タレントのりゅうちぇるが、不登校の子に「もっと素の自分を愛してほしい」とアドバイスしていた。
ありのままの自分をもっと尊重してほしい、というような事だろうとは思う。ニュアンスはわかる。つもりだ。
歯切れが悪いもの言いになるのは、この手の場面でよく出てくる「愛」という感覚が、私にはよくわからないからだ。
愛するという行為の実感に乏しいのだ。
私は既婚者だ。大恋愛の果て、とは言わないが普通に相手を好きになり一緒に生活するのが楽しいので特に波乱もなく結婚した。愛してると口走った事もあるだろうが、告白してしまえば、それは「好き」を言い換えただけのものであった。
私は、多分、愛する、の実感を知らない。
幼少期、両親は共働きで、放っておかれがちではあったが、ネグレクトのような事もなく、ただあまりかまっては貰えなかったという程度である。だからつまり、愛される事は知っているのだと思う。
ときどき、ではあるが、自分は心の在り様に問題があるのではないかと思う事がある。愛する、ができない。
ジョン・レノンはLOVE&PEACEと言った。なぜ愛と平和を並べるのだ。「平和」だけではだめなのか。たぶん、だめなのだろう。
音楽家はみな愛を称える。RADWINPSが「愛にできることはまだあるかい?」と歌っていた。いい歌だと思った。
でも、私はこれを歌えない。私には愛をもってして誰かに何かできることがないからだ。何もないからだ。
頭でっかちの私は、りゅうちぇるの言葉を「こういう意味なのだろう」と勝手に読み替えて納得している。だが、
それは本当に本人の意図に沿っているのだろうか。
私が「愛」というものを実感したことがないから分からないだけで、世の中の大半の人は、ああ、あの感覚ね、というように、発言どおりに「理解」できているというような事はないのだろうか。
時に、冴え冴えとした闇に掴まれるような心もちになる。
「好き」がわかってるのに「愛」はわからないって、「愛」という言葉に何か尊大な期待を抱きすぎなんじゃないか?
そりゃ「もってないオマエは人並みの人間じゃねえよ」扱いされてると感じてるからな!
結婚して共同生活送れてるなら十分まともでしょ
そういうのは小町でやれって時代の人間なんだが いま小町ってどうなってるの?
「冷戦」という言葉があってだな・・・ しかし今の時代、国際情勢でかつての米ソみたいに解り易いそんな関係って、なかなかないよなあ?
くっさ
コミュ抜けるわ
そういう気分のときは、本屋に行って岩波文庫のコーナーから「愛」ってタイトルに入ってる本をいくつか買って読むといい。
ゴミを引用するな
愛って割とギャバンの歌詞通りだと思ってる。 はっきりと定義できるものでなくても、ためらわずにこれと自分で決めてしまえばそれが愛だ。
ゴミを信じるな