はてなキーワード: 天皇とは
日本政府から離脱したほうが効率的な社会運営が可能であると橋下徹は思っているのではないかと強く疑っている(そして個人的にはそれが悪いとは思わない)。道州制は軍事外交などを除く権限を日本政府から「奪う」あるいは「奪還する」のが目的であるし、都構想も関西に『都』を作るためだった。関西維新の会設立を明言したのは『東京』に影響されない仕組みが必要であるからだと私は解釈している。彼の思惑は最初から今まで一貫しているのだ。
その道の行き着く先には、『独立』がある。彼がそこまで織り込んで活動しているのかは分からないが、彼はアホではないのでこの道を進んだ結果そういうことになると分かっていないはずがないと思う。
正直に言えば落ち目の日本政府に付いて行っても得はない。関西自体が時代に応じて自由に選択できればいい。日本政府が東京以外をそこまで重視していないのも事実ではあるし、それならばこちらから日本政府から出て行くのも選択肢として有り得るのだ。そういう意味ではまさに大阪人らしい合理性である。『日本』という集団に対する愛着は、関西では全体的に弱いと感じる。東京の方が圧倒的に強い。
沖縄は独立しても経済的に成り立たないだろうが関西の規模なら十二分。
有史以来明治維新まで都が置かれた関西ではあるが、天皇を捨てるのが早いのも恐らく関西になるのではないか。
※ちなみに私は反天皇でもなんでもありません。
「増田は○○を知らないのかな?」で始まり「角度とか」で締める。
最近になってアイマスキャラの口調を取り入れ、芸の幅を広げつつある。
「異議あり!」「ダウト」「莫迦か?」などと前置きしてめちゃくちゃな反論をする人。
もともとは角度の人と同一人物だったのではないかと疑われたこともあるが真偽は不明。
使い勝手が良いフレーズなので現在では他の増田も使っている模様。
「むきゅー」と鳴く。
見出しに無理やりな回文を仕込んだりする。仕込まないこともある。
その日の朝食とデトックスウォーターを書いてから、水曜日でなくても「すいすいすいようび~今日も頑張ろう!」で締める。
「過去の記事を読みたいんだけど」と言う人が多いけど、だから「デトックス」キーワードを辿れって言ってるだろ!
増田の中での存在感は薄いがブックマーカーからの知名度は高い印象。
× 間違った言葉
○ 正しい言葉
みたいな感じで誤字を訂正してくれる人。
他の増田に絡んでトラバツリーが無駄に伸びる原因になる人。草を生やすのも得意。
相手を「低能」と馬鹿にするのが特徴で、「低能君」または「低能連呼君」と呼ばれて増田たちに親しまれている。
「おちんちんしゃぶってあげますね」と言ってしゃぶってくれる人。いや本当に存在するんだって。
増田おなじみのウンコネタだが、私はスカトロジーニアスでは無い。いやあ「スカトロジー」と「ジーニアス」ついでに「アス」まで入れるとは・・自分の文才に惚れ惚れするね
これでもね、2年前は全くもって何も書けなかった
で、ちょっと時間があったのでママンのプロバイダがタダでブログ作れるサービスがあったので、ママンのアカウントでブログ書き出したの
最初は、天気がいいだの・・天ぷらがおいしかっただの・・誰も読まないクソのようなブログでした
今となっては黒歴史なので加筆修正できるのがブログの良いところ
本?読みません、たまに買ったのが「サラリーマン山崎シゲル」
でも
古い記憶である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だということを記憶している
どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる御宮がおおぜいいた中に
越後の春日を経て今津に出る道を、珍しい旅人の一群れが歩いている
日陰になった坂に添うて、岸本捨吉は品川の停車場手前から高輪へ通う抜け道を上って行った
こんな感じだろうか?
なるほど。統治行為論を背景に、政府の憲法無視は9条にとどまる、という考えなのか。それは論理的にありうる立場だし、それに十分に信頼を置ければ安保法案への私の評価は変わる。ただ、今のところ私はそこまで日本の立法や行政に対する司法の強さを信頼出来ないかな。統治行為論の判決が出る前に米国大使に最高裁裁判長が判決を漏らすみたいな、論外なことをしているし。
http://www.masrescue9.jp/fukawareiko.pdf
一番恥ずかしいのは、それが米国の開示文書からしかわからないこと。日本がどのくらい民主主義を真面目にとっているかがわかる。それに、一票の格差はいつ解消されるんだ。
デモクラシーに守られるべき価値がデモクラシーそのものによって毀損されるのは許されない、というのは同意するが、その価値が「国民の幸福」というのはちょっと保留かな。最広義に「幸福」を定義すれば自明で空虚な文になるし、一番狭く、ベンサム流の客観的に観測可能で社会で加算して「総幸福」を定義できる何か、ととったらそれは時代遅れだろうと思う。個人的にはセンのケイパビリティ論に共感している。
君に当てはまるかはまた別だが、功利主義者とか、いわゆる「リアリスト」の人たちは、幸福だとか国益だとかを狭く定義する傾向があるように思う。殺すより殺されたい、という人はいる。そのまま見ると分かり合えないと思うかもしれないが、「でっちあげの根拠でイラク政府を崩壊させイラク国民に無政府状態をもたらす戦争に参加しなければ米国との同盟が維持できないのであれば、そこまでして米国様に尖閣を守ってもらわなくてもよい」という立場だと思えば、同意する日本人は多いと思う。
昭和天皇が大戦に果たした役割は、面白そうな話だが、時間が尽きた。個人的には、田中義一首相を昭和天皇が叱り、その後総辞職して自殺した、というのがターニングポイントだったと思う。大日本帝国憲法は構造上天皇がいざというときは出ていかなければならないようになっていたのに、田中義一首相のエピソード以来、必要以上に立憲君主の枠から出るのに謙譲的だったように思う。(多分バイアスがかかっている資料によると)昭和天皇はあの時代の有力者の中では、例外的に開明的な思想を持っていたらしいから、惜しいな、と思う。
あと、英明な君主による独裁のほうが民主主義より優れた結果をもたらすのは別に当たり前の話だと思うよ。英明な君主の安定的な確保が致命的に難しいだけで。
[チョン・ジェハク コラム]平壌(ピョンヤン)を打って、日本列島を切るとすぐに!
2015年07月22日(水)13:23:00 チョン・ジェハク編集委員
今でも鳥肌が立つのは、私たちの民族に対する日本の悪意だ。 理由がない悪の. したがって日本が私たちの民族に対する悪意は先に天だと見る。
日本の根が深い悪意は今でも進行中だ。悪意から出発した日本が私たちの民族に及ぼした害悪がどれくらい多大かは今でも変わりない独島(ドクト)侵奪野心と歴史反省の姿勢で如実にあらわれるというだろう。
そして筆者は日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種であることをもう一度確認している。
特に亡国的だと呼ばれる地域感情が日帝によって作られたことを、私たちは賢く知っていなければならない。そして日帝強制占領期間36年の血まめができた怨恨も怨恨であることであり、日帝が残して行った傷痕中に民族分裂政策があったことを上記してみなければならない。なぜ私たちが日本をそのように呪わなければならないかに対する立派な答になるためだ。
1945年8月15日、彼らは韓半島を離れて、二種類をいって行ったと伝えられる。その一つは必ず10年後に帰ってくるということであったし、また、一つは私たちの民族が永遠に団結と和合をできないだろうというものだった。植民教育の中に毒素を入れて教えたという意だった。
日本は1919年3.1運動に接したらで、韓半島統治に植民教育を強化した。そして皇国臣民(天皇の国に臣下なった民)を育てるために国民学校(国民=皇国臣民の略語)をたてて、私たちの民族の頭の中を洗脳させ始めたし、民族精神を抹殺するために学校で私たちの国語を奪ったし、伝統と文化に対する否定的な意識を教えた。
花札を流行させたのも民族精神抹殺政策の一環だった。花札は勤倹節約の美風良俗を害して、トゥレ村の協同精神を押し倒して私たちは怠惰な国民に成っていった。
しかし5000年歴史を持った自主民族が一日で簡単に洗脳される理由がなかったし、いよいよ植民教育の強圧を突き抜けて光州(クァンジュ)学生運動が起きた。この事件で日帝は植民教育の方向を修正した。それが民族分裂政策だった。
民族分裂政策は湖南(ホナム)に対する排他的意識を育てることで始めた。 歴史的に湖南(ホナム)は日本の自尊心を押し倒した、日本に敗北の数値を抱かれた故障だった。 壬辰倭乱当時李舜臣将軍の部下にはいつも勇敢な湖南(ホナム)人がいたし、幸州(ヘンジュ)山城での大勝にもクォン・ユル将軍をついて行った全羅道(チョルラド)出身の将卒があった。 豊臣秀吉の侍童出身小暑銀行長は幸州(ヘンジュ)山城の敗北を、全羅道(チョルラド)出身将卒の奮闘を理由に上げたりもした。
同学以後起きた義兵大部分が湖南(ホナム)を拠点にして起きたし、生き残った義兵は智異山(チリサン)を根拠地で活動していた。ここに何と20年余りの植民教育を押し倒して光州(クァンジュ)学生運動が展開したのだ。
これに対し日本は湖南(ホナム)排斥を目標に地域感情を生産し始めた。
植民史学者を動員して、その有名な考慮王健のフンこの十兆をまき散らして、湖南(ホナム)を醜くていやしい反逆の故障で認識させ始めた。ここに応じたのがいわゆる両班(ヤンバン)階層の親日派であった。‘全羅道(チョルラド)犬の土鉄’という(のは)湖南(ホナム)国民らをいやしく呼ぶニックネームだった。
日帝によって生成された地域差別は、親日史学者らと貴族階級の末期的現象に心酔した愚かな支配階層によって広く広まったし、そして日帝は韓半島を離れて私たちの民族の大同団結をあざ笑うことになったことだった。
湖南(ホナム)に向かって逆差別的な毒素は軍事独裁で花を咲かせたと見る。軍事独裁当時湖南(ホナム)出身は将軍進級が事実上詰まっていたし、カンでも、財界でも湖南(ホナム)人は排斥にあった。どれくらい深刻だったのかは筆者の体験の中に今でもそのまま生きている。子供の未来のために本籍までパーサー移住する湖南(ホナム)人が如何に多かったのか。
日帝が狙ったそのままであった。さらに全羅道(チョルラド)人ならば婚姻もしなかった。他地域に嫁入りした湖南(ホナム)女たちが受ける侮辱は怒りにつながったし、その怒りは亡国という言葉どおり広がった。
暮らすために他地域に離れた湖南(ホナム)人は全羅道(チョルラド)なまりを使わなかった。情感に充ちたその言い方まで隠さなければならなかったすべての悲しみは湖南(ホナム)人の胸に数多くのあいくちをさしていた。
そしてその頂点に5.18があった。‘慶尚道(キョンサンド)軍人が湖南(ホナム)人をみな殺す’というデマが光州(クァンジュ)市民の胸に火を付けたのだ。筆者もその現場で確認したことだった。したがって光州(クァンジュ)市民はそのようなデマが追い込まれる程湖南(ホナム)差別に対する痛くて大変な数多くの経験があったのだ。
その辛い経験は深い傷で残って今でも有効に展開していると見なければならない。北朝鮮が操縦する韓国内葛藤の実体も湖南(ホナム)地域差別に根元を置いたことだった。おそらく北朝鮮は最後まで地域差別をそそのかすつもりだろう。
日帝が残した植民教育の毒素は、民族分裂のための地域差別だった。今でもこの呪いが生き残って繁盛する理由はその最初が北朝鮮の対南工作にあって、その次がまだ地域差別の実体を悟ることが出来なかった愚昧な国民にあるというだろう。
筆者は北朝鮮との戦いで勝つには、先に韓国内葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。そのためにはこの葛藤の出発が地域感情であり,この地域感情は日帝の陰謀だったことを、もう天下に知らせなければなければならないと考える。
もう一度民族を考える。私は全羅道(チョルラド)の人だ。もし国家に危難がくれば、幸州(ヘンジュ)山城とミョンニャンに向かって走って行くだろう。明確にそうするだろう。
私たちは団結しなければならない。私たちが団結すれば、北朝鮮を自由民主体制に移ってくることができる。そして私たちが韓国、北朝鮮国力を統一すれば、日本を克服することができる。
したがって地域感情をはね除けて力を集めて、ついに平壌(ピョンヤン)を打って、列島を切らなければならない。 私たちの民族1世紀の間の怒りを必ず返さなければならないと信じる。
原文 韓国語
主観は人によって違うのでやむをえないが俺の立場は以下のとおり。
俺:今までの解釈の延長線上にあるから、少なくとも新たな問題はない。(9条の改憲するときにかかる時間やコストに言及したのは、君の主張のデメリットや矛盾をつくためにすぎない。俺は先の解釈変更や今般の安保法制のための程度なら9条の改正は不要との考え)
少し付け加える。
今までの解釈が憲法の範囲内だというなら今般の法制もすでに枠にはまっている。
時の政権に特に9条に関する限り、事実上ほぼ無制限の解釈の自由があることになると見ることが可能なのは事実だ。
しかしそれは、現在の制度自体がもつ欠陥(統治行為論により9条に関する限り行政府の一部門が合憲性を事実上最終的に判断する制度)に起因している。制度の欠陥を安部首相がついたとみてもよい。
これが9条だけの話ならばまだしも、他の条文にまで援用されると確かに恐るべきことになる。
補足)
原語がデモクラティズムではないことにそれは現れている。したがってデモクラシーによって守られるべき価値がデモクラシーそのものによって毀損されるのはゆるされず、その価値とは「国民の幸福」である。
なお、侵略が許されないのは、それによって得られたなにかをわれわれ日本国民はもはや「幸福」とは呼ばないからである。
また、近代のデモクラシー以前から国家は存在している。デモクラシーを採用しない国民国家はありえるが、国民国家の基盤がないところに近代デモクラシーは不可能。さらに国民国家は国家の一種に過ぎず、国家は領域、人民、暴力によってなる。(つまりよりもっとも野蛮な国家すら、領土や人民の防衛はその責務である。ましてや現代日本においてをや)
より下部にあるより基礎的な層への脅威はそのままわれわれのデモクラシーへのより根源的な攻撃でもある。これへの防御を表層の制度の字義的解釈に拘泥して阻害したり、それをもってデモクラシーの破壊と叫ぶのは本末転倒。むしろ表層にある制度の欠陥が露呈したとみて、制度の改善をこころみるべきである。
制度の改善が著しく困難な時には、より基礎的な価値を防衛するために統治機構はさまざまな方便を考え出す。
今回の解釈変更も、そもそも安保と自衛隊を黙認するための統治行為論もそれだ。
これについては、まあ、君にはそう見えるかもしれんという感じか。
俺にとって外国の侵略が君が考えるよりは重大な危機と考える理由の一部は「論点の背景にある価値観の相違」の補足に述べたつもりである。多少分かりにくいかも知れないが、筋道はおえるのではと思う。
ところで君は先に大戦の惨禍を縷縷述べ、その原因を国家の暴走にもとめた。
そして、それへの反省あるいは対策として、立憲主義の厳格なる遵守を要求していたように見える。わたしの考えもまた私の主観では立憲主義を厳格に遵守するものであるがそれはともかくとして以下の点を指摘する。
天皇親政により立憲政治を絶命させようとした二・二六事件は立憲主義を逸脱した昭和天皇の勅命によって頓挫させられた。先の大戦はやはり立憲主義を逸脱した昭和天皇の聖断によって収拾された。
デモクラシーが前提とする立憲主義の手続きを墨守することによる不利益はデモクラシーのコストとして甘んじて受けるべきだというなら、昭和天皇は指をくわえて見ているべきだったということになる。
もし本当にそう歴史が推移したならば、前者についてはより早く大戦に突入する結果を招いたことであろうし、後者については惨禍がどれほど拡大したかはまったく俺の想像を越える。
こうした歴史をどう考えているのか。
私は自分のことをジョン・スチュワート・ミルに連なる正統的な保守主義者だと思っているので、左翼と言われるのは心外だ。撤回してほしい。残念ながら正当な保守主義者は現在の日本ではリベラルというレッテルを貼られることが多いので、それなら甘受せざるを得ないかとは思う。
で、沖縄だが、おそらく君より沖縄の歴史については詳しい。琉球王国とその前の時代から今までかなり勉強しているし、実際に沖縄で戦争を経験した人にも話を聞いたことがある。沖縄が中国に取られたら、東京にある日本政府にとっては大惨事だし、香港、チベット、ウイグルの状況を見る限り、沖縄の人にとっても悲惨な事態であろう。ずっと基地負担に耐えてきてその後中国に支配されるとか、どれだけ辛い思いをしなければならないのか。
ただ、沖縄の独立が、第二次大戦の敗戦に匹敵するほどのことか、と言われると、同意できない。南京とホロコーストくらい違う。日本の首都が他国に占領され、天皇の生命が外国の軍事司令官によって左右させられる事態は、日本の歴史上になかった。日本国の歴史のうちかなり長い期間独立国でもあった琉球が再独立するのとはわけが違う。
これは話がずれるし、理解してもらえるかわからないが、一応書く。
オイルラインどうこう、という話は、領土や統治機構の話に比べると、二次的な重要性しか持たない。たしかに、止まったら困るリスクはある。それは、紅海やマラッカ海峡やインド洋やホルムズ海峡や南シナ海や東シナ海と一緒だ。どれも日本の主権は及ばない。
もしフィリピンが現在日本の領土だったら、君は、「フィリピン落ちたら、オイルラインどうなると思う?そう、フィリピンが落ちたら、生命線である原油輸入ラインが止まるんだよ。」と言っただろう。参考までに付け加えるが、フィリピンは日本の領土ではないし、その結果原油輸入ラインが止まったことも(ここ70年は)ない。
沖縄戦前の御前会議で昭和天皇と近衛首相は軍部内人事だの今一度戦果をだので暢気なこといって
軍部は軍部で民間人の格好して特殊なゲリラ戦を展開したために混乱の中米軍の火炎放射器等焼き討ち作戦で被害は拡大
※ 憲法九条は事実上、何十年も停止されている状態なのに、本当に反しない範囲である必要があるのか?というのは今は論じない)、
もちろん憲法に反しない必要はある。「事実上何十年も停止されている状態」は君の解釈であって、共産党や公明党の国会議員と、その支持者に聞いたら違う意見を言うだろう。
ならば、憲法九条に反しない範囲でなら、政府の判断によって、制約の具体的一形態がべつの具体的一形態に変化するのは元々ありえたはずじゃない。
これはそう。政府は憲法の解釈において、ある程度の自由度を与えられていると考えるのが妥当。ただ、その「ある程度の自由度」は当然限界があり、その限界は世論とか今までの経緯とか学説とか現在の政府が直面する状況とかによって決まる。集団的自衛権は憲法で明示的に禁止されていないから行使可能だ、というのは君の解釈だが、学説の圧倒的な多数説は、昨年の集団的自衛権を認めた閣議決定は、政府に与えられた解釈権を乱用する違憲な解釈変更だ、というものだ。
私はそれがどこまで妥当か君と議論し、説得できるほど憲法学に詳しいわけではない。ただ、安保法案は、憲法学会をまとめて無視してまで強行すべき緊急性があったとは思えない。学会を無視し、世論を無視し、野党を無視し、メディアを無視し、憲法まで無視するようなら、現に政権を担っている政府を制御する制度はすべて無効になったということだ。結果として法案そのものが日本の「国益」に資する行為かどうかにかかわらず、長期的に見たら、今回の法案制定プロセス全体の、日本国の民主制度に対するダメージは大きいと考えている。
たぶん君と私では、政府の暴走に関する危機感が違う。日本は十分に大きな国だし、地理的環境も恵まれているから、他国政府の脅威より、自国政府の暴走のほうが、国民の福祉に関しては警戒すべき対象だと私は考えている。中国ができることはせいぜい沖縄を独立させ衛星国にすることぐらいだけど、日本政府そのものがおかしくなったら、国民全体が悲惨な事態になる。大日本帝国は、海外領土を一夜にして全て失い、本土すべてを焼け野原にし、沖縄では悲惨な地上戦を行い、多数の国民を餓死させ、多数の国民に自殺攻撃を強い、全土が他国の軍隊に占領されるまで戦争をやめず、天皇の死刑リスクおよび国土の分割リスク(ドイツ、韓国)にさらした。
現在も、日本会議だとか、自民の憲法草案とか、まず96条を変えたがることとか、メディアに対する規制が強まっていることとか、暴走の兆しはすでに見せている。大正デモクラシーの時代は、治安維持法とか想像できなかっただろうと思うよ。
という説を唱えてみる。
江戸にはもちろん、将軍がいた。江戸の人々は天皇が来たこと自体に関してトップが変わっただけだと感じたと聞く。
要するに「将軍→諸々→民衆」が「天皇→諸々→民衆」となっただけだと。
京都にはかつて天皇がいたものの、長らく『権威』と化して『権力』ではなかった。
大阪には「権威」すらなかった。その分この二都市では住民自治が発達しており上意下達システムに慣れていない。
言うまでもなく日本のマジョリティは「(将軍→)大名→諸々→民衆」であり、江戸と同じ仕組みに慣れている。