はてなキーワード: 食事とは
お椀に味噌入れて、
お湯をかける。
ダシ入り味噌ならこれで終わり。
なんか味噌汁ってナベで作らなきゃという義務感があったけど毎日の食事ならこれで十分だよな。
鍋を使わないから沸騰させて風味を落とすこともない。(沸騰させた味噌汁の風味の違いが気になったことは無いが。)
実際このような発言したら発狂まったなしというか実際発狂して怒鳴り散らかして翌日から対して美味くない飯を再開された経験がある。
両親の中では「飯を食べさせてやってる」なんだが俺の中では「俺が作ったほうが多分美味いであろう好みに合わない微妙な味の飯を、両親の趣味である面白くないドラマを垂れ流される台所でちょっと油断すると俺への嫌味と説教が飛ぶ中で両親の機嫌を損ねないようにできるだけ早く黙々ともちゃもちゃと食べきり処理をしている」作業なので、できればというかもう普通に食べたくない。
しかし食べないと食べないで神経にさわるしいらないと言えばイラッとさせるため、残飯の処理と同じ感覚で食事をすることになる
コンビニのカップ麺を車の中でズルズル食べるほうが圧倒的に美味い。
マックの冷めたポテトをもちゃもちゃと甘いコーラで流し込むほうが食事をした気になる
食事というのは何を食べるかよりもどこで誰と食べるかのほうが重要なんだ、と思いながらの今日も意味がわからん嫌味をとなりで聞かされながら飯をくった
わかる。同じ症状あった。とりあえず血糖値を測ってみて。眠くなる2時間前に炭水化物を多く取ってない?
眠くならないように、一膳分のご飯を分割して2時間ごとに食べて血糖値を維持するか、もういっそのこと食べない。各食事の野菜から結構取れてる。体内の血糖値の上下で起きている場合はね。
特権階級がLGBTとか多様性って大事だよね、とかSDGsって大事だよね、みたいなふわふわとした理想を掲げつつ
SDGsを理由にアスリートに適さない食事のメニューばかりを用意したり冷房が水冷でパフォーマンス崩させたり
スポーツクライミングのルート設定で選手の身長考慮しなかったりとかで「多様性の大事さ」など微塵も考えていないことが垣間見えたし
結局「貴族が綺麗事を言って、実際に動く人たち(五輪の場合は選手・普段の社会においては庶民)だけが苦労を背負わされる」ことが顕在化しただけの大会だったな
すぐ笑う人間から「キミはユーモアを理解出来ない人なんだね。ヤレヤレ……」とか言われたら、いや理解した上でつまらんと感じたんだけど?理解出来れば必ず笑えるはずだなんて、お前の思い込みでしかないよね?って腹が立つ。
全然笑わない人間から「その程度で笑っちゃうんだ?フーーーン……」とか言われたら、何?バラエティとかは笑うのを我慢するゲームだと思っちゃってる訳?笑いたくて見てんだから笑って当然だろバカが。って腹が立つ。
まあ笑いがどうとかより、さも相手の基準や目的意識が当たり前であるかのようにして上から目線の発言を食らうとイラつくなって思う。理屈を並べた所で主観でしか受け取れないものだと。
殊それが自分にとって興味関心の深い領域の話だったり、それこそ笑いや音楽や食事みたいな「センス」が問われる(と少なからずの人が思っているであろう)トピックだと過敏になりがちな気がする。
おれは割と「他人の目なんて気にしてませんけど?」なタイプの方ではあるけど、それでもやっぱ上段から偉そうに来られたらそう思っちゃう。
60歳年収100万の弱者男性だけどいつかデートしたときのために高級レストランでの食事をシミュレーションしてみた。
一度も行ったことないけどこんな感じ?
ウェイターが増田さんと13歳の男子中学生カズミをエレガントに迎えます。
ウェイター:「ようこそお越しくださいました。本日も特別なメニューをご用意しております。お席へご案内いたします」
カズミ:「楽しみですね。特に食前酒はどんなものが出てくるのか、ワクワクします」
ウェイター:「それでは、食前酒に『弱者男性が摘んだハーブを使ったスパークリングカクテル』をお楽しみいただけます」
カズミ:「さすがですね。このレストランでは、どんな食事のスタートでも期待を裏切りません」
ウェイター:「本日のおすすめは、『弱者男性が育てた有機野菜のサラダ』と、『弱者男性のロースト シェフこだわりベリーソース』でございます」
カズミ:「僕は『弱者男性が採った新鮮な海の幸のカルパッチョ』が気になりますね。増田さん、どう思いますか?」
増田:「いい選択だ。同じものを頼むよ。メインには『弱者男性の赤身肉ステーキ シェフこだわりバルサミコソース』を選ぶよ」
カズミ:「それは素晴らしいですね。楽しみです」
ウェイター:「こちらは『弱者男性が採った新鮮な海の幸のカルパッチョ』でございます。弱者男性が丁寧に採った海の幸を使用し、シェフが厳選したオリーブオイルとハーブで仕上げました」
増田:「これは本当に見事だ。どうだい、君はどんな味を感じる?」
カズミ:「とても新鮮で、弱者男性が選んだ海の幸が口の中で広がります。ハーブの香りがアクセントになっていて、すごく美味しいです」
増田:「君は味覚が鋭いな。その通りだ、私も同じ印象を持ったよ」
ウェイター:「こちらが『弱者男性の赤身肉ステーキ シェフこだわりバルサミコソース』です。特選された赤身肉を弱者男性の手で育て、じっくりと焼き上げました」
カズミ:「肉がとても柔らかく、ソースの風味が見事に調和していますね。シェフのこだわりが感じられます」
増田さん:「全くその通りだ。ステーキの焼き加減も完璧だし、ソースが肉の旨味をさらに引き立てている。この店に来た甲斐があったな」
ウェイター:「最後に、『弱者男性が育てたフレッシュベリーのタルト』をどうぞ」
カズミ:「ベリーの甘さが程よく、デザートにぴったりですね。これで締めくくるのは完璧です」
私が生まれ育った家庭は両親が家庭内別居していることもあり、かなりの個人主義。
小学校高学年ぐらいから洗濯も掃除も各自で行う、平日は朝食や夕食が出てくるが、毎週金曜日から日曜日の夜まで両親共に不在でどこかへ出かける(仲悪いので別々にどこかへ出かけている)ため、冷蔵庫にあるものやカップ麺などを適当に食べる。
対して、うちの旦那の家庭。
カップ麺などは一切食べない。
家族仲が良く、誰かが出かける際はどこへ行くかなども把握。
はじめは旦那の家庭の仲の良さに感動したが、今ではどうかと思うところがある。
義父は夕飯時にまずは晩酌、お酒を飲み終わったらお米を食べるのだが
義父がビール飲み終わるタイミングで義母が必ずお米をよそいにいく。
たまにそれが出来ないと、義父がご飯。といい、義母が失礼しましたとお米をよそいにいく。
これ、まじお手伝いさんじゃない?
そして義母は時々うちに来るのだが。
約束の30分前に到着される。。
30分前に人の家に来るとか非常識極まりないことを出来るのは、義母が当たり前に義父のお手伝いさんにされているのと同じニュアンスの闇を感じる。。。
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
コメダとドトールは、食事に力を入れているので、コーヒーはそこそこでも別に構わない。
不可解なのがタリーズ。別にコーヒーたいしたことないし、かと言って食事にも力を入れているわけでもないし、店の雰囲気も微妙なのに、どうしてあんなに流行っているのだろうか。タリーズ推しの人教えて。
考えられること
引き技が多くなり、これは相撲ではないSUMOだとか、格上には仕方ない戦い方だとかいわれる。
引き技を警戒して、頭からあたる立ち会いが減る。
他国の選手のタトゥーが目立つ。面積も多いので、選手によっては広告のようなタトゥーが入るかも知れない。
団体戦は勝ち抜き5人で激アツ。
友人が同人活動にハマった。かれこれ3年ハマっている。友人が同人活動にハマるまではよく遊んでいた。国内外旅行へ行ったし、誘えば二つ返事で来てくれた。仕事終わりに飲みに行き、オールしたり、なんなら突発的にホテルとって泊まって語り明かしたりした。
そんな友人がある日突然、「久しぶりにハマるジャンル見つけた」と言った。
自分も教えてもらって一緒に履修した。自分はそこまでそのジャンルにハマりはしなかったが、話としては楽しくて映画化した時は一緒に観に行ったくらいだ。友人は何度も見ていて、一緒に映画を観た帰りも飲みながら感想や考察をして盛り上がり、夜更かしをし、次の日慌てて互いに仕事に行ったものだ。
友人はそのジャンルの同人活動……いわゆる二次創作に手を出した。「自分の胸の中にある熱い思いをとにかく形にしたい」と言い、iPadを購入し、絵の勉強をしながらイラストを描き、そして漫画の練習も始めた。最初はなかなかうまくいかずにいたが、それでも時間をかけて頑張ってつくり、とうとう形として生まれた。自分はその話を聞いて喜び、頑張ったねと言い、お祝いもかねて食事をした。それが3年前。
2年前。友人は同ジャンルの人たちを交流を持つようになった。SNSで仲良くしていたのだがそのうちの一人と住まいが近いことが分かり、オフでも頻繁に会うようになった。その人はいわゆる「神絵師」だったらしく、友人は絵の描き方や漫画の描き方、ソフトの使い方などのノウハウを受け、また神絵師と仲良くしていると同ジャンル内の人とも更に交流を持つようになっていた。もともと友人は明るく分け隔てなく付き合うタイプだったのもあり、イベント後のオフ会でたくさんの人と仲良くなって帰ってきていた。
この頃から友人との会話はジャンル内の友人の話、漫画の原稿の話がメインとなっていった。
1年前くらいからか。自分から遊びに誘っても「原稿の締め切りが」と言われることが多くなった。友人が楽しんでいるのであれば頑張って欲しいと思い見守っていた。締め切りギリギリになっても入稿し、本として形となり、新刊としてイベントに出た時にテーブルの上に並ぶ。友人はとても嬉しそうにしており、界隈の人たちとも仲良く楽しく過ごしているのがSNSからも伝わってきた。時々ボイスチャット付きのゲームをしながら遊んでいても、その楽しい気持ちと雰囲気は音声に乗って自分の耳に伝わってくる。楽しそうでよかった、そう思っていつも話を聞いていた。
つい最近。友人を遊びに誘ったところ、断られてしまった。1年前の「原稿の締め切りが間に合わない」と言われたあの日を最初に数えると、とうとう両手で足りるかどうかの回数になっていた。断られる際に「きみの予定や時間が余ったら誘ってくれ」と言い、友人は「分かった、絶対に誘う」と言ってくれていた。しかしついに友人からの誘いはなく、SNSを見ていると界隈の友人を誘ったり突発的な飲みを開催して楽しんでいた。
気付かないふりをしていたが、自分は同人活動という趣味に負けてしまったのだと思った。
もしかしたら自分が友人に嫌われていたのかもしれない。そうじゃなかったとして、友人は今とてもハマっているジャンルが楽しくて仕方ないのかもしれない。友人は漫画を描きながら「こんなにハマったのは初めて」「今すごく楽しい」「こんなに楽しいことあるんだ」とよく言っていた。趣味をとても楽しんでいる様子で、自分はそんな姿を見ているのが楽しかった。よかったな、もっと楽しんでおいで。そう思っていた。
けれど友人から見て自分は趣味よりも下に見られているんだと気付いてしまった今、正直いままでと同じように接するのは難しいと思った。
自分が友人に対して距離感を間違っているのはあると思う。しかし同人活動はあくまで趣味だ。新しい本を常に出さなくてはいけない理由も義務もない、そこで金銭の損害が発生するわけではない。でもイベントで新しい本をテーブルの上に置き、誰かが手に取ってくれるのを目の前で見る喜びは何物にも代えがたく、今まで原稿と向き合ってきた時間が報われるものだろう。分かっている。分かっているからこそ、人との約束を反故してまで優先すべき趣味なのかと思ってしまった。
タイトルのとおりなんだが、マウスピースを使うタイプの歯列矯正をしている。食事の時だけ外すのだけど、このとき外したマウスピースは水洗いしてケースに収納する。食後はできれば歯磨き、歯間ブラシなども使ってからマウスピースを着けたいのだが、自宅はともかく外出中だとそういうわけにもいかない。
外すときはコンビニのトイレなど借りて、手洗いのついでにマウスピースまで洗ったりするが、さすがにコンビニや駅のトイレで歯磨きをするわけにもいかない。
使い捨ての歯間ブラシで最低限の掃除をするくらいしかできないのだが、本当は歯磨きまでしたいんだ。
矯正医治療中とかでなくても、街中で日中歯磨きしたいっていうニーズはないのかな
外すときも、コンビニが混んでたりすると人前でマウスピース外して洗うのは憚られるときがあるので、有料でもいいから気兼ねなく使える洗面所があるといいのだけど。
先日、猫島と呼ばれるところへ行ってきた。
猫を飼ったりしたことはないけれど、初めて猫に餌をあげて何匹もやってくるのはすごく心地が良かった。
猫島と呼ばれるくらいなので、人慣れしてるから登ってこようとするような猫もいる中で、猫を抱っこすることはおろか、撫でることすら出来なかった。
多分、猫に拒絶されるのが怖いんだなと。
人間に対しても距離感が掴むのが苦手な私だが、猫に対してもそう思ってしまうんだなって思った。
と言う話を友人にしたところ、親友と呼べるような友人から「なんでもコンプレックスに繋げるのやめない?」と言われた。
別に、真剣に嫌がられているトーンで話されてたわけじゃないけれど、自分の人間性に嫌になってしまった。
直近で、違う友人にも同じことを言われたこともある。
多分、正常な人には理解されないと思うのだけれど、この思考回路を単純にはやめられないというか、何事も全てコンプレックスに繋がってしまうのだから、本当にどうしようもないのだ。
例えば、料理屋で美味しいものを食べた時、食事が好きな人は「料理が美味しくて幸せ」という感情になると思うのだけど、私は「こんなに美味しいものを作る人がいるのに、自分は大したものが作れないな」と考えてしまう。
誰かの活躍なんて聞きたくない。
20代に出会った友人たちは、色々あって縁が切れているが、界隈的には活躍してる人も多いと思う(ネットを通じて嫌でも見てしまうことがある)が、知りたくないからなるべく触れないようにしてる。
最近はフィクションである物語作品を見ていても、登場人物と自分を比較してしまい、精神が参ってしまう。
それを冗談めかして数少ない友人へたまに話すことによって自分の精神の安定を計っていたが、相手もどこまで真剣に言っていたかはわからないけど、やめない?と言われたからには、もちろん控えるつもりだ。
吐き出す場も無くなってしまい、どうしようもなくなってしまい、こうしてはてな匿名ダイアリーに書いている。
よくストレス発散には「散歩して、美味しい料理を食べ、趣味に没頭する」(例はさておき)みたいな話がある。
でも私は散歩しても「無駄な時間を過ごしてしまった」と思うし、美味しい料理を食べてもさっきのようにコンプレックスが刺激されるし、そもそも没頭できる趣味はない。
趣味的なものは、全て「自分よりできる人、詳しい人はたくさんいる」と思って続くものは一つもない。
現在、人生最長記録である2年半くらい続いたものも、だいぶコンプレックスが刺激されてきて嫌になってしまったので、正直やめようかと悩んでいる。
多分こんな極端な思考回路な人は少数だと思うから、共感されないことはわかっているが、もし共感ができる人がいるならば、どうやって精神の安定を保っているかを教えて欲しい。
35歳女なんだけど、
するとなんだかんだ友達ぽいものができ始め、いろんな誘いがきはじめる
よく顔を合わせるうちになんとなくこの人いいかもと思える人も出てきて、ちょっとずつ仲良くなってる
んだけど、もう35だからこんなペースでやってたら子供作るのは無理そうだし、意味がないからそろそろ婚活は辞めようと思う それなりに楽しかった
あと五年早くやっとけばよかったかも
値段の重さもあるけどあんたが相手との距離感考えずに仲良くなりたい下心丸出しでキモいって話では?
生花←生花を家に飾る習慣がある相手以外には迷惑、恋愛対象として見てほしい下心しか感じられずキモい
サシの食事に誘う←そもそも誘いを快諾してもらえるような距離感に見えない、誕生日の貴重な一日(当日じゃないかもだけど)をあんたに使う価値がある相手になれてる?店選びはそれからだろ
邪魔なら捨ててと言って渡す←どんな安物消え物でも人から貰ったものを捨てるストレスはある、プレゼント一緒にストレスを押し付けてる この言葉で消えるのはあんたのストレスだけ
全体的に相手を祝うというのが建前になって自分の目的を達成することしか見えてない自己中心的な人間だと感じる
まず誕生日を祝うことを仲良くなる口実にするのをやめて相手を喜ばせることだけ考えたら?一般論より相手が喜ぶものを選ぶのが大事だろ
相手が何を喜ぶのかすらわからない距離感なら何もしないのが最善、イベントごとだからって必死にならずにまず普通に仲良くなることから始めなよ
20歳の弱者男性なんだけど昨日知り合いから「いい子だから会ってみて」と紹介された女とデートしたんだよ。
初めて会う時って、なんか期待するじゃない?どんな子なんだろうって。
で、いざ会ってみたら、まあ、予想とは違ってた。
で、いざ合ってみて食事に行ったんだけど話しかけても、返事はそっけない。
スマホをいじってばかりで俺にはほとんど関心がなさそうだった。
そのうち、彼女は「SNSに上げるから」と言って料理の写真をパシャパシャ撮り始めた。
どうやら、自分のフォロワーが彼女の頭の中を占めているようだった。
なんだか急に気が遠くなった。いったい、俺は何をしてるんだろう、と。
彼女に全く興味が持てなくて、これはもう無理だと思った。
で、トイレに行くと言って席を立ったんだ。
外の風に当たると、なんだか急に気持ちが落ち着いて、帰ろうって気持ちになった。
で、そのまま店を出て、家に帰ったんだよね。
翌日、彼女からLINEが届いた。「なんで帰ったの?」と、メッセージには絵文字が一つもなく、怒りの感情が画面越しにも伝わってきた。
「興味が持てなかった」って正直に答えると、「は?私に興味ないの?」と、今度は電話がかかってきてキレられた。
どうやら彼女の中では、興味を持たれないということはあり得ないことだったようだ。
自分がどれだけ魅力的かを長々と語られ、俺の頭の中には大きな疑問符が浮かんだ。
これって俺が悪いの?
さらに彼女は「食事代払え」と言い出して、ついには俺の財布にまで口を出す始末。
「デートするならそれぐらい当然でしょ?」って感じで、俺は完全に面食らった。
これ、俺が悪いの?女ってみんなこんなんなのか?
「飯代くらい奢れよ。器小さいなー」って言っちまったんだけど、それがまた火に油を注いだみたい。