はてなキーワード: オフサイドとは
今のスポーツってあまりにもスポーツ化されすぎてると思うんだよな。
精神性重視
高額賞金
ありとあらゆる要素によってスポーツそのものが持つゲームとしての楽しさが阻害されきっている。
小学校の休み時間ですら「俺はサッカーがお前らよりめっちゃ上手いのでこの場では一番正しい。その俺に合わせてオフサイドについて厳しいルールを制定して皆でそれを守るべきだし、お前ら下手すぎるからもっとうまくなれ」といった暴論がまかり通る現代のスポーツ界隈は完全に何かを見失っている。
戦争代わりにやる名誉争奪戦としてのスポーツの存在はたしかに合ってもいい……しかしそれがスポーツ全体に広がっている状態はおかしいとは思わないだろうか?
長距離走は偉大な殉死者と自分を同化するための儀式ではないよな?
駅伝のバトンを這ってでも繋ぐ行為を英雄視するのを健全だなんて思っているのは少数派だよな?
じゃあなんでこんなにも現代スポーツは競技者を殉教者に仕立てあげたがるのだろうか。
eスポーツがゲームかスポーツかを語るより前に、我々はまずはスポーツをゲームへと戻すための戦いをいい加減始めるべきじゃないだろうか?
恐らく5年後には、人間によるあらゆる判断をAIが上回るであろう。人間はAIによる優位性をすぐには受け入れないであろう。8年後のW杯は、AIの助言による、見せかけ上は人間主体での大会になるであろう。しかし12年後の大会は、そのような衒いは消え、AIが表に立った大会になるであろう。
ゴール、コーナーキック、ゴールキック、スローイングの判定は全て2022年の段階で、AIによる判定になる。2026年の段階ではオフサイドや接触によるファールも含めた全ての判定をAIが人間より正確に下すことが可能になっている。2026年の段階では、VARによるアシストを受けた人間の主審が笛を吹く。2030年のW杯では主審、線審ともに、人間の審判はピッチに立たない。審判を務める人間、という役割は建前も含めて2026年で消え、判定を下すのはAIになる。
2022年時点では、選手起用と選手交替はAIのサジェストを活用することが主流になる。試合中の戦術指示もAIが下せるようになる。大会前の23人の代表選考、各試合のスタメン選定は、各陣営のAIによりもたらされる。26年までは、AIによるサジェスチョンを取捨選択する人間の監督、という建てつけが維持されるが、2030年以降は純粋なAIによる指揮に置き換わるだろう。
局面局面でのパス、ドリブルの相手やコースの判断もリアルタイムで人間よりも優れた判断を、2026年時点でAIが下せるようになっている。2026年段階では、茶の間で観衆が見る中継画面上にはリアルタイムで「あるべきシュートコース」「あるべきパスコース」が表示され、観衆は人間による判断がどれだけAIによる正解に近いのかを離れているのかを味わうだろう。この段階では、まだあくまで選手は自分自身の判断で個別のプレーを選択しているだろう。しかし、2030年W杯では、AIによる正解は、リアルタイムでなんらかの伝達手段で直接選手に伝えることが可能になっているだろう。試合中にリアルタイムで、人間の選手が個別の指示を直接AIから受け取ることに当初は疑問が呈されるが、2030年時点ではそうした議論は決着しているであろう。選手自身によるプレーの判断は消え、いかにAIの示す正しいプレーを実演できるかが試される競技になるだろう。
・球場によって広さが違う。ある球場ではホームランのものが、別の球場では3ベースヒットになる。ある球場では3ベースヒットのものが、他の球場では2ベースヒットになる。は? こんな標準化されてないふざけたスポーツ他にあるか? 敢えて挙げればゴルフくらいだろ。
・タッチアウト。単純化して言うと、一塁以外はタッチしなければアウトにならない(ランナーが詰まっている場合の他の塁もタッチは不要)。競技の性質上、改善のしようがないのだろうけれど、ランナーと野手の間で鬼ごっこが始まるのが非常に見苦しい。ランナーはランナーでタッチをかわすために忍者みたいになる。それはそれでおもしろいしイチローはエンターテイナーだと思うけれど、いかんせん見苦しく、洗練されてない感がある。ホームベース上でキャッチャーに体当たりするランナーもそりゃ出てくるわ(今は反則になった)。
・忘れた頃に話題になるフォースアウト。審判に申告すればホームベースを踏んだランナーをアウトにすることができ、そのままベンチに下がってしまえば攻撃側に得点が入る。は? 曖昧すぎだろ。サッカーで申告すればオフサイドになるケースがあるか? バレーボールで申告すればタッチネットになるケースがあるか?
・キャッチャーのサインを盗み見るのはマナー違反。は? この情報化社会、情報戦時代で何言ってんの?
・故意の連続ファールは反則。何年か前の甲子園で話題になったが、バッターが意図的に連続して投球をファールにするのは反則なのだそうだ。は? 意図的だって何でわかるの? ファールにしつつ選球するのも技術であり戦略のひとつだし、ピッチャーはアウトを取りにいくのが仕事だろ。ルールで縛るなよ。
・大量リードしている中で盗塁するのはマナー違反だとか。お互いゲームセットまで本気で戦うのがプロでありスポーツマンシップなんじゃないの? 記録がかかっている選手だっているだろ。何なのその不文律。まーこういうのは他のスポーツでも存在するかもしれない。
・ということで野球っていうスポーツはあまりにも欠陥だらけで、もやっとすることが非常に多い。試合時間が決まっておらず、次の番組の放送時間がずれ込むのもいけすかない。ま、これも他のスポーツでもあるから何とも言えないけれど。私は楽天を応援しています。
ハリルの解任を悲しむサッカーファンの1人です。
解任そのものについては様々な見地からの記事がありますが、解任に至った理由の1つとして挙げられることのある「代表人気の低迷」についてなぜ起きたか、どうしたら回復するかはあまり語られていないと思うので、1人の意見として書きます。先に結論をいうと、本田・香川を起用したら回復する、華麗なパスサッカーを体現したら回復すると、もし万が一協会が思っているのなら、こんなに人を馬鹿にした話はない、という話です。
まず、私はハリル時代の代表人気は、ザックや岡田監督の時代より低迷していたと考えています。(異論のある人は少ないでしょうが、念のため。)
私の周りで起こった事象としては、まずコアファンが代表戦(特に親善試合)を楽しめなくなり、それによって特にサッカー好きではない一般層も徐々に離れていきました。もう少し具体的にいうと、代表戦のたびに実社会やSNSでお祭り騒ぎをしていたコアファン層(試合中にずっとスタジアムかスポーツバーかtwitterで叫んでいるような)がお祭り騒ぎをしなくなって、そこに混じるのを楽しみにしていた一般層が「あれ?今日お祭りじゃないの?お祭りどこ?」となったという話です。「オフサイドとかよくわかんないけど、代表戦の日はコンビニでビールを買って帰ってテレビで観てtwitterでみんなと盛り上がるのが楽しみ」という友人が何人かいましたが、彼らは一様に「あれ??いつもすごい盛り上がってる人達がみんな急に静かになったんだけど、なんで?今日サッカーの日だよ?」と戸惑っていました。コアファンが盛り上がらなくなって、「お祭り」という一般層の楽しみが奪われたのです。それが視聴率の低迷に結びついていると私は考えています。だから、「普段サッカーを観ない層にも浸透しているスター選手が出ていれば視聴率は上がる」という意見には納得し難いと感じます。
ではなぜコアファンは一歩引いてしまったのかというと、それは(1)世代交代の失敗、(2)協会・監督・選手の関係への失望、(3)選手(や協会)の思う「面白いサッカー」がファンの思う「面白いサッカー」とずれていたという3点があると考えています。
(1)世代交代の失敗
過去のW杯で日本はセンセーショナルな世代交代に成功してきましたが、今回は失敗しました。岡田監督が「外れるのはカズ(三浦知良)」と発表したり、南アの本戦前に台頭した本田が中村俊輔からポジションを奪ったり、同じ頃にキャプテンが当時まだ若かった長谷部に交代したり。あるいは中田英や内田がまだまだ惜しまれながら代表引退を宣言したり。サッカーファンはそうやって、一時代を担った中心選手の席がニューヒーローの物になるストーリーを見てきました。それは去った選手のファンから見れば遣る瀬無い、苦しい思い出かもしれませんが、ファンの大部分にとっては寂しさと共に、新たな時代への期待を抱かせるシーンだったと思います。時に寂しさが勝る時もあったでしょうが、その一方で先に世代交代を失敗していたオーストラリア代表を見て「まだケーヒルが主力なの?平均年齢も高いし大変だね」と「あれは無いわー」と思っていた人が多いのでは無いでしょうか。しかしそれが今、南ア、ブラジル、ロシアと3大会続けて、私たちは「本田、香川、岡崎、長友」のサッカーを見ることになろうとしています。彼らが良い選手か悪い選手かに関係なく、単純に選手が変わらないことは飽きるのです。一時期、原口や浅野がニューヒーローとして台頭するのかな?とワクワクしてハリルジャパンを見ていたこともありますが、結果としてはそんなことにはなりませんでした。
(2)協会・監督・選手の関係への失望(繰り返される失敗への失望)
兵隊が指揮官の言うことを聞かず好き勝手に動く軍が強いと思う人は少ないと思いますが、日本代表チームにその問題があることを知らしめたのはザックジャパンでしょう。予選や親善試合の頃から「なんで試合の序盤は面白いことやってるのに、いつの間にか狭いところを通そうとしてボールロストってシーンばっかり繰り返してるの?」と不思議に思っていたファンは多かったと思いますが、W杯後にザッケローニの通訳をしていた矢野さんが出した「通訳日記」という本(元々はNumberの連載)がその答え合わせになっていました。どういうことかというと、そういうサッカーを好む選手がいて、違うサッカーをしようとする監督に「これがやりたい」と直談判しにくる。ザックの世界では戦術は戦術の専門家である監督に裁量権のある物なので、戦術の専門家でない1プレイヤーから口出しがあることに驚き却下する(当然だと思います)、選手の不満が溜まる、選手が勝手をしだす、という話です。そこまでは100歩譲ってまだ理解できるものの、度重なる選手の陳情を一応は聞いて帰してを繰り返していると、そのうち協会の偉い人がやってきて「選手の主張を取り入れてほしい」というようなことを言ってくる。それを読んでギョッとしたサッカーファンは多いと思います。選手に監督のいうことを聞くようにと諭すのではなく、監督に選手の言い分を飲むように伝えるのが協会の技術委員の仕事なんです。選手と協会が戦術を決めるなら、なんで優秀で高年俸の監督を引っ張ってくる必要があるのでしょうか。今回協会が「次も日本人監督で」と言ったのは「監督はお飾りでいい、選手と協会が戦術を決めて監督が反対しなければ成功するはず」と考えているとすれば整合性があるのでしょう。ばーかばーかそんなわけあるか!って感じですけど! ともかく、最高の頭脳を外から呼んできて、彼が最高のパフォーマンスをできるように協会がサポートして、彼の戦術が選手たちによってピッチに表現される、その先に成功がもたらされる、という絵からは非常に遠いところに実態があったわけです。これもまたファンにとっては失望であったと思います。
(3)選手(や協会)の思う「面白いサッカー」の感覚がずれている
当たり前ですが、サッカーは点を取り合うスポーツです。大多数の人にとって一番面白いのは得点が入るシーンでしょう。次点は「決定機を作れたのにあと一歩で入らなかった」「決定機を作られたのに最後の最後で防げた」シーンになるはずです。それ以外は各々の趣味で順位が決まる話でしょう。ある選手は南アの大会後に「勝つために仕方がなくあんなつまらないサッカーをしていたが、自分が観客ならあんな退屈な試合は観ない。もっと華麗な見せ場を作らないと」というような発言をしていました。見せ場というのはつまり華麗なパスワーク、華麗な突破なのだと思いますが、私はこの発言がファンの思う「面白いサッカー」と大きくずれていると思っています。一番観たいのは得点シーンで、彼のいうその「つまらない試合」ではそれが観られなかった。でも、最後の最後で点を入れさせないように決定機を防ぐシーンは沢山あって、沢山の人が手に汗を握って、感情移入しながらそれを観ていた。華麗な見せ場はなかったかもしれないけれど、あれはつまらない試合なんかじゃなかった。以降、一部の選手たちが拘っていく「自分たちのサッカー」がこの「華麗なパスワーク」「華麗な突破」と同じものだと私は認識していますが、少なくとも、点が入るシーン以上に華麗なパスワークのシーンが面白いわけがないので、「戦術のプロである監督が考えたもっとも点が取れそうなプラン」を阻害してまで華麗なパスワークをしようとされても、フラストレーションが溜まるファンが多かったと思います。
これらが合わさって、10年近く君臨する主力選手が、監督の言うことを聞かずに、華麗なパスワークをしようとしてうまくいかない、というシーンをファンは見せられ続けているのが代表人気の低迷の本質だと私は考えています。なのでもし一部で言われるように、協会が「本田・香川を起用」「日本らしいサッカー」で代表人気が回復すると考えているならば、こんなにふざけた話はないと思うのです。そして、世代交代をしようとして何らかの原因でうまくスパッとやれなかったことはハリルのミスと言えばミスなのかもしれませんが、サポートがあたかは疑問ですし、それ以外は彼に責任があるものとは全く思えません。なので、世代交代終わったら応援する、まだかなまだかな、と思っているうちにハリル解任の報を聞いた1サポーターとしては本当に悲しい気持ちになりますし、人気が低迷したからハリルが切られたという言説を見るたびにさらに悲しく感じるのです。私がサッカーにハマったのは20歳前後ですが、80まで観戦を楽しめるとして、生涯に楽しめるW杯は全部で15回くらいでしょう。その貴重な1回が今回こんな形になったのは残念でたまりませんが、残りが全滅しないように、できれば次回からまた熱狂できるように願ってやみません。
それに対し、センセイはこの土壇場でも落ち着いた物腰で、坦々と問題を口にした。
だが、その出題に俺は自分の耳を疑った。
「答えは350です」
いや、出題というよりは、正解発表をしてきたのだ。
俺は面食らった。
一応、その後にセンセイは問題の内容を語っていくのだが、あまりの衝撃に俺は頭に入ってこなかった。
それでも、無理難題ではない。
なぜなら答えは分かりきっているから。
センセイの考えた「最も簡単な問題」に、完全に不意を突かれたからだ。
「そんなのありかよ……」
そう呟かずにはいられなかった。
結局、この問題が決め手となり、俺は自分の持ち点をゼロにしてしまうのであった。
今回の大会はセンセイの優勝で終わった。
賞金は惜しいが、俺の負けであることは認めざるをえない。
何より、最後にあんな問題を出してくるセンセイの胆力を称えずにはいられなかった。
「まあ、一度限りの方法だがね」
「確かに、もう一回やってきたらすぐに答えるでしょうしね」
「それもあるが……」
「他にも何か?」
「まあ……出る杭は打たれるものさ」
以降の「ライト・クイズ」で、参加者はセンセイと同じ問題の出し方を真似し始めたのである。
結果、答えをあらかじめ明言して問題を出し合うだけという、混沌を極めつつも膠着の一途を辿ったのだ。
番組サイドはマンネリにならないよう、ルールを細かく変えてそれを防ごうとした。
しかし参加者はその都度ルールの穴を突いて、“如何に答えを知っている問題を出し合うか”にのみ注力する流れに。
それは“簡単な問題を出し合う”という「ライト・クイズ」とは似て非なるものだったのだ。
そんなことが数回続いた後、とうとう番組サイドはこの「あらかじめ答えを言う」という問題方式そのものを禁止することを決めたのだった。
番組の方はマンネリ気味になりつつあったが、俺とセンセイは飽きもせず「ライト・クイズごっこ」に興じていた。
「まあ、悪くない答えだ」
「……というか俺たちのやってる『ライト・クイズ』、何だか趣旨が変わってしまってませんか?」
「……そうだな、ハハハ」
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
そりゃあ、そこに待ち伏せするようになるんじゃないか。
そして、敵はそこで待ち伏せする選手にボールが行かないようにする。
味方は何とかしてそこにボールが行くようにする。
こういった一つの戦術が横行することをオフサイドゲームと云われているのは有名だな。
あ、柔道とかにも反則がいくつか設けられた歴史があるが誤解しないでくれ。
決して「強い、ウザい、ズルい」とか、そんな理由ではないから……。
一歩進んで二歩下がる方が面倒くさいな。
実際にやってみれば分かる。
なので答えは「同じではない」。
使い分けとしては、一歩下がりたいときは一歩下がり、一歩進んで二歩下がりたいときは一歩進んで二歩下がりたまえ。
いい質問だ。
妖怪の多くは、人間が正しく認識することが難しい事柄や現象を納得させるためのスケープゴートだとされている。
現代でも、ビデオゲームなどで90%で当たる攻撃をやたらと外したりするのはそのためだ。
まあ、実は妖怪の仕業ではなくて人間の仕業だったというパターンもあるが、妖怪の仕業という言い伝えも人間の仕業なんだから当然といえば当然の話ではある。
最初に提示された情報がそれ以降に提示される情報に対する印象に影響を及ぼす現象。
たとえば「東京の平均気温は50度より高いか?」と訊かれたあと「では平均気温は何度だと思うか?」と訊かれると高めの気温を答えてしまう。
たとえば選挙の事前予想で「A党が劣勢」と報道されるとA党への票が増える。
自発的にやっていることに他人から報酬を与えられるとやる気が低下する現象。
「好きなことを仕事にしてはいけない」などと言われる理由かも。
本人から直接言われるよりも第三者から噂として聞く方が信じてしまいやすい現象。
たとえばAさんから「綺麗だよ」と言われるよりも「Aさんがあなたを綺麗だと言っている」と聞かされるほうが嬉しい。
世界中から強豪を集めて大会を盛り上げようとするほど地元の選手が活躍できなくなる現象。
2013年にウィンブルドンでアンディ・マレーが優勝したのはイギリス人選手としては実に77年ぶりの快挙だった。
自分と同じ意見を持った集団の中に身を置くことにより偏った考えが助長されてしまう現象。
たとえば「青木まりこ現象」など。
カクテルパーティーのように大勢の人が会話している中でも、自分に関する言葉や興味のある言葉は聞き取れる現象。
相手の表情や仕草を真似て接していると相手から好意をもたれやすいという現象。
ある物事を意識した途端にそれに関する情報が目に付くようになる現象。
たとえば知ったばかりの言葉が急に世間でよく使われるようになったように感じたりする。
「見てはいけない」と言われると見たくなる現象。映画『カリギュラ』に由来。
以前に名前を聞いたことがあるというだけで有名人だと錯覚してしまう現象。
気分が良い時には良いことを、気分が悪い時には悪いことを覚えやすい、という現象。
過去に本で読んだり人から聞いたりした話を、まるで自分自身が体験したかの様に思い込んでしまう現象。
動物が周囲の人間の顔色を窺ってその期待に応えるように振る舞う現象。
「計算ができる馬」として有名になったハンスという馬が、実は飼い主や観客の動きを見ていただけだったという出来事に由来。
さっと視線を動かしたとき、その直後に見たものがわずかに止まって見える現象。
たとえば時計を見たときに秒針がなかなか動かないように感じる。
たとえば「捨て猫を助けるヤンキー」など。
何かの形をじっと見ていると、そのうちに「こんな形だっけ?」と元の形が分からなくなってしまう現象。
途中で失敗に気付いても、それまでの投資が無駄になるのが嫌で、やめるにやめられなくなる現象。
たとえば「鉄1kgと綿1kgはどっちが重い?」と言われると「鉄」と答えてしまう。
デパートの上層階の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
ある情報を隠そうとするほど、その行動によって逆に目立ってしまう現象。
女優のバーバラ・ストライサンドが自宅の映った写真を取り下げさせようと訴訟を起こしたことに由来する。
たとえば赤色で『青』という字が書かれていると意味を把握するのに時間がかかるなど。
蛇に咬まれることはめったにないが一度でも咬まれてしまうと蛇を恐れるようになるということに由来。
信頼できない人から聞いた情報を時間経過と共に信じるようになる現象。
「情報」だけを覚えたまま「信頼できない人から聞いた」ということを忘れてしまうため。
達成できたことよりも達成できなかったことのほうを忘れない現象。
自分の名前や誕生日などにまつわる言葉や数字を無意識に好んでしまう現象。
幸運により金を得ると「無くなってもプラマイゼロ」という心理が働いて金遣いが荒くなってしまう現象。
たとえば予想以上のヒットで儲けた金をハイリスクな投資に突っ込んでしまうなど。
切りの良い数よりも中途半端な数の方が信頼性が高く感じられる現象。
たとえば「100%の人が高く評価した」よりも「99.8%の人が高く評価した」のほうが宣伝効果が上がるなど。
誰にでも当てはまるような曖昧な評価を自分によく当てはまっていると感じてしまう現象。
何かを評価するときにその特徴的な部分に印象が引きずられてしまう現象。
たとえば「身体能力の優れた人は性格も優れているだろう」と思い込んでしまうなど。
たとえば選挙の事前予想で「B党が優勢」と報道されるとB党への票が増える。
たとえば「5000円」と「4980円」とでは後者のほうが実際以上に安く感じられる。
酒に酔うと異性が魅力的に見える現象。
ロボットやCGモデルなどの容貌が人に近づくほど気味が悪く感じられる現象。
あらかじめ聞かされた情報がそのあとに聞かされる情報に影響を与える現象。
たとえば車について雑談した後にしりとりをすると車に関する言葉を思い出しやすくなる。
サッカーのオフサイドの判定などに影響を与えていると言われる。
デパートの地下の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
その人の性格や特徴、職業まで思い出せるのに名前が思い出せない現象。
「誰かが通報するだろう」「周りの人も何もしていないから」「他人の目が気になる」などの心理の複合。
たとえば医師の期待を感じた患者が、実際にはそうではないのに「病気が良くなった」と報告してしまうなど。
悪い変化が起きていても、それがゆっくりとしたものだと、何もせず受け入れてしまう現象。
個々人は穏健であっても集団で協議を行うと極端な結論になってしまう現象。
積極的になりすぎるのがリスキーシフト、消極的になりすぎるのがコーシャスシフト。
何かのリストの内容を思い出すように言われたとき、手がかりを与えられたほうが逆に思い出しづらくなる現象。
共同作業を行うときに全体の人数が増えるほど一人一人が手抜きをしてしまう現象。
たとえば3人vs3人で綱引きをすると全力を出すのに、10人vs10人のときは無意識に力を抜いてしまう。
昨日のシンガポール戦ですが、圧倒的なボール支配率(体感では60%以上)、シュート数も、コーナーキックも圧倒的に上回り、それでいて勝てなかった。
彼は勝利を目指していたはずです。
ですが、そのスターティングメンバーに疑問がありました。
まず、長友がいない。良く知らないけど、怪我してるんですかね。多分W杯の予選なので、オーバーエイジ枠が足りなかったとかいう問題でもないでしょうけど。
それから、遠藤がが居ない。代表に選ばれてないんですか? もう年だからなんでしょうかね?
あとのメンバーは、本田と宇佐美とか、キーパーの権田じゃない川島でしたっけ? それくらいしか知らないです。香川は知ってます。岡崎も知ってます。
途中から出た、原口とか武藤は最近注目されているのでなんとなく知ってます。
前半。
カレーを食べながら見ていたから、見逃しているシーンは山のようにあると思いますけれども。
たまにチャンスっぽいシーンがあってもオフサイドだったり、ミートしなかったり。
これが、決定力不足と呼ばれている奴なんでしょうね。
そもそもシンガポールって強いのか?
前の試合どこかにホームで4-0で勝ったらしいですけど引き気味の戦術を取られています。
たまにカウンターとかあったような気もしますが、まあ格上相手にはまっとうな戦術なのでしょう。サッカー全然詳しくないけどW杯ぐらいは見てるのでなんとなくわかります。
とにかく、松木さん? だったか解説がイランかイラク戦だかで大勝したのは縦パスが良かったとか言ってました。
だからサイドから攻めるべきだという意見が多かったですが、ちゃんとサイドからクロス(センタリングっていうの?)上げたりしても、なかなかチャンスにならないですね。
もう、相手陣内には相手選手がごちゃごちゃいて、なかなかボールに触れないし、キーパーもそこそこやるしで。
精度の高いクロスとか、ドリブルで攪乱するとかやりようは沢山あったように思うのです。
それか、ドライブシュートでこじあけるか。
でもそもそも相手陣内に沢山相手がいるので、それをなんとかせにゃならん。
ラインの上げ下げもしっかりやられてましたしね。
考えられるのは、二列目からの突破とか、もっと人数をかけるとか、わかったようなわかってないようなことを言ってますが、正直サッカー詳しくないので、誰かの受け売りです。
素人考えとしては、相手陣内に一杯人がいるのが問題なので、それをどかすのが一番だと思うんですよ。
でも、相手にチャンスを与えるのはリスキーです。
それに、簡単に前に人数かけてくれるとも考えられない。
なぜなら、対戦国のシンガポールかイスタンブールは、引き分けでも十分という考え方で試合に望んでいるからです。
じゃあどうやって相手陣内の人数を減らしていくのか?
それは、大きな問題ですが、やっぱりそういう場合って、相手にチャンスを与えてラインを上げさせるというのが良いのかもしれません。リスクを取らなければ結果は出ないですし。
とにかく、早めに一点取れなかったのが試合を決定付けたと結論します。
あと、長友がいなかったし。
後半
お風呂に入ってたり、子供を寝かしつけたりしてたのであんまりよくみてませんが、香川を下げたようですね。
香川のドリブルは魅力あるとかどこかできいたのですが、ハリルホジッチ(さすがに名前覚えた)監督はコンディションなのか、戦術なのか、はずした。
子供がなかなか寝なかったので、あんまり後半はみれてないです。
うちの子供は、寝かしつけるのに歌を歌いながら胸のあたりをぽんぽんと叩いてやらないといけないのですが。
後半見るために、ハーフタイムでお風呂に入ったのですが、髪の毛を乾かしたり、いろいろやっているうちに後半が始まって、子供も眠そうだったので、寝かしつけを優先しました。
いつもなら、2~3曲(アニメソングとかアイドルソングとかボカロソングとか)で寝るんですけれど。
4~5曲かかってしまいました。
わたしは、イントロとか間奏もちゃんと歌うタイプなので、ちゃらりらーとかタラタラタ~とか。
ちなみに、良く歌う歌のイントロは、てぃーてぃーてぃーてぃー、てぃりりりてぃりりりてぃーてぃーてぃーりーてぃんてぃんてぃんてぃん
なのですが、これだけじゃあなんの歌かわかりませんよね?