はてなキーワード: 自己肯定感とは
このあいだいろいろあって数年間憧れてた人に認識されてるって知ったんですよ。
ネット上でしか知らなくて、繋がってもいないんですけど、なんだか知られていたわけです。ここ詳しく書く気ないので好きに想像して。
そこからは嬉しさと恐怖がもうないまぜ。
多分わかる人にはわかるだろうけど、わからない人にはまっっっっっっっったくわからない感覚だと思うんですが、憧れてる人、好きになった人にはなるべく自分の存在を知らずに一生を終えてほしいなって思うわけなんですね。
なんで?そこから交流持てるようすればいいのでは?って思う人もいるとおもう。それに関してはすごく健全で健康的な思考だなって思う!ある程度の自己肯定感を持っているひとなんじゃないかな。
でもさぁ、自分っていう存在を、知られれば知られるほど嫌われるものだと思ってるんですよ。何をやってもダメで、人をイラつかせるんだと思ってるんですよ。
こんな一ミリも価値のない人物なんて、憧れの人の世界に存在してほしくないんですよ。
なんかもう人生やり直したほうが早い気がしてきた。
結婚して3年が経ち、30になった旦那から子どもが欲しいと言われた。
私、苦笑い。私は正直欲しくないと言った。
私はADHD持ち。毒親じゃなかったのは幸いだが、学校生活が辛すぎて未だメンタルが不安定。学校も行ったり行かなかったりで、会社も最初頑張ってても段々体調不良になり、最終的には有給使い果たして退職する事2回。今は専業主婦。
旦那は、裕福な実家にも恵まれ、成績優秀、スポーツ万能。仕事も出来る。自己肯定感に溢れてる。
そりゃね、あなたみたいに小さい時からまわりからチヤホヤされてれば、子どももそうなるんじゃないかと思うでしょうよ。
でもね、半分は私の血も入るの。小さい頃から不器用で、成長が遅くて、運動神経が悪くて、かといってすごく勉強が出来る訳でもなく、中学生になる頃には親に「殺してくれ」と泣き叫んだ私の。大人になっても死にたいは消えない、社会に馴染む事ができない私の、血が入るの。
旦那は私に、「発達障害があるようには見えないし、あなたみたいな子が生まれても可愛いと思うし、すごく大切にする。どんな子どもが生まれても、受け入れる。もし学校が辛いなら、転校したり、どうすればいいのか一緒に考える」って言ってくれたけど、発達障害は生まれたことそのものが苦しみだから。それに、どうしようもない子が生まれてしまった親の苦しみは、想像を絶するよ。
こんな事思ってるけど、旦那と結婚した時から子どもはいつか持ちたいと思っていた。いつか。でも、いつかはいつまでも来なかった。私も30近くになり、旦那もまわりが出産ラッシュの事もあり、子どもが欲しいという気持ちが強くなってきた。私は未だ、欲しいとは思えない。踏ん切りがつかない。
それで昨日、「あなたが30歳になっても子どもを作る気がないなら別れよう」と言われた。旦那は本気である。
あぁ、これはもう本格的に作らないといけないんだなぁ、と思った。30歳まであと1年程あるから、まだ子作りは待ってもらってる。
私は旦那の事が好きだし、出来ればもっと長くこの生活を続けて、子どもを作ることを肯定的に思えるまで、待って欲しい。
でも、旦那はいつまで待てばいいの、という。「俺もう30歳なんだけど」。
旦那と別れる道は考えられない。私のような弱い女性は、仕事もままならないから、専業主婦させてくれる旦那の元で、母親になる道が立場的にも一番に思える。
でも、子どもを作る事を考えると落ち込む。私の遺伝子を濃く継いでしまったらどうしよう。思春期になって、その子も私に向かって「何で生んだんだ、殺してくれ」と言うのだろうか。
子どもを産む前に、子育てがもしダメだったら、「子育てをどう辞めるか」という事を今から考えている。
申し訳ないけど、旦那に親権を渡して離婚しようと思っている。旦那は仕事忙しいけど、彼の方が実家が太い。お義父さんとお義母さんも優しくて面倒見てくれそう。私は、子ども育てられない!ってなった頃には精神科行きまくってるだろうから、それを理由に育てられないって言い張ろう。
私は実家に帰る。パートしてたらすずめの涙だけど養育費渡したい。父母は、子どもを旦那に渡して出戻りした私に呆れ返るだろうな。でも、元々子ども欲しかったの旦那だし。
まぁ、子育て無理で実家に帰った時にはもう色々絶望してるだろうから、ここで自殺するかもな。
あと、子ども産んだあと、産後うつになったら、そのタイミングで自殺ってのも考えてる。子どもいるいないに関わらず常に死にたいけど、産後死んだら、死んだ理由が「産後うつだったから仕方ないね」ってなりそう。
印象的な出来事だったので、ネットの海のどこかに残してみたいと思った。この場のことは代名詞が増田さんなことくらいしか知らないが、唐突な自分語りをしても許されそうなのでここに書くことにする。
妹と私は年が離れており、私は妹の生まれた時から姉と母親の中間みたいな立場で妹の成長を見守ってきた。
幼い頃の妹は、子供らしくて可愛い子だったけれど、あまり要領の良い方ではなく、優等生タイプだった私としてはヒヤヒヤすることが多かった。たとえば、自分から率先してクラスの中心にいる意地悪な女の子の取り巻きになって、何でも借りパクされてしまうような子だった。
この頃から成績は良くなく、田舎の公立小学校のテストでも平気でひどい点をとっていた。妹曰く「提出さえすれば自由時間になるから半分は解かずに出してた」とのことだったが、それを差し引いても何をどこまで理解していたのかはわからない。たぶん人間関係的に、良い点を取らない方が便利だったのだろうと思う。
そんな妹は、地元の中学校に入ってから、当然のように性格の悪い女の子の取り巻きになって媚びへつらうようになってしまった。成績は5教科で280点くらい。そして、案の定といっては可哀想だが、ひどいいじめに巻き込まれて不登校になってしまった。
このとき私はちょうど東京の国立大学に合格し一人暮らしを始めたところだったのだが、電話で親と話しながら妹の気持ちと将来を思うと、心がヒリヒリした。妹の体験と比べたら大したものではないが、自分にも荒んだ公立中学校独特の空気の中で、自己肯定感を失っていく気持ちには身に覚えがあった。
妹が幸運だったのは、両親が進歩的な考えの持ち主だったことだろう。
保健室登校で今の学校に通ったらどうかと言う私や学校教師の意見を無視し、両親は妹を不登校児の集まる遠方の私立中学にさっさと転校させてしまった。とにかく制服が可愛く、規則が緩い学校だった。集合写真を見ると、男子生徒の地味さと女子生徒の派手さがアンバランスな程際立っていて、私は「こんなのいかにもじゃないか」と心配した。
しかし、妹は、この特殊な学校への転校という大きな賭けに勝ったようだった。半ばカウンセラーのような先生方と一緒に時間をかけて精神を回復させ、1年ほどすると転校前の同級生がいない遠方の遊び場になら外出出来るようにもなった。
また、この頃から、いつかは昔の同級生を見返してやりたいと思うようになったようで、美容と勉強を頑張るようになった。特に勉強に関しては、多くの同級生が通信制や定時制の高校に進学する中、普通科高校に行きたいと強く希望した。当初の妹は不登校時代のブランクのため中3頭になってもbe動詞の活用だとかx^2-4=0の因数分解だとかが分かっていなかったのだが、元が低いだけにやる気になってからはぐんぐん伸びた。そして、進学校ではないものの、偏差値60弱くらいの私立高校の進学系のコースに最低点で滑り込んだ。なぜ最下位なのを知っているかと言うと、入学後に先生から異例の二者面談を組まれ、激励されたからだ。
そこからの妹は一層、人が変わったようだった。「JKっぽい遊びは中学でもうこりごり」とばかりに、不登校時代にやっていた痛いSNSもネット上の囲いも捨て、半ば遊びだった彼氏もいなくなり、字が綺麗になり、プリクラが減り、電車内で英単語帳を読むような高校生になった。高校のレベル別クラスも、半年で1番下から1番上まで上がり、これには両親と私も驚いた。
特に、ビリギャルに倣ったのだろうが高1高2では英語ばかりを熱心に勉強していた。英語系の塾にも通い出し、1年ほどで当時TOEIC800点の大学院生だった私をゆうに追い越してしまった。中学まで不勉強だった名残で、英単語帳に出てくる日本語の単語の方を知らない、漢字が読めないということが多発し、英語の語彙が増えるに連れて日常会話がルー大柴化した。その後、次第に英語以外も徐々に勉強するようになり、成績はうなぎのぼりだった。もちろん本人の中では、伸び悩んだり、不安になったりすることもたくさんあったそうだが、側から見ていると面白いほどに成長していた。志望大学もどんどん上がっていった。
そしてこの春、妹は通常より1年余分にかかったものの、早慶MARCHの滑り止め受験校3校をすべて合格したのち、晴れて第一志望の大学に進学する。妹は「これでようやくお姉ちゃんと肩を並べられるわ~。姉が○大生とか、これまでは人に言えなかったんだからね」と言った。
姉からすると、どん底から這い上がってきた妹の方が、とっくに自分よりすごいと思っていたので、妹がまだそんなことを思っていたことに驚いた。でも、自分がプレッシャーになっていたと同時に、ひとつの道しるべにもなっていたようでそれは嬉しい。
もともと地頭が良かったんだろうとか、親に金があったからできたことだとか思う人もいるかもしれない。また、大学合格なんてまだ単にスタートラインに立っただけじゃないか、まだ何も終わってないぞという指摘があるかもしれない。ごもっともだ。それでも、私はここまで来た妹の努力がすごく誇らしいのだ。
この先の人生、私たちの出身地の田舎じゃできないことをたくさんしていってね。姉はあなたのことを応援しています。
姉増田より
どうせ謙虚な私演じまくってみんなからヨシヨシされたいだけのかまってちゃんのくせに
自己肯定感が低いとか自分に自信がないんじゃなくてみんなにそんなことないよーって言われたいだけでしょ
趣旨と外れるが自己肯定感高すぎて天狗になりがちなうえ自分は仕事出来てると思い込んでとくに向上心もなく失敗しても反省しなくてビッグマウス叩くことをポジティブシンキングと言い張ってるうちの正真正銘クズみたいな後輩よりは絶対マシだろうから増田はもう少し自信持って仕事していいと思うぞ
こういう手合い、とりあえず何らかの要因で自己肯定感が低いまま成長せざるを得んかったんだろうと好意的に見るとしても、自己肯定感を低めた周囲や親が悪いのか卑屈さネガティブさを自覚していながら大人になっても物事をもっと前向きに捉えてポジティブに変わる努力を未だにしない当人が悪いのかどっちなんだろうな
逆だよ
攻撃されてきたから自己肯定感がそれこそ最底辺まで低められているパターンの方が多いんだよ
そしてそれは小中学校辺りのいじめや親や先生から肯定してもらえなかった経験から始まってたりするから半分洗脳みたいなもんで今更言い聞かせてスグ治るもんでもないからどうしようもない
まあ、元増田のそれは行き過ぎな気もするが
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 67 | 11249 | 167.9 | 40 |
01 | 55 | 5321 | 96.7 | 37 |
02 | 33 | 12201 | 369.7 | 97 |
03 | 16 | 764 | 47.8 | 30.5 |
04 | 33 | 1114 | 33.8 | 13 |
05 | 10 | 126 | 12.6 | 10.5 |
06 | 17 | 1513 | 89.0 | 44 |
07 | 48 | 2986 | 62.2 | 44.5 |
08 | 80 | 5608 | 70.1 | 38.5 |
09 | 110 | 10789 | 98.1 | 39.5 |
10 | 140 | 10845 | 77.5 | 38 |
11 | 134 | 13970 | 104.3 | 38.5 |
12 | 121 | 12818 | 105.9 | 37 |
13 | 139 | 13635 | 98.1 | 34 |
14 | 96 | 13371 | 139.3 | 46 |
15 | 108 | 11117 | 102.9 | 47.5 |
16 | 122 | 11207 | 91.9 | 48 |
17 | 142 | 15070 | 106.1 | 48 |
18 | 99 | 8172 | 82.5 | 43 |
19 | 73 | 16480 | 225.8 | 44 |
20 | 81 | 16174 | 199.7 | 51 |
21 | 108 | 17620 | 163.1 | 34 |
22 | 155 | 33097 | 213.5 | 52 |
23 | 129 | 22768 | 176.5 | 48 |
1日 | 2116 | 268015 | 126.7 | 41 |
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6歳の男の子の虐待動画について、バイキングで議論されていた。
暴力を伴う「躾」はNG、だけれども、「躾」自体はよい事だというのが、共通の見解だった。
けれども、人は「躾」をする時に、暴力を伴わなくとも、きつい言い回しで、脅し文句や(○○しないと、おやつあげないよ、とか)、突き放したセリフ(好きにしなさい、置いていくよ、とか)を日常的に使うケースは思いのほか多いように思う。
自分に置き換えてみればわかるのだが、決して気持ちの良いものではないし、モチベーションや自己肯定感を上げるものでももちろんない。
そもそも「できない」人間に対し。何かしらのペナルティーを科すことを普通だと思っている人間に、躾を理由にした虐待をとやかく言う資格があるのだろうか、と思えてならない。
対子供に限らず、対大人に対しても、似たようなことを私たちはやってしまいがちだ。
どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。
誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ちで文章にします。
後を濁す気満々で申し訳ない。
(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)
(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)
というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。
数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います。
とりわけ数値で自己と他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットでしかありませんでした。
まず、自分の創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいるもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています。
なまじ創作物に解釈や感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときのジャンルやCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。
その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。
主観的なものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身の立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。
(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)
私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。
「神絵師」という判定こそその人の主観でいくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。
前述の通り、私は自己の脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、
前述の通り、なまじ創作物(主に漫画のことなんですが)に解釈や感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。
絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜きに交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。
好きな作品についてや日常の雑談について語るにあたっては「同じ路線の感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます。
でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます。
特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。
「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」
フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。
そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。
実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。
万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。
それがその人にとっての本心であろうと。
何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。
万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。
というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います。
私はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定の話題に対してはその人達に対して勝手に距離感を感じてしまっているように思います。
そういう垣根抜きに自分の作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。
自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。
…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通の感覚だと思います。
性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通の感覚だと思います。
自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分の作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています。
(絵を描く人描かない人関係無しに、自分の作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通の自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)
普通、神絵師はそうでない自分の作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由が必要でした。
作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。
ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。
尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。
誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手に意識している自分ただ一人が悪いです。
「作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、
正直、神絵師でない括りの中で自分の作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています。
贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分は創作者としての現状にはとても満足していました。
それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないものの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。
だから私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈をアウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないから結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています。
(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情を一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的に理不尽な感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)
そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情を自分の中で生み出していました。
最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど
「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。
そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案でしかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかったからNOなんて言いようがなかったんですけど。
神絵師にサンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。
ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。
実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。
よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので
(いやでも必要なんですよ…とある神絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手は相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的に好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)
この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます。
本当にその通りだと思います。
いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています。
逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります。
大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアルの自分が人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います。
いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。
あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルだから」「女の子だから」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からのいいねを蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。
(と思う感情すら自分の劣等感を正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)
でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。
私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情を吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。
そういう感情はネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分だからこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。
本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。
という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね
すいません、ごめんなさい、結局私は自分の感情をエゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。
でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。
前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれて区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要なものなんだなと痛感しています。
それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。
そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的な劣等感を押し付けてしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています。
冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情が根付いてることには変わりないです。
ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います。
自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間と関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます。
本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います。
あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。
賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見ご感想お待ちしております。
ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターをフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっと分からなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました。
またお会いできたら嬉しいです。
それでは。
どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。
誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ちで文章にします。
後を濁す気満々で申し訳ない。
(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)
(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)
というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。
数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います。
とりわけ数値で自己と他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットでしかありませんでした。
まず、自分の創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいるもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています。
なまじ創作物に解釈や感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときのジャンルやCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。
その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。
主観的なものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身の立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。
(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)
私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。
「神絵師」という判定こそその人の主観でいくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。
前述の通り、私は自己の脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、
前述の通り、なまじ創作物(主に漫画のことなんですが)に解釈や感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。
絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜きに交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。
好きな作品についてや日常の雑談について語るにあたっては「同じ路線の感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます。
でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます。
特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。
「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」
フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。
そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。
実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。
万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。
それがその人にとっての本心であろうと。
何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。
万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。
というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います。
私はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定の話題に対してはその人達に対して勝手に距離感を感じてしまっているように思います。
そういう垣根抜きに自分の作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。
自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。
…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通の感覚だと思います。
性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通の感覚だと思います。
自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分の作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています。
(絵を描く人描かない人関係無しに、自分の作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通の自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)
普通、神絵師はそうでない自分の作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由が必要でした。
作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。
ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。
尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。
誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手に意識している自分ただ一人が悪いです。
「作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、
正直、神絵師でない括りの中で自分の作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています。
贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分は創作者としての現状にはとても満足していました。
それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないものの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。
だから私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈をアウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないから結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています。
(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情を一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的に理不尽な感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)
そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情を自分の中で生み出していました。
最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど
「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。
そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案でしかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかったからNOなんて言いようがなかったんですけど。
神絵師にサンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。
ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。
実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。
よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので
(いやでも必要なんですよ…とある神絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手は相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的に好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)
この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます。
本当にその通りだと思います。
いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています。
逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります。
大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアルの自分が人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います。
いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。
あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルだから」「女の子だから」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からのいいねを蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。
(と思う感情すら自分の劣等感を正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)
でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。
私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情を吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。
そういう感情はネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分だからこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。
本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。
という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね
すいません、ごめんなさい、結局私は自分の感情をエゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。
でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。
前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれて区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要なものなんだなと痛感しています。
それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。
そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的な劣等感を押し付けてしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています。
冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情が根付いてることには変わりないです。
ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います。
自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間と関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます。
本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います。
あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。
賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見ご感想お待ちしております。
ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターをフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっと分からなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました。
またお会いできたら嬉しいです。
それでは。
別に嫌いなわけじゃない。高校からほぼ会ってないけどそれなりに好きだ。
わかんなくない???
行きたいアーティストのライブチケットが1万、おいしいパフェが1500円、バナナが150円だよ
ライブ3回、パフェ20個、バナナ200房分がたった一日で飛んでいくんだよね?
祝う気持ちはあるけど、親友以外にポンとあげられる金なんて1万5000くらいだわ
そもそも自分結婚しないし、しても結婚式しないし、この時代そういう人多いんじゃない?そもそも既にお互い様じゃないんだよね。永遠に戻ってこないお金。一人暮らしの20代女の3万。高いご飯にも興味無いし、ドレス別に着たくない。
職場の先輩には「出会いの場だよ!楽しまなくちゃ!」って言われた。一番どうでもいい。
同窓会と思っていくけど、新郎知らないし、嫌いな奴も来る。楽しみじゃない。
人に祝わせて3万持ってこさせて平気でいられる神経は私には無いけど、別にその子自体は全然嫌いじゃない。
それが許される、みんなに愛される子だと思う。こんなこと考えてる友人なんて私しかいないだろうし。
変な話だけど、なんの疑問も持たず結婚式開けるようなポジティブかつ自己肯定感もってる人だから結婚できるんだろうね。
そのこと自体は全然悪くないし友人も悪くないし私も悪くないと思う 性格は悪いが
とにかく3万 3万だよ 全部3万が悪い クソが……