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2020-08-02

日本マンガに一番多く登場した外国人

主要キャラクターとして登場、またヒトコマだけ登場したのとかも含めると、やはりヒトラーとなるのかな

チョビヒゲの小男を描けばそれとわかるし、誰でも知っているし、時代背景をあらわすのに使いやすいし、なによりキャラクターが立ちすぎている

その次はマリリン・モンローだろうか

豊満で色っぽいキャラの口元にホクロをつければOK

お色気のアイコンとして今まであり続けてきたし、彼女を超える存在も現れていないのでこれからも使われるだろう

たぶんこの二人が双璧ではと思うんだが、その次はというとこれがあまりよさそうな候補がいない

チャーチルガンジーマンガで見かけることは少ない

ミュージシャンではジョン・レノンだろうけど、それほどマンガで見かけることがない

存命当時はすごかったのだろうか

マイケル・ジャクソン黒人としてうまく描くのは難しい

俳優ではまずオードリー・ヘプバーンが思いついたが彼女の魅力を絵であらわすのはなかなか難しそうだ

そう考えるとターミネーターシュワルツェネッガーは、マッチョサングラスをかければ記号として十分成立している

これからの展開次第ではドナルド・トランプも有力かもしれない

そんなことをhttps://anond.hatelabo.jp/20200731111310を読みながら考えていた

2020-05-03

音楽家芸術家舞台やってる人もアーティストとかあと左向きなの坂本龍一ジョン・レノン的な活動家とか

そういうもんは為政者ガス抜きのために殺さず生かしてやってるだけで

有事邪魔になってきたら殺して根絶やしにしようとするに決まってるじゃん

中世だぞ?

ほんとに困っててどうにかしたいなら、おまえらアートの力とやらで大衆を突き動かして数千億出せる太いスポンサー抱えて国の形を変える動きをしてみろよ

せいぜい仲間割れ関の山だろ

いつも好き勝手に遊んで大衆を見下してる連中が食い詰めて泣き叫んでる程度にしか見えないんだよ

キリギリスどもが!

2020-01-27

今の方がマシかもと思えるメソッド

平安時代を思い浮かべてみます

2000円札の絵柄にもなった紫式部のような人が思い浮かびましたか

では、日常生活を思い浮かべてみます

歯を磨きたくなりました。

そもそも何で磨くのか?

恐ろしいですね。

うんちがしたくなりました。

そもそもどんなトイレなのか?

恐ろしいですね。

肛門が切れました。

ボラギノールはありません。

切れっぱなしです。

恐ろしいですね。

風呂に入りたくなりました。

そもそもどんな風呂なのか?

ていうか、どのくらいの頻度入るのか?

臭そうです。

恐ろしいですね。


どないどす?

今の方が自分の方が少しマシだと思たんと違います

ジョン・レノン先輩はイマジンで「想像してごらん天国なんてないんだ」と言わはりました。

でも、令和の日本人的には一も二もなく風呂トイレ想像してしまますね。

ないわーウォシュレットない世界ないわー

ないわーボラギノールない世界ないわー

ケツが大事にされない世界ないわー

切れっぱなしやないか!!

なりますよね。

せい!せい!エビデセイ

ケツソングいくぜ!

せい!せい!せい!

ケツ痛くて悲しくてこらえた夜

血が出ててるぜ血が出てるぜ

ケツが切れてるーー!

ピーピーピーピーピーピーピー

痔主にはやり切れないですね。

生きていける気がしませんね。

それじゃあバイバイ益田でしたぁ。

え……えきだちゃうわ。

2019-12-27

愛、ができない

タレントりゅうちぇるが、不登校の子に「もっと素の自分を愛してほしい」とアドバイスしていた。

ありのまま自分もっと尊重してほしい、というような事だろうとは思う。ニュアンスはわかる。つもりだ。

歯切れが悪いもの言いになるのは、この手の場面でよく出てくる「愛」という感覚が、私にはよくわからいからだ。

愛するという行為の実感に乏しいのだ。

私は既婚者だ。大恋愛の果て、とは言わないが普通に相手を好きになり一緒に生活するのが楽しいので特に波乱もなく結婚した。愛してると口走った事もあるだろうが、告白してしまえば、それは「好き」を言い換えただけのものであった。

私は、多分、愛する、の実感を知らない。

幼少期、両親は共働きで、放っておかれがちではあったが、ネグレクトのような事もなく、ただあまりかまっては貰えなかったという程度である。だからまり、愛される事は知っているのだと思う。

ときどき、ではあるが、自分は心の在り様に問題があるのではないかと思う事がある。愛する、ができない。

ジョン・レノンLOVE&PEACEと言った。なぜ愛と平和を並べるのだ。「平和」だけではだめなのか。たぶん、だめなのだろう。

音楽家はみな愛を称える。RADWINPSが「愛にできることはまだあるかい?」と歌っていた。いい歌だと思った。

でも、私はこれを歌えない。私には愛をもってして誰かに何かできることがないからだ。何もないからだ。

頭でっかちの私は、りゅうちぇる言葉を「こういう意味なのだろう」と勝手に読み替えて納得している。だが、

それは本当に本人の意図に沿っているのだろうか。

私が「愛」というものを実感したことがないから分からないだけで、世の中の大半の人は、ああ、あの感覚ね、というように、発言どおりに「理解」できているというような事はないのだろうか。

時に、冴え冴えとした闇に掴まれるような心もちになる。

2019-12-20

歌詞の歌い出し

小説の書き出しを愛でる、という趣向がある。例えば、フランソワーズ・サガン悲しみよこんにちは』の書き出し、

 

ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。 」

 

であれば、楽曲の歌い出しを愛でる風潮があってもいいじゃないか。というわけで、いくつかいろいろな意味で気に入っている歌い出しを挙げていく。

 

スピッツ運命の人

バスの揺れ方で人生意味がわかった日曜日

 でもさ君は運命の人から強く手を握るよ」

 

平易な文だが、わけがからない。「バスの揺れ方で」「人生意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。飛躍も飛躍。猛スピードで爆走するバスが聴き手を置いてけぼりにしている。行間を読む力が試される。

さら難解なのは、次段である。「でもさ」と逆説になっている。そこにいるのは「運命の人である運命に対して逆説で語るかね。ちょっとした諦めみたいなものさえ感じられる。果たしてこれはラブソングなのか?

だいたいにして、歌詞の序盤で唐突に出てくる「運命の人」という重要且つ雑なフレーズについて、以降の歌詞で全く説明されない。繊細な歌詞を書くスピッツのことだから、これは意図的にやっているとしか思えないのだけれど、だとすればますます謎は深まるばかりだ。

スピッツ屈指のポップな名曲だが、歌い出しからしてわけがからない。それを含めて名曲たる所以なのかもしれない。

 

aiko「星のない世界

「あたしの髪が伸びて驚くほど久しぶりになってしまわぬ様に

 昨日より少しだけ多めにあたしのことを考えてほしい」

 

aikoは曲も素晴らしいが、歌詞も素晴らしい。一番好きなのがこの曲である

歌い出しの部分、要するに「ずっと好きでいて」ということを言っている。西野カナならそのまま「ずっと好きでいて」と歌うか会いたくて震えるだろう。だが、aikoはたったそれだけのことを、これだけの文量で詩的に語っている。胸に迫る。

 

その続き、

「初めて逢った日にもう一度逢いに行って そしてまた同じ様に

 ぎこちなく合った目の奥にいるあたしを愛して欲しい」

 

これは要するに「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」ということを言っている。実際に西野カナは「トリセツ」で「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」と歌っている。しかaikoはたったそれだけのことについて、何でこんな奥行きのある言葉が思いつくのだろう。

ちなみに、私は西野カナのことが嫌いなわけではない。西野カナメロディーにいい感じの歌詞を乗せる技術に関しては天才的だ。BGMとして心地よく聴ける。

 

LOSTAGESF

「酒、飲ます

 

アルバム『GO』一曲目の歌い出しでいきなりこれである。聴きながら「おや、歌い出しが『酒、飲ます』って聞こえるな」と空耳かと思って歌詞カード確認したところ、紛れもなく「酒、飲ます」であった。助走もなくいきなり飲んでる。

ついでに言えば歌詞の続きは「学校最近どう?」であり、誰に酒を飲ませているんだ。

 

ももすももす「Confession

「海から巨大生物が現れて僕を襲うときには

 あらゆる絶望に食い尽くされているか

 もう食べられるところはないんだ」

 

最近一番インパクトがあったのはこれである爆笑した。巨大生物って何だね。メロウバラードと言ってもいいほどの楽曲で、タイトルに「Confession」とか仰々しく付けられているにも関わらず、歌い出しでこれ。

ももすももすという人は、メランコリック写楽というバンドの元ボーカルももすのソロ名義であるメランコリック写楽時代を含めてほぼ全ての楽曲作詞作曲編曲をこなしている。それにしたってメランコリック写楽とは何だ。ももすももすってなんだ。ロンゴロンゴかよ。

余談だが、相対性理論以降、ポップな楽曲かわいい系のボーカル意味不明な歌詞を乗せることを特徴とするアーティスト散見される。最近だとネクラトーキーとか。もしや遡れば椎名林檎丸の内サディスティック」に行き着くのかもしれない。何だ歌い出しの「報酬入社後」って。

こういうジャンルにそろそろ名前が欲しいと思うものの、名前をつけてしまったら陳腐だなとも思う。

 

THE BEATLESHello, Goodbye」

You say yes, I say no,

 You say stop and I say go go go.」

 

ポール・マッカートニー作品である。甘くポップな曲調に、上記のような特に意味のないような平易な歌詞が乗せられる。

この曲に対してジョン・レノンが「君の曲には主義主張ってものがないからだめなんだ」みたいなことを言ったらしいけれど、個人的に、音楽主義主張を抜きにしてポップであればあるほど好ましいと思っているので、この曲は私の中でポップ賛歌みたいな位置づけとなっている。

歌詞も気が抜けていていいじゃないか。ゴーゴーゴー。何も考えずに聴けて幸せになれる珠玉一曲である

 

 

この歌い出しが好き、意味わかんない、笑える、などあれば教えてほしいです。

2019-10-17

三大真っ赤ではじまる曲



あと一つは?

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-10-01

anond:20191001164619

ジョン・レノン「あるよ、君にとっていい国は。俺にとっては無いけど。」

2019-09-24

anond:20190924104630

俺もよく知らんけど、ジョン・レノンって人は「天国なんて下らねえぜ!」って感じの歌を歌ってるのは知ってる。

2019-07-19

普通に考えるとアニメが好きなアニオタが、アニメを作るアニメ会社を襲うってありえないんだけど

ジョン・レノンファンジョン・レノンを殺すみたいなもんじゃん?

あ、あるわ

2018-12-08

戦争は終わった

12月になって、クリスマスも近くなるとあちこちからジョン・レノンのHappyXmas(WarIsOver)が聴こえてきて

自分でも無意識にたまに口ずさんでしまうのだが「War is over」のところを無意識のあまり

Love is over」と歌い間違えてうっかり愛を終わらせてしまう わりと何度も終わらせてしまうが

12月はきっとあちこちでこういう感じで愛が終わってるんじゃないか、と考えて歌詞を間違えた自分間抜けさを紛らわせている

2018-07-15

100名の最も偉大な日本人

BBCで昔、「100名の最も偉大な英国人」て企画があったけど日本だとどうなるかね?

イギリスだと一位からチャーチル、ブルネルウェールズ公妃ダイアナダーウィンシェークスピアニュートンエリザベスI世、ジョン・レノンネルソン、クロムウェルと二位のブルネル以外は日本でも有名で政治家軍人王族科学者芸術家などで、まあそうだなって感じ。

日本だと、うーん、徳川家康織田信長豊臣秀吉、あと各幕府創始者足利義満北条時宗天皇だとどこから史実認定していいか微妙だけど、桓武や天智、明治昭和平成あたりが候補かな?宗教だと空海最澄など仏教開祖あたりかね?芸術だと、前近代だと北斎松尾芭蕉紫式部近代以降なら夏目漱石宮崎駿黒澤明手塚治虫、ギリで鳥山明くらいかな?科学だと湯川秀樹江崎玲於奈などのノーベル賞受賞者たちか。

平安あたりだと、あと平将門平清盛菅原道真くらいか

近代政治家だと、田中角栄佐藤栄作伊藤博文あたりが入りそうだが、山県有朋岸信介はかなり微妙

軍人枠だと東郷平八郎山本五十六、あと秋山真之西郷隆盛土方歳三

企業家だと、河村瑞賢、岩崎弥太郎本田宗一郎豊田佐吉とかあたり?

スポーツだと、王貞治長嶋茂雄あたりかね?あんまり詳しくないので良くわからない。

女性紫式部くらいしかかばんかったけど、津田梅子あたりはマイナーかな?宇多田ヒカル樋口一葉あたりかな?

2018-06-27

hagex氏とジョン・レノン

 「これから」という時に亡くなって…

 というのは、若くして亡くなった方を悼む言葉の「定番」みたいなものだ。具体的にどの辺が「これから」だったのかなんて、深く考えずとも皆自然に口にするし、受け入れている。

 

 hagex氏のブログはちょこちょこ読んでいて、最近も「勉強会を始めたのか」「次もすぐやるんだな」などと思っていたが、あの日以来、氏に近い人たちが発信する情報で、氏が 本当に 新しいことを始めようとしていたことを知った。

 2018年は、hagex氏にとって転機の年、飛躍の年になるはずだった。少なくとも、ご自身はその積りで準備をされていたのだろう。

 それなのに、hagex氏の生命暴力的に断ち切られた。

 こんなこと書いたら絶対「一緒にするな!」と言われるだろうが、自分は、「スターティング オーヴァー 」((Just Like) Starting Over)という曲で、長い沈黙を破って活動を再開した矢先、凶弾に倒れたジョン・レノンを思い出した。

 ジョンは享年40歳hagex氏は41歳だ。

 ジョンは、日本公演を含むツアー計画していたそうだ。

 hagex氏も、あんな事がなければ殺人事件被害者としてでなく、「hagex改め岡本顕一郎」として、我々の前にあの笑顔で顕れたのだろうか。

 ジョンもhagex氏も、本当に「これから」だったんだ。

2018-06-14

HINOMARUを聞いて

RADHINOMARU自体はあまり評価しない…買って聞いたがRADの他の曲に比べても質は高くないと思う。だが、一連の騒動をもってRADは真のロック(音楽ジャンルではなく、より大きな、活動全体に流れる哲学とでも言うべき縛りとしてのロック)となったと思う。なってしまったのだ、あのような曲をシンボルとして。

ジョン・レノンが「イマジン」をもって記憶されるように、RADWIMPSは「HINOMARU」を以て記憶されるだろう。





…まぁ沈静化すれば「君の名は」に戻る可能性もあるか

2017-02-10

人の死をいい話にする人たち

大好きなアイドルが亡くなりました。

18歳。詳細は明らかになってませんが病死だそうです。

およそ4年前にはまり、ずっと追い続けているグループの一人です。

「見た目は大人、中身は子供」のキャッチフレーズのとおり、モデルとしても活躍する端正な顔立ち、すらりと伸びた手足といったビジュアルとは裏腹に、番組ライブMCなどで見せる天真爛漫な姿が大好きでした。

から突然の訃報には驚き、悲嘆に暮れ、しばらく言葉になりませんでした。

Twitterには同じように悲しむ人たちで溢れており、その言葉を眺めて、自分気持ちを整理させようとしました。

しかし、それらの言葉に触発され、様々なことを思い返せば思い返すほど、悲しみは増し、言葉にならない想いが次々と胸に去来しました。

そんな中、リツイートで回ってきた2つの言葉がありました。

「若くして死んだ子は同世代に命の大切さや、死の身近さを気づかせる役目のため神様に選ばれた」

「すごいな。ジョン・レノン尾崎豊よりも若いうちに神様の前でパフォーマンスするために呼ばれたなんて」

とてもひどい言葉だと思いました。

誰の気持ちに寄り添ったらこんな言葉が出てくるのでしょうか。

大切な人を失って悲しむ友人や家族が隣にいたら、同じ言葉をかけるのでしょうか。

僕も最近プライベートで近しい人を亡くす経験しました。

でも「~~のために死んだ」とは決して思いませんでしたし、そんな言葉をかける人もいませんでした。

もっと長生きしてもらいたかったし、もっと色んなことをしてあげたかたから、もし何かのために死んだというなら、それが神様であろうと人殺しだと思うでしょう。

でも、そのツイートにはたくさんのリツイートいいねがついていました。

そんなことで大切な人を奪われてもいい人ばかりなのでしょうか。

「死」それ自体意味を与えて、「いい話」として消費されているような気がして、とても悲しくなりました。

そして、人の死が「いい話」を呟いた人の承認欲求の道具にされているような気もして。

2016-12-08

ジョン・レノンクリスマスソングってクリスマス新年を同時に祝ってるんだよな

クリスマスソングってイメージつよいけど

日本以外だとクリスマス新年ってあん区別ないんだろうか

日本クリスマス正月でかなり趣旨の違うものとして別のものとして認識してるのかな

2016-10-14

村上春樹ノーベル賞を取ることは100パーセントない。

毎年、この時期になると村上春樹ノーベル賞を取るんじゃないか、と話題になる。

で、なぜかハルキストや母校の関係者は本気で受賞を信じて、そのたびにガッカリするわけだが、彼らはノーベル賞特性をまったくわかっていないと言っていいだろう。

断言するが、村上春樹ノーベル文学賞絶望的だ。

なぜなら、ノーベル財団村上春樹に受賞させる理由が、まったくないからだ。

理系部門と違い、平和賞文学賞は受賞理由政治性を重視しているからだ。

平和賞文学賞は、功労者や優れた結果を残した人に与えられるわけではなく、ノーベル財団から世界へのメッセージ意思表明に近い。

今回のボブ・ディランに関しては、ドナルド・トランプ代表されるような排他的ナショナリズムに傾きがちな人々に対して、「あの頃の公民権運動戦争反対燃えた、反骨の気風はどこに行ったんだ?」というメッセージに近い。ボブ・ディランが良い歌を作ったから受賞、ではないのだ。与えるべき受賞理由メッセージがあるとノーベル財団判断たから与えられたのだ。これがジョン・レノンが生きていたら、100パーセント彼に与えられただろう。

莫言アリス・マンローに与えられたのはアジア文学女性文学に目を向けましょう、というメッセージだし、それを通した一部の国や差別の現状への牽制である

これに対して、村上春樹はどうか?彼が受賞したとしても、なんのメッセージにもならないのである

村上春樹の特徴はその無国籍性や非政治性であり、それが理由世界的にも売れているのだが、それゆえ、ノーベル財団が彼に受賞させる理由がないのだ。

村上春樹ノーベル賞を受賞しても、世界に対してなんのメッセージにも、牽制にもならない。

それを意識してか、最近村上春樹政治的メッセージを受賞コメントなどで言ったりしているが、どれも抽象的なお題目で、彼が言う必然性がない。彼の国籍や生い立ちに裏付けされた「凄み」がないので、受賞にはほど遠い。

ノーベル賞アイデンティティ政治性、そして文学性が合わさり、さらノーベル財団が伝えたいメッセージ合致した人物に与えられる。村上春樹はどれも欠けている。ノーベル賞とは一番遠い人物だと言っていい。おそらく、次に取るのはサルマン・ラシュディだ。

村上春樹ノーベル賞を取ることは絶対にない。彼はただ「すごく人気がある」というだけで、受賞させるほどの理由がない。音楽でいえば「GLAY」や「ラルク」みたいなもので、彼らがいくら人気でも、政治的権威ある賞を取らないのは当然だろう。

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