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2024-04-17

憎い友人が死んだことを半年遅れで知った。

ただの、フィクションの⻑駄文です。

⻑い⻑い文になってしまった。

1ヶ月ほど前、私の男友達からメッセージが来た。

Facebookの、アイツの投稿なんだけど」

と文に続いて画像が送られてくる。

Facebook投稿の、スクリーンショットだ。

だいぶ彼も慌てていたのだろう。

ブラウザのタブに、xvideoの名が残っているのに気づかずに私に送ってきたのが微笑ましい。

Facebook投稿は、もう1年近く会っていない私の友人、しおり(仮名)のものだった。

彼女の母を名乗る者から投稿は、淡々とした文で訃報を綴る。

しおり半年前、突然の病気で急死したこと

心の整理がつかず連絡が遅れてしまたこと。

そして、墓参りなどは心遣いのみで良いこと。

かに淡々と、けれど詮索を拒否する文面がそこにあった。

LINEに「Facebook見てなかったから気づかなかった」と返信をした。

とはいえ彼女のフォ ローをやめていた私はFacebookを見たとしても気づけなかっただろう。

返信をしてからすぐに、彼から電話がかかってきた。

彼の重い声色と対比するように、私の声はうわずって震えていた。

その震えが、まるで泣きそうな声であるかのように演じながら私は密かに、笑みを浮かべてい た。

本当は大笑いしたかったのだ。

憎い憎い、彼女の死が、心の底からしかったのだ。

私と亡くなった彼女と、そして連絡をとった彼が出会ったのは、数年前のことだった。

当時私たちは二十歳を過ぎたばかりの頃合いで、バイト仲間として付き合ううちに3人でつる むことが多くなっていた。

そういう、他愛もないよくある関係の三人だった。

そして若かったから、それが恋愛感情を伴う三角関係に移ろうのも自然な流れだった。

彼に片思いをする私たちと、その間でのらりくらりと気付いてるのか気付いてないのか分から ないようなふりで友人関係を保とうとする彼。

そういう微妙バランスで成り立つ私たちは、バイト先の閉店と共に徐々に疎遠になった。

そしてそこから二年越しで私たちはまた出会う。バイト先の同窓会だ。

私は彼女完璧無視されながら、「三人で話していた」。

まるで三人で喋っているかのような雰囲気で、私は彼女へ話を振っているのに、自然な流れで 私は彼女から完璧無視されていた。

理系大学に入り直すの、と彼女が言った時だけ私のことを見てニヤッと笑ったのを覚えてい る。

大学中退した私への、当て付けであるのは確かだった。(それにダメージを受けるかはとも かくとして)

ただの恋敵からマウンティングまで始めた彼女を見て、私は小さく、死ねばいいのにと呟い た。

その願いは数年後に叶うとも知らずに。

その同窓会から私と彼はまたつるむようになり、彼から彼女の近況を時折聞くような日々が続いた。

大学へ入るまでにメンタル的に崩してしまい、入学後もそれを引きずったままであること。

食事も取れず、かなり痩せてしまたこと。

そういう、彼女が不幸な話を聞くたびに、心の中で喝采をあげたいような朗らかな気持ちと、 悲劇シンデレラを演じて興味を引こうとする彼女のやり口の汚さに辟易する気持ちの二つが 入り混じる。

実際彼は、彼女のことを心配していたし。

私はこのまま拒食症になり骨だけの姿になってしまえと思っていた。 もちろんこれも今は叶っている。

彼女の肉は燃え、今は墓の下で骨だけになり壺に押し込められている。

そうして、今回の訃報に至る。

彼は、ここまで来てもずっと私たち三人は良い友達関係であると信じ、私だけに電話をして、 私だけに彼女の死への思いを吐露してきたのだ。

勝った、と思った。

私の心は汚いな、と諫める自分もいたがそれ以上に、祝祭の最中のように心躍る自分の方が強 かった。

わたしは、人の死を、よろこぶひとになってしまった。

後日、私たちは二人だけで、彼女の家へ向かった。 彼が遺族と連絡をとり、仏壇に線香をあげさせてもらうことになったのだ。

多分私は、あの日の、駅から彼女の家までの会話と景色を一生忘れない。 その日は雲が多いけれど晴れていた。 雲の中で光が複雑に揺らめいていて、それはまるで世界の全てが、私の仄暗い歓びを肯定する かのように綺麗だった。

から離れた彼女の家まで歩く最中、彼は謝りながら、隠し事を打ち明けてきた。

バイト先が閉店した頃、三人で会うことがほぼ無かったあの時期、実は三ヶ月だけ、あいつと付き合ってたんだよね、と。

彼女が生きてたら、私はその場で自殺したくなるほどの衝撃を受けていただろう。

けれど、今の私には、むしろファンファーレのような爽やかさを伴う言葉に聞こえた。

穏やかな顔で私は嘘をついた。

「知ってたよ?あの子、たまに私に相談してくれてたから」

割とあの子悩んでたよー?なんて、軽口を装い私は更に話を聞き出そうとする。

何だ知ってたのか、とホッとする彼は気を緩めて色々と話してくれた。

どうしても彼女恋愛対象として見れず、ぎこちない付き合いだったこと。

どうしても身体関係を結べなかったこと。

最後喧嘩別れしたこと

そのどれもが、私にとっては甘美な言葉たちだった。

これで彼女が生きてたら、この過去の付き合いが再度交際に至る伏線として機能してしまうこ とに怯えていただろう。

そして彼女への殺意が行き場をなくして私の中でいつまでも燻っていたのだと思う。

けれど、彼女は死んでいる。

からこそ私は安心して、彼女が、彼からきちんとお前は付き合うに値しない存在であると言 い渡され死んでいった事実を喜ぶことができる。

そして、その喜びを表すかのように、世界は輝いているように見えた。

草木はいつもよりもその葉の濃さを増し、空は雲を煌めかせているのだった。

彼女には未来がないこと。

それが私の、高揚感を煽る一番のポイントだった。

あんなに学歴や彼との距離感マウントをとっていた彼女が、今やただの骨となったことに私 は今までの人生で得たことのない種類の喜びを得ていた。

もう彼女には何もない。

あんなに心を崩すほどに勉学に励んでいたのも無駄になった。

入った大学キャリアを活かした輝かしい未来なんてもう彼女にはない。

そして、彼のこれから先の人生を眺めることも、彼女にはもう出来ない。

何よりもそれが嬉しい。

彼女の家は、ドラマに出てくるような、「いいところ」の家だった。

リビングには薔薇ドライフラワーが飾られ、テーブルにはレースクロスが敷かれていた。

そして、彼女仏壇を置くために、一室を使っていた。

仏壇とき大仰なと毒づいてしまいそうになった。

演技で涙も出るもんだな、と私は仏壇に手を合わせながら自分自身に感心した。

くっ、くっ、と声が出るのは、昂るからだ。

悲しみにではなく、喜びに、であることは隠せたと思う。

仏壇に手を合わせる彼の面持ちは神妙そうで、私が感情を露わにしているからこそ自分我慢 しよう、という気概を感じ取れた。

男子からこそ、気を張らねばという彼のいじらしさがどうにも可愛くて、ああ、やはり私は 彼のことが好きなんだな、と改めて思ってしまった。

リビングへと移り彼女の母と思い出話などをしながらふわりと伺う。

「本当に明るくて(空気が読めないだけ)楽しそうに笑顔を(彼にだけ)見せる子で...だからこそ急な話で驚いてしまって...病気とのことでしたが...」

彼女の母と、私は目で訴え合う。

それを聞くのか?という母親の目と、

死因を教えて楽しませろという私の目。

たった一秒にも満たない僅かな時間で、私はやはりこの女はあいつのなのだと感じてしまっ た。

あの、喰えない女を産んだ女だ。

「...脳浮腫、でして。...だから、本当に急な死で私も、本当にショックでした」

浮腫、というワード以外は一切出さないという意思を読み取り私は、彼と共にいるこの瞬間 を汚さぬように詮索をやめた。

ハッキリとしない死因で、私を楽しませるにはパンチが足りなかった。

けれどその最後は安ら かなものでは無かったであろうことを窺えたことは一つの収穫だ。

彼女の家を早々にお暇し、私たちはまたひたすらに駅を目指し歩く。

話すことも尽きたような振りで彼の話を空返事で返しながら私はGoogle検索で脳浮腫を延々と 調べていた。

浮腫。とっさに、本来の死因を隠すために出たワードにしては具体的であり、嘘のようにも思えなかった。

けれども、脳浮腫医学知識のない私が検索で調べた結果を読解する限り、直接的な死因であるようにも思えない。

浮腫とは脳に水分が溜まり脳が圧迫されている状態を指す言葉である

それを死因として挙げるのは、やや話が飛んでいるように見える。

たとえば、交通事故で全身強打し、内臓破裂で死亡した、というのを、内臓破裂で死んだ、と 表現するような感覚である

そう、私には、母親はとっさに嘘をつけなかったため、「脳浮腫に至るきっかけ」を伏せると いう形で娘を守ったのではないかと、そう感じた。

そして私は、一つの結論に至り、また悦に浸る。

まだ何も知らない、違和感に気付いてもいない彼の横顔を見ながら、私は、彼女の今際の際に 想いを馳せて、うっとりとするのであった。

浮腫に至るきっかけでありなおかつFacebookの文や母の言葉にあるように急死に繋がるよう な死因はくも膜下出血などが挙げられる。

可能性はこちらの方が高そうだ。

突然、死に至る病としては説得力がある。

けれども、そうだとしたら、母親は病名を伏せる必要があるのだろうか? くも膜下出血で亡くなった、という話なら、伏せる必要なんて何もない。

から、私は、もう一つの、限りなく低い可能性の方に賭けている。

浮腫は、多くは脳出血が原因で起きるものであるくも膜下出血などのように身体の内部か ら急にエラーを起こし脳浮腫に至る場合もある。だが外傷により脳出血が起きた結果でも脳浮腫はできる。

そして、私はふと思い出すのだ。

彼女大学入学からメンタルが不調になり、夏頃にはアルバイトすらもやめてしまうほどに 追い詰められていたということを。

そして、親が必死で隠す死因と言ったら、一つだろう。

もちろん七割は、私の願望なのであるが。

帰り道は雲も晴れ、傾いた日差しが強く、どこまでも世界は煌めいているような気になってし まうほどだった。

その煌めきの中に、彼も共にいる。

なんと幸福時間なんだろうと、心の底から思った。

この煌めきを、彼女はもう永遠に味わえない。

その事実もまた、光の儚さを強調するように感じられてまた私の中で歓びが増えていく。

から、いいのだ。

彼の口から、今の彼女との結婚プランの話が出てきたとしても。

彼女が白無垢を着たがって、お金がかかりそう、なんてのろけをされたって。

この世界の美しさの中では、何もかもが許せそうな、そんな気がしたのだ。

から、その今の彼女名前を、今回死んだ彼女仮名に使うくらいのお茶目さは、私だって 許してくれてもいいだろう。

来年の今頃、彼は式を挙げる。

彼の姿が和服になるのかタキシードになるのかは知らないが、彼の最高の笑顔を私は目に焼き 付けることになるんだろう。

それは、恐ろしく悲しく、残酷なことのように思える。けれども私は耐えられる。あの女が、 もうこの世に居なく、そしてあの子は、幸せそうな彼の姿をもう見ることなんてできないのだ と、そう思うだけで痛みに耐えることができるような気がする。

そして、もうひとつ彼女の死の瞬間を想像するだけで、心が昂り、苦を感じなくなるように 思えた。

彼女は、どのように死んだのだろう。

微妙な高さからコンクリートに叩きつけられるも、脳をぶちまけることなく、脳浮腫という形 で苦しんで死んだのだろうか?

それとも、首に索条痕を残し、その細い骨をパキャリと砕いて亡くなったのだろうか。

ただの私の願望である、 「自殺の上で付随して脳浮腫が出来た」という死因を想像しては、愉快な気持ちが止まらずに 居られない。

けれど、メンタルが追い詰められていた人が亡くなり、その死因を遺族がぼかすとしたら、自 殺しかないんじゃないだろうか。

首吊り飛び降りなどの脳への外傷が出来そうな死に方をした上でなら、脳浮腫も出来るだろ う。

ああ、彼女は、世界絶望しながら自分の手で命を落としていて欲しいな、と心からそう思 う。

今までの努力が全て無駄になった上、 彼から彼女として見れないという烙印を押されたまま、絶望最中彼女には死んでいってもらえたらどんなに愉快だろう。

そんな想像をしては、私は笑みを浮かべる。

私の恋心はどこから崩れてしまったのだろう。

駅に着き、ひとしきりのろけを聴き終わったところで私たちは別れることにした。 白無垢のために頑張ってお金貯めなよ、なんて笑ってあげた。

からは、ニコニコと笑いながら答えが返ってきた。

「式の時は、俺の白ネクタイ貸してやるよ」と。

来年の今ごろ、私は、礼服姿に、彼が過去に使ったネクタイを纏い彼の人生最高の瞬間を見届 けることになりそうだ。

それは、幸せことなのだ、きっと。

そう言い聞かせながらも、私は、結婚という幸せ人生を歩んでいく彼の姿を見なくて済む、 死んだあの子を少しだけ羨ましく思う。

死んだら死んだで、それもまた幸せなのかもしれないな、という感情も湧きでてしまい、私は 慌ててその思考に蓋をする。

やっぱりこの世は美しいが、生き地獄だ。

その生き地獄よりも下層の、死の世界へと消えていった彼女を蔑むことでしか、今の私は心を保てない。

この歓びや哀しみやそのほかの色々なものがないまぜになった心持ちに、何かの決着がつくの はまだまだ当分先のことなのだとは思う。

ただ一つの結論として言えることはある。

こんな恋愛、二度とできないし、もうしたくない。

anond:20240417012810

あっこらへんはニュータウン夢物語時代の過ぎ去った未来感覚に満ち満ちているよな!

福岡教育は終わっています、助けてください

配偶者教員だ。

毎日仕事のできないカス高齢者教員、何もしない教育委員会、朝から晩まで働いても残業すらつけられず、帰ってきたら泣いてしま家族を見て何もできない自分が歯がゆくて仕方ない。

本当に福岡教育現場は終わっている。

生徒はさておき、その親も酷い。

話を聞いてるとまともな親が本当にいない。

子供が悪いんじゃない。親の質が終わってる。

福岡東京に次ぐ都市になるとかもてはやさてるネットニュースを見ていても教育という未来につながる部分が全く

全くといっていいほど機能してない。

まともな親は福岡に来ないほうが良いです。

教育現場崩壊してます

教員が少なすぎるから仕事が出来ないカス教員仕事のできる教員の足を引っ張ってヘラヘラ仕事も全うしないまま帰るような現場です。

やっと土日が来ても雀の涙ほどの金しか出ない部活や、クソほどにも役に立たない講話研修に参加させられて、どんどん疲弊していっています

こんなことをさせて何になるのか。

ますますまともな教員はいなくなって、カスしか残りません。

そのカス教育現場に居残るってことは生徒の質もどんどん悪くなるのは当たり前。

働き方改革とか残業代出すとか綺麗事は何も機能してないし、これから機能しません。

なぜなら上は現場を全くわかっていない、知ろうともしてないからです。

本当に改善したいのなら、無駄なことを徹底的にやめさせてほしい。

学校の現状を外部監査してほしい。

一般企業ならクビレベル仕事もできない人材教育を担ってることにもっと危機感を持ってほしい。

教員は増えることはありません。

しろマトモな人は教員になろうなんてもう思ってません。

せめて、現場を知ってほしい、そしてまともに頑張ってる教員を守ってほしい。

2024-04-16

家具とか服とか数年で買い換えるの嫌じゃね?

資源の浪費じゃね?

地球環境配慮する心がないから「服なんて2年で買い替えなよ。ダサいし臭くなるよ」とか「家電なんて3年で買い替えだろ?10年とか使ったら火事になりかねない」とか平気で言えるんだなあ。

怖いなあ。

未来の子どもたちのことも考えずに資源をクソみたいに使いまくって知らん顔かあ。

人殺しの顔をすべきだね。

anond:20240416182246

いや有権者政治活動するのは国の未来という有権者自身責任問題しかなくて、

他の人には関係ないんだけど

なんで他人から投票率上げるために頑張ってもらう」みたいな受け身なんだ?

自分の家の掃除とか家賃光熱費払うとか家の管理とか本人がやれよだよな

家賃を払いたくなるような社会じゃないのが悪いとか知らんがな、家から追い出されて野垂れ死ぬだけですよね的な

オッペンハイマー』観てきました

ノーラン監督映画は大好きで、多分半分以上は観てると思います

一番好きなのは、『ダークナイト』か『インセプション』で、強いて言えば『ダークナイト』のヒース・レジャーによるジョーカーが最高すぎて一番かなと思います

 

で、『オッペンハイマー』ですが、映画初見では、評価はまだ無理かと。だって私には非常に不得意な部分があって、この映画のように登場人物が多いと誰が誰なのかわからなくなるのです。

ノーランは、時間軸を弄るのが大好きな監督で有名ですから、この映画ではシーンが頻繁に過去未来を行ったり来たりするので、さら理解がとても難しくなります

なので、まだ話をよくわかっておらず、ちゃん理解するにはどっかで配信されて何回か観るまで待たねばなりません。

 

映画全編に渡ってほどんどずーっと音楽が鳴り続けているのでちょっとうるさい気もしましたが、ノーラン監督ですからクォリティのものは非常に高いです。

3時間超えは長いなーとも思いましたが、不要なシーンはほぼないと思うので退屈はしませんでした。

 

ですが、トリニティ実験、というか核爆発の瞬間がこれほど恐ろしいと思えた映画はかつてありません。

映画館の音響ですから、凄まじい衝撃音を体験できるわけです。

そして、広島長崎のことは、何度も色んなことをこれまで見たり聞いたりしてきているからか、映画では全然描写されていないのに、その惨劇のことが脳裏によぎってしまい、思わず泣いてしまいました。

・・・こんな恐ろしい爆発の中で何万人も死んだのか・・・

と。

 

この映画が描いているのはオッペンハイマーの苦悩と、核開発からその実施、そしてその後に至るまでの登場人物たちの政治的な動きがメインであり、広島長崎での悲劇を描いたものではないので、よくある「被害実態を描いていない」という批判的外れですし、映画の中で広島長崎惨状を映写しているシーンで、その映像映画では映さなかったように、未だそれはタブーでありアメリカ映画ではそもそも広島長崎は描けないと思います

 

でも、繰り返しますが、核爆発の瞬間の恐ろしさは、本物の何千、何万分の一かでしかないと思うけれど、仮想的に実感は出来ました。

 

あと、伝記とか全然読んでないので知らなかったけど、核爆発一発で地球が滅ぶ説なんてのもあったんですね。ちょっと驚いてしまいました。

にしても、ゲイリー・オールドマンチャーチル以来、特殊メイク歴史上の人物に化けるのにハマちゃったんですかね。今回も素晴らしい変身ぶりでした。他の俳優はほぼ地の顔なのに何故ゲイリー・オールドマンけがw

irohaを求めて都内千里

東京の街を歩いていると、誰もが幸せそうに見える。でも、それは上辺の仮面に過ぎないのかも。

心の奥底には、口に出せない欲望が渦巻いているのだ。

だって、その例外じゃない。

週末はイベントネットワーキングの嵐。口角は上がり、会話は弾む。

でも、心の叫びは誰の耳にも届かない。いや、届かせられない。

ハードワーク明けの月曜日、ついに叫びが爆発した。そう、私はirohaが欲しかったのだ。

抑えきれない熱情。

でも、どうしても届かない。男性は握ることが出来る。

が、女性場合、指では理想に届かない。

男性はずるい、こういうとき本当に羨ましい。

まずは、渋谷ロフトへ。

Webサイトによると、ボディケア売り場にあるらしい。だが、見つからない。

恥ずかしくて店員には聞けない。

見知らぬ人に、私の欲望を察せられるなんて、考えただけでゾッとする。無理。

3周しても、マジで見当たらない。


次は渋谷ドンキホーテ

巨大な店内を彷徨う。

色とりどりの商品を見れば、絶対あるはずと期待が膨らむ。が、求めるものはどこにもない。

まずカーテンのついた売り場が見つけられないし、店員さんにも聞けない。


避妊具売り場をガン見するが、置いていない。

番いの幸せは公に置いても問題なく、個の幸せけが秘匿化されすぎてる。

一体どこに売ってるんですか。

外国人観光客に混ざるフリをして、店内を2周程度彷徨う。

日が沈み、街に夜の帳が下りる。私の心にも、闇が広がっていく。

歩く宛てもなく、ただ街をさまよう。

これは散歩じゃない、情欲が尽きるか、体力が尽きるかの戦いなのだ


夕飯後、白金台ドンキホーテに寄った。

でもここは、私の探す品をそもそも置いていないときた。松坂牛は売ってたけど。


一体全体、私は何を探しているというのか。


目黒ピカソで、やっと出会えた。まさに運命出会い。

お会いできて嬉しい。一緒にお布団へ行きましょう。

時計の針は、もう深夜を指していた。


渋谷ロフトから約8時間

私は今日都内めぐり自分自身を探す旅をしていたんだと思う。

今夜、私は、スッキリした自分自身にやっと再会できる。


意気揚々帰宅し、蓋を開ける。

かにいかがわしくないデザイン。優しいフォルム

早速充電してみると、LEDが点灯しない。


まさか初期不良品だったのだ。


絶望に打ちひしがれる。

深夜のカスタマーセンターは、もちろん閉まっている。

技術絶望


でも、私は決して諦めない女。

さっき、勇気を振り絞ってカスタマーサポートフォームを記入した。返事は5営業日以内とのこと。

私は今、タイムマシーン未来へ行きたい。

お前ら万博行った事あるのかよ

やる前から失敗だ失敗だってうるせーよ。大体お前ら万博行った事あるのかよ。無いだろ。

俺はつくば万博世界食の祭典行った事あるぞ。

つくば万博はなんか凄かった。小さかったかあんまり覚えてないけど未来だこれは、これが未来か。って感じでとにかくワクワクした。記念メダル作ってもらったのかすごく嬉しくて、それが一番記憶に残ってる。

食の祭典はやたら人多いし食い物食べるだけでどこも長蛇の列で、ほとんど食べられなくてしかもマズかった記憶がある。子供ながらに「なんて時間無駄だ」って思った。早く帰ってファミコンたかった。

から言えるのは子供がワクワク出来ない万博は失敗するって事だ。木製の大屋根にワクワクする子供なんていねーよ。もっとあるだろ。額からビーム出しそうな塔とかそういうの。子供をワクワクさせろもっと

anond:20240119172715

かに、このあたりの世代が、物心ついた時から人生を振り返った時に、生活環境が一番目に見えて激変した世代だろう。

ただ、1970年代まれ自分としては、最も知的刺激を味わえるのは自分世代ではなかろうかと感じている。

子供のころパーソナルコンピュータに触れ、成人したこインターネットに浸かり、中年になってこれからAIの発展を体験することができる。

これより昔の世代は変化が少なくて退屈過ぎるし、これより先の世代は凄い発明は出てくるだろうが凡人には仕組みの理解できない魔法のようなものになりそうだ。今の生成AIですらなぜ実現できているのか完全には解らない。

コンピュータの父の一人であるバベッジはかつて「500年後の未来を案内付きで3日間見学できるなら残りの人生を捨ててもいい」と言ったらしいが、その気持ち理解できる。未来がどうなるのか、最終的に何が起こるのか知りたい。

自分には遠い未来は観ることができないが、でもこの時代を生きられて良かったと思う。

スゴイいいこと思い付いたんだけど

表と裏の二画面スマホを作ったら売れるんじゃね?

スマホって小さい画面だからアプリそもそも2つとか複数パソコンみたいに並べられないじゃない。

それを2画面表と裏に液晶を搭載することで、

表はメール裏はブラウザとか違うアプリをそれぞれ表示させられるようなスマホって今までないから、

そう言うの作って売ったら爆売れすると思う。

通常のスマホ普通になにもない面ってもったいなくない?

そこに画面つけて2画面のスマホ作って売ったら爆売れして人気に話題になると思う。

折り畳みスマホより未来感あると思う!

絶対爆売れ間違いないし!

パートナーと、合わない部分があって、その度揉めてしまったりして、でも話せば解決して仲直りできるなら、まだ一緒にいても大丈夫未来はある?

それとも、ぶつかってしまう時点で「合ってない」ってことになる、、?

anond:20240415180911

 経済でも何でも外人頼みは悪しき風潮である生活障害治安悪化文化精神崩壊を招き多大な代償を払う事になろう。衰退と絶望の悪しき未来政治家官僚の間違った政策国民が正すべき時。

2024-04-15

anond:20240415230347

マッチングアプリ登録するだけで三桁以上のいいね自動的に付く方の性別「生きてて辛いよ〜(笑)未来が無いよ〜(笑)死にたいよ〜(笑)





弱者男性「……」

anond:20240415225954

未来しかないと思うが

キャリアお金の面は問題なさそうだし、髪と服綺麗にして彼女作って家庭作ってとりあえず世間的なゴールを突破すればいいんじゃない

今そういう垢抜けさせる専門家おるし

https://twitter.com/bot_ippanjin/status/1760102819657654310

この辺とか良い感じだよ

最近周りで結婚やら彼氏ができたりとかそういう人が増えてきた。まともな人から売れてくって本当なんだなって実感してる。

私も彼氏欲しいけど、今までまともに彼氏できたことないから、多分結婚できないんだろうな。 結婚したいかと言われたら別にしたくない。自分の親みたいになりたくない。生まれてくる子供100%愛せる自信もない。

でも彼氏欲しい。

周りの女は結婚して仕事辞めるんだろうな。今の仕事本当に好きじゃない。やりがいもない。部署異動したばかりで全体像が見えない。職場の人も嫌い。

そうやって考えたらなんのために生きてるだろうって思って本当に死にたくなってくる。自分未来みえないのが辛いし、ここから逆転もできないんだろうな

『東リベ』のラストが酷すぎたので、未来を変えるために『願いのアストロ』のアンチパターンネタ潰しする

展開編

相棒キャラを殺す

ラスボスも殺す

主人公も殺す

最後に生き返らせる

能力

パンチ主人公能力ではなく他のキャラの「主人公パンチで道を切り開いて欲しい」という願いによって生まれ能力

世界崩壊したのは隕石自体の影響ではなく誰かが「世界崩壊してくれ」と願ったか

特にまらんのが「俺が活躍できる世界を」と主人公チームの誰かが願ったパターン

キャラクター編

ヒロインツンデレ暴力

ボスの一人は自分正義だと信じているサイコパス

・『稀咲鉄太』の使いまわしみたいな黒幕

とりまこれ全部回避してくれてそうならアンケ毎週入れるわ。

俺は反省した人は評価するタイプから

じいちゃんばあちゃん若返る 第一話に寄せて

どうもこんにちは

面倒くさいアニメファンです。

じいちゃんばあちゃん若返る の第一話を見て、どうしても突っ込みたいところを突っ込むので気が向いた人だけ読んでくれ。

なお、アニメしか見てない。

漫画の方は今後買う予定だけど今月クレカの支払いがヤバいので来月以降の予定。

ちなみにこれは「こう書かなきゃ行けない」という話では無く、興味を持ってくれた人により深く楽しんでもらうための解説であるからして、そのつもりでひとつよろしく

りんごの木について

りんごの木の書き方が妙にリアル

りんご高木にあたるので、そのままにしておくと凄く大木になってしまう。すると作業性が著しく悪くなる。剪定、収穫、防除が難しくなる。

また、日の光が均等にかからないとまずいので、背が高くならないように、また横に向かって伸ばすように育てる。

そのため、上から見ると、枝が放射状に横に向かってにょろにょろと手を出すように広がっていく。

ただし、こうするとりんごの実がることによって枝が折れたりする。それを木の棒で支えている。これも作中で描かれているね。

これを丸木栽培と言って、最も古いりんごの育て方だ。

じいさんばあさんが昔植えたという、そして黄金りんごを実らせた木がこれにあたる。古木に多い。

一方で、作中には、並木状になっているりんごの木があったと思う。これを「矮化栽培」という育て方だ。

先ほど言ったように、りんごというのはそのまま置いておくと大木になる。またコントロールが難しい。そこで、わざと大きくならないりんごの木を作って、それを高密度に植える育て方、それが矮化栽培だ。

りんごに限らず果樹は基本接ぎ木である。根っこの部分には生命力と根が強い木を台木にし、更にその上に目的の木を接ぎ木する。通常はそれだけなのだが、そのままで大木になる。

そこで、根っこの台木の上に、一度矮台という大きくならない木を間に挟んで、更にその上に目的品種を継いだ特殊な苗を使う。これを矮化栽培という。これによって木が大きくならずに育てる事ができる。

のだが、しかしこの矮化栽培も、だんだんと木が大きくなってきて、旧来型の丸木栽培に近くなっていく。こうして、並木のように並んでいる大きなりんごの木ができる。

じいさんばあさんは戦中派なので、最低でも90歳オーバーであることを考えると、ちょうどこの矮化栽培の普及時期に開拓をしていると思われる。

じいさんばあさん若返った後は?

若返ったので、今後、じいさんばあさんは改植を進めていくものと思われる。

大きくなった矮化栽培は、矮化栽培メリットがほぼ無くなる上に、丸木栽培よりも高密度なので丸木栽培メリットも無い。と言う事で、通常は一定より大きくなったら切り倒してしまって、新しい苗を植える。この時に最新の品種を取り入れたりする。これを改植と言って、果樹農家基本的に絶えず行っていく。

のだが、改植すると当然一時的収入が減る。また高齢になってくるとなかなか未来の事を考えて行動するということができにくくなってきて、改植が進まない。

そこで、じいさんばあさんは大きくなった矮化の木を残していた(矮化栽培は枝を支える手を使うレベルまで育てるのは育てすぎ)と思われる。

が、若返ったので、この後は矮化栽培を進めていくと思われる。

さて、今の時代は、更に進んだ栽培方法がある。じいさんばあさんは、日本りんご栽培が本格化するところ、その近代化を担ってきた世代である。当時最先端技術を使ったベンチャー企業みたいなものだ。そう言う精神を持っている2人なので、今後は新しいことを入れていくと思われる。例えば以下の様な栽培方法がある


作画の都合上省略されたり変更されたりしていると思われる部分

まず、OP 果樹農家が使うのは三脚なのだが、これが脚立になっているのは、おそらく参考になる品物が近くになかったからかな。

基本的果樹農家が使うのは三脚である。足が多い方が安定するように思うかもしれないが、三脚場合は3本目の足の位置を調整することで下が安定していない坂などでも安全に安定させる事ができると言う特徴がある。これが脚立の3本足だと、一本が浮いてしまうのだ。

日本では、伝統的に平坦な場所コメまたは麦を育てる場所として使われる。そのため、果樹園は傾斜地にある事が多いのである

物語的に変更されたと思われる部分

先祖伝来の土地はあまり多くない

りんご栽培が本格化したのはここ150年ほどで、更に言うと戦後である戦争から引き上げてきた人々が、食っていくために開拓をした土地りんごを植えた所から本格化している。

日本農業は米を重視していて、それに適した所はほぼ開拓されていた。その残りと言うのは、傾斜地で水がなかったりとするところである。そこを開拓した所だ。

じいさんばあさんは戦中に生まれ若い時期を戦後の混乱期を過ごした人たちなので、恐らく先祖伝来の土地よりも、自分たちで開拓した土地の方が多いと思われる。

ただ、聞くところによると、2人とも元々地元豪農の生まれらしいので、そういう点ではあるのかもしれない。

津軽りんご農家豪農が多く、後継者も多い

りんご農家豪農が多く収益率も高い領域だ。

全国から考えると比較収益性が高く後継者も多い優良な事例が多い。また、じいさんばあさんは最低でも90歳と考えると、恐らく息子さんは定年直前ぐらいではにだろうか。

一緒に暮らそう、と言うよりも、どちらかというと定年帰農を考える話になっていくのが現実によくある話だと思う。

そうすると話が複雑になってしまうので、省略されたのだと思う。

まとめ

りんご農家アニメ化するってのは結構レアなんで農協とかコラボやろうぜ

まだりんごシーズン本格化前田からやれるって。

anond:20240415190950

お前をマインドアップローディングして、2000年代の壊れた人間サンプルとして未来に語り継ぎたいよ

anond:20240415151447

だいたい老いのせい

未来は常に若者たちのためのもので、自分たち世代が死に絶えた後は若者世代のための時代だけど

自分たち時代を忘れられない人は「最近若い人は」と言ってしま

生成AIブコメ

そのうち、「俺とお前以外は全部スクリプトだぞ?気が付かなかったのか?」のコピペ現実と化してきそうだな

すげえな、俺等って未来を生きてるぞ

anond:20240414090650

氷河期ど真ん中世代としては、新自由主義政策を決定したのは当時の社会権力者層(バブル世代の更に上)なので、気付いたときにはどうしようもなかった。

けど、自分自身でそういった流れに迎合していたのも事実かなと思う。選挙でも与党投票する氷河期世代は多かったはず。

社会人なりたての頃は、政治家には企業経営者のようなセンスと実行力が必要だなんて言っちゃったりしてた。今思うと恥ずかしい。

自分派遣大企業の末端営業になったときも、これから正社員というのはどんどん減って、各業務領域プロである派遣と、少数の経営者による組織体制が増えていくのだろうと想像した。そして派遣給与スキルや成果によって上がっていくものだと。

今思うと企業経営感覚政治やられたらたまらないし(企業が「市場ではない」と切り捨てる取すてるところまでフォローするのが政治だ)、竹中平蔵綺麗事のような未来は来るはずもなかった。新自由主義なんて結局、エリート主義の言い換えにしかならなかったんだなと思う。

誰も自分たちの境遇が悪いものだとは思いたくないから、その立場正当化するための言説に流れてしまう。あらゆるものが貧しくなり気候変動も酷いのに「日本には四季がある」と誇っちゃうのと同じ。

anond:20240415023230

ミソジニー男女平等言葉はたくさんあるけど真実はいつも一つ

じゃなかった、本質はいつも一つだよ

『女が「今」正しいと思った事が常に正しい。過去未来他人考慮した整合性は一切気にしてはならない』

女が黒と言ったら青も黄色も黒、1秒後に同じ色を指して白と言ったなら白。

それが世界なんだよ。

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