はてなキーワード: 自己肯定感とは
自分は絵が下手とかなんとか言ってる人がいるんだけど、そんな下手じゃないし、むしろ上手い部類の人だし、自己肯定感が低いんだろうなと思いつつ、毎日たくさん絵描いててすごいなと思ってた。
でもその人、引きこもりなんだと気づいた。昼夜逆転してるし3分おきくらいに日常ツイートも内面ツイートもダダ漏れ状態。バイトなどしてる気配もない。社会人でもないし学生でもない、働かなくても生きていける環境にいて時間がありあまってる人間。
最初は面白い人だなと思っていたけれど、引きこもりと気づいてからは有り余る時間を好き勝手に使っていることへの嫉妬が湧いてしまった。
大多数の人間は労働や学業(技術取得のための修行)で時間を取られた上で趣味活動に時間を注いだりするけど、この人にはそういう時間の制約がない。将来こうなりたいといった目標に向かって鍛錬してるというわけでもなく、ただ単に逃避で趣味に没頭している。(遠い未来で今の経験が活きる可能性はあるだろうが、現状は逃避にすぎない)ずるいなぁ。
本人も現状に何かしら負い目を感じてるから自己肯定できないんだろうなと思った。で、これは良くないとか、この人をどうにかしようだとか、引きこもりは悪いこととは思わん。ただそういう環境にいれることが羨ましいなと思った。毎月残業80時間くらい働いて(当然残業代は0)、休みの日は動けなくて、最近は仕事以外何もしていない。俺だってこの人みたいに毎日遊びたかった。
頭の回転が速い、芸術的才能がある、
最近、誰かの頑張りや、誰かの才能に触れることが多い。
その度に「すごい!憧れる!カッコいい!」と強く思うと同時に、「私はそれと比べてどうなのだ?」「こんなに輝けているか?」と自問して無駄に苦悶。
側として見えるブランドにのみ価値を見出して意味なく心が折れるばかり。足りないのは、誰かと比べる必要などないと理解して初めて得る自己肯定感かも。
人に優しいとか、気遣いができるとかっていう思いやりの部分に価値を置かずに、ステータスしか見てこなかったことの浅はかさ。
嫉妬なんてしてないで、漠然と誰かと比較してないで、日々の小さな優しさや、思いやりを集めてたら、ほっこり幸せになれる気がする。
誰かの優しさに気づけるようになりたい。
長い事はてなブックマークを使っていて、ここ最近スターがとても付くようになった。
真面目な論評コメントを書くとスターが付き、斜に構えて皮肉を言ってもスターが付き、本題からズレたことを書いてもスターが付く。
idコールされた事はほぼ無く知名度はゼロなのに、なぜか自分のコメントにはスターが集まる。
自分の勘違いで不正確な情報を書き込んだ時も、自分のコメントはトップになり、
これはどういう事なんだろう。
スターを集めるコツみたいなものがあって、自分は無意識にそのコツを掴んだのだろうか。
もしくは普通の人ならプライドや良識や人間関係が邪魔をしてできない発言を、ブレーキが壊れた車がアクセル全開で独走している状態だろうか。
以前、青い鳥でセックス依存症の漫画がバズっていたと思うんだけど。自分がそれなのか、はたまたただ単にセックスという行為が好きなのかが分からない。
たしかにセックスによって安心感や自己肯定感、喪失感を埋められないことはない。だがそれは、自分自身がそう思えるように錯覚しているだけなのではないかと考えてしまう。自分はただのセックス狂いなのではないかとも考えてしまう。
診断によって、セックス依存症という病名がついたところで「あぁ、自分は病気だったのか」という安堵感は一切ない。あるのは焦りと諦めだと思う。セックス依存症などと病名をつけられて喜ぶ輩がいるのだろうか、いたら連れてきてほしい。自分はそんな病名をつけられた日には死にたくなるだろう。
なぜ?と思う人もいると思う。だがそれは普通にパートナーのみがある一定の周期でセックスをしてくれているから。パートナーのみの愛情を一心に受け取っているからだろう。
自分にもパートナーはいる。愛情も一心に受け取っている。受け取っているのだ、ひたむきに真っ直ぐに。だがそれだけでは足りない。足りなすぎる。飢えるというこの現代社会では不釣り合いな言葉がぴったりと合うほどに。自分だってパートナーからの愛情で満足したい。満たされたい。なぜ飢えて仕方ないのだ。自分はなんなのだ。どうしてほしいのだ。飢えて飢えてしかたがない。つらい。くるしい。
他にも自分と同じ人がいるのであればなんでもいいので話してほしい。
これ。
どうしてもこの壁を乗り越えられない。
今まで普通に友達として接してた人から告白されたりするとその瞬間から嫌悪感がすごい。
何度か会ううちに好きになるよと周りに言い聞かせられて我慢してデートしても、会うたびにますます嫌いになっていく。
結局疎遠になって、何年か経ってから改めて振り返ってみると、「あれ?いい人なのになんでだろう」と思ったりする。
以前にちょっと気になってた人とデートして「あれ、この人大丈夫かも...」と思ったことがあったけど、途中で「ああ、それは多分この人が私を好きじゃないからだな」と思い当たった。
案の定その後連絡はなかった。
専門家に言わせると、自己肯定感が低くて自分自身を好きじゃない人は、自分に好意を寄せる人が許せないからそうなりがちなんだそうだ。
そうなのかかなあ。当たってるような当たってないような。
誰か何とかしてくれ。
正直ブラックでも良ければいくらでもあると思うけど、自己肯定感みたいな話で言えば
「こんな自分の話誰が聞きたいんだ?」じゃなくて
「自分はこんな人間なんで嫌なら断ればいいよ。そして2年後くらいに倒産しろ」って思えたらいいよね
ていうかそういうつもりで企業選ばないと就職後にミスマッチでしんどい思いする可能性が高い。
今は就活終わったら研究できるというご褒美があるから踏みとどまれるけど就職したらそれもないからね。
あと、自己アピールで自分の功績ひけらかすのなんて、「俺は我の強い人間です」ってマイナス面アピールしているとも言えるので気にしなくていい
リーダーシップ取れる人間も必要だけど、採用する10人が全員それだったら多分喧嘩してやめるやつが続出する
何が言いたいかというと適材適所ってこと。貴方の控えめさや、就活の場においてもそういうある意味冷静な視点で物を見れることは一つの才能だと思うし
必要としている人がきっといる。
他力本願すぎるけどマジでヤバい。助けてほしい。人助けのつもりで読んでほしい。これを読んでくれる人がいるだけでまだ、自分が社会の異物じゃないことを認識できる。相談できる友人も、愚痴を聞いてくれる親もいないから、ネットの世界に逃げるしかなかったのです。
正直ナメてた。まぁどこか内定貰えるでしょ、売り手市場って聞くし大丈夫でしょって。
何が一番強いって、集団面接とかグループディスカッション、つまり、自分以外の受験者と一緒に選考する形式のやつ。だいたい一番最初にあって、多すぎる受験者を切り落とすやつ。
みんな切り落とすやつだって分かってるから、すごく必死なんだよ。大学で頑張ったことたくさん話す。グループディスカッションでまとめ役・中心的役割担おうとする。
ちがう、そういう人たちを馬鹿にしてるわけじゃなくて。むしろ逆。ほんとうに純粋に「すごいな」って思ってしまう。これまでそういうこと頑張ってきたんだすごいなぁ、とか、意見たくさん出してくれて助かるなぁ、とか。
だから、私みたいなダメ人間がこの会社合格するより、こうやって、ちゃんと頑張っている人が合格するべきじゃん、って気持ちになってしまうんだ。
もちろん自分だってこの会社受かりたいから面接もグループディスカッションも頑張った(つもりかもしれないけれど)。でも集団面接ではいつも他の人に発表の順番譲っちゃって一番最後に話すし、グループディスカッションではまとめ役の子の意見に賛同しちゃって自分の意見は言えない(特にまとめ役の子と真逆の考え持っているならなおさら)(対立して意見まとまらなくなるの嫌だし)。
最近なんか、説明会行って「募集人数はこのくらい(たいてい10人以下)です」って言われてこの会場に集まってる人数見返して、あぁこの中の10分の1しか合格できないんだ、こんなに他の人たち、自慢できるところもすごいところも沢山あるのに、って考えて涙が出てきてしまう。嘘ごめんこの前それで大阪駅のトイレで泣いてた。自分が落ちるのは能力の無さだからいいとして、いやなんでや…… 私以外のいい子たちに全員内定出してくれよ……
そんなこんなで、桜が散る季節になっても、内定は1つも貰えていない。
正直一社だけ、半年前にインターンに行ってインターン枠で採用活動進めてもらってた企業があって、なんなら最終面接まで行けた。4回くらい面接あったけど、全部個人面接で、面接の内容を他の受験者にバラされないようにってことなのか、他の受験者とはすれ違う程度で話す機会は無かった、っていうのが助かった。他の人と自分を比べなくて済んだから。
でもその企業も、最終面接からもう2週間以上経って連絡が来ない。サイレントお祈りかなぁ。って。
ちょいブラック気味だったけど、私みたいな人間の受け皿としてブラック企業があるんだなってしみじみ思った次第だから、ここに内定出してもらえたら、こんなにしんどすぎる就活なんてさっさと終わらせて、楽しい卒業論文の研究再開させたい、って思ってたのになぁ。素直に悲しい。
最終面接まで自分のこと面接してくれた社員さんは、私が1話したら「つまりこういうことだったんだね?」って100くらいで返してくれる菩薩みたいな人でそうですそうです!!!って頷きまくってた。
最終面接ではそれが無かったのだよなぁ。
いやまあ、一通りは話すけれど、それ以上の会話がなかった。「これ以上喋ったらウザがられないか?」みたいな余計なこと考えてしまって。初めて会う人なんだからウザいぐらい喋らないと自分のこと分かってもらえんやろ、みたいなツッコミはわかる。自分でも自分でしてる。
でも最終的に「こんな自分の話誰が聞きたいんだ?」に行き着いてしまう。いや行き着かないでくれよ自分〜〜〜!なんでこんな生きにくいクソ面倒な性格してるの〜〜〜?
行きたかった業種はけっこうマイナーだったから、リクナビ、マイナビで求人出てるところにはほとんど説明会行っていろいろやったけど全滅しそう。いま5社くらい、説明会待ちだったり結果待ちのところあるからなんとも言えないけれど、ここまでボコスコ落ちまくっていると人間さ、希望なんか全然湧かなくて諦念ばかりに支配されてしまうんだね。
まだ就活もう少し頑張ろうとは思ってる。大学卒業したら実家は頼れなくなるし(少なくとも金銭的支援は一切受けられなくなる)(これが家庭の事情ってやつだ詳しくは聞かないでくれ)(ありがとう)、奨学金という借金も返さなきゃいけないから、正社員に就かなきゃ人生詰みそうで怖いから。
でも徐々に、お祈りメールが届く一方で、他の企業に挑戦しようと就活サイト見てももう説明会は終了しましたの文字が増えてきて。
苦しい。
なんで自分、こんなに好きなこと我慢して、ダメダメな自分を真人間に見えるように塗装しているんだろう。
明日、交通事故で死ぬかもしれないのに、どうして周りの人たちはみんな、やりたいことを我慢するのが怖くないんだろう。
やっぱりこんな甘っちょろい考えしてるやつよりも、ちゃんと普通な人間として頑張ってる学生さんに内定出すべきだわ。知ってた。
ただ私は、新橋駅であの満員電車には乗り込めなかった。後ろに並んでたサラリーマンのお兄さんが、舌打ちをして乗り込んでいく背中を見送ることしかできなかった。「乗らないんですか?」の駅員さんの苛立った声に、次に乗ります、と辛うじて返事することしかできなかった。
ただ、満員電車、それも慣れた人から見れば、ちょっと多いな、くらいの列車に乗ることすら、できなかったんだ。
私は、この人たちのようにはなれない。
この社会に溶けられない異物なんだな。
ちゃんと普通な人間のレールを走ってきたつもりだったけれど、この異物が弾き出されなかったのはある意味、奇跡に近いものがあったんだなぁ。
さっさと甘ったれたクソみたいな考えは捨てて、異物の角を落として、この社会に馴染めるようにしないと。間に合う間に合わないの話じゃなくて、そうしないと、マジで詰んでしまうからな?
今まで異性から異性として見られた試しはあるものの、全て所謂ヤリモクというやつで付き合うに至ったことは皆無であった。まあエロいことすんの気持ちいいからまんざらでもないしこのまま完全なサセコとして一生を終えるのも悪くはないかと思っていた(自己肯定感低いクソ女ですまん)
そんなある日、飲みの場で出会った一人の男。共通の趣味があったので我々はすぐに仲良くなった。お互い最初は異性として見ていなかったはずだが、いつのまにか向こうが好意を抱いてくれたらしい。付き合ってほしいと言われた。マジかよ。この歳でこんなに真っ直ぐな恋愛の入り方あるんだ。今まで従業員通用口から勝手に入ってくる男ばっかだったので、この人は正面玄関から入ってくるなんて…なんと礼儀正しい…。
正直戸惑った。なんでこんな女を??うーん…まあフラれたらフラれたで別にいっか。1が0に戻るだけだし。と思い、二つ返事でオーケーさせていただいた。
それにしてもモテなさすぎて異性に好かれる理由がわからんし、実の家族とすらうまくやれなかった身としは、恋とか愛とかかなり早い段階で諦めてた。なので他人と一線を超えた?関係性を築く、その感覚も感情もよくわからん。相手にかかった謎の魔法?幻覚?が解けた日にはあっさりフラれるんだろうなと思っていた。
がフラれるどころか日に日に向こうからの好き好きアタックが増している。すごい。そんなことされたらこっちだって日に日に好きになってしまう気がする。というわけで最近だんだん、今まで知らなかった感情を理解し始めている。仕事で遠い場所に行けばあいつと一緒に行きたかったと思うし、うまいパンを食べたらやつにも食わせてあげたいからもういっこ買う。電車に乗って目を瞑るとやつの笑顔や肌触りを思い出し、心の中でふふふと笑う。彼は「私が考えてる以上に、おれは私のことを考えてるよ」と言っていたのだが、その言葉そのまんまお返ししたい(恥ずかしいから言わないけどね!)
しかしながら、やつと会ってもドキドキとかはしない(彼氏ごめんよ)。ドキドキしないけど、気を遣わず(思考や言葉が脳を経由せず)接することができて楽だし、何言ってもゲラゲラ笑ってくれるからうれしい。会っただけだとドキドキしないけど、触られるとさすがにドキドキする。
触られるといえば、よくゲラゲラ笑いながらセックスしてる。しょうもないのだが、例えば彼氏のアレをめちゃくちゃ舐め回した後、ふとももペロペロオンリーイベントに移行したとする。「………順序逆じゃない!?」と突っ込まれる。二人でゲラゲラ笑う。そんな時間を挟みつつ、おしゃべりしたり抱き合ったりして何時間もだらだらセックスしてる。そのせいで最近寝不足でつらい(彼氏も寝不足かつ身体バキバキらしい。ありがとアンドごめんよ)…なんて幸せな悩みなんだ
こんなにモテない人間でもこんな人に出会えるなんて、長生きはしてみるもんだなって思う。10年前の私よ、つらいつらい言いつつ死なずにいてくれてありがとう。君が今まで一人でひたすら趣味に注いでた時間は無駄じゃない。その知識のおかげで一人の男と仲良くなり、付き合うことになる。自分が信じたものに、君は救われる。
話せば楽になるよというけど話しても解決したことがない。悩みを解決をするのは自分だし、的外れなことを提案されてもイライラするだけだし、だから愚痴は言わない方向性で生きてるけど、なぜか愚痴を聞くことで他人に何かをしてやっているという人間が一定数いるようで、たまに捕まる。なんなんだあれは。解決できなくてツライすわぁ〜とダラダラ話しても自分の無能さの紹介になってるだけでめちゃくちゃ自己肯定感が弱まるだろ。最近はそういう場ではひたすら猫の話をするようにしてる。
夫のちんぽが入らないっていうのがちょっと前に話題で映像化もされたけど、あれは物理的にまんこに入らないんだっけ。読んだことないから知らんけど。
私たちの場合は違って、彼氏が二次元にしか勃起しなくて射精できないというケース。彼氏はいわゆるリョナラーで、どんなのでヌクかは絶対に調べるな、調べたら別れると言われてるので詳細はわからない。時々ポロっとこぼすのを拾えば、二次元自体にも性欲を覚えるわけではなく、あるシチュエーションでないとダメらしい。
付き合おうとなったとき、彼はそんな自分の性的嗜好についてまず語った。そもそも今まで40年生きてきて一度も女性にちんこいれたいと思ったことはない、潔癖症だからキスもできないしマンコに触ることもしたくない、それでもいいなら、と言われ、納得して私は付き合った。納得してはいたのだけど。
私は、潔癖症で電マ以外ではヌケないヌク時も勃起しないという男と長い間付き合ってたことがある。朝勃ちを利用してマンコにいれたら射精したことはあったけど、それも5年以上付き合って2回ぐらい。とはいえ、私とその男とはSMでいうマゾ奴隷と主人の関係にあったので何時間もフェラしたり野外露出したりオナニー見せ合ったりと、挿入以外ならあらゆる変態性行為をしてたりしたので、性的な満足感はあった。おかげで単なる挿入よりは靴べらで尻叩きされたほうが性的満足を得られるような女になったわけだが。
彼氏は基本的にサディストなので性的には噛み合ってる。具体的な性行為がないだけで。挿入したいなら他の男と付き合っていいとまで言われている。そうやってセフレ作る許可を得ているのに、作る気にはなれない。昔は5股とかしてたけど、公然と了解を得るとかえってその気が無くなるのだろうか。ポリアモリーなら全員の合意を得なきゃいけない面倒さがあるし。厄介なことになっても嫌だし。
私としては、ちんこを入れても入れなくてもいいけど、性行為はやっぱり必要だ。性行為で自己肯定感を得ているところがあるので、皆無だと突然不安感に襲われて泣き出してしまったりした。彼氏にそれを話すと、妥協してくれるようになった。挿入なしのセックスをしよう。私たちなりのセックスをすればそれでいいじゃないか。
彼氏にとってセックスはすごくしんどいものらしく、最初はおっぱいを触るのも嫌だったようだ。抱きしめる行為には自分も気持ちよさがあるけど、おっぱいを揉んでも何も感じない、という。それでもおっぱいを揉んだり素股を少ししてるうちに、マンコに手袋した指を入れたり、ディルドを入れて動かすことまではしてくれるようになった。やりたくないのに悪いねというと彼氏は「与える喜びはあるんだよ」と笑ってくれる。それでも月一が限度。コンディションを整えた上で月一が限界という。
私は年に一度か二度すごく性欲が強くなることがあって、誰でもいいからセックスしたいと思うぐらいなんだけど、今月は頭痛がするレベルで性欲が強かった。彼氏にお願いしたんだけど、たまたま年度末で忙しいこともあって、断られた。大喧嘩になった。毎週しろと言ってるわけじゃない、月一でいますごく辛い時期に応じてくれたらあとはスルーでいいのに。普通のセックスみたいにオチンチン勃てて腰動かすなら確かに体力もコンディションも必要だけど、ぶっちゃけ指入れて動かすだけなので挿入セックスより体力使わないはずでその程度すらできないのかよ!という気持ちが抜けなかった。あなたの愛情はそんなものなの?
彼氏は言った。最初はセックスすらできないと言ってたのに今はこうして指入れるぐらいになってる、何年かしたらチンチン入れてもいいかなと思うかもしれない、とはいえ自分にとってセックスはやはりしんどいもので臨機応変には対応できない、それでも君を愛している。だからなるべく対応してあげたいと思ってる。
彼氏がそう言ってくれて、私の辛い気持ちをわかろうとしていると思ったら、とりあえず感情の爆発はおさまった。一時的なものかもしれないけど。
本当はセフレ作った方がいいかもしれないけど、やっぱり彼氏を愛しているし、彼氏以外には触られたくないなと思ってしまう。どうしたらいいかわからないけど誰かに聞いて欲しかった。リアルでこんな話できないしね。
※ちょっと補足的に書いてみた。
やけにみんな急ぐなあ。そんなことを思いながら駅に向かった。目の前で電車に置いていかれた。
当たり前のことに気づかなかった愚かな私は、昨晩休日ダイヤのまま電車の乗り換えを調べた。そしてこのざまである。
なんと愚かな人間だろう。次の電車まで15分。思わずベンチに腰掛けて泣いた。さようなら三次選考。
普通の人間ならここで相手に遅刻の連絡を入れ、急いで向かうのだろう。でも今の私にそんな気力はなかった。頭に浮かんでくるのは、わたしの就活を応援してくれた母親と第二新卒の姿と、どうしたらこの世界から消えられるだろうということだけだった。
2本ほど電車を見送り自分のやっていることの愚かさに気づく。今度から特技の欄に現実から逃げること とでも書いてやろうか。
駅を出ると雨が降ってきた。ああ、もう今日はダメな日だ。そう思った。連絡した御社には人事がいないと嘘をつかれた。電話に出ているお前が人事だろうが。こんな会社こちらから願い下げだ。そう思った。
ダメな日だ と決めつけて、願い下げだ と自分を正当化する自分が大嫌いだ。齢21、経験値は皆無に等しい。そんなやつに何が決められるんだ。お前は何様だ。
私の短所は自己肯定感の無さかもしれない。世の中の人はどうしてそんなに自己肯定感を持って生きられるんだ?
そもそも自己肯定感ってなんだ?私は優れているって思うこと?私は私って思うこと?存在を認めること?わからない。
そしてその根拠は何?自分がどうして社会から、他人からそして自分から認められると思えるの?天才なのか?バカなのか?
きっと答えはそれができない自分が愚かなんだと思う。
少し前に自己肯定感が低いことが悩みという話を第二新卒にした。俺もだよって言われたけどそんなことはないだろうって思ってしまった。少なくとも私にはそう見えた。自己肯定感というのは他人からは測れないものなのかもしれない。じゃあ自分がどう思うかってことか。
うまく見繕って生きていけたら良いのかもな。
きっと世の中にはこんな不届きものに手を差し伸べてくれる人は少ないだろう。こんな人間が生まれてきて大きくなってきてしまったこと、謝ります。
こんな未熟な私で すみませんでした。
自己肯定感低すぎだろ。
とりあえず生きてりゃ良いんだよ。
周囲の誰彼に迷惑をかけ、一切反省しないようなグズじゃないんだし。
誇って良いぞ。
あと、コミュ障でなくとも
Facebookなんてやらねぇぞ?
リア充に扮して、あたかも(相変わらず)会社員をしているかの様に、会社員らしい悩みや意気込みを書いた。4月というスタートを引き合いに。
自分が健常者の如く、それらしい内容の投稿をしてみた。参考にしたのはFB友達の投稿をもとに。
でも、ビビリなので、閲覧できる友達をスクリーニングして、限定した。野次を飛ばさない様な友達のみ。
久しぶりに、娑婆の世界に向けて文章を書いているときの自分は、何度も何度も、文章としておかしくないか・くどくないか・卑しくないか…リア充健常者に擬態化する罪悪感と難しさと劣等感で一杯だった。
たった今、投稿したし、リアクションはまだ獲ていない(午前5時現在)。
この、投稿する際の下書きを書いていて思った。
私は、思った以上に、座敷牢に籠りっぱなしだった(療養が長すぎた)という事だ。自分なんかが、FBに投稿する様な人間的なレベルに達していない事が解ったし、そもそもリア充健常者と接点をもう一度持ちたがっている自分の卑しい下心の強さに気づいた。
よく、ネットでは「精神疾患者や発達障害者は、頼むから社会に出てこないでくれ」、といった言葉を目にした。強い症状の人や、本格的に…な人、私も実際に沢山目にしてきたし、私も療養するくらいなんだから、不適応タイプどころか、「ガチもん」なのだと思う。
適応しようと、療養中は試行錯誤しながらやってきたけれども、やはり社会的な場でリハビリがしたい。その第一歩が友達との再会だったり。でも、それだけでは足りなくて。人脈を広げるために、FBの投稿に手を出したけれども。
やはり私にはまだハードルが高過ぎた。というか、私には勿体ない友達ばかりだったのだな、と思った。その証拠に今は殆ど疎遠となっているし、連絡なんてこないし。つまり、私は彼らと友達・仲間でいる価値が無い。
罪悪感や劣等感を抱いて、本当にそう思った。
自分の価値は、ここで頭打ちだという事、福祉政策で細々と延命出来ているに過ぎない存在だという事。
自己肯定感が何故かやたら高い自分に、情けなくなった。誰も期待してないのに、どの社会が自分にとって最適解なのか、少しでもマシなレベルに…上に行こうとFBに手を出した事。
自惚れも、そろそろ終わりにして、いい加減じぶんが詰んでいるという事を受け入れなさい、と悟りを得た気分。
生きてて良いのかな…と惨めすぎて思った。