はてなキーワード: やおいとは
twitterでたまに、男オタクは女や非オタク男と比べて「男は仕事、女は家事」のような性別役割分業を支持する割合が高く保守的である、という結論の棒グラフが回ってきているのを見かける(例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/phanomenologist/status/1228500960588124163)。あれはしばしばフェミニストによって「男オタクの女性蔑視の表れ」のように引用されるが、そもそもどういう文脈で出てきた棒グラフだったかちゃんと確かめた人はいるのだろうか? そして、あのグラフをめぐって学者同士の意見が対立していることはどのくらい知られているのだろうか?
ということで、以下であのグラフが出てきた文脈を紹介してみるよ! なお、増田は男オタクだけど、統計とか専門外だよ!
あの棒グラフの出典は、社会学者の北田暁大による若者と趣味に関する研究の一節である(北田 2017: 291)。だがもちろん研究というものはそれだけで完結するものではなく先行研究の積み上げた文脈のもとに成り立つものだ。そして北田(2017)が特に目の敵にして批判しているのが、心理学者の山岡重行による研究である。山岡は2016年の単著において腐女子を心理学的に分析し、腐女子の恋愛観だけでなく彼女たちに向けられたイメージについても論じた(山岡 2016)。
山岡の研究はどう評価すればいいのか難しい。確かに興味深い点が多く、たとえば2015年時点でもオタクに対する否定的イメージが存在し、そのなかでも腐女子は同じオタクからも否定的に見られているということを学術的に明らかにしたこと(山岡 2016: 99, 132)などは、オタクのあいだでは公然の事実とはいえ一定の意義があるだろう。しかし一方で、男オタクと腐女子は相性が良いんだからもっと恋愛すればいいのにというようなアドバイスは大きなお世話というかクソバイスの極みであり、腐女子の心理について質問紙調査のみに基づいてものを言うのはいいとしてもBL作品の構造を論じる上でテキストクリティークを欠いていることは理解しがたい(山岡 2016: 229-230)。山岡はデータに基づく研究の重要性を主張するが、物語の構造などの質的な面に踏み込むのであれば、数字で示されたデータだけでなく様々なテクストに当たって読み込むという人文学的な手法を採用する必要があるはずだ。心理学の実証研究としては面白いが、実証以外の部分で余計なことを言い過ぎている、という評価をするのが最も良いだろうか。
では、それを批判した北田の研究はどのようなものなのだろうか。実はこれ、読んでみるとわかるがかなりのツッコミどころの塊なのだ。
まず、北田がこの調査で用いた方法論について確認してみよう。北田が依拠しているのは、2010年に練馬区の1988年~1990年生まれの男女に対して行った調査である。つまり、2020年現在のアラサーに対して10年前に行われた調査に基づくデータである。このデータは、北田が中心となっている若者の趣味についての共同研究の一環として採られたものであり、北田(2017)が収録されている本に収められた他の論文も同様にこのデータを出典としている。
北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ、男オタクの消費が東の言うようなデータベース消費である一方で女オタクすなわち腐女子(ここ、「ん?」と思う人が多いだろうけどとりあえず脇において続きを読んでほしい)の消費が関係性消費である、という先行研究で提示される図式を踏襲する形で分析を進めていく。当然、ではこの論文で言う男オタクと女オタクってのはどんな集団を指すんだ、腐女子かどうかはどうやって決めるんだ、という操作的定義が求められるわけだが、北田がどんな定義をしているのかを以下で見てみよう。
北田はまずオタクの操作的定義を示すが、この時点で首を傾げてしまう。たとえば「ライトノベルが好きだ」という質問はいいとして、「マンガがきっかけでできた友だちがいる」や「アニメがきっかけでできた友だちがいる」という項目は、そりゃそれに当てはまるオタクは大勢いるだろうがコンテンツがきっかけでできた友人がいるかどうかはオタクとしての本質に何も関係ないよね? もちろんこの研究では若者と趣味というテーマを掲げていて、趣味と人間関係がどう連関しているかという点も研究対象に入るわけだからそういう質問項目が悪いわけではないのだが、それをオタクの定義に使われると困惑するほかない。やめてください! 友達がいないオタクもいるんですよ!
そして北田は、上記のような質問で定義した「オタク」を更に「二次創作が好きか否か」で分類する。つまり、オタクを「二次オタク」「非二次オタク」に区分し、それをさらに男女で分けるわけである。そしてこの「二次創作好き」というのを定義する指標として「マンガの二次創作(同じ登場人物で、原作のストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある」(北田 2017: 270)というのを持ち出している……えーっと、これだと、『銀河英雄伝説』も『炎の蜃気楼』も『東方』も『アイドルマスター』も原典はマンガではないので当てはまらないのではないか? この調査の後にヒットした『ラブライブ!』も『艦隊これくしょん』も『刀剣乱舞』も『ユーリ!!! on ICE』も、いずれも原作はマンガではない。仮に私が当時練馬区に住んでいてこんなアンケートを渡されていたら、「私が買っているのはアニメ作品の二次創作なんだけど……」と回答に悩んでいたことだろう。「作品」「コンテンツ」とでも言い換えれば済むところをなぜ「マンガ」と表現したのか理解に苦しむ。ゲームを全部ファミコンと呼ぶおかんかよ(この喩えもいい加減古くなってきたな……)。
さらにこの調査は、「二次創作が好きな女性オタク(女性二次オタク)」と「二次創作が好きではない女性オタク(女性非二次オタク)」を区別しているが、肝心の二次創作の中身については区別していない。つまり、BL同人を読んでいようが男女カプの二次創作をしていようが「女性二次オタク」だし、商業BLや一次創作同人専門の読み手で二次創作に手を出していなければ「女性非二次オタク」である。つまりこれは、二次創作が好きなオタクを析出することはできても、本質的に腐女子を析出できる調査ではありえない。もちろん同じことが男オタクにも当てはまり、女キャラが無駄に淫乱になって男相手にサカる同人誌も女キャラ同士がプラトニックにイチャイチャする同人誌も同じ「二次創作」である。種つけおじさんレイプと百合を区別できない質問項目をもとにデータベース消費と関係性消費の対立みたいなこと言っていいのかな……いやダメでしょ。
だが北田の定義のおかしさはこれに留まらない。彼はなんと、「二次創作好きでオタク度の高い女性を『腐女子』という言葉でまとめあげることにはもちろん問題がある。二次創作好きとBL好き、やおい好き、女オタクなどの差異を孕んださまざまな概念が交差する地点に『腐女子』概念は存在している」としつつも、便宜的に「『二次創作好きで、オタク尺度が高位2層である女性』を、操作的に腐女子と」定義している(北田 2017: 307)。はぁ???
言うまでもなく、腐女子の全員が二次創作に興味を持つわけではなく、二次創作に興味を持つ女性オタクの全員が腐女子でもないのだから(男女CPや百合の愛好者はどうすればいいんだ)、この段階で北田が研究対象を正確に捉えられていないことがわかる。「BLが好き」という質問項目を入れてないのに「腐女子」の操作的定義なんてできるわけないだろ! この問題については山岡からもtwitterでツッコまれているほか(https://twitter.com/yamaokashige/status/1131363111636615168)、「興味」と「嗜好」を区別すべきだとも批判されている(山岡 2019: 21)。妥当な指摘だろう。意地悪なこと言うけどさ、これを注に放り込んでるのって悪意ありますよね?
さらに、男オタクに関しても、「二次創作好きオタク男性≒ディープな男性オタク」(北田 2017: 294)と記述している。当たり前だが二次創作にはたいして関心もないがディープなオタクはいるだろうと言わざるを得ない。声優のおっかけを熱心にやっているオタクはディープなオタクではあるかもしれないが二次創作が好きなオタクとはいえないだろう。
総じて、北田の研究は、オタクとしてディープであるか否かとか腐女子であるか否かといったことを、すべて「二次創作が好きか」で測ろうとしている。だがそれはとんでもない勘違いである。二次創作が好きな人とディープなオタク/腐女子であることとの間にはある程度の相関関係はあるだろうが、あくまで論理的には一対一で対応しているわけではないのだから、ディープなオタクを定義したければ注ぎ込んだ時間やカネや知識量を、腐女子を定義したければBL趣味の有無を、それぞれ尋ねるべきだったのだ(特に、客観的な測定が困難な「ディープなオタク」と違って、腐女子かどうかは「BLが好きだ」という項目を入れた上で性別と組み合わせれば一発で判定できるのだから、ここで手抜きをしているのは許しがたい)。
少なくとも山岡の著書にはパッと見で「おかしいぞ?」と思うような操作的定義はあんまり見当たらなかったのに、北田の論文の操作的定義はパッと見でもわかるツッコミどころが多すぎる。これもうどんなグラフ出されても信用できないでしょ。データの処理とか以前に操作的定義がおかしいんだもん。
で、北田にさんざんdisられた山岡は別の著書(山岡 2019)を発表して北田に反論している。個人的にはその議論はおおむね妥当であるように思えたので、詳しく知りたい人は山岡(2019)を読むか、彼のtwitterを見てほしい。私は統計とか詳しくなくて、前提となっている操作的定義のおかしさは指摘できても、標準得点に差があることは「対極にある」ことを意味しない(https://twitter.com/yamaokashige/status/1125940271298990080)とか、このへんはまったく気づかなかったので。
最後に、北田と山岡のどちらの研究もおかしい、と思ったポイントがあるので言及しておく。
北田のデータは練馬区の若者から採ったものであり、山岡のデータは都内の複数の私立大学の学生から採ったものである。つまり、東京圏に居住しているか、通える距離に住んでいる若者のデータに偏っており、さらに後者は大学生のみのデータとなっている。これが血液型性格判断の話であればいいかもしれないが(よくないけど)、オタク文化の拠点が東京などの大都市に集積していることと、就労等によって趣味との関わり方が変化すること、そして趣味に学歴が及ぼす影響を考えると、「東京圏の若者」のみに焦点を合わせて「オタク」の全体像を論じることは適当ではない。そこで集められたサンプルは、オタクコンテンツが身近に溢れていて可処分時間が多く学歴も高いオタクのサンプルに過ぎず、オタクの代表例とも若者の代表例ともいえない。
とはいえ、では他にどういう調査のやりようがあったのか? というと、思いつく計画がどれも高額の研究費を要求するものになってしまって個々人の研究ではなかなか厳しい。少なくとも、東京だけでなく日本全国(最低でも、大阪や札幌などの東京以外の大都市圏)からもサンプルを抽出することは必要だろうし、そのサンプル調査には大勢の非オタクも引っかかる以上はサンプル数もそれなりのものにする必要があるだろうし……こういう大がかりな質問紙使った研究ってやったことないからイメージ湧かないんだけどどんくらい金かかるんだろう。
それと、北田も山岡も統計的データを重視しているので、あえて質的な研究には踏み込んでいないのだろうが、それでもやはりいずれの研究も当事者の言説分析を欠いていることは大きな欠点であろう。オタクは自分たちについて膨大な自分語りを残してきており、それを悉皆調査すべきだとは無論言わないが男オタクや腐女子が自分たちのことをどう語っているのかも踏まえた上で論じられればなお良かったんじゃないかな。もちろんそれは大規模な質問紙調査並にめんどくさい手続きであり、代表性とかどうやって保証するんだ、という感じではあるのだが、せめてオタク自身の手になる非学術的な文献はもっと多く引用されていてもよかったのではないか。それは一歩間違えば大塚英志(2018: 136-140)が指摘するような当事者の営為を無視した簒奪的な研究にもなりかねない、と思う(もちろん彼らは文化そのものを論じているわけではないので、文化を論じる研究者に求められるほどの慎重さは要求しなくてもいいとは思うが)。
いやでもやっぱりこれ北田(2017)のほうがひどいわ。山岡(2016; 2019)の操作的定義を見てると、彼自身がオタクではないにせよ、趣味によってつながる人間関係のありようみたいなのを肌感覚でわかってるって感じがするけど、北田の定義はトンチンカンなんだもん。もしわかった上でやってるならクソだけど、仮に本気でああいう定義を持ち出してきたんだとしたら、それはもう根本的に趣味でつながる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないってことだよね。趣味人としてのリアルからかけ離れすぎてるんだよな。
あと北田の研究がひどすぎるからって社会学全般が悪く言われないといけない理由はないので念のため。北田の研究は別に社会学者なら誰もが参照してしかるべきみたいな位置づけのそれではないので……
よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても
2007年の練馬区の若者においては、漫画やアニメが好きで二次創作を好む男が
これ、回答の平均値じゃなくて標準得点を元にしたグラフなのよ。標準得点をもとにそんなこと言えるか? って山岡が批判してるからそれ読んで(https://twitter.com/yamaokashige/status/1126035720122953729)。
ワイが間違ってたわ。言えるっぽい。すまん。
続きはanond:20200722142616で。
なぜかというと「少年漫画でできないことができる」一種の解放区だったから
メジャーな出版社は少年漫画、青年漫画とかの建前上の枠に束縛されていた
当時の男の子向けと言ったら
不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、が王道
「どこに需要があるの?」みたいな扱い
しかぁし!
いい例が魔夜峰央とかだろうな。『パタリロ!』から美少年を取ってみろ
国際謀略スパイアクションにホラーに落語に……どこが少女漫画やねん
当然、少年漫画だったらますますもって編集者が相手してくれない
あと
萩尾望都や竹宮恵子が切り開いた初期やおい(「BL」じゃないぞ)ブームは
大いなる追い風となった
(当時の少年漫画でこれはなかなか受け入れられにくい)
そんなわけで吉田秋生のBANANA FISHみたいな怪作も成立した
1980年代当時の少年漫画がヤンキー臭いスケールの小さな不良バトルばかりの中
本物のピストル振り回して政財界の大物の大人と戦う少年の話の方が
よっぽど面白いだろ!! などと思った男子は俺だけではないはずだ(偏見)
小学生でも知ってるメジャーな存在となったのはやっと1980年代後半
これも当時の少年漫画誌だったら許されなかったよな…
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↑
【追記1】
「『やおい』ではない」「『少年愛』では?」「『JUNE』では?」
すまん、少なくとも1970年代~1980年代中期「BL」という語句は
【追記2】
「少年漫画誌、青年漫画誌でも実験的なSFやらファンタジーやら作品はあった」
諸星大二郎や星野之宣などのような異才も取りあげた点は評価せねばならん
が、寺沢武一みたいな例外を別にすれば安定した長期連載は少なかった印象
【追記3】
「お前が言ってるのは『花とゆめ』とか一部の少女漫画誌の話だろ」
確かに当時も大多数の少女漫画は普通の中高生男女の恋愛物だったと思う
が、俺はそーいうのに興味なかった
【追記4】
その通り! 今にして思えば、虚淵やら奈須やらその他を輩出した
当時のエロゲ業界こそ、団塊ジュニア世代のオタク系クリエイターにとっての
(1970末~80年代初頭のような)古き良きボーナスステージだったんや
【追記5】
すまん(50歳)
昔は年齢操作も女体化も時代物作品の現パロも喜んで見ていたのに全く見れなくなってしまった。
むしろ自分でも年齢操作+現パロ容姿捏造BL二次創作描いてたんだけどある日突然「こいつら・・・・誰だ・・・・?この二人である必要はあるのか・・・?」となって見るのも描くのも不可能になった。
それ以降は自分はどちらかというとモブ攻めやレイプ系のエロばかり描いたり見たり読んだりする人間になってしまった。
女体化や年齢操作現パロ容姿捏造BLを見たり描いている人はどうやってその意思を保っているんだろうか
私はそれを好んで見ていたころは気にならなかった・・・というより、「まあアニメは原作と絵柄違うし、2.5次元も原作の派生と思えばどう描いてもいいか・・・」と思い込むようにしていたので見ることができていた。
最近は症状がさらに悪化して男キャラ同士で恋愛をさせると公式に提示された関係性が崩れるのが気になってしまうので許せる設定の穴を無理やり見つけ出せないと描けないし見れなくなってしまった。
(大雑把に言うと両方に男女の区別がついておらず全く性知識がないので一時的な間違いとして描写されるめちゃくちゃ軽い恋愛)
なぜ女キャラがいるのにそれを差し置いて男同士の恋愛に発展してラブ・・・ラブ・・・することに引っかからないのかわからない
どうして何気ない少しの絡みで付き合ってるなあとか結婚してほしいとか思えるのだろうか
(腐女子だから・・・と言われてしまうとせやな・・・としか言えないのだが。)
もう何もわからない
自分は男同士のセックスだけを見るのが好きなの中身のない腐女子になってしまった(中身のある腐女子ってなんだ?)
男キャラ同士のものは片思いが重症化して発生するレイプ的な物しか見れなくなった。
例えばサウスパークのやおい回以降の例の二人みたいに公式でゲイカップルとして出てきたものは恋愛してるものでも見れる。
それからずっと一つのジャンルにとどまっていられなくなっている。(交流を求めると自然と他人の恋愛をしているBL二次創作が流れ込んでくるため)
モブレはキャラを貶めることになるが、キャラを取り巻く環境が崩壊しないので楽しい。
でもそればかり描いている自分が腐女子の輪の中に入ると異質すぎてマジで浮く。
みんなモブ攻め好き!と言って反応もするし描いたりもするけどそれとは別で恋愛しているBLも好きなので大体CPの妄想をしている。
私はその中で○○くんエロいな・・・エッチ見せてほしいな・・・としか言ってない。キッショ・・・
自分のただ好きなキャラのエロを描く行為だってそのキャラへの冒涜だしただの性欲のはけ口と言われたら何も反論できないのにず~っと他人BLになんで?と言っている。
BLもエロもただの健全なファンアートの域から外れていることに違いはないのに
さっさと二次創作畑からオリジナルへ移るべき人種なのはわかっているが二次創作界隈でワイワイするのが楽しい。
結局二次創作垢の反応は他人の褌で相撲を取っているに過ぎないのだが、オリジナルで誰の目にも留まらなかったら・・・と思うと二次創作から抜けられない。
オリジナルの人はおそらく他人の目がどうこうより先に創るのが楽しい!が優先されていると推測されるので、それが疎かな自分はそもそもオリジナルに向いていないのではないか
しかしオリジナルの世界で自分の考えた最強の男同士の恋愛と最強のエロを描けたらどんなに楽しいだろうか・・・・と思う
なんか鎖で繋がれたサーカスのゾウが鎖外されてるの全然逃げないみたいな話だな
絶対自分好みのBLを作るの楽しいのにツイッターやピクシブでの反応に囚われている
やはりもう腹をくくって腐女子グループからも二次創作からも距離を置くべきか?
苦しいよ~助けて~こわいよ~
>よしんば明示されてたとしてもそのキャラクターはパンセクシャルではないと言及されたのか?
これ見てハッとした。私は性対象が明示されていないほとんどのキャラクターはヘテロだろうと決めつけていたのか。
確かに明らかな女好きの男キャラや男好きの女キャラでさえ同性愛に嫌悪を示す描写が無い限りはどちらでもありどちらでもないんだな・・・
「BLはファンタジー」という常套句への疑問はLGBTからの声を反映してのことだと思っていた。観測範囲がはてなブログだったからかもしれないけど。
最近この話題についてゲイの作家さんが「BLはファンタジーって言っとけば(よかったのに)」と言うのを見て拍子抜けした。
(2007年)「百合は/BLは/やおいはファンタジーなんだから、何したっていいだろ」というノンケの発想って「旅の恥はかき捨て」っていうのと同じだよな
https://miyakichi.hatenadiary.jp/entry/20070625/1182747500
https://ry0ta.hatenadiary.org/entry/20080202/1201956488
(2008年)堺市図書館論争 まとめと個人的見解 後・BL問題編
https://kanatam.hatenablog.com/entry/20081113/p2
最終的には増田のような「注意書き」を添えることが落としどころだとわりと真剣に思っていた。
腐女子が「ポリコレ」に関心を持つ一因はゾーニングや言葉選びに敏感になれと内外から言われまくってきたことかなあ(10年ぐらい前までは)。
個人的には黎明期のニコニコ動画やpixivのオタクが「腐向け」の作品に苛烈な態度で検索避けを強いてきたことが根っこにある。
かたやマナー喚起のつもりの「同性愛を扱ったBLは嫌悪感を持つ人が多いので隠れましょう」みたいな文言が差別を助長するとゲイの人から指摘されることもあった。
当時とは状況が反転したようでいて、ニコ動やpixivの中は変わっていない。二次創作にあって男性向けは自由、女性向けは検索避けさせる状況のまんまだ。
「男女カップリングや百合には何も言わないのに、男性向けのきわどい女キャラの絵は野放しなのに、そっちは隠さないの?」という反問はその中で繰り返されてきた。
検索避け反対派は「みんな隠れろじゃなくて、みんな隠れなくていい、じゃないと互いの首が絞まる」と言ったが結局「どっちも隠れろ」に傾いていって今がある。
「BLのつもりはないけど書いた人が腐女子なので…」と健全系までカップリングタグにばらばらに隠れていたりして作品タグ検索がますます寂しくなる。話がそれた。
栗本薫や高河ゆんやCLAMPがやおい創作していた時期から活動していただろう古兵を増田でお目にかかれるとは思わなかった
萩尾望都や竹宮惠子が耽美とか少年愛とか言われていたらしいし古くはJUNE系がどうのこうのとも言われていたらしいけど
正直ボーイズラブ関係に関してはネットで腐女子が可視化されるまではよく知らなかったし最近になって調べ出したからよく分からない
私がモテてどうすんだ とか腐女子、うっかりゲイに告る とかおっさんずラブ とかの腐女子を題材にしたり腐女子が食いつく作品が最近増えたから百戦危うからずで勉強するようになったけど
雑誌名が由来
因みにBLってのは、JUNE以外にも女性向け男性同性愛創作を扱う商業誌が色々出てきた頃に
801板どころかインターネットも存在しない昔から「やおい」という言葉は存在したし
「やおい=やまなしおちなしいみなしのエロ本を指す名称」ってのは相当初期限定の話だよ
自分の記憶を辿っても、C翼(30年前に腐女子に大流行)の頃には既に
「なぜ何でもセックスありきにしてしまうのかと思うこと山ほどある」
「単体萌えでカップリングもなくてもいい、必ず誰かとカップルにされるの理不尽」
男同士のキャラクターの、性愛が前提でない二次創作作品を求めてる人間がいるようである。
腐女子/腐男子界隈に対して性愛抜きの作品を求めてるやつは、そもそも「腐」の意味を理解してない。
「腐向け」とは、主に男性同士の恋愛をテーマとした「女性向け」作品、つまり腐女子(腐男子)向けの作品のことを指す。 男性キャラ同士の恋愛を扱った創作や二次創作がこれにあたる。
「腐向け」の作品は性的な描写がなくとも登場人物の性愛を前提としているのが当たり前。そういう作品が「腐向け」と定義されたのだから。
だから「腐向け」カテゴリで性愛抜きの関係性作品をマジになって探す方が的はずれなんだわ。
男同士の性愛前提の創作を好まない人間は「腐」の肩書きをおろして「関係性オタク」やシンプルに「○○推し」のように名乗ればいいのではないか。すでに肩書きをおろしてる人はお疲れさまです。
キャラ単体や性愛抜き男同士の二次創作作品が見たいなら、キャラ単独名やコンビ名、正規の作品タイトルのタグなんかから探すべきだ。キャラ単体なら夢分野にも何かしら琴線にふれるものがあるかもな。
プラトニックは知らん。全年齢対象の腐向け作品の中にあるんじゃないか。
オリジナル作品ならブロマンス系や同性の友情要素が強い傾向のジャンルを漁れ。
確かに原作によってはファンアート内の性愛前提二次創作(男男/女女/男女etc)比率が大きすぎるのは事実だろう。
その事実に対して自分好みのファンアートが少なすぎると苦言を呈するのは自由だが、そこに生産性はない。愚痴るだけで理想の推しキャラ作品が増えると思ってるならいつまでも愚痴っていればいいと思うが。
自分好みのものがないなら、はてなで愚痴る時間を使って好きなものが増えるよう努力しろよ。
自分のための作品を作れ、ゴキ腐りにならない範囲で語れ、お前の推しを布教しろ。
誰もそうすることを禁止してない。
30代前半の女オタクです。
学生の頃はオタクがバレたらイジメられる(下に見られる)風潮があったので、
「アニメ好き」「同性愛描写のある作品が好き」なことは絶対に周りに言えなかった。
中高生の頃は全盛期だったやおい系HPを作成したこともあったけど、
大学生になる頃には完全にROM専になっていてオタクと交流した経験が皆無。
令和になってあるジャンルに出会い、十数年ぶりに沼にハマり創作を始めた。
推しと推しCPへの想いを呟き、絵や小説をTLに流すだけの壁打ちみたいなTwitteアカウントを作り、
数はすごく少ないけれど、相互フォローの方が少しずつ増えた。
そして有難いことにフォロワーさんが作品にリプを下さることもあるのだけど、
その返信を打つのが本当に苦手。
私は「創作することが生きがい!」「絵(文章)が上手くなりたい」とかあまり無くて、
推しや推しカプへの愛を吐き出して作品に昇華することで満足するタイプなので
感想嬉しい!と思うけれど「ありがとうございます!嬉しいです!」しか言えない。
ほんと毎回それしか言えない。
「えへへ、好きです(大量のハート)」「わわ・・・嬉しいです(涙)(涙)(大量のハートとキラキラ)」
みたいなの、可愛いのみんなどこで習うの?自分の童貞臭いリプなんなの?と頭を抱えてしまう。
下ネタの言い合い(?)みたいなのも苦手で出来ないし(人様が言う分には何とも思わない)
イプ誘っていただいてしてみたりもしたけれど、文章のやり取りが固いから距離縮まんないし。
仲良くなりたいんだけど、その感じに合わせて返事できないから、ビジネス文みたいになってしまう。
は~~~~オバさんつら~~~~~~~~~~~~~~という愚痴でした。