はてなキーワード: 絵描きとは
絵描きがAIに苦言を呈する→その絵描きの絵を重点的に学習させ絵柄を完全にコピーしたモデルを作り、なりすましアカウントを作って粘着嫌がらせ
漫画家が漫画村みたいな違法サイトにキレる→「違法サイトで全巻読みました!面白くないですね!そんなんだから打ち切られるんですよ!」とクソリプを飛ばす
先のプリキュア、ブルアカの件はAI絵じゃないことが分かってきたからこの程度の炎上で済んだが、こういうオタク層(ファン)を相手にする商売では使えないだろうね。
一方で、その辺のポスターなんかは「AI絵でいいや」ってなるところは多少は増えんじゃない。1番被害受けるのはイラスト屋かもなw
後、格安で要求されたり、リテイクに対する正解を引くまでガチャしなくちゃいけないの面倒だから商売になるのはごく一部だと思うね。
画像生成AI反対運動(いわゆる反AI)と書いてみたものの、彼らは何か組織的に政治運動をしていたわけではない。
彼らは画像生成AIや、それを利用する人をネット上で批判するお気持ち集団だった。
画像生成AIができたての頃は、新しい技術に対する反発という文脈で彼らの主張を理解する人も多かった。
しかし昨年6月に文化庁から生成AIに対する考え方が示された。
画像生成AIの学習に無断で著作物を使うことは基本的に合法とされ、生成物についても既存の著作権法の範囲で対応されることになった。
画像生成AIやそれを利用したAI絵師を罵っていた彼らに、何の法的根拠もないことが明らかになった。
しかし、この現状に対して何か運動を起こそうという人はほとんど出てこなかった。
彼らは絵師界隈の掟に従って仲間内でお気持ちができればそれでよかったのだ。
そうしている間に、彼らは普通の絵描きにAI疑惑を吹っかけて暴れまくる魔女狩り集団となっていき
反生成AI派は静岡の川勝知事みたいにただ単に文句を言いたいだけなんだよ
「無断学習される! 著作権無視した画像が作られる!」と言ってるが「では二次創作も禁止にします? フォトショもクリスタも禁止にします?」というとだんまり
フォトショもクリスタも人力でも著作権無視した絵を書こうと思えば書けますし
アニメだってセル画の作画だったのがデジタル作画に移行してるし産業革命以降の宿命なんだよな
要は「特殊技能だったのを誰でもできるようになると優位性が失われる!困る!」ってだけの話
工場だって職人芸だったのが産業用機械でボタンを押したりプログラミングすれば誰でも同じ品質で作れるようになった
電話交換手だって自動化によって職を失ったし 複雑な計算もExcel使えば簡単にできるようになった
ただそんだけのことよ
昔の絵のほうが良いと言った日には「進歩してない」「劣化している」と言われたとみなされヘラるぞ!
それはそれとして過去と現在との比較をして無関係の他人にまで意見を求めてくる時点で、
かなり気分が落ちて迷走してヘラってる時期なので話を適当にそらして元気づけるのが良いぞ
めんどくさっなんで義理も交流もないワシがカウンセリングせなあかんねんほっとこ
だいたいさあ、昔の絵が好きになって追っかけだしたんだから上達したにしても絵柄が変わったらそら多少離れるよ
人の意見を聞いたところで所詮は他人の好き嫌いでしかないんだから、自分で現状を肯定したいなら過去は切り捨てるしかないでしょ
「変化」を「上達」と肯定して無条件によしよししてくれると思ってるのか?
昔の絵が嫌いってだけならまだしも昔の絵が好きっていう人のことすら否定してさあ、見る目がないぐらいのことまで言っちゃってるじゃん
今の絵柄がいいにしても昔のがいいにしてもどっちかに変えるのは自分の判断でしょ
それで思ったような反応がもらえなかったからってそこで他人のせいにするのは違うじゃん
それがわかんないのかわかっててかまってちゃんしてるのかどっちにしろ迷走してて実際心配よ
ただの愚痴なんだろうけどさー
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
絵描きです。DALL·E 2 やMidjourneyが出た頃から画像生成AIを知って使ってみた。仕事上のこともあり何に使えるか、どう使うかは模索してる。今のAIは検索結果がまとまって出てくるという認識。
最近スマホアプリの普及もあってAIで画像生成するTwitterアカウントが急に増えた。二次創作の界隈にも出てきた。
設定とか全然知らないままポン出しの絵アップロードする。このキャラのほくろはそこじゃない…とかザラ。この種族とあの種族の特徴混ざってるとか、種族の身体的特徴として公式設定になってるやつも全部無視。まあもともと手や足や、細部変でも出す人は多いけど。
公式画像をi2i平気でする。公式画像の切り貼りも多い。アイコンとして配ったりもする。やめろ。
絵に対しての解像度が低いから、違和感が解らない。絵描きごっこはしたいけど、大半が勉強しない。
レタッチしてみましたっていうのも見たけどそこだけ浮いてる絵なのがわからない。にじみ水彩プロンプトの絵にアイビスのGペンは浮く…技法への理解もない。
AI使ってて加筆上手い人も時々はいる。細部へのこだわりがもともとかなりある人や、見る力が高い人はAIで伸びることもあると思う。絵が好きな人だと思う。
AIでも、何枚も画像出力してアップロードしてるから苦労してると主張するアカウントをみた。ツールによっては手だけ直せる機能もまああるしControlnet使ったりリタッチしたらいいのに…知らないしできないんだろうな。
ガチャたくさん回してるのが苦労?
絵を描いてると多数のラフやボツも資料に当たるのも著作権について調べるのも、そんなの普通のことだったので、ガチャ大量に回すだけで辛い人には笑ってしまった。じゃあそれだけすごい絵を出力してるのかな?と思ったら公式のi2iもかなり多くて失笑した…。
AIがどんなにうまい曲を作ろうとステージに立って演奏して客が熱狂して……という空間に存在するのは人間で そこで金が動く
同じ曲を何度も演奏して集客したり収益につながるのが 一枚絵を時間をかけて完成に持っていって発表する絵との違いな気がする
絵描きでもライブペインティングとか黒板に絵を描くとかというのはあるけどメインストリームではないと思うし求められるのは体験より成果物のように思う
リミックスだったりヴェイパーウェイヴだったりカバーだったりコピーだったり歌ってみただったりの文化もあるし
初音ミクが市民権を得てるのも人間じゃないものが歌うことへの受容というか AIを受け入れやすい土壌なんじゃないだろうか
基本的に肉声は唯一無二(そっくりさんとかもいるけど)というのもあるかも
そこを勝手に学習されるともうディープフェイクの問題になってくると思うのでその辺どうなんだろう
とはいえいくら学習されてもライブで客の前で歌うことができるというのがやっぱり強いというか
絵よりも属人性がわかりやすいのかな……絵だって唯一ではあるんだけど成果物だけで勝負だと絵柄学習されたら簡単に代替されてしまう
漫画になるとまた変わってくる感じはする
他業種に転職することのデメリットがでかすぎる年齢になって今更ながらに「あーこの人生を続けるのはしんどいなー」となってきました。
つまる所は社会に対して貢献できていると信じようとした気持ちが折れたんですわ。
別に社会にとって害になってるとまでは思いたくはないんですが……どうなんだろうね必要だと思わせてその実ムダなことに時間と金を使わせているだけの寄生虫なのかも。
これがヤクザやパチンカスや軍隊みたいな分かりやすい「自称『必要悪』(笑)」だったらいっそ全部割り切れたのかも。
でもなんかこう、自分の仕事はそういう枠じゃなくて社会の役に立ってるんだよーと信じようと努力したこの20年ぐらいの時間がね、結果としていざ自己茹で蛙化に失敗した際に受ける火傷の酷さに繋がったわけですよ。
いやー本当ね、結局仕事で一番大事なのって「俺は社会の役に立ってる」もしくは「俺は社会の役に立ってないけどうまい汁は吸えてる」って信じられるかだと思うんですよね。
社会の役にもたってない癖に押し売りをしている人間が当然のように味わうべき辛酸を舐めて暮らしているっていうのは、人生の物語の形としてとてもメンタルによろしくない。
悪なら悪で幸福になりたかったし、不幸であるならせめて善でありたったか。
こんな仕事をあと20年というのはキツい。
創作活動でもしろって言うんだろうけど、今の俺には創作活動が社会の役に立っていると信じることさえ出来ない。
だってさ、別に誰かが上手な絵を描いたからってそれで社会が本当によくなるか?
誰かがアフリカの飢えた子供に手を差し伸べようって思うために、プリキュアみたいなアニメを見て情操教育する必要があるんだとか言った所でさ、そもそも本当にアフリカに貢献してるのは、他人に手を差し伸べるだけの余力を社会に生み出している人達じゃん?
1人の一次産業者と1人の二次産業者がハーバー・ボッシュ法の魔法をつかってたった2人で100人を食わせることによって、誰かの手元に余ったパンが生み出されるわけじゃない?
貧乏を乗り越えて絵を描いて暮らしてるんだぞ俺は凄いんだぞなんて漫画家がエバった所でさ、そもそもお前が食べているパンを生み出すことにお前は貢献しているってどうして思えるんだよって話じゃない?
たとえば100人にパンを配るために頑張る配送業者、パンを実際に売っている小売業、そういった人達でもなんでもない人間が、社会に貢献してるってどうやって信じられるんだよ?
そうしたらさ、それがいろんな形に、それこそどこかの絵描きが絵だけ描いて暮らせるような社会的な余剰へと繋がっていくし、どこかの国で貧しさを理由に武器を取っていた少年兵が開放されて学校に通えるようになるって、そういう風に好きなように都合よく、自分がこの社会に貢献していることで世界が上手く回っていると信じながら生きられたと思うんだよ。
俺が本当に望んでいた形で俺の人生を使うことが出来なかった。
なんで俺はもっと分かりやすく、自分の望む形で自分の力を使っていると信じられる仕事につかなかったんだろう。
愚かな連中を俺が上手く導いてやることで、社会が効率的に回って余剰が産まれるのだ……なんて妄想を信じて学部を選んで、そんなくだらん全能感を捨てられないままに仕事を選んだんだ。
そしてなんでこの年になって今更後悔している……。