はてなキーワード: ホモ・サピエンスとは
天才がそんなに偉いのかよ
天才なら何しても許されるってのかよ
なんなんだよ、天才、お前なんなんだよ
素手でゴリラと対峙したらテメェなんか紙くず同然なんだよボケ、わかってんのか?
全能感にちょっと能力が乗って勘違いしやがって、テメェは相も変わらず、他のボンクラ共と同様に
全く非力なホモ・サピエンスの一匹だってのによ、何を勘違いしてホクホク顔でメディアからブサイク面を全国に垂れ流してんだよ
テメェがしてることはオナニーだよ、ちょっとオナニーが上手くて囃し立てられてるからって調子に乗ってんじゃねーぞ?あ?
オナニー見せびらかして同じオナニーマスターに褒められて勘違いしちまったか?
テメェ見つけたら殺してやる
2017/02/05 下記書籍を適応読書した。読書時のメモを以下に記す。 姫野 友美,"心療内科に行く前に食事を変えなさい",青春出版社,2010. その心の不調は脳のエネルギー不足です 心の元気の素は脳にある 神経伝達物質 信号やりとり 信号の行き来が心の動きとなって感じる 神経伝達物質は日々のストレスによって消費される 強いストレスにさらされると 大量のノルアドレナリン 不快 和らげようとセロトニンが大量消費 通常なら使ったぶんだけ産生されるが 原料が足りないとセロトニンの産生が間に合わなくなる セロトニンが不足すると気分が落ち込んだり不安が強くなったり 心の不調 うつ 強迫神経症 などに発展 バッテリーが切れ、脳がダウンした状態 バッテリーは休むだけでは充電しない 心がマイナスバランスにならないためには、ストレスを減らすだけではなく、脳の神経伝達物質=バッテリーを増やさなければ 抗うつ薬を服用すると一時的にはよくなる 一時的には神経伝達物質が増える 抗うつ薬は基本的に脳内物質のリサイクル リサイクルは限界がある フレッシュなものでバッテリーを充電したほうが長持ち -- 充電に必要な原料 タンパク質 ビタミン ミネラルなどの栄養素 なぜか元気が出ない 何をやっても気分が晴れない 神経伝達物質の不足のサイン 脳の栄養不足 飽食の時代になぜ? 脳の栄養で重要なのはアミノ酸(タンパク質 脳の唯一のエネルギー源は糖分(ブドウ糖)だと思い込み、疲れると甘いものを口に入れる人がいますが、実は大間違い たしかに脳がエネルギーとして燃やすのはブドウ糖ですが、脳は基本的にタンパク質と脂質でできており、神経伝達物質もタンパク質が分解されてできるアミノ酸から合成される 合成過程で必要なのが、酵素 補酵素 補因子 酵素はアミノ酸 補酵素はビタミン 補因子はミネラル アミノ酸 ビタミン ミネラル類 現代の食生活で不足しがち 近年の野菜は昔に比べてかなり栄養価が減ってきている 品種改良の結果 栄養よりも見た目や味 香りなど優先 -- ブドウ糖をとっているにも関わらず、脳のエネルギーが不足するという不思議 頭がボー だるい 会議ですぐ眠くなる 集中力が続かなくてイライラ 脳に糖が足りなくてエネルギーが産生されていない状態 これが低血糖症 心療内科 精神症状 300人 糖負荷試験の結果 296人が低血糖症 糖負荷試験 75gのブドウ糖 飲む 30分ごとに5時間まで血糖値とインスリンの測定を行う血液検査 患者の食事 調査 糖質はとってる むしろ糖質に偏った食生活 健康な人の脳は、エネルギー源であるブドウ糖を安定して供給 安定して がポイント 血糖値は一定になるよう維持される ランチに糖質を多く摂ると血糖値は急激に上昇 下げようとインスリン分泌 血糖値 急降下 脳に糖分が行かなくなり 急激な眠気や集中力の低下 だるさ すると今度は脳が糖不足で緊急事態と判断 血糖値を上げようと脳内伝達物質のアドレナリン ノルアドレナリン分泌 イライラ 不安 抑うつ それを解消しようと甘いものが欲しくなるが、これは麻薬なようなもの 甘いものをとると一瞬セロトニンが増えるため幸せな気分になれますが、すぐ消費されるので持続しない 再びインスリン 低血糖 イライラ 繰り返し このように、糖質は一見 脳の栄養源に見えて、実はかえって脳を疲れさせる 通常は、糖をとったあと、血糖値が少し上がってからゆるやかに戻る 低血糖症の場合 ジェットコースターのようにアップダウン すなわち、糖質に偏った食生活で、脳へのブドウ糖供給が「不安定」になると、糖をとっているのに利用されないという不思議な現象 健康診断での血糖は正常値だったから大丈夫、とは言えない それは空腹時血糖 低血糖症に気づかない人が多い 現代人は知らず知らずのうちに多くの糖質をとっている -- 食べ方を変えただけで心の症状が消えた実証例 第48回日本心身医学会総会で発表 栄養療法 白米ではなく玄米 糖質の吸収を抑える食物繊維 キャベツの千切りを食前に食べる 糖質を減らし タンパク質を増やす 間食と清涼飲料水をやめる ストレスがたまっていると分かっていて、自己流のセルフケアで改善できないときは、気分転換をするためのエネルギーさえ足りないということ 必要なのは休息や適度な運動ではなく、栄養補給=バッテリーチャージ -- 新型うつ 非定型うつ 適応障害 うつ病では食欲低下 多く見られる 非定型うつ病 過食傾向 とくに甘いもの 炭水化物 あなたに足りない脳の栄養素をチェックしてみよう ストレスのせいだろうと片付けていた不調を、栄養という別の角度から見る 栄養不足なら、脳 心だけでなく、当然 身体にも悪影響 このチェックテストは実際に診察で実施しているものを簡易的にできるよう作成したもの 当てはまるチェック項目が多いほど、その栄養素不足から不調が起きていると予測できます 複数のタイプに当てはまるときは複合タイプで、かなりの栄養失調 タイプ 1 注意力散漫な「鉄不足タイプ」 2 やる気が出ない「ビタミンB群不足タイプ」 3 グルグル思考の「タンパク質不足タイプ」 4 イライラしやすい「カルシウム不足タイプ」 5 キレやすい「低血糖タイプ」 1 注意力散漫な「鉄不足タイプ」 次の質問項目のうち、あてはまるものにチェックをしましょう。いつも当てはまるもの以外に、ときどき起きるものもチェックします。 チェック項目 寝起きが悪い イライラしやすい、注意力の低下 シャンプーのとき髪が抜けやすい 食欲不振(胃腸障害) 神経過敏、ささないなことが気になる。敏感 湿疹や肌荒れ、あごのニキビに悩んでいる 牛肉をほとんど食べない、苦手 手足が冷えやすい、冷え症だ 動悸、息切れ 立ちくらみやめまいがする 俺該当 4 鉄不足といえば 貧血 顔色の悪さ 動悸 息切れ 身体的 心の症状 関係 生理の女性 すべて 危機 男性は鉄不足による不調はほとんどない 女性特有 睡眠覚醒 コラーゲン合成促進 2 やる気が出ない「ビタミンB群不足タイプ」 チェック項目 好きなことでもやる気が起きない アルコールをよく飲む 魚が嫌い、または苦手 記憶力の低下を感じる 寝ても疲れがとれない 口内炎、口角炎ができやすい リアクションが遅くなった、反応が鈍くなったと感じる 本や新聞を読んでも頭に入ってこない 肩こりがなかなか治らない 夜、ぐっすり寝た気がしない 俺該当 4 代謝を促進 三大栄養素をエネルギーとして活用できる形に変えるにはビタミンb群 不可欠 糖質過多 慢性的にビタミン不足 脳の神経伝達物質産生にも関わる 不足するとやる気や集中力の低下 b3 ナイアシン うつ病 統合失調症 原因にナイアシン不足? 睡眠リズム調整 b12 3 グルグル思考の「タンパク質不足タイプ」 チェック項目 肉や魚を食べていない 野菜中心の食生活 肌荒れが気になる、または肌の張りが落ちた 思考力が低下した 会議など、話の流れがわからなくなり、会話が成立しないことがある 同じことを何度も話していると指摘された 髪や爪が弱くなった ダイエットをしているのにやせない ときどきわけもなく不安になる クヨクヨすることが増えた 一つのことを片づけるのに以前より時間がかかるようになった 俺該当 2 ヘルシー志向 自己流 動物性タンパク質をとらないと 心身 崩壊 タンパク質は身体や神経伝達物質の原料 細胞膜 受容体も 受容体が無ければ神経と神経が繋がらない 論理的思考ができなくなる あたまの瞬発力 神経栄養因子 不足 頭の切り替えができなくなる 必要量を取らないと、自分のタンパク質=筋肉を分解して利用 4 イライラしやすい「カルシウム不足タイプ」 チェック項目 カッと頭に血がのぼりやすい 寝つきが悪い 常にイライラしている ささいなことが気になって落ち着かない 気分の変動が激しい 乳製品が苦手 大事故でもないのに骨折したことがある 足がつりやすい 飽きっぽくなった、持続力がなくなった 肩こりや腰痛が起こりやすい 痛みがやわらがない 血圧が高いと指摘された 俺該当 1 神経鎮静 不足すると瞬間湯沸かし器のように制御不能の怒りやすっぽさ 行列耐えられない 落ち着いて取り組めない 寝ている時にこむら返りで目がさめる人 筋肉過剰収縮 足がつってる 血行 日本人が一番不足しているミネラル 5 キレやすい「低血糖タイプ」 チェック項目 甘いものが食べたくてしょうがない おなかがすくと、イライラして集中力がなくなる ちょっとしたことで怒りが爆発することがある。キレやすい 光がまぶしく感じることがある 音がうるさく感じることがある 頭痛持ちだ ランチ後、1~2時間くらいすると眠くなって、やる気が出ない 急に気分が落ち込んだり、泣きたくなったりすることがある 徐々に体重が増えた 体がだるくて重い ときどき手や指がふるえることがある 俺該当 4 疲れたら甘いものを食べる人は要注意 低血糖症 食後 1〜2時間後 強い眠気 イライラ 集中力低下 気分落ち込み の人 食事内容思い出して 炭水化物 糖質に偏ってない? バランス良くても、ごはん大盛り 甘いデザートでも同じこと ストレスには甘いものと思い、チョコレートつまむと よけいに血糖値が乱高下 脳 心が疲れる イライラ 気分落ち込み 手の震え アドレナリンやノルアドレナリンの影響 低血糖症は抗うつ薬や抗不安薬では完治しない 糖質に偏った食べ方を変え、脳を元気にする栄養素を積極的に 当てはまる項目が多すぎてどのタイプかわからない人 男性ならビタミンb群 女性なら鉄分をまず補うべし 何故 男性 糖質 多い 傾向 糖質代謝のために常にビタミンb群を消費 アルコール 女性 生理 生理のある年代の女性は全員 鉄不足と言っても過言でない クリニックに来た女性の八割以上 鉄不足だった 生理でただでさえ男性の倍 消費 太りたくないからといってサラダばかり 鉄分補給を怠る 鉄は体内に吸収されにくい 肉類をたくさん食べる欧米の女性には鉄不足による貧血はほとんどない 日本人女性特有 弱点が分かれば対策もたてられる 脳の唯一のエネルギー源はブドウ糖、の間違い 脳という組織は筋肉のようにブドウ糖を蓄えられない 安定供給必要 でも脂質もエネルギー源として利用 さらにタンパク質 脂質からもブドウ糖がゆっくりつくられる 糖新生 肝臓 ことさら糖質をとらなくてもブドウ糖は脳に安定供給 人類進化の歴史 400万年前 最初の人類 1万年前に農耕開始 そして農耕が定着して4000年 399万年の間は人類はずっと狩猟採集 穀類を食べない 糖質制限食が当たり前 代謝のあり方 脳機能 生理行動パターンなどは、たかだか一万年ではそう簡単に変わらない その証拠 血糖値を下げるホルモンはインスリンのみ 上げるホルモンは多数 飢餓に耐えられるようになっている 人間の体は糖質をほとんどとらなくても生きていけるようにできている そこに大量の糖質が入ってくると、脳も体も大混乱 病気は当然 家庭でできるタイプ別食べ物食べ方 鉄不足 ヘム鉄 非ヘム鉄 ヘム鉄のほうが吸収されやすい 効率的 肉 魚 卵 乳製品 豆腐 納豆 ピロリ菌 萎縮性胃炎 ビタミンCと一緒なら吸収アップ 緑茶 コーヒー 紅茶のタンニン 鉄吸収阻害は、非ヘム鉄のときのみ ヘム鉄は平気 フィチン酸は両方とも阻害 鉄不足 体内の貯蔵使用 血液検査で貧血と診断されたときには手遅れ 体内に貯蔵鉄がどれぐらいあるか 血清フェリチンの検査 ビタミンb群 8種ある 全種類まとめてとること 互いに協力して働く 豚 大豆 玄米 かつお まぐろ レバー さば ばなな タンパク質 肉 魚 卵 乳製品 動物性タンパク質 大豆 大豆製品 植物性タンパク質 両方バランスよく カルシウム 牛乳 乳製品 低血糖 糖質も必要な栄養素だけれど 白米 白パン 砂糖を避けよう 精製された炭水化物 避けよう 白米ではなく玄米や雑穀ごはん 食パンではなくライ麦パンや全粒粉パン うどんやそうめんではなく十割そばやパスタ おすすめ 低GI食品 工夫で血糖値上昇を抑える 食物繊維を先に食べる 酢を使ったおかず おにぎりだけ、ラーメンだけ、うどんだけで食べない 砂糖以外の甘味料 メープルシロップ てんさい糖 オリゴ糖 ラカンエキス ステビア パルスイート 食後30分以内に運動 おやつ チーズ ナッツ 牛乳 豆乳 無糖ヨーグルト ゆで卵 するめ 小魚スナック サプリメント 基本は食事で 選び方 天然もの 疲れた心とからだにいいこと、驚きの新常識 今日の常識は明日の非常識 疲れたときには甘いもの、で疲労感は倍増 脳に糖分補給はいらない GABA入りチョコを食べても心は癒されない 折れない心は、心の持ち方ではなく、タンパク質でつくられる 肉抜きダイエットは心もスカスカにする 野菜だけ食べて健康なのは草食動物のみ ダイエットにはカロリー制限よりも糖質制限を 理想の食事バランス(PFCバランス)で糖尿病になる 和風ハンバーグはヘルシーじゃない ノンオイルドレッシングは実は体に悪い 「ケーキやシュークリームより和菓子なら平気」の非常識 会議の眠けざましに缶コーヒーは逆効果 コレステロールを食べても、血中コレステロールは上がらない コレステロールを下げると、かえってうつ病になる 「糖質オフ」は21世紀の常識である 「検査の数値が低いほうがいい」の大間違い コラム 人間の脳は肉食で進化した 脳容量が格段に拡大する時期は大きく三段階に分かれていた 1. アウストラロピテクス(猿人)→ホモ・ハビリスへの移行期{約250万年前} 400-500cc(チンパンジーと大差なし) => 650cc 肉食獣が食べ散らかした動物の骨を縦に割って、骨髄を食べていた 親指は骨髄をすくって食べるために発達したようだ 草食に適応したパラントロプスという種は絶滅 2. ホモ・ハビリス→ホモ・エレクトス(原人)への移行期{約150万年前} => 950cc 火の使用 脳容量の増大と増大後を維持にはブドウ糖の安定供給が必要 植物のでんぷんや食物繊維からほとんどブドウ糖を摂取することはできない しかし火で加熱すると、動物の持つ消化酵素で100%ブドウ糖に分解することが可能に 生のサツマイモ、焼き芋 火の使用が、効果的なブドウ糖摂取を可能にし、容量拡大を導いた 3. ホモ・エレクトス(原人)→ホモ・サピエンス(新人)への移行期{約15万年前} => 1350cc 現代人の1500ccにかなり近づいた 肉食をするようになった 高タンパク質の食料によって脳の発達を支えることができるようになり、大脳が急速に発達 人類が数々のストレスに打ち勝って進化してきた条件のひとつが「肉食」だった 我々現代人も、肉食が必要だと確信した 食事が変われば新しい自分に生まれ変わる 治療中に患者さんからよく聞かれるフレーズ 私は元の体に戻りますか? こう答える 病気になる前に戻るのではない。治療によって細胞が生まれ変わり、元の自分ではなく、新しい自分に生まれ変わる 細胞は日々生まれ変わっている 私たちの心身は食べ物からできている 栄養を見直すことで、ストレスへの耐性向上、新しい考え方、行動パターン、思考力 心だけでない 栄養療法のメリット すべすべプルプルの素肌になる 体系が変わる メタボリックシンドロームの改善 免疫力が高まる 心療内科の診療に栄養療法を併用メリット 治療にかかる時間が短縮 薬が少ない量で済む 長期間飲まずに済む 新鮮なセロトニン増加で 薬の副作用が起きにくくなる ストレスの受け止め方、心の持ち方を変える「認知療法」や「カウンセリング」も、脳の栄養状態が悪い人、脳のバッテリー不足の人にいくらやってもなかなか効果が上がらない 薬を増減するタイミングが明確になる 医師として、薬の減らし時は悩みの種だった 血液データから足りない栄養素を読み解けるようになると、予測が立つようになった なかなか改善しないときは、もう少し薬を増やしましょうではなく、この数値がいくつになれば薬を減らせるので、しっかり食べてがんばりましょうと言える 回復の兆し 曖昧→裏付けのあるデータ かんかい(症状がほとんどなくなった状態)や表面的な治癒ではなく、代謝を変えて、本当に体の中から根本的に治っていく 血液データが可能にする本当の予防医学 これまでの予防医学は異常値を見つけて早期に病気を発見する発見医学 心身の正常な機能に必要な栄養素が過不足なくあるかどうか血液データをチェックして、病気の前兆を見極める これこそ本当の予防医学 日本の未来は食にかかっている 以上
人間だけが化けて出られるの?それとも犬とか猫とかの人間以外の幽霊はいるの?
ここで返答は枝分かれする。
ホモ・サピエンスだけなの?それはホモ属だけってこと?それとも現世種であるホモ・サピエンスと遺伝的に同質じゃないとだめなの?
例えばホモ・サピエンスに限りなく近いけど少しだけゲノムに違いがある種が確実にちょっと前にいたはずなんだけどそいつらは幽霊になれるの?なれないとしたらその僅かなゲノムの差異が化けて出られるか出られないかの分かれ目っていう謎の話なの?
じゃあ現代人も個々人でゲノムの差異があるわけだけどその差異はどうなの?横方向のゲノムの差異は問題なしで縦方向のゲノムの差異だけ問題視するの?それとも「幽霊になれるゲノム」「なれないゲノム」があるの????
少しのゲノムの差異があるだけなら化けられるなら、どんどんその少しの差異をチンパンジーと枝分かれする700万年~600万年の共通祖先まで辿れるわけだけどどこの段階でどういう理由で「こっから先のゲノムは幽霊になれませーん」ってなるの?
ホモ属はオッケーでアウストラロピテクス属はだめなの?その属の分け方ってめっちゃ人間の主幹だしどっかでホモ属ともアウストラロピテクス属ともいえない種がいたはずだけどそいつは化けて出られるの?出られないとしたらその前後の遺伝子の変異を問題視するってことなの?どういう理由で?
チンパンジーから枝分かれした人類の祖先までは化けて出られるとしたらその「共通祖先と人類の祖先」とのゲノムの差異も最初はめちゃくちゃ少なかったはずだけどなんでそこで別れるの?その少ない差異が幽霊になれるかなれないかの分かれ目っていう馬鹿な話なの?その2種の差異はどう考えても人類の祖先と今のホモ・サピエンスの差異以上に少ないはずなんだけど?
もっと言うなら別にヒトの進化って一直線じゃなくて色々枝分かれしてるし同じ時代に生きてたりするんだけど、例えばネアンデルタール人とかフローレス人とかは幽霊になれるの?なれないの????
じゃあさ、例えば細菌の幽霊もいるの?お前の腸内でいまもバカスカ死んでる大腸菌も化けてでてくんの?それとも細菌ドメインや古細菌ドメインはだめで真核生物ドメインだけなの?じゃあ菌類とか植物の幽霊もいるの?ゴキブリの幽霊とかも?それとも猫や犬だけなの?それはどこで分けてんの?脊索動物門だけとか哺乳綱だけとかそういう話なの??脊髄の有無や乳房の有無で化けられるかどうか決めるの????
もしかしたら脳の有無って分け方?でも脳って進化の過程で細かく見てけば漸進的に作られてったはずだから「脳らしきもの」と「脳」との間があるはずだしこのふたつを分けてるのは人間の勝手な主観になるんだけどそこが分かれ目ってどういう理由なの???
それとも生命はすべて化けてでられるの?じゃあさウイルスはどうなの?ウイルスが生命じゃないってのはめっちゃ人間の主観的な分け方だからね?まさか細胞の有無で幽霊になれるかなれないかが決まるの?そんな生化学的な理由なの?なんで?
もっと言うならDNAとかRNAとかの自己複製子は幽霊になれないの?たんぱく質構造の有無とかいう生化学的な理由で幽霊になれるかなれないかが決まるの?んでさらに言うならDNAとかRNAを構成する各ヌクレオチドは幽霊に何でなれないの?ヌクレオチドの構成要素である糖とかリン酸とか塩基とかはどうなの?チミンの幽霊とかシトシンの幽霊とかいちゃだめなの?
人類は、ヒトに人権というものを認めてるわけだ。人権があるから簡単に殺しちゃいけないし、いじめちゃいけない。
一方で人類は動物にたいして厳しい。ウシやブタを殺して食べたりするし、熊がヒトに危害を加えたら裁判にもかけず殺してしまう。
野山や平原からサルやキリンなどをさらってきて、動物園で見世物にしてしまったりもする。
つまり人類はヒトに対してもろもろの権利を認めている一方、動物にはそれを認めていないわけだ。
さて、ヒトには認められている人権が、動物には認められない理由とはいったいなんだろうか?
そもそも人権とはいったい何物なのか、なぜヒトには人権というものが認められているのだろうか?
「ヒトはヒト(ホモ・サピエンス)であるがゆえに人権を有するのだ」などとトートロジーのようなことを言う者もいるだろうが、しかし私にはそうは思えなかった。
このサルは一見なんの変哲もないサルに見えるが、実は単なるサルではない。
人のように物を考えることができるとても賢いサルで、そのうえ、人の言葉を操ることができる「高知能サル」なのだ。この高知能サルはしっかりと自身の脳で物を考えて言葉を発するのであり、オウムのようなものではない。
このサルにはおよそ、ヒトの成人の平均程度の知能があると考えて欲しい。
はたして、この高知能サルを、通常のサルのように動物園などに閉じ込めてしまうことは許されるだろうか?
また、もし、この高知能サルが「私にもヒトのような権利を与えて欲しい!」と訴え出た場合、人類はこれを聞き入れるべきだろうか?
哲学的な話はともかく、私の個人的な感覚では、この高知能サルを動物のように扱うことは許されないと思った。
書 い て る 途 中 で 飽 き た
自然界において攻撃性は種を繁栄させるために非常に重要なものだ。
天敵となる生物を早めに衰退させ、餌となる生物を手当たり次第に狩っては脂肪としてエネルギーを蓄える。
これを行ってきた生物だけが自然界のヒエラルキーで上位に立つことが出来た。
逃げまわってばかりいたのでは何万と存在する他の生物たちに領地を追いやられてしまう。
外敵が住まないような場所に引きこもっていれば自分たちの種が滅びない事は可能かもしれないが、頂点に君臨することは出来ない。
我々の血にはたっぷりとその頃の習慣が残っている。
弱っているものは狩れ、軟弱な仲間は排除せよ、とにかく己が豊かになるためにこの世界を利用しろ、犠牲にしろ。
これは「生物界の頂点に立つような生物」であった人類が所得した本能として仕方のないものなのだ。
所詮、理性と呼ばれるものも、利己的な遺伝子が効率のよい繁殖を行うために作り上げた電気信号ネットワークの投影する虚像にすぎないのだから。
その虚像が生みの親の命令に逆らって、生まれ持った攻撃性を完全に抑えることができるようになる日はいつか来るのかもしれない。
だけどそれはまだ遠い話だ。
世の中の人間がやたらと人様の揚げ足を取って薄汚い笑みを浮かべたいそう幸せそうにしていても、それは仕方のない事なのだ。
凄く大切な他の要素もあるし、むしろそっちの要素のほうが大切だ。
なぜなら、ほとんどの人の生まれ持った知能は100前後だからだ。
つまり、どんなに生まれつき頭が良くたって、大きな差がつくことはほとんどない。
ほとんどの人がIQ100前後であって、一握りの例外を除けばそれはみんな同じだ。
なにが言いたいかというと、人はその8割近くがIQ90~110の間に入ってしまうわけで
「IQだけでパフォーマンスに差がつく」=「生まれつきの知能だけでパフォーマンスに差がつく」なんて場面はほとんどないはずだ。
生まれつきすごい能力を持っている人はいないわけではないが、人口の数パーセント、多くて十数パーセントだろう。
ネットを見るとそこかしこに高IQ人間が溢れている気がするが、本当はみんなだいたいIQ100前後だ。
ホモ・サピエンスとして生まれたからには生まれつきの知能はみんなだいたい同じだ。
犬や猫や鳥はたくさん種類があるから知能の差が大きいけど、人間は一種類(ホモ・サピエンス)しかいない。
大きく差がつくことは滅多にないはずだ。
じゃあなぜ「頭のいい人」はそこかしこにいるんだろうか。
どうして学校にはずばぬけて勉強ができるやつがいるんだろうか。
僕は、それは「勉強体力」の差だと思う。
勉強体力だと、差はすごく大きくつく。僕は集中力がないから、2時間も不休で勉強するとヘトヘトになる。
ものすごく勉強体力のある人だと、5時間でも6時間でも苦にならないって人もいる。
そうすると、やっぱりパフォーマンスに大きな差が出る。
なかには、数学とか理科が大好きで、勉強そのものが苦にならずに暇があれば教科書を読んでいる人もいるかもしれない。
僕はIQは117だったけど、勉強体力はない。1時間勉強するのも苦痛でしょうがない。
逆に、5時間も6時間も勉強できる人は自分の頭の良さを誇っていいと思う。
そういう人は、僕の2~3倍は頭が良いから。
拝見した。
特定の何人かについて
特に目障りと感じているように見受けた。
日頃からちょいちょい接してくるのでしょうか?
同じクラス、同じ教室の人間がイラってなるケースは、あり得る。
こちらがイラっとなる行動をいちいち取ってくる輩に取り囲まれるケースも、ある。
こういう環境になっちゃうのは正直仕方がないです。とりあえず納得しておく。
が、わたしの経験上、数百人も人間がいるならそのうち数人とは波長があう可能性は十分ある。
楽観はできないが絶望するほどでもない。ある程度の希望は持っていてよい。
・・・きっと、似たようなアドバイスを色んな人から受けたと思う。
色んな人間がいるとか、そのうち仲良しが見つかるとかなんとか。
もちろん、そういう人は確実に実在するのだが、
見つけようと思ってすぐさま見つかるもんでもないし、
クソみたいな人間の存在感に囚われすぎて面白い奴を見逃しているケースもある。
アホどもにいちいちイラってなってる自分自身がちょっとばかっぽくて面白くある。力を抜いていく。
けっきょくのところ、人付き合いの要諦は相性のよしあしだ。
ノリが合わない人間相手にどう工夫しようが、なにも楽しくはない。無理に合わせる必要もない。
相手の顔をある程度立てつつ、やんわり拒否る方向に持っていけばよい。
トイレに一人で行けるようなやりかたも工夫次第で編み出すことが可能だ。
(相手の顔を立ててやらないと色々面倒な事態に発展するので気をつける)
あと、誰だって他人は恋しいです。キライな奴でもまあ、いいかな……となるのもわかる。
あなたの感情は正しい。心配しなくてもよい。ホモ・サピエンスはそういう構造になっているんでね。
なので、いやじゃない輩、気の合う友達を見つけていくような立ち回りで
日々を生きるといい。かもしれない。
どうしても周りが許容できないならいっそ視点を替えて、
自分と異なる価値観で生きてる人間に接する機会がほぼ無くなるので、
「人の連絡先すぐ聞く出会い厨」や「深く入り込んでくるやつ」の行動様式を
深く観察することが出来ないんす。
もはやこの歳になるとそういう奴ら、頭で想像するしかねえんだもん。
……まあ当事者たる貴方からすれば知るかボケって思うかもしれんが、
後から経験したいと思っても決して叶わない状況にいるというのは、知っておいて損はないと思う。
気に入らん奴のどこが具体的に気に入らないのか、
じっくり観察して文章に起こすのもよい手法です。
今回、日記を書いたことでほんの少しだけ気がラクになったと思う。
論理的に整理してきっちり書いたらもっともっとラクになるので、是非試してください。
※
クソなやつはクソですが、見下しすぎると身体に毒です。
一つ他人をばかにするたびに、一つ自分がうぬぼれる。要注意。
需要供給曲線の中で、「自分」という存在に需要が無ければ「給料」という供給は存在しないだろう。
誰もが求められ、そして誰かを求めて、生きている。
コンビニの店員がいなければ困るだろうし、怪我をした時に夜間の当直医がいなければもっと困る。
農家がいなければスーパーに野菜は並ばないし、運転手がいなければ電車は動かない。
世の中ってそういうものだと思うし、そうあるべきだとも思う。
そして誰もが誰かに求められて、誰かのために働いている中で、それでも休日というものが存在するのは、”休日がなければいつまでも供給できない”というコンセンサスがあるからだろう。
そういうことをぼんやり考えていると、ふと1つの疑問に辿り着く。
もっと言ってしまえば「それは本当に自分なのだろうか?」という疑問かもしれない。
コンビニバイトも、夜間の当直医も、農家も運転手も、あるボーダーをパスすれば自動的にキャリアアップされるこの世の中で、職業に密着したアイデンティティというものはなかなか希薄である。
「私が死んでも代わりはいるもの」……とは某ヒロインの言だが、実際、ほぼ全ての職業に対して代わりは用意されている。
勿論、それは非常に死にやすい1匹のホモ・サピエンスに掛け替えの無い仕事を任せるのは非常にリスキーだから、どうしようもなく、必然的に辿り着いた結果なのだが。
そういう疑問に(無意識下かもしれないが)辿り着くから、人は帰るべき場所=どこまでいっても自分を求めてくれる場所を求める。
しかし悲しいかな、それは自動的に、簡単に与えられる類のものではない。
人は、雄と雌は、簡単に恋に落ちる。
「1億人から君を見つけた」だとか「100年の恋」だとか言うけれど、実はそんなに大それたもんじゃない。
ある人が繁殖適齢期に出会う、繁殖適齢期の異性の数なんてたかが知れてる。
精々数百人、だろう。
そんな少ない中で人は何人にも恋をする。
色んな人を好きになり、色んな人とセックスをし、生きていく。
100年の愛を誓って結婚したとしても、意外と簡単に離婚して、また生きていく。
恋愛ですら、将来的には家庭ですら、その個人にとってオンリーワンなものではないのだ。
しかし、それは恐怖だ。
旧来の価値観では帰るべき場所になりうるはずの家庭ですら、絶対的なものではないというのは、アイデンティティを揺らがす恐怖だ。
果たして自分は、ここにいる自分は、誰かの代替品としてでなく、死ぬまで誰かに必要とされる人間で有りうるのだろうか。
それとも、ちっぽけだが美しいこの惑星に70億匹もしがみついて生きているこのホモ・サピエンスという種族は、そもそもどの個体をとっても代替可能な個体なのだろうか。
"ホモ・サピエンスがまだその存在に適応していないが、人類の活動によって増えた物質"
ってところなんじゃないか
それを変に煽る人がいるので面倒な概念だとは思う
植物が陸にあがって酸素生産しまくったとき、酸素ブームについていけなかった生物は死滅したんだよねたしか
物質を人間の視点で変な意味で化学物質などというのはオカルトを入り込ませる隙間になるので好かない
進化の歴史に匹敵するほど昔からある物質には、ホモ・サピエンスはある程度対応してるわけで
分解できたり、排出できたりする
なんで適応してるかっていうと、地球に人類が生まれた昔からあったから
イヌとかネコとかたまねぎ食えないのに、人類がなんでたまねぎ食えるように進化したのか謎だ
(環境を急激に変化させているのか、または変化することの是非の議論は抜きにして)
「ホモ・サピエンス」と名乗ろうとしないのは何故なのか
この世界の物理的・論理的法則の中で、「自由意思」があると仮定する
つまり、自らの意思による行いによって、将来の事を思うように制御する事だ
制御という言葉を用いれるほど、正確な操作が出来るかどうかは別問題であるとして
これを人まず「人間」の根幹に置くとする
知恵の実である
少し話を進めてみる
「自由意志」を持つという事
それはすなわち、「自分は他者とは違い、他者は自分と違う」という事である
自由な意思を持つ限り、自分は他者の思い通りにならないし、他者は自分の思い通りにならない
「自ら考え、よって自ら行動する」事、つまり「自立」である
もう少し話を進めてみる
ある個人を守る為に、他の個人が集まる
他者を守る為に社会を作り奉仕すれば、自らもその社会を通して他者から助力を得られる
「巨大なリスクを回避する為に、全体に助力する」事、つまり「奉仕」である
では、少し掘り下げて粗探しをする
果たしてこれは、自ら廃棄できるのであろうか
違うと思う
「自由意志を持つ」と「自由意志を持たない」を選択出来ている時点で、自由意志を捨てることが出来ていない
そもそも「自由意志」とは「自分の意思で自分の行いを選び、思うように自分の状態を決定しようとする意思」だ
見た目での程度の差はあれ、自由意志はなくならないのではないか
言葉遊びであるが、「他者から命じられた事」に「従っている」という「選択」をしている時点で自由意志であるように思える
自由意志がなければ他者と全く同様に考え、同様に行動するはずである、選択の余地もない
そして、もしそうであるばそれは「自分」ではなく、「操作できる身体が二つある他者」に過ぎない
すべての動物はその手段によらず、自立している
1個体だけの種でない限り、個々体は全体へ、全体は個々体に、多かれ少なかれ奉仕をしている
なので、自立も奉仕も人間だけのものではなく、動物が必然的に帯びている性質ということになる
私は、これ以上に人間だけが備えている特別なものを見出す事が出来ない
タイトルに戻ろう
結局は、手段とそれを判断する者の物差しに過ぎないのではないか
言葉遊びで、奉仕と依存をすり替えた所で、自由意志がなくなることはない
また、真の意味で何も選択していないのだとするならば
それは「他者」であるか「動物」でない、つまり死んでいる=生きていないという事である
結論
http://anond.hatelabo.jp/20100921230047
一般的にいえば、ホモサピエンスのオス・オスの性的結合は、オス・オスが一対一で結合する一夫一夫制を基本としており、この形をとる個体がほとんどである。
しかし、ホモ・サピエンスのホモには多くのオスと交尾したいという欲求を表す傾向があり、またホモサピエンスの社会は基本的にホモ優位であるため、
ホモの性的欲求に対してはノンケのそれよりかなりの程度寛大である傾向がある。それにもかかわらず、ホモ・サピエンスの社会において一夫一夫制が主流なのは、
第一にホモ・サピエンスの全個体数におけるオスオスの比はほぼ完全な1対1であること。第二にホモ・サピエンスのホモは現存する近縁種のホモに比べてかなり積極的に発展に参加し、
その資源コストの多くを負担する傾向があるため、ホモの利用できる資源が少ない場合に一夫一夫でなく一夫多夫をとれば、射精のコストをまかないきれず共倒れになる危険があるからである
参考
いい感じに大風呂敷を広げて、気持ちよくなってるとこにごめんね。
べつにホモ・サピエンス・サピエンスやホモ・サピエンスまで進化しなくても、子供の成育に非常に時間がかかる種はいるぞ。
メスだけでは子孫を育てることが困難になってきた。
少なくとも日本には夜這いというシステム(嫌だけど)があったし、パートナーでなく部落単位での子育てという地域もある。
「パートナーと子育て」っていう概念は、むしろキリスト教とか西洋的なモンだよ。
村落や長屋全体で育てるという意識のあった地域は例外なのかい?
2 その後、そのメスが他のオスと生殖しないようにする
DNAには刻み込まれてないだろう…。
少なくとも、他のオスの子を自分が育てるのは嫌だという意思なら、それは社会制度であって、DNAが関与する業ではない。
むしろ浮気するという事実が、パートナーを一人に絞らないで子孫を残そうとする、DNAに刻み込まれた本能だろう。
理由は判らないがキミが「集団」を均一な1個体と見做していることだけは理解した。勿論その認識は間違いだが。
「日本人」は定義できなくもない。「日本国籍を有する人」だ。生まれ育ちがどこであれ日本国籍なら全員日本人。明快だね。
この定義で言えば「滞在している外国人」はあっても「ヨソモノが日本人に混ざる」ようなことはない。日本国籍を取得した時点で「日本人」の枠内だからだ。
翻って「日本人種」というものは定義できない。ホモ・サピエンス・サピンスは1属1種であり所謂「人種」間にも種としての差異はない。無論遺伝子レベルでの差というのはなにがしか存在するだろうけれど、当然それらに明確な線引きなどないから、それら特徴に基づく区分は常に恣意的なものに過ぎない。場合によっては君も私も「日本人種」の範疇にないかも知れないね。
んー。
言いたいことはわかるけど、子供の性質に対する考えがちょっと甘いと思う。
「自分とは異なる性質の人を排除する」ってのは、そう教育されて初めてそーすること。
いや、だからさ。遺伝子ってのは多様性を求めているわけよ。
外部条件が変わったときに種が全滅しちゃわないように。
種としては「誰かが生き残れば」いいわけで、全員が生き残る必要も特定の誰かが生き残る必要もないわけ。
ぶっちゃけ人間の遺伝子を持った誰かが生き延びていけば、ホモ・サピエンスってのは続くわけ。
だから、子供の本能に「自分と違うものを排除する」なんて項目はないんだよ。
んなことしてたら、せっかくの多様性が意味のないものになっちゃうだろ?
見慣れないものを見れば「なにあれ?」って聞くし。
見かけないものを見かけたら「変なのー」って言う。
でも、そこに「排除」って気持ちはないわけよ。
単純に「見たことないけど何?」なわけ。
そこを教える大人がさ。
「あまり多くはないけど、フツーにあるものだよ」って言えば、それで子供は納得するんだよ。
「いじめはかこわるい」ってのは、誰でも知ってると思うよ。
だって、いじめって陰でこそこそやってるだろ、フツー。
大勢の人が見ている中で堂々とやってるいじめって、そうそうないだろ?
いじめっ子はフツー「誰にも言うなよ」とか「先生に言うなよ」とか言うよなあ?
心に問題を抱えていじめに走るような子にとって必要なのは、それやったらはじかれるではなくて、それでも君を受け入れるから、君も他人を受け入れるよう努力しなさい、じゃないの?
長いので、興味ない人は1行くらいでスルーしてください。
「疎外論」批判というのが一部でちょっと盛り上がっていたみたいですが。
なぜ「疎外論」という発想が生まれたのかと言えば、それはたぶん、他人を説得する時にそういう方法しか思いつかなかったからじゃないかと思います。「本来の人間の姿」と「本来的じゃない現在の人間の姿」とを対比させて、その差異を見せ付けることで「ほら、現在はこのような問題があるんだから」と問題のありかを指し示すというのは、他人に自分の意見を示す上でも非常にわかりやすくなりますし。
じゃあ逆に、疎外論抜きで「私は社会に対してこのような問題意識を持っている」ことを指し示すとしたら、どうなるでしょうか。
「見ろ、このような社会のあり方は問題だ」
「なんで? 人間の生活はあるようにある、ただそれだけじゃん」
「なんでだよ、こんな社会のあり方は人間にとって生き難いだろうに」
「生き難いって、何と比べて言ってるのよ」
「そりゃあもちろん……いけね、“あるべき仮想的な理念像”はここでは使えないんだっけ。えーっと、それじゃあ社会の上層のあの人や中層のあの人と比べてだね」
「おいおい、そうやって万人を万人といちいち一対一マッチングさせる気か。地球シミュレータをフル回転させても無理だと思うぞ」
「いやだから、技術的な問題じゃなくて社会構築の原理的な問題をだね」
「そうやってすぐ空想的な原理原則を持ち出す、君は本当にどうしようもないほど形而上的だな」
「うがー。目の前で死にかかっているこんなに人がいるのに放っておく気か」
「その人を手当てすりゃいいじゃん」
……話はどこまでも噛み合わないまま終わりそうですが。
「あるべき理想的な人間像」とか「あるべき理想的な社会像」の提示(による疎外論の提唱)をどこまでも徹底的に否定していくと、実は現行の国家や行政機構の役割が限りなくゼロに近づいていったりするんですな。
例えば教育。そもそも公教育制度って、政治や社会活動(経済活動を含む)に参加する上で必要最低限の知識を万人に保証するために行うものですから、教育の意義そのものが「あるべき“教育された国民像”」と「教育されていない国民像」との差分に基づいて、まさに疎外論的に「あるべき理想像を国民に保証する」ことにあるわけです。
だから、指を折って数えられる以上の数字を知らなかったり漢数字以外の漢字が読めない国民がいたって、それを「あるべき“教育された国民像”から疎外された、非本来的な国民のあり方」と捉えることは出来ないのです。そもそも「“教育された人間”の本来的な姿」が棄却されているわけですから。その人については、それはそういうものとして「まあそんな人もいるよね」と受け取っておくしかありません。学力比較がしたければ、無理に一般的な学力基準を作らなくたって、めいめいが勝手に「あいつ俺より頭よさそうだなー」「奴は俺よりバカだ」とかって思っておけばいいんです。
警察組織も必要なくなりますよね。別に治安がいいことをもって「社会の本来的なあるべき姿」とする必要は無いんですから、もし199X年に地球が核の炎に包まれた後のような暴力の時代が到来しても、またそこで弱者を救う世紀末救世主みたいなのが出現しなくても、「これは人間が生きていく本来の社会のあり方じゃない」と嘆くことは出来ないのです。それはそういうものなのですから。
他にも、現状を維持したり向上させたりする政策を立案・実施するためには、そもそもの発想の根源に、現状がそのまま維持された延長線上に想定される未来像や現状から何らかの意味で改善された未来像が、「本来そうあるべき像」として時系列的未来に投影されていなければなりません。もしそうしなければ、「本来あるべき未来」と、「現在」ないしは「メンテナンスを何も行わないという条件下で現在からの延長線上に出現しうる未来」との差分を検出することが、まったく不可能になってしまうからです。比較対照としての「あるべき像」が無いのに何と比較しろってのさ。
だから、さっきの199X年に、ミスミじいさんが種モミを必死に抱え込んで「明日がー明日がー」と叫んでいるところに割り込んで、明日の収穫のためではなく今日の俺の腹の足しのために種モミを食ってしまっても、何の問題もありません。そもそも比較すべき「明日=あるべき社会像」が存在しないんですから。「明日の収穫」なんてものは、勝手に「本来あるべき社会像」を未来に投影してこしらえた幻影なのです。その幻影と現在とを比較して「人間は本来的にあるべき“明日の収穫”から疎外されている」などというのは形而上学もいいとこです。厳然として存在するのは、目の前の「種モミ」だけなんですから。これがやがて稲穂の波へと弁証法的に発展していくなんてまだ見ぬ未来を夢想するのはヘーゲルやマルクスの読みすぎというものです。さあ、種モミなんて食ってしまいましょう。え、将来の人間が飢えてしまう? 何言ってるんですか、将来の人間なんてここにはいないじゃないですか。いたら今すぐここに連れてきて「飢えた人の発生」を実証してくださいよ。だいたい飢えたところでせいぜい死んで人口がちょっとばかり減るだけですから、むしろ上手い具合に人口の調節が図れていいんじゃないですか。それとも何ですか、まさかあなた、年がら年中腕に止まった蚊を叩き潰したり肉を食ったりして他の生物をどんどん殺しているくせに、ホモ・サピエンスは他の生物種とは異なって神に祝福された特別な存在だから常に生き残る価値があるだなんて、今のご時世に信じていたりするんですか?
いやー、しっかしそう考えると、なんでよど号ハイジャック犯が『あしたのジョー』を引き合いに出したのかがよく判るなー。あれってきっと、連中にとっては「擬人化された疎外論」だったんですよ。ほら、「あしたのために」とか「泪橋を逆に渡る」とか、本来性の掛け声がビシバシ響いてるじゃないですか。ジョーの本来あるべき姿って、段平オヤジにとっては「ボクシングのチャンピオン」、ジョー自身にとっては「憎いあんちくしょうをリング上で叩きのめしている自分」なのであって、そうじゃない現状のジョーはあるべき理想的ジョー像から「疎外」されているわけですよ。だからこそ段平はあるべき姿の「あした」を目指して、「あしたのために その1・フォイエルバッハテーゼ」「あしたのために その2・資本論」「あしたのために その3・共産党宣言」とかってのをせっせと書き綴るし、ジョーはジョーで欠かさずトレーニングして「内臓をえぐるように(カラシニコフを)撃つべし!撃つべし!」なんてやってるし。こんなふうに「あるべき姿」を必死に目指したって碌なことにならないのは、「ジョーをバンタム級のリングの上でぶちのめす自分」を「あるべき自己像」に据えて、「だめだ、この体重では俺はバンタム級のリングから疎外されたままだ」とばかりにむちゃくちゃな減量を行った力石徹が、自らの死をもって示しているのにねえ。
だから、庵野監督も大月Pも角川の偉い人も、エヴァンゲリオンをテレビ版の最終回でさっさと終わらせておけば、「僕はここにいてもいいんだ」→「おめでとう」パチパチパチで「そのままの姿でここにいる自分の全肯定」として話がきれいに収まったんですよ。それをよしゃあいいのに、劇場版(97年の)なんか作って「あるべきコミュニケーションのあり方」に話を膨らませちゃったりするから、「あれ、本当はこんなコミュニケーションのあり方はいけないんじゃないかな? 本来のコミュニケーションのあり方ってどんなのかな? 今の僕たちは本来のコミュニケーションのあり方から疎外されてるんじゃないかな?」みたいな方向に考えを向かせる契機を作っちゃうわけで。もう「そのままの自分まるごと全肯定」でいいじゃん。マルクス先生が「宗教はアヘンだ」って言ってるってことは、マルクスが失効した時代には文化的アヘンで疎外感を麻痺させて心の安寧を得ることもOKってわけですよ。アヘン超OK、全能感超OK!(ちょっと古いか。)
なに、そんなのはまやかしだって? おいおい、「現実」に目を見開いて「本来のあり方から疎外されたこの社会を何とかしなくっちゃ」なんて操作主義的な観点に目覚めた人がこれ以上増えたら、一億総ポルポト化ですよ。日本全国隅から隅まで「ドキッ!ポルポトだらけの粛清大会 ──(頭蓋骨)ゴロリもあるよ!」になっちゃいますよー。
ポルポトや文化大革命を呼び込みたくなければ、そんな疎外論チックな発想はさっさと捨てちゃって、身の回りの小さなことに幸せを見つけていきましょう。そうすればほら、きっと水さんだってきれいな結晶を作ってあなたの心の美しさを祝福してくれますよ。おっと、非科学的だなんてツッコミは無しですよ。「科学的に正しい世界観を持った国民」というのだってやっぱり“本来的なあるべき像”なんですから、そんなものを持ち出したら途端に「君の世界観はあるべき科学的世界観から“疎外”されている、再教育しなければ!」なんてことになってポルポト化ですよー。
……結局のところ、何かしら広義の「啓蒙」的なこと、つまり人々の精神や知的要素が無知蒙昧の「闇」に閉ざされているところへ「光」をもたらそうという時系列的進歩の考え方は、どうしても「光」の比較対照物として「闇」を必要とするし、また「闇」の比較対照物として「光」を必要とします。社会のよりよき状態を想定するところでは、その対照物として「よりよくない現在=闇」が、「光から疎外された状態」として持ち出されますし、現状を批判する場合には、それの比較対照物として仮定された「よりよき未来=光」が、一種のイデアとして持ち出されるわけです。「啓蒙」と「疎外」は、そういう意味でコインの裏表のように、切っても切り離せない関係にあります。
「疎外論」を完全に回避しようとすれば、結局のところはよりよき方向への変化という考えを完全に捨てて、「あるべき姿など無い、世はただあるがままにある」という考えに徹するしかないのでしょう。税制改正の提言は「よりよき税制度から人々が疎外されている」という現状認識の現われだし、著作権を巡る議論は「よりよき(ry」だし、そういうのを全部回避するとしたらもう、時系列的に制度などが変化した部分については「ああそう、変わったのね、まあそんなもんでしょ」、変化しない部分については「ああそう、変わらないのね、まあそんなもんでしょ」と等閑視するくらいしか手はなくなります。スピノザあたりがそんなことを言っていたような気がしますが。ニーチェの運命愛もちょっと似てるかも。
……でもこれって、
「“人はあるべき姿から疎外されている”なんてことを考えて現実を直視しようとしない連中の世界観は、人が本来的に持つべき物の見方から疎外されている!」
という主張にはならないのかな? それとも、「“あるべき姿”の主張がマルクスの論点に基づいていればそれは疎外論でありポルポトだが、マルクスに基づいていなければ疎外論やポルポトではない」という前提でもあるのかな。もしそうだとしたら、悪の大魔王マルクスの「悪のカリスマ」性の長命ぶりには驚くべきものがありますな。それとも、冷戦終結によって魔王バラモス(=マルクス)が死んだと思ったら、その背後で真の黒幕である大魔王ゾーマ(=真・マルクス)はしっかり生きていたという、ドラクエ3型のオチなのかしら。早乙女のジジイ!
例えば、
「やい臨獣殿! “強い者が世界を統べることこそ本来の姿、その本来の姿から疎外されたこの世界を変えてやる”なんて言って人々を苦しめるなんて、このゾワゾワのポロポロ野郎!」
「なーに言ってるのよ、あんたたちこそ“本来の獣拳は正義の拳、いまはそこから疎外されている状態だから臨獣殿を倒してあるべき姿に戻す”なんて言って、力ずくで正義を押し通すポルポトじゃないの。文句があるなら実力であたしたちをねじ伏せてみなさい、このカクシターズ!」
とか、
「おばあちゃんが言っていた、俺は天の道を往き総てを司るってな」
「天の道という“本来あるべき道”のイデアを前提して、万人をそこから疎外された者として見下すとは、君も愚かな男だな。社会においてもっとも重要なこと、それはパーフェクトハーモニー……完全調和だ」
「そう言いながら俺をつけ狙うのも、おまえの言う中和だか調和だかのうちか」
「ライダーは二人も要らない」
「一人のライダーに率いられた組織の完全調和……そこからはみ出した俺は疎外された存在ということか。おばあちゃん、いやポルポトは言っていた、そういう存在は完全調和のイデア世界には不要だとな」
「貴様、俺を疎外論者に仕立て上げるつもりか……だが俺は貴様を倒す。そうしなければ、俺が俺でなくなってしまう!」
「やはり“本来の俺”か……おまえは天の道を外れた」
「!……待ってくれザビーゼクター、戻れ、戻れ……戻れぇーーーー!」
(半年後)
とか。
自らを高貴なるものと位置づけ表明するセンスに
違和感を覚える。
高貴な原子
高貴な分子
高貴なアミノ酸
高貴なタンパク質
高貴な精子
高貴な卵子
高貴な受精卵
高貴な胎児
高貴な赤ちゃん
人類は平等である。そこに等差を生じさせるのは
家柄や財産によるのではなく、
ただ徳によるのである。