はてなキーワード: 大数の法則とは
大数の法則の証明を行う。ここでは、大数の弱法則の証明を示す。
独立同分布(iid)な確率変数列 X₁, X₂, ..., Xₙ があり、その期待値を E(Xᵢ) = μ とする。このとき、サンプル平均 X̄ₙ = (1/n)∑ᵢXᵢ について、任意の正数 ε > 0 に対して以下が成り立つ。
lim[n→∞] P(|X̄ₙ - μ| ≥ ε) = 0
証明には、チェビシェフの不等式を用いる。まず、チェビシェフの不等式を証明する。
P(|Y - E(Y)| ≥ a) ≤ Var(Y)/a²
が成り立つ。
1. 指示関数 I[|Y - E(Y)| ≥ a] を定義する。
2. E[(Y - E(Y))²] ≥ E[(Y - E(Y))² · I[|Y - E(Y)| ≥ a]] が成り立つ。
3. 右辺は a² · P(|Y - E(Y)| ≥ a) 以上となる。
4. E[(Y - E(Y))²] = Var(Y) であるため、不等式が成立する。
- E(X̄ₙ) = μ
- Var(X̄ₙ) = Var(X₁)/n = σ²/n
- P(|X̄ₙ - μ| ≥ ε) ≤ Var(X̄ₙ)/ε² = σ²/(nε²)
3. 両辺の極限をとる。
- lim[n→∞] P(|X̄ₙ - μ| ≥ ε) ≤ lim[n→∞] σ²/(nε²) = 0
- lim[n→∞] P(|X̄ₙ - μ| ≥ ε) = 0
CISさんの真の凄さってロットではなくINの位置が明瞭な事なのよ。
見る人が見れば「だよね、そこだよね」って位置ばかり。
何故そこで売ってる/買ってるのか全く理解できない似非とは明らかに違う。
面識がある訳ではないが、私の中ではBNFとCISさんは平手のトレーダーとしてやはり別格かな。
ダウナス、S&P、SOXの分足チャートと先物チャート重ね合わせてみればその買い圧の強さが分かる。
私はIMSのほぼ頂点で入ったからINの位置がそれなりに深かったけどそれでも打診で売ったラージ50枚100円は抜かれた。
私がINしたときよりも米国株も為替も下がってるにも拘わらずね。
なんで、私は昨晩の損は事故だと思ってるし、別に自分の判断が誤りだったとも思ってない(だから自虐ネタにできる)。
正に文字通り、「買う奴がいたから上がった」ただそれだけのこと。
翻って、その買い方の思考を推測し展開したらまともなトレーダーなら売りポジあれば閉じるし、売るか買うかしろと言われれば買うよ。
特に今日の寄り、ソシオなど一部銘柄は寄ってなかったけど、明らかに先物が現物に先んじて高かった。
あれを見てCISさんは途転したんだと思う。
普通は夜間であれだけ釣り上げると現物に引っ張られて先物は寄り弱くなるけど今日は違った。
ここまで条件揃って、自分のポジや見てきた含み益に固執して意地張るヤツは4ぬの。
実際そういう人を何十人も見て来た。
相場って上がるか下がるか、勝つか負けるかしかない訳だけど、その単純な2択の裏にはこれだけの思考が展開されてる。
そしてその思考を何万回、何十万回の試行に替えた結果が10桁11桁の資産な訳。
答えは簡単で、12年前に大騒ぎしてガイガーカウンター買いあさって測ったけど、
”彼らの予測”に反して自然放射線程度の数値しか出てこないから数か月で飽きちゃったのさ
むしろ測れば測るほど、少なくとも個人で所有できるような計測機じゃ”変わらなかった”という結論しか得られないからさ(大学研究室レベルの計測器なら別かもしれないけどね)
「安全のために死ぬまで測り続けてデータをブログにアップし続けます!」
って宣言したのに1か月もしないうちに音沙汰なくなったブログが山のようにあったよ
数日は数字がぶれるから「ほら放射線量があがった、日本はもうおしまいだ」って自分が正しかったのだという高揚感が得られるけど、データを集めれば集めるほど大数の法則に従って収束していくからね
【ついに抽選!】サマージャンボの期待値を数学的に読み解いてみた! | 【フルカラー図解】高校数学の基礎が150分でわかる本 | ダイヤモンド・オンライン
宝くじの期待値ってまったく意味のない数字なんだよね。だから、それをもって宝くじを買うのは得か損かを語ってるのは、確率の基本的な概念を理解してないと言える。そんな人が出してる数学の本とか当てにならんのでは。
サイコロをふって1の目が出る確率は1/6だ。じゃあ6回サイコロをふったとき、必ず1の目は1回出てしかも1回しか出ないかというと、もちろんそんなことはない。1回も出ないこともあるし、6回連続することもある。では、60回なら、600回なら、6万回ならと、試行回数を増やせば、それだけ計算上出た数字と実際の確率は近くなっていく。これを大数の法則という。
この大数の法則は、確率が低いものほどより多くの試行回数を必要とする。6面のサイコロなら6万回もふれば十分だろうけど、6万面のサイコロだと、6面サイコロで6回ふったのとおなじなのだ。6000万回とか6億回とか、そういう試行を必要としてしまう。
期待値というのはスコア×確率の合計だという。ここに確率がからんでくるため、大数の法則に従うわけだ。
再び6面サイコロで考えよう。出た目とおなじ金額がもらえるとする。期待値は3.5円。しかし、1回サイコロをふったら3.5円もらえるわけではない。1円のときもあれば6円もらえるときもある。しかし、これを何度も何度も続けていると、1回あたりの金額が3.5円に近づいてくるわけだ。6万面のサイコロでもおなじ。1回で3.5万円もらえるのではなく、繰り返し行うことで1回あたりが3.5万円に近づくのだ。だが、その値に近づくための回数は、6面のに比べ1万倍必要だろう。
宝くじというのは、簡単に言えば、当たる確率が低く当たった場合のリターンが大きいものと単純化することができる。上記の記事によれば今回のサマージャンボの1等は、0.000005%の確率で5億円があたるものらしい。どれだけの回数を行えば、つまりどれだけの量の宝くじを買えば、この確率に近い値が出るのだろうか?どうやって計算すればいいか知らんけど、10億枚とかそういう数字になるよね。
つまり普通に宝くじを買ったところで、期待値や還元率の値に近づかないんだよ。それにはあまりに試行回数が少なすぎる。だからそれらはまったく意味のない数字だ。いや、むしろ、多くの場合はそれより低い結果になるだろう。期待値なんかよりも損をするのが多いはずだ。
ならば、一層宝くじなんて買う意味ないよねと思うかもしれないけど、逆だ。確率が異常に低いからこそ儲かる可能性がある。
期待値−掛金は必ずマイナスになる。そうでなければ、胴元がもうからないから。つまり期待値に近い値が出るものは、比較的少ない試行回数でほぼ必ず損をしてしまう仕組みになっている。つまり大数の法則にハマりやすいのだ。たとえば競馬で固い馬券ばかり買っている人は必ず損してるしその損の割合もだいたい分かる。こういう場合は期待値が意味を持つし、止めるように説得する材料として適切だろう。
一方、宝くじのように確率がぐんと低いものは、大数の法則にハマらない。結果がバラけるのだ。そしてごくごく稀だけどボロ儲けできる。宝くじで生計をたてようなんて土台無理な話だけど、一攫千金を夢見てドフに捨てるつもりでというなら正しい。
「官僚は無能」などと吐いて憚らない、非常に勇敢で勇気のある人物は、Twitterでも見た気がする。
彼らの姿勢には、感嘆せざるを得ない。
国家公務員I種の採用者数約500名は、半数が東京大学と京都大学で占められている。
学歴という観点で、彼らよりも優れている人物は、ごく限られる(本稿においては学士修士博士の基準は置いておく。)。
学歴即ち優秀さ、とは思わない。
しかし、仕事の巧拙と学歴競争の勝敗に、直観的な相関を見いだすことは、そこまで特異な見方でもないだろう。
頑健な因果ではないだろう。相関から離れている者もいるだろう。500人の採用となればなおのこと、含まれている可能性も僅少ではない。
それでも、大数の法則により収束する彼らの平均的能力は、他の凡百の組織よりもはるかに高いはずだ。
不思議だ。
しかし、一般的な確率論からして、彼らのほうが優れている要素や可能性を見いだすほうが、珍しいパターンだろう。
官僚はかなりの高学歴集団だ。そんな彼ら「でさえ」できないのだ。
彼らより優れた意見や成果を出せると思える人たち、その自信や勇気は、確かな源泉があるのだろうか。
ない可能性が、圧倒的に高いわけだが。
大数の法則がどうのこうのやろ
再生産数Rが0.5にせよ1.5にせよ、感染者数(人間)は自然数をとるのであって、「感染者が(0.5 or 1.5)人いる」という状態は生じない。
たとえばあるウイルスが、1人の感染者が1人に感染させる確率と0人に感染させる確率がそれぞれ50%だとしよう。この場合、再生産数R=0.5である。
感染者の数が多ければ「50%」の試行回数が多くなるから、次世代の感染者数は現世代の1/2に近い数になる確率が高い(大数の法則)。R=0.5で現在の感染者が10000人いる場合、次世代は5000人くらい(Rt=0.5)だろう。
けれど、現在の感染者が2人だったら次世代が1人だとは限らない。2名とも感染0人のクジを引けば、次世代の感染者は0人(Rt=0)となる。50%*50%=25%の確率でこのウイルスは絶滅する。3人なら50%*50%*50%=12.5% (8分の1)の確率で絶滅する。これが確率的絶滅である。
つまり、簡単な算数的理解では、《 絶滅確率 = 1人の感染者が誰にも感染させない確率現在の感染者数 》となる。
これはR=1.5の場合でも同様で、たとえばあるウイルスが、1人の感染者が25%の確率で0〜3人に感染させるとすると、R>1つまり増加傾向のウイルスでありながら、現在の感染者が1人なら25%の確率で絶滅する。
また、これまでの例は確率の分布を一様にしているが、「多くの人は他人に感染させないが少数の人がたくさん感染させる(スーパースプレッダー)」という場合もある。
たとえばR=1.5であるが、4人のうち3人は誰にも感染させず1人が6人に感染させるとする。つまり、75%の可能性で0人に感染させ、25%の可能性で6人に感染させる。
この場合、現在の感染者が2名だとして、2名とも0人のクジ(75%)を引けば次世代の感染者は0になる。絶滅確率は75%*75%=56.25% (16分の9)である。
集団内の感染者が0名であれば、その集団内ではどれだけ接触しても感染しないので、そのウイルスに対する感染対策は不要になる(院内感染の鎮圧はこれを目指す)。外部からの流入にだけ気をつければ良い。
よくいわれるように、エボラウイルスは地球から絶滅していないが、日本国内ではエボラ対策無しに生活できる。日本国という集団内ではエボラウイルスが絶滅しているからだ。(もしかすると「絶滅」という言葉が強すぎるのかもしれない。「お家断絶」の方がイメージが近いかもしれない。)
大数の法則により、確率的絶滅は、感染者数が極めて少数のときにしか期待できない。
世代感染者数を100〜1000程度の波で上下させる施策(少ないロックダウンを長く)と、50〜100程度にする施策(短いロックダウンを多く)とでは通算のロックダウン期間は変わらないが、1〜10程度にする施策であれば、確率的絶滅によって、対策せずとも増えない期間が生じるため、通算のロックダウン期間も短くなる。(ここでの数字はあくまでイメージ的なもの)
だから、確率的絶滅を目指すかどうかは、対策の一つの大きな分かれ目になる。(現在の感染者数が多く、1回のロックダウンでは効果持続期間が足りず(自粛疲れ)確率的絶滅を達成できない場合も、ロックダウンを何回かに分けて感染者を徐々に減らすことで、確率的絶滅を目指すことができる。)
この前ツイッターで
「なんで運動や他の特技はアピールしても、それほど嫉妬されないのに、学歴だけ妙にみんな過敏に反応するんだろう」と
つぶやいていた御仁がいた
言いたいことはわからんでもない。
でも、学歴を他のスキルと同等に扱えないのはそれなりに明確な理由がある。
全入時代で、定員割れしてる大学も多いから、全員がガチで勉強して進学する訳でもない。
それでも中卒・高卒・専門卒・大卒(四年制・短期)・院卒と、基本的に誰もがどこまでの教育を受けたか区分けされる。
勿論、大卒の中でも、というより大卒の中でこそ、旧帝早慶・駅弁March(最近はSmartなんだっけ?)・日東駒専~なんやらかんやらと、細かいヒエラルキーというか、序列意識が存在する。
そりゃ、義務教育・高等教育期間と、正味12年(以上)かけた上でのレース結果である。
でもこれだとある意味、全員に"学歴"という属性が強制付与されてるようなものだ(非常に気持ち悪い表現だが)。
紙切れ一枚に夢託す
実際、紙切れ一枚で頭の良し悪しなんて、簡単に判別できるものではない。
そんなの、みんなわかりきっている。
わかりきってるし、学歴信仰・偏差値信奉者は一般的にはクソダサいので、学歴で頭の良さが決まるなんて、皆さん口に出して言わない。
でも、実際の所はどうだろう?有名企業の就職率は技術職の理系ならまだしも、文系でも明らかに全体のうん%しかいない一定以上の高偏差値層で固められている。
場合によっては、就職後の研修まで大学のランク別に分けられている。なんだよ、企業なのに、予備校と一緒かよ。という感想である。
学歴=頭の良さではないが、高学歴の方が勤勉性が高かったり、論理的な(座学的な)思考能力が高かったり、まあそれらを測るシグナルとしてはそれなりに信頼性は高いわけだ。
人間外見より中身のが大事だが、これだけ肥大化した社会ではそこまで丁寧に中身を見ることはできないので、大数の法則的に学歴を足きりの条件として使わざるを得ない。
これだけでも、お勉強できましたアピールは、運動できた、楽器弾けますという類のアピールとは、殊更性質が違うことはお解り頂けたであろう。
(優秀で高学歴な増田諸氏からはわかりきったことほざくんじゃねーよ、と切れ味鋭いツッコミが返って来そうであるが)
そして学歴がコンプレックスを非情に拗らせやすいのは、加えてややこしい要因があと二点程挙げられるからである。
増田のような過ごした田舎の公立校では、若くて楽しい青春時代に、机に齧りつくのはダサいと考え、学業に重点を置かなかった層も一定数(というかかなり)いる。
就職やその後、たかがテストの点数でこうも扱いが違うの?阿呆じゃね?ということを痛感したときには既に遅いのだ。
もう少しだけ、勉強にステ振り分けてれば、後の人生もっと楽だったのに。妥協して滑り止めに入るべきではなかった。
働きながら、資格を取ったり、通信などを含めて学び直すことも可能ではある。
が、正直それは、学業に集中することが許された時期に比べると、かなり余裕を持つことが難しいと言わざるを得ない。
特に通常の大学進学なら、合格後も4年間まるまる勉強に専念することになる。
結婚や育児、職場で責任あるポジションを任されると言った事情があれば、尚の事これは難しい。
なんだかんだで家庭環境や出身地など他のデリケート要素が絡んでくるからである。
文科大臣が新受験制度における教育格差について指摘されたときに、「身の丈発言」で物議を醸したことは記憶に新しいだろう。
だが、失言だったには違いないが、家庭環境及びその収入、或いは予備校や進学校の多い都市圏で暮らすか否か
都市圏に多い私学の中高一貫校は、難しい試験を課して入学者を選別する。
その試験を突破するにもやはりある程度家計に余裕がなければ、合格は厳しいだろう。
そしてレベルの高い生徒が集まる環境で、難関大学合格を目標に塾や学校で、合理的で進度の早いカリキュラムが組まれる。
無論、地方だろうが、世帯収入が低かろうが、ストイックに学習に励むことは可能だし、賢い子どもは幾らでもいる。
だが、都市圏でかつ富裕層の方がそれだけ選択肢に恵まれている。この点は否定のできない事実である。
そして、何よりデリケートな問題なのが、やはり不向きな人はそれなりにいる、という点だろう。
「ケーキが切れない非行少年たち」という児童精神科医が書いた本が話題になったが、
境界知能と呼ばれる、IQ70〜84の知的障がいに該当しない人の割合は実は人口の約14%に当たると言われている。
IQと学力の相関性は、増田は実際のところ門外漢なので、少し言いづらい部分もあるが、スポーツがどうしても苦手なタイプがいるように
勉強がどうしても苦手だという人もそれなりにはいるような気がする(公立小中で過ごした時期を振り返って)。
増田はスポーツがどうしても苦手だが、かろうじて学業だけは人並の成績ぐらいはおさめられた。
スポーツが苦手なのは、子供の頃からのコンプレックスだが、歳を重ねれば、学生の時に比べ、そう比較には出されない。
勉強だって基本的にそうだ。だが、別に努力しなかったわけでもなく(あるいは努力する機会がなかったために)、勉強が不得手であった人に
そうしたコンプの瘡蓋を刺激するようなことをすれば、話がややこしくなるのは当然である。
加えて、社会的な記号として、長い期間付いて回る問題でもあるから、二重にややこしく、なるべく人と比較しない方が無難な話題である。
っていう話を長々と書こうかと思ったのだけども,
・第二東京弁護士会の会報誌NIBEN Frontier2017年10月号「特集 本当に怖い非弁提携」
https://niben.jp/niben/books/frontier/frontier201710/2017_NO10_19.pdf
の「4 非弁提携の実態と末路(架空事例を題材に)」に非常に良くまとまっていたので,まぁいいや。
後日、Y社長の会社を訪れたX弁護士は、Y社長の言う「協力関係」について、説明を受けました。
この協力関係は、簡単に言えば、Y社長がX弁護士のために、広告や営業をすることで仕事を、事務所のサブリースで場所を、事務職員の派遣で人員を、コンサルティングによりノウハウも提供する、というものでした*28。
X弁護士は、勤務弁護士としての経験もあるので、一応、仕事のやり方は心得ていましたが、Y社長が提供するという仕事、場所、ノウハウといったものは自分にはなく、これがあれば、経営していけるのではないか、と非常に魅力に感じました。
(中略)
しかしY社長は、そんなX弁護士の心を見透かしたかのように、こう続けます。「ところで、先生の『保障』ですが、月額50万円、最初の1年6か月でよろしいでしょうか。その後は、増額するということにしたいのですが、まずは、これくらいでお願いしたいのですが。」
Y社長によれば、実際の経費の支払はしなくてよい、赤字であっても、X弁護士の取り分として一定額(今回は月額50万円)の支払を保障する*30、だから、事務所の赤字や生活費の心配はいらない、とのことでした。
あまりに虫のよい話に、X弁護士は少し不安になりましたが、Y社長は「(略)」と、いかにも勝算がありそうなことを言います*31。 X弁護士は、不安がなかったわけではないですが、これはチャンスだと思い、この話に乗ってみることにしました。
(以下略)
*30 最近の新型非弁提携の典型である。経費は「発生」しているが、実際に支払わなくてよい、ということになっており、逆に現金が弁護士に手渡しされるので、生活費にも困らない。しかしその実態は、発生した経費は支払を求められないだけで債務として積み上がっており、これは弁護士を縛る鎖となり、時限爆弾になっている。手渡しされる現金も、それ相当分は広告費やコンサルティング料金、サブリース料などに「盛り込まれている」のが実情である。要するに、借金生活をすることになるのである。
*31 弁護士にとっては実感のあることではあるが、「不安を覚えている人間は、自信満々な人間を信用しやすい」という心理がある。非弁提携の勧誘も、そういう心理が利用されている側面がある。だからこそ、新人・若手だけの独立事務所を集中的に勧誘するのである。
つまるところ,狙われるのは売上げが低迷している弁護士ではなく,安定収入の見込みが無い弁護士です。
弁護士業というのは,新規の仕事が来る「保障」が無い上に,顧問が増えるまでは月毎の売上の変動が大きい。
そのわりに,どちらかと言えば真面目に勉強してきた安定志向の人が多いので,収入の不安定に対する不安感が人一倍強いのです。
この不安感を解消する手段として非弁業者が提示するのが,高コストでも案件数を多くして収入を安定させるという戦略です。収入の「安定」は大数の法則により裏付けられるものの,安定した収入額が支出に見合わなければ,あっというまに大きな負債を抱えてしまいます。そして支出構造を非弁業者に握られてしまうと,支出を収入にフィットさせることもできない。売上が大きければ非弁業者が支出も大きくするので,収益は売上が増えても改善しない。
なので,独立時の不安感で一度非弁業者に引っかかってしまうと,その構造から容易に抜け出せなくなってしまうのです。
実は弁護士業というのは不安定なまま十分な売上・収益が上がるのですが,そういう話が意外と弁護士界隈でも自覚されていなかったりします。
>行かなかった糞共が20%でも行けば
選挙イケイケマンの特徴として行かなかった層の投票が一定の党なり候補者に全ブッパされれば変わるみたいなありえない仮定をする
そんなことはありえなくて20%って2000万人なので大数の法則ってのが十分働くので元々投票してた人とそんな変わらん投票先になる。結果、割合はほとんど変わらない
そもそも若者の20%あがればジジイの20%も上がるのが道理、結果割合は変わらない
この数字をどんどん増やしていけばジジイは元の投票率が高いから頭打ちになるが人口比を覆せるほどのモノにはならない内に若者の投票率も100%に達する
行く気がなかった層に強烈に働きかける何かがある選挙活動ってのを実現しなければならないんだが
考えたら頭痛くなってきた
その交換が多いほど景気が良いと考える
停滞しているほど不景気となる
価値というのは、労働力、物、資源、付加価値、権利などなど、売買できるものならなんでも
価値ー金額というのは相場が有り、需要供給の法則や、大数の法則の影響下にある
商売では安くしないと売れないので、同価値で金額を安くしようと努力する
同時に、より儲けたいので数を捌くか、価値を上げるように努力する
3.より多く売ろうとする
平衡状態になると
1.価値を上げることが難しくなる (ここで価値というのはあくまで客が決める。スペックではない)
2.金額を下げることが難しくなる (儲けの限界、下手したら儲からなくても耐えられる限界、あるいは耐えられなくなり崩壊する限界)
3.売るのが難しくなる (普及しきる、相手が居ない)
ある程度の平衡状態に陥ってから、頑張ってそれでも前進した時の成長率が本質的な成長率(通常状態)
この好景気は
・売る相手が増えた
・売る相手の単価が上がった
などの時に起こるが、平衡状態がズレたと思わせる詐欺的な状態でも起こる
これらはやや巨視的に見た時の話だが、小さい視点で見ればさざ波のような好景気ー不景気(平衡状態を行ったり来たり)は存在する
景気を回復するには、技術的なブレイクスルーを起こすか、経済圏を大きくする方法がある
ただし経済圏を大きくするというのも、あくまで平衡状態に達するまでの一過性のものなので、早々に限界は来る
もう一つ回復する方法に、無理やり金を流すと言うの方法があるが
しかしそれまでにブレイクスルーがあれば借金を帳消しにできるかもしれない
わざと不景気にする方法では、無理やり金を使わずプールする方法があり
これは上記とは違い救いがないと考えられる
揺り戻しはあるだろうが、ブレイクスルーが減るので思ったより伸びない
というところまで考えた
よ、宝くじ、みんな買った?
三連休もクソもない割に今日は早起きしたから、算数の話するか。
そりゃそうさ。買おうぜ。
買い物に対価を払わないってのは、そりゃ業腹ってもんだ。
まあ、期待値の話をしようか。
四角い形したフツーのサイコロ振ると、期待値3.5とか言うな。
1x1/6 + 2x1/6 + 3x1/6 + 4x1/6 + 5x1/6 + 6x1/6 = 27/6 = 3.5
ってコトになってる。
これをひねると、例えばコインの表が出りゃ100円、裏ならゼロってゲームの期待値は、
さて、これをちょいとひねってな、裏が出たら終わりのゲームってのをしてみよう。
裏が出るまで、倍々で賞金が増えるとしてみようや。
○○○●なら、100円の倍の倍の倍で、800円。
100円x2の(表の出た回数)乗ってこったな。
さ、これの期待値っていくらになると思う?
10回連続表なら10万ぐらいだけど、11回なら20万、20回なら1億だ。
恐ろしく確率は低くても、バカみたいな金額になる。
つまり「期待値で判断するのが情強」って定義なら、このゲームにゃ全財産を賭けてもやるべきって結論になる。
こりゃあオカシイわな。
ちっと考えれば、50%で100円、25%で200円、0.1%で10万ってこた判るわけだ。
このゲームを数学屋はどう解決するかって言うと、実は解決できてねぇ。
例えば、100万が200万になる時と、1000万が1100万になる時の「嬉しさ」が違うって言ってみたりな。
詳細は省くが、対数的な値になるから発散せずに、まあ答えらしきものは出る。
ただなあ、定義する「嬉しさ」(ググるときは「効用」でググれ)を倍にするってゲームだと、結局解決はしねえ。
ま、結局のところ無限の資産を持つ胴元が、無限回数のコイン投げをするのがイカンとかなんとか言ってんだけどな、
さて、確率の話題をやると必ず出てくる、バラつきだ。
賢そうな中学生ぐらいだと「大数の法則ガー」とか言うんだけどな、ちっと待って欲しい。
まず、「コインの表が出る確率が1/2」ってのを「机上の確率」って言うな。
で、「オレが実際にコインを投げた時の、表が出た回数/投げた回数」を「やってみた結果」って言うな。
馬鹿みたいな回数コインを投げると「やってみた結果」が「机上の確率」に等しくなるってことは、無ぇ。
「やってみた結果」の数が増えれば増えるほど、「机上の確率」に対する乖離が小さくなる可能性が高いってダケだ。
判りにくいな。
逆向きに考えてみようか。
サイコロにオモリが仕込まれてなくて、1の目が1/6の確率で出るってのを判断するには、どうしたら良い?
36回ふったときに、ぴったり6回でたやつだけ取り出しても、あんまり意味はない。
例えば、100回ふりゃあ、本来なら1/6*100だからまあざっくり17回ぐらいになるハズだあな。
続けて10回、100回サイコロふるってのをやってみたら、、13,17,17,15,12,22,6,11,19だった。平均は15.2な。
100回振ったのに6回しか出なけりゃ、なんか疑うだろうし、22回でもまあ微妙かね。
でもな、こいつのバラツキ、つまり標準偏差は4.8になる。これは回数を繰り返せば繰り返すほど小さくなってく。
詳しく知りたきゃ信頼区間とかシグマでググれば良いが、まー、何が言いたいかって言うとだ。
サイコロを100回ふったときに、1が6回出ることもありゃ、22回出ることもある。コレはずっと変わらない。
でも、真に1/6の確率のサイコロなら、バラツキは正規分布に従うから、乖離は徐々に小さくなるハズだ。
つまり、バラツキがどれぐらいにおさまったらサイコロが1/6で1を出すって信頼するかを、自分で決める必要がある。
そして、幾ら大量にデータを取ったところで、次の瞬間のサイコロが1/6でふられるかを保障するわけじゃねえ。
結局のところ、自分で決めたバラツキ以内におさまってるかどうかの「信頼」とか「信念」の問題になる。
確率は、結構ばらつきがあって、正に運で変わるって話はしたな。
つまりだ、オマエさんの手元にあるサイコロが次に振った時に1/6の確率で1を出すかは、判んねえ。
ただ、何回か振ってもらえれば、ズルしてねえ、出るか出ないかのフィフティ・フィフティじゃねえってのを、ある程度信頼できる。
んで、効用ってのは、「嬉しさ」のこった。
ざっくりいや、小学生の1万円と、億万長者の1万円は、嬉しさの価値が違う。
前後賞合わせての7億円ってのは、凡人にとってみりゃ「当たれば人生変わる」金額だな。
これはな、計算したい数学屋にはこういってもイイ。「効用が無限」だと。
つまり効用の期待値を計算すりゃ、「∞x1/1000万=∞」なワケだ。
さらに言えばだ、「机上の確率」と「やってみた結果」にはズレがあるから、
「∞x(1/1000万xバラつきの程度)=∞」になるワケだ。
宝くじを買わねえ自称情強は、このバラつきを無視できるほど小さいと信頼してる。
宝くじは正しく販売されて、ユニット毎完全に理想的に配分されて全国で販売されるし、
抽選もパーフェクトに数学的な確率でランダムに選ばれているし、
手元の一枚の宝くじは、今年発売された全ての宝くじと全く同じだと「信頼」している。
逆に言えば、宝くじを買う夢追い人ってのは、
良くわからないけど当たりやすい販売所があるだろうと思ってるし、
テレビの前で祈りながら見ていれば、自分の番号に当たるかもしれないと思ってるし、
手元の一枚の宝くじは、今年の運勢や日頃の行いで、他の宝くじよりも当たりやすいと「思っている」。
これは単に、信念の問題だ。
少なくともこれを否定するには、十分にウラドリされたデータで持って、反論する必要がある。
期待値だのなんだの言うんだったら、事前確率分布で信頼水準95%程度が言えるくらいに、データを示してもらわにゃ。
こういう言い方しても良いな。
「宝くじ10枚買っても期待値が1400円だ情弱、3000円で本でも買えよ」って笑うときにゃ、
3000円で本を買って期待値が1400円以上だってコトを示さにゃいかんよな。
まー1等が当たる確率は、だいたい1000万分の1ってのは、間違いないだろうよ。
サイコロってのは、だいたい1/6ぐらいなもんだよ。麻雀やるときでもなけりゃな。
同じ言い方で、効用ってのが(近代経済学でも使われるぐらい)ありそうなことっても判るだろうよ。
つまりよ「計り知れない効用」ってのを定義するならば、300円の掛け金は安すぎるわけだ。
ほいでな、「人生の中でそれだけの効用の賭け事をするチャンス」ってのは、こりゃ無いわけだ。
7億当たるかもしれないギャンブルに参加する事なんて、そうそう無いぜ?
起業して成功して、身ぎれいなまま上場して売り抜けてやっと作れる資産が5億ってところだろ。
もちろん、そうやって人生を賭ける起業家はスゲエとは思うけどな、
ソコまでやんなくてもさ、当たりが出やすいっていう売り場に寒い中1時間並ぶだけで、
オンナジぐらいの金額手にするチャンスがあるんだぜ?
(あまりにも小さい確率を無いのと同じとみなすのであれば、この2つを同列にしても構うまい)
ただ、カネの代わりに効用って「嬉しさ」で計算する方法もある。
宝くじの1等が当たったときの「嬉しさ」は、「人生を変える無限の効用」と感じるヤツも居る。
それで計算すりゃ、宝くじの効用の期待値ってのは無限になる。情強的にいや、手持ちのカネを全部賭けてもイイ。
そして、確率推定の計算ってのは、どんなモデルをどれだけ「信頼」しているかに寄る。
ま、情強の言う「期待値140円」つってもよ、つまりは「対価は160円」という言い方も出来るわけだ。
10枚買っても期待値からすりゃ、夢を楽しむ対価が1600円なワケだ。
今の世の中で、なかなかないぜ?
人生を変えるかもしれないって夢を楽しむのに1600円でイイなんて。映画より安い。
都内じゃ昼寝するのに金払うヤツすら居るんだろ?
師走で忙しく、寒さも厳しくなってきたこの時期、
あんまイイこと無かった一年かもしんねえけどよ、
ちょっとした夢を楽しむのに最後に多少散財したって、まあバチは当たらねえよ。
あ、宝くじの方は当たると良いな。