はてなキーワード: 大数の法則とは
サイコロを600個振って、そこからひとつ取り除いて、残ったサイコロの6の目の頻度は 1/6 か否か、という話。
ここでは「ひとつ取り除く」の方法がすごく大切で、つぎの2つは異なる結果を生む。
なお、取り除くサイコロの選び方が問題なのであって、サイコロを同時に振ったか、順番にひとつずつ振ったかの問題ではない。
ポイントになるのは独立性、つまり、サイコロの出目は他のサイコロの出目とは無関係ということ。
取り除かれたサイコロの出目と残されたサイコロの出目は無関係なのだから、
仮に取り除かれたサイコロの出目が6だとしても、残ったサイコロの6の頻度とは無関係。
残ったサイコロの6の目の頻度の期待値は 1/6 よりも小さい。
600個振った場合だと、およそ 99/599 (6がひとつも出ないケースの扱いで多少変わる)
このケースでは、残されたサイコロの出目と取り除かれたサイコロ(=どれが取り除かれるか)が独立ではない。
実際に取り除かれたサイコロをAと呼ぶことにする。
出目が6のサイコロから無作為に取り除くサイコロを決めるとすると、
Aが取り除かれる "確率" は残されたサイコロの出目に6が少ないほど高くなる。
6が10個しかなければ 1/10 だが、6が100個あれば 1/100 だ。
こうしてAが取り除かれる確率と、残されたサイコロの出目が無関係ではなくなる。
その結果として、残されたサイコロに占める出目6の割合は、1/6 よりも小さくなる。
大数の法則がいうのは、サイコロをたくさん振れば、6の目が出る頻度は 1/6 に近い値になるはずだ、ということだ。
ここから「はじめに10回連続で6が出たら、今後6の目が出る確率は下がる」と考えがちだが、そうではない。
はじめに10回連続で6が出ようが、100回連続で6が出ようが、今後6の目が出る確率は1/6である。
(もちろん、サイコロに偏りがなければの話)
大数の法則が成り立つのは、1万回、1億回、1兆回とサイコロを振っていくと、
最初の10回の出目なんて無視できる誤差になってしまうからだ。
計算してみよう。
(100 + 10) / (600 + 10) = 0.1803278688
(1000 + 10) / (6000 + 10) = 0.1680532445
(10000 + 10) / (60000 + 10) = 0.1668055324
(1億 + 10) / (6億 + 10) = 0.1666666805
1 / 6 = 0.1666666666
なお、頻度は 1/6 に近づいていくが、
「なんかアツこと言ってたよねあの人」
「でもそんなの無理だし。なんかズレてるよね?」
「言わなかった方が良かったんじゃね?ww」
「あんなのやるぐらいならやらない方が良かったんじゃ?w」
他人がわざわざ良かれと思って行動したこと、発言したことをマイナスの評価をしてしまうことはよくある。
これはとってもカンタンで、そのことを批判したりマイナス評価することは割とその場では気分が良い。
そう発言したらその場ではなんとなく優位に立てるような。言葉の裏に
とか
「そんなことなら主張しないほうが生産性が高いんだ」
とか。
そういう主張が見えたり。
でもですね、これは以下の理由で、自分にメリットが無いし、プラスにならない。意味が無い以上にデメリット。
自分がそんな発言したことで、
【自分を縛り付ける】
自分がそんな発言したことで、自分の行いを縛るだけで、自発的に動くのをためらう
(あんなこと言った手前、こんな発言できないよね。。)
【自分の評価を下げる要因になる】
相手にネガティブ評価をしたことは、まわり回っていずれその相手の耳に入る(可能性がある)ので、
(そんなこと聞いたらもうアイツを評価することはできない)
一ヶ月で「30ネガティブ」・・・一年で「365ネガティブ」・・・
サイコロを10回続けて振っても、たまたま一の目が5回でることがあっても
1000回続ければ、大数の法則が効くので、確率としてはほぼ 1 / 6 に収斂していく。
ようは
毎日マイナスなこと言ってたら、自分の評価も間違いなくマイナスにしかならん!
ということ。
なので、やめましょう。
批判とグチは、話のネタとしては同種な人に「強烈に」興味を引くけど、良いことは無い。
俺は「ディーラーは(仮にできても)作為しないよ」と主張してるのであって「客に味方するよ」と言っているわけじゃない。
だから君に「客の味方説は変だ」と言われても、そんなこと言ってないとしか答えようがないんだけど。
店の判断としてその客の大勝を許さないなら「負かせ」って指示が来る
ここらへんが話が通じない原因かな。
たぶん君は、ヤクザがやってるようなアングラカジノとか、フィクションに出てくる昔あったような悪徳カジノなんかを思い浮かべてるんだろうね。
そんな指示来ないから!
まず、先に書いたようにカジノのゲームはカジノ側が確率的に有利になるようなルール設定がなされている。
大数の法則により、多くの人が数多くプレーすることでカジノ側の儲けは確実なものとなる。
ひとりの客が大勝ちしたからって、そんなのはよくある一時的な損失にすぎない。
その客がまた遊びにきてくれるなら、そのお金は確率的に有利なカジノ側にそのうち戻ってくるんだから。
そして、また遊びにきてもらうために『コンプ』というものがある。
コンプとは要するに常連客に対する、または常連客になってもらうためのサービスのこと。
たしか申告して受け付けてもらう必要があったはずだけど、勝ち負け問わず、数多くプレーすればするほど、いい待遇をしてもらえる。
宿泊費や食事をタダにしたり、帰りの航空費を負担したり、そのホテルで行われるショーのチケットがもらえたりもする。
そうやって、何度も自分のとこのカジノに足を運んでもらえばそれでいい。
とにかく僕はどうしようもなく、オタクであった
それは別に良いんだけど、重度のコミュ障・非コミュだったのは辛かった
他人を思いやる能力と、他人に興味を持つ能力の2つが、欠けているのだ
彼女なんてできるはずもなく、友達もいない
好きなアニメはセイントオクトーバー
どこにでもいる26歳の童貞だ
たしかに正反対なのかもしれない
ちらほらいる、モザイクのかかってない子は
とてつもなく可愛かった
まず、電話で予約をした
こういう事務的な会話・コミュニケーションには一切緊張しない
淡々とそつなくこなすことができる
これはありがたい
少しでも、アドリブ的要素、友好的要素、非事務的要素が出ると、
とたんに何を話せばいいか分からなくなって
相手の言ってることも理解できなくなるのだが
「はいお電話ありがとうございます、○○○です」
「お客様は会員様ですか?それとも新規様ですか?」
「初めてです」
「どなたをご指名ですか?」
「ユメさんをお願いします、17時から一時間で」
「ありがとうございます、ただいまユメちゃんの確認をしますので暫くお待ちください」
「はい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お待たせいたしました、17時から1時間でユメちゃん、ご予約可能です」
「ではお願いします」
「当店コースの方ございまして、A夜這いコース B痴漢コース C恋人コースとありますが」
「Cで」
「ではCコース承りました。オプションはどうなさいますか?」
「では4番の制服で」
「かしこまりました、では17時の一時間前に、もう一度この番号へお電話いただけますか
またその後、当店のご説明をさせていただきますので、30分前にはお店へお越しください」
「わかりました、失礼します」
お金を無駄にしたくなかったので、顔出ししてる女の子を選んだのだ
それがユメだった
ネットで検索すれば、本当に何千人という数の女の子から、自分の好みの子を選び出せる
途中で別のお店の客引きに出くわした
客引きなんてしたら、そのお店の評判が下がるんじゃないだろうか、といらぬ心配をした
お店の受付で予約していた旨を伝えると、待合室に案内された
ここで僕はびっくりした
待合室には男が4人いたのだが、
みんな気持ち悪いのだ
なんというか、生理的に受け付けない人がそこにいた
全員がタバコを吸っていた
髪の毛がくしゃくしゃで、ホームレスと競馬場にいそうなおっさんを掛けて平方根のような感じの人たちだ
そして、みんな高齢だった
全員が40代以上なのは確実だった
僕は20代である
異様な雰囲気だったが、お店の中には、アルバム帳が置いてあった
アルバムをめくってみる
面食いの僕が言うのだから間違いなかった
これは僕には衝撃だった
僕は当初、風俗嬢というのは、キャバクラライクな矢島美容室みたいなのを想像してた
が、実際は図書館とか本屋が好きそうな女子高生、という感じだった
(もちろん、いかにもな感じの子もいるけど)
受付に呼ばれ、説明を受け、代金を支払う
明朗会計この上なかった
ネットカフェであらかじめ印刷しておいた、風俗情報サイトの割引券も使えた
全部で17000円
「ホテルはこちらで手配してます」
「すみません、このあたりの地理に疎くて、ホテルの場所とか分からなさそうなんですが」
「その点はご心配ありません、お店を出て5秒で着きます、ここをこういってください」
「近っ!」
「その際、この紙をお渡しいただければ、通常より安く入れます」
といって紙を渡される
なんだかパチンコ屋と、商品交換屋のような分離体制だ
そこはいろいろ事情があるんだろう
つづきあります
センター試験、20科目でダウン - ニワニュース - ニワンゴ
http://niwango.jp/pc/niwanews/search.php?id=27460
大学入試センターは2月5日、1月に行われたセンター試験の結果を発表した。受験者数は前年より3234人多い50万7621人で、科目別の平均点では全29科目中20科目が昨年を下回ったことが明らかに。
問. このニュースから「高校生の学力が落ちている」とは言えない理由を挙げよ
追記
http://anond.hatelabo.jp/20090206122830
http://anond.hatelabo.jp/20090206114122
回答ありがとうございます。
これは大切なことですね。他の回答は割とどうでもいい要因です。例えば、
問題が違うので単純に比較できない
は、いわゆる「難化傾向」の可能性をおっしゃってるのだと思います。
これは比較的ありそうに思えるかもしれませんが、29という数字が大きいので、
全ての教科の作問者が話しあって今年は難しくしようと話さない限りありえないことです。
大数の法則ですね。29枚のコインを投げて20枚も表が出るようなことは非常に稀だということです。
そして、「全ての教科の作問者が話し合った」可能性については、このニュースから分かる情報は何もありません。
さて、他に大切な点があったのですが、いまのところ出ている回答の中にはありませんね。
「けッ! クリスマスなんて恋愛資本主義のハイプだぜ搾取されてろグミンどもぺっぺっぺっぺ!」
好きな人のことは今日が12月の24日だろうが13日の金曜日だろうがだいたいいつも好きだしプレゼントだって「これ似合いそうな」と思えばいつでも贈る(財布に余裕があれば、ね)。ケーキ食いたくなったらデパ地下ででも買って食うし、バカ騒ぎする口実なんて年に一度に限定なんかしなくてもいくらでも作れるようになったよ。
いやなのは24日なんて日付よりもっと大事な今しなくちゃいけないことが微妙に圧迫されること。買ってきたCD聴かなきゃだし本も読みたいしいつもの深夜TVでいつもの就寝前リズムをとりたい。あと「太陽の死と復活の祭り」っていう気分が忘れかけられてることもちょっとイラっとする(もう農耕民じゃないからしょーがないけど)。
んでやっぱり遠くの方で死んだ人は遠くの方で死んだ人で人は万が一じゃなくて万が万死ぬ。死に方は生き方だから残念な生き方を選んでしまう人は残念ながらやっぱりいる。人の生き方を妨げるつもりは特にない。次が出にくくなるようにシステムをどうにかしなきゃだけど、この国だけでも1億人いるからね。こういうのも大数の法則っていうのかな。まぁそれだけだ。
でもおれのなかではそれだけのことと了解が出来てるのにやっぱり不安定気味な友人をその話題性だけでグラつかせてしまうのはかなり迷惑。
そんな感じ。
今もまた誰か病気に苦しむ人に救う会が健康保険でまかなえない負担を肩代わりしようとしている。
この問題は炎上しがちだ。したがって相互の言い分は多分に政治色を帯び、印象に残る「分かりやすい」批判と擁護のフレーズが飛び交う。
しかし少し引いて見れば分かるようにこれは健康保険制度そのものだ。それも不完全な。
大数の法則によって少数が直面している突出したリスクを社会の多数が広く薄く負担することで吸収しようとするところは保険の概念だ。
では既存の強固な制度である健康保険や生命・医療保険を利用しないのはなぜか。これらが利用できれば金銭の扱いは当然として、公平性確保や給付金額、自己負担の範囲などあらかじめ決められていて揉めようも無い。
利用できないのは制度の不備だけでなく、無制限の保障の拡大が制度を維持できないからだろう。つまり『給付・反対給付均等の原則』に基づいて参加者の公平さを担保しながら『収支相等の原則』をもって持続的な運営が出来ないからだ。
映画「ペイフォワード」はよくできたおとぎ話だが見た誰もが「だったらいいのにね」と思わずに居られなかった。それは直接の見返りを期待せずに施すことで自らの境遇が漫然と良くなることを期待する話だったからだ。
そこでは合理的にはフリーライダーにならざるを得ない。
見返りをよこさなかった者への社会的報復も許されないのだから当然だ。
随時に任意に組織された保険の負担をしても自分が扶助対象になる保証もなく、制度が持続する構造的な裏打ちもないどころかフリーライダーになることが最も合理的な保険に何の意味があるのか。
(保険金給付の審査が気の毒そうな境遇だけでいいなら傷害保険金詐欺がしのぎのヤクザはずいぶんと仕事がはかどるだろう)
アフリカの難民に何かを期待して寄付するのかといわれればそうでもないのも確かだ。
しかし、これが持続的に発生している情況で、少なくとも募金だけでなく新たな難病保険の設立も含め、既存保険制度に対する干渉を行わなければ(なんら報いることも出来ず喜捨を期待するだけの)乞食の群れといわれても仕方が無いだろう。
確率論・統計学で確立されている大数の法則をわれわれの社会におけるさまざまなリスクに適用すると、個々の局面で捉えると予測困難で、かつ致命的な損害になりうるようなリスクであっても、同等の危険を十分な数集めることによって確率的に予測可能になり、また経済的損失も変動の少ないものになりうると考えられる。
P = ωZ
ここでPは保険料、ωは定量化された保険事故のリスク、Zは保険金を表す。この原則は、保険事故発生のリスクを媒介として保険金(給付)と保険料(反対給付)が等しくなるように要請されていることを示す。
保険会社が同一のリスクを持つ保険契約者の集団から集めた保険料の総額と、保険会社がその集団の中で支払う保険金の総額とは等しくなくてはならない。これを収支相等の原則といい、保険が継続的に安定して運営されるために要請される。