はてなキーワード: アイドルヲタとは
この増田やはてなという所は不思議な所でございまして、例えばサブカルチャー・ポップカルチャーの話におきましては、アニメとゲームには大量にトラバ、及びブコメが伸びるものの、なぜかアイドルに関しては伸びない。
これはと一計を案じまして、事ある毎に彼女たち及びアイドルファンを全力で否定する増田を投稿しつづけてきたものでございます。なぜなら誰も興味が無いので、叩かれず、埋もれず、ただネットの海を漂流し、人様の前に自説としていかにアイドルヲタの気が触れているかを、半永久的にネットに残せるからでございます。
はて彼女たちが世に出て、もう10年位になりましょうか。時の流れるスピードは早いものでございます。
私も昨夜、小学校の友人と雑談をしており昔を懐かしんでおりました。相手はA君、近所の酒屋の気のいい息子でございます。結婚して子供もおりまして、良い飲み友達でございます。
話はいつものごとく、小学校時代の思い出に遡りますが、このA君は珍妙な事を言い出すのです。
「お前新田恵利すきだったよなぁ、俺はやっぱり高井麻巳子だわ。ホラ、お前文集に新田恵利と結婚したいって書いてるよ」
おニャン子クラブの新田恵利の写真を高々と掲げた12歳の私がいるではありませんか。
そうです。何のことはないのです。私たちはずっと秋元先生の手のひらの上で踊り続け、そして、過去、そして今の自分を否定していたのに相違ないのです。
コンサートやイベントにも通うし、自分の自由な時間が増えてからは番組観覧やエキストラにもたくさん行った。出待ちもした。
なぜこのエントリをあげようと思ったかと言うと少し前に友人に言われた言葉が今も引っ掛かっている。
「○○を1番に考えてないの?」
1番に、というのは例えば自分のスケジュールはもちろん金銭的にもだ。要するに何故好きなアイドルにめいっぱい時間やお金をかけたいと思わないのか、好きならたくさん公演に入るべき、入れないなら文句を言うなということらしい。
応援する方法は先に挙げた通りたくさんある。コンサートなどチケットを買って実際に会いに行くこと。観覧などに行くこと。出待ちをすること。テレビや雑誌などをたくさん買うこと。グッズを買うこと。など。だが、アイドルの応援方法なんて人それぞれだし自由だ。自由であってほしい。人にとやかく言われたくないし、私個人も人にとやかく言うつもりはない。
同じ公演に自分が入れるだけ入るというのは個人の自由だし、舞台は好きじゃないから1度入れれば充分な人もいればコンサートは特効が苦手で…という人ももしかしたら中にはいるだろう。
それを自分はこういう考えだからあなたもそうしろ、というのはもはや暴力に近い。自分なりの考えがあっていまこういう応援をしているのに、そこにとやかく言われる筋合いはない。コンサートや舞台に足繁く通うことが一番正しいのか?CDを初回盤1枚ずつ買ったり、毎月雑誌を買ったり、グッズを1通り揃えてもコンサートや舞台に数多く入らないからといってダメなファンのレッテルを貼られるのは心外だ。ではどのように応援したら納得してくれるのか。とこの何ヶ月か私はずっと悩んでいる。チケットが外れたら高額で買わなければどうにもならないというここ何年かの風潮にも嫌気がさすし、良席で入ったものが勝ち、というような風潮にも嫌気がさすし、Twitterで友人を増やさなければそもそもヲタクとして認めてもらえないようなそんな雰囲気にも嫌気がさす。そもそもチケットが外れてもそれを定価で譲ってもらうことができたらもっとたくさん公演に行けるかもしれない。前の方で見ないとファンサービスがもらえないから良席に入るのだから、極端な話ファンサービスをしなければそもそも前に入ったって意味無い、と思う人が増えるかもしれないし、とか思い出すときりがない。まあこうやって匿名のブログサービスでグチグチいったところで何も変わらないし、彼女は私に好きなアイドルに金も掛けられない貧乏人と思い続けるだろうしチケットの高額売買もなくならないのだ。
もう潮時なのだろう。
あーあ、早くヲタク辞めたい。
そもそもアイドルなんていう特殊な世界を目指してきたコたちは、素人時代からアイドル情報を一般女子より詳しい言わばヲタク的資質を持ってる場合が大半でしょ。
また同業の人間に関心を待つのは他の職業も同じであって、一々「ヲタク」アピールするようなことじゃないとも思うわけです。
ももちがデビュー当時のインタビューでファンだった石川梨華について問われ
まだ小学生だったにも関わらず「もうファンじゃありません、先輩です」と答えたという痺れるエピソードがあります。
っても、アイドルとなった以上、それまでのファン(ヲタク)というポジションとは違うプロ意識を持つべき!なんて言っちゃたら単なる説教オジサンですよね…。
「ラップをするのは楽しいです」と言いながら、そのアイドル愛に比べて
いつまでたってもヒップホップに対する愛情が全く感じられないあのコにしろ
まわりのメンバーやファンから「気持ち悪~い(笑」というツッコミなしに、そのヲタアピールが成立してないところは
面白くないし面倒くさいんで直して頂けるとありがたいとは思います。
ぶっちゃけアイドルヲタクであることをアピールするアイドルの何が嫌かって
キモいドルヲタのおっさんたちに「自分たちと同じ匂い」を感じさせることで釣り上げようっていうヲタサーの姫的なあざとさが鼻に付くんです。
どうも!関ジャニ∞とももいろクローバーZのヲタクをしている大学生です。いわばジャニヲタとドルヲタなのですが、この度、以前から頭の端っこでぐるぐるしていたこの「男性アイドルと女性アイドルの違い」について、はてな匿名ダイアリーに書いちゃおう!となりました。いかんせんこういうの初めてなのでどうなるのかなとか思ってるけど、そこは匿名だからオールオッケー。
日本の男性アイドルというと天下のジャニーズ大国。ジャニーズ事務所の絢爛たるジャニタレたちが今の日本の男性アイドルの需要をほぼ占めている。誰もが認める国民的アイドルSMAPを筆頭に日本のカルチャーを牽引している。
一方女性アイドルはというと、高確率でテレビで見かけるのはAKB48を中心とする48グループ、ももいろクローバーZといったところ。その次点にでんぱ組inc.、私立恵比寿中学らスタダグループ、モー娘。らハロプロ、その他にも地下アイドル、地方アイドル合わせるとかなりの数のアイドルが存在する。
正直言って私自身アイドル自体には全くもって詳しくないので全体像を捉えた感覚としてはどこか曖昧なものになってしまうかもしれない。しかし、関ジャニ∞とももいろクローバーZという男性アイドルと女性アイドルとを同時に追っかけていると、彼らの置かれている環境の違いが痛いほど感じ取れる。
わたしが初めてももクロちゃんの現場に行ったときの話。現場とは言っても映画館で行われたコンサートのLVだったが、ライブが始まる前、突然に1人の男性ファンが「俺らが支える!」と叫び、それに反応したまわりのファンが「かなこぉ⤴︎」という8文字コールを打った。これは各メンバーごとに違い、例えば黄色担当の玉井詩織だと「みんなの妹!」「しおりーん!」だとか、紫担当の高城れにだと「笑顔が一番!」「れにちゃん!」といったふうである。
しかしわたしはこの赤担当の「俺らが支える!」「かなこぉ⤴︎」という百田夏菜子の8文字コールに『いやいやいや!日々支えられてんのはこっちでしょ!?』と心の中でブラマヨ小杉ばりの高速ツッコミをかました。毎日毎日アイドルたちに支えられているのは他ならぬ私たちヲタクであると思っていたのでわたしはかなりの衝撃を受けた。
彼女たちは毎回ライブをするごとに「みんなのおかげで〜、モノノフ(ももクロファンの総称)さんのおかげで〜」と感謝してくれている。それだけでも私は「ももクロちゃん自身の力なのに....」と何度も涙してしまう。彼女たちは十分にファンの応援に応えてくれているのだ。しかしこの8文字コールは彼女たちにさらに追い討ちをかけているようで、応援というよりは圧力のように感じ、この8文字コールを打つ意図が全く理解できなかった。
ももクロちゃんもインディーズデビュー時から多くの女性アイドルグループがしのぎを削る中で活動を行ってきた。今でこそ老若男女、多彩なファンがついているが、そうなる以前はいわゆる典型的な女性アイドルヲタク気質のファンがもちろんほとんどで、その中の1人が作った8文字コールが今もなお使われているのだろう。きっとこの8文字コールを作った張本人はすでにももクロファンを他界(ファンを辞めること)しているであろうことは容易に想像できる。南無南無。
「俺らが支える!」というコールには「メンバーを支えている‘俺’」という存在がいる。しかしステージ上には‘俺’なんていない。いないんですよ。ステージ上で汗を飛ばしながら歌って踊っているアイドルに応援している自分の存在を認知してほしいの?何がしたいの?それはもはや応援ではない。
わたしが追っかけているもう一つのアイドルグループ、関ジャニ∞はジャニーズ事務所の男性アイドルグループだ。関ジャニ∞のコンサートでは開演が近づくと「エイト!エイト!エイト!」と開演までエンドレスでコールするエイトコールがある。8文字コールに比べるとグループの名前の一部分をただひたすら繰り返すだけというめちゃくちゃ簡単なものだが、ほぼほぼ8文字コールと意味合いは一緒だと思う。ライブ中にC&Rもふつうにある。それは応援ととっていいだろう。
恋愛と結婚面でもそうだ。アイドルと恋愛、結婚の問題は男性でも女性でも極めてデリケートなものだ。しかし、男性アイドルヲタは「恋愛はしてもいいけど、きっちり隠してくれ」という意見が多いように思う。最近でいうと嵐の大野さんの交際発覚だが、大変な騒動に発展し嵐のファンでないわたしも「ヒィィ」とのけぞらざるを得なかった。しかし恋愛をしていること自体に怒るファンは少なく、彼の自己管理能力の低さやその自覚のなさに落胆と失望の声が多かったように思う。
しかし女性アイドルは違う。恋愛禁止のルールの中、限られた時間の中、彼女たちはアイドルをしている。「恋愛をする」ということ自体がルールを犯す行為とされ、それをしてしまったアイドルは徹底的にファンからも運営からもバッシングされる。女性アイドルは「恋愛をしている時点で裏切りをした」と見なされる。女の子は男性と恋愛した時点でどこか汚れてるみたいなイメージ?がまとわりついてくる。
これはいわば社会における「童貞でないか」と「処女でないか」の認識の違いなんじゃないか。「童貞じゃなくなった」という言葉は喜ばしいプラスの印象だが、「処女じゃなくなった」という言葉は逆にマイナスな印象を与える。男性と女性のジェンダーの問題に及んでくる。
「女性は処女じゃなくなったらビッチ」の極端な認識がここにも表れているんじゃないか。女性アイドルは恋愛した時点でビッチなのか。ここらへんはもう「腐ハウスブログ」のくるくるさんの、問題のあるレストランというドラマを見た感想記事を読んでいただきたいんですが。ここらへんのこと全部書いてくれています。リンクの貼り方わからん。ググってください。
わたしが追っかけるももいろクローバーZは女性アイドルである。彼女たちは2013年3月、国立競技場のコンサート2daysの2日目の最後、聖火台の前で挨拶をした。
「私たちは天下を取りに来ました。でもそれはアイドル界の天下でもなく、芸能界の天下でもない。みんなに笑顔を届けるという部分で、天下を取りたい。ずっとずっとこれからも、みんなに私たちを見て笑顔になってもらいたい」
彼女たちはそう語ってくれた。女性アイドルの「卒業」のルールなんて越えて、彼女たちはずっとずっとこれからも私に笑顔を見せてくれるのだと。日々の支えになってくれると。一生アイドルを続けるということは、彼女たちにとってはある意味残酷なことなのかもしれないのだ。でも、でも、わたしは嬉しさで涙が止まらなかった。
とは言えももクロちゃんもアイドルを一生続けるとは言っても、あまり恋愛とか無縁なイメージ持たれているし、どうするんだろうとかそんなことをうじうじと心配してた一ヲタクだったが、ももクロちゃんは昔から知らず知らずのうちにヲタクの心配なぞどこ吹く風というようにぴょーんとその上を越えていくところがあって、ある時れにちゃんが頬を腫らし「このまんまじゃお嫁に行けない!」と言ったところに間髪入れずあーりんが「いつもの状態でも行けるかわかんないじゃん」「うるせぇ!」という会話を繰り広げていたり、「有安は結婚早そうだけど離婚も一番早そうだよね」「嫌だー!絶対離婚しない!」とかいう会話もあけっぴろげにするようになってきた。なんか心配してたこっちがアホらしくなってくるほどに下ネタもひどくなってきているのでヲタクが取り残されてる感がメッチャ面白い。
男性だって女性だってアイドルという仕事はそうそうできるものじゃない。どのアイドルもみんな頑張っている。ただ現代社会での女性に対する認識、それは女性アイドルたちの環境にも如実に表れている。前にAKB48の子がSNSの315アプリでファンからの質問に「(AKBの子は)みんな病んでる」と答えたというニュース記事をちらっと見たことがある。そんなんじゃだめだよ、みんなに夢を売るのがアイドルなんだから、アイドル自身が誰よりも夢見るべきなんだよ。それは男性アイドルも女性アイドルも変わらんよ。
ふだん恋愛の曲なんて歌わないももクロちゃんが2014年に出したシングルは美少女戦士セーラームーンCrystalの主題歌『MOON PRIDE』だった。恋に恋しながらも闘う女の子の強さがいっぱいにあふれた名曲だ。この曲を歌っているももクロちゃんはどこまでも女性で、たくましくて、ひたすらかわいくて、かっこいい。
切なくて泣きたくなるけど、それでも闘う。女の子にも、すべてを受け入れる強さがあるのだ。
いい年こいて趣味に生きるのは許してやるよ。
本当なら仕事や他人のために生きることに人生の楽しさを見出すべきだけどそれが出来なかったお前の惨めさに免じて許してやる。
仕事やボランティアに人生かけて楽しめてる連中と比べたら趣味の範囲でやってることなんて全部等しく気休めでしかないんだよ。
「晩飯はカップ麺だけど、おやつに本場のザッハトルテ食べてるから俺はそこらのやつより食生活豊かだぜ?」と言ってる人間がいたとする。
滑稽だろ?
趣味に序列を付けてる連中なんてのは旗から見たらそんなもんなんだよ。
分かったろ。
だからあんたの趣味がいかに高尚で、隣の部署のアイドルヲタクや酒飲み爺の人生がいかにくだらないか、なんて話を飯時にするのはもうやめてくれ。
私が好きなジャニーズのアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。
それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。
(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)
ジャニーズのコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間がセットリストに組み込まれている。
それは大体アイドルがトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。
ツアー名に自分たちのグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。
…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。
本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。
これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、
構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、
他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、
薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。
コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。
自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。
だから、私はコンサートでもアイドルの名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。
そんな私が変わったのは今年の春。
好きなアイドル、ジャニヲタ的に言うと自分の担当するアイドル=自担、が出演するコンサートツアーが始まった。
今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)
自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分の名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。
でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。
ファンサが手厚いアイドルはお手振り指差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。
それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。
全国に何万人いるか分からないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。
そのおかげで、今春のコンサートツアーの概要はほとんど覚えていない。
いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担の視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題のJr.の活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担の視線しか追ってない。
これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。
自担に干された。
「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡も横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。
そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサートの満足度に影響するようになったことを自覚した。
ただ平穏にパフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。
もう"正しいファン"ではなくなっていた。
自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。
その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。
自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。
これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。
「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。
「アイドルがグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。
アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足でしかないけど、それにしても自己満足、自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。
というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。
コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじ込まれる私の団扇は自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。
もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。
コンサートで披露されるパフォーマンスも、自担の視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。
たった半年前までは、ファンサ厨は自分の幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。
そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。
でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。
時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。
こうしてファンサ厨が一人できあがりました。
http://anond.hatelabo.jp/20140804094950
人間としての相性がいいと勘違いしてしまうのはしかたがないけど、それは違う。そういう相手と結婚しても上手くは回らない。
片方の鈍感なほうが自分たちは冷静で上手くいっていると勘違いしている状態のまま始まり、もう片方の不満はどんどん膨らんでいく。
「友達としてしか見れない」これの本当の意味は「あなたと何かを構築する気にはならない」そして「あなたは私のセックスの対象ではない」ということ。
告白した相手に「友達にしか見れない」と断ることは異性愛者が仲の良い同性に告白されたときのような気持ちに近いものがある。
ただ楽しい状態というのは本当にただの友達である。特に自分が肥っていたり容姿が相手の好みでなかったりしたら尚更だ。(顔や体の良い者はかなりの有利である・・・)
惚れたほうは相手にすでに性的魅力に憑りつかれ、相手を恋人として夢想したりしているが、肝心の相手からしたらただのヒゲの生えた女友達である。
そんな相手に告白されるのはなかなか苦しいことであるし、場合によっては相当気持ち悪い。
想像してみて欲しい。いつも仲良くしてた自分そっくりの同性に告白される気持ちを・・・・
何も性的魅力をアピールせず、相手を喜ばせること(自分の見た目含む)もせずにただ会える喜びにだけ浸るのは握手中毒のアイドルヲタクや水商売にハマる奴と同じだ。
何も前進させていない。何も生み出していない。
恋愛というのは告白するものじゃない。発情し、努力し、相手も発情させてオトすことだ。
私は2010年ぐらいまでよさこい祭りに参加していて、ソーラン節をiPodに入れるぐらいには好きだった。バランスの整ったよさこい踊りを自宅で踊れるのも嬉しかったし、派手な衣装や振付け、演舞ゲシュタルトもソイヤッそれなり気に入っていた。
それでも、なにかが引っ掛かってよさこいの世界観に埋没しきれなかった。全体としては好きなんだけれどッコイショー、私が嫌いなもの、私とは相容れないものが宿っていると感じていた。それが何なのか表現できないまま、5年間ほど経ってしまったけれど、最近、ある人にヒントを頂いて、その答えがわかったような気がする。
何が引っ掛かっていたのか、その一言でわかった。そうだソイヤッ、よさこい祭りには、東方シリーズの(記号の)匂いがしていたのだ。
同じ四国三大祭りでも、『阿波踊り』『新居浜太鼓祭り』シリーズには、東方シリーズの匂いなど全く感じない。『さぬき高松まつり』もそうだし『松山まつり』『さかいで大橋まつり』もソーランそうだ。音楽はもとより、演舞にすら、弾幕的な匂いが感じられない。
ところがよさこい祭りには、どことなく東方シリーズの匂いが漂っている。BGMのメロディライン、楽器の使い方(特にピアノ!)、演舞表現にすら東方的な何かが籠もっている。「よさこい踊りのどこが東方的?バカな事言ってるんじゃねぇドッコイショー」と言う人もいるだろう。でも、例えばさぬきや高松の盆踊りと比べてみればいい。ビカビカしていて、マスゲームみたいで、ゲシュタルトが踊り狂って迫ってくるのはよさこい踊りだ。しかも、演舞には凝った名前までついている。
東方的と言って語弊はあるなら、“アイドルヲタ”的と言い直したほうがいいだろうか。一糸乱れぬ統率された動きと、色彩感覚で訴えかけるあの感覚!背景の色彩感覚も、あれはトラディショナルなアイドルヲタだけを惹きつけるようなものではなく、もう少しヤンキー寄りの人でも惹き付けられる表現にみえる。
そういえば、よさこい参加グループのネームセンスも、ヤンキー的な漢字仮名遣いというより、オタク中二病的漢字仮名遣いだった。よしんば、あれをヤンキー的漢字仮名遣いと認めたとしても、そのなかでは比較的オタク中二病的漢字仮名遣いに近い。オタク的消費者でも咀嚼できなくもないというか。
たぶん私は、そのあたりが最初から引っ掛かっていたのだ。そして、私が引っ掛かっていたまさにそのオタク的テイストってやつが、よさこい祭りの躍進の一助にもなったのかな、とも想像する。もちろん、それだけでよさこい祭りがブレイクしたわけではないだろうけれど、純然たるヤンキーのほうだけを向いたデザインだったら、たぶん、ああはソイヤッいかなかったのではないか?
よさこい祭りがブレイクしていったゼロ年代は、ヤンキー的なものとサブカル的なもの、ヤンキー的なものとオタク的なものの境目が曖昧になっていき、区別が無意味になっていく途上段階だった。ハッ!そうした融合と拡散が現在進行形だった時代に、二次創作性が高いだけでなく、ヤンキー的な面持ちの裏側にオタク的な間口の広さを隠し持ったコンテンツとしてよさこい祭りが脚光を浴びたのは、幸運な巡り合わせだった、と思う。たぶん、ベストタイミングだったんじゃないのかな?もし、時機を見計らってデザイン&リリースとしたら、高知商工会議所の慧眼恐るべし、である。
飽きてきたのでこのへんでソーラン。
12月14日(土)にラムタラエピカリアキバで行われた内村りなちゃんのイベントに行ってきました。
【再告知】内村りなのイベント開催決定!! | NEWS | HMJM | 面白いAVはここにある | ハマジム
普段こういうイベント行く場合は事前にDVDを買って見てから行くモンですが、今回は事前に買いに行った時にHMJMコーナーが見つけられず、あと店員さんに聞くのもナンダカ恥ずかしかったので当日買っちゃえばいいか!30分店長イベントもあるみたいだし!って事でりなちゃんのDVDを見ない状態でイベントを楽しみ、帰宅してからDVDを見たのですが、この逆パターンのイベント参加体験、皆さんにもお勧めしたいなぁと思ったので書き残しておきます。
30分店長は3Fのレジで12:30スタートで私が到着したのは12:45頃。3Fのフロアに入ってHMJMコーナーに案内してもらい、商品を見つけ、レジでお金を払おうとすると…ナンカ女の子がいる!りなちゃんが30分店長をしてらっしゃいました。ラムタラのレジ、周りにいっぱい商品置いてあるし奥まってるしで中に居るの解りにくいw
りなちゃんにお金を渡してお会計。「イベント行きますね」みたいにお話も出来て、レシートにサインも書いてくれましたよ!あと、レシートの担当欄もちゃんと「内村りな」って印字されててちょっと嬉しかったです。
最上階のイベント会場に移動してイベント開始。りなちゃんは明るくて気さくな女の子で、結構なアイドルヲタなのに接触弱者でいつもアワワアワワ言ってるような私でもそこそこ喋れました。「松尾監督はどうでしたか?」と聞いた時にちょっと間が空いてから「こういうハメ撮り撮影は初めてで…」という話をしてくれたんで「そ、その間は一体…」とちょっとドキドキしちゃいました。
あと、身体が柔らかいのが売りという事で、撮影会でY字開脚ならぬI字開脚(脚が真っ直ぐ上がって一直線になる)を披露してくれてアガりました。んで、I字開脚自体も凄かったんですけど、そのポーズを終えた直後の「えへ」みたいな自然な表情が良かったっす。
気さくで明るくて良い子だったなーと思いながら帰宅し、買ってきた「恥ずかしいカラダ 超軟体エロス 内村りな」を再生。
恥ずかしいカラダ 超軟体エロス 内村りな | SHOP | HMJM | 面白いAVはここにある | ハマジム
最初のインタビューコーナーは今日見てきたりなちゃんそのままの楽しい雰囲気でスタート。途中で明らかに演出ではない感じで画面に入ってきてインタビューの邪魔をする(あれはホントに邪魔してるって感じで面白かった)花岡じった氏に笑っている所でフェラコーナーに突入。
で!ここからが本題なんですけど!りなちゃんのね!表情が一変するんすよ!
男優さんのちんこを咥えた瞬間から、妖艶というかなんというか、すっげぇエロ美しい顔になるのです。今日見てきたあの子がエロい事したらこんなに変わるのか?!とビックリでした。ホント一瞬で全然違う顔になるの。普通AVだったらジャケの写真は良かったのに映像は…みたいな事も結構あるのですが、りなちゃんはジャケの写真よりこのちんこ咥えた瞬間の顔の方が遥かに良いんです。いやマジで。
普通にこのDVD見ててもこれだけ変わったらうぉー!ってなるんですが、今日見てきた、あの子がこんな事に!っていうのもあってホントに高まりました。今までは「DVDで見たあの子と会える!」という楽しみ方しかしてなかったのですが、こういう逆パターンもかなり良いっすね!ナンカこの後から見る方が楽しいかも。ってか、女優さんを追いかけて作品を買うやり方じゃなくて、私のように監督とかメーカーで買ってる人はこの後から見るパターンの方が絶対楽しいと思うので皆さんも是非お試しあれ。
そういやこのフェラパート、普通のAVのフェラパートのような口とちんこの接触メインじゃなくて、身体の柔らかさを生かした無茶なポーズを挟んだりしてりなちゃんの身体を撮ってる場面が多くて見ごたえありました。フェラしてる所をじっくり見たい人にはちょっと物足りないかもしれないけど、せっかくこれだけの事が出来る子が出てるんだからこれはこの方が良いと思います。
続いてそのフェラパートでも色々ちょっかいをかけていたじったさんとのファック。このパートも面白かった!軟体を生かしたえーっ?!ってなる体位が色々出てくるんですが、ホントどうやって説明してどう誘導したのかが解らんような体位もあって、ちんこ抜いた後に思わずりなちゃん笑ってたりするからね。んで、そんな状態なのにエロいんすよ。それに驚きました。マジでマジで。りなちゃんもじったさんも凄い。
さっき未見の状態でイベ行って楽しかったって書いたのですが、ひとつ心残りがあるとすれば、事前にこの作品を見てから行ってたら絶対じったさんの感想聞いたのに!って所。「あの体位の時どういう感じだったんですか?」とか「じったさんどうでした?」とかめっちゃ聞きたかった。ってかやっぱすっげぇ聞きたいので多分またりなちゃんのイベント行きます。
そんなスタジオ撮影から数日後、今度は松尾監督とのハメ撮り。…の前にちょっとだけデートの場面もあるんですが、雨が降ってきたって事で超短かったのが残念。この作品、最初のインタビューのシーンでもじったさんが邪魔してるので純粋な会話の部分がかなり短いんすよね。
その代わりなのかもしれませんが、ハメ撮りの時の松尾監督、いつも以上に喋りまくっておられます。このハメ撮りの時に喋りまくる問題は評価が分かれる所ですが、松尾監督のDVD買う人はこの喋りが聞きたくて買ってるようなモンだと思うので無問題。逆にアタリくらいの勢いです。
んでその喋りまくるハメ撮りシーンですが、イベントの時に見所を聞いてたんですよ。りなちゃんは「騎乗位に自信があるのでそこに注目して下さい」と言ってました。…確かにそう言うだけの事はある騎乗位ですわ。ナンカね!上下運動じゃないんすよ!グイングインと絡みつくような、見るからに気持ち良さそうな腰の動き。あと、りなちゃんはお尻もとても素晴らしい形なのでもうナンカすげーイイっすよ!とりあえずみんな見ましょう!ちなみに私が一番うぉーってなったのはソファで背面座位になった所です。時間は短いんだけど、りなちゃんの身体が全体的に見えてる状態で身体を色々弄られながらぐわんぐわん動いてるのがすげぇ良い。あとは窓際でI字開脚してる状態のりなちゃんと立ったままハメるシーンも注目。そんな状態なのに、ちんこをあてがうとりなちゃんの方から動いて入れちゃうんすよ!とにかく、楽しそうにえっちな事をするりなちゃんはとても素敵でした。
アウトロパートの一番最後にテロップで「もう一度撮りたいっす」って出てくるので、2作目もあるのかな。楽しみです。でも、ナンカ、普段の松尾監督の「気に入ったからもう1回撮りたい」ってのとはちょっと違うニュアンスの「もう1回撮りたい」な気もしますね。単純に良かったからもう1回ってんじゃなくて、面白かったから、もしくはやり残した事があるからもう1回、みたいな感じ。
私は最終回見てモニョッた人間なのですが、何故自分がモニョッたのか原因がはっきりしなかったので
アクターズスクールっぽいところに俳優や歌手、アイドルを目指して頑張ってる
遙、凛、真琴、渚が居て、凛の提案で発表会か大会みたいのに4人で出て
それが最高のステージだったけど、凛が歌の勉強のためロンドンかどっかに留学したため解散。
しかし、高校になって既にダンスでそれなりに評価されてた怜をスカウトし
新生Free!として復活。しかし、怜は音痴だった…でも、努力してご当地アイドルの大会かなんかで
勝ち上がってついに地方大会決勝!これに勝ったら全国大会!ってなったら
凛が今活動していたグループの選抜メンバーから外されて個人での結果も散々、歌うのをやめると言い出す。
で、Free!の怜以外のメンバーが動揺、センターの遙が歌えないとか言い出す。
もうそんなこと言われたら、怜が凛にポジションを譲るしかない。で、譲る。
最高のステージ、再び!ルール違反!?そんなの関係ねぇ!!やっぱ初代Free!最高だぜ!!
もちろんグループは失格、でも新生Free!の絆もSMK48(鮫柄48)の絆も拗れていた初代Free!の絆も深まったぜ!
~終~
…なわけねーだろ!!
てめぇ、怜や怜ヲタの気持ち考えてみろよ!第一、SMK48の凛ヲタの気持ちも、新生Free!ヲタの気持ちも考えろよ!!
(どうでもいいですが、Free!はSPEEDをイメージしました)
「ハルちゃんのソロが終わった後ステージ上でハルちゃんに抱きついて泣いてて可愛かったー!」
なんて書き込んだら炎上どころじゃありません。もう担降り祭り、リムブロ祭りですよ
Free!のメンバーも続々とブログに意味ありげに「皆さん、すいませんでした。怜、ありがとう」みたいなことを書くのです。
そして怜ちゃんがブログに
「応援してくださっていた皆様には本当に申し訳ないことをしました。でも僕は後悔してません。
これはFree!が本当のFree!になるために必要だったことです。」なんて書いちゃうんですよ。
で、5人での写真を掲載するんですよ…
と、ここまで妄想して何故か勝手に自分の中で昇華しちゃってるんですが
結局、私が言いたかったのは、
いくら追い込まれてても替え玉なんて普通しねーし、第一するにしてもちょっとは考えろよとか
なんか来年も…みたいな雰囲気になってるけど不正しちゃったから来年は無理だろうし、再来年は真琴と遙いねーよとか
テメーら運良く次の大会出られて1位じゃなくても最高の景色見れなくても「やっぱ怜じゃ…」なんて絶対思うんじゃねーぞとか
色々あるんですがまとめて言うと
「視聴者なんて関係なくピッチピチの男子高校生が短く儚い青春に自分たち中心の世界で色々やっちゃうアニメが見たい」と思ってたが
ホント、女は面倒くさい
http://d.hatena.ne.jp/drifter_2181/20120301/1330586238
ももクロはすばらしいアイドルグループであると思う。バナナマン設楽がももクロを評して言った「クィーン・オブ・アイドル」という称号はぴったりだと思っている。
じゃあどこで不快な気持ちになったのか。それはももクロがアイドルであることを否定する人たちを断罪しているところにある。
今の世界では「アイドル」は何か?一般的なイメージは「実力の無い歌手」というイメージな気がする。
「アイドル」がいつの間にかネガティブなイメージの言葉になっている気がする。
そこにアイドルヲタと一般層との溝がある。
ももクロを「アイドルの枠に収まりきらない」と言う人の本当の意味は、「ももクロはアイドルなんていうカスみたいなものとは違う。本物だ」ということだ。
それに対してアイドルヲタがムカつく気持ちはよくわかる。
でも違うのだ。誰かが「アイドル」の意味をネガティブなものにしてしまったからだ。
誰が「アイドル」の意味を壊したのだ?「アイドル」を殺したのは誰だ?
-------------------------------------------------------------------------------------