによって加速してしまっている。
インターネットは世界を結びつけるのものではなかったのか?過去に抱いたインターネットへの希望はどこに消えたんだろう。そんなものは無かったんだろうか。差別主義者が蔓延る、エコーチェンバー化されたインターネットがあるこの世界で、どうやって差別を乗り越えるんだろう?
インターネットは世界平和の役に立つ道具なんだろうか?戦争の産物とし生まれたインターネットはやはり戦争の火種としてくすぶり続けるんだろうか。インターネットにより増幅されたヘイトに人類は勝てるんだろうか。
ホロコーストだから他人事として笑いのネタになったけど、「関東大震災朝鮮人虐殺ごっこ」とか「南京大虐殺中国人百人斬りごっこ」とか「広島原爆投下ごっこ」「東京大空襲ごっこ」とかはネタにしなかったんだろ?
NHKの映像の世紀とか言う番組もさ、ヒトラーやナチスの当時の映像お茶の間に流してる不謹慎番組じゃん
しかもおどろおどろしい音楽をBGMにして恐怖をあおり立てるような番組の作り方してるし
歴史的価値とかそれ以前に、ホロコーストの恐ろしい記憶を彷彿とさせる番組を日本を代表するメディアが流してるってどうなの?
詭弁じゃないのか?
レイプの被害を繰り返させない為に、レイプ被害者にレイプ中の撮影動画見せるのはOKなのか?
何度か聞いた印象に残ってる話題は、「障がい者の子供が生まれてきたら嫌じゃない?」って話
これははてなでもよく見る妊娠中に検査して障がい者が生まれてきくるか確かめるという話と地続きだ
最近も障がい者と修学旅行往くのを拒否することを支持してたしな
それを隠しつつ、隠しきれずにこうやって時折剥き出しの差別意識を露見させる
それを棚に上げて他人のことだけあげつらうなよ
自分の胸に手を当てて考えてみろ
お前らは同じ穴の狢だ
ラーメンズ「ユダヤ人虐殺ごっこ」(不謹慎でキャンセルされるべきたとえとして「ユダヤ人虐殺ごっこ」を用いた例)
なるほど、考えさせられる。
でも、「表現への批判」を批判するのであれば、「批評に対する批判」も批判してほしかった。表現の自由は批評の自由とセットで倫理的なバランスがとれる。例えば漫才で言えば、ボケが不謹慎なことを言っても、ツッコミがちゃんと「ダメな事です」と言えば成立する場合が多いわけで(もちろん「程度」がある)。でも「批評に対する批判」がはびこっている現状だとそれは機能しないわけです。ブコメを見るとそういうのがいっぱいあるわけです。そんな中で表現だけ自由にしろと言われても説得力はないんです。どうしたものやら。
で、「程度がある」って言ったけど、例の事件については正直かなり微妙ではないかと思う。
発生からまだ2年しか経ってないわけで、それってつまりものすごくセンシティブなわけで、それを当事者でもないのに、「そもそも、ルックバックの描写が『程度』を大きく逸して邪悪な描写をしていたかと言われたら、そんなことはないだろう。」と簡単に断じてしまえるのだろうか・・・。
しかも、藤本タツキ先生はあの『チェンソーマン』を書いた大作家なわけです。そんな作家が書いた作品は、大勢の人の目に止まるわけなんです。「大いなる力には大いなる責任が伴う」んです。スパイダーマンです。
『漁港の肉子ちゃん』を書いた西加奈子さんは、東日本大震災で舞台の石巻が甚大な被害を受けたあと、連載をやめようかと悩んだが、作家としての傲慢さが勝ち、書くことを続けたらしい。
「自分の作品で傷つく人が必ずいる」ことは作者がいちばん苦慮しているわけで、作者がいちばん苦慮しているのなら、読者の俺たちはその苦慮を思いやって、傷ついている人たちに脅迫めいた言葉を投げるのではなく、その要望を受けいれるかどうかはひとまず置いてもいいから、いったん寄り添う事が必要なんじゃないかと俺は思うよ。
あれは子供向け番組なのに子供向け番組らしからぬことしかしない奴らのズレた行動を笑うコントだろ。
あのコント内での二人はトレンドマークの帽子を忘れてきたり、同性愛ネタを出してきたり、タバコ吸ったり、温泉ロケ=露出の多いロケをしたり、深夜に放送したりと子供向け番組らしからぬ事しかしてない。
あのコントにおけるナチス人大量惨殺ごっこのネタの内訳は現実の歴史であるホロコーストを子供が楽しむ題材として選んだ上にネーミングセンスも子供向け番組とは到底思えないその馬鹿らしさであって、ナチス人大量惨殺ごっこという言葉自体はその副産物でしかない。
スキルというと大袈裟な感じだけど、意外と単純なはずのこの能力を誰もが持っているかと言うとそうでもないのかもしれない、と度々思う。
「能力」というよりは「知識に裏打ちされた感覚」とも言えるかもしれない。
たとえば。
統合失調症のようにも見える妄想で無差別殺人を行う人物が登場する漫画があっても、自分は「統合失調症だからといって無差別殺人を行うわけではない」ことを知っている。
たとえば。
コントの中で演じられた「ヤバいやつ」が「ユダヤ人大量虐殺の話」をポジティブに語っていても、自分は「まともなやつはそういう話をポジティブに語らない」ことを知っている。
たとえば、話は少し変わるけど。
子供の頃に、クソ真面目だった認識はあった父親に初めてゲームセンターに連れて行ってもらった思い出が衝撃的すぎて今でも覚えているのだけど、200キロ以上出せるレースゲームで、父親は時速60キロ以上は絶対に出さず、あっという間に残り時間が0になってゲームオーバーになっていた。
おそらく現代のほとんどの人は「ゲームの中でなら法定速度を守らなくても良い」ことを知っているし、「ゲームの中でなら事故を起こしても問題ない」ことを知っていると思う。
たとえばの話、終わり。
……何が言いたいかと言うと、知っていれば誤解は生まれないし、誤解からくる差別や偏見もなくなるんじゃないかという希望。
「希望」と書いたのは、それがおそらく現実的には難しいということもわかるから。
それでも、たとえばの話全てに問題がないとは言わないけど、知っていれば、理解していれば、創作や虚構の中で不謹慎を扱っても問題ないと思うし、知らない人がいたら、教えたり、理解してもらう努力をすればそれで良いと思う。
「イジメを無くそうという漫画を描くために、まずイジメが起こってしまったという冒頭の場面を描いたら「イジメを描くなんて不謹慎」という批判が来た」というような国語力0って感じの落語でしか聞かないようなアホすぎる批判も本人たちはマジでやってたんだなって思えてきて、読解力無い人めっちゃ多いって事実に怒りも悲しみも通り越して笑えてくるな
小林賢太郎(ラーメンズ)がホロコーストをネタにしていたニュースが出てきて、
なんでも叩けばホコリは出てくるんだなと思ったけど出てきたホコリが最悪すぎる。
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」をセリフにしたコントを作っていたのは不味い。
この件は見つかった今「国辱」と言っても過言ではないと思う。
(あんまり強い言葉は好きじゃ無いけどそのレベルだと個人的には思う)
その当時ラーメンズを炎上させなかった日本人の感性が国辱モノって感じ。
でもオリンピック直前、なんでも良いから叩きたくてウズウズしてる連中に
一番まずいやつをほじくり返されたのはかなりヤバい。
「見つからなければ許されたのか」という意見もあるかもしれないけど、
「ひでえセリフだなwww今じゃ許されないなww」って言われて終わったと思う。
冒頭に戻ってしまうが、よりによってオリンピックにトップで関わる人間が作ったという事実がまずい。
「その当時は許される価値観だった」の話は
小山田圭吾の件であらかた出尽くしてるけど、結局彼は辞任した。
https://policies.hatena.ne.jp/community-guideline
はてなでは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、居住場所、身体的特徴、病歴、教育、財産及び収入等を根拠にする差別的表現行為を禁止しています。当然のことながら上記属性に基づく継続的な罵倒表現、個人攻撃、暴力や危害を及ぼすことを示唆したり、広く排除をよびかけるヘイト行為は固くお断りします。
https://news.yahoo.co.jp/info/comment-policy
https://help.twitter.com/ja/rules-and-policies/hateful-conduct-policy
ヘイト行為: 人種、民族、出身地、社会的地位、性的指向、性別、性同一性、信仰している宗教、年齢、障碍、深刻な疾患を理由とした他者への暴力行為、直接的な攻撃行為、脅迫行為を助長する投稿を禁じます。また、このような属性を理由とした他者への攻撃を扇動することを主な目的として、アカウントを利用することも禁じます。
https://help.twitter.com/ja/rules-and-policies/abusive-behavior
人種、民族、国籍、性的指向、性別、性同一性、信仰している宗教、年齢、身体障碍、または深刻な疾患を理由として他者を標的とする行為は、Twitterの暴言や脅迫、差別的言動に対するTwitterのポリシーに違反している可能性があります。
https://support.google.com/youtube/answer/2801939
YouTube はヘイトスピーチを容認しません。次のいずれかの特性に基づいて個人や集団に対する暴力や差別を助長するコンテンツは削除されます。
年齢
障がい
ところで、「YouTube で許可されていないヘイトスピーチの例」(その他の例)に該当するような書き込みははてなやTwitterでよく見かけますね
全てはタイトルに集約されている。振り返るとそこには二人の思い出があり、しかし振り返ったところで藤野は京本を救い出し、かつ知り合うことなどできず、京本は藤野のマンガをやめるというあやふやな決意を振り返らせてくれている。振り返ることがすべての起点になっており、かつ振り返れば君がいるという演出上の意味も含んでいる。実際に藤野はことあるごとに京本を振り返っており、フラッシュバックの折にも背中に京本のことを感じている。ところが藤野の背中をより感じていたのは京本の方であり、彼女は美大受験後も藤野の漫画を買い続けてサイン入りのはんてんを部屋に飾っていた。
ルックバックは振り返るという意味の他に、背中を追いかけるという意味も含まれている。京本は藤野に背中へのサインを書かせ、藤野を追いかけたいあまりに、せめて画力では随一になりたいと美大受験を決意する。この思いはすれ違って藤本に伝わり、藤本は一度は美大受験をやめるように進言する。この背後には藤野の京本よりも自立していない内面が潜んでいるが、それは前項の通り藤野のメンタリティにつながってくる。つまり藤野は常に過去思考型で未来を見ずに下を見て過去を見るタイプだったが、京本は上に憧れて未来を見るタイプだったということだ。
京本が常に未来を向いていた理由は、京本のメンタルが常に引きこもっていて外の世界を知らなかったからであり、拡大思考しか存在し得なかったためだ。一方で藤野は冒頭の豊富な人間関係から一度はマンガすら諦め、空手(手に何ももってない、という比喩)に逃げて失う方向へと舵を切っている。この一見した外面とは裏腹な藤野の内向性は、ラスト付近まで京本との「もしもの未来」を連想させる。マンガのコマをよく見ると、京本が全く何事も連想できない人間であることに対し、藤野はすべてを戯画化できる想像力を持つ人間であることがわかる(この発想は作家は不幸なときでも不謹慎なときでも作品のネタにしてしまえるのではと考える、といった問題だけでなく、藤野自体がいかに京本に憧れられたか、という内面的裏付けを付与している)。
美大を境にして二対の関係は消失し、孤独な部屋の風景のみが描かれる。そこには十分に背中を映した背景が使用されており、京本の姿はやはりない。しかしこの情景は実は(おそらく)藤野が思い出している孤独な執筆作業風景であり、実は自分は自分自身と常に戦って今に至ったのではないか、という思いがあった。実際にクラスメイトから無視され始めた彼女はほぼ一人で漫画家への道を成立させた。もちろん、この際述べた背景は他のアシでも描ける、という台詞は強がりに過ぎない。こうしたいきさつから彼女の部屋には微妙な変化が見られる。最初はクラスメイトに囲まれているのに孤独な藤野の姿、後に京本と一緒に執筆する姿、後にまた一人に戻る姿だ。最大の変化は初心の頃に書いた4コマだろう。京本の部屋に投げ込まれた4コマを藤野は死後回収して自室に飾る。このことは京本がライバル関係であったと同時に仲間であり、しかし同時に合否を決める編集でもあったという現れに見える。ともあれ彼女は孤独な小学生から友情を知る中学生へと移り変わり、社会人で死を知って再び孤独でないことを知る。この描写を読者目線に変換すると、常に藤野の背中を見る、という意味でルックバックという意味を成立させている。
自分を罵倒する声が他人の絵から聞こえた、という下りは二人の微妙な関係に適切ではあるが、実は藤野の心象風景である「実は自分が殺したようなものだ(家から出さなければよかった)」とリンクしている。よってあの話はデウス・エクス・マキナ的な殺しではなく、実質藤野の心象風景が京本を殺したと解釈したほうがスムーズに読める。ちなみに京本の部屋から最後に出てきた4コマは、藤野が京本を助けるというものであった。つまりここで京本は彼女を救うという妄想が受け入れられており、自分を救ったのはむしろ京本であったという逆説的な心境に至って立ち直るのである。
※並行世界説を否定しているわけではなく、当作はどちらかといえばその読み方が自然にできるようにしている。ただし現実は入れ替わらないことから、そのままちぎったマンガが京本の部屋に入り、救助するマンガが今の藤野の元に降りてくる、という演出ではないかと個人的には感じている(※『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のオマージュだとしても)。最後の漫画は藤野がつるはしを背中に受けているマンガであり、彼女の代わりにつるはしを背負い続け、その重荷を目の前に飾っている。
マンガは極めて戯画的な分野であり、絵画ないし背景美術は(デフォルメも含んでいるが)写実の分野だ。現実性と写実性は漫画の重要なファクターであると同時に、写実が戯画を殺し、戯画が写実を陳腐化させることも往々にしてありえる。そしてこの関係は補完関係でありながらも潰し会う関係であり、二人の関係はまさに一つの漫画だった。そうして我々が彼女たちの背中を見る時に、マンガそのものをその背後に見るのである。
また、以上の事実から藤野が主役であり、京本が「背景」であるという関係性から京本が主役になりたいと切に願い、藤野の背中を追いかけていた経緯も明らかとなる。故に彼女の死後の部屋にはたくさんの藤野の連載作品が放置されている。
※京アニ解釈は他の方が遥かに詳しく、こちらが書く意味はないと判断してのこと。
※誤字指摘ありがとうございました。
※Background、良い解釈だと思いました。