自然界において攻撃性は種を繁栄させるために非常に重要なものだ。
天敵となる生物を早めに衰退させ、餌となる生物を手当たり次第に狩っては脂肪としてエネルギーを蓄える。
これを行ってきた生物だけが自然界のヒエラルキーで上位に立つことが出来た。
逃げまわってばかりいたのでは何万と存在する他の生物たちに領地を追いやられてしまう。
外敵が住まないような場所に引きこもっていれば自分たちの種が滅びない事は可能かもしれないが、頂点に君臨することは出来ない。
我々の血にはたっぷりとその頃の習慣が残っている。
弱っているものは狩れ、軟弱な仲間は排除せよ、とにかく己が豊かになるためにこの世界を利用しろ、犠牲にしろ。
これは「生物界の頂点に立つような生物」であった人類が所得した本能として仕方のないものなのだ。
所詮、理性と呼ばれるものも、利己的な遺伝子が効率のよい繁殖を行うために作り上げた電気信号ネットワークの投影する虚像にすぎないのだから。
その虚像が生みの親の命令に逆らって、生まれ持った攻撃性を完全に抑えることができるようになる日はいつか来るのかもしれない。
だけどそれはまだ遠い話だ。
世の中の人間がやたらと人様の揚げ足を取って薄汚い笑みを浮かべたいそう幸せそうにしていても、それは仕方のない事なのだ。